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HAL日記


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2005年2月28日(MON) スパムメールの食らい方、秘技編
 スパムを食らって痛い目に遭っております、と書いたらSPAMの意味を教えてくださった方がおられて実に興味深かったが、その後も雪ダルマ状態になったスパムは増殖を続け、奴等の飽くなき攻撃に屈した僕は遂にアドレスを変更をすることにした。

 しかしホームページにメールアドレスを公開している限りスパムの魔の手から逃れることは出来ないので、どうしたものかと悩んでいたら、NETゲームを主宰する女の子がhotmailを使えばサーバー側で対処してくれる、と教えてくれた。

 でもブラウザを使ってのメールは慣れていないので確認を忘れてしまう危険もある。やはりこれも踏み切れずにいたところ、掲示板が対応してくれているのに気がついた。これは有り難い、とばかりにメール送信を掲示板任せにしていたら、今度はさっぱりメールを頂けなくなった。

 やはりアドレスが分からないというのはメールを送る側にとってみれば不安になるのだろう。掲示板から送るというのも自分のメーラーに履歴が残らないし、それよりもアドレスを公開しないなんて、僕自身でもなんだか胡散臭い気がする。

 悩んで寝られない夜を過していたところ、メールアドレス公開の秘技を教えて頂いた。成る程!こんな手があるのか、これならアドレスは公開してもアドレス収集ソフトには引っ掛からないというわけか。本日からこの手口でアドレスを公開しすることにした。

 こうしてご親切な皆様に、スパムの意味、ホットメール、秘技、果てはスパム(豚肉のランチョンミート)の料理法まで教えて頂きながら、日々ページを更新しております。皆様本当に有難うございます。

 

2005年2月27日(SUN) 有る筈で、無いものは怖い
 「お宅の娘さん、嫁に行けんような事になりますよ」と田舎の親を脅すだけで回収できるので、若い女の子には喜んでサラ金も貸すらしいが、海外の貧困国から安い臓器がふんだんに提供されるようになり、腎臓を売ったくらいでは借金をして返せなくなったオジサンはどうしたらいいのだろう。

「借金を返せないならマグロ漁船に売り飛ばすぞ」とサラ金の取りたて屋に脅された時代もあったらしいが、乱獲が祟って近海ものばかりかニュージーランド沖でも漁獲高が下がり、あまつさえ本マグロの養殖が可能になった今となっては、これも御伽噺だったと言える。

 マグロで思い出すのは、カジキマグロ漁の一本釣りを描いたヘミングウェイの「老人と海」だが、カジキというのは「カジキマグロ」であって、いわゆるマグロとは別の種類なのだそうだ。
 マグロ解体即売なんかでビン長マグロを食べたことはあっても、カジキは見たことないし、回転寿司なんかで食べるアレの正体は、カジキとは似ても似つかない魚らしい。
 以前、「白身魚のフライの白身魚の正体って何?」と書いたことがあるが、ちりめん雑魚と思っていたものが、実はアマゾン川で獲れる淡水魚だと知ってひっくり返った
 
 「本しめじ」というのは商品名であって、「匂い松茸味しめじ」のしめじとは全くの別物で、本物は高級料亭でしか味わえない、と書いたこともあったし、僕の田舎のアサリは国産のものではなく、中国から稚貝を輸入してばら撒いたもので味も見た目も少し違う、と書いたこともある。(あのアサリは北朝鮮産なののだろうか)

 実は今日、僕はとても気分を害している。名前は出さないが、ネーミングとボトルの形状に惹かれて久しぶりに芋焼酎を買ったら、露骨な味付けと着香が施されたものだった。
 あんまり腹が立つのでシンクにぶちまけようと思ったが、一応35度あるので去年漬けた梅酒に放り込んでやった。ざまあみろ、梅にひれ伏して去勢されろってんだ。

 近ごろの世の中、何が本当で何が嘘なのか分かりづらい。だが焼酎やマグロでムカついている分にはまだいい。許せんのは、「核兵器作ったよ」と表明した北朝鮮に対するブッシュ大統領の反応だ。
 あんた、フセイン大統領を捕まえたとき、口の中まで懐中電灯を照らして大量破壊兵器を探したんだろう?なのに、「大量破壊兵器持ってるんやで、へっへっへ」って挑発するジョンに対しては何にも行動起こさんとはどういうことだ。
 ヨーロッパ歴訪している場合か、金も自衛隊も拠出している日本に来いってんだ。ジョンにタマ握られた奴に頭を撫でられている奴もどうにかならんのかね。

 

2005年2月26日(SAT) 焼き飯をピラフと呼ぶ田舎に生まれた
 芸予諸島というのは、その名の通り安芸の国と伊予の国を分かつ瀬戸内海に浮かんで、流れているように点在する島々のことである。
 まるで天の川に散りばめられた星々を思わせるそれらの島の一つに生まれたというのに、僕が芸予諸島という名前の由来に気付いたのは今朝のことであった。

 昨夜、客の引けた場末の飲み屋に独り佇んで飲んでいると、先日ビール瓶を投げた爺さんが入って来た。夜10時という遅い時間に爺さんが飲んでないのは珍しいことだが、昨日は社会保険庁やらなにやら忙しく、飲むどころではなかったらしい。
 飲んでいない爺さんは紳士である。僕も先日の件を謝りたくてビールを注いだら一言だけ礼を言って大人しくグラスを傾けたのだが、酔いが回ってくるといけない。
 店仕舞いをしたマスターと僕は爺さんに引っ張りまわされ、あちらこちらの飲み屋をはしごさせられた挙句、酔った爺さんを家まで担いで送り、またそこで飲まされて解散したら朝の4時だった。

 昼前に目を覚まして重たい頭で携帯を探すのだが見つからない。ペースメーカーに携帯の電波が与える影響について、爺さんと口論になったのは爺さんの家での事だから、忘れたとしたらあそこだろう。
 目を覚ましているかどうか分からないが、とりあえず電話をかけてみようとアドレス帳を繰っていて、幼馴染の名前を見つけた。

(そういや、あいつどうしてるかな。俺も筆不精だから年賀状のやり取りも絶えてしまったしな。元気にしてるんだろうか)
 携帯を探していたのも忘れて彼の名をネットで検索してみたらすぐに見つかった。名前しか登場しないが、かなり珍しい姓名の組み合わせなので彼だと思う。テニスの試合結果とか自動車レースのラップタイムなんかの一覧に名前を連ねていて彼の趣味とも一致する。住所も広島県安芸…と判明したからもう彼に間違いないだろう。

 彼とは子供の頃に今治市で開催されたUコン大会(エンジンを搭載した模型飛行機を2本のワイヤーでコントロールする遊び)に一緒に出かけたことがあり、その帰途に喫茶店みたいなところに入ってピラフを食べた。初めて食べたピラフは美味しかったが、何の変哲も無い焼き飯だったから、焼き飯のことを都会ではピラフと呼ぶのだとそのとき確信した。
 
 日本が異常気象に見舞われ、深刻な米不足に陥ってタイから米を輸入したのは今から10年も前のことだろうか。記憶力に自信の無い人間なのでこんなときに情けない思いをするのだけれど、あの頃仕事中にファミリーレストランで食べたタイ米は美味しかった。
 日本人の嗜好に合わないタイ米をどうにかして美味しく食べようと、テレビも様々な料理法を紹介してくれたが、それで初めて焼き飯が中華風料理で、ピラフは地中海風料理だと知って驚いた。

 僕の田舎が今年の市町村合併で今治市となった今までは、「僕の出身は今治市の近くです」と言っていたのに、胸を張って「今治市です」と言えるようになって感無量だが、先日の発砲事件なんかがあると肩身が狭い思いなので、やっぱり「今治の近くです」なんて言っている始末。

 一昨年のこと、遍路道中に今治市の喫茶店に入ってピラフを注文したら案の定焼き飯が出てきた。僕は出された焼き飯を見て怒る気にはなれなかった。クスっと笑いながら、これでいいのだと思う。作ってくれたおばちゃんも、僕と同じようにピラフを焼き飯のことだと思っている田舎者なのだ。それでいいのだ。芸予でピラフと言えば焼き飯のことであり、そここそが僕の住むべき場所なのである。



 携帯ですか?すぐに見つかりましたよ。週刊将棋という新聞や、トマトジュースなんかと一緒に、コンビニの袋に入ったまま冷蔵庫に保管されておりました。

 

2005年2月25日(FRI) 坊主にリンス
 日記を書くサイトに登録したので投票ボタンをページの下に設置してみたら、どなたか分らないけど一票を投じて下さる方がいらっしゃる。
 投票といってもボタンを押すだけのことだから、あるいはマウス操作を誤ってポチッ!とやってしまうだけなのかも知れないが、自分では押すことの叶わぬボタンであれば、たとえ「指が滑った」だったとしも嬉しく思い、これを糧に拙い日記を綴っていけそうです。

 昨年登場した、「ギター侍」の人気は今年になっても衰えそうに無い。人気の理由は、サンマやマツケンといったマジョリティーを一言でばっさり斬って捨てる痛快さに、見る者が「我が意を得たり」と共感できるからだろう。勧善懲悪がテーマの「水戸黄門」に、最後のところで登場する印籠のような爽快感と、フランス風のエスプリが魅力なのだ。

 新聞の一こま漫画みたいなギャグを連発するギター侍とは趣を異に、「嘆き」を売りにする「ヒロシ」という芸人も人気が急上昇しているらしい。
 彼は自分という弱者がどれほど世の中に不要な存在であるかを証明して嘆き、未だかつて女の子にもてたためしの無い自身を貶める。
 もてない君を自認する僕も彼の不幸には一々共感できるから、今にも泣き出しそうなヒロシの告白を聞き、目頭を押えながら感情移入して笑う。
 よくもまあ、あんな愉快なネタを思いつくもんだと思うし、次から次へと言葉に出せるというのもすごいと思うが、ネタ自体はネット上に沢山転がっているのだそうだ。しかしそれを芸にまで高めて売った彼はやはりすごいと思う。

「ヒロシです…。リンスを、お湯に溶いて使う時代に生まれましたぁ!」
 これには僕も思わずうんうんと頷いた。中学のころの男子はみんな丸坊主だったから、頭を洗うのは石鹸で十分だったのに、急に色気づいた少年たちはシャンプーとリンスを買い求め、ヘアリキッドまで塗り付けて登校したものだった。
 あの頃のばかげた振る舞いは今思い出しても赤面ものだが、確かにリンスはお湯に溶いてから使っていた。そう言えばいつからリンスがトリートメントと名を変え、直接頭に塗りつけるようになったのだろう、と不思議になり、当時を偲びながら今のリンスをお湯に溶いて使ってみたら、髪に満遍なく行き渡るのでむしろこの方が良いじゃないか、とさえ思えた。
 
 リンスを直接髪に塗るようになったのは、お湯に溶くという面倒な工程を省略できるくらいに液の伸びが良くなったからだと思うが、本当にそれだけだろうか。
 昔も今も、歯磨きのコマーシャルは長めのブラシに美しい内容物をタップリ搾り出して見せてくれる。歯磨きは医薬品ではないから適用量が明示されていない。どれだけの量を使えばいいのか分からなければ、人は少ないほうを選択するに決まっている。だがそれではライオンやサンスターは儲からない。そこで考え出されたのがあのタップリ、プルルンのCMなのだ。
 リンスも髪全体に伸ばそうとしたら、直接つけるとかなりな量を必要とする。だから、少量を手に取り2度洗いをしているシャンプーより、1回塗りのリンスの方を先に消費してしまう。僕のように短い髪でもそうなのだから、長い髪が自慢の女性なんかだと一体どんなことになるのだろう。
 
 坊主頭にリンスやヘアりキッドを施し、歯磨きをタップリ搾り出して口を泡だらけにして、使い切れなかった歯磨きを吐き出す、といった環境破壊の一翼を、知らないうちに担わされていたからといって、僕はここでメーカーを糾弾したいのではない。

 ヒロシは涙声で訴える。

「ヒロシです…。彼女の苗字を知りません!」
 ヒロシの告白を聞いていくと、彼がただ単に存在感の希薄な男を演じ、もてない君たちの共感を求めたり、女の子からの同情票を獲得しようと目論んでいるだけじゃないのが見えてくる。
 ヒロシの前には常に「女性」という超えられない壁が立ちはだかっていて、彼の悲痛な叫びを聞く女の子たちは、その壁に自分の姿を投影してしまうのではないだろうか。
「ヒロシです…」には、彼女たちに「ヒロシのようなもてない男には簡単に君臨できる」と錯覚させ、優越感を持たせるに十分な仕掛けが施されているように思える。

 今、テレビの芸人やCMが面白い。フジテレビとライブドアの戦いも面白い。大宅壮一氏の言った「テレビは一億の日本人を総白痴化させるだろう」という予言は的中しなかった。確かにテレビのおかげで我々は賢くなった。じっとしていてもテレビが物を教えてくれるからだ。
 企業はCMで歯磨きの用法用量を教えてくれるし、芸人は痒い脳を掻いてくれる。僕たちは何も考えずにテレビを観ていれば良い。
 政治を知りたい人もフジテレビだけを観て、産経新聞だけを読んでいれば良いそうだ。そうすれば僕たちは真実だけを知って幸に生きてゆけるらしい。あたかも坊主頭にお湯で溶いたリンスを流していたあの頃のように。

 

2005年2月24日(THU) 嫁の裸を売るみたいな
 「バニラムードを見るためだけに毎日ユルい番組を見ている」と昨日の日記に書いておきながら、ふと気が付くと玉子を一パック買い込んでいた。
 玉子を今週のテーマにあのユルい番組が進行中であることを思えば、隙を見せるといつの間にか蜘蛛が棲みつき、糸を張り巡らせて待ち伏せするように、僕の潜在意識も気付かぬ内にサブリミナルというテレビ蜘蛛の罠に掛かってしまったのだろうか。
 アンチ巨人もジャイアンツのファンにカウントされるというなら、僕があのユルい番組の熱狂的支持者であることは、もはや疑う余地も無いようである。

 昨年の日記に「ダチョウを飼って見ようか」と書いたのを覚えていて下さるだろうか。あの時は結構本気だったのだが、何と言っても去年は鳥インフルエンザの当たり年だったから、会う人毎に止めるように忠告されたものだ。
 今年の日本であんな大騒動は無い。だからといって鳥インフルエンザの感染ルートが解明されたわけではないし、それどころかアジア諸国で鳥から人に感染した例が報告されている。
 ダチョウも鳥の一種に違いないのだから、人よりも鳥インフルエンザに感染の可能性がはるかに高いであろうことは素人にだって容易に理解できる。だから僕としてはダチョウを飼うことは絶望視していた。一羽の雛が3万円以上するだけでなく、卵を産むようになるまで何年もかかる、というのだからリスクが大きすぎるではないか。

 場末の飲み屋で将棋を指しているところへ知人がやって来て言った。
「ダチョウを飼えるだけの土地を借りたぞ。去年の約束覚えてるやろな」
 約束といっても、彼が一方的にしたもので、何で僕がダチョウの雛を買って来なければいけないのだろう。飼うのは彼だし、産んだ卵を売って儲けたって僕に入るのが三分の一だと言うなら決して美味い話でもないじゃないか。
 それよりも何よりも、あんたがダチョウの世話を出来なくなったらどうするの。僕はダチョウみたいな未知の動物はおろか、猫の子だって育てるのは苦手なんだから。
 
 鳥インフルエンザが怖いなんて言ってたら、何にも出来ないのは分かりきっている。リスクの無い儲け話なんて有る筈無い。
 例えば自分の嫁さんのヌード写真や下着を売って副収入にするなら確かに仕入れは無いのだからリスクが無いように思えるかも知れないが、経済的リスクを背負わなくても社会的なリスクは常に付いて回る。
 嫁さんが働きたいと言うので、スナックを始めたら確かに儲かったが、何年かしたら男が出来て離婚した、なんて話は僕の周りでも枚挙にいとまが無いのである。

「そうか、お前が一緒にダチョウ牧場やろうって言うから土地を借りたのに。分かった、俺が自分で雛を買ってきて自分で育てる」
 彼は僕が酔って一年前にしゃべった話にずっと興味を持ち続けていたらしい。落胆してビールを呷る彼の姿を見かねて僕は切り出した。
「4月頃になったら温ぅなるやろし、いっぺんダチョウ牧場に見学に行って来るから、それからにしといたらどない」
「本当か、行って来てくれるんか、助かるわぁ」
 彼の態度は一変して表情が明るくなった。僕は何か一つ義務を果たせたような気分になったが、何で僕が茨城県まで行かにゃならんの。なんか釈然とせんなぁ。

 

2005年2月23日(WED) バニラムードのユルさ
 何かと不祥事の絶えないこのところのNHKだが、その原因の一端を垣間見ることが出来そうな、「お昼ですよ!ふれあいホール」という20分余りの番組が毎日、その名の通り昼時に公開生放送されている。
 バラエティーと呼べるのかもしれないが、「だからぁ、それが一体何なのぅ」と苦言を呈したくなるような素人芸を紹介してくれる、とってもユル〜い番組なのだ。

 あんな気の抜けたような番組を押し売りされるのだから、受信料請求に快く首を縦に振らない人の数が右肩上がりで増えるのも無理はない。
 NHKは動物モノ、教育モノ、ドキュメンタリーのジャンルではとても優れた番組を制作していると思うし、番組途中でコマーシャルの入らないNHKには消えてもらいたくないが、ライブドアなんかとの業務提携の道でも模索してみたら番組制作現場に活力も生まれ、もう少しマシなバラエティーモノが作れるのではないだろうか。

 「バニラムード」というのは、その穴だらけの番組にレギュラー出演している、向かって左からフルート、バイオリン、チェロ、キーボードの四人で構成する女性ユニットのことだが、そのバニラムードのどこがユルいとか言いたいのではなく、彼女たちを見ていると僕の顔が緩むのと言いたいのだ。
 音大在学中の美しい彼女たちの演奏を聴くためだけに、僕は毎日苦々しい思いをしながら、「もういい加減こんなダルイ番組止めろ」とぼやきつつテレビの前に座る。
 しかし、文句を言いながらも視聴率ランキングに上らないような番組を毎日見ているというのは、ひょっとしたら番組としては成功しているのかもしれない、と思い調べてみたら案の定、「バニラムード・オタク」と呼ばれるファンの存在が浮かび上がってきた。

「モーヲタ」と言えばモーニング娘に心酔している人たちのことらしいが、この種は日本中のみならずアジア各国にも多く生息していて、性別に関係ないばかりか年齢にもボーダーラインを引きにくいそうだ。
 僕はそのモーニング娘のことを「モーニングっこ、て何のこと?」と訊いことがあるくらい芸能界情報に疎い男だし、まして「バニヲタ」でもないのだが、バニラムードを応援をしている掲示板を見ると、沢山の「バニヲタ」達が様々の思いを込めて書き込んでいるのを読むことができる。
「私もバニムに憧れて音大を目指してます」
「バニムの赤丸急上昇。マイブームです」
「○○ちゃんは有名演奏家○○の娘らしい。そういえば似ているぞ」
「バニムがお休みなので、ぽっかりと心に穴が開いたみたいです」
「音大生というプロパティに、ぐっと惹かれるのですが、何か…」
「○○ちゃんが下を向いた時に胸が見えそうになって、ドキリ」
「今日の立ち、お二人のミニスカートにアッパレ!」
 この人達と来たらどこまで嬉しがりなのだろう。しかしかなりな部分を読んでしまった僕も相当おめでたいに違いない。

 僕が知るかぎり彼女たちが本番演奏でミスったことは無いが、素人ゲストは大勢の人前で緊張するのかしばしば失敗をやらかす。先日などは、あろう事かプロの料理人が「だし巻」の作り方を実演したとき、リハーサルで上手くいかなかったところが本番で難無くこなせて気が緩んだのだろう、完成間近になって落としてぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。
 彼は全国に醜態を晒しはしたが、結果として笑いを取ることに成功したのだから不幸中の幸いだったと言えるだろう。

「他人の不幸は蜜の味」じゃないが、他人の失敗を笑い飛ばせる人は幸いだと思う。だが僕はあの料理家の失敗を見ていて顔から血の気が引いた。
 小さなコンサート並のピアノ発表会で大きなミスを仕出かし、メロメロになったままで演奏を終えた羞恥の体験が僕にはあって、その恐怖がいつまでも心の奥底にひそんでいる。だから衆人の注視する中で他人が失敗するのを目の当たりにするたびにあのトラウマがあぶり出されて来て、我が事のように目を覆いたくなってしまうのだ。

 とは言え、あの番組の人畜無害な、のほほんとした雰囲気そのものは決して悪くない。どんな詰まらない内容の日にも、最後はバニムがユル〜く閉めてくれるからだ。それゆえ僕はNHKに、こう申し上げたい。
「NHK様、番組自体もユルいですが、バニムも世間様をユルくなさっているようですので、これからも公共の電波に乗せて締りのない番組をじゃんじゃん垂れ流し、名も無き人々に光を当て続けて下さいますようお願い致します」

 

2005年2月21日(MON) 芋焼酎と珊瑚礁
 芋焼酎ブームとかで、原料のサツマイモ不足が深刻化していると聞くが、子供の頃に読んだ漫画の影響か、僕にとっても焼酎と言えば長く芋焼酎だった。しかし今も捜し求めてやまないタロイモ焼酎なんてものは到底入手不可能なものらしいと知ってからは、芋焼酎よりも泡盛に心惹かれるようになった。それは芋焼酎ブームの到来する兆しが見え始めた今から三、四年前のことだが、同時にNHKの朝ドラ「ちゅらさん」の人気にあやかって沖縄料理の店が雨後の筍よろしく大阪市内に乱立し始めたころでもあった。

 ドラマが完結してから半年ほど後のこと、会社の近所に一軒の小さな沖縄料理の店が開店した。石を投げたら届きそうな距離にあるのでさっそく同僚たちと覗いてみたら、いかにも沖縄男児らしい店主が一人の女性を従えて料理を作っていた。
「ご主人、日本に、いや、大阪に来られてどれ位ですか」
 泡盛の古酒で酔いが回り始めた頃、僕は店主に尋ねようとしてうっかり口を滑らせてしまったが、僕がものごころ付いたとき、沖縄はまだアメリカだったのだ。
「私は生まれも育ちも大阪は○○区です」
 ちょっとムッとした顔で答えた店主は続けて言った。
「いえ、良いんですよ、皆さんそうおっしゃいます。私も少々濃い顔してますからね。でもね、沖縄に行きますと全く違います。皆さんもっと濃い顔なんですよ」
 お客が少なかったのもあって、沖縄びいきの店主はいかに沖縄が素晴らしいところか、延々と話してくれる。沖縄に行ったことの無い僕には新鮮な話ばかりで楽しく聞かせていただいたのだが、聞いていくにしたがって店主は観光客の目で沖縄に通い詰めているように思えてくるのだった。
「子供の頃に、親父が酒の肴にしているゴーヤを一口食べたことがあってな、こんな苦い草を食べなアカン俺の家はなんて貧乏なんやろぅ、と哀しかった思い出があるんや」
 沖縄生まれで大阪大正区育ちの友達がしみじみと語ったのを僕は思い出したからだ。彼は滅多に沖縄には里帰りしなかったが、たまに沖縄に帰ると毎日続く伝統料理が食べにくかったとこぼした。

 沖縄料理を大阪風にアレンジしていたその店は長く続かなかった。元々創作料理の店にしようか、沖縄料理の店にしようかで悩んだ末に、テレビドラマにあやかって沖縄料理店に決めたという店だから、ブームが去って客足が遠のいたのは仕方ないことだった。
 沖縄が日本に返還されて以後、僕が初めて沖縄料理に接したのは沖縄出身のお母さんと娘さんの営むスナックで古酢を垂らした沖縄蕎麦を頂いたのが最初だった。
 米兵のやりたい放題の乱暴狼藉振りを何一つ知らされていない、また知ろうとしていなかった僕が気にかけていたことといえば、沖縄が日本に返還され、開発が進む中で絶滅が危惧されているさんご礁のことだった。
 僕は沖縄が日本に返還されたことの是非を無邪気に彼女たちに問いかけると、彼女たちは激しく反応して涙を流した。本土に生まれ住んでいる者には分かり得ない苦渋に満ちた生活が彼女たちにはあったからだ。

 大阪に住んでいながら沖縄伝統料理や泡盛を楽しめるのも本土復帰のおかげなのだからケチをつける気はさらさらないのだが、33年前に復帰して以来多くの人が危惧したとおり開発のせいで沖縄の海からさんご礁は消えてしまった。
 さんご礁が死滅してしまったほどの重大な問題ではないかもしれないし、心配するほどのことでもないかもしれないが、芋焼酎がブームになることで何か大事なものが消えていくような気がしている。それが何か分からないし、僕の杞憂に終わればそれに越したことは無いが、僕の田舎の日本酒の造り酒屋が二軒とも廃業してしまったのはそれと無関係だとも思っていない。路傍の石を蹴るにも人類は慎重にならなければいけない時代になったのである。

 

2005年2月20日(SUN) ヨン様には近づくことさえ許されなかった
  積もるほどではないが、ここ泉北ニュータウンに暫らくぶりで雪が舞った。近畿に住んでいると暖冬のように思える今年だが、新潟では平年以上の降雪を記録していると聞く。新潟と同じくらいの緯度の韓国ソウルでも夜8時の時点での気温は氷点下8℃を下回っているようだ。一部で大雪も降っているらしいから、冬のソナのヨン様もさぞかし寒い思いをされておられるに違いない。

 ヨン様といえば、先日の毛染め事件を思い出すが、今日、コンビニに行って毛染め液を見て、前回失敗した理由がやっと分った。
 ブリーチ液には様々な種類があって、僕が昨年用いたのはその中でも、最も明るくなるものだったらしい。ラーメンでいえば超激辛を食べたみたいなものだ。のみならず僕みたいに白いものが混じった頭に使うのは、ブリーチカラーという、脱色しながら色を染めるタイプでないといけないのだった。

 初めての散髪屋さんでカットした帰りにブリーチ液を買い、性懲りも無く風呂に湯を張って、今度は慣れた手つきで液を作り、わき目もふらずに乾いた頭部に撫で付けていった。
(今度は前回の轍は踏まんぞ。どう転んでも、色が付いていくんなら、パツキンにはなりっこないだから)

 これでもかというくらい丁寧に塗りまくって、鏡を見ながら進行状況を確認するのだが、いつまで待っても反応が現れない。これはどうしたことかと説明書を読むと、
「15分かけて塗布すること、その後待つこと10分から20分」
 どうも前回の薬品ほど早い反応はせず、色が付くのを待つ必要があるらしい。この前は暖かかったから良かったけど、今夜の寒さでは待てるわけが無いので、風呂にでも浸かりながら待とうと思ったら、
「塗布している間は風呂に入るな」
(な、なぜだ?いくら読んでも理由がどこにも書いてないじゃないか!)

 仕方ないから寒くて震える手で鏡を凝視しながら、10分くらいは待っただろうか。それでも何の反応も現れない。もう一度つぶさに説明書に目を通すと、
「寒い日は5分以上の延長が必要」
(馬鹿者!これ以上凍えておれるか)
 湯に浸かっていけないのは、きっと汗で薬液が流れ落ちるからだろうという理由を勝手にこじつけ、湯船に沈んでほっとしながら鏡を見るのだが、いつまでたっても何ほどの変化もない。何度も出たり入ったりしてのぼせそうになったので、とうとう痺れを切らして洗髪した。

 薬液臭い頭をドライヤーで乾かしながら思う。
(ヨン様がこんなにも遠いお方であったとは……)
 染めたのかどうかすら分らない、ご利益の不確かな頭をうなだれた。

 

2005年2月19日(SAT) 先生、心を寄せておりました
 どんなに美しい女性でもうんこはするのだと知ってからは、アイドル歌手や女優に対しても個人崇拝するなんてことはなくなってしまった。
 念のためにただしておかねばならないが、「うんこ」は象徴的な意味であって、いかに聖人であっても動物としての生理や欲求を超然して生きることは叶わないのを知った、との意味だ。
 そんな、今の小学生にすら一笑に付されかねないことを実感として理解できたのは、雌としての女性を初めて知った10代後半のこと。それは女性に抱いていた崇敬の念、神秘のイメージが瓦解し、女性がうんこをひり出すのみならず肉欲を持つと知った瞬間でもあった。

 先ごろ国民的一大慶事を発表なさいました、いとやんごとなきお方とても同じでございましょう。雌であらしゃいますからには、いつの日にか御目出度くも御懐妊なさるのでございましょうが、お子様を抱いてテレビにお姿をお見せになられたら、僕はきっと赤面するに違いございません。なぜと申しますに、子供というのは、あんなことやこんなこと、恥ずかしいくて気持ちいことを沢山なさった物的証拠ではございませんか。
 あんなものを抱いて世間に自分は雌でございます、と宣言することが恥ずかしくないのでございましょうか。

 今日、机の引き出しを整理していて古いアドレス帳を発掘した。20代前半の僕もので、懐かしい名前が並んでいる。引き出しを掻き回して何をしようとしていたのか、すっかり初心を忘れてページをめくっていくと知らない女性名がある。
「これは一体誰だろう、聞いたことが有るような無いような、う〜ん思い出せん」
 今もだが、このアドレス帳を使っていた当時、恋の一つもしたような覚えは無い。ひょっとして忘れているだけなんだろうか。しかし付き合った女性なんて片手で数えられる程しかいないはずだから、いくらアル中ハイマーが悪化しているとはいえ、到底あり得ない。
 
 もしもある日突然知らない女性が訪ねて来て、「あんたの子供を立派に育て上げたので養育費を支払ってください」と言われたらどうしたらいいのだろう。「DNA鑑定をするから髪の毛をよこせ」と迫られたらどう対処すべきだろうか。
 荒唐無稽に聞こえるかも知れないが、知人の実話なのだ。知人は身に覚えがあったので髪の毛の提供を頑なに拒み、どう立ち回ったのか会社にも奥さんにもばれることなく、訴えてきた女性から逃げおおせたらしい。
 
 アドレス帳の女性が誰なのか、考えれば考えるほど心配になってきた。このままでは今夜は眠れそうにない。胃が痛くなる程に思い詰めた挙句、ネットでその女性名を検索することを思いついた。
 良くある性と名前だからかなりヒットするだろうと予想した通りだったが、一番上からページを開いていく途中で音楽のページが多いと気がついた。なぜか山口百恵や桜田淳子といった往年のアイドルと一緒に並んで出てくる。芸能人に知り合いでもいれば嬉しいのだがそんなものとは関係無さそうだ。

 つぶさに見ていくと、フルートというキーワードがくっ付いて出てくる。と、そこで初めて、かつて僕が師事したフルートのお師匠様の名前であることに気がついた。
「そうか、たしか結婚したんだったな。旧姓しか覚えていないので分からなかったのか」
 お師匠様は背が高くて実に美しい方だった。僕より三つ四つ年上だった筈だから、今50歳くらいだろうか。ネット上のどこかに写真が無いかと探したが見つからなかった。
 あの上品で清楚な美しさを湛えた笑顔はとても素敵だったが、出産が近付いたので教室を続けられなくなったと聞いている。
「すると先生、あなたもあんなことやこんなことや、恥ずかしくて気持ちいいことをいっぱいなさったんですね。う〜ん!先生、たとえ50歳の雌でも、雌でなくなっていてもいいですからお会いしたいです。なんだか今宵の僕はときめいて眠れそうにありません」

 

2005年2月18日(FRI) バーボンの恨みはウォッカで晴らせ
  バーボンウィスキーをノートパソコンの上にこぼしてパソコンが使用不能になったが、ウォッカで洗ったらほとんど回復した、と書いたら、「デタラメを書くな」とのお叱りを頂いた。
 誓って言うが嘘ではない。キーボードを外してスプレーオイルを吹きかけ、エアーで吹き飛ばしたら少し回復したけど、ベトベトするのでウォッカで洗ったら1個のキーを除いて元通りになった、というのが真相なのだ。しかしその1個のキーというのがWindowsを起動させるパスワードに使っているキーだったので、キーボードの交換だけで直るかどうかは賭けみたいなものだった。

 電気屋の社長さんと飲み屋で待ち合わせて、注文していたキーボードを受け取ったら3800円だった。卸価格で売って下さったのである。
 キーボードといってもノートパソコンだから5mmほどの薄っぺらい物で、ペラペラしたコネクタを一箇所差し込んでネジを締めるだけの、酔って帰ってきた頭でも楽勝の作業だ。

 キーボードを止めるネジを締める前に電源スイッチを入れてみた。Windowsのログイン画面が立ち上がる。やった!ウォッカで洗う前はこのステージにさえ来れなかったのだから。
 パスワードの最後の文字だけ、たった1字が入力出来なくなっただけでホームページが更新出来ないという無念を分かって頂けるだろうか。あれ以来自分の迂闊さをどれ程嘆いたか知れない。だから反省した今は、パソコンの横にバーボンではなくウォッカを置いている。

「それ行けっ、来いよ、こいよぅ」
 ゴール手前を激走する馬に声援を送るみたいに念じながら、パソコンに鞭をくれてやる気持ちで最後のキーを叩いた。
「き、来た、来た、キター!」
 懐かしいメーカーのロゴが一瞬現れて、Windowsが戻ってくれた。一通りキーを入力してみると、気のせいか前より早く反応するように思えるくらい調子が良い。バーボンの被害もメイン基板にまでは及んでいなかった。
 ここまで来たら後は裏から5本のネジを締めるだけだ。おもむろにパソコンをひっくり返したその時、ゴトリ。そばに置いてあったウォッカのタンブラーも同時にひっくり返してしまったのである。

 急いでパソコンを逆さまにして頭の上で点検したが、どこも濡れている様子は無い。ほっと胸をなでおろしてテーブルを見ると一面ウォッカ浸しになっていて、ついてないことにテレビのリモコンがウォッカに直撃されていた。
 酔いが醒めた翌日、僕はまた重苦しい自責の念にかられていたが、元々調子の悪いテレビだからショックは少ない。
 そろそろリモコンも乾いたろう、とテレビを操作してみると、思ったとおり何の問題も無かった。やはり飲むならバーボンよりウォッカだ、と僕は確信した。

 

2005年2月17日(FRI) ビールの奢られ方
  ビールビンが宙を舞う場末の飲み屋の常連であることを知り合いに告白したら、
「嘘をつくな、そんな飲み屋があるなら一回連れて行け」と言われた。
「女もいないあんな汚らしい飲み屋で飲んだって百害あって一利無しやから止めといたら」
 僕は間髪を入れず彼の無謀な申し出を断った。もしもあんな煮物の味見をオタマで直接するような店主の作る物を食べて、腹痛を起こしでもしたら恨まれるに決まっている。たとえ店に関係なく彼の自業自得であっても、汚い店にかこつけて嫌味の一つも言いたくなるのが人情だろう。
「それ見ろ、連れて行けないのはやっぱり嘘だからだろう。今時そんな危ない店なんかあるかい」
 どうあってもこの人は僕を嘘つき呼ばわりしたいのか、それとも「嘘つきは泥棒の始まり」と僕を啓蒙しようという心優しい方なのだろうか。だがどんなに罵られても、ゴルフでパットを外したのをキャディさんのせいにするようなタイプの人に、あの店は紹介できないのだ。

「こぅら!ワシをナメとったら承知せんぞ。ワシは××組の人間やぞ」
 先日その場末の飲み屋で飲んでいると、何が気に入らなかったのか、今年80歳になったらしい、以前から良く知っている爺さんが、出されたばかりのビールの大ビンに手をかけながら、大きな声で僕を威嚇する。
「ビールビン投げるんやったら投げてみんかい。但し中身の入ってる方のビン投げろよ」
 店の奥に腰掛けている僕と、入り口付近でしたたか酔って目を三角にして怒る爺さんの距離はおよそ5m。
 この距離なら爺さんの投げるビールビンを受け止めるのは難しくないだろう。悪くてもかわすくらいの余裕は十分にありそうに思え、僕は悪態をついた。
「どないした、早よう投げんかい。ビンを立てたまま投げてみろ」
 マスターはもちろん、居合わせた四、五人のお客さん全員が制止しようとする中、なおも挑発する僕の言葉を聞くや否や、ビールビンを掴んでいた爺さんの右手が振られた。
 ビールビンが立ったまま僕を目がけて飛んでくる。綺麗な弧を描いてカウンターの上にあるショーケースを越えたが、僅かに僕より手前に座っているお客さんの方向にずれている。
 まさか本当に投げると思っていない手前のお客さんは大慌てで逃げたが、スローモーションのように見えていた僕には少し届かなかなかった。

 いさかいの原因を作ったのは、僕がマスターに話しかけたのを、自分に言われたと誤解した爺さんの方だというのに、どうしたことかお客さん全員が、「年寄りを挑発した若造の方が悪い」と爺さんの肩を持つ。
 確かに傍目から見たら挑発した僕のほうに非があるように見えるかも知れない。だが爺さんは約束どおり、まだ飲んでないビンを縦にして投げたではないか。方向も距離も少しだけずれてはいたが、手前で逃げたお客さんの位置に僕が居たなら受け止められたはずだ。
 爺さんは怒りにまかせて僕にビールを投げつけたのではない。奢るつもりだったに違いないのだが、いわれのないビールを易々と奢られる僕でないのを爺さんは良く知っている。だから喧嘩という体裁を採って僕にビールを贈ってよこしたのだった。
 
 飲んでいなければ爺さんは大人しい人だが、一杯のビールを口にした瞬間から人が変わり始める。どこにでもいる酒乱のタイプとはいえ、その荒れようが半端ではないから、「あの歳までよく刺されもせずに生きてこれたな」と陰口を叩かれる。
 あちこちで出入り禁止の身なので飲ませて貰える店も少ない。時々顔に青あざをこしらえているから、揉め事を起こしては殴られているのだろう。
 一人暮らしで介護も受けず、飲みに出歩ける80歳なら元気と言って良かろうが、爺さんには自らの行く末が見えている。酔って暴れるのは、「命の蝋燭はもう長くはない」と観念した上で、存在している証しを立て、確かに生きていたという足跡を残すためと思えなくもない。

 一度カウンターに落ちてバウンドし、泡を撒き散らしながら床に落ちたビンは割れなかった。素早く拾い上げて見ると、まだ三分の一ほどのビールが助かっている。僕はそれをグラスに注ぎ、びしょ濡れになった顔をハンカチで拭きながら、左手に持ったグラスを爺さんに向けて掲げてから一気に飲み干した。
 「意地を張らずに素直に奢られてやれば良いものを」と思ってはみるが、優しくするとつけ上がってしつこくなる。
 だから爺さん、あんたも元気なら、まだしばらくは僕のこんな奢られ方で勘弁しておくれ。

 

2005年2月16日(WED) トップページの模様替え
 遍路リング、クラシック音楽リング、ダイエットリングなどといったものを設置してはいるけど、僕自身がこれらをほっとんど利用していない有様なので、必要ないようなもんだし、断食日記のページなんて早く削除してしまわないと、年間で1000円と月々250円づつ消えていくことになっている。
 だけど、学生さんが夏休みや冬休みに入る前になると、摂食障害を抱えた女の子たちがあのページを見て何かの参考にするらしいと聞いては、すぐに消してしまうのもどうかと思う。

 遍路リングに関しては、かつて一度はおへんろさんであったものだから、これは是非残しておかねばと思っているが、クラシック音楽リングに関しては、もう単にページレイアウト上のバランサーとしての役にしか立っていないのではないかと思われる。
 だからいっそのこと全部取り払って一から出直したい気持ちもあるが、未練もあるので、誰も見たがらないゴルフのページまで残したりしている。
 離婚届にサインをした後で、前の嫁さんに最後のエッチをせがんでいるようなものかも知れない。

 サイトオープンの時から既にテキスト系だったし、今となってはどうあがいても日記サイトでしかないので、思い切って日記をトップページに置いた。
 極力シンプルにするために壁紙やバナー、写真も撤去したので幾分表示が速くなっているかと思う。
 Yahoo!のカウンターに換えて「忍者」のレンタルカウンターとレンタル解析を設置した。またフレームを廃止したので携帯でも表示できるようになった。もっとも、こうすることによって読まれると都合の悪い人に閲覧されるリスクが発生するので痛し痒しといったところか。

 

2005年2月12日(SAT) 武器としての外交
 何の真似をしていたのか、風呂敷をマント代わりに首に巻きつけ、左腰には錆付いた刀をベルトに差し込み、右腰にはプラスチックの拳銃を差し込んで得意げに走り回っていた記憶がある。
 幼い頃のヒーローといえば時代劇の剣士であり、西部劇のガンマンだったから、剣士とガンマンを融合させたいというさもしい性根が生み出した架空のヒーローも僕の中では決して矛盾しなかった。

 今の時代だって形は違えど男の子のおもちゃといえば剣と銃が常に人気の上位にあるんじゃないだろうか。強いヒーローに憧れる男の子なら武器は一つのステイタスなのかもしれない。
 もちろん大人になってヌンチャクや鎖鎌や十手みたいなレトロでマニアックな武器に屈折する男もいるには違いないが、銃と剣は専門誌が幾種類も発行されてるメジャーな武器だ。

 堺市は刃物の町として全国に知られているというのに、その実体がどんなものであるのか僕は知らない。そこで地場産業振興を謳い文句に設立された、その名も「じばしん」という、そこはかとなく天下りの受け入れ先を連想させるような財団法人が催す「堺刃物まつり」に出かけてみた。
 鋏や包丁といった日用品の修理や刃物研ぎサービスと展示即売に加え、個人のナイフメーカーが全国から集結していて、製作家たちから直接話が聞けてとてもためになったのだが、いかんせん手作りのナイフは高価で購入には至らなかった。

 バタフライナイフが規制を受けたように、ナイフそのものに対する世間の風当たりが強いらしく、製作家によると、「迂闊にナイフを持ち歩くと銃刀法違反で検挙される」のだそうだ。
「じゃ、このナイフを買ったらどうやって持って帰ったら良いんですか」
 我ながらつまらん事を聞いたもんだが、返って来た答えは釈然としないものだった。いくら新聞紙で包装しても持ち歩いていることに変わりは無さそうに思えるが、そのあたりのことは状況に応じて当局の法律解釈が色々変化するらしい。
 芸術作品としてのナイフの一つも持っておきたいと思っているが、製作家に言わせると、「実用品なのだから使って下さると嬉しいです」とのことだった。
 あんな美しいものを持ったらやはり武器として使ってみたくなるものなのだろうか。もしそうなら北朝鮮も核兵器作ったからには使いたくなるのだろうか。正義のヒーローは常に巨悪よりも火力で劣った武器を使って勝ってほしいものである。だから日本も外交という武器で戦ってほしいのだが、これがも一つ威力に欠けるのだから情けない。

  

2005年2月11日(FRI) 将棋大会
 先日書いた将棋大会の日が来た。場末の飲み屋のマスターと店の前で待ち合わせしたら、先日取っ組み合いをした野蛮人が店の前でワンカップを呷っている。
「なんや、あんたも将棋大会に参加するんかいな、面白無いのぅ」
 酒癖の悪いのを糾弾した積もりだったが、何の反応も無い。何の反応も無いということは、何も憶えていないと云う事だろうから、これ以上野郎を責めたところで何の益も無いのは明らかだ。
 
 会場についた頃には野郎のワンカップも2杯目が空になっていて、試合が始まる頃には3杯目になっていたのだが、運の悪いことに、僕の初戦はこいつだった。
 あみだくじで決めたのだから不正は無いのだが、何も26名の中の、よりによってこんなやつと当たるなんて余程今年の僕はついてない。
 奴は僕と当たって嬉しいかも知れん。しかし僕としては、「わざわざ将棋大会に来てまでなんでこいつと指さにゃならんのだ」という思いだ。
 
 彼は将棋が弱いわけではない。それどころか、飲まなければ優にアマ三段はあると思う。ところが誰でもそうだが、飲んだら極端に弱くなって、初段以下になってしまう。一勝は確保できたとしても、これでは興醒めだ。案の定奴は僕に負けた後マスターにも負けた。
 結局負け組みから上がったマスターが順々決勝まで進んで敗退。勝ち組から上がった僕は2回戦で敗退。
 さすがに県代表クラスの4段ともなると強い。久しぶりに強敵連中と戦ってアドレナリンを浪費してしまったが、なんだか心は軽くなった気がする。

 

2005年2月10日(THU) 絶滅のわけ
「話の盛り上がりに欠ける。文節が長すぎる。登場人物を書き分け切れていない。テーマが不明だ」
 僕の書いた恐竜の童話を読んでくださった童話教室の方々の酷評の数々は一々的を射ているので、とても有り難く拝聴してまいりました。おかげさまで当夜は大洪水が発生して恐竜が絶滅する夢を見てしまいました。
 水関係の夢を見るのはビールを飲みすぎてトイレが近くなったせいかかも知れませんが、洪水は恐竜絶滅説のうちの一つとしてノミネートされているのでしょうか。

 この日、教室で恐竜絶滅の新説を聞いてしまいました。
「恐竜展を見に行ったら、体は巨大だったが頭がとても小さかった。だから当然彼等の脳は小さかったろう。そうすると頭のてっぺんから尻尾の先までは神経が行き届かなかったに違いない。だから彼等は尻尾を食べられていても気がつかなかったので絶滅せざるを得なかった」
 この説を聞いて僕はこみ上げてくる笑いをかみ殺すのに苦労しましたが、帰ってから一人でよくよく考えてみると、これは僕の「小隕石恐竜頭部直撃説」よりもはるかに論理的説得力を持って聞こえてくるのです。

 オゾンホールの発生。炭酸ガスの大量生産に因る温暖化。原油に因る海洋汚染。様々な生産活動に因る大気汚染等々。繁栄という甘美な妄想にとり憑かれた人類の野望も遂に限界が見えてきたように思えるのですがいかがでしょう。
 自由と民主主義の輸出という大儀の下に世界征服をたくらむ国の企業家と為政者に「2月16日に発効する京都議定書に批准して下さい」と申し上げたいです。
 人類は巨大になり過ぎて知恵が総身に回らなくなったのかも知れません。尻尾が食べられているのに気がついていないのです。でも今気がついていて逃げればまだ助かりそうです。尻尾だけならまた生えてくるんですから。

 

2005年2月9日(WED) 友達の数
 女のおしゃべりの世界最長記録といえば、何といっても千日もの間しゃべり続けながら子供まで産んでしまったという「千夜一夜物語」だろうが、それに勝るとも劣らないのが「源氏物語」だ。
 そして前者は民話集であり、作者不詳ということなら、真の意味での世界最長おしゃべり記録は、後者の紫式部という実在の女性に軍配が上がるのではなかろうか。

 女のおしゃべりは長くて下らんと言う人もおられるが、この二つの物語はとても面白いということになっている。だから女のおしゃべりも真剣に聞いてみたら面白いのかもしれないが、男のおしゃべりはつまらん。特に酔っ払いのおしゃべりほど醜いものは無い。大抵は自慢話か、会社や上司の愚痴か下ネタだからだ。
 あるとき場末の飲み屋でうるさいやつをビデオ撮影して渡してやったら素面では見れなかったと言っていた。そりゃそうだろう、20年も同じ自慢を話をしゃべくっているのだから。

 どこの飲み屋でも、暖簾をくぐってから帰るまでしゃべる続ける酔漢はいるものだが、そんな連中に共通しているのは「友達が多い」ということだ。
「俺はな、この前××組の組長と飲んだんや。あいつらの飲み方いうたら半端やないで」
 これは自分が飲んでいたスナックに××組の若頭が入ってきたので、隅っこでビクビクしながら飲んでいたという話に脚色が施されていると思って間違いないだろう。
「若い頃に自衛隊の戦闘機を操縦していて、墜落して大怪我したことがある」
「アメリカに住んでいたとき軟派して嫁さんを日本に連れて帰った」
 優れた詐欺師でも、全くの嘘をでっち上げるのは難しいことなので、これらは友達の話や親戚の話を自分の事のように紛らわしく語る手口かもしれない。

 権威に弱く自分に自身がない人というのは、とかく虎の威を借りたがるものだが、安い酒を売る飲み屋へ下るにしたがって、悪のヒーローを持ち出したがる人が増えるようだ。「俺はあんなに恐い連中と友達付き合いしているのだから、お前も俺のことを恐れるべきだ」と言いたいのだろう。
 
 今宵場末の飲み屋の暖簾をくぐると、先客は二人だけだった。どちらも僕にとっては古くからの馴染みなので、当然この二人は年齢が近いし、家も近いのだから友達なんだろう、と意識さえしなかった。
「俺な、K-1ファイターの武蔵の親父のことはよう知ってんねん。昔、公園で一緒に酒飲んだりしたもんや」
 おしゃべりな爺さんがもう一人のお客さんに自慢話をぺらぺらしゃべり始めた。泉北ニュータウンのヒーロー「武蔵」と友達であるとは言えない年齢差があるから、お父さんを持ち出すことで威張って見せたかったのだろうが相手が悪かった。
「あんた、何言うてるねんな、あんたのしゃべってるこの人が武蔵のお父さんやんか」
 マスターにすかさず突っ込みを入れられたお調子者の爺さんは絶句し、後の1時間をバツの悪い言い訳に費やす羽目になった。
 武蔵のお父さんはこういった類の自慢話は一切しない。自身もハンサムだし二人の息子さんも有名人なので偉ぶる必要も無い。背は高いが腰の低い人なのである。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の諺通り、恵まれない経験に比例して人は自慢話をしたがるもののようだ。かく言う僕だって、そんな下衆野郎と対峙する事態になったときには、法力の強いお坊さんとか、売れっ子作家とか、美人ピアニストとかの友達が激増する。だからアホな連中のことも微笑ましく思えるので、生暖かく見守ってやることにしている。

 

2005年2月8日(TUE) バーボンVSウォッカ
 バーボンウィスキーをこぼして使用不能になったノートパソコンを修理に出そうと、某社のサービスセンターに電話したら非情な答えが返ってきた。
「コーヒーをこぼした事例を扱ったことがありまして、キーボードだけでなく、メイン基盤まで腐食していましたので、十万円くらい費用がかかったと思います」
 綺麗な女性の声だったが、それを聞いた僕の心は厳冬のシベリア、ツンドラ地帯に放り出されたみたいに凍てついた。十万円も費用がかかるなら誰が修理に出したりするもんか。第一パーツを交換するだけなら誰でも出来るじゃないか。そんなの修理じゃないだろう。

「じゃあキーボードだけならいくらですか。あそう、定価五千五百円で、業者卸が三千六百円ですか。分かりましたありがとう」
 こうなったら駄目元でキーボードだけを交換してみるか。業者を騙って三千六百円ですむなら安いもんだ。そうはいっても、もし交換して直らなければ金をドブに捨てるようなもの。その金で外付けキーボードを買うほうがマシというものだろう。

 そんな覚悟でノートパソコンの分解を始めたが、これがネジを5、6本外すだけでなんとも簡単に分解できた。念のために全体を点検してみたが目視では特に異常を発見できない。どうもキーボードだけの故障のように思える。
 僕はここではたと素敵なアイデアを思いついた。
「アメリカのバーボンウィスキーでやられたのなら、ロシアのウォッカで洗浄してみると上手くいくんじゃないか」
 世界のアルコール消費量ではこの二大超大国がしのぎを削っているはずだから、どちらかでやられたのなら、それに拮抗するものに頼れば解決するに決まっている。

 ポリ袋にキーボードを入れ、96度のウォッカを注いで暫らく浸し、後はエアーでアルコールを吹き飛ばしから、ドライヤーで乾かして仕上げ、元通り取り付けた。
 するとどうだろう、ほとんどの機能が回復したではないか。僕の予想が正しいことはこれで裏付けられたが、どうしても一つだけ入力出来ない文字がある。止む無く全てをばらしてみたが、原因は突き止められなかった。

 その夜、電気屋の社長さんに会って話したら、パーツを取り寄せてやると申し出てくださったのでお願いしておいた。メイン基盤の方に原因のある可能性も否定できないので、一か八かの賭けには違いない。こういった賭けにただの一度だって勝った憶えの無い僕だから、今回も失敗する方に乗るが、それにしてもバーボンはキツイ。アメリカさん酷い事やってくれるじゃないか。

 

2005年2月7日(MON) 無上の境地
 先日から会う人毎に将棋を挑まれる。訊くと、近々将棋大会が催されるのだそうだ。といっても公のものではなく、飲み屋が会場のプライベートコンペみたいなものらしい。30人ほど参加者がいるというから、ゴルフなら7、8組の手ごろでやりやすい人数だ。
 
 最近は将棋を指しても楽しくなくなった。はっきりと実力で勝る対戦相手に恵まれなくなったこともあるが、勝って当たり前の相手に、必死で挑まれた挙句金星を進呈してしまったときは結構辛いものがある。
 飲んだ上でのことだから直ぐに忘れてしまえそうにも思えるが、競馬や競艇みたいなギャンブルとは違って、金ではなくプライドを賭けたゲームならではの痛手を被ってしまうのだ。

 あれは今を去ること8年前。当時の将棋界を平定した感のあった羽生名人から名人位を奪い返して、永世名人の称号を得た時、谷川浩二九段は「名人は危うきに遊ぶ」と色紙に書いた。
 彼自身の言葉というより、論語の「君子は危うきに近寄らず、而して大人は危うきに遊ぶ」の引用である。
 棋界のプリンスと呼ばれ、21歳という史上最年少で名人位に就き、その後次々と台頭する後進に敗れ去り、やがて絶望を乗り越えて復活を遂げた名人だから許される言葉なのだ。

「あんたの分も申し込んであげてるから、頑張ってね」
 いつの間にやら僕もメンバーに入っている、と対戦相手の野蛮人が突然言出だしたが、そんなこと頼んだ憶えはない。
「勝手にメンバーにせんといてや、俺かて都合があるし」
「何でよ、人がせっかく親切でしてやってるのに」
「あんたのやってるのはね、小さな親切大きなお世話やろが」
「なんちゅう言い草やねんな、ええ加減にさらしとけよ。君子も豹変するんやぞ」
 どうも僕に連敗して虫の居所が悪くなったと見えて逆切れし始めるが、それも言うなら「君子は豹変す、而して大人は虎変す」だろう。良い方に大きく、突然に変化するという意味だ。全く、こいつ等と来たらたちまち馬脚を現すんだからやってられん。

「なぁなぁ、悪かったってぇ、謝るしぃ、汚名挽回で私も一生懸命に幹事するから参加してよ」
 実に変わり身の早いやつだが、この軽さが身上の男なので、まぁ参加してもいいが、汚名は挽回せずに、返上しておけ。
 危険人物と将棋を指してはいても、名人のように危うきに遊ぶ心境で僕が将棋を指すようになれるのは、この先もずっと無いだろう。

 

2005年2月6日(SUN) 公式ホームページ
「場末の飲み屋ひょうたん」で検索すると、僕のページにヒットしたりするのも当たり前だが、ひょうたんに屯する連中はパソコンやワールドワイドウェブなんてものにはおよそ縁の無い生活をしておられる方々ばかり。
 言うまでも無いが、マスター自身が携帯電話すら持ってないのだからそこに集う連中だってインターネットによる通信革命の恩恵などからは大きくスピンアウトしているのだ。

 僕はそういったローテクで野蛮な連中を決して馬鹿にするのではない。それどころか時代のトレンドにようやくの体で付いて行っているような僕にも少しばかりの優越感を与えて下さる貴重な空間として、いつまでも保護の対象であり続けてほしいとさえ思っている。

 しかしそうは言っても、何とかして連中にも現代の若者の息吹みたいものを肌で感じてほしいとも思っているのも事実。
 活字離れ、文章力の低下などと批判される若い世代だが、決してそうとばかり言えない。それ以上に自分を表現する高い能力を身につけた世代であることを知ってほしい。しかもその世代をバックアップする小学生たちのまた更に高いレベルの表現力を知ると驚愕せざるを得ないだろう。(もちろんWEB上だけでの話)

 というわけで「場末の飲み屋ひょうたん」の公式ホームページを立ち上げてやった。マスター本人さえ閲覧は出来ないのだから大した意味も無いのだが、年間の営業日が優に二百日を下回って、およそ百二十日前後と噂される営業日数を記録しておくのも一興かも。
 泉北ニュータウンの恥部みたいな飲み屋の常連さんに奉仕するだけのためのページに過ぎないが、それさえも心もとない。ま、なんかの役に立つとは思うが、あんまり下らないので、どこにもリンクはしないでおくとしよう。

 

2005年2月5日(SAT) やっちまった
 忘れ物は多いは、うっかりミスはいくらでも仕出かすは、とにかく穴の多い人間である僕の座右の銘は「惨劇は予測されると起きる」である。

「お前みたいにふらふら遊んでばかりいると試験に落ちるぞ」
 そう言われて叱咤激励された子供は本当に落ちてしまう。
「子供のくせに化粧なんぞして、まるで娼婦じゃないか」
 娘が心配の余りの叱責であっても言葉は選ばなければならない。いずれ彼女はプロの女性としての道を歩むことになるだろう。
「飲んだくれてばかりいると、いずれ飲酒運転で事故を起こすぞ」
 これは僕自身が身を持って証明したから間違い無い。
「お前は絶対一流選手になる」と言い聞かせながら育てたイチローのお父さんの教育法は全く正しい。頑張らないと一流にはなれんぞ、と脅しされて育った子供は一流にはなれん。とにかく起きては困ることを予測してはいけないのである。

 夜中に目が覚めた。ノートパソコンが開いていて、スイッチが入っている。隣にはバーボンのポケット瓶がふたを開けたままで置いてある。
「そうか、飲みながらパソコンを使っていて寝込んでしまったのか。こんなことやっているといずれパソコンの上にウィスキーをこぼすだろうな」
 そう思ってウィスキーにふたをしようと思った矢先に瓶を倒したのである。それもかなりな量をキーボード上にぶちまけてしまった。慌ててパソコンを逆さまにして、ウィスキーをふき取ったがそれでも心配で、自分も逆さまに寝転がって電源を切り、逆さまのままで置いて寝た。

 朝、電源を入れるとちゃんと起動し始めたのだが、パスワードを入れようとするとキーが反応しない。
「まだ乾ききってないのかも知れんな、一日置いたら動くようになるだろう」
 まだこの時点でも楽観しているのだからお目出度いもんだ。もちろん夕方になってもキーは受け付けてくれない。もう壊れたのは決定的である。

 テレビをつけたら青、赤、白、黒の四色しか表示しなくなっている。携帯はいくら充電してもすぐにバッテリー切れになる。水道の蛇口から水漏れが止まらない。場末の飲み屋に行ったら野蛮人が暴れている。
 どれもこれも予測する尻から現実のものになって襲ってくる。マーフィーの法則じゃないが「壊れる時は一度に壊れる」し、「事態はどんどん悪くなる」のだ。こうなったら「何も予測しない、何も行動しない」に徹してじっと解決するときを待つしか無いような気がしてきた。「明けない夜は無い」のだから。

 

2005年2月4日(FRI) 価値のわかる人がいる
 彼女と知り合ったのはかれこれ10年前。寒い夜のとあるコンビニの前だった。酒を飲んだ帰り道、コンビニで買い物をして出ると、二人の少女が駐車場に座り込んでシンナーを吸っている。
「お前ら、シンナーと覚醒剤、どっちが体に悪いと思う?」
「そんなん覚醒剤に決まってるやん」
「それが違うんやなぁ、その証拠にお前らの歯ぁ溶けてるやろ」
 酒とシンナーというジャンルの違いはあっても、同じドーピング愛好者という連帯感ゆえか、意外にもヤンキー娘と会話が弾んだ。
 やがて彼女たちのうちの一人と、薬物中毒、アルコール中毒、歳の差というハンディを乗り越え、ペンフレンド(死語か?)として友情を育むこととなった。彼女が中二、僕が30台半ばのことである。
 
 すったもんだはヤンキー娘だからいつも付いて回り、進学するしないで荒んでいた時期もあったが、彼女は関西では少し名の通った女子高へ進学した。そして事件は二年生のときに起きた。
「今日な、学校でプールの時間が終わって着替えに戻ったら、下着が無くなっとってんで。ひどいやろ」
 彼女が電話をかけてくるのは滅多に無かったが、たまにかけてくるとたいてい面白い話だった。
「同級生に嫌がらせされたんやな。それでお前、ノーパンノーブラで家に帰ったんか?」
「違う違う、クラス全員の下着とブルマが盗られてん。そやから女の先生がみんなのサイズ聞いて買いに行ってくれてん」
「なにぃ、40人分のぉ?そりゃまたすごい数やな、濡れ手に粟状態かい!」
 40人のクラス全員の下着というのはどれ位のかさになるんだろう。そんな大きな荷物を抱えて誰にも咎められないなんて解せん。だがよく聞いてみると犯人は恐らく内部の事情に精通していて、場所と時間と逃走経路を事前に把握していたらしい。そうでなければまず犯行は成功しない、と彼女は断言した。
「それで、もちろん警察には届けたんやろな」
「出来るわけないやん、だってみんなが『あの男の先生が怪しい』って疑ってるんやから」
  
 下着ドロは立派な窃盗罪だが、それよりも捕まって地域社会から辱めを受ける方がどれほど犯人にとって痛手であることか。もしもその先生が真犯人だとして、生徒から疑いの眼で見られる危険を覚悟のうえで、それでもなおかつ犯行におよばねばならなかった背景には、余程さし迫った押えがたい衝動が有ったに違いなかろう。
 泥棒に同情する訳ではないが、いくら人類の性的嗜好は千差万別、十人十色、百花繚乱であるとはいえ、女性の下着に悦楽を見い出した男の哀しい性(さが)はいかばかりのものか。
 報告してくれる少女の声は受話器の向こうで弾んでいるようにも聞こえたが、やがて僕の心には少しづつブラインドが下りた。

 

※世の中には理解に苦しむ人が沢山おられる。変な人の多くは通常の生活をしていて表立ったことになるのは少ないが、人それぞれに変な部分の一つや二つは抱えているはずで、自分では常識の範囲内と思って見逃している場合も少なくなかろう。
 僕たちは他人の変な部分を目の当たりにし、説明が付かないで動揺すると「変人」として片付けたくなるが、「自分は変な部分は持っていない」と言い張る人こそ変人に思える。
 変でおもろい人を何人か知っているので、いずれ書こうと考えている。

 

2005年2月3日(THU) 呪われた部屋
 鴨居の隅と敷居の隅や柱のドアノブの辺りに、まるで結界を張っているかのように札が貼り付けられている。紙幣を縦に裂いたくらいの短冊状の白地の紙には見たこともない文字が書かれていて、まるで呪いの札のように思える。
「これは一体何なん?」
「知らんよ。何かの嫌がらせやと思うわ」
 恐る恐る訊ねたら、彼は吐き出すように露骨に嫌な顔をした。
 部屋に入ってまた驚いた。前に来たときには無かった仏壇が置いてある。小さな部屋には少し不釣合いなものに思えるが彼の自慢であるらしい。
 彼は何かの新興宗教みたいなものに入信しているらしく、自分の仏壇が持てたことが嬉しかったと言い、朝夕にせっせと勤行をあげているのだった。

 朝晩ご先祖様に手を合わせるなんて感心だなと思ったが、大家さんはそうは思っていないらしく、ある日彼が勤行をあげているところへ大家のおばちゃんが入ってきて、すぐさま勤行を中止するように言われ口論になり、その翌日部屋に帰ってみると札が貼られていたのだそうだ。
 そればかりか、天袋を開けるとやはり札が貼り付けられ、押入れにも張られている。今まで気が付かなかっただけかとも思ったが、仏壇が少し移動しているようにも思えると言う。
「絶対に大家が僕の留守の間に入ってきて貼ったんやと思うわ。仏壇の裏とかにも絶対何かしたんや」
 怒りの治まらない彼の話を聞いていると、大家さんとは相当な確執が出来てしまったらしい。今度部屋に入ったら警察を呼ぶとまで言う。
 一緒に部屋を出てドアを閉めると、彼は何か細い紙切れを取り出し、敷居の付近に一箇所と、鴨居の付近に一箇所。ドアと柱を繋ぐように糊で貼り付けた。
「それ何してるの」
「シッ!ドアを開けたらこの紙が切れるやろ、誰か入った証拠や」
 
 彼がセンサーを設置した翌週に、どうなったか気になって彼を訪ねたら留守だったが、大家のおばちゃんが飛んできて僕に訴えた。
「あの子ゆーたら○○教信じとるんやで、そんなん知ってたら入居させるんやなかったのに。おばちゃんな、あんまり恐ろしいからこうやって札を貼り付けて拝んどるんよ。あぁ恐ろしい恐ろしい」
 数珠を手に懸命に拝むおばちゃんによると、彼の入信しているのはとんでもない邪悪な教団らしく、このままでは自分達にまで罰が当るのだそうだ。

 翌週も彼は留守だったが、翌々週に訪ねたら、大家さんが「引っ越してくれて良かったよ」と言ってホッとしたような表情を浮かべた。
 僕に一言も無く引っ越した彼の失望と怒りはどれ程のものだったのだろう。
 想像の域を出ないが、大家さんに部屋に入られてそこら中に異教徒の呪いの札を貼られたんじゃなかろうか。どんな剛毅の者でもそんなところ住むなんて無理だ。気の弱かった彼の無念を偲ぶに哀しい。

 当時は呪いの札で十分効果があったかもしれないが、今はハイテクの時代である。あの大家さんも今なら監視カメラを部屋に設置したに違いないと想うが、誰が考えたって部屋に入るのもそれも立派に違法だ。
 だがその無法行為を平気でする人間もまた大勢いて、女性の部屋に侵入して盗聴器を取り付けたりすると聞く。
 ある日部屋に帰ると見知らぬ縫いぐるみが置いてあったりすると要注意だ。隠しカメラや盗聴器が仕込まれている。そんなものに引っ掛かる人もいないかも知れないが、もしプレゼントだと言って渡されたらどうだろう。

 もっと驚くのは、電気店とかで女性の好みそうな品を万引きして中にカメラを仕込み、またそっと返しに行き、その品が売れると、発信される電波を拾って後を付ける、といった手口まであるのだそうだ。(これはちょっと嘘っぽい気がするのだが)
 信じがたい話ばかりだが、タレントの田代某を思い出すといい。盗撮に賭ける凄まじいまでの情念も納得できようというものである。
 最近よく聞く、引越し会社の盗聴器発見サービスというのは、前の住人が仕掛けられていたものを発見するのだ、というのをつい最近になって僕は知った。

 なんとも無用心で寒々とした物騒な世の中になったものだが、実は下着ドロと聞いて真っ先に僕が思い出すのは、ある女子高に通う女の子から聞いた、実際に自分が学校内で被害に遭った事例だ。これには僕も思わず「先生、アッパレ!」と叫んだ。
                         (つづく)

 

2005年2月2日(WED) 入居基準
 黒門市場は、法善事横丁や宗右衛門町といった食い倒れ大阪の町を代表する通称「ミナミ」の盛り場近くにあって、全国から集まった食材や惣菜を販売する店が軒を連ね、「天下の台所大阪の屋台骨」と今でもだが当時もそう呼ばれていた。

 友達が住んでいたのはその黒門市場に程近い安アパートで、地名は日本橋だったが電気屋街からは少し離れた、いわば商店街に勤める人たちのベッドタウンみたいな所だったかも知れない。
 安アパートといっても大家さんが管理人として住んでいて、新しくはなかったが明るくて小奇麗な、立地条件を思うと格安な二階建てのアパートだった。

 女性が多く住んでいたそのアパートは、いちいち大家さんに挨拶して入らなければいけないので、セキュリティ面の安心感もある。
 彼の部屋に初めて案内された時にすれ違った隣の住人は、とても綺麗な和服を着た若い美人で、彼と親しそうに会話していたが、後で「おかまちゃん」だと聞かされた。

 物静かでハンサムなやさ男だった彼がおかまちゃんにもてるのは良く分かるし、大家のおばちゃんにも好感を持たれていて、何かと世話をやいてくれるのだとも言う。
「え〜な〜、オレのボロアパートより安くて、快適やな。オレもこっちに引っ越したいなぁ」
 うらやましくて仕方ない僕が言うと、どうやら大家さんの入居審査が厳しいらしくて、僕では合格できそうもないらしかった。

 彼が入居してから一月ほど経ったころ、彼の顔から明るさが消え、心なしか血の気が失せ、落ち着きがなくなったような気がしてわけを尋ねた。「誰かが留守の間に部屋に入っているような気がする。一緒に部屋に来てくれないか」
 泥棒かと聞けば、何も盗られていないと言うので真意を測りかねたが、請われるまま彼に付いて行った。大家さんに挨拶して返ってきた表情にただならぬものを感じたが、部屋のドアの前に立った時その異様さに僕は震え上がった。
                     (つづく)

 

2005年2月1日(TUE) ターゲットは他にある
 ミニコミ紙、泉北コミュニティによると、このところの泉北ニュータウンでは下着泥棒の被害が頻発しているらしい。
 もちろん被害者は女性なんだろうが、ベランダに干してあった、エプロン、ズボン、靴下、シャツなど10数点がハンガーごと盗まれたそうだ。
 これを読んだ人はだれだって、ある種の変態男の仕業だろうと即断するだろう。よしんばホシが挙がって盗品が返却されたとしても、再度の使用はためらわざるをえないに違いない。干していたものが風に飛ばされて近所の人が拾ってくれたのとは訳が違うからだ。
 使用目的は言うに及ばず、犯人像も想像したくないことだろうが、こうした犯人は意外に身近に潜んでいて、顔見知りだったりすることが多いのだと聞いた事がある。

 昨年のことだが、一人暮らしの兄がマンションに帰宅してみると鍵が開いていて、部屋が荒らされている気配がある。警察に電話をしたら目つきの悪い刑事さんがやってきて「○○さん、泥棒ゆうのはねぇ、こんな生やさしいもんやおまへんねん。そこら中かき回されて、そらヒドイもんなんですわ」と言われたそうだ。
 僕もこの刑事さんの言葉は全く正しいと思った。はなから泥棒の被害に遭ったような惨状を呈するのは疑いの余地もない部屋だったからだ。
「こんな部屋に泥棒が入ったら、あんまりの荒れように同情した泥棒が片付けて帰ってくれるんじゃないか」
 おおかたちょっとばかりの地震で、うず高く積み上げていたガラクタがニュートンの法則に従っただけのことだろうと一笑に付した。
「いや、誰かが侵入しとる形跡がある。絶対に間違いない」
 茶化した僕に、兄は真剣になって抗議したが、日頃部屋のメンテナンスなんぞしたことがないだろうから、物が無くなっても分るわけがない。うんうんと表向きうなずいてはいたが、兄の思い過ごしということに僕の中では決着した。
 被害があったのかどうかもはっきりしないような部屋のことなどどうでも良いが、最近では部屋に有る筈の無いものが有るという事件が多発していると聞いて、二十数年前に友達が住んでいたアパートのことを思い出した。
                        (つづく)

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