HAL日記


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2005年3月31日(THU) 処女で産みの苦しみとは
 「恐竜に乗って温泉に行こう」
 童話教室でこの合言葉が通用するのも、公募の締め切り日の今日までとなった。
「だれかが入賞したら、それにあやかって福井の温泉にでも浸かりに行こうか。ついでに授賞式を見物しよう」
 皆さんの甘言にそそのかされるまま、そこはかとない夢と希望を抱いて、勝山市の名物である恐竜をテーマにした童話にチャレンジした僕だったが、人間でないものを扱うのは難しい。
 その上に教室では皆さんが叱咤激励で切磋琢磨させて下さるし、お師匠様にいたっては「愛の鞭」を振るって下さるので、この一週間というものたいそう夢見が悪かった。先日なんか、僕の駄作のせいでチーム全員の作品が落選の憂き目に遭い、怒った一門に袋叩きにされた挙句、地獄に突き落とされる夢を見たほどだ。
 
(やってられんな、酒でも飲むか)
 こうして昨日までアル中ハイマーを加速させながら逃避して来たのだけど、曲がりなりでも作品を書き上げないことには話しにならない。もちろんそれは分かってはいるのだが、力不足なのが情けない。
 しかし幸いなことに、他に上手に書いている方がおられるので、そのメンバーに夢を託すことにした。
「ほほう、Aさんの作品は実に素晴らしい。Bさんの作品には感動しました。お二人なら入賞、いや大賞も夢ではありませんね」
 こうして僕が敵前逃亡を図っていたところ。
「逃ゲルコト能ハズ」
 お師匠様から手裏剣が飛んできたのだ。
「お見透しでございましたか」
「汝(ウヌ)ノコトヨ、知レテオルハ」
 こうしてお師匠様に極太の五寸釘を打ち込まれては、逃げようにもなす術が無い。止む無く不自由なオツムをかこちつつ、一作を書き上げた。

(さてと、これで完璧だな。おっと、早くしないと郵便局が閉まる時間だ)
 切手を410円分貼って局の窓口へ出向き、速達で発送をお願いしたところ、速達の集配は終わったと。
「泉北局なら夜7時まで受け付けてますから」
 泉北局なら自転車で10分くらいだから、十分に余裕がある。自転車を持ち出す前に、お茶でも飲むことにして、パソコンの前に座り、さっき書き上げたものを何気なく読んだ。
(あれ!このページ一箇所間違ってるぞ)
 一文字消したら全体が一つだけずれて次のページに影響が出た。次のページを修正したら、今度はまた次のページに影響が及んだ。
(えらいこっちゃー!全部書きかえな、あかんなってもたがなー)
 その後の1時間が僕にとっての、真の正念場であったと申し上げても過言ではない。

 書き直してから、お師匠様に言われたとおり何度も何度も声に出して読んでみた。書き間違いはひとつも見当たらなかったが、内容は先ほど封をした作品とはかなり異なるものになっていた。
 締め切りは31日の消印有効だから、あと一日ある。もう一日かけたら少しはマシになるとは思うが、いつまで直し続けてもきりが無い。たかが400字詰で10枚の作品だが、一生直し続けても満足に至れるだろうか。どこかで見切りをつけなくてはならないのだ。

 こうして僕の処女作は難産の末に生まれた。聖母マリア様じゃあるまいし処女で産みの苦しみを味わうなんて思ってもみなかったが、物を書く苦しみは今始まったばかりだ。
 無事発送し、酒を飲んで帰って来て、もう一度読み直してみた。もう直せないんだから今度は気楽なもんだが、やっぱりもう一日かければ良かった、と後悔する羽目になった。
 お師匠様への報告メールに、応募した作品を添付したら返事が来た。
「良ク頑張リマシタ ◎」
 肩の荷を下ろせた安堵感からか、一作を書き切った達成感からか、それとも書くことの苦しみを知ったからか、温泉が湧きいずるように、僕の胸に熱いものが湧き上がってきて、湯煙でかすむみたいに、メールの文字がにじんだ。

 

2005年3月28日(MON) ホリエモン、いっそ福山顔に整形すれば?
 お師匠様の童話が連載されているので、3月だけ毎日新聞を読んでいるのだけど、今朝の1面に、「堀江氏評価二分」という記事があった。ちょうど昨日の雑記帳の方に、「男は顔じゃない」と題して、「ホリエモンは福山マサハルの顔に整形するべきだ」といった旨のことを書いたばかりだったから実にタイムリーで、我が意を得たりとほくそえんでいる。
 その毎日の記事だが、大体世間の人が思っている通りの結果が出ているようで瞠目には値しない。

 「福山マサハル」と書いたのは、漢字で正確な名前が書けなかったからだけど、NETで調べたら、僕と同じように分からない人が世間には結構いるらしい。
 実は以前、女優の「あだちゆみ」さんのことを検索してみたら、全く関係のない人にばかりヒットしたことがある。つまり足立なのか安達なのか、由美なのか祐美なのかが、僕には分からなかったのだ。
 かなり沢山の組み合わせを試したのだけど、結局ヒットしなくて探すのを諦めた。
(ホリエモンはすごいよな。堀江で検索しただけで堀江貴文にヒットするんだから大したもんだ。どらえもんはいいよな。ドラえもんと入れてもドラエモンと入れても必ずあの猫に行き着くんだから)

 詰まらん日記を書いてないで、今は童話を完成させるのが僕の最優先課題だ。なぜなら公募の締め切りが月末の消印有効、というところまで迫り来ているからだ。なのに未だに書き上げていない。間抜けなことに、ペンネームを考えているうちに時間が過ぎてしまったのだ。

 だが今日、遂にペンネームが決まった。で、その名前をNETで検索して、同じ名前がないかどうか調べてみた。無いのだ。一件たりともヒットしない。
 よし、これでいい、とばかりに申し込み用紙にペンネームを記入しようとしてハタと気がついた。パソコンでは書けても、自分の手では正確に書けなかったのである。
「ワオー!どうしたらいいんだぁ。こんな自分で書けないような難しい名前じゃ駄目だ。でもこの期に及んでペンネームを考えてたら締め切りに間に合わんじゃないか」
 断末魔の叫びをあげる僕の右脳に、ある名前が浮かんだ。
「オオー、これだ。これで行ったろ。考えるだけ時間の無駄だ」
 こうして僕は、卑劣極まりないペンネームを申し込み用紙に記入したのであった。

※そのうち、いつかきっとこの続きを書けたら、と思っております。

 

2005年3月27日(SUN) テレビショッピングで、あのときの声
 暇さえあればテレビショッピングにかじり付き、さしあたり必要のない物まで衝動買いしてしまう知人がいる。確かにあれは安いように思えるから、たまたま意中の商品でも紹介されていたら僕も買ってしまうんじゃないかと思う。
 例えばS氏製作のバイオリンが出品されたりしたら、間髪をいれず震える指でダイヤルするに違いない。

「本日は現代の名工と謳われるマイスター、S氏の製作したバイオリンのご紹介です」
「オオー!☆☆☆〜」
「半年間の入魂の末に作り上げられた珠玉の逸品で、ストラディバリに勝るとも劣らない美しい音色を響かせます」
「エエー!ス○○○××よね〜」
「はい、今回はカーボン弓を1本お付けしようかと〜」
「ウソー!@@@&ЮЮЮのぉ〜」
「それだけじゃないんです。なんとケースまでお付けして、998000えん〜」
「キャー!`*:;,.★ 〜☆・:.,;*なきゃ〜」
「限定5挺ですので、お早めにお電話下さい。♪チャララ、テレビショオップゥ〜」

 あり得ないことでもないが、普通のテレビ番組でそんなショッピングが成功するだろうか。しかし、もしライブドアがフジテレビと業務提携でもしたら、「あるいはNETオークションとテレビショッピングのコラボレイションでなら……」と期待してしまう。
 そんなことに想像を巡らしながらテレビショッピングを観ているのだけど、あの、ショップ会場に参加しているらしい皆さんの声、「ワァー!(^o^)(o^ )(^ )( )( ^)( ^o)(^o^)〜」の部分が気になって気になって、一所懸命に聞いてはみるが、未だかつて何を言っているのか聴き取れたことがない。

 NETオークションもテレビショップも確かに便利で安いのは分かる。でも僕はやっぱり対面販売で物を買いたい。店員さんとの会話の中で新しい知識を効率良く吸収できると思うし、物を買う過程そのものの楽みも味わうことができると思う。
 それに、テレビショッピングで一直線に所有欲を満たした喜びというものは、カタログを集め、本を読み、資料をつき合わせて比較をしながら、対面販売で商品を手にした瞬間を夢想する至福の時間には到底代えられないのではないだろうか。

 テレビショップで物を買うのは、冬ソナみたいな連続ドラマを、日本での放送前のに一気に観てしまうのに似ていると思う。推理小説の顛末をあらかじめ知ってから読み始める人が、意外性、どんでん返し、といった推理の醍醐味や、読後の感動を決して味わえないのと同じなのだ。
 つまり、テレビショップは、利便性と引き換えにささやかな庶民の楽しみを奪うものであり、金さえ払えば欲望を満たしてくれる風俗と同じ次元のものであると思う。
 恋のプロセスを経ずして、誰かを愛し続けることができないように、テレビショップで購入した品物に、憧れ続けた甘酸っぱい思い出を重ね合わせられないで、愛着を保ち続けることができようか。

(いや〜、でも金に困らないなら、風俗で欲求を満たしてみたいなぁ。テレビショップで衝動買いもしてみたいなぁ)
 それが僕の本音であるかも知れないが、競馬で3連単100万馬券が僕に転がり込んできても、多分そんな豪快で詰まらない金の使い方はしないだろう。というより、みみっちい金の使い方しかできないと思う。

※あのテレビショップの声って、絶対に聞き取れないようになっているのだろうか。どんな風に作られているんだろう。実際に会場の音を録音しているのではないと思うのだが。

 

2005年3月26日(SAT) 「禁欲シマセンカ」モルモンさん
 「アナタ方ハ、罪ビトデス。主ノ教エニソムキ、悪魔ノ水ニ酔イシレル。地獄ニ落ルデショウ。今スグニ悔イ改メテ祈リナサイ。ソウスレバ、許サレルマス。ナゼナラ、主ノ愛ハ、ドンナ空ヨリモ広ク、ドンナ海ヨリモ深イモノダカラデス」
 場末の飲み屋の戸を開けて、たむろする常連客にモルモン教の宣教師に扮して福音を説いてやったら、一様に白け切った面をされた。
「福音ノ声ヲ聞カヌ者ドモヨ。汝ラノ名ハ、悪魔ナリ」
 ここの連中にとってありがたい主の言葉なんぞ馬の耳に念仏。(英語で言えば、ロバの耳に福音だ。もちろんこれは嘘で、正しくは{My advice to them went in one ear and out the other.}かもしれない)

「何ゆぅてんねんな、あんたこの間まで般若心経唱えて入って来とったやろ。それがいつの間にキリストになっとるねんな」
 う、言われてみればそうだった。僕はお経を唱えながら四国を遍路した、紛れもないブッディストの筈であった。それがいつの間にやらこの体たらくである。お大師さまどうかお許しください。
 しかしこれには事情がある。というのも、また駅前でモルモン教徒のお兄ちゃんにスカウトされそうになって、ほうほうの体で逃げてきたから、その後遺症なのである。

 それにしてもこのところの彼等の攻勢振りはどうだろう。盛り場の客引きを髣髴させるほどである。
「コニチハ、教会ガ近くニ出来マシタ。英語会話ノ無料レッスンシマス」
 大きな体をくの字に曲げてお辞儀をするので、可哀想になってビラを受け取ったのだが、先日書いた無料英会話がちょっと気になる。地図を見るとほんとに近くに教会がある。どうやらそこで30分英会話の後、30分の説教があるらしいのだ。
「ソレデハヨロシク、ガンバテクダサイ」
(僕はこのまま飲み屋に行くんだけど、何頑張ったらいいのだろう。分からんけど、とりあえず返事した)
「あ、はいはい、テイク、イット、イージーね」
 なんとなく通じたかもしれない。

 なんでもかんでも只の大好きな、一緒に遍路したTELさんが飲みに来ていたので、英会話無料のチラシを見せてあげたらひどく表情が歪んだ。そういえば、彼は僕以上に半端な仏教徒なのだけど、キリスト教嫌いでは筋金が入っている。
 というのも、遍路道には道案内の遍路札が掛かっていることが多いのだが、同じところに、「主はあなたを救う」といったようなことを書いたキリスト札も一緒に掛かっていことも少なくない。それを見つけるたびに、TELさんは忌々しそうな表情を浮かべ、「この札外して行ったろか」なんて呪いの言葉を吐き出していた。

 戦後60年。NHKでは毎日メモリアル番組が放送されていて、時々僕も見ているのだが、戦中に生を受けたTELさんはいったいどんな思いであの番組を見ているのであろうか。
「鬼畜米英、敵性国の宗教にかぶれてどうすんねんな」
 厳しく指弾する彼の顔は憤怒にこわばっている。彼にとって戦後はまだ終わっていない。そして終戦ではなくて、敗戦なのである。
「それにな、あの教団はストイックやで。酒はもちろん、タバコも女もあかんのや。そんな連中の言うことなんか、俺は聞かんね」
「な〜る程。キリスト教そのものじゃなくって、禁欲生活が嫌いなだけだったんですね」
 こうして彼に引っ張りまわされ、朝まで悪魔の水に酔い痴れることになったのである。

 

2005年3月25日(FRI) 旬の友、イカやらどんこやらもろこやら
 童話公募の締め切りが迫っておりまして、何かにつけても逃避のスペシャリストである僕にとっては、のっぴきならない事態となっております。
 昨日の教室では散々ご指導ご鞭撻を頂きまして、少なからずしょげかえっておりましたが、その後のティーブレイクに救われました。

 いつもですとクッキーだとかパンだとかを持ってきて下さって、コーヒーを頂くのですが、昨日はやや様子が違ってまして、お師匠様手作りのいかなご煮を緑茶で頂きました。
「これはビールが欲しいね」
「オチャケがいりますね」
「御茶家って何ですか」と僕が訊ねますと、お酒のことを言っているのだと教えて下さいました。
 教室のご婦人方とお酒を飲んだことは無いのですが、彼女たちは僕のことを男扱いして下さって無いようですので、色々と飾らない会話が繰り出されるのです。
 ある日など、男子禁制の、女の世界が展開されまして、独身の僕は一人うつむいて身もだえしておった次第です。

 話がそれましたが、いかなご煮を持ってきて下さるとは意外です。先日の日記に鮎の飴煮の話を書いたばかりでしたので、偶然とはいえ驚きました。もっともこの季節、いかなごも小鮎も旬を迎えるわけですから蓋然でしょうか。
 ついでにNETでいかなご煮のレシピを探しましたら、みゅうちゃん(さん)が写真付きで詳しく紹介してくださってました。

 お師匠様、大変に美味しゅうございました。またよろしくお願いいたします。先ずはお礼を申し上げなければなりませんが、僕はいまだに只の一度もお土産を持参したことが無いので心憂く覚えます。もし今度小鮎を送ってもらったあかつきには、皆様にも味わって頂きたく持参する所存にございますれば、なにとぞご容赦の程を。

 

2005年3月24日(THU) 金に転んで、ポリシー売りました
 一度金に転んだ奴は、何度でも金に転ぶから信用できない。しかし、信用できなくても金で転んでくれるだけでいい、という場合にそういう人はうってつけだ。
 その点で宗教家と呼ばれる方たちは、愛と正義を標榜して憚らないので扱いに困ることが多い。しかし何よりも彼等の純粋さに、僕は頭が上がらないのだ。

「アナタハ、カミサマヲ、シンジマスカ?」
 若い頃には街を歩いていると外人さんから良くこんな声を掛けられたものだが、今ではめっきり減ってしまった。なにより、そんなあからさまに古臭い台詞で語りかける人自体がいなくなったのだろう。
 実は先日久々にこの種の方に声を掛けられた。夕方で薄暗かったこともあり、若気のイタリーみたいな年齢不詳の、というよりファッションセンス零の若作りで街を歩いたからか、自転車を駆るモルモン教徒の青年から、「チョット、オハナシ、シテイイデスカ?」とやられた。

 僕は彼らのことが嫌いじゃない。それどころか、アメリカからわざわざ極東くんだりまでお越しになって、肉も食わずに清貧な耐乏生活に甘んじておられる若者に思いを馳せるとき、胸を締め付けられるような切ない気持ちになってしまう。
 彼等の教会にも足を運んだことがあるし、モルモン経典も斜め読みしたことがあるが、正直言ってあの経典は面白いもんじゃなかったように憶えている。
 イエスが処刑されて、3日の後に復活したのがアメリカのユタ州だった、といった風な内容しか記憶に無いのは、僕が彼等を只で教えてくれる英語教師、としか見ていなかったからかも知れない。
 道で声を掛けられて、素っ気無い態度できっぱりと彼等の申し出を僕が拒絶するのは、純粋な彼等の心を傷つけたあの頃の苦い記憶が蘇るからなのだ。

 ショッパイ思い出を反芻しながら場末の飲み屋の暖簾をくぐるなりマスターが言った。
「HALさん、あのDVDデッキな、遂に3万円で売れたわ。ラッキー」
 あのDVDデッキというのは、某右系新聞が販売拡張材料(略して拡材)として、たやすく金品に転ぶマスターに、向う10年分の新聞を取る見返りとして渡したおまけのことである。
「マスター、新聞の勧誘員もマスターのこと知らんと、良くそんな契約したもんやね」
 つまり、いつ店を開けるか分からないから、支払いも不確かだという意味だ。
「いや、ちゃんと言うたよ。俺、あと十年も生きられへんよ。て」
「そしたら何て答えが帰ってきたん?」
「そんなん、ワシ等に関係ないからえーの、えーの。てゆうてた」
「ほな、途中でケツ割ってもええやんか。それにしてもマスター。これまで左系の新聞やったのに、ってゆ〜か、赤旗も取ってるくせに、3万円でポリシー売り渡すんかいな」
「売る売るぅ。も、全然平気」
 付き合うんだったら、これくらい軽く金に転ぶ人間が楽だ、と僕は思った。

 

2005年3月23日(WED) 異端の者、君の名は (琵琶湖の鮎に混じっている奴)
 琵琶湖の幸、小鮎。滋賀県特産の山椒の実と共に甘露煮にした物を送ってもらった。滋賀県の日本酒、『御代栄』でもあるといいのだが、残念ながら用意できなかった。適当にみつくろってきた吟醸酒を冷やして、先ずは鮎を口に放り込んでみる。
 最初に甘みがやってくる感じがあって、次に鮎の馥郁とした香りと山椒の爽やかな香りが溶け合った絶妙な風味が広がり、最後に山椒のピリリとした辛味で締めくくる。そして吟醸酒で口を漱ぎ、また次の鮎をひとくち。

 昨年に引き続き、またこれを味わえる喜びで感涙に咽ぶが、同じレシピで作ったからといって、常に同じ味になるとは限らない。毎年新しい味わいを発見することになるのだ。なぜなら、昨年の日記に書いたように、この飴煮は鮎と山椒の絶妙なバランスの上に成立していて、鮎の状態や山椒の生育具合によって大きく味が左右されるからだ。
 というのも、小鮎の旬と山椒の旬はずれているものらしく、そのつど山椒を増減して味のバランスを取る必要があるらしい。したがって、今年のものが昨年の6月に食べたものと微妙に味が違うのも当然なのだ。今年のものは山椒が硬く、香りが鮎に乗り移りきれていない印象がある。もっともこれは調理のプロセスに於いて変化するものかもしれないが。

 それはさておき、今年の鮎を眺めていて、僕は殆んど失禁しそうになるくらい打ち震えて喜んだ。大勢の鮎に混じって、一尾だけ異様な姿の小魚を発見したからだ。
 こいつは一体何者なんだろう。ひょっとすると琵琶湖の支配者、ブラックバスの赤ちゃんではないだろうか。
 まさか、確かに口はでかいが、姿に支配者としての威厳が感じられない。 ポカリと口を大きく開けているのは、今まさに獲物を追い詰めて飲み込もうとしているのではなく、「ありゃまー、やられちまったよ。鮎ちゃんと遊んでたら網に掬われちまったー!」と叫んでいるように僕には見える。
 鮎の静謐な死に様に対して、余りにも間抜け面をしているこいつは、きっと湖底を這うハゼの仲間だろうと思う。

写真は、ほぼ原寸大です こいつの味ですか?シャッターを押した後、たまらずパクリとやってしまったんですがね、鮎の馥郁さには到底及ばないものでしたよ。
 でもねハゼドン、僕は君のような異端のやつが大好きなんだよ。僕の口に入ってくれてありがとうね。



※世間の人はどうなのか訊いたことは無いが、僕は釜揚げしらすなんかに混じっている龍の落とし子や、イカの赤ちゃんのようなものが大好きで、敢えて不純物の混入していそうなパックを選んで買うのだけど、あるとき蠅が入っているのを買ってしまったことがあり、さすがに全部捨てた。だがいくら悲しいからといって、スーパーに抗議に行ったりはしない。

 

2005年3月21日(MON) バイオリンフェアーに行って想うこと
 大阪の日本橋は変わった。電気屋街であることに今のところ間違いはないのだが、顧客のニーズに合わせて変革を遂げつつある過渡期と言えるだろう。
 顧客のニーズと言っても、日本橋を訪れる客層や顔ぶれが著しく変わったのか、と言えばそういうことではないし、決して寂れたのでもない。季節が良くなってきたし、振り替え休日でもあり、人が多すぎてかなり歩きにくいほどだった。

 日本橋から、白物(冷蔵庫、洗濯機)を扱う電気店が激減して、代わって台頭してきたのが、ビデオソフト屋さん、フィギュア屋さん、アニメキャラ萌え屋さん(この手のものが分からないのでスンマセン)とにかく、僕には馴染みのない店が沢山軒を連ねるようになった。
 そんな店の1軒に入ると、リュックを背負って、めがねをかけた色白の少年、あるいは青年、いや中年までが、競うように写真集やビデオを物色している。
 彼等から受ける印象は、日本橋を電子部品や古道具、怪しげな無線装置といったものを探して歩いていた、20年前の客層から受けたそれと大して違わないように思える。

 何を買うでもないけど、ゲームソフトを扱う一軒の店に入ってみた。小学生くらいの男の子が『ギャルげー』と呼ばれる恋愛シミュレーションゲームをやっていた。でもあれって18禁じゃないのかなあ?
「坊やたち、おじさんの子供の頃はね、辞書で『膣」』とか『陰核』なんて単語を調べては興奮したものだったよ。君たちはいい時代に生まれたもんだね。あ、いやそうではなくて、そんなのを子供のうちに知ってしまうとだね、大人になって楽しみが無くなるんじゃないかい。つまらない時代に君たちは生まれてしまったんだろうかねえ」
 もちろん餓鬼どもをつかまえてそんなことを口ばしったわけじゃないけど、ギャルゲーに手を染めた事のない僕は、彼等に対して圧倒的なひがみ、ねたみ、そねがあるから、嫌がらせの一つも言ってみたくなるわけだ。

 お腹が空いたのでファーストキッチンにでも入ろうと思ったが見つからない。そういえば隣の火事で燃えたんだったか。で、マクドナルドに入ろうと思ったら、並んでやがる。仕方ないのでうどん屋で食べた。結局こんなところに落ち着くのか。
 あんまり日本橋をうろうろしていても、心斎橋のバイオリンフェアに行くのが遅くなる。適当にデータ用生DVDなんかを買って日本橋に別れを告げた。
 
「さて、心斎橋に行くのだから歩いてもたかがしれてるな。たまには街の散策でもするか」
 こう考えたのが大間違いで、心斎橋筋もまた人の群れで大渋滞。目的の楽器屋さんに行くまでに疲れてしまったので、YAMAHAに入ってカーボン弓なんぞ吟味しながら休憩させてもらった。カーボン弓も悪くないな、今度練習用にNETで1本買おう。

 バイオリンフェアの会場に着いた。広くはないが、お客さんだけで十数名入っておられて、各々好きにバイオリンやビオラを試湊している。
「いらっしゃいませ」
 スタッフらしい人が声をかけてくる。僕も頭を下げてにこりと微笑んでから、展示しているバイオリンを見回し、値の張りそうなコーナーで1挺を手に取った。1000万円の値札が掛かっている。
「どのようなバイオリンををお探しでしょうか」
 楽器を眺めていると、声が背中から聞こえてきてビクリとした。振り向くと先ほどのスタッフだ。どうやら僕は尾行されていたらしい。顔をこわばらせている彼の表情からは緊張がありありと伝わってくる。
(そうか、ついさっきまで、『アニメー、萌え〜!』とやっていた連中に溶け込んでいた僕の、ジーンズにセーター、背中にはリュックといったいでたちを見れば無理もないな)
 スタッフも楽器を壊されないかと心配なのだろう。
「よろしければ試湊してみてください」
 これは暗に、あんたが手に持っている1000万円の楽器を早く下ろしてくれ、というサインだろうか。もしここで、「試湊?僕がバイオリンを弾けるような人間に見えますか?」なんて答えたら、この人の心臓は止まるんじゃないだろうか。あんまり気の毒なので少し弾いた。
「どうぞごゆっくりなさってください」
 スタッフは僕がバイオリンを扱うのに慣れているのを知って、安堵の表情を浮かべて去っていった。
 なんだか泥棒でも見るような目をされては気分悪いが、仕方ないといえば仕方ない。僕の人相が悪いといえばそうなのだし、バイオリンなんて実にあっけなく壊れる楽器なのだ。
 子供のバイオリンをお父さんが弾いてみたくなって、いじっていたら壊れた、というのは茶飯事だし、バイオリンというのは開けて閉めただけで10万円も請求されかねない楽器なのだから。

 さすがに1000万円の楽器は良く鳴る。しかし周りはプロの演奏家ばかりみたいだから、下手な演奏をするのも引け目を感じるし、なにより今日の目的は楽器を見る目を肥やすことなのだ。
 展示されている100挺ほどの楽器をすべて見て回ったら結構な時間が経った。すごい名器というのは展示されてなかった。本気で購入する気のある人にだけ見せるのだろう。
 いつぞや阪神百貨店で、「今世紀最後のバイオリン大展示会」と銘打ったフェアが開かれたことがあったが、あの時はとんでもない名器が展示されていた。もっとも、僕の目で見ても半数の楽器ははなはだ怪しげなものだったが。

 フェアに来て、実際にイタリー新作やオールドを手にとって僕は確信した。
「やっぱり国産の新作がいい。工作精度もセンスも日本人の方が上だ。東京のS氏に発注したら何年待たされるか分からないけどそうしよう」
 
※ある弦楽器専門店で、こう訊ねたことがある。
「今日、鈴木バイオリンの100万円の品を買い、明日持って来て『引き取ってくれ』と言ったら、いくらで引き取ってくれますか」
「10万円で引き取りましょう。それくらいのものと思ってください」
 鈴木バイオリンの100万円の品といえば、職人の手工品で、工作精度、美しさは世界でもトップクラスだ。それなのに、いきなり100万円から10万円に値が下がるのだ。
 確かに個性のない楽器群だと言い切ってもいいのだが、それだけだろうか。100万円の内20%が、紹介者のバイオリン教師に納められる、という販売システムに問題がないとは言えないのだろうか。
 それにしてもバイオリンに限らず楽器の仕入れ価格って、いったいどれくらいなんだろう。

 

2005年3月20日(SUN) 見つけ神様ケサトさんを、見つけた
 このところバイオリンの夢を良く見る。というのも四月になったら、東京に工房を構える、S氏というバイオリン製作家を訪ねることにしているからだ。
 大阪にも有名なバイオリン製作家はいるのだが、僕が思うところ、世界的に見てもS氏は現代の名工と呼ぶに相応しい方だ。あと十年もしたら巨匠と呼ばれるようになって、作品に高値が付くようにかも知れないから、買うなら今のうちかもしれない。
 バイオリンを評価しようと思えば、多くの名器を見ないで正しい判断は下せないが、僕みたいな素人が実際に名器を手に取って見るチャンスなんてそうは無い。
 そのうえ僕はオールドバイオリンを買おうとも思っていない。偽物と本物を見分けるすべを持たないで、二百万も三百万も払えるはずが無いからだ。
 その点で、新作バイオリンは百万も出せば、現代の名工の作品を直接彼等から手にいれることができるし、制作技術もストラディバリの時代をはるかに凌駕するレベルにある。
 品質面においてはもちろん、音色においても、新作は昔のものと遜色ないし、故障の心配もオールドより、はるかに少ないのだ。

 毎日バイオリンのことを考えていると、飲み屋で新聞を読んでいてもバイオリンの広告が目についたりする。
「バイオリンフェア、か。心斎橋なら近いな。よし東京に出向く前にひとつ目を肥やしておくかな。マスター、新聞の広告を切り取るよ」
 僕はマスターの了解を得て、携帯電話の画面ほどの、小さな広告を手で千切ってポケットに入れた。
 それは四日前のことだったが、どうした訳かあの紙切れが見つからない。コートのポケット、ジーンズのポケットはもちろん、財布の中や、洗濯機の中まで調べたが出て来ない。
「あの時マスターが鋏を出してくれたのに、手で千切ってポケットに入れたのを憶えているから、持って帰ったのは間違いない。それともどこかで落としたんだろうか」
 どうやらまたぞろアル中ハイマーが悪化したようだが、忘れたことは思い出せなくても、失った物を見つけるための、取って置きの方法を僕は知っている。
 子供の頃から長く僕の守護神である、見つけ神様のケサトさんにお願いして、無くした場所に連れて行ってもらうのだ。

 僕はよく物を失う子供だった。、大切な物、そうでない物にかかわらず、しょっちゅう何かを無くした。そのたびに誰かのせいにしては、母に叱られた。
 小学ニ年生くらいのある日、お気に入りのビー玉が見つからないことがあって、三つ年上の兄がとったと思い込んだ僕は、しつこく返せとせまって、兄に叩かれて泣かされたことがある。
「人を疑う前に自分を疑え」
 母は年上の意地悪な兄を叱らずに、兄を疑った僕を叱った。
 悪いのは兄なのにどうして僕が叱られるのか分からずに泣いていると、母は無くした物を見つけるお祈りを今からしてあげる、と言った。
「ケサトさん、ケサトさん。尊敬するケサトさん。どうか現れて、僕の無くしたビー玉を見つけて下さい。この通りお願いします。アビラウンケンソワカ、アビラウンケンソワカ」
 母は神棚を見上げて手を合わせ、一緒にお祈りするように促すので、涙声で母に合わせて僕も祈ってみた。
「ねえ母ちゃん、ケサトさんて誰のこと」
 さっきまで泣いていたくせに、いつの間にか涙が乾くと、不思議に思って母に尋ねた。
「ケサトさんというのはね、なくした物を見つけてくれる神様で、お祈りすると無くした物のありかに連れて行ってくれるんだよ」
 驚いたことに、お祈りを終えるとビー玉はすぐに見つかった。
「ケサトさんって、なんてすばらしい神様だろう」
 うれしくてたまらず、神棚に向かってケサトさんにお礼を言っていると、ケサトさんの顔が見えてくる気がする。
 ケサトさんは、赤い丸っこい帽子をかぶっていて、金色のだぶだぶした服の下に手を隠している。白く長いひげを生やしてニコニコしているその姿は、七福神の寿老人に良く似ていると思った。
「がんばって探しても見つからないときだけ、お願いするんだよ。ケサトさんもみんなに呼び出されると忙しいからね」
 母の言いつけを守って、どうしても見つからないときにだけお祈りをすると、ちゃんとケサトさんが助けに来てくれた。たった一つだけを除いて、必ず見つけだしてそこに連れて行ってくれた。

 今でも夢に見るたった一つの、いくら探し続けても見つからない物。それは小学四年生の頃に父に買ってもらったおもちゃのカメラだ。おもちゃといっても、専用の安い白黒フィルムを使うもので、天気の良い日にはきれいに写るはずだった。
 カメラが欲しかったのもあるけど、めったに家に帰ってこない船乗りの父に買ってもらったのがうれしかった僕は、友達を小学校のグランドに呼び出し、見せびらかせて遊んだ。
 友達と写しっこして遊んでいると、六年生のお兄ちゃんが何人かやって来て、僕たちに言った。
「砂場で相撲をとろうよ」
 写真を撮るのにも少し飽きていた僕は、首にかけていたカメラをシーソーに置いて、六年生に遊んでもらったのだけど、相撲が終わって戻ってみると、さっきシーソーの上においたはずのカメラが無い。
「ここに置いてあったカメラを知らない?」
 六年生のお兄ちゃんに尋ねても、首を振るばかりだった。
(うそつけ、お前の仲間がとったんだろ)
 のど元まで出かかった言葉を僕は飲み込んだ。
「他人を疑う前に自分を疑え」
 六年生にけんかを売るのが怖かったのもあったけど、母の言葉を思い出したからだ。
 友達と僕は協力して辺りを探し回った。やがてだんだんと暗くなってきて、一緒に探してくれた友達が帰ってしまっても、僕だけ残って探し続けたけど見つからなかった。
 翌日も、その翌日も、僕は何度もケサトさんにお祈りをしながら、暗くなるまで校庭を探し回ったのに、ついに見つからなかった。
 もらったその日にカメラを無くしたなんて、父に打ち明けられるはずがない。父が休暇を家で過している間、いつカメラのことを訊かれるかとビクビクしていたから、きゅうくつで仕方なかった。たまに帰ってきたのだから遊んで欲しいのだけど、顔を合わせたくなかった。やがて長い休暇が終わり、船に戻って行く父を見送ったら心が急に軽くなった。

 五年生になったとき、一年ぶりに父が海から帰ってくるという手紙が来た。
 僕は貯め続けたお小遣いで同じカメラをかうつもりでいたけど、まだお金は充分に貯まっていない。
(このままでは父ちゃんに見せる事ができん。写真は撮ったのか、と訊かれたらどうしよう)
 ぐずぐずしている間にも、父が帰宅する日は近付いてくる。仕方なく母に全てを話すことにした。
「カメラを無くしてケサトさんに何回もお願いしたのにね、見つからんのよ。『これからは物を無くさないように気をつけますから、どうか見つけて下さい』ってお願いするのに見つからん。なんでじゃろか。父ちゃんがもうすぐ帰ってくるのに、どうしよう」
 カメラを無くしたことを父に知られて怒られるのが怖かったんじゃなくて、父をがっかりさせたくなかったのを、母は分かってくれた。
「ケサトさんはね、無くしたものは見つけてくれるけど、とられたものは見つけられんのよ」 
 母はそう言って、足りない分を出してくれて、僕は同じカメラを買うことができたのだった。

 六年生になった頃だったろうか。友達が物を無くして困っていたことがあって、僕はこう教えてあげた。
「見つけ神様のケサトさんにはお願いしたのか、よく探してからお祈りしたら絶対見つけてくれるよ」
 友達に、ケサトさんのことを話したら、とても奇妙な顔をされて言われた。
「そんな変な神様の名前は聞いたことがないぞ、お前のうちだけの神様だろ、アハハハ」
 どこの家にでも、見つけ神様ケサトさんがいる、と思い込んでいた僕は、友達に大笑いされたことで、初めて全てが分かった気がした。
 ケサトさんのお祈りを教えてもらったとき、母はビー玉を僕より先に見つけていて、ケサトさんにお祈りを済ませた後、僕が見つけるようにビー玉を転がしておいたのではないだろうか。
 母は勝手にケサトさんっていう神様を作り上げて、人を疑う僕の悪い癖を直そうとしたのに違いない。

「♪ケサトさん、ケサトさん。僕は広告の紙切れを無くしました……、アビラウンケンソワカ……」
 母の言葉を思い出しながら、歌うように、口ずさむように僕はお祈りの呪文を唱えた。
 するとどうだろう、机からポロリと鉛筆が転げ落ち、拾い上げようと手を延ばした先に広告の紙切れがあるじゃないか。
「見つけ神様ケサトさん、ありがとう。これからもよろしくお願いしますね。だって僕は、物を無くす癖がいまだに直らないんですから」
 ケサトさんにこじつけて遊ぶ昼間の僕は、ケサトさんがもういないことを知っている。自分で心の中から消しさってしまったからだ。だけど心の奥底では、まだ整理をつけかねているらしい。
「ケサトさん、ケサトさん……、無くしたものは見つけてくれても、とられた物は見つけられない……、アビラウンケンソワカ……」 
 あの呪文のようなお祈りをつぶやきながら、夢の中の僕は今でもカメラを探して校庭をさまよっている。そして見つからないまま目を覚さまして枕を濡らすのだ。

※この日記を書き上げてから、念のために「ケサトさん」をネットで調べてみると、お婆ちゃんの名前ばかりヒットする。母は自分の友達の名前を流用したんだろうか。
 月曜日は、バイオリンフェアに行ってきます。

 

2005年3月17日(THU) 北の核爆弾なんか、レンジでチンだ!
 童話作家、後藤みわこさんの作品に『あした地球がおわる』というのがあって、先ごろお師匠様からお借りして読んだらとても面白かったので、簡単に紹介してみよう。

 そう遠くない未来の話。日本のアマチュア天文家が地球に向かって来る彗星を発見した。軌道計算をすると地球に衝突するよりも前に、月に衝突してしまう可能性があった。
 やがて計算通り、月が身代わりとなって地球は救われたのだが、悲劇はここから始まるのである。
 月は彗星の衝突で真っ二つにひび割れ、壊れた月の破片が次々と地球に降り注いできた。しかし恐怖はそれだけでは終わらない。どこかの国(北か?)が月の破片が落ちてきたのを、ミサイル攻撃された、と勘違いして報復のミサイルを誤発射してしまったのだ。
 そのころ核ミサイルは国際協定によって全廃されていた。しかしそれは核爆弾NB(※ヌークリア・ボム)に代わるものとして、CB(クリーン・ボム)と呼ばれる、放射能を出さない爆弾が開発されたからに過ぎなかったのである。
 誤発射でCB攻撃を受けた国は、さらにCBミサイルを自動報復で発射し始め、日本も巻き込まれて地球はほぼ全滅するが、助かった数名の子供たちの命運や、いかに。

 子供たちの日常の葛藤を描きながら、人類が絶滅する恐怖を突きつけて、地球環境の変化や戦争を問いかける、ジュニア向け問題小説なのである。
 ここに登場するCB(クリーン・ボム)というのは、電子レンジの技術を応用したものらしく、空から電磁波を照射して、水分を含む物全てを一瞬にして蒸発させてしまう、クリーンで画期的な爆弾なのだ。しかし皮肉にもクリーンさが仇となり、量産されて世界中の国が所有したのであった。
 
 電磁波といえば、今僕が使っている電子レンジは友達にもらったものだが、初めて手にしたレンジも、壊れたのをいただいてタイマーだけ買ってきて修理したものだった。
 それ以来、どくだみの葉を乾燥させたり、接着剤を乾かしたり、と様々なシーンで活用してきた。もちろんご飯を炊いてもみたし、ゆで卵も殻を割って小さな器に移して作ってはみたが、美味しかったためしは一度だって無い。
 ところが、平野レミさんだったか誰だったか、ずぼらな感じの(失礼)料理研究家が電子レンジを活用した料理術を紹介しているのを見たら、最近では様々な専用容器が発売されていて、それらを使えばご飯も美味しく炊けるし、ゆで卵だって上手に作れるのだそうだ。

写真は昨晩飲み屋で売りつけられた、『コッコクック レンジでゆで卵』という商品で、多分800円くらい。物々交換したので金は払ってない。底に水を少し張って、その上に薄いアルミのカバーで卵を覆う格好にしてからレンジにかける。黄身には弱い電磁波を当てながら、白身を蒸気で蒸す、という原理のようだ。

 こんな商品はずっと以前からあったのだろうが、昨日初めて知った。500hのレンジに7分間かけると半熟のゆで卵が出来た。もう少し蒸らすと良かったのかも知れないが、すぐに水に浸けて冷ましたので柔らかすぎたようだ。味はと言うと、意外にも美味しかった。黄身が真ん中に来ないのは仕方ないとしても、これは使えるかもしれない。

※前にも書いたけど、レンジでチン!を、米語のスラングでnuke!(ヌーク、温ぅく)と言う。
 つまり核爆弾と、チン!を掛けた話を蒸し返したのでございます。 
 ス、スンマセンm(__)m

 

2005年3月15日(TUE) 風俗でカードを切りまくってから死にたいです
 別れと出会い、旅立ちの季節。だからというわけじゃないけど、DIONのプロバイダ契約を解約した。と同時にDCカードにも退会届けを出した。
「YAHOOに加入しておきながら、重複してDIONにも加入している馬鹿」なんて笑われながらも、最初にホームページを立ち上げたのがDIONだったから、それが尾を引いてずるずると今に至っていたのだ。
 おまけに、DIONに加入するためだけにクレジットカードを作って、二月毎に525円だけを引き落としたり、たまにゴルフで使うだけのために年会費を払い続ける、という愚行を4年間も続けた。こんなのは、夜毎風俗店でカードを切りまくっている知人に言わせると、「貧乏臭いカードの使い方」であるらしい。

 大きな声では言えないのだけど、このカードは、関西のある議員さんを擁して政界に影響力を行使するために結成された、ややもすると怪しげな圧力団体ともみなされかねないが、実体はまっとうな経済団体がDCカードと提携したものだった。
 その団体からは隔月くらいで会報が送られて来ていたのだが、ある日会報からロビーイストである議員さんの名が消え(落選した?)、会報の発刊停止とカード提携を解消する旨の通知が届いた。
 準会員という名の幽霊会員である僕の名前がその後どう扱われたか知らないが、団体は名を変えることなく立派にNPO法人として認可されたらしい。何をしているのか良く分からない団体だけど、初期の目的はきっと達成したのだろう。



 カードの利便性というものが、今だに僕は良く分からない。社会に出た20年前は、「カードはステイタスで、信用が無ければカードは持てない」と聞かされた。
「アメリカ社会じゃ現金を持ち歩く奴は、信用を欠いた貧困層とみなされているから、これからの日本人もカードを持つべきだ」とも勧められた。
 確かに先輩と飲みに行き、現金を払わずカードで奢ってくれたのを見て、「成る程、これはかっこいい」と思った。しかしその先輩も彼女と遊び回るためにカード切り続け、返済どころか、ますます借金が膨らんでいった。
 雪ダルマが自転車をこいでいたような先輩は、会社が傾き始めると転職したが、その後自己破産したと人伝に聞いた。そして彼女には捨てられた?そりゃ多分そうだろう。

「現金を持ち歩かないですむから安全だ。ポイントが貯まるから得だ」
 カードを上手に使っている人はそう教えてくれるが、カードを持ち歩いて落としたり盗まれたりすると、現金を落とすより危険だろう。
 ポイントが貯まると言うが、リボ払いの金利の方が高くつかないのか。いやそれどころか一度でも返済が滞ると、カード会社が勝手に金利を20%、30%と上げていっても良いらしいじゃないか。
 僕はカードの契約書を読んだことが無いので、アメリカだけの話なのかも分からないが、物を買った後で値段を変えることができるカード会社って、まるで悪徳消費者金融とかわりないじゃないか。
 

 NPO法人:Non Profit Organization=特定非営利活動法人とは、利益を上げない、会員の寄付で運営する団体らしい。例の法人もボランティア活動に精を出しているのだが、4年前に僕が入会した当時、理事には関西の著名な財界人が多く就いておられた。
 その著名人のお一人が院長として君臨する病院に、医療機器を売り込みに行った営業マンから聞いた話である。
「院長先生、この機械は寿命を迎えておりまして修理が効きません。どうか買い替えをご検討ください」
 大抵の営業マンならこう進言する事例だった。
「何をぬかすか!70年生きとる儂の体でもゆうことを利くのに、たかだか20年使うたくらいで寿命の筈が無い!」
 院長の一喝は正論で、確かに金をかけさえすれば修理はできるのだ。
「しかし修理には費用がかかり過ぎますし、法定耐用年数は8年だから、買い換えても罰は当たらないし、その方が得策です」
 そう説得したかったのだが、院長のド迫力の前に営業マンは退散するしかなかったそうな。
 こんな風に気骨に溢れた倹約家の御仁たちが、理事にずらりと名を連ねているような硬派の団体なのである。



 人は富を手に入れ、「ひとかどの人物」という名声を得て老境を迎えると、俄かに道徳家になるものらしい。沢山の下請けや取引先に無理強いした記憶は、「協力企業と共に歩んで成長した」と思い込むようになり、数多の商売敵を倒して儲けたのも、「時代の流れを読んだ」と言い換える。
 自分の人生を総括したい心境になったら、誰だって悔いを残したくはない。だから自分の生き様を正当化し、美化したくなるのは理解できる。ボランティア活動や道徳の啓蒙に生き甲斐を見出すのも分かる。僕だって金と名誉と女に飽きたらきっとそうするだろう。
 しかしだからといって、あの倹約家としても著名な財界人たちがボランティア活動のためだけに自腹を切るだろうか。それに何といっても、ドケチで勇名を轟かせる、かの大富豪を名誉会長に頂いている団体なのだ。

 納得がいかない僕は法人のホームページをつぶさに覘いた。果たして、健康食品を販売するページに行き当たったではないか。
(うんうん、こうでなくてはいけない。転んでもただで起きない御仁ばかりが集まっているんだから当然だ)
 ようやく僕はすっきりしたが、これであの法人と完全に手を切ることになったのは少し寂しい。春は別れと出会いの季節。僕の所にも小さな別れが先に来た。

 

2005年3月13日(SUN) なぜB型はイチローなのか
 相性なのか、B型人間はAB型の僕にちょっかい出し易いのかも知れん。御し易し、と思われるんだろう。そういえば、出会った経緯は色々あっても、その後はなんだかんだとB型人間に引っ張りまわされている気がする。もっとも、付き合いがあった連中はだれもが飾らない男で、こちらも素で付き合えたから、楽だったと言えばそういうことになるし、それはそれで楽しかった。

 では、別れるときはどうだったろうか。男同士で別れる、と表現するのも、あらぬ誤解をされそうだが、転職やら引越しやらで離れるという意味だ。
 いつの間にやら自然に友達付き合いが始まった彼らであっても、別れる時にはおおむね波乱が付きまとっていたように思う。それだけ付き合いが密だった証拠かもしれないが、結構後を引くところがあって、すんなりとはいかなかった。未練がましいというとネガティブな感じになるが、別れが辛くて寂しがる例が多かったように思う。

 昔の友を偲んでの長風呂も良いもんだが、浴槽でB型人間を総括するのは、老後の楽しみにでも取って置くことにして、そろそろクラブを出ないと、昼間だけの会員だから警告を受けかねん。と、そこへ知人が入ってきて話が始まった。
「最近あの店(場末の飲み屋)ずっと休んでるな。またなんかあったんかな」
 先日ビール瓶が宙を舞ったときも、翌日は店を閉めていたようだったが、なにかトラブルがあるとその翌日は休むことが多いという、心優しいマスターの身を案じて彼が尋ねた。
「実はね、1週間前に○○があの店で暴れたんですわ。それから近所で奴と一緒にみんなで飲み直したんですがね、そこで奴が階段から落ちたんです。あいつ大恥を掻いたもんだから、ママさんに食って掛かろうとしたんで、無理やり車に詰め込んでどっかに捨てにいったらしいんですね。店を休んでるのはそのせいと違いますか」
「あ、そうなの、そんな事があったんか。○○の奴しょっちゅうトラブルなぁ」
「全くです。B型の酔っ払いって、わりとトラブルんですよ。僕の連れには昔からB型が多いんで、良く知ってるんです」
「へぇ、○○もB型なの、でもそれは血液型とは関係無いやろ。あんたの友達が偶然そうやっただけで、そういう連中と付き合うあんたにも何か問題が有るんと違う」
「はぁ、それはそうかも知れませんが、MさんもWさんもB型ですよ。なんか分かるような気がしませんか」
「それはあんたの偏見ちゅうもんやろ。MさんもWさんも紳士やぞ。○○と一緒にするのは失礼やろう。それに○○も仕事でストレス溜まってるんやで」
 僕は彼と共通の知人の名前を挙げて同意を得ようと試みたが、思わぬ反撃に遭った。
「えらいB型の肩を持つんですね」
「そらそうや、俺もB型やもん」

 また一人僕の周りにB型人間がいることが判明して、一気に風呂でのぼせそうになり、早々に退散することにしたのだが、別れ際に彼が追い討ちをかけてくる。
「明日はスポーツクラブの飲み会やで。4時頃から始まるからおいでよ」
「い、いや今回はちょっと、具合が悪いです。また次回にでも宜しくお願いします」
 あの知人とも長い付き合いだが、B型だったとは驚いた。考えてみるとあちらこちらに顔の広い人だから、B型らしいとは言えるかも知れん。
 彼のおかげで僕も付き合いが増えるのは喜ばしいが、このペースでB型が周りに増え続けると、さすがに心中穏やかでなくなりそうだ。

 今日の飲み会からは逃げおおせた。しかし一時しのぎにはなったとしても、この先も僕の周りでB型が増殖し続けるのを阻止するのは不可能だろう。だから、せめてゴルフの時くらいはB型から逃れていたい、と思っている。というのも、昨日の日記で例を挙げたB型一流プロゴルファーを見て気が付かれたと思うが。一流の人というのは皆さん個性的な中にあっても、ジャンボ尾崎、青木功、片山晋悟なんてずば抜けて個性的だ。あんな風に人と違ったことを平然とやってのけるB型に憧れるが、僕には苦手、とも感じてしまうからなのだ。

※イチロー選手もB型らしいです。確かに人と違ったことを平然とやってのける強烈な個性ですよね。B型の人は皆さんイチローっぽいところがあるんですな。

 

2005年3月12日(SAT) 血液型判断って、どうよ?
 スポーツクラブの風呂に浸かりながら、ふと思った。
(昨日のゴルフは雨と霧に祟られて散々だったな。でも、いつものメンバーは感じのいい連中だから、どんなコンディションでも、どんな悪いスコアでも嫌な思いをして帰るなんてことは無いな)
 いつものメンバーの顔を思い浮かべていて気がついた。血液型B型のメンバーが一人もいない。いつもの4人だけじゃなくて、共にゴルフをする僕の知り合いにB型がいないのだ。

 もちろんゴルファーにB型が少ないわけじゃない。思いつくだけでも、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、ジャンボ尾崎、青木功、片山晋呉、と、超一流どころにB型がずらりと顔を並べているから、B型はゴルフに向いていると言っていいかもしれない。
 おまけに僕の友達を見回すと、矢鱈B型が多いといういびつな構成なのに、ゴルフ仲間にだけB型がいないのはどうしたことか。

 僕は無意識のうちに血液型で友達を選んでいるのだろうか。酒を飲むときは○○型、将棋を指すときは○○型、ゴルフは……。ありえないことでもないが、僕は来る者は拒まない人間だし、自分でアプローチすることも少ない人間だから、ひょっとすると相手側にアドヴァンデージがあるのではなかろうか。つまり、友達にB型が多いのは、僕がB型人間を選んでいるのではなく、B型人間が僕を選んでるからではないか。(つづく)

 

2005年3月11日(FRI) 強制猥褻:「中西議員、お察し申し上げる」横山ノック
 「イチローも松井も、実は宇宙人なんですよ」と言われたら、「やっぱりそうか」と僕なら納得してしまうだろうが、サンマやタケシが宇宙人だと言われたら、「誰が見ても普通にエロオヤジだろうが」と断固抗議する。

 イチローや松井は、日米の野球少年たちにとっては夢や希望の象徴であり、日本人にとっては誇りでもあり、財産みたいに思われている。彼等が野球をやめてもミスター長島みたいな扱いをされるんだろうから、そんな人生も窮屈だろうと思う。
 たまには聖人の殻を脱ぎ捨てて、マイケルジャクソンみたいな事の一つもしてみたくなるのは、理屈じゃなくて心情的に理解できる気がする。 犯罪にシンパシーを感じるんじゃなくて、犯罪に走る動機に、哀れみを禁じえない、と思うときがあるのだ。
 そう考えるとサンマやタケシは元々庶民感覚を売りにしているのだから楽だ。浮気したって名前に傷がつくどころか箔がつくんだから。

 女性を殴って謹慎した紳助も気の毒と言えば気の毒だが、先生が躾のために生徒に手をあげるのも許されない時代にあっては、相手が女性でなくても有名人の彼であれば決して許される行為ではないだろう。
 自民党の中西議員が女性に抱きついたとかで強制猥褻罪に問われているらしいが、あれをサンマやタケシがやったらどうなんだろう……。う〜ん、やっぱり駄目なのか。おまけに大阪じゃ、横山ノックの件があるしな。

 芸能人やスポーツ選手が窮屈な生活を強いられるのは、有名税だから仕方ないとしても、普通の人が普通に暮らしていると、嫌なことの方が多いのが世の常だから、いつ何時僕たちもプッツンして犯罪の遂行、つまり人間性の解放をやらかさぬとも限らない。
 そんなこんなで、ゴルフをカタルシスにしてきました。

ヒロシです…、じゃない、HALです……。
 


テークバックを始めたときにシャッター音が聞こえました。

シャッターを切ったのは、あなたですからー! 斬りぃ〜!
 


┐( -"-)┌ ヤレヤレ

ゴルフ場に着いてからスタートするまでに、3時も間も待ちました。
  


11日のゴルフを……、

11時スタート、と勘違いしないで下さい! 斬りぃ〜!
 


でも、お詫びのビールをありがとう。 ( ^_^)/□☆□\(^_^ )

僕を、オーバードライブしたいからって……、
 


最新の試打クラブを借りるなー! でも、良く飛んだねー!

 

2005年3月10日(THU) 嘘をつくメディア、だまされる、俺たち
 世の中の仕組みが難しくなると犯罪を起こしやすくなるのだろうか、それとも生きにくい世の中だから、手っ取り早く稼げる犯罪に走るのだろうか。あるいは法律がやたらに増えたために、その分と同じ比率で罪に問われるケースが増えただけなのだろうか。
 しかしいずれであろうと、殺人のようなプリミティブな犯罪は、たとえヒットラーやスターリンといった大量虐殺の時代にあっても殺人罪が適用されなかった例は無い。
 にもかかわらず、「一人を殺したら殺人者だが、10万人殺せば英雄だ」との言葉通り、殺人においてもそれは必ずしも絶対的な罪で有り得ないのは歴史が証明している。

 さて、僕は何も難しい話を持ち出して憤って見せようと思っているのではなくて、最近の、というより旧態然とした犯罪報道のあり方に疑問を持っているのだ。
 例えば、「警察は、殺人事件の可能性もあると見て捜査をしている」と言うけど、「誰が見てもそれは殺人事件だろう。なにが可能性じゃ」とか、「放火の疑いもあると見て・・・・・・」とNHKは言うが、「ドンキホーテは放火されたんだろうが、今更なんで」と言いたくなる。
「警察はそんなに安全のための糊代をとらないといけないのか。そんなに下手うったときの用心をしないとものが言えんのか」と言いたい。

 警察だけじゃない。大手企業や官公庁が裁判に敗訴したときのコメントも歯切れが悪い。いやずるい。
「担当者が不在のため、コメントできない」だってぇ、勝訴した時にはちゃんと担当者がコメントしているじゃないか。
「訴状が届いていないのでコメントできない」って、裁判になるまで放って置いたんかい。
「判決文をよく読んで判断を下したい」って、判決が出るのを今か今かと待っていたんだろ。勝ち負け両方のコメントすら用意してなかったのかよ。

「警察の発表によると、男は犯行に関与したことをほのめかす供述をしている、とのことです」と定型句を恥ずかしげも無く安易に用いているが、これなんかちっとも面白くない。若い連中相手にメールでこんな詰まらん表現したら、たちどころに糾弾されてしまうぞ。
 だいたい「ほのめかす」ってどんなことを言ってるの?ひょっとして、「へへぇ、ま、やった、かも、知れんな。そうだな、やったことにしたとしてだ。ここらで親子丼でも食わせてくれる?あ、無い?じゃぁ、やってないね」
 まさかそんな会話を、「ほのめかす」と表現してるんじゃないだろうな。糞詰まりみたいな、煮え切らないような曖昧な警察の発表をそのまま伝える、メディアの責任感みたいなものを僕は問いかけたい。

 イラクで人質になっていたイタリア人記者が武装勢力から開放されたというのに、アメリカ軍の攻撃で情報機関職員が死亡したというが、昨年日本の外交官が二人亡くなったのもアメリカ軍の攻撃によるものじゃないのか。日本のメディアは何にも言わんのか。与党の庇護の元に買収を免れて胸を撫で下ろしているようなテレビ局はもう要らんのだ。

 

2005年3月9日(WED) 春は断食、ようよう楽しゅうなりゆくもいとをかし
 春といえばサクラ、サクラといえばウグイス、ウグイスといえばメジロ、メジロといえば断食道場。僕にとって春は断食の季節。鶯の声を聞き、桜の花に集まる目白を眺めながらの断食は、今になって思えば結構楽しいものだったかもしれない。
 何といっても周りは若い女の子ばかりだったし、早寝早起きの規則正しい生活と体調が回復していくのを実感できたのも嬉しかった。1週間の苦しかった本断食も、「のどもと過ぎれば」ということだろう。

 新年度を前に、痩せて綺麗になってとか、体調を整えて新しい社会に飛び込もうと考えて断食を決行する気持ちは僕も十分理解できる。だから盆暮れや春休みは道場も書き入れ時なのだそうだ。
 せっかく痩せたのに今すっかり元の体重に戻ってしまった僕が言うのも説得力に欠けるが、3週間の断食体験で学んだ食生活の改善は今も生きている。ベジタリアンを礼賛するわけではないが、以前のように肉食に偏ることも無くなったし、酒を断つのもわりと平気になった。自分の欲求を制御できるようになったといっていいかもしれない。

 ピアノレッスンの前になるとバイオリンに逃避する、困難な仕事を前にするとピアノに逃避する。そんな僕が今逃げているのは、童話公募の作品を書くこと。どんなに好きなものでも苦しくなると別な方を向きたくなってしまうのだから情けない。
 だけどそれはどんな世界のプロフェッショナルでも、一流といわれる人たち以外はみんな似たり寄ったりらしい。先日の将棋NHK杯戦で決勝に駒を進めた23才の山崎6段も、2年前までは対局の前になると将棋から逃げ出して遊びまわっていたという。
 彼はこの先一流への道を突き進むだろうから、二度と将棋から逃避することは無いだろうが、今の僕はそんな訳には行かない。

 今僕が何かから逃避するのを是とするのではないが、今はまだ逃避する自分を受け入れ、それに対峙することから始めるしかないように思っている。あるがままの自分を見つめ、不安や葛藤を拒絶するのではなく、それらのネガティブな性格とこれから先も共に夢や目標に向かって歩いて行くしかないのだろう。
 日記を書くのが毎日の楽しみと言えるようになるのは、ずっと後のことかもしれないが、1年前の苦しかった断食が今は懐かしいように、日記や童話から逃避している今を懐かしめる日がきっと来ると信じている。

 先日断食絵日記の移転を道場に通知したところ、「断食道場や宝山寺の写真でも取りにいらして下さい」と返事を頂いた。学生さん達も春休みに入ったから、断食道場も女の子達で賑わっているだろう。宝山寺聖天市の日にでも桜の花が作るドームをくぐりぬけて訪ねてみようかと思っている。

 

2005年3月3日(THU) カツアゲ国家アメリカ
 手元に1枚の退色した絵葉書がある。表はスフィンクスとピラミッドが一緒に写っている有名なエジプトのギザの風景だ。これは友人がシリアから送ってきた年賀状なのである。
 4千万分の1の世界地図でエジプトの位置と、政情不安が報じられているシリアとレバノンの位置を確かめてみると、シリアはすぐに分かったが、元はシリアの一部だったというレバノンは、四国の半分ほどの広さしかないのだった。そんな極小国が日本の半分程の大きさの小国シリアと揉めているのだそうだ。

 そんな小さな国同士で争わなくても、元々同じ国だったのなら元に戻って仲良くすればいいじゃないかと思うのだが、広さでいえば三重県と四国の間で喧嘩しているようなパレスチナ対イスラエルと同じく、宗教問題の根は深いらしい。



 皆さんは米国務省が28日に発表した04年版「人権報告」が日本について言及している内容をご存知だろうか。2日の毎日新聞によると、「日本についても種々の人権侵害を指摘し、特に東南アジア、東欧、中南米などの女性や少女が日本で売春などを強要されている実情を批判した」とある。

 成る程、ご指摘の通り、ここ泉北ニュータウンにおいても、僕が時々飲みに行く盛り場でさえそういった東欧や東南アジアから来日したと思われる女性たちを見かける。彼女たちが何をしているのかなんて、アニータさんに聞いてみるまでもないだろう。
 
 どうやら日本はライス国務長官の監視リストに入っているらしいのだが、アメリカに人権侵害は一切無い、とでも言いたげなこの報告書を読んでいると、「あんた等が沖縄でやってることは人権侵害に抵触しないのか」と糺してやりたくなる。アブグレイブ収容所問題を持ち出すまでも無く、アメリカは間違いなく人権侵害超大国であると僕は思っている。

 「自国で多くの人権侵害事案が発生している上、他国の主権を侵犯して国際的な悲劇を生み出している。他国の人権を指弾している場合ではない」
 と中国が激しく反駁しているように、「あんたとこにだけは言われたくない」のだけど、なぜ日本政府はこの報告書に遺憾の意の一つも表明しないのだろう。
 中曽根首相(当時)がアメリカのヒスパニック問題に言及したときに、アメリカ人のとった構えを覚えている方もおられると思うが、あの時のアメリカ人みたいな反応を日本政府がしてしかるべきではないのか。

 アメリカは国内の問題を棚に上げて、反りの合わないシリアにも人権問題で言いがかりをつけているようだが、それはシリアがイスラム教国家で、隣のレバノンがキリスト教の多い国家だからだろうか。神の名の下ならアメリカ人は他国の人権を侵害することに抵抗が無いのだろうか。



「明けましておめでとう。クリスマスイブにこれを書いて、エジプト4000年の響きを君に届けます」
 友人からの年賀状には、クリスマス休暇を取ってエジプト旅行をしている様子が書かれているが、投函されたのは1985年12月26日、シリアの首都アレッポとなっている。
 青年海外協力隊としてプログラミングを教えるためにイスラム教国家に派遣された彼にどのような苦労があったか、何度かの手紙のやり取りで分かった。

 イスラムの教えで女性は顔を隠し、姦通罪は公開斬首刑という噂を聞いては、彼もさぞかし寂しい思いをしているに違いなかろうからと、僕は日本で当時最も扇情的といわれた写真誌「GORO」を、本の十倍くらいの航空運賃を支払って送ってあげたが、彼の手には届かなかった。
「本が税関職員に没収されて、大和撫子が奴等に陵辱されているかと思うと悔しくてたまりません」
 彼の禁欲生活を想像するに気の毒でたまらないが、なんとか斬首にもならずに刑期みたいな契期を終えて帰国した。その後互いに忙しくなり、いつしか音信が途絶えてしまったのだが、近ごろのニュースを見て彼は何を思っているのだろう。

「アラブの諺にこんなのがあるよ、『敵には一度、友にはいつでも気をつけろ』ってね。アメリカは友達の顔をして、事あるごとに正義を振りかざしては友好国をカツアゲしようとしているから気をつけようね」
 彼ならきっとこう言うだろう。

 

2005年3月2日(WED) ホリエモンが振り込め詐欺に…
 「役に立たないことばかり書き連ねている当サイトを訪れる方は少数だが、一部に直リンクされているところがあって、何かの役に立っているらしく消すに消せない」と先日書いたが、面倒な作業だけど、放置していればこの先さらに面倒なことになりそうなので、意を決して移転作業に踏み切った。

 最初に作ったDIONのサーバー上のページは画像置き場でしかなかったのだけど、その物置のために毎月250円払うのもいかがなものだろう。250円といえばドトールでコーヒーが飲めるじゃないか、といった問題じゃなく、意味の無いものに金を払っているのは馬鹿馬鹿しいし、そのためだけにクレジットカードを更新しているのだからもっと愚かしい。

 僕が最も意味の無いものに金を払っていたのは、多分携帯着メロのダウンロードを一回やった後、解約をしないといけなかったのを知らず、毎月100円支払ったことだ。
 一年の後、気がついて解約手続きをしたのに、それから半年間まだずっと払い続けていて、何でだろうと思ってもう一度解約手続きをしたら、最後の最後で、「ありがとうございました、この曲は無料です」とあって、そこでまた曲をダウンロードした。
 その曲を聴いて満足して、「ああ、これで全て終わったな」と思ったのだが、それが大間違いで、そこから戻って終了させなければ解約が完了しない、という巧妙な仕掛けになっていたのだ。

 人によると僕が利用したのは、ある女性の運営しているサイトで、彼女の年収は何もしなくても数千万あるのだそうだ。
 世の中、小銭を大勢の人から集めたら大金持ちになれる、というのを僕は身を持って彼女に教わった。

 大金を世界中から集めたら世界一の大金持ちになれる、と教えてくれるのはビル・ゲイツ氏だが、先頃、氏のパソコンがスパイウェアに潜り込まれていたのがわかり、驚いて対策ソフトの開発に乗り出した、というニュースを僕は胸がすく思いで聞いた。
 また米マイクロソフト社の従業員の80%がアップル社のipodを所有しているらしいと聞いて、これまた爽快な気分になれた。

 かつて世界一の金持ちと称されたこともある西武の堤氏の凋落振りを、なんとなくウキウキするような気持ちで眺めている罰当たり者は僕だけだろうか。
 ゲイツ氏がスパイウェアにやられて青ざめている姿を想像してほくそえんでいるのは、僕のような貧乏人だけなのだろうか。
 大型バイクの関税を引き下げろだとか、大型バイクの免許取得を易しくしろ、といった圧力を、米政府を通してかけてくるハーレーダビッドソン社だが、当の工場に通勤するバイクのほとんどが日本車であることを知って、ニンマリしてしまうのはどうしたことだろう。

 政府寄りの巨大なフジサンケイグループを乗っ取ろうとするライブドアに自民党が反発するのを見ていると、弱者が強者に喧嘩を売りつけたようで快哉を叫びたくなるが、ホリエモンもこのところ少しばかりテレビに登場しすぎて鼻に付くようになってきた。
 すでにライブドアも強者として認知された証拠かもしれないが、この辺で、「ホリエモンが振り込め詐欺にやられた」なんてニュースでも流れんだろうか。そうすりゃ諸手を挙げて彼を応援できるんだが。

 

2005年3月1日(TUE) 三週間も断食して、これかい!
 ダイエットリングなるものを設置し、1年前には金を払ってまで、飯も食わせて貰えない蛸部屋みたいな断食道場に入所して断食に励んだというのに、今の僕の体たらくはどうしたことだ。今日スポーツクラブの精密なヘルスメータで計測したら64.75kgだった。この体重というのは断食道場に入所した時点とほぼ同じだから、一年かかって元に戻ったと言えるだろう。

 予備断食3日の後、水ばかり飲んで10日。おかゆばかり食べて11日間。合計で21日の断食はとても苦しいもので、「もう二度とこんな思いはしたくないから、出所したら一生断酒しよう」と誓いながら、出所したその日に交通事故を起こしてしまい、そのショックを緩和するために、またも飲酒に手を染めてから1年である。

 我ながら根気に欠ける男だなとは思うが、小学校の通信簿に、「気分にムラがあり、好きな事以外には根気が無い」と書かれ続けたことを思えば、「これはもう自分らしさを貫いてこの歳まで生きてきたのだから、褒められてしかるべきではないか」などと開き直ってみたりする。

 1年前は心臓に異変を感じて、やむにやまれず断食の決行に至ったという経緯があったが、あれから1年経った今は断酒に困難を認めることは無くなったのに、さらに具合の悪い状況に陥ってしまった。
 スポーツクラブに足繁く通って、トレーニングを楽しんでいたころには気がつかなかった、ある部位に違和感を覚えて整形外科を受診したところ、「異常無し」とのお墨付きを頂いたが、日々症状が重くなる気がする。

 今日、プールで1時間泳いだら右足全体が痺れた。右足に大きな手術をしたことがあるのでその影響も否めないのだが、CTやMRIでも問題が発見できないので、原因は他にありそうだ。どうやらもう一度断食を視野に入れる必要があるのかもしれない。

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