HAL日記


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2005年1月31日(MON) 金は不自由だ
 朝鮮日報によると、死亡者の遺留品の中から二億二千万ウォンの小切手が見つかり、発見者はそれを着服して逮捕されたらしい。
 朝日新聞(念のために"あさひ")によると、用水路からさらに二百万円が発見されたのだそうだ。
 こうしたお金は半年だったか一年だったか待って持ち主が現れなかったら全額自分のものになるし、現れた場合でも二割くらいは謝礼にもらえるのだから、韓国で逮捕されたシンさんも届出ておけば悩んで胃潰瘍にならずに済んだものを、と気の毒でならない。
 でも現実に大金が転がり込んできたら僕も、着服するか、それとも一年待つかで悩むに違いない。

 しんぶん赤旗によると、2005年度の米軍への思いやり予算は二千三百七十八億円に上るのという。実に気前の良い話だ。
 菩提寺の御住職によると、「小泉首相なんてアメリカの属国の奴隷である」と言い切っているが、全くその通りの印象を受けざるを得ない。これじゃあ、ブッシュなんて奴に、金正日より非道いカツアゲやオヤジ狩りをやられているみたいなもんじゃないか。
 これだけの思いやりがあるんだったら、従軍慰安婦にも思いやりがあっても良さそうなもんだが、いつまでたっても問題が解決しないのはどうしたことだろう。
 
 聖教新聞によると、スマトラ島沖津波で被災した孤児たちを、犯罪組織が臓器売買のために養子縁組するらしい。フィリピンで臓器(特に腎臓)を(主に日本に)売って家を建てて幸せになったお父さんの談話を何かで読んだ事があるが、孤児たちの命は一体どうなるのだろうか。
 日本政府の思いやりはこの辺にも向けられて然るべきで、NGOの活動にどれくらいの資金を拠出しているのか知りたい。

 昨日暴れた男から謝罪の電話があった。なんにも憶えていないと言うから、同じことを今後も繰り返すだろう。僕の思いやりもこの男には全く通じないどころか恩人に手を上げるのだから呆れて物が言えない。
 庶民は飲み代の数万円で刃傷沙汰、警察沙汰を起こしかねないのだ。むろん僕だって金は欲しいが、金を稼ぐ才能は皆無だろう。金に執着が湧かないからだ。
 金はねずみ小僧にお願いしているから、いつかきっとポストに放り込んでくれる、と僕は思っている。

 僕が待ち続けているねずみ小僧はまだ現れないが、幸せはいつの日にか白馬にまたがった騎士が運んでくれると夢見ながら30歳で逝ったYちゃんの命日が来月に近づいた。
「死ぬということは、生まれる前に戻るだけのこと」
 所詮、全てはこの世の出来事だ、と言いたかったのだろうか。元気だった頃に彼女が語った言葉を思い出す。

 

2005年1月30日(SUN) 立ち回り
 ついにマイ愛(まな)チャリのGOROを取り戻すことが出来た。場末の飲み屋ひょうたんに駄目元で電話を入れたら、驚いたことに電話に出たのだ。
「自転車返さなアカンな思ぅて、ジブンの携帯にかけたけど電源が入ってない言われてそれきりやぁ〜。あれからもう20日くらい経つんかなぁ。浦島さんになった気分やねん」
 どうも言い訳のつもりらしい。
「マスター、春節は2月9日やからまだ店ぇ開けんでもえぇけど、チャリを引き取りに行くわ」

 30分の道のりを歩き、ワインと日本酒を買い込んで、ひょうたんのシャッターを叩くと、ガラガラとシャッターの上がる音と共にバサバサと郵便物や新聞の落ちる音が聞こえた。本当に20日間一度もシャッターを上げなかったらしい。
「ついでやからビールでも飲んでいこかな」と瓶ビールを注文した。
「瓶ビール無いねん」
「ひょっとして体調が悪い言いながら自分で飲み尽したん?」
「そやねん、ほやから20日前の生ビールで我慢してな」
「非道いなぁ、なんで生ビールから先に飲み尽くさんのぅ」

 鮮度も不安な生ビールと、買い込んで来たワインや日本酒を二人で飲んでいると知人が来たので安ワインを奢ってやったのだが、いつに無く荒れている。聞くと忘年会の後に仲間とスナックに行って支払いのことで悶着があったらしく、すでに警察沙汰になってるのだと言う。
「そんなんせんと、酒飲んだ上でのことなら酒飲んで解決しなはれ」
 諭したつもりだったが、彼の顔からみるみる血の気が引く。
「この餓鬼ゃあ、いてもうたろか」
 いきなりむなぐらを掴まれ殴りかかってきたが、酔っているので動作はのろい。こぶしをかわし、胸ぐらを掴んでいる左手を振りほどき左脇にヘッドロックをかけねじ伏せたが、頑強に抵抗しようとする。マスターが二人を割ろうとするがなおも暴れるので、しかたなくマスターもろとも床に叩きつけたら彼我の力の差を思い知ったのか、意外にあっさり観念した。長い付き合いだというのに、彼は僕を見切っていなかったのだった。

 再度揉め事を穏便に済ませるように彼を諭したが、聞く耳を持ってはいなかったと思う。彼の怒りは僕に対するものではなかったので、最後は握手で別れたが、真っ直ぐに家に帰ったのだろうか。あちらこちらで出入り禁止を食らっている人なので、そうそう寄り道するところは無いと思うが、あれ以上そこかしこで確執をこしらえないようにと願っている。

「店開けた途端にこれかい。やっぱり春節まで開けんほうがええのんとちがう?」
 残っていたワインを飲み干して僕はマスターに言った。
「ほんまやなぁ、オレが店を開けるんがあかんのやろなぁ。そやけど開けんかったら飯食えんしなぁ」
 少なくともあと2、3日は開店しない、と僕はみた。

 

2005年1月29日(SAT) カラスは猛禽類ですぞ
 カラスがハトを食べているのを見たおばあちゃんが、石を投げてカラスを追い払い、ハトの死骸を道路から片付けている。
「怖いねぇカラスは。ハトを襲って食べるんやから。気持ち悪いねぇ」
 通りがかった僕におばあちゃんが同意を求めるので、うんうんとうなずいては見たが、本当にカラスが襲ったのかどうかは分らない。たぶん車にはねられたか、猫に襲われた死骸をつついていたのだろうと思う。
 車を運転していると、結構ハトがはねられているのを見かけるし、高速道路を横断しようとして、背の高いトラックに気付かず、自分から突っ込んだのを目撃したこともある。
 ハトは何かにつけて人間に甘やかされるので、世間をなめているんじゃなかろうか。

 東京都がカラス退治に躍起になっているというニュースを聞くと、堺市もカラス対策にもっと本腰を入れてくれないだろうかと思う。
 周りの団地が次々とゴミ捨て場のコンテナに蓋をするようになったので、まだ対策が出来てないうちの団地近辺に沢山のカラスがやって来るようになった。
 一日中カアカア鳴いているのもうるさいが、そのうち買い物袋を提げた人が狙われるようになるだろうし、お菓子を食べている子供が狙われてけが人が出るかもしれない。 
 泥縄と言われる前に、市が対策を講じてほしいが、これが結構難しいことのようだ。カラスが減るとハトが増えて、今度はハトの糞害に苦慮すると言うし、ゴミ箱に蓋をすると猫も減るそうだが、それがどういった影響を及ぼすのか分らない。
 そんなことを考えていたら、野良犬を見かけなくなったのに気がついた。野良犬といっても初めから野良だったわけではなく、見捨てられた元ペットたちが寄り添って生活していただけのことで、いわば人間のせいでやむなくホームレスに転落したかわいそうな連中なのである。
 害獣のレッテルを貼られた彼らが消えてしまったのは、餌が無くなったのではなく、保健所が動いたのではないかと思っている。

 いずれにしてもゴミ箱に蓋をすれば、少なくともカラスは激減するはずだから早く団地管理会社がうちのところにも対処に来てくれないかと待っているのだが、それは決定打とはならないかもしれない。
 と言うのも、ある日カラスが群れているゴミ捨て場を通りかかったのだが、ゴミ箱の蓋が開いていてそこからはみ出たゴミをついばんでいるようだった。石を投げるふりをしたら一斉に飛び立った。蓋が開いていたのは、誰かがゴミを詰め込みすぎたためだろう。
 所詮は人の出すゴミで増えたカラスを減らそうとしているだけのことなら、餌になるようなゴミ自体作り出さないようにするのが手っ取り早く確実な方法なのかもしれない。
 僕が通り過ぎるとまた連中が舞い戻ってきた。彼等は敏捷でかしこく仕事も速い。人はなかなか彼等に追いつけない。

 

2005年1月28日(FRI) ライバル
 女流将棋界に高橋大和(たかはしやまと)という宇宙戦艦を想わせる名前の美人棋士がいる。昨年将棋のイベントで本人を間近で見る機会があったが、明朗で清潔感のある美しさは、テレビで見るよりも印象的だった。
 彼女は幼い頃に交通事故に遭った。母親はそれを自分のせいであると悔い、彼女自身は、母を苦しめるのは自分が不注意だったからだと自らを責める。
 何度も手術して入院を繰り返すあいだに将棋を覚え、女流棋士になったが、順調だった成績はいつしか頭を打った。
「大和ちゃんは可愛いから将棋が強くなくてもいいんだよ」
 将棋誌記者から何気なく励まされた言葉だったが、それをきっかけに彼女は心を病んでしまう。
「焦燥感と挫折感。悔しさと悲しさで食べた物をもどすようになりました」
 苦しい体調の中、雑誌の仕事でヨーロッパを旅行し、そこの風景に癒されて吹っ切れ、将棋も復活した。
 その後は清楚な美貌を買われ、テレビ番組のコメンテーターなんかを務めているから知っている方も多いだろう。
 
 女流チェンバリスト中田聖子さんのコンサートの日なので、散髪に行った。
 チェンバロを現代に復活させたのは女性ピアニストなので、女流などと冠せずともチェンバロは女性の楽器という感じもするし、彼女の楽屋に押しかけて握手をせがんだりするわけでもないから、なにも分不相応なおしゃれをすることもないのだが、そこは僕の気持ちの表現だし、それなりの心構えは必要というものだ。なぜなら僕の主観では、彼女はソートーな美人だからである。
 どんな風貌かは彼女のホームページを覗いてもらうとして、意外と思えるほどに地味ないでたちで演奏会に臨む人だ。まるで、「素顔で勝負できますわよ」とでも言わんばかりに化粧気もあまり感じない。
 当日はチェンバロとリコーダーのデュオで、リコーダーの織田優子さんは笑顔の愛くるしい方だった。あんなのにゴロニャンとなつかれたら思わずナデナデしたくなる。愛嬌があると言って良いのだろう。つんと澄ました、嫌味なお嬢様の印象がある聖子さんと好対照で、視覚的にも実に楽しかった。
 
 高橋大和さんは先ごろ結婚されたらしいが、そのお相手というのが、「大和ちゃんは可愛いから……」と言った男性であるらしい。一体全体どういう了見だ。
 それはさておき、仮に大和ちゃんが貧窮に生まれ、艱難辛苦の末に成功を収める少女漫画のヒロインだとしたら、聖子ちゃんは大和ちゃんのライバルである傲岸不遜、高慢ちきなお嬢様の役に推したいと思う。
 そんな聖子ちゃんは、こつこつとHTMLプログラムを直書きしながらホームページを更新しているというのだ。どう考えても見た目のイメージと一致しない。演奏しているのは別人じゃないだろうかと疑っている。
 いつの日か彼女の楽屋にでも押しかけて、同一人物であることが判明したらこう言ってやろう。
「聖子ちゃんは美人だから、プログラミングが出来なくても、チェンバロが上手くならなくても、玉の輿に乗れるよ、きっと」
 あ、無理だな。言えるわけない。お嬢様の平手打ちが飛んできそうだ。

 

2005年1月27日(THU) 栄枯盛衰
 振り込め詐欺組織の捜査が進んで実体があらわになってくると、無駄の無い実に良く出来た会社組織の体制であることが理解できる。恐らくトヨタの看板方式なんかもどこかに取り入れているに違いない。良いものは良いということだろう。

 その振り込め詐欺、つまりオレオレ詐欺の先鞭を付けたのがタレントの坂東英二さんであることを知っている人も多いだろう。もちろん冗談で言っているわけだが、毎日放送のラジオ番組で、リスナーから寄せられた依頼をもとに、田舎のお婆ちゃんに電話をかけて、息子や娘の友達をかたって楽しい会話をするほのぼのとしたコーナーがあって、僕も好きで、よく聞いていたものだ。
 今もそのコーナーがあるのかどうか知らないが、さすがにこれだけオレオレの被害が広がっていると、「冗談です。坂東です」では済みそうにないからやっていないとは思うが。

 ラジオで思い出したけど、NHKのラジオ番組で、有名な料理研究家がレシピを公開して、リスナーからの質問を受けて答えていたのを思い出す。
 何の料理だったか忘れたが日本酒を使うもので、料理研究家が、「純米酒を加えて煮ます」と言ったら、リスナーから、「どうしても純米酒でなければならないのですか」という質問があって、かの料理の権威は、まるで自分のレシピに安物の酒を使うくらいなら作ってくれるな、みたいな回答をしていたのを思い出す。
 ことわっておかなければならないが、僕は決してグルメではない。それが証拠に、有機農法で育てたと書いてある少し値の張る春菊と、何も書いてない安いものを買って食べ比べても、さっぱり味の違いが分らなかった。
 そんな人間の言う事だから、いい加減に聞き逃してほしいが、それでも酒好きの一人としては、純米酒を料理に使ってくれるなと言いたい。なぜなら純米酒に熱を加えると、冷たいときにはナリを潜めていた嫌味やえぐ味が顔を出して来るからだ。「料理には安い酒の方が合うと思う」

 ご当地ラーメンで地域の活性化を図ろうという企画があちらこちらの自治体で行われているらしく、それはお上主導の下であったり、地元商店街の意気込みから発したものや、マスコミ(主にテレビ局)の思いつきだったりするらしい。
 その、「地域を活性化する」という趣旨自体は僕も賛成だが、版で押したように、「最高の職人が最高の食材で作った究極のラーメン」などと紹介しているのを見ると首を傾げたくなる。食べたことの無い僕が、やっかみ半分で言うのを許してもらえれば、「あんなものが美味いはずが無い」と思う。だからと言って、もちろんまずいはずも無かろうが。

 僕が言いたいのは、料理の味がそれぞれの食材の持つハーモニーであるなら、優れているからといって、強く個性を主張するものばかりで作ったって、決してうまくいくとは限らないということだ。
 4番バッターばかりのスター選手を集めた巨人軍が他球団の中に埋没してしまうのと同じことだと思う。
 振り込め詐欺集団の組織図を見るとその辺りのことが良く分かっているのではなかろうか。彼らが逮捕されて糾弾されるのは、法を犯したのは言うまでも無いが、システムに問題があったというよりも、「欲をかき過ぎる」という、人の根本的な弱さを克服できなかったからであるに違いない。

 

2005年1月26日(WED) 高く売れるなら
 昨年の春に愛媛を遍路したとき、ある篤志家に朝食のお接待を頂き、朝から大変なご馳走に舌鼓を打って、最後に出してもらったのが「蕎麦茶」だった。これが実に美味しいもので、緑茶が苦手な僕にはありがたかった。
 その後、兄が「韃靼蕎麦茶(だったんそばちゃ)」を近所の蕎麦屋さんに分けてもらって飲むようになったが、あの篤志家に頂いたのとよく似た味のように思える美味しいもので、友達に買ってあげていたらしい。

 正月に兄と会ったら、韃靼蕎麦茶の値段がいきなり3倍になったとかで、行きつけの蕎麦屋さんもお客さんにサービスで出しているのだから、とても割りに合わないので仕入れをやめたと云う。
 蕎麦茶ごときで何を大げさな、と思って気にも留めなかった僕だが、昨日コンビにでたまたま買ったお茶が、伊藤園の韃靼蕎麦茶だった。
(よく似た味だなぁ、これが香料を使っていないのなら、日本は相当な量の韃靼蕎麦を輸入しているんだろうな)

 どうして韃靼蕎麦茶の人気が沸騰したのだろう。みのもんたさんが取り上げたのかもしれないが、近頃ではあの番組の神通力も翳りが見えるらしいから、他の理由かもしれない。
 今のところ僕としては一向に痛痒を感じていないので、たまに伊藤園のものを飲んでいればそれでいいのだが、高血圧の兄の友達なんかは、かなり切実な問題であるらしい。
 日本の一時的なブームが原産地に取れ程の変革を強いているのかなんてさっぱり分らない僕だが、出来ることならミャンマーの山奥なんかでケシを栽培している所で、食用の蕎麦じゃなく、韃靼蕎麦の作付けを奨励してみたらいかがなものだろう。

 

2005年1月25日(TUE) 完結しなくてもいいから
 うちの団地のゴミ捨て場にパソコンが捨てられている。恐らく夜中に捨てに来たのに違いない。僕だってテレビを捨てたいのはやまやまだから、こういった抜け駆けは到底許しがたい。
「たとえ悪法であっても法は守らねばならぬ」といって殺されたソクラテスの言葉は、順法精神を説く為政者に利用価値の高い儒教思想と似ているように思うが、彼が偉人であるのは自らの思想を、自らの死を持って完結させた故であろう。

 友達にTELさんという、少しばかり小銭を貯めて調子に乗っている御仁がいる。たまに飲み代を奢ってもらったりしているので面と向っては言えない事だが、彼の私生活を見ていると、法律を遵守する精神のかけらも見出すことが出来ないのを知る。
 それなら、なぜこの世知辛い時代を小銭を稼ぎながら今に至ることが可能だったのかといえば、ほかでもない法を遵守しなかったからである。悪法に下手に従ったりすると、ソクラテスのような目に遭いかねないのだ。実体験から培った彼の哲学は時代に即していたと言えるだろう。
 だが彼が無頼の徒であるかと言えば決してそうではない。権威は否定しても、権力を否定するものではないし、官憲の手先を侮蔑したからといって、その力に屈するのを潔しとしないのでは決してなかったからだ。分りやすく言えば、「バレなければ何をやらかしてもいいが、叱られる事ならしない」という、皮相的には法に忠実に見える紛らわしい人なのである。

 アメリカでは、アフリカ系女性として初めて、ライス氏が国務長官を襲うらしい。明日どころか、今日の生活に窮乏している僕にとって、遠い異国の政界人事などどうでもいい事だが、あの人の高圧的な態度や、威圧的な眼差しを見ていると、背筋が寒くなる思いがする。
 世界の警察官を自認するアメリカの大統領ともなると、順法精神よりも神様との関係を重視するらしく、「世論なんぞ糞食らえ」ということだろうか。
 やりたい放題の、神様以外だれにも叱責されることのないアメリカ大統領の座にあって失政を続ける人物よりも、世界のどこからも後ろ盾が無く、孤軍奮闘している金正日の方が、まだしも立派に見えてきたりするのはどうしたことだろう。神様が鉄槌を下さないのなら、悪魔に拮抗してもらおうか。毒には毒を以って制するしかないのかもしれない。

 

2005年1月24日(MON) リサイクルにはいいみたい
 サントリーの「伊右衛門」というお茶が好評なのだとかで、知人がしきりに勧めるので買ったみて驚いた。いや、お茶の味がどうのこうのと言えるようなマニアでもないので、味のことではない。
 先ず一つ目、表示のどこにも「香料」の文字が見当たらないのはおかしい。ほとんどのお茶に香料が使われている中で、伊藤園は香料を入れていないのを売りにしているらしいが、サントリーが入れていないというのはのはどうも腑に落ちん。
 二つ目は、キャップを開封してボトルを口に当て傾けたら、一気に口に流れ込んできて、頬っぺたを伝って胸のあたりまでびしょ濡れになった。ボトルが軟らかく、わずかな力で一気飲みできるようだ。
 三つ目が一番驚いたのだが、ボトルの透明度が高く、撥水が良いということ。飲み終えて中を洗浄しても水滴が残りにくいので、乾燥させてリサイクルに出すのに具合が良い。

「このお茶のどこに人気があるの」
 勧める知人に聞いてみた。
「そりゃ、ネーミングとコマーシャルの上手さだろう。あ、それと販売力かな。日本のペプシはサントリーが製造販売して成功してるし」
 どうやら味はどうでも良いと言いたいようだが、決して悪いとは思えない。というより、お茶が苦手で、体調が優れない時に飲むと、気分が悪くなって頭痛がすることがある僕でも抵抗無く飲めた。
 お茶が苦手ということは、自ら進んでお茶葉を買うなんてことが無いわけだから、うちにあるお茶は全て会葬御礼で頂いたものだ。試しに「伊右衛門」さんと飲み比べてみると、やっぱり本物は頭がモヤモヤする感じがある。
 ペットボトルのお茶は、普段飲んでいる急須でいれたお茶の十分の一の濃さらしいから僕でも飲めるのだろう。お茶としてではなく、お茶に良く似たものと思って飲んでいる僕には伊右衛門でも、ドラエモンでもいいということか。

 

2005年1月23日(SUN) ありがとう笹娘
 一年間待ちに待った、奈良「大安寺」さんの光仁会(こうにんえ)笹酒祭りの日だ。本堂で癌封じの御祓いをしていただいて、昨年の写真展など観賞させていただき、着物姿のお嬢さん方から竹筒の燗酒を注いでいただく。これがたまらん。
 酒の燗自体は大鍋に一升瓶を空け、ガスで沸かしているもので、酒そのものも13度くらいの飲みやすいものだから、熱々をキュイ〜とやりたい僕には少し物足りないのだが、この酒がなんとも美味しいのだ。
 一緒に行ったTELさんと、彼の友達の奈美さんときたら、常連さんに勧められるままにペットボトルに詰めてもらっていたが、あんまりやりすぎじゃないかい。あれはお嬢様方に酌をしていただくからこの上も無く美味しいのであって、酒そのものを味わうものではないでしょう。などと言いながら、奈良名物の柿の葉すしを食べ、ペットボトルの酒を次から次へと空ける。
先ごろ御目出度い発表をなさいました、さる高貴なお方を髣髴させるお嬢様から注いでいただく笹酒は、えもいわれぬ芳醇なものなので御座います。
 このお祭りのすばらしいところは、次から次へとどなたかが話しかけてくるところで、とにかく飽きないのです。皆さん酒飲みという共通項があるからなのでしょう。
 よくよくお話を聞いてみると、驚いたことに癌を患った経験のある方がかなりおられて、「癌封じのお参りのおかげで今生きておれるんです」とおっしゃるのです。

 3時過ぎには皆すっかり出来上がってしまいまして、近鉄奈良駅まで歩いて帰りました。酔い覚めの良い酒なものですから、難波駅に着いた頃にはまた飲み直したくなり、場末の飲み屋でビールを頂きました。
 ここでもまた不届きな我々は大安寺さんの笹酒を取り出していただくのですが、思った通り、だだの水くさい燗冷ましに変身しているではありませんか。罰当たりなことを仕出かすもんじゃないですね。

 

2005年1月22日(SAT) 街が変わっていた
 通っているスポーツクラブをやめようというわけではないが、堺市の体育館でも同様のトレーニングが出来るらしいと聞いたので、先ずは利用許可を取るための基礎講座を受けようと、友達と出かけた。
 テキストを使っての基礎講座が1時間半ほどあったが、その内容は、地元の講師のおじさんの健康講座みたいな話だ。それでも知らない理論もかなりあって、ためになった。
 その後3時間の実技だが、トレーニングルームには、民間の施設で今は見ることが出来ない古ぅ〜いマシンが置いてある。やることは大して変わらないので、たまにはカルフールの駐車場に停め、体育館に来て使ってみるのもいいだろう。

 新しく出来たらしいショッピングモールの電気屋さんで、テレビを2台処分したい旨を伝えたら、1台あたり6000円、買い替えなら1台だけ引き取って4000円だとの事。ますます処分をするのが嫌になってきた。
 止む無く申し込みは後回しにして、「ウィルスセキュリティー」を買う。「ウィルスバスター」のライセンスが切れてしまったとはいっても、スパムメールやウィルス付きのメールは一切来なくなったので焦ることは無いが、必要不可欠なものなので買わざるを得まい。
 アンインストールしてレジストリーを削除したらもう一度使えるのかもしれないが、自分が著作権を主張する立場に立とうと思うなら、2000円程度のものを惜しんでいるわけにも行くまい。
 つまり、毎年5000円のノートンやトレンドマイクロ製を買っていたのに、ソースネクスト製の安物に乗り換えたということ。これで十分だと思っている。
 おそらく今年後半くらいから無料のウィルス対策ソフトが公開されると思っている。いやそう願っている。

 

2005年1月21日(FRI) 文化をもっと輸出しなさい
 スーパーで韓国産の「朴さんのキムチ」を買ったら、炭酸のようなピリピリした清涼感があってなかなか美味しいものだった。
 我々の年代で朴さんといえば、’79年に暗殺された韓国の大統領「朴正煕」(ぼくせいき、パクチョンヒ)を思い浮かべるが、日本人には軍人の強権政治をイメージする彼も、韓国では清貧で高潔な政治家、工業国としての礎をき築いた有能な大統領として評価が高いのだそうだ。
 本当かどうか知らないが、自宅の水洗トイレのタンクに一升瓶を入れて水を節約していたとか、暗殺されて初めて私財を持っていなかったのが判明したとも云われている。
 
 近頃の日本では北朝鮮問題に便乗しての改憲論を声高に叫ぶ政治家が幅を利かすようになったが、経団連まで改憲して武器輸出を解禁しようなどと言い出したのには開いた口が塞がらん。
 確かに日本製のハイテク兵器が輸出されたら売れるだろう。そうなったら、またバブル景気がやって来て、年金問題も解決するかも知れない。日本経済が回復するのは喜ばしいことだが、日本が輸出すべきは、他国で武力行使をしないという平和主義の思想であって、武器ではないと思っている。
 アメリカ経済が武器の押し売りに依存しているのかどうか知らないが、世界中で大儲けをしていると云われるブッシュファミリーも朴大統領の爪の垢でも煎じてあげたいと思う。
 いやそんなことより、パパブッシュが顧問を務める軍需企業の輸出した武器で攻撃されているのだとしたら、アメリカ兵もたまったもんじゃない。
 だから日本が北朝鮮に他国を経由して武器を売り、その武器で自衛隊員が攻撃されるような理不尽だけは避けてもらいたい。

 NHKで放送している「大長今(偉大なチャングム)」は台湾でも再放送されて大人気らしく、ドイツでも放送されるらしい。韓国にはチャングムのテーマパークまであるらしいから、その人気ぶりと映画にかける韓国政府の意気込みが伺えるというものだ。
 ところで、「チャングムの誓い」の時代には唐辛子で漬けるキムチはまだ無かったらしい。だからドラマに触発されてキムチを買ったわけではないと思っているのだが、無意識のうちに影響されているかもしれない。
 韓国の輸出するドラマや映画を、キムチを食べながら観ていると「嫌韓反日」も遠い昔のことのように思えてくる。
 日本にだってアダルトビデオみたいな優れた頽廃文化があるのだから、政府主導の下に今よりもどんどん輸出して、世界を骨抜きにしてあげたらどうかと思ってみるが、いかがだろう。
 毎日辛いキムチを食べ続けたために、少しばかり、いや、かなりお尻に異変を感じる頭で思いついた事である。

 

2005年1月20日(THU) もう十分だろう
 携帯が調子悪い。使わなくても3日に1回充電しなくてはならなくなったし、ちょっと長い通話をしたら最後、その都度充電しないといけない。
 そもそも、この携帯は買った時から調子が悪かった。薄くなったのは良かったが、文字の入力が遅くなったし電池の消耗が早い。
 いつぞやゴルフに行く途中の山道で迷って携帯を取り出したら、手がやけどするかと思うほど熱くなっていて、電池はゼロ。受信送信の履歴なんかもすっ飛んでいて、全てがリセットされている。充電を試みたが受け付けてくれない。
 そうこうしているうちに、ますます道が分らなくなってしまった。うろうろしている間に、早めに家を出たアドヴァンテージも失せた。このままでは間違いなくゴルフに遅れる。連絡もせずに遅れたらスタートは待ってくれないだろう。そうなると、午後からハーフだけを回るということになるのだろうか。仮にそうなっても料金を半分に値引きしてもらえるとは思えない。
(こんな田舎まで高速を運転してきて大損じゃないか。いや、そんなことより一緒にプレーする三人に迷惑をかけるのは心苦しい。今来た道を戻ろう。間違えたところからやり直すのが最善だ)
 舗装の途切れた所まで来て、やっと自分の置かれた立場が理解できるという愚かしさを嘆きながら、ふと燃料計を見るとアラームが点灯している。
(いつからこれが点いているんだろう。点灯して直ぐなら10L近く残っているはずだから、少なく見積もっても50kmは走れるが、メーターはEをかなり通り越しているじゃないか)
 ゴルフどころか無事にこの未踏の地から生還することが出来るのかどうかさえ怪しくなってきたのを知って僕は青ざめた。
 車を停めて冷や汗を拭いながら善後策を考えていると、汗が出るのは携帯がエアコンの噴出し口を塞いでいるからだと気がついた。本来は飲み物を冷やしておくフォルダーに携帯を置いていたのだ。
(あ、冷たいぞ、ひょっとして充電を受け付けないのは温度センサーが効いているからかも知れんな)
 携帯を手に取ると、さっきまであんなに熱かったのに今はひんやりしている。アダプターを差し込むとピッと音がして息を吹き返した。
(やった。これでオレは助かったぞ)
 出張旅費の駐車場料金をごまかしたのや、接待費で自分たちが飲み食いしたのが会社にばれなかった事なんかよりも、これはずっと嬉しかった。
 すぐさま一人目のメンバーに電話したが出ない。もう既にゴルフ場のロッカールームに携帯を置いているのだろうか。二人目も圏外になっている。三人目は、なんと携帯を持たない人だから話にならん。
(これまでか。もう絶対に間に合わんな。このまま『腹が痛くなった』とでも言い訳して家に帰るとするか)
「今どこ?待ってるからおいでや」
 絶望しているところへ携帯が鳴って、出ると一人目だった。
 電話でナビゲートしてもらいながら、ぎりぎりでゴルフ場に着くことが出来た。その日のスコアは散々だったが、携帯に怒りをぶつける気にはならなかった。むしろ人の優しさと携帯の利便性に頭が上がらない思いだった。
 メーカーに修理に出すと無償で新品になって帰ってきた。欠陥があるらしく、リコールの対象になっていたらしい。あれから2年も使い続けてきたが、もうそろそろ休ませてやろうかと思っている。

 

2005年1月19日(WED) シミュレート出来るのなら
 我々の世代が初めて体験したコンピュータゲームといえば「インベーダー」だと思う。それ以前にも何かあったのだろうが、僕は憶えていない。だれもが一度は見たことがあるだろうし、遊んだことのある、シューティングゲームの傑作といって良いだろう。
 その後テトリスやマリオとかを経てRPG全盛になったと記憶している。知っているのはそれくらい。つまり僕はコンピュータゲームのことはほとんど何も知らない人間だと言っているのと同じ意味である。

 ゲームが嫌いじゃないし、パチンコなんかも人並みにはやったが、ゲームをやると熱くなるタイプなので、金をかけるものはしないと心に決めてある。将棋もするが、あれは麻雀と違って金をかけなくてもスリリングで知的向上心を満足させてくれるところがある。
 それにひきかえ、コンピュータゲームというのは面白くて熱くはなれるが、ドラクエなんかを解決したからといって実生活の問題が解決できる訳でもないので、自己満足との相殺に時間を浪費するのが我慢ならない。

 一頃ラジコンヘリコプターに没頭していたことがあって、相当な金額をつぎ込んだが、今までに5機製作して、跡形もなく壊れてしまったのはその内の2機。現役で動くものは2機ある。
 実はラジコンヘリコプターの操縦というのはかなり難しいものなので、ちょっとばかりの曲技飛行が出来るようになるまでに普通乗用車一台分の金がかかった人の話はざらにある。
 そんな難しいものをやろうと思い立ったのは、コンピュータのフライトシミュレータが発売されたと聞いたからで、もしあれがなかったら決して手を染めたりはしなかったろう。2000年当時シミュレータソフトが4万円。それを動かすパソコンを組み立てたら30万円くらいかかった。
 翌年プレステONE用のラジコンヘリゲームが発売されて、1500円。性能はかなり違うが、今僕が愛用しているのはこのゲーム機用の方だ。

 アメリカで問題になっているゲームの一つに、ケネディ大統領の暗殺をシミュレートするものがあるのだそうだ。ちょっと見る限りでは相当リアルな印象を受けた。あれほど完成度の高いものなら、アルカイダのテロリスト連中がテロ攻撃の練習に使っていても不思議じゃないような気がしてくる。
 ということはゲームだって立派に実生活の役立つということか。ドラクエだって詳しくなれば友達に自慢できるし、ゲームのプロという職業があってそれを正業にしている方もおられると聞く。
 現代に生きる若者にとってビデオゲームは、もはや自転車に乗るよりも日常的なことなのだろう。
 その日常的なゲームの中に、「恋愛シミュレータ」といったものがあると聞く。あれは現実からの逃避のためのものだろうと思っていたが、もし実生活に役に立つものなら、あれをやったら、ラジコンヘリが飛ばせるようになるみたいに、彼女がゲット出来るんだったらやってみたいとは思う。

 

2005年1月18日(TUE) 男子たるもの
 童話教室の先生は、自著が漫画化されるとかで、いつも忙しい上に更に忙しくなったらしい。あれほどのバイタリティーをいったいどこに秘めているのか不思議で仕方がない。教室に勧誘された時も忙しい間を縫ってメールを下さっていたようだ。もっとも職業柄、それほどの計算などしなくても人を篭絡するなんて朝飯前のことだろうが、それにしても言葉巧みに勧誘されたものだった。

 少し前のことになるが、ダンス教室を主宰している先生と話をする機会があった。僕よりは少し年が上だろうが、恐らく年齢よりは若く見えているに違いないと思う。この先生も職業柄といって良いのかどうか、すばらしいプロポーションをしている。
「ダンスを習ったことがあるんでしたら、是非私の教室に見学に来てください。楽しいですよ」
 ショットバーのカウンターの上に、たわわな胸を休めるように投げ出して、教室に誘ってくださる。
(童話の先生には巧みな言葉でそそのかされたが、こちらはあからさまに肉体派だな。体を張って勧誘してくださるじゃないか)
 危ない危ない、もっと根気よくあの調子で誘われたらどうなっていたことだろう。もしも童話教室よりも前に誘われていたらふらふらとダンス教室の門をくぐっていたに違いない。

「社交ダンスというのは助平な男女がくっ付く名目に使うものだ」
 と言ったのは僕のバイオリンの先生だが、まぁ、当らずとも遠からずに違いないと踏んでいる。
 ダンスの先生のおっしゃるように社交ダンスにスポーツとか芸術を追及する喜びを見出して教室に通っている方がどれ程おられるだろうか。僕がこの先どれ程努力しても、恐らくは「下手の横好きの助平男」以上のモノになりそうもないので丁重にお断りした。

「子供に生まれた方ならどなたでも童話が書けます。子供だった頃を思い出せばみんな童話作家です」
 童話教室の合言葉だが、男に生まれたならだれでも社交ダンスは興味があるだろう。子供の頃のフォークダンスで女の子と手を繋いだ時の心のときめきは今でも忘れるものではない。かつて男だったことがある人なら一度は社交ダンス教室に通ってみるのも良いのかもしれない。

 

2005年1月17日(MON) 止まり続けるということ
 図らずも午前4時に目が覚めた。10年前のあの日、堺市でも激しく揺れたから、被災者でもないのに僕も心のどこかで不安を抱えているのかもしれない。布団にくるまってあのときを待つ。
 5時46分。地震発生の時刻を指したままで止まった時計がテレビに映し出されている。当然といえばそうだが、何も起こらなかった。ノストラダムスの大予言を信じてワクワク、いやビクビクしながら1999年の7の月を待っていたような単細胞の僕もさすがに胸をなでおろした。

「腕時計が11時40分で止まって、文字盤が割れているから、多分この時間にUFOに連れ去られたんやろなぁ」
 自転車で転んだ友達は往生際の悪いこともはなはだしいが、物持ちの良い人だから、壊れたからといってそう簡単に捨てることもないだろう。だから時計を見るたびに今も、この先ずっと悔恨の年に苛まれるに違いない。それが証拠に飲みに誘っても応じてくれない。
 痛い思いをして学習能力を身に付けた彼の体験は一ヶ月もすると他人からは綺麗に忘れ去られるだろう、が震災の時計は今後100年間は止まり続けるだろうし、忘れるわけにはいかない。

 

2005年1月16日(SUN) 鎮魂
 一枚だけ転居先不明で年賀状が帰ってきた。嫌な予感がして知人の消息を尋ねてみると、古いアパートをマンションにでも建て替えるのか、急な引越しを余儀なくされたらしい。
 いくらなんでもいきなり無理難題を、長年付き合った大家さんが申し出てくるとも思えないから、大げさなことを吹聴しているか、やくざな地上げ屋に「近隣対策」の名の下、気の弱そうな入居者は脅しをかけられ、ごねる者は、「お宅だけ多く差し上げますから内緒にしてください」とか何とか、言葉巧みに小銭を掴まされて放り出されたのかもしれない。
 売買契約が成立すると連中は仕事が速いので、家賃を滞納したり部屋を改造したりしていると、それを理由に損害賠償みたいな話をにおわせてチャッチャと追い出すらしい。その道のプロなんだから、きっとあらがうのも大変なことなのだろう。

 誰一人として知人の部屋に立ち入った者がいないので想像するしかないが、彼は独身である上に物に執着が無い人で、エアコンなんてパチンコ屋で涼んでいれば良いのだから必要ないし、テレビもカチャカチャ回すダイヤル式チャンネルのを使っていたと聞いている。
 だから考えられる大きいものといえば独身用の小型冷蔵庫くらいだろうが、中身は缶ビールが2、3本入っているだけだろう。
 今の季節の必需と言えば暖房器具と布団だが、それも炬燵と兼用になっていると想像する。
 まあ、ゴミはそこそこ溜まっているに違いない。漫画本とかスポーツ新聞やパチンコ専門誌。ビールの空き缶にカップラーメンの空き容器。おお、ワープロやパソコンも使っていたのを忘れていた。もしあるとしたらラジカセ1台。エロビデオなんかあるはずもない。
 羨ましいくらいに物が無いから、引越しといっても軽トラックに余裕をもって済ませることができるんじゃないだろうか。すると気になるとすれば押入れに勝手に棲みついていたらしい野良猫一家のことだけだ。連中も暖かいところからいきなり立ち退きを迫られて、この寒空の下を路頭に迷わないことを祈るばかりだ。

 10年前に被災した兄は、当時ガラクタの宝庫に住んでいたが、アパートは持ちこたえたものの、大事にしていたガラクタが部屋ごと瓦礫に変わってしまったので、結局復旧させることが叶わず、取り壊しの時に一緒に処分してもらったらしい。もちろん兄にしてみれば宝物を奪われたのだから、無念は察するに余りある。
 実は兄のアパートも猫に棲みつかれていたのだが、避難生活を強いられているうちに、どちらが主であるか定かでなくなったらしい。その猫たちもアパートの取り壊しで立ち退きを強いられた。

 阪神大震災の死者6433人の冥福を祈りたいが、人と共に犠牲になった犬や猫たちの数も決して少なくないと聞いている。彼等の鎮魂もまた忘れることはできない。

 

2005年1月15日(SAT) だれしも心穏やかならず
「こぅらぁ、場末のひょうたん、店を開けんか!ってゆーよりマイGORO返せ」
 朝まで飲み回って自転車で帰ろうとしたら、「店に置いておけ、車で送ってあげるから」と言われ、嫌な予感がするので一旦は断ったものの熱心に勧めてくれるので大人しく従ったらこれだ。開店しないことには電話も取らない人だから往生するのである。
 
 明後日で阪神淡路大震災からもう10年になるのか。確か10年前の1月17日も月曜日だったはず。というのも前日の夜、僕は親戚の家で、放って置いても崩れてしまいそうな兄の住んでいるボロアパートの話題を肴に飲んでいた。
「この前の粗大ゴミの日に兄貴が何か捨てに行ったらしいけど、面白いものが捨てられていたとかで拾ってきたらしいんです。そんなことやってるから粗大ゴミの日の度にだんだん物が増えて、今じゃ、粗大ゴミの管理人みたいな暮らしぶりですわ。どのみち瓦礫とかわらんのですから、いっそのこと地震でも起きて崩れたらすっきりしてええんですがね。ワハハ」
 そんな意地の悪い会話で盛り上がっていたら、翌日あの惨劇である。さすがの僕も、「あんなこと言わなければ良かったのに」と後悔したものだった。
 もちろん「幸いにも」と形容すべきだろうが、兄のボロアパートは倒壊を免れ、粗大ゴミの下敷きになった兄にも怪我がなかったのは奇跡的だった。
 翌日から兄は被災者と呼ばれるようになり、施しを受ける立場になった。日頃「健常者」と呼ばれてはいるものの、その実は「災害弱者」であることが露呈して以降、震災のトラウマもあってか、兄は今もってなお精神的被災者であり続けている。

 場末の飲み屋ひょうたんの二階はマスターの住居になっていて、立派な仏壇のお母さんの位牌の前には毎日マスターが閼伽を汲んでいる。本棚にはぎっしりと美空ひばりのビデオが所蔵されていて、心が被災すると「ひばり」に逃避する。愛用のトランペットには緑青が浮き、トランペッターとしてのありし日、栄光の日々を懐かしんでは枕を濡らしているのだ。

 おいおいマスター。この先何月まで引き篭もるつもりだぁ、頼むから店を開けてくれ。GOROが無いと飲みに行けんがな。

 

2005年1月14日(FRI) 理由(わけ)あってカナディアン
 あれは○○年の○月の出来事だった。つまり何年前の何月のことだったのかさっぱり記憶に無いという意味なのだ。雪が降っていて相当積もっていたと記憶しているから冬だったのは間違いない。
 滋賀県の豪雪地帯に嫁いだ姉の家が、近所の失火で全焼したという知らせを受けて親戚連中が後片付けとか、一時的な引越しの手伝いに馳せ参じたことがあった。夜中の出来事であったにもかかわらず、間一髪のところで人命が損なわれることが無かったのは幸いだった。
 車に救援物資を積んで現地に着いてみると、仁徳のなせる業であろうか、仮住まいの屋敷の方にはすでに山のような見舞いの品が届けられている。
「これは焼け太ったな」
 惨劇の直後であるというのに、不謹慎な邪推をしている自分を恥じるのは、今だから出来ることである。
 カナディアンウィスキーのクラウンローヤル。酒税法の改正もあって、43度のはずが、40度の日本向けに瓶詰めされて、1700円。
 ジョニ黒が2000円あまり、ジョニ赤が1000円ほどで買える昨今だが、当時はかなり値の張る品だった。
 雪の舞う中の作業は、瀬戸内の温暖な冬しか知らない僕には思いのほか厳しいものだった。体が芯から冷え切っていくら動いていても温まる気がしなかった。
 作業を終えた夜。どこで風呂に入ったのか、どんなものを食べたのか全く記憶が無い。ただ一つだけ記憶にあるのは、今は亡き当家の主であった酒好きのお父さんが出してくれた、自分の愛飲しているウィスキーだった。
 当時サントリーレッドをコーラで割って飲んでいるか、余程お金があったときにサントリー角瓶を買って飲んでいたような僕にとって、これは相当美味しいものでとてもありがたかった。
 謹厳実直を絵に描いたようなお父さんと、吹雪く夜に一体何を語り合って酒を酌み交わしたのだろうか。顔もおぼろげになってしまった今となっては栓無いことだが、時には思い出してみたくなる。

 

2005年1月13日(THU) 新春事始め
 今年初めての童話教室で裸身を曝してきた。僕としては未だにただの一作も提出してないので、肩身の狭い思いをしながらの2時間だった。
 昨年に応募したグループ賞で次点に終わり、悔しい思いの教室の皆さんは、今年こそは個人での入選を目指して創作に邁進しようと誓うのである。
「勝ち取るぞ入選。目指せ印税生活」をスローガンに掲げ、日の丸も鮮やかな鉢巻をきりりと絞めた、モンペに割烹着姿のご婦人達の輪に加わって、僕もシュプレヒコール繰り返しての気勢を揚げる事始めだった。
 嘘です。真っ赤な嘘です。そんな決起集会みたいな野蛮な真似はしません。ティーブレイクに「えべっさん」で求めてきた招福飴をいただきながら、厳かに誓いがたてられというのが真相です。

 教室を後にして、友達に只情報を教えてあげようと飲み屋で待ち合わせをしたら、顔面創痍の風体で現れた。
「新年会の帰り道で自転車をこいでいたら、未確認飛行物体が現れて停止を命じるやん。それから宇宙船の中に連れて行かれてな、気がついたらこの有様やねん」
「はぁ、つまり自転車で転んだらしいけど、酔っ払っていたので何の記憶も無いということですね」
 催眠術よろしく、記憶の糸を手繰ってあげようと色々聞いていくと、二次会でスナックへと繰り出したところまでは思い出したようだった。
「その人ゆーたらな、私に抱きついて離さへんかってんでぇ」
 人の記憶が無いのをいいことに、聞き耳をたてていたママさんが、真偽の定かでない自慢めいた話をでっち上げるが、他の連中も記憶が無いのだから証人としては全くの役立たずだ。
 これをきっかけに彼は再び記憶喪失の闇へと迷い込んだ。早い話が思い出したくない事件だったらしい。

 場末の飲み屋を超然した「ひょうたん屋」は例年であると春節、つまり旧暦の1月1日までは開店しないとしたものだ。今年の春節は新暦の2月9日らしいが、その頃に少しの期間に亘り開店したと思うと再び冬眠に入って、おもむろに啓蟄を迎える新緑の季節に芽吹く、といった長年の慣習を破り、今年は世間並みに5日が仕事始めだったと聞く。
 昨年から今年にかけての世界的な天変地異に連動しているのか、マスターの体内時計にも異変をきたしているようで、この調子でいくと遠からず体を壊すに違いない。

 久しぶりに場末の立ち飲みひょうたんに顔を出すと、人の時間を糧にする悪魔どもに取り囲まれた。言うに事欠いて新春うどん屋探訪とは何事か。断酒していたはずだったのに、新春飲み会だとか新春初対局とか、何にでも新春を付けりゃ良いってもんじゃないだろう。結局連中の餌食にされて朝まで飲みまわってしまった。
 童話を書き上げるには、先ずこの悪魔どもと、我が内に巣食う妖怪を退治せねばなるまい。

 

2005年1月12日(WED) 告白
 日本薬剤師会によると、薬剤師における男女比はおよそ6対4以上で女性が多いのだそうだ。この比率は歯科衛生士とか、看護婦(あえて言うが)といった女性であるのが当たり前といわれてきた職業は例外として、男女同権のあるべき姿を最も端的に証明して見せてくれる職種であることを示唆しているのではなかろうか。
 それが証拠に、「女教師の甘い誘惑。女医の告白」といったある種の小説にかつて見られたような「女」がキーワードになるタイトルが、薬剤師に冠されることが無いのを見ても納得できる。

「こんな事実をもっと早くに知っていたら、僕も薬剤師を目指したであろうに。もしも僕が薬剤師になっていたなら、きっと今頃はモテモテだったに違いない」
 あらぬことを夢想するが、甘い人生設計の誘惑にかられて、男としての魅力を欠いた僕のような者が、仮に9対1の比率で女性ばかりのコミュニティに属したところで、男扱いされないのに決まっている。
 いやそれどころか、男扱いされないということは、すなわち女性でもないということだから、これはもう人間扱いをしてもらえるかどうかの瀬戸際に立たされることを覚悟しておかねばなるまい。
 薬剤師の社会が女系社会であり、重要な地位についている女性も少ないということになれば、強大な権力を我が物にした女性薬局長の下にひざまずいて鞭打たれ(決して願望ではない)、男としてどころか人間としての尊厳さえも踏みにじられる己が姿を想像するだに恐ろしい。

 僕の体の不調つまり、不安、動悸、息切れといった諸症状を検証していくと、童話教室の前に発症することを突き止めた。
 著名な先生であるとはいえ、お師匠様は決して鬼のような形相をして叱責するわけではないし、僅かに残る男としての僕のプライドを毀損するなんてことはまして無い。
 そんなことをよくよく考えてみると、童話を書くということは自分を曝け出すことに似ている作業かもしれないということに気がついた。
「それなら日記で毎日自分を曝け出しては、被虐の喜びに浸っているではないか」
 あるいはそんな誤解をなさっている方がおられるかもしれないが、日記というものは同じ裸になるにしても、銭湯に入るのと同じことで、「今から脱ぎます」と宣言したところでだれも驚きはしないだろう。
 ところが、もし裸になるべきでないところで脱げと言われたら、例えば、「パンツいっちょうでデパートをうろつけ」と言われたら(決してそんな趣味は持ってない)100万円やると言われても、少しだけ悩んで断固拒絶するだろう。
 僕にとって童話を書くということはそういうものなのである。だから恐ろしい悪夢をみてうなされるのもしばらくの間はやむを得まい。
「恥ずかしいということは、すなわち気持ちがいいということです」
 そう語った、ある趣味の人の言葉を理解できるようになるまで、僕は月二回皆様の前に醜い裸体を晒すために教室へ出かける。

 

2005年1月11日(TUE) 下半身にわだかまりがぁ!
 「どうやらまた尿酸値が高くなったのだろうか」
 年末に断酒したのは右足全体に痺れを感じて危機感をもったからで、そのご利益かどうか定かではないまま痺れは取れたのだが、股関節にわだかまりのようなものが残った。
 右の股関節に違和感を感じたのは、平成15年に職を辞する半年前のことだった。
「普通に歩くだけでこの状態なのに、遍路なんか出来るんだろうか」
 心配になって近所の整形外科に行ったら、「MRIを撮影して来てくれ」と言われ、大きな病院を紹介された。
 予約を取って大病院に行くと、ドーム状の装置に死体のように横たわらされ、外側からドンドコと太鼓を鳴らされて40分。始めのうちは気分が悪かったが、そのうちに慣れて眠たくなったころに装置から引っ張り出された。あれは寝入りばなを起こされたみたいに朦朧とする不愉快な機械だ。
 検査結果を翌日近所の病院にもって行ったら骨が磨り減っていると言われたが、加齢によるもので普通なのだそうだ。治療と称してシップ薬を貰ったが、どの部位に施していいものやら分らない。
「HALの奴、病院のはしごをするほど容態が悪いらしい」
 都合三日間会社を休む羽目になたものだから、会社の連中が僕を葬り去ろうとするかのような良からぬ噂を囁いていたらしい。あの診察で気休めにはなったが、結局なにも解決せず今に至っている。
 痛いわけではないが、何か張りとか腫れのような重い感じが常にあってすっきりしない。トレーニングのやりすぎかとも思うので、しばらく様子を見てからウェイトトレーニングの講習会に出てみようと思っている。

 

2005年1月10日(MON) 願いは聞き入れられたが
「叩け、されば開かれん。求めよ、さらば与えられん」
 聖書にあるとおり、願えば叶うもののようである。遂に、「テレビをやるから取りに来い」という御仁が現れたのだ。今僕の車には23インチくらいの旧式テレビデオが1台乗ったままになっている。
 一日も早く調子が悪い今のテレビを廃棄して入れ替えたいのだが、廃棄処分費用として大きさに関係なく、1台当り3000円必要なのだそうだ。廃棄したいのは2台だし、テレビを買い換える店に引き取ってもらうように堺市は云うが、買い換えるのでない場合はいったいどうすりゃいいんだ。

 堺市発行の「粗大ゴミ出し方マニュアル」を見ていると、消火器や薬品などの有害物質とかピアノも収集してくれないらしい。なんだか僕が沢山持っているものばかりのような気がする。
 20cm以上の将棋版の処理費用は400円。
 これなら僕が引き取ってもいいぞ。
 自転車なら800円。
 駅前に鍵をかけずに置いていたら勝手に盗んで行ってくれそうだ。
 草刈り機400円。
 これなら400円僕が払って引き取ってやってもいいぞ。
 上記はほんの一例で、事細かく単価が決められている。色々と思いを巡らしていると、僕が引越しする時にはかなりな借金が出来そうな気がしてきたので、考えるのをやめた。

 そうかそれで分ったぞ。テレビをくれたのも、きっと処分に困ってのことだろう。球面ブラウン管だったから結構古いものに違いない。まぁ、今のよりよく映ればいいのだからありがたく頂いておくが、山中に捨てに行く人の気持ちがちょっとだけ分る気がする。世の中うまい話は転がっていないということか。

 

2005年1月9日(SUN) 復旧祈願
 昨年グアムに行った時の旅行社から旅行カタログの小冊子が、頼んだわけでもないのに届いた。この先旅行どころじゃない僕なので、すぐさまゴミ箱に放り込んではみたがちょっと気になったので開いてみた。
 「チェンマイ・プーケット島・バンコク8日間の旅。84800円」とあるから、もちろん地震津波被害の前の企画なのだろう。
 
 一方国内旅行に目を向けると、「大人気日帰りプラン:京都嵐山温泉、昼食+入浴+お部屋で、お一人様5500円。大浴場、露天風呂、駐車場無料の温泉ときたらこれは格安なのかも知れん。
 「安かろう、よろしかろう」の友達に早速メールしてやったら、「昔、仕事中に女連れでよく利用してたよ」と返ってきた。
(そうだったのか。知らなかったのはオレだけだったのか。この『お部屋』というのはそうゆー意味だったのか)
 後はカニずくしの企画が満載されているが、これには食指が動かない。カニを好きでないのもあるが、そればかりではない。
「旅館の安い料理はな、足の取れた格安のカニを仕入れてな、他のカニの足をアロンアルファでくっ付けるんやでぇ。味はかわらんと思うけどな」
 カニ所出身の知人が、美味いカニを食ってきた方の自慢話に水を差しているのを聞いてますます嫌になった。
 そうなると現地の人がその日に採ってきた海の幸しか信用ならんということになるが、うちの田舎のアサリは中国から推貝を輸入してばら撒いたのが大きくなったものだというから、世の中一体何が本当で何が嘘なのかわかりゃしない。

 真贋といえばバイオリンということになるが、世界最大の楽器メーカーが数年前に発売を始めたバイオリンも、パーツを中国で作って日本で組み立てているか、それとも調整だけしているんじゃないかと邪推したりしてしまう。
 「そんなに他人のことが信用できないなら、自分でイタリアやドイツに出かけて行って、直接職人さんの手から買い付けて来い」
 良識ある方からお叱りを受けそうだが、そんなマニアック過ぎるツアーなんていくら探しても見つからない。
 東南アジアの観光が津波被害で不可能になったというなら、旅行社もそんな企画を立ててみてもいいんじゃないかと思うが、それにしても、「北方のバラ・東洋の真珠・天使の都」と呼ばれたインド洋津波の被災地が元の美しい観光地に戻るのはいつのことだろう。
 阪神大震災からまもなく10年。神戸の町は以前にも増して美しく変貌を遂げる事が出来たのだから、あのインド洋沿岸の被災地もやがてはなお一層美しい姿を取り戻すことが出来るに違いないし、そう祈っている。

 

2005年1月8日(SAT) 檀って「マユミ」と読むらしい
 お笑い芸人みたいに話の上手いプロゴルファーの丸山選手と、実業家然としたヤンキースの松井選手の、ジャンルは違えど同じアメリカで活躍するプロスポーツ選手である二人にNHKが新春対談させたのは成功だったろう。
 もしあれが野茂投手とイチロー選手だったらどうなっただろうかと思うが、そんな対談は現実味に欠けるんじゃないだろうか。同じ業界人とはいえあの二人だけで会話が続くなんてちょっと想像し難い。
 軽妙でユーモアに富んだ丸山選手と、気配りに長けた松井選手だから、実に興味深い話が聞けたのだと思う。

 松井選手が日本にいたころ使用していたのは「青タモ」という木で作ったバットだったが、大リーガー投手の剛速球を打つには、「しなり」過ぎるので「白トネリコ」のバットを使ってみたら硬すぎた。試行錯誤の末に「カエデ」で作ってみたらピッタリ来たという。
 彼のバットは美津濃の職人さんが一人で削りだしているのだと聞くが、恐らく涙ぐましい努力をしているに違いなかろう。
 実は僕が、「あれ?」と思ったのは、これを聞いた丸山選手の反応で、彼がバットもゴルフクラブと同じように「しなる」ことを知らないはずがないし、ましてゴルフクラブの1番ウッドが、昔は北米産の「パーシモン」と呼ばれる柿の木で作られていて、その代用がパーシモンより安価で木目のはっきり出る「青タモ」だったのを、いくら「メタルウッド」世代の若い彼でも知らないはずが無い。

 今から10年近く前の話だが、一人のアメリカ人のトレジャーハンターが志半ばにして挫折。郷里の五大湖の一つ、「オンタリオ湖」に潜っていて、輸送途中に沈んで見捨てられた原生林を発見した。
 その中には「くるみ」、「カエデ」などの高級家具に使われる木が大量にあって、見捨てられていたそれらを引き上げて大儲けしたのだそうだ。
 「カエデ」といえばバイオリンの裏板。100年以上も水に浸かっていたものを、更に10年も乾燥させたなら最高級バイオリン用材だろうということで削られたと聞くが、バイオリンにそんな宣伝文句は聞いたことが無いところをみると、大したことが無かったのだろうか。

 松井選手、お願いだからただでさえ少ないバイオリン用のメープルを消耗しないで下さいな。最近じゃ、バイオリン製作技術も材料も、安いものはほとんど中国産に頼っているんだから。
 あ、これが結構良く鳴るんだよなぁ。でも買うならやはり日本人の新作バイオリンだな。

 

2005年1月日7(FRI) 新年の誓い
 アルコールというのはストレートなカロリーらしいから、たとえ日本酒やカクテルのように甘くないものであっても酒は酒。飲みすぎは穀類を食べ過ぎているのと同じことで、脂肪を燃焼させる前にアルコールのカロリーを燃焼させきることが出来なくて太ることになるのだそうだ。
 それなら昨年の断酒でかなり痩せることが出来たはずなのに、さっぱり体重に変化が無い。その逆に、正月には暴飲暴食、4食昼寝付きをやったのだからさぞ太ったかと思えばさにあらず。年末の体重と比べてもほとんど変化が無い。
 カロリーと体重と運動量の相関関係というのは急激に変化を確認できるものでもないらしい。
 ただ、1週間の断酒でひとつ気がついたことがある。それは酒を断つとすぐに肌がカサカサになるということ。寝不足になるからだろうと思っていたのだが、普通に眠れるようになっても改善することは無かった。
 やがて正月に日本酒、ビール、ワイン、酎ハイ、ウィスキーと、入手可能だったアルコールの全てを摂取していると、もちろん良く眠れたせいもあるかもしれないが、同時に肌が油ギッシュになり、張りが出てきたように思う。
 
 ジェット旅客機のアフターバーナーが離陸中に消え、失速して僕の方に向って墜落してきて、「ああ、これはオレも助からんな」と思って目が覚める。
 搭乗した潜水艦が浮上できなくなって、どんどんと深海に沈んでいって、遂には圧壊深度に達して、「運命共同体だな」と諦めたところで目が覚める。
 年が明けて、新年会の魔の手から懸命に逃げているせいか、年末とは一味違う悪夢を見るようになった。
 胃や腸のみならず、一切の体調が悪くなったので、もう一度断酒を始めようと思っていた矢先だというのに、新年会なんかで元の木阿弥になるのもまずかろう。
 とりあえず酒はワイン1本に抑えておいて、少づつ減らしていこうかと思うが、上手くいくのだろうか。今は肌に張りが出ているというよりも、むくみが出ていると表現した方が正確かも知れない。

 

2005年1月6日(TEU) バイオリンのたたり
 昨年末からあごの関節の調子が悪く、固いものが噛み難くて仕方が無かったが、原因がさっぱり分らなかった。断酒していたのだから酒を飲みすぎて大口を開けて眠っていておかしくなったとも考えられない。せっかく母が腕をふるってくれた正月の手料理も楽しみが半減してしまった。
 
 大阪に帰ってみると、年末にサンタさんにおねだりしておいたバイオリンのプレゼントが実現しなかった代わりに、バイオリンショップから年賀状が届いていた。
 このショップにはもう5年以上も顔を出していないし、過去の賀状を調べても1度頂いたことがあるだけだった。何で今頃思い出したように来るのか不思議だ。
 文面には美しいバイオリンが印刷されている。ニコロ・アマティ、1640年。
(こんな、値段を聞いたら開いた口がふさがらなくなるバイオリンがオレに買える訳無いだろう。もうちょっと身近なモラッシとか、ビソロッティのような現代の名工と呼ばれる方の作品であれば、あるいは手が出るかもしれんのに)
 そんなことを考えてはみるが、いくら名人でも年には勝てないとみえて、モラッシの近年作にはかなり失望させられたことがある。それこそ、「えぇ!これがモラッシィ?」と開いた口が……。
 ようやく気がついた。年末にバイオリンの弦を張り替えたりして3時間ほどあごの下に挟んでいたんじゃないか。それでも、かつてこんなことであごを傷めた事なんかなかったのに。誰しも寄る年波には勝てんという事か。

 

2005年1月5日(WED) 高性能なものは美しい
 第二次世界大戦マニアというのが世界中におられるのだそうで、先日遊びに来た元自衛隊員の兄の友達も大いに関心があるらしかった。
 断わるまでも無いが、再び大東亜共栄圏の確立を目指そうと目論む連中のことではなく、先の大戦に散った幾千万の同胞のみならず、敵味方全ての犠牲者を悼むという意味であったり、殺戮のために生まれ、そして消え去った美しい兵器たちへのノスタルジーを持ち続けている方がたのことである。

 こうした方がたは、他のあらゆるジャンルのマニアと同じく、彼らの情熱や情念の全てを注いで何かを目指しておられるそうだ。例えば、零戦という優れた日本の戦闘機があったが、敗戦国であるために完全な形で残った機体が無いのだそうで、海から引き上げた残骸を基に復元したらしいと聞いた。
 この話は、戦争の慰霊碑としての色あいが濃いようだが、図面を頼りに、エンジン以外を一から作り上げようとするプロジェクトが各国にあって、もう既にカナダ製やロシア製の零戦が空を飛んでいるのだと聞くと、僕の心中も穏やかでない。911テロの影響で中止になった和歌山での航空ショーを是非開催しなおしていただけないものだろうか。

 アメリカのP51ムスタングもメカニカルな美しさがあって好きだが、あれは腐るほど残っていて、現代の強力なエンジンに換装してレースに出場している。
 だから僕が最も実物を見たいと思うのは、朝鮮戦争にも従軍したイギリスのスピットファイアーでもなく、ドイツらしいやや無骨なデザインのメッサーシュミットでもなく、大和撫子を髣髴させる流麗なシルエットの零戦なのだ。

 制限速度を超えてダイブしたら空中分解すると云う繊細な零戦の、最も美しいと思うのは、離陸して脚を収納する時の姿ではないだろうか。
 操縦席から見て反時計方向に回転するプロペラから発生する順風の影響で、左側の脚が素早く折りたたまれ、逆風を受けながらおもむろに右のそれが「よっこらしょ」と、かなり遅れて主翼に納まるシーンからは、なんだか殺戮のために造られた戦闘機が、まるで疲れ果てた、か弱い生きものを想わせるような哀愁が漂ってくる。

 アメリカに行って金を払えばP51ムスタングの後部に乗せてもらえるらしいが、どこ製でもかまわないから零戦を量産してくれて、日本でも同乗させてもらえる日が来ることを願いつつ、ラジコンのフライト・シミュレータを飛ばしてフラストレーションを解消するか。

 

2005年1月4日(TUE) 徳利を肴に
 熱燗を猪口に注ぎながら、2合くらい入りそうな徳利を眺めて思う。
(一体これのどこを気に入って5000円も払ったんだろう。土だって窯の裏手にある山から採って来たものだというし、実際、山肌の色そのままで、申し訳程度の彩色が施されているだけだし、口が小さいので一升瓶から移すときは慎重にせならざるを得ないじゃないか。小口と下膨れのデザインは実用性を無視しているように思えるし、日本の度量衡に面と向って盾突いた容量もいかがなものだろうか)
 なんだかんだと文句を付けてはいても、この徳利で燗した酒は決してまずくは無い。
 徳利や猪口なんて何でも酒には変わりが無いだろうと思っているけど、実は案外そうでもなくて、オニックス(めのう)の猪口で飲むとまずい。いや、まずいのではなく、味は同じでもまずく感じることがある。
 きっと形状によるのだろうと思って色々試したが、なぜだか僕には合わない。

 2本目をつけようと、計量カップで計って入れたらピッタリ2合入った。計量法にのっとった、順法精神溢れる芸術作品であるらしい。芸術作品にコンプライアンスを求める人もいないだろうが、「今夜は2合まで」と決められたら、最後の一滴まで飲みたいのが人情というものだから、こと徳利に関しては重要な問題なのだ。だから、1合徳利を注文して上げ底の0.8合徳利を出してくる店には二度と行かないのである。そういう店は全てにおいて信用ならん気がするからだ。
 小さな鍋に湯を沸かして徳利を浸けると、下膨れの形状が物を言って、僅かな湯で燗ができるのはありがたい。細身のものは大きな鍋に入れて何本も燗するには良くても独り者には無駄が多いのだ。
 2本目が空になるころにはだんだんと、素朴な地肌に控えめな絵が、心を落ち着かせてくれるような気になってくるから不思議だ。
 取って付けた様な底部の土台は、猪口に注いだ時に垂れて来るしずくを受け止めるための役を果たしているらしい。
「そういうことだったか。ガンジーの奴、相当出来るな。いや相当な酒飲みだな」
 こうして僕の飲み正月は、確実に酔いの中へと過ぎ去っていくのであった。

 

2005年1月3日(MON) 人並みに初詣
 正月は田舎で過ごしますと言ったら、「田舎とは何処のことだ」と問われるので、「西瀬戸自動車道の橋桁の一部を構成している瀬戸内海の小島です」と答えたら、中越地震の被災地を見舞う政府高官のように沈痛な面持ちをされる。
 どうやら僕の生まれた島を、周囲1kmくらいの、今にも津波に飲み込まれて消滅してしまいそうに気の毒な小島を想像するらしい。
「小さな島ですが、病院は7、8軒はあると思いますよ。あ、そうだぁ、焼き物の窯元が2箇所あるんですよ」
 あんまり見栄を張ると、今度は淡路島くらいの大きさを想像するらしく、広さを説明するのに難渋する。
「島四国八十八箇所というのがあって、歩いて回ると3日はかかります。だいたい60kmくらいあるんでしょうか」
 巡礼の島と聞いた相手は、天理市のように市を挙げて宗教に邁進している様子を思い浮かべて、遠い目をされたりする。
 しかしそれも今年までのこと。いよいよ胸を張って「今治市です」と言える日も近づいたらしい。

  源義経で有名な隣の大三島にある大山祇神社に詣でると、大勢の初詣客で賑わっていた。元日などは高速の出口が大渋滞したというほどで、観光産業も重要な位置を占めている賑やかな島なのだ。
 大島に帰ってきて、大三島に優っているところは無いものかと考えていたら、かつて造り酒屋が二軒あったのを思い出した。笹ノ井と藤ノ井というブランドだったが、今はもう醸していないとはいえ、これなら誇ってもいいかも知れん。
 そんなことを思いながら、大島の「保丹窯」で買った徳利を取り出して愛媛の酒を燗してみる。この徳利は父の一周忌に帰ったときに窯元を訪ねて買ったものだ。

 先年のこと、その「保丹窯」を訪ねると、ガンジーみたいな風貌をした主人がおられて、「好きに見て下さい」といわれるので、作品なのかガラクタなのか分らないものの中から一つを選んで、「これを売ってください」と申し出た。
「それは私が酒を飲むのに使っている什器ですから売れません。この辺りから選んでください」
 どうやら僕はガンジーの食器棚をひっくり返していたらしい。言われたとおりに、よく似た徳利を、瓦礫のような作品群から選び出して値段を訊いた。
「いくらでも良いですよ」
 いくらでも良いなんていわれたら、大阪のガメツイおばちゃんである僕の姉なんかは迷わず、「なら100円で買ぅたぁ!」と、恥知らずなことを口走るに違いないと思っていたら、「500円で、どや?」と言った。
 これは実に意外だったが、焼き物の値踏みなどしたことの無い僕にはこんな芸当は出来ん。
「そう言われても困ります。ちゃんと値段をつけてください」
 僕が誠意を見せたら、ガンジーは言った。
「なら5000円でいいです」
 このときばかりは、大阪のおばちゃんに従っておけば良かった、と心底悔やんだ。

 

2005年1月2日(SUN) 2代(台)目GOROを襲う
 瀬戸内の田舎にも、たまには雪が降ったりするので、もとより寝正月の上に朝から飲みまくっていると、急にジーンズがきつくなってしまった。食べ過ぎていると言うよりは、アルコールのカロリーを消費し切れないのだろう。そこで年末に買ったGOROを乗り回して代謝に努めてはいるのだが、焼け石に油を注いだように、かえって大量のビールを詰め込む結果となった。

 人間工学を全く無視したように、とても乗りにくい自転車だ。もっとも僕の足の短さにも問題が無いとは言えないが、かなりサドルを高くしないと膝にかかる負荷が大きい。
 変速機付いているが、前の ギアー歪んでいる。雨の日に乗ると背中に後輪のしぶきがお尻にかかる。重心が高く、やや不安定。でも防犯登録と消費税込みで8000円余りと、安いのが魅力。

 年末にホームセンターに出かけ、こいつの前でしばらく動けなくなってしまい、ふと我にかえって、他に用も無いのに1時間店内を歩き回って頭を冷やしたが、結局は衝動買いをしてしまった。
 だいたい店内に何人ものヨン様モドキがうろついているのがいかんのだ。ああいった連中が臆面も無く外に出たりするから僕の心が乱れるのだ。「日本男児たるもの恥を知れ」などと叫んで、何の脈絡も無い言い訳を、今年は用意してみた。

 

2005年1月1日(SAT) ニワトリ年なのか
 明けましておめでとうございます今年もよろしくおねがいします⌒(ё)⌒ 
 昨年の正月に、東京の女性から携帯メールに来た年賀のタイトルが「あけおめこ」という省略形だったので、一月ほどの間、「今時の東京じゃこういうのがナウなヤングやねん」と、会う人毎に吹聴しまくっていた関西生まれの嬉しがりの友達がいたが、愛媛県出身の僕には、これのどこが有難いのか今ひとつピンと来ない。
 しかし遂に今年、このいかがわしい呪文をあしらった年賀メールを頂戴した。でも、あいにくなことに、差出人は東京の女性ではなく、関西系の男性だったので、単なる嫌がらせだろう。
 今年は酉年なので、飛翔を期して新年に臨んだというのに、朝一番からこのザマだ。面白くないので雑煮も食べずにビールやウィスキーを呷り続けたものだから、日記の更新どころではなくなった挙句、七草粥を待てないくらいに体調を崩してしまった。
 どうやら「イーグルたれかし」と願った僕の新年は、羽ばたく事が出来ても、飛ぶことのかなわない鶏の年になりそうである。

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