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HAL日記お遍路紀行

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10月15日(水)晴れ 無理せんとこ

 
 大日寺(だいにちじ)を前にして、納経の時間にとても間に合いそうもなくなった。昨日の雨の中
40kmが相当こたえて足も心も前に進まない。大日寺近くで泊まることにした。

      地図には旅館が1軒あるだけ。しかしこの地図は1997年版だから変わっている可能性が大きい。現に「国民宿舎あき」は無くなっていた。道行く人に宿を尋ねたら「国体に合わせて建設されたホテルがあります」

      ビジネスホテル「黒潮」は大日寺の手前2.6kmの所にあった。最新のホテルとあって、無線LANの貸し出しが無料だとのこと。四国巡礼を初めてようやく只でnetが出来る。

      今のうちに画像を出来るだけ転送しておこうと考えたが、お寺の数が多くて嫌になる。僕の下手な写真など寺の紹介にはならんので気に入ったものだけをアップすることに。

      室戸岬の御蔵洞の前に海岸があるが、その岩の上で、荒れる太平洋の波を鎮めるかのように修行僧が一心に読経していた。彼はその後最御崎寺でも本堂に座り込んで長い時間読経していた。立ち居振る舞いに修行僧らしい品位があり、カッコいい。あこがれますな。


10月14日(火)雨 無理せんとこ
きのう歩くのを少しサボってしまったので、今日は6時30分に無人民家を出てコンビニでおにぎりを2個買って歩きながら食べた。およそ40kmが今日の目標、無情にも降水確率午前50%午後70%どっちにしてもずっと降り続いている。民宿尾崎のお嬢さんがいってた熱帯性低気圧がやって来たということか。

神峰寺(こうのみねじ)へ登る麓までは順調だったが登り始めるとなんだかムカムカして仕方がない。何が腹が立つのかわからないが、今日はここらでやめて麓の浜吉屋という旅館の評判がいいのでそこへ泊まろうかと思った。

あと500mほどの所で休憩所があった。カッパを脱ぐとTシャツはびしょびしょ。ゴルフ用のカッパは発水剤の効果が切れて意味をなしていない。着替えてまた足に鞭打って登り始めたらひげ面の青年にあった。凉しそうな顔で降りて来る。「あとどれ位ですか?」
「気持ち急な坂になりますがあと300mくらいです」  ああ助かった。

山門からすぐの納経所へザックを降ろし、本堂へ、輪袈裟をかけるのも、数珠を持つのも忘れて長い階段を登りお経をあげた。

納経を済ますとおばちゃんがお茶とお茶菓子の接待をしてくれた。これがおいしいのなんのって。登った甲斐があったというもの。このとき髭面の青年は道の駅に野宿するらしいと聞いた。

降りる途中、外人を連れた青年に道を聞かれた。自転車で外人が登りたいらしい。「相当きついですよ」といっておいた。

やがて安芸市手前の道の駅に着くと例の髭面の青年がいた。お坊さんの風貌をしているが、仕事はお茶栽培をしているが「暇な時期なので四国へ来ました。宿を接待してくださった方が、寝袋一つでも四国は回れるとおっしゃってましたのでその通りにしました、どこまで出来るかやってみます」がんばれ!鹿児島男児。

旅館を10分前にして男性から声をかけられた。「28番へ行くの?乗っていく?」28番大日寺の近くまで帰るそうだが、あと少しで旅館なのでお断りしたが疲れたなりをしていたのだろう。

旅館についてから今日はおにぎり2個しか食べていないのを思い出した。風呂へ入ってから自転車を借りて町に出た。仕事で何度か来た町。雨が上がっている。停まって挨拶する。町が暖かい。みんな歩いてまわってみな、僕の言ってる意味がわかるから。

10月13日(月)雨のち晴 痩せたら未来が

極地を探検する“和泉雅子”さんではないが、図らずも四国を歩くのにちょうど都合のいいほど脂がのった僕なので、少しくらい食べなくても歩くことは出来ます。

今日など、10km程の行程でしかないので、朝“民宿竹の井”さんのおばちゃんがくれたパン二つでしのぎ、今19時だがまだ何も食べていない。いや正直に告白しますが「ダイエットしたい」のです。

ウィンドサーフィンをやってました頃は50kgそこそこでしたので20kg近くあれから脂が乗ったわけです。当時のウェットスーツを今着ると恐らく窒息死するに違いありません。

太るに比例するかのように女の子にはもてなくなってしまいました。それでも僕は「真理を探求することの喜びを知ったなら欲望など消え去るに違いない」などと勘違いをしてピアノなど習い始めてみたりしたのです。

確かに一時は夢中になれるのですが、やがて慣れてきますとまた欲棒が頭をもたげてくるのでした。悪いことに二人目のピアノの先生は30歳くらいの美人妻でしたのでこれはいけません。人の奥様かどうかは別にしまして、自分の師匠に手をつけようなどと邪な事を考えるのは僕の信念に反するところがありますので…。






















あの時、何とかならんかったんかなあ勿体無いことした。気が合う人だっただけに悔やまれる。


とまあ、いくつになってもこの体たらく。修行などと聴こえのいいことを言ってはいるのですが、痩せてもてたいというのも偽らざる気持ち。四国を歩くのはこれもまたひとつの理由なのです。

10月12日(日)雨のち晴 あるがままに向き合う
 
 以前の日記を読まれた方から「四国を歩くのは、亡くなられたお父さんと向き合うためなのですね」というメールをいただいた。

 父が亡くなったのは3年前、平成12年の12月だった。

 頑迷、暴君、我がまま。父を語るときの形容はネガティブなものばかりを使わざるを得ないような人だったが、一年程の闘病生活の後、あっさりと病院で息を引き取った。

 葬儀に集まった4人の兄弟は葬儀を終えた後、口をそろえて「あのお父さんのことやから最後まで面倒かけられると思ってたけど最後だけは女房孝行したな、葬式も天気良かったし」などと死者に鞭打ちながら「かんぱーい!」とやったが、母は黙して食事も摂らなかった。


(「誤解のないように書いておけ」と姉から苦情のメールが来たので、書きたくないがこれもリアルタイムの良さ。補足しますと、姉たちの乾杯の意味は、合計二年間にわたる大阪から愛媛今治への看護通勤を娘の責任として果たせたことに対してのねぎらいの意味だ。親父があっさりと死んでくれてああ一安心ではない。


 僕は遺骨を拾うのは初めての経験だった。オートクレーブというのかどうか知らないが、炉の中から出された遺骨はまだ熱を持っていたように思う。
 
 係りの方が説明をして下さる 「お体がお悪かったのですね、左足の骨がかたちを残しているのに右足の骨はすっかり焼けてしまっています」  当たっている!

姉A 「そうなんです。幼少の頃の病で、良くお分かりですね」

係りの人 「そうでしょう、しかも悪いところはこのように黒ずんでいるのです」

姉B 「それは血液の循環が悪いとか、薬がそこに溜まっているからでしょうか」

係りの人 「私は医者ではありませんので」

姉A,B 「はあ、それもそうですねえ」

係りの人 「失礼ですが寝たっきりが長がったのではありませんか」

姉A 「一年間病院で介護されていました」

係りの人 「そうでしょう、このあたりにあるのは紙おむつです。焼けたら紙はこうなります」

姉B 「あの、それは私が父の日記を放り込んだんです」

係りの人 「あっ!あそう」

 神妙な面持ちで聞いておればいいものを、このおしゃべりで粗忽な姉達ときたら話しの腰を折る。

 なぜそんなところに日記を放り込んだか知らないが、姉Bにも非はあるとして、係りの人も係りの人だ。葬儀屋さんが亡骸を清めて下さったのだから、よもや紙おむつをはかせたまま死に装束を着せるわけもなかろうに。生前の父が紙おむつをこよなく愛したというなら話は別だがそんな人はいないのだから。

 この二人の姉はいずれも関西方面に嫁いでいるが、父が病に倒れてからは、病院に寝泊りして看護をする母の体を気遣って、代わる代わる病院を訪れてくれた。遠路を何度往復した事か知れない。口にはしないが僕はこの二人には感謝しているのだ。

 だから僕のホームページはこの姉たちへのオマージュ(敬意)として、二人の作品を用いて作った。姉Aの書、姉Bの絵。この二人の作品を背負って僕は四国を歩く。

 善人ぶりたい気持ちなどさらさら無い。ただそうしたいだけだ。

10月11日(土)曇後雨 煩悩発生

 TELを失った悲しみ、きのう歩き過ぎた足の痛み、午後には崩れるらしい暗い空。全てが重く背中にのしかかってくるのでございますが、本日のコースは太平洋の雄大な波が砕ける様を左手に眺めながら歩けますことで少しは気が晴れるのでございます。
 とは申しましても、小娘の嫌がらせのような雨に祟られての32km、真っ暗な中を歩き続けたのはたいそう辛ろうございました。

 豆が出来た、足が痛い、だるい。などと愚痴を言うつもりは毛頭ございません。苦行もまた喜びであると豪語いたしました私でございます。歩くことの苦しみは「最早、喜び」とまでは申せませんが、痛みを意識の外へ追いやるすべを少しづつではございますが会得しつつあるのでございます。



 「八十八ヶ所を巡礼することが苦行である筈もない」と仰せなら、私にとりましては十分すぎるほどの苦行なのでございますが、菩提寺のお坊様の日記を読んでおりますと世の中には「これほどまで」というほどの苦行を積む方々のお話が書かれているのでございます。

 当の御住職も高野山での修行時代を「人が命を繋ぐことの出来る限界の食事、廊下を雑巾がけするや否や、拭いた跡が白く凍てつく程の極寒、加えて殺人的と思えるほどの罰則(五体投地)」と振り返っておられ、私の苦しみなど二八蕎麦の二程の物でもないことがうかがい知れるのでございます。


 
 人に限らずではございましょうが動物の肉体と申しますのは大変に適応力に富んだもののようで、食物が摂取不能な場合は、先ずは生き抜くために肉体の一部(脂肪等)
をエネルギーに変換し、次に生殖等の機能が停止、といった具合になるのだそうでございます。

 歩き始めて5日程経過した頃のことでございます。今までこれほどの苛烈な運動を継続したことが無い私でありましたが、 ある人の曰く「肉体を極限まで苛めると性欲が亢進するのだ、ただしその運動に見合うだけの食事は必須である。それはまるで草花が過酷な環境であるからこそ艶やかに花を咲かせるのと同じである」その言葉を初めて実感いたしましたしだいでございます。

早い話が朝勃ちしたのでございます。

 なんだそんな事かと仰るなかれ!ここ数ヶ月、切羽詰まった状態で精神的な余裕もございませんでしたし、職を辞してからはろくな食事も摂らず、外出もせずといった有様でございましたからすっかり終わってしまったものと覚悟いたしておりましたのでございます。



 十分に体を痛めつけ、十二分の食事を摂る事で、男性自身が回復いたしましたが、これは実は大問題なのでございます。なぜと申しますに、今の私は修業中の身でございます。この類の煩悩が最も難敵であることはすでに親鸞聖人が証明済みではございませんか。

 あまつさえ夜毎、艶めいた文体でご婦人から激励のメールを頂き、若い者でもございませんのでナニをするわけにもいかず、今宵もまた悶々と寝返りを打ち、煩悩を振り払おうとするHALなのでございます。

10月10日(金)晴 がんばりすぎたか
TELがいなくなった。

彼の気持ちはよくわかる。卓球、ダンス、居酒屋、将棋、etc。不規則正しい生活が恋しくなったのかもしれない。

TELのペースを維持しようと張り切ったが失敗。途中病院に入って遍路写界を更新したが緑電話しかなかったので、お向かいのNTTで転送。

23kmほどの所で宿の予約をしたが軒並み出ない。民宿寿し竹は一年前に廃業したとの事。

ようやくの思いで「民宿みなみ」さんに到着。7時過ぎ。「先に何か買ってきたら」と奥さんに言われ、スーパーで買い物。9時過ぎだけどまだ食べれない。洗濯もある。

それにしても、隣がふすま一つというのは…。お隣さん気の毒に。

10月9日(木)晴 さようなら

TELの最後の夜に付き合い痛飲したのでこの日記は1日遅れ、10日の朝に書いている


TELと別れるのは予定通り、いや5日目ぐらいで別れるはずだったのでよく持ったと思う「歯医者の予約があって、それが終わったらまた合流するから」といって握手したが、どうなることやら。

彼は足の遅い僕のペースメーカーとして良く引っぱってくれた。薬王寺さんまでの残り6kmはTELのペースを覚えておくために彼を従えるようにして必死で歩いたら、着いた頃には二人とも“ヘロへろ”さすがのTELも「ペース早すぎるわあ〜」

10日からは本来のあるべきかたち「一人歩き同行二人」喜びでありこそすれ、不安ではない。

10月8日(水)曇り後晴 独断

朝起きてメールや掲示板をチェックして、返事を書いたりしているとどうしても宿を出るのが遅くなってしまう。「8時に出ましょう」と約束したが少し遅れた。TELは株価が気になるので新聞をチェックしたいらしく、遅くなるのは大歓迎の様子だ。

焼きおにぎりを受け取りさあ出発             なのだが



TEL 出発する前にな、昨日買うた一合の酒が半分残っとってな、壜は重いから持って行かれんし、悩んだよ

HAL どうしたんです

TEL 飲んでもた

HAL は〜あ?今日の遍路道は難所ですよ、ゴルフで言えばハンディキャップ2の
ホールと3のホールがつづくんですよ!飲んでしもたもんは仕方ないですねえ。ゆっくり行きましょう。

TEL そうしましょ、そうしましょ


鶴林寺までは4kmほど、距離は大したこと無いが、ずっと登りが続く。案の定TELの息が上がった。何度も休んでようやく鶴林寺さんへ到着。

お経を上げて、納経所で次の太龍寺さんへの道を尋ねると「1に焼山2にお鶴、3に太龍へんろ泣かせと言われております。一日に二度も難所を堪能できるわけですね。一粒で二度おいしいみたいな…ホホホッ(^_^)」と、美人のお姉さんは歩き遍路の不幸を笑い飛ばす。

HAL  それでしたら、こちらに宿泊すれば良かったですねえ。

お姉さん  いえ、宿坊は閉鎖いたしましたの。



このお姉さんの笑顔に、大した困難でもないかな〜と、そこはかと無く安心したHAL&TELなのでした。



閉鎖されたという宿坊の脇を通り抜けようとしたところで、ハッ!と思い出した。

HAL 昨日追い越した爺さんのこと覚えてますか?誰が見ても野宿のスタイルだったのに「鶴林寺さんに泊まります。遅くても待ってますと言われとるけん」そう言ってませんでした?

TEL いや〜“誰が見ても”というのは“誰が聞いても”独断やと思うやろう。

HAL そんなこと言うてませんがな、あの爺さん個人的に泊めてもろたんかなー?て言うてますねん。

TEL たぶんそれは嘘ついたと思うで、なんで曝け出さんのかなー?人それぞれいろんな重荷かかえとるんかなー!



爺さんというのは、恩山寺ですれ違い、そのあと宿への道中で追いついた70歳くらいの小柄なかた。大きな、それも破れたザックに掛け軸、野宿のとき下に敷くマット、寝袋などをくくりつけ、足どりは弱く表情も失って、いまにも倒れそうな感じがした。「お先です」と声をかけると「気をつけて」と、にこり。少し安心したが、TELがなにやらしつこく聞いていた。その答えが我々の予想に反して、「宿坊に泊まります」だった。

何年も前に閉鎖されたのであろう宿坊に泊まりますと、一体何が言わせたのか考えてもわかるはずも無かった。


























しばらくは無言で歩くHAL&TELなのでした。

10月7日(火)雨 出会い、また出会い

鶴林寺を6km手前にして「もう歩くのやめよう」となった。宿に予約を前もって入れているのだから当然なのだがこれが長かった。

きのうまでに、色々なお遍路さんと出会った。青森出身の野宿しながら108箇所を回ってる人は無人駅に寝床を作っていた。

札幌出身の6回目を逆、順どちらも回っている人にはまいった。すれ違ったので挨拶しただけなのだが引き止められた。「お経をあげげさせてください」

お経をあげるために四国を回っている我々だから、拒むわけには行かない。般若心経だけなら、あっという間に終わる。ところが、この人のお経というのは今まで聴いたことが無いお経を唱えた。南無大師遍照金剛、南無阿弥陀仏、南無法蓮華経と様々なものが混在していた。曰く「宗教など、なに教でも関係ないのです」

確かに「四国巡礼は宗教を選ばない、拒まない」ガイド本にはそう書いてあるし、へんろみちにはキリスト教の十字の札がかけられているところもある。

お経をあげてやったのだから金よこせ、というわけではないらしい。TELはこの手のものからは上手に逃げるが、僕はあっさりと捕まってしまうタチなので対応に苦慮する。



宿に5時前に着いてすぐに風呂、すぐに食事。TELがゆっくりしているので先に食事を済ませて部屋で足の豆を修繕していると「芋焼酎もらったよー」とTELが来た。鹿児島からタクシーで来られた4人組に接待されたのだという。おすそ分けをいただいて、少し散歩して帰ったらそのままぐっすりと眠ってしまったようだ。

日記を書けなかった。四国はこれからもまだまだ試練をあたえてくださる。

10月6日(月)雨 忘れ物でした

 セントラルホテル鴨島にデジカメのアダプターを忘れ、αホテル徳島に着払いで送っていただきました。どちらのホテルも気持ちよく手続きしていただき、ちゃんと受け取ることが出来まして、大変うれしゅうございました。



 本日は雨。徳島に来て以来ずっと好天に恵まれおりましたので「余り天気が続くのも気持ち悪いですね」と話していたところでしたから、かえってホッとしたHAL&TELなのでございます。

 晴天の下を汗を流して歩くのは気持ちがいいものでございますが、夏場でもないのに水分はひっきりなしに補給しなければならず、PETボトルを2本持ちますと1kgの重量増になりますからまた汗をかいて・・・・・。

 しかし人の体と申しますのは驚くほどの適応力があるようでございまして、私の今までのアルコール漬けの毎日のことを思いますとずいぶんと健康体になったものでございます。

 ぷうたろうさんの「どれくらいのアルコールを消費するのですか」というご質問に率直にお答えいたしますと。ビール、日本酒、ワイン、焼酎、ウィスキーと、飲み始めると様々な種類のアルコールを浪費いたしますので良くわかりませんが、およそ日本酒に換算いたしますと3合から6合といったところでございましょうか。



 何ゆえ今日に限って気持ちの悪い文体を使うのかと疑問に思われる御仁もおられることでございましょう。もしこの日記をお食事の前にお読みの方がいらっしゃいますなら即刻お止めいただくようお願い申し上げます。大変にビロウなお話しになるのでございます。いくら丁寧な言葉を使いましても私のお話しをオブラートに包むことが出来かねますれば。





 汗もかかずビール漬けの毎日を過しておりますと、翌朝は必ずといってよいほど下痢ぎみとなるのでございますが、私はもう十年来もこういった不健康極まりない生活を是としてまいりました。ところがアルコールの害はこの歳になりますと様々なところへ悪影響をおよぼすようになったのでございます。

 自分の力でアルコールを断つことが不可能であると悟った私は「かくなる上はもう、お大師様のお力におすがりするしかなかろう」と考えるに至り、それは四国巡礼の理由の一つなのでございます。






 四国巡礼を始めてまだ6日目ではありますが、早くもお大師様の霊験もあらたかとなり「願いは届いた!」との実感を得ることが出来たのでございましたが、それは大日寺さんにお世話になった翌朝に確信しましたことでございます。

 勤行が6時からでございますから4時半に起床して用を足しに、つまりうんこをしたのでございます。

 和式の良く掃除をされた便器に跨り、何時に無く気張ったのでございますが、なかなかにこれが手強く、切れ痔になるのではないかと恐る恐るうんこをひりだしますと、これがなんとも完全なと申しますか、うんこ然とした、あるいは、絵に描いたようなうんこでありまして、色艶といい、臭いといい、非のうちどころの無い逸品でございましたから、まるで何年も会ってなかった友達に再会したような気持ちになりまして、しばらくは懐かしく眺めておりましたが何時までもそうはまいりません。

 名残惜しくはあるのでございますが、それっ!と水洗レバーを押したのでございました。しかし余りにも完全無欠な、密度の高いいちもつであるためか流れないのでございます。







 何度もレバーを押しはしたのでございましたが、事態は一向に改善の様子も無く、いやむしろ水勢が弱くさえなり、先ほどまで流すのが惜しいくらいでありましたのに、いまや顔面蒼白、冷や汗を流しながら事態の収拾に努めたのでございました。


 先ずはトイレットペーパーを棒状に巻きまして、つんつんと水を流しながら押してみたのでございますが、もとより芯の無い紙のことでございますし、ぐずぐずして水に浸かりますと手元までどろどろに溶けてきて、これは大失敗でございました。


 ゆっくりしている時間はもうございません。気の早い御婦人方がどうやら活動を開始したようで、男女共同のここへ来るのは時間の問題となったのでございます。考えられる最後の手段は、手にペーパーを巻きつけ一瞬のうちに排水側へと押しやることでございました。意を決し、目をつぶるようにして   トリャー!











お尻を拭くのも忘れてホッと胸をなでおろしたHALなのでございました。

10月5日(日)晴 きのうより辛い
 民宿 鍋岩荘の晩御飯に“あめご”という魚の塩焼きが出た。“あまご”と同じだというが、僕は今までに食べた記憶が無い。さっぱりとしたサーモンって感じだ。
 蕎麦の実がお吸い物に入っているが、味は良く分からなかった。そのほか、土地の物でなにか知らないおひたし、ご飯もおいしい。
 洗濯をして、乾燥機に入れ時間を気にしながら日記を書いていると、ご主人が、「乾きましたよ」と持って来て下さった。本日の宿泊は3名。千葉から来られた50台かも知れない紳士「大日寺まで三日かけて歩きます」 大日寺までは23km程、「ごゆっくり」




 遍路道ではなく車道を選んだのには理由がある。あれ?と思った時には遍路道を過ぎてしまっていたからだ。つまり成り行き任せということなのだ。

 昨日を引きずったままの脚に今日の23km余りはこたえる。頼りは鮎食川の清流と沿道での土地の人との挨拶、会話、それに道の駅でのホットコーヒーも。

 このあたりはこんにゃく芋を栽培していて、手作り蒟蒻が名物らしい。赤唐辛子を干しているのを見かけたがあれも特産なのだろうか。

 唐辛子で思い出したが、先日書いた日本で米不作のころ、お隣の国、韓国では唐辛子不作に見舞われていたのだそうだ。これは韓国の人にしてみれば、日本人が米不足に抱いた不安などよりもっと切実であるらしかった。キムチが漬けられない、食べられないだけでなく料理全般に関係する問題で、米が無ければパンで済まそうというようなわけにはいかないらしい。

 近所の韓国料理店のママさんはその当時まだ韓国に住んでいて、キムチを漬けるのに困ってタイ国から緊急輸入された唐辛子を求め、いつもと同じ分量で漬けあげたらとても辛くて食べられなかった。仕方なく捨てたが「タイの辛子は韓国のより100倍辛いよ」といっていた。



それってどんな辛さ?    (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-!



 道中 ドライブイン「やすらぎ」で食事 TELが「カレーうどんおいしい」と言ってた。入って靴を脱ぐなり「スリッパどーぞ」と持ってきてくれた。こんなことがとても嬉しい。マスターが「後、一時間半気をつけてね」













































 もう歩けない、もう無理、ここらで休みたい、と思ったところへ唐突に“大日寺駐車場”
の看板が見えた。

 途中、おばあちゃんが「目をつむっとても行ける」と言ってたが、このことか。助かったー。十楽寺さんで一緒だった方たちの消息もわかった。みんな後から来ますよとのこと       
ひとあんしん

10月4日(土) 最難関 無事通過できました
皆様の暖かいお言葉と情報の御蔭で無事、難所を超えることが出来ましたので、先ずはご報告と、遍路道を整備して下さっている先達の方々にお礼申し上げます。


遍路行程の最難関、人呼んで“遍路ころがし”

一昨日に宿泊した十楽寺さんでの食事のときのこと。

二組の老夫婦と、HAL&TEL、50台の紳士一人、20台の屈強な青年一人の計8名が一同に会して食事をした。皆、同好の志だから当然会話の中身は歩き遍路。

ご婦人の一人が言う 「明後日は“遍路ころがし”でしょう、私、心配で、もし出来なかったときのことも考えて対策は練ってきたんです。千葉県に帰る新幹線まで予約しているものですから窮屈な日程でも仕方ありません」

別のご婦人 「我々は通し打ちなんですが、80日かけて回るつもりですので、出来そうも無かったらいくらでも延ばす積もりでいます。京都のお寺の近くなのでトレーニングはしてきたのですが実際に現場に出てみると豆ができて、遍路ころがしが心配で」

20台の屈強な青年はいうまでも無いが、50台の紳士も平然としている。行ったことは誰も無いらしいが、この二人は脚力に自信があるようだ。

HAL&TELはといえば 「へんろころがしってなんですか?」と、この体たらくだ。何も知らずに遍路に来ている。歩き遍路をなめてはいけない!と叱られて当然な二人なのだが、皆様嫌な顔もせず親切に教えてくれる。聞けば聞くほど「えらいことじゃないか」となったので、netでアドバイスを仰いだら翌朝には回答をいただいた。それが冒頭に書いたお礼の意味なのだ。 宴はといえば、ワイワイと、酒も飲まずに盛り上がり、2時間でお開きとなった。

翌日は他の方より遅く出発したが、行く先々のお寺でお会いして一緒に休憩したり、昨夜の続きの話をしたりと、自分の足の心配をする暇なも無いほど忙しく楽しいへんろが続いた。



法輪寺というお寺に御参りしたときのこと。例によって般若心経を小声で唱え終えると見知らぬ爺さんが「もっと大きな声出さにゃ!」というから「自信が無いもので」と答えると「それじゃいかん!」と叱りつけられた。ほっといてほしいよもー、自信があるならこれ見よがしに大声で読むワイ。

納経所から戻ると、先ほどの爺さんが僕のザックの前でタバコを吸いながら待ち構えている。どうやら僕はこの寺の門をくぐったときからこの爺さんに目を付けられていたらしい。変な人は無視して、地図を見て、ザックを背負ってさー行こうとすると「こっちへ来い、えーから来い」としつこいので前に行くといきなりザックの紐を締め上げられた。「これぐらい締めろ、いーやそこは繋ぐなそれをすると窮屈じゃ、この余った紐をこう結ぶ」

えっ!て思うほどの早業だった。僕がこのザックを買ったのはkenさんからのアドバイスで「最新のザックを購入して使い方に慣れておくように」といわれて使用方法をあれこれやって、結構むつかしいなと思ったくらいなのにこの爺さんときたら。



締め上げたらいいのは分かっているが、菅笠との関係でうまくいかない。でもこの爺さん、いや先達はとても親切だというのが分かった。御礼を言って、姿が見えなくなった所で紐を緩めた。ところがこのときのアドバイスが“遍路ころがし”にさしかかってから威力を発揮したのだ。ありがたい限りだ。この場で再度お礼を言わせてください。

遍路ころがしは、自然の地形を活かし、良く整備されたハイキングコースの感があったが、勾配は急で、お遍路さんの一人や二人が転がり落ちてきても不思議じゃないくらいだったが、無事歩き通せたのは皆様のおかげ。ありがとうございました。本日の宿泊は鍋岩荘。おやすみなさい(_ _)(-.-)(~O~)ふぁ〜(~O~)(-.-)ねむねむ〜い

前夜の宿泊は、netに接続したいので電話機のあるビジネスホテルに泊まった。実はそこで失敗をしでかしたのだが今は書かない。

10月3日(金) 五体投地
“金縛り”というのを知っている人は多いと思う。で、実際に体験した人もまた多いと思う

それは神秘体験かと問われたら、僕はNOと 言う。

なぜって、僕は金縛りなど子供のころからしょっちゅうだからだ。

金縛りに遭う人とそうでない人は遺伝によって決まっているのだという説を僕は信じるし、眠る環境が急変するからそんな夢を見るのだという説を僕は信じている。



極楽寺さんに宿泊して、朝の勤行が6時だというので眠い目をこすりながら本堂に行くと、すでに住職の勤行が始まっていた。

僕は6時に遅れたわけではないが、皆すでに、折りたたみの椅子に腰掛けて真剣に聞き入っている。

邪魔をしないように、折りたたみ椅子を使うのをやめて、入り口付近で正座して般若心経などを読み、住職のユーモアたっぷりの説教を聞いた。


楽しいお話の後、「準備できましたので食堂へお越しください」という住職の掛け声で、
よいしょおー、と僕も立ち上がったが両足は完全にしびれていた。




五体投地!





そのままばたりと、畳のうえに倒れこんで、満座の爆笑をかってしまった!





次の宿泊は十楽寺さんだ。

住職とホームページの話しが弾んだその夜のことだった。

誰かが枕元に立っている。

だが、そんなことに驚く僕ではない。こんなのはしょっちゅうあることだ。

その誰かが言う

「五体投地の前に含羞を捨てよ」

それだけだった。



































意味が分からん

10月2日(木) 疲れた

 極楽寺を、9時というお遍路にあるまじき遅い時間に出発し、金泉寺へ。TELが「きんせんじ」と読んで「こんせんじ」です。と訂正されていたが、ここの納経所のおばちゃんたちはとても愉快だった。大日寺につくと、自転車を漕いで野宿しながら巡礼している学生さん風の若者に会った。

 金泉寺でも見かけたようだったので話しを聞いたら、「大阪からです。フェリーで来て昨夜は野宿でしたが、寒くて寝れませんでした」とのこと。しかしさらに聞くと僕のうちからはそう遠くない距離に住んでいるという。あちこち写真を撮りながら、熱心に何ごとか大学ノートにびっしりと書き込んでいる。お互いの写真を撮りあって別れたら次の“安楽寺”でまた会った。

 へとへとになって「十楽寺」にたどり着いた。部屋が空いているというので、「もうここでいいか」とお互いが納得しあった。

 食事の時間が5時30分。全部で8名の宿泊客。夫婦2組に一人歩き二人と我々。色々と情報交換しながら談笑していたら2時間も経ってしまった。明後日、11番「藤井寺」から12番「焼山寺」の間が通称「遍路ころがし」と呼ばれる難所の一つだと教えてくれた。

 部屋で綿密な検討をしたらその次がまたさらに長い。その次の心配をしても始まらない「今日の心配をするな、明日は明日で心配しなければならないことがあるのだから」と、聖書の一節を勝手に解釈して検討を打ち切った。ま、何とかなるやろ。
 

10月1日(水) とにかく歩いている
 
 冷夏の影響で今年は米の作況指数が9年ぶりの低調だという。

あの時は深刻な米不足を解消するためにタイ国から、いわゆる「タイ米」を輸入したも
のの、消費者に不評で、飼料か何かにされてしまいすぐに市場から姿を消したのを思い出した。

 「タイの方には大変申し訳ないことをしたもんだと思うが、食えないものは売れないじゃないか」そう近所のお米屋さんがぼやいていたのを聞いて「一体、タイ米とはどんな味がするのだろう」と、友達とファミレスに入り“パエリア”を注文して食べた。

僕 おいこれどう思う?俺の味覚が間違ってるんやろか?うまいと思うねんけど。

友 俺もうまいと思うわ。このパサパサ感が本来のパエリアやと思うで。パエリアってい  うのはな、地中海料理やろ、ていうことはやな、元来タイ米と同じインディカ米を使う  んや。日本のジャポニカ米を使うと粘るから今までしつこい思うてたんや。

僕 よっしゃ早速タイ米さがそ!

 それからというものの二人でタイ米を求めて、あちこちのスーパーやら米屋を探しまく ったが結局、手に入らなかった。1〜2週間前には激安で店頭に並んでいたのに。


 冷夏の影響は僕に大きな転換を迫った。何年か冷たい夏が続いていたこともあってウィンドサーフィンに興味を失い、その年からピアノ教室に通い始めた。36歳のことだ

 それから一年半後、先生が「発表会に出ましょう。いい経験になります」などと乗せられて3ヵ月ほどかけて、ショパン:マズルカに取り組んだが思うようには上達しなかった

 やがてその日が近づくにつれて不安はつのるばかり、2週間前になると、仕事中とか、あらぬ時に急に動悸がし始めて、何も手につかなくなってしまったりしたものだ。



 遍路の旅に出ると決めてからおよそ一年半になるが、この2〜3週間はピアノの発表会の時と全く同じで、小心者の僕の心臓は“救心”がほしいくらいだった。

 昨夜は寝られなかった。最後のシミュレーションを終えて疲れても目がさえた、いや動悸が治まらなかった。午前1時まで酒を飲んでようやく酔いつぶれた。だから今朝、起きるのがつらかった。

 高速バスに乗った時にはさすがに「もう賽は投げられた」と思った。徳島に着くと、降りるところを間違えたこともあって、大慌てで修正に努めたので時間があっという間に経過した。

 今、極楽寺さんの二階でこれを書いている。明朝は5時半起床。だが日記を書かないと僕の一日は終わらない。今日だけで何人の人と会話しただろう、足は辛いけど少し愉快だ。昨日までなぜあれほどどきどきしていたのか、今は理由が分からなくなった。

四国の初日は僕を半歩前進させたかもしれない。

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