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HAL日記


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2004年11月30日(火) 苦境
 まだ11月だというのに、街にはクリスマスムードを盛り上げようとする、商魂たくましい努力の痕跡が伺える。
 今年のイブも独りで過ごすことが確定している僕には(クリスマスなんぞ糞食らえ)であるが、少しはお祝い気分にも浸りたいのが本音のところ。華やいだ装いなど僕には無理として(全ての髪の毛の色が明るい人が、おつむの中まで明るいとは言わないまでも)せめて僕のおつむの軽さに合わせた髪の色に染めてみようかとブリーチを買った。

 風呂に湯を張って、少し暖かくなったところで裸になり、髪の生え際にクリームを塗りつつ説明書を読んだ。
「乾いた髪に施せ。好みの色になるまで待つこと10分から15分」
 好みの色といっても浴室の照明は白熱電灯だから、とても分りにくい上に、曇りがちな鏡に映して見るのでは、なおのこと判断に迷いそうだ。
 いかにおつむが軽いとはいえ、いきなりヨン様みたいな色にした日にゃ、ヨン様人気にあやかりたい心理がモロばれとなるのは畢竟。
 そもそもヘヤマニキュアや白髪染めみたいなのは実施したことがあっても、ブリーチなんて初めてのことだから、どれほどのスピードで脱色していくのか、感覚がつかめない。
(あ、そーだ、この手があったか。こんな素敵なアイデアを思いつくなんて、おれはなんて頭がいいんだ。ここなら変に染め上がっても誰に見られるわけでもないし、テストにはうってつけだ)
 下腹部の鬱蒼と茂っているところに、先ずはブリーチ液の塗布を開始したのである。
 
 塗って10分もすると少し色が明るくなってきたようだが、この程度では染めたうちに入らんだろうからもう少し待つとして、再び説明書に目を通すと
「A液とB液を混合したらすぐさま使い始めること、さもなくば薬効が低下して使用不能となるであろう」
(えらいことじゃないか。ブリーチ液なんて安いものでもないのだし、髪に塗り始めて途中で効果が無くなって、まだらに染め上がったりしたら泣くに泣けんぞ)
 慌てて頭髪に、指示されている順番どおり入念に塗りまくったのだが、ふと気がついて下腹部を見ると、かなり脱色が進行している。
(ま、誰に見られるわけでもないのだからこれでも・・・え?あ、あぁ、しまったぁ!おれは毎日スポーツクラブの風呂に入っているんじゃないか)
 急いで洗い流したのだが、黒々としていたものは、ほぼパツキン状態。しかもいい加減に塗ったものだから、黒と金の境目もあからさまである。
 どうしたものかしばし対処に苦慮していたら、今度は頭髪の方が危ういということに思いが至って、鏡を見た。

「アイゴー!」

 人通りの絶える深夜をまって、遠くのコンビニまで、ヘヤマニキュアを買いに走ったのは申しあげるまでも無い。

 

2004年11月29日(月) 夢占い
 無人島でドーベルマンに襲われる。サソリが一匹部屋に紛れ込んで、必死で探すのに見つからない。もがき苦しみ、抗いも空しく力尽きて、瀬戸内の大渦巻きに飲み込まれる。
 このところの夢見の悪さにはホトホト滅入る。もしこれが鬱病の初期症状であるとするなら、本格的な鬱になって、あるいは世をはかなんで集団自殺に走ってしまう人たちの気持ちが理解できなくもない。

 練炭の不完全燃焼で死に至るのは、思っていたよりあっさり、苦しまずに済むらしい。猛毒の一酸化炭素が赤血球と結びついてあっという間に中毒を起こすのだそうだ。
 だから集団自殺に練炭を用いるのは賢明な選択だと、自殺初心者の僕にでも容易に理解できる。
 もし誰かが先に苦しみ始めるのを見たりしたら、固いはずの決意も揺るぎかねず、思いとどまったはいいが、他の人が亡くなり、自殺教唆の罪にでも問われては何をしているのやら分らないからだ。

 いわれない恨みによる殺害や、通り魔の手にかかり、未来ある幼い子や若者が命を落とす理不尽が毎日のように報道される。
「イラク戦争のニュースはもう聞くに堪えないし、国内では不条理な殺人事件。被害者や家族の無念を思いやるに忍びない」
 集団自殺する者の心の内には、こんな思いが重暗く立ち込めているのではないか。
 不況、リストラで中高年男性の自殺が続いてきた日本に、ようやく景気も上向き、明るい日が差し込んだかに思えてきたところで、この惨劇である。
 イチローや田臥選手の活躍は夢を与えてくれるが、それさえも無力感を禁じえない。

 アメリカは未だに大量虐殺と略奪に手を染め続け、聖戦の名の下、自爆テロでそれに立ち向かう。血が血であがなわれる報復の連鎖はもはや止めようがない。
 アメリカはパンドラの箱をひっくり返し、底を叩いて世界中に悪夢の種を日夜ばらまいている。僕が悪夢を見るのはきっとそのせいだと思う。
 人類が破局に向って猛進しているのはもう間違いなかろう。環境破壊と相まって、自らの欲望と、自らが頂く神々の対立によって、飛躍的に自らの精神を蝕んだからだ。
 滅亡へのブースターは点火された。

 

2004年11月28日(日) 不審と不安
 お隣さんのドアーのポストに新聞が溜まっているのを見つけたのが、先週グアムから帰国した月曜日の朝だった。
 あれから丸1週間になろうというのにまだ状況は変わっていない。
 お隣のNさんはいわゆる独居老人。70歳くらいだろうか、真っ白な頭に恰幅の良い体型、身だしなみにもっと気を遣えばなかなかの紳士だ。
「定年になって随分になる」
 たまに会って交わす短い会話の中でそう聞いたことがあった。
 Nさんは耳が遠く、話が通じにくいので、お年寄りを嫌いではない僕も積極的に会話したいとは思えない方だ。
 だから毎日どこに出かけているのかも訊ねたこともないし、いたって健康そうなので、他人の僕が心配する筋合いのものではないが、これほどNさんが留守をしたことはかつて無かったように思う。

 あれは何年前だったろうか、寒い夜に帰宅すると、Nさんのドアーを叩くご婦人がいる。
「兄が昨日から連絡がつかないんです。心配になって来て見たんですがどうしたらいいでしょう」
 どうやら妹さんらしく、とても狼狽している様子だが、僕にどうしたらいいかと聞かれても困る。
「なんでしたら、うちのベランダからNさんの部屋に侵入してみますか」
 泥棒には見えないので、危険な提案をしてみたが、とりあえず寒いので僕の部屋で待たせて欲しいとおっしゃる。
 拒む正当な理由も見つからないので承諾したが、そうこうしている内に、Nさんが帰ってこられた。
「お前、なにやっとるんや?」
「昨日から連絡がつかないから心配して来て見たんよ!」
「馬鹿かぁ、お前は。・・・すみませんなぁ、HALさん迷惑かけました」
 なんにしろ、事なきを得てホッとしたが、1日連絡が取れないくらいでそんなに心配しなくても良かろうものを、と不思議に思ったものだった。

 僕が中学の頃、祖母が心臓発作で亡くなった。今ではそんな死亡診断が下されることも少ないが、当時の田舎医者は、老衰だかなんだかよく分からないような死因はみんな心臓発作で決着を付けたのだった。
 発見者は僕だった。祖母は畳に不自然に横たわっていて、一目で異変を感じた。今もあの時の光景が忘れられない。
 Nさんが留守であるならなんの問題は無いが、もしものことがあったのならどうしようと心配だ。
 隣の部屋でNさんがあの時の祖母のように、歪んだ形で倒れているのではあるまいか。日に日に不安が増してくる。
 
 夕方のこと、ゴルフの練習に出かけようと表に出たところで、Nさんの妹さんが溜まった新聞を片付けているところに出くわした。
 ひょっとして、もう全てが僕の留守の1週間の間に終わってしまっていたのだろうか。
 僕に気が付いた妹さんが軽く会釈をする。
 こんな時、どう声を掛けたらいいのだろう。
(あ、あのぅ、お兄さんは、真に残念なことで、ご愁傷さまですぅ)
 定番のお悔やみが頭をよぎった。
 とそこへ大きな荷物を抱えたNさんがエレベーターを降りてくるではないか。ホッと胸をなでおろしながら訊ねた。
「留守されてたんですか」
「えぇ、ちょっとサイパンまで」
 二人が声をそろえて答えた。
「ぁ、あ、そうですか、それはそれは・・・」
 (ほほぉぅ、妹さんと仲良く手を繋いでサイパンでっか、そらよろしゅうおましたなぁ、ほな、さっさと籍入れはったらどないでっか)
 事の全てが飲み込めた僕は、Nさんが無事だった安堵よりも、ないがしろにされた気分からか、悪態をつきたくなる衝動をぐっと飲み込み、静かに練習場に出かけたのだった。

 
 彼女いない歴10年。こみ上げて来る、ささやかな嫉妬を制御するすべを身に付けたHALなのでございます。

 

2004年11月27日(土) あいたたっ!
 グアム島というのは、アメリカの準州という位置づけなのだそうですから、そのライフスタイルは例えマイクロネシアといえども当然のようにアメリカ様式なのだそうです。
 それを聞いていた僕は
きっとあれが売ってあるに違いない
 そんな思いにとり憑かれていましたので、渋る友達を説き伏せ、Kマートと呼ばれる大手スーパーに赴きまして、真っ先に調味料売り場らしい所に走りました。
 ありましたありました。棚にずらりと並んでいました。

いともあっさりと手に入れることが出来て、やや拍子抜けですが、これでアメリカの地を踏んだ目的は90%達成したも同然。小さい瓶は別のメーカーの固形のもの。これもまた美味しい。

「それって美味しいものなの?」
 僕の狂喜乱舞する様を目の当たりにした友達が不審気に訊ねます。
「そりゃぁもう、これをどれほど探しまくったことか」
「それでは私も2本買っておこう」
「いや、大量に使うものではないから1本で十分でしょう」
 デリケートな彼の味覚に合わず、恨まれてもかないませんので制しておきました。(といっても1本$4程度の値段)

 長年のわだかまりをすっかり払拭できまして、毎日様々なものにこのチリソースを使って堪能しております。
 
 ですが、皆さんに注意を喚起しなければなりません。美味しいからと言って、この手のものを毎日食すのはお止しになったほうがよろしゅうございます。

 毎日、切れ痔かとビックリするような色のものが、、、それに、、、毎朝、、お尻が、、、焼けるように熱いです。
 はっきり申し上げて、、、痔を患う寸前のHALなのでございますぅ。

 

2004年11月26日(金) 常夏を想えば
 せっかく南の島を訪ねたというのにココナッツジュースの一杯も飲むことが叶わず、責め苦のようなゴルフに身を投じておりましたので、その反動か、故国に帰ってからも南国が恋しくて仕方ありません。
 近所のスーパー内をうろついても目に付くのは南方のエスニック食品ばかり。遠いグアムの地に思いを馳せながら僕が手にしたのは、しかしなぜかタイ国のグリーン・バジル・カレーでした。
『ココナッツミルクで作ります』と書いてあって、ふと棚を見るとココナッツミルクの缶詰が並べておいてあります。気がつくとココナッツミルク一缶とカレーを五袋も買い込んでおりました。

 ココナッツミルクというものをそのままで食べたのは初めてですが、植物から出来ているのが信じられないほど濃厚な味がするものです。くさいといってもいいかもしれません。でもこれで作ったカレーはとてもまろやかでいて芳醇。なおかつバジルの爽やかさとの相乗効果で、えもいわれぬエクスタシーの世界に誘われます。
 米というものを積極的に食さない人間ですので、これをスパゲッティにかけて食べてみたのですが、湯で時間2分の細麺だと少しばかり辛いしショッパすぎましたので、次には湯で時間7分のやや細麺にしましたらベターだったようです。

 いつかは米の上にかけて食べてみようとは思っているのですが、どうしたわけかさっぱり気が進みません。というよりココナッツミルクでカレーを作るのはとても美味しくはあっても、あんまりやりたいとは思えません。何故って余りにも脂っこくて、後始末に難儀するんです。
 おかげで数日間、顔が油ギッシュな上に体重が増えてしまったような、、、。
 来週からはスポーツクラブで精を出すとしますか。

 

2004年11月25日(木) 教室的土産
 久しぶりに童話教室に出席しました。
「グアムに行って帰りながらお土産の一つも無いンかい」
 といった糾弾をされなかったばかりでなく、ハワイ土産のチョコレートまで頂き、すっかり恐縮してしまったHALです。

 童話教室とは申しましても、文章の基本がナッテイナイ僕にはとてもためになる文章教室なんですが、このところ遍路やらなにやらで本も読んでませんし、まして童話の一枚たりとも書いておりませんので心苦しい限りなのです。
 お師匠様にお借りしている本もあと一冊読んでしまわなければいけませんし、藤野恵美子さんという堺市生まれの若い作家の少年向け冒険小説も、読み終えていながらお返しするのも忘れておりました。
 お返しする前にあとがきを読みまして、ちょっと興味があったのでNETで検索しますと彼女に関するサイトに沢山ヒットしました。
 その中の一つを開きますと、どこかで見たような気がするページでした。なんだか嫌な予感がしてTOPページを開きますと、案の定お師匠様のサイトではありませんか。

 お師匠様ぁ、申し訳もございません。近頃さっぱり日記を読んでおりませんでした。これからはちょくちょく読むようにします。いえ、教室のこともお書きになられているようなので、欠席した分をチェックして置かなくては。

 

2004年11月24日(水) 食費など
「TELさま、グアムから帰ってきました。TELさまには有名ブランドの腕時計をお土産に用意しております」
 友達のTELさんにメールをしましたら早速引き取るから会いましょうと言われ、お礼にサントリーウィスキー『響』を買ってやろうとおっしゃってくださいました。僕は『有名ブランド』と言いましたが『高級ブランド』とは言ってませんので、なにか勘違いをなさっておられるのではないでしょうか。もっとも僕もある程度の誤解を期待していましたから、云わば『未必の故意』というやつでしょうか。罪なことを申し上げたものです。

 僕がわざわざグアムくんだりまで行ってショッピングもせずゴルフに明け暮れていた頃、TELさんは奈良県は吉野まで紅葉を見に行っていたのだとか。
「紅葉は良かったけど旅館が理不尽なほど高い値段で嫌になったよ」
 とおっしゃるので値段を聞いたら49800円の僕のグアム旅行とたいして違わないほどの出費だったようです。
 グアムの5日間は二人で一部屋素泊まりですから、日本の宿なら4000円ほどで泊まれるでしょう。すると宿泊費20000円を引いた残り30000円が航空運賃といえるんでしょうかね。旅行会社もボロ儲けできるとは思えませんがホテルから空港へ向う帰りのバスはほぼ満席状態でしたから、ツアーとしては「でかして」いるんでしょうか。

 レオパレスリゾートのゴルフ費用は1ラウンド$45でしたし、コースもすばらしいコンディションでしたからとてもリーズナブルではあったのですが、問題は食事です。
「コンビニがあるから質素な食事で済ませたら安上がりです」
 そんなことを事前に話していた友達でしたが、いざ現場に出てみると毎朝毎晩が贅沢三昧の食事に付き合わされました。
 朝は$15のバイキング。昼はクラブハウスの割高な食事と少しのビール。夜は焼肉、イタリアン、中華、等々。ホテル内にあるレストランを夜毎食い歩きまして、しかも大量に飲酒。
 こうして散財して気がついたら、なんとゴルフ代を凌ぐほどの飽食をやらかしていたという次第です。(しかもポリネシアンショーかい!)
 

カタブツとばかり思い込んでいたが、嬉々としてダンスを踊っている友の姿に『中身は僕とたいして変わらんな』と認識を新たにした次第です。
クリック→ お尻フリフリ

 

2004年11月23日(火) 合宿だったんだね
 遍路を終えても御当地の天気が気になって仕方ないように、グアムを後にしても現地の天気が気がかりでなりません。例年ですと12月から乾季に入るグアムなのですが、今年はとても天候が不順なのだそうです。スコールらしくないにわか雨に一度降られたっきりで、概ね好天に恵まれてプレーできた我々は相当ついていたようです。

 とても出来の悪いゴルフを海外まで行って展開した挙句、世間様に我々の体たらくを披瀝してしまい慙愧に堪えません。かく成る上はもう一度初心に立ち返りスイングを再チェックする必要がありそうです。いつもの打ちっぱなしに出向いて色々原因を探ってみましたところ原因がハッキリしました。どこも悪くないのです。つまりこれが自分の実力なのだということが判明したのです。

 今の今まで過信のもとに実力以上のスコアを夢見てゴルフに出かけておりました僕でしたから、今回の結果には大変打ちひしがれています。きっとYさんも同じであろうと思われますが、彼には黄昏ている暇はありません。会社のコンペが迫っているのだそうです。グアムの教訓をもっていい成績が残せるようにとエールを送っておきました。


 ん?そういう事情があったのか!彼はそのコンペを睨んでグアム合宿を決行したということだったのか。僕は彼の巧妙な戦術にまんまと嵌められてしまった哀れなサポーターだったという訳かぁぁぁ、オーマイガッ!
  

 

2004年11月22日(月) やけ酒も呑まず
 いよいよグアム出国となりました。2時45分という早い時間に目覚めなければいけないので呪苦杯(自棄酒)もほどほどにして早々に休んだので特に問題も無くホテルを後にすることが出来ました。

 空港に到着して出国の手続きをするのですが、入国の時のように時間がかかるのかと思いきや、意外にすんなりと書類審査が終わって拍子抜けしていましたが、これがとんでもない思い違いでした。二人ともスーツケースを開けられて爆発物の疑いがあるものを探られたのです。
「それは胡椒でしょうが、そっちはチリソースでっせぇ、見たら分かるでしょうが。まだやるんかい、それは飲み残しのウィスキーだってぇ」
 もちろん声に出して言うわけじゃないのですが、係官は淡々と徒労に終わる検査をマニュアル通りに進めます。僕のスーツケースもYさんのスーツケースもチリソースが疑われたようですが、まぁすんなり終わったといっていいでしょう。ところが一緒のツアーで来た女性のスーツケースは何が疑われたのか隅から隅までひっくり返され、気の毒に下着まで放り出されていました。

 日本に帰って来てから分かったのですが、先ごろ米本国で79歳のおばあちゃんが小型拳銃を、分厚い本をくりぬいたケースに隠して機内に持ち込もうとして逮捕されたのだそうです。それに神経を尖らせた当局はちょっとでも疑わしい女性を下着姿にしてブラジャーの紐の内側まで調べたり、それも他の搭乗客の目前でするので問題になっているのだとか。実に馬鹿げた話のように思いますが米当局は大真面目で実施しているのだそうです。慎重なのは結構ですが、これを大和撫子に適用しようものなら羞恥の余り自爆テロに手を染めると思われますから逆効果では無いでしょうか。だって白木屋火災のことを思い出して頂ければ容易に想像出来るじゃありませんか。

 それはともかく問題はこの後だったのです。万事に慎重なYさんはゴルフバッグを厳重に梱包しておりましたのでこれが疑われたのか全部開梱されて調べられ、またご丁寧に梱包し直してくれますのでとんでもない時間のロスとなりました。日本出国の時のように全日空だけならこんなことは無いのでしょうか、それともどこか他の航空会社との共同運航だったのでえらい目に遭わされたのでしょうか。余りにも慎重過ぎるYさんもいかがなものかと思いますがね。

 こんな事情がありまして少しだけ焦って免税店を見て回りました。5日間ともゴルフ漬けだったので土産らしいものを買っていないのです。とは言っても自分が飲むためのウィスキーを買うだけなんですけど。でもこれがいたって難しい問題なんです。なぜなら日頃飲んだことが無いような高級ウィスキーばかりが陳列されているので、その値段が高いのかどうかよく分からないからです。その足元を見透かしたかのように免税店の韓国のおばちゃんに日本語で勧められるまま高級ウィスキー3本に手を出してしまいました。そしてまたこれも帰って来てから分かったことですが、グアム島内は全ての店でタックスフリーだったということです。それだったらKマートで買えば良かったんじゃないかぁ〜、阿保らしッ!

 こんな風に素人らしいエラーを沢山やらかしながらも何とか無事に飛行機に乗り込むことが出来ました。往路のエコノミークラスの席と違ってビジネスクラスの席でしたからとても快適でした。ANAのスッチーも美人ばっかりで愛想がとても良いしでゆっくりくつろげたのでございます。

「写真を撮ってあげましょう」との申し出を頂きましたが、おじさん達のツーショットもねぇ ^_^;
というわけで彼女の笑顔を撮らせて頂きました
画像をクリックすると素敵な笑顔が見れます

 

2004年11月21日(日) 初心に帰れ
 蒼く高い位置に見える洋上から遠く切れ切れに、日本で見るより低い感じの入道雲が時おりやって来はしますが、昨日より気持ちよく晴れ上がった空に芝の緑が色濃く映え、澄み切った気分でプレー出来そうなのに心の片隅に僅かに翳りが感じられます。スコアのせいではなく、とうとうグアムゴルフの最終日を迎えてしまった寂しさなのでしょう。

 炎天下のドライビングレンジで80球打ったら気分が悪くなってしまいました。400ヤード近くもあるような、コースとコンディションが同じ練習場なんて日本ではなかなかありませんので、ここぞとばかりにドライバーを振り回した結果がこのざまです。
 本日のコースは三日目の忌まわしい記憶が蘇るジャック・二クラウス師設計のEコースです。出だしこそボギーで終えた僕ですが、Yさんにとってみればここは鬼門。前回以上に痛い目に遭ったようです。さて僕にとってみれば2ホール目が鬼門。対策したはずだったのに前回同様魅入られたように民家の屋根にカッコ〜ン。またしても次のホールまで動揺を引きずってスコアを乱しまいました。

 僕がゴルフを始めたのは凡そ20年前のこと。ろくな練習もせずに和歌山のとある難コースで霧に包まれて、素人ばかりでキャディさんを困らせながらのラウンドでした。スコアは一体どれ位叩いたのか分からないくらいにOBを打ちまくり、遂には赤い線の入ったボールを取り出して皆に笑われる始末。
 ドライバーを打てなかった、3番アイアンなんて使ったことも無かった、バンカーから脱出出来なかった、練習ですぐに指が豆だらけになったあの頃。それに比べれば随分と上達したように錯覚していたのは、日本のゴルフ場がバブルの頃に接待場として位置づけられただけでなく、サンマやタモリがゴルフを始めたりするものだからゴルフ人口が急激に増え、プレーをスムーズにするためにゴルフ場が易しくなったからではないかと邪推したりしております。

 今度のグアムであの和歌山の口の悪いおばちゃんキャディさんに笑われながらのプレーした記憶を取り戻してしまいました。止せばいいのにラウンド中に思い出すものですから一層リズムが早くなってしまい、終わってみれば今日も100を切ることが出来ませんでした。言い訳も出来そうにない今回のゴルフでは、おかげ様で初心に帰ることができるような気がします。レオパレスさん、クラウスさん、パーマーさんにお礼を言わなければならないでしょう。僕たち二人の慢心を諌めて下さってありとうございました。もっと上手くなってまたきっとグアムに戻ってまいります。 

 

2004年11月20日(土) ゴルフ三昧というより惨敗
 この日の予定はマンギラオ・ゴルフ・クラブを予定しておりましたが、昨日のゴルフ惨敗のショックを引ずっておりまして「恥かしながら帰って参りました」と横井さんよろしく帰国するのは悔しすぎます。「もういっちょう同じコースで」とリベンジを誓い、名門マンギラオをキャンセルしてまたもレオパレスのCコースからBコースに挑む二人なのでした。

「グアムに来て一度も練習しないなんてあんまりナメた真似をしているから手痛い仕打ちを受けるのに違いない」
 改心した二人はドライビングレンジに出て昨日それぞれ80球と今朝40球を打ちました。
「念のために線の印刷された練習ボール持って行こうか」
 そんな会話をしながらキャディバッグを探っていると、ボールが出て来る出て来る。あんまり詰め込んだのでバラのボールがどんどん後ろに追いやられ、ポケットの反対側に回り込んでいたのでした。
「いやね、このバッグ良く物が無くなるなぁ、まるでバミューダトライアングルみたいやなぁ、なんて思ってたんですよ」
 そう言いながらまさぐりますと、グリーンフォークやティペッグに混じって以前に無くしたと思っていたグローブや、グアムでは無用のホカロンまで発見してしまいました。

 当日は好天に恵まれました。遅いスタート時間でしたのでようやく「グアムに来たんだな」と実感できる強烈な日差しを浴びてプレーしました。ショットも調子が戻ってきたようですし、好スコアの予感がしたのですが、グリーンが強い日差しで硬く乾きボールが止まらない上に、短くカットされた芝と大きなアンジュレーション。せっかく買ったニューボールの出番が無かったのはいいのですが、初日の単調な印象からがらりと変貌を遂げた難グリーンに翻弄されっぱなしの一日でした。

 昨夜はリゾート内にあるレセプションセンターにて、食べ放題ビール飲み放題ポリネシアンショー付き$55で憂さを晴らしましたから、ショックを引きずることは無かったのですが、僕のスコアは冴えないものとなってしまいました。Yさんときたら初めは「ポリネシアンショーなんて日本の温泉でも見れるじゃないか」と抵抗していたにもかかわらず、ステージの上で嬉々としてポリネシアンダンスを踊っでしまって妙なお尻の振り方を覚えてしまい、大きなスコアロスをやらかしてしまったのでございます。

 

2004年11月19日(金) 恐怖の***体験
 スコールというほどでもないにわか雨に、グアムの天気を知らない我々は気色ばんで合羽を羽織ったのですが、2ホールもプレイすると雲の切れ目からのぞく厳しい日差しが容赦なく肌を焼き始めますます。紺碧の空に浮かぶ白雲は紛れもなく太平洋の入道雲に違いありません。グアムもようやく長い梅雨が明けたのでしょうか。

 本日のゴルフはレオパレスリゾート8時12分スタートです。宿泊しているコンドミニアムからホテルまでは歩いて4、5分ですしクラブハウスはホテルのフロントから歩いて2分ですから余裕を持ってバイキングの朝食を頂いていたのですが、友達がコーヒーのお替りだのだのなんだのとくつろいでくれますので時間ぎりぎりになってしまいました。

 システムエンジニアという職業柄かどうか、彼の行動計画は綿密を極めていますので、万事にアバウトな僕からするととても心強い反面、彼と行動を共にすると、あまりにもオンタイムに事を運びすぎるためにとんでもない事態に遭遇してしまうことがあったりします。実は僕のパスポートが出発の4日前になってようやく取得出来る羽目になったのも、他でもない彼のおかげであることは先に申し上げた通りなのです。。

 クラブハウスに到着したのがスタートの10分前。ゴルフを始めるにはまずフロントでエントリーの手続き(ローマ字で名前を書いて支払いを済ませる)をするのですが、なんとそこには日本からの団体さんが列を成しているではありませんか。
 この列の最後尾に並んでいたのでは到底スタートに間に合いそうもありません。彼はスタート時間が迫っているので先にエントリーをさせて欲しいと頼んで許されたのですが、手続きが終了したのは無常にもスタート時間が過ぎ去った後のことでした。
 次はスタート室にエントリー用紙を見せてクラブをカートに積み込んでもらうのですが、時間が過ぎているので30分遅れてEコースからDコースを回るように指示されました(丸刈りの現地のお兄ちゃんにも日本語が半分通じます)。

 こうして慌しくEコースのティグランドに立ちますと、右手には我々が宿泊しているコンドミニアムB棟が見えます。これが意外にプレッシャーになっていて「あそこに打ち込んでガラスでも割ったらどうなるのだろう」などと心配になるのですが、そう思ってしまうと案の定です。
 Yさんはそちらのラフに打ち込み、コンドミニアムのお客さんからボールの在りかを教えてもらって助かりました。
 2番ホールは左手に民家があってこれがまたプレッシャーをかけてきます。「家の中でテレビを見ている住人に当ったらどうしよう」そんな心配がよぎるともういけません。僕のボールは魅入られたかのように民家の柱に直撃。
 心の動揺を抑えきれぬままの二人は次のホールでもまた右の民家にYさんが危うく打ち込むところだったという不安な立ち上がりです。
 こんな風に僕たちは途中小型のスコールに見舞われ、レインコートを着用したりしながら、景気良くニューボールをラフに打ち込んで失っていきました。
 そして前半の最終ホールを迎えたあたりでボールが2個しか残っていないことに気がついてYさんに聞きました。
「えらい事になりましたでぇ!僕はボールが2個しか残ってないンですけどYさんはどうなんですぅ?」
 そう尋ねますと彼も3個しか残ってないことに気がつきました。
 僕は日本を出る前に使い古したバラのボールをかなり入れてきたはずなのにどうしたことでしょう。もうそんなにボールを失ってしまっていたなんて到底思えないのですが、一生懸命に探しても見つからないものはどうしようもありません。
 グアムのゴルフ場はスルーですからこのペースでボールを失っていくと9ホールのプレーを丸ごと断念せざるを得なくなる心配が出て来ました。
 よもやボールを打たずにクラブだけ振って回るわけにもいきませんし、かといって後ろの方にボールをねだるなんて出来ません。
 よしんば後ろの組の方が親切な日本人で快くボールも恵んでくれたとしても、二人のゴルフ歴からしてそんな無様なマネはプライドが許さないのです。
 だけどこのままでは「グアムまで行きながらボールを無くしてプレーを断念したド素人」の十字架を一生背負って生きていかなければならなくなるのは必至です。
 そんなのって余りにも遣る瀬無い無慈悲な話ではありませんか。

 事の重大さに初めて気がついて青ざめた二人はそのホールからバックティで打っていたのをフロントティに立ち、安全にフェアウェーにボールを落としながらロストボール探しに精を出すといった、チマチマした貧乏ゴルフに切り替え、なんとか茶店にたどり着くことが出来ました。
 茶店に着いて見ると有り難い事にボールが売っあります。三個入りで10ドルは少し高いですが背に腹は代えられません。
 2箱づつ買うことが出来てようやくホッと一息ついた僕たちですが、その後も腕の縮こまった貧乏ゴルフがすっかり板についてしまい、最後までチマチマしたプレーを展開してしまった二人なのでございます。


 当日の我々のスコアですか? 披露するに忍びない、近年稀に見る悪夢のようなスコアだったのです。消防と警察を思い浮かべていただきとうございます、、、ハイィ!(-_-;)

  

2004年11月18日(木) そう簡単ではない
 グアムのホテル街は大都会並みです。
ウェスティンホテルからレオパレス行きのバスに乗ったらお隣の部屋の方でした。世間は狭いようでやっぱり狭いです。曾お婆ちゃん、お婆ちゃん、お母さん、孫。といった家族構成でしたから、きっと結婚式でもあったんでしょうか。いつかは自分の結婚式をグアムで、、、と夢想するHALでした。

 本日のゴルフはタロフォフォ・ゴルフ・リゾートです。8時45分の予約ですので慌ててレオパレスを出ました。レオパレスからタロフォフォまではレオパレスのバンが無料で送迎してくれます。二人分のチップで済みますのでとても経済的です。

 例によってぎりぎりにタロフォフォに到着したのでとても緊張したのですが、フロントの方は日本人女性でした。8時45分の予約ですが「いつでもスタートして下さって結構です」と言われ、コースに出ますと前後に誰も見かけません。この時間に限って言えば我々の貸しきりコース状態といって過言ではないようです。

 コースはフラットで、グリーにアンジュレーションがあるものの芝が重くパッティングは易しいと言っていいでしょう。にもかかわらず僕は100をオーバーしてしまったのですが、、、。

 グアムは日本語が通じると言ってもやはり外国です。ゴルフ場の昼ごはんでも、ホテルのディナーでも量が多くて食べきれないことがあるようです。タロフォフォのサンドウィッチもかなりヘヴィーでした。

 タロフォフォから一度レオパレスに戻って市内観光としゃれこみましたが、所詮おじさんの興味をそそるようなものはありません。そこでKマートにゴルフボール等を買出しに行きますと、長年捜し求めていたチリソースが売られているのを見つけました。これでわざわざグアムへゴルフをしに来た収穫があったというものです。   

 もちろん、、、ゴルフの、、、スコアが、、、悪い、、、言い訳です。ハイ!
 

 

2004年11月17日(水) 練習不足なんだって
 まだ踏みも見ぬ異国の地、グアム島に到着したのはグアム時間の1時15分。日本時間なら12時15分ということになるのでしょうから、全く予定通りの順調な旅の始まりであったと言えるでしょう。ところがグアム国際空港の入国審査で立ちっ放しで待たされること1時間以上。ホテルに到着したら午前3時ですからたまりません。無事に着いた祝いの杯を挙げて眠りについたのが5時でした。

 慌しく食事をしながら思い出したのは翌日の予約確認と送迎の依頼。英語に堪能な友達ですので、この辺は任せておいて安心なのですが、なぜかいつもぎりぎりで間に合わせる方ですので、同行している僕としても気が気ではありません。レオパレスリゾートコースのBコース1番ティに立った時にはもう既に前の組がスタートした後だったのです。

 こんな風に慌しくスタートしたのですが、前の組も2サムでコースを知っている方らしく、僕たちは付いていくのがやっとといった有様。OBを打ちまくり、フェアウェーを耕し、バンカーを掘り返しながら上がってみると煩悩の数だけ叩きまくっていたという次第です。「今年は除夜の鐘を聞くまでも無いから得したな」などと自己欺瞞も滞りないこと夥しい我々は「しかし天気のせいにだけは出来んな」といえるほどの涼風に吹かれた絶好のコンディションの下にうなだれるのでございました。

 

2004年11月16日(火) 搭乗ゲート前の電気泥棒
 またしても超ウルトラハイスーパーなミスチョイスをやらかしてしまいました。関空集合が6時45分ですから余裕を見て5時30分着のリムジンバスに乗るつもりでうちを出たのはいいのですが、タクシー乗場には1台も待って呉れておりません。仕方ないのでゴルフのバッグとスーツケースをゴロゴロ転がして歩いて駅前に行くことにしたのでした。キャディバッグだけなら20分担いで歩いたってどうってことは無いし、遍路で鍛えてあるのですから背中のザックが10kgあったところで物の数ではないと思っていましたのですが、両方の負荷が一度に足にかかりますと、それはもうかなりなものです。つまり今朝目が覚めたらいきなり30kgも太っていた計算ですから尋常ではありません。

 歩き始めのうちは大丈夫だったのですが1、2分も経つとキャディバッグが重くて持てなくなりますし、肩に掛けてもすぐにずり落ちてしまいます。スーツケースの上に乗せれば楽かと思いきや、とても安定が悪くスーツケースがキャディバッグもろとも転びまくります。すれ違う下校途中の小学生達からは後ろ指を差され、あるいは面と向って嘲笑される屈辱に耐えながら汗だくでバス乗場に到着した時にはもうすっかりクタクタでした。

 ブレザーを脱いで汗を拭いながらスーツケースを見ますと新品でありながらベテランのそれみたいに傷だらけになっているではありませんか。泣きたい気分でケースを撫で回しておりますと、程なくバスがまいりました。慌ててブレザーを着てザックを担いでケースとバッグを運びました。
「伊丹空港行きです」
 関空行きの僕はびっしょりと妙な汗をかいてしまいまったのです。

 実を申しますと、ドアーに鍵をかける30分ほど前に海外旅行の達人と思しき方からのメールを読んだのです。
「お土産は国内の免税店で購入した方が品揃えが豊富ですし、値段も現地で買うのと変わらないと思います」
 もしこのメールをもう30分早く読んでいたら30分悩んだ挙句、昨年購入した遍路には大き過ぎるザックに全ての荷物を詰め替えたことでしょう。

 しかし今は僕もようやく搭乗手続きと、すったもんだしたした荷物(結局別料金は発生しませんでした)の預け入れを無事済ませ、友達も新たに買いなおした小さなスーツケース(必要が無かった)と、プチプチで厳重に梱包したキャディバッグを、硬直した死体を運ぶようにして預けることが出来たのでした。

 それでは行って来ま〜す (^o^)/~~~~~

 

2004年11月15日(月) 帰りのために
 いよいよ明日の夕方関空からグアムへ出発となりました。パソコンやカメラなんかは遍路用の小さなザックに入れて機内に持ち込むことにして、小さめのスーツケースに着替えなどを詰め込んでいきましたら、半分の容量で十分であることが分かってきました。

 着替えといっても常夏のグアムですから半袖半ズボンですし、それとて一部はキャディバッグに収納してしまっているのでスーツケース内は哀れなほど隙間だらけです。物は試しとばかりに出張用カバンに詰め替えてみますとピッタリ納まってしまいました。世間の方は僕の倍ほどもあるスーツケースを持って海外に出かけるようですが、あの中には何が入っているのでしょうか。不思議で仕方ありません。

 出張用カバンで出かけようと思ってもみるのですが、13000円も出したので使わないのはあまりにも歯がゆく、かくなるうえは現地で土産をかって空間を埋めようと思ってみますが、母以外に餞別をくれた方もいませんので自分用のウイスキーでも買うとしますか。

 

2004年11月14日(日) 新札GET
 お釣りを貰ったら新千円札でした。レジのおばちゃんは「ままごとみたいなお札やから嫌いやわぁ」とおっしゃってましたが、赤みをおびた色合いが子供銀行券を連想させるのでしょうか。

 手持ちのドル紙幣と新千円札を並べてみますと両者の出来の違いは歴然としています。ドル紙幣が黒と緑の2色であるのに、日銀券は一体何色の色が使われているのか分からないくらい多色でありながら、日本円の尊厳を貶めることのない重々しさを保っていると思います。透かしやその他の技術もさることながら野口英世先生が知性的なハンサムですので、お札の品位を高めていることに貢献しているとも思います。

 先日お寺の前の土産物屋でお婆ちゃんが懐かしい聖徳太子の1万円札で支払いをしようと店員さんに手渡しました。
「これはなんですか?」
 聖徳太子の1万円札を見たことがなかった若い女の子は驚きました。
「大丈夫、使えるから。お婆ちゃんの頃はこれだったんよ。だから1万円札は今でもこれしか使わんの」
 お婆ちゃんが言うと店員さんは素直に受け取ってくれました。
 今の若い人は万札を『ユキチ』と呼んで親しんでいるそうですが、聖徳太子を知らないとは驚きですし、聖徳太子しか使わないというのにはもっと驚きます。偽造防止のために新券発行するのは結構ですがなんだかサイクルが早くなった気がしますね。2000円札もどこに行ったかさっぱり見かけませんし。

 聖徳太子の1万円札は確かに重厚な色合いでしたし肖像も威厳に溢れておりましたのでお札の最高峰ではないかと思えます。そうだこんど聖徳太子をカラーコピーして若い店員さんに「大丈夫、大丈夫。使える、使える」と言ってくしゃくしゃにして渡してみようか。聖徳太子を知らない店員さんなら意外にすんなり受け取ってくれるかもしれんなと閃きました。


それにしてもドル紙幣って、なんでこんなに臭うのぅ?偽造防止かぁ?

 

2004年11月13日(土) 準備中
 昨日パスポートの受領を終え、パスポート番号を旅行会社に連絡しました。ついでに荷物の積み込みについて確認したら「サイパン、グアムはマリンスポーツ用荷物とゴルフのキャディバッグについてはカウントしません」との回答を頂きましたので、すぐさま同行する友達に連絡しましたが、彼は僕の友達の中でも抜きん出て生真面目なおかつ石頭なので「そんなはずはない。僕は小さなスーツケース買ったのに」と全く取り合ってくれません。海外旅行の経験が少ないので出発直前まで右往左往している二人なのです。

 頭が固いといっても彼のゴルフは自由奔放でして、ボールが木の根っこにありますと「これ動かすね〜」と言いますので「え、何で動かすの?」と訊きますと「だって打てないもん」と答えてくれます。ルールでは添木があったら人工物として動かしてもいいのですが、そうでなければ自然のものなので動かせる道理がないのです。またパワーがありますのでドライバーが良く飛びます。ですからいつも一番良く飛んでいるボールに駆け寄る癖があったりします。まるでクリントン元大統領並のゴルフなのです。

 あんまり人をこき下ろしているといつかは自分の身に災厄が降りかかりかねませんし、ゴルフ場の予約は全て彼任せですのでほどほどにしておこうと思いますが、実は二人ともスコア80を切った事がない下手糞プレーヤーなのに海外ゴルフとはおこがましい限りです。それでもとにかく賽は投げられたのですから頑張って、というより楽しんで来たいと思いますが、、、、。




5日間毎日ゴルフかい!

 

2004年11月12日(金) 女児紅
 女児紅と書いて『NU ER HONG(ヌゥ エァル フォン)』と発音するのだそうです。読み仮名をふったら『じょじこう』となるのでしょう。中国の、米で醸したお酒で紹興酒の仲間だそうです。

 中国のある地方では、女の子が生まれると、このお酒を造って甕に入れ地中に埋めるのだそうです。寝かせ続けること18年以上、やがて女の子が嫁ぐ日の祝いの席で、それまで寝かせ続けてきた甕を掘り出して皆に振舞うのだそうです。 遍路の帰り道、大阪みなみの法善寺横町の飲み屋さんに行って中国からの留学生の青年店員さんに教えてもらった話です。

 NHKのドラマ『チャングムの誓い』でたびたび酒の甕が映るんですが、あの酒はいったいどんなものでしょう。1600年ごろの韓国の話ですから、日本で言えば江戸時代の初めの頃でしょうか。そうすると日本酒は濁酒(どぶろく)から清酒になっていたんでしょうか。酒で酔うのは得意でも歴史となるとさっぱり分かりませんのでいい加減な想像をするのですが、多分日本酒と紹興酒の中間みたいなものではなかろうかと思いを馳せつつ女児紅を飲みながらドラマを観ております。

 
近所の酒屋さんで女児紅を買い求めました。500ml入りで900円ほど。アルコール度数は16度以上、酒齢5年と書いてあります。「それじゃ何かい、お宅じゃ5歳の娘を嫁に出すんかい」などと独りで突っ込みを入れながらたしなんでおりますが、はて、紹興酒と一体どこが違うの?

 

2004年11月11日(木) 最終日
 「明日の朝は6時に皆で食事を頂きますよ」
 民宿のご主人の岡田さんがおっしゃるとTELさんが拗ねます。
「そら早過ぎるなぁ、せめて7時にしてほしいなぁ」
「そんなことではいけません。遍路は早起きしなくては遍路とは呼べません。皆さん『早く食事作ってくれてありがとう』と私に感謝するくらいですよ」
 説得力のあるご主人の言葉に渋々承諾したTELさんでしたが、これが本当に後で感謝することになったのです。こんな風に優しく諭してくださったら360度おへその曲がったTELさんでも素直に従うことができるのですから言葉は選ばなければなりません。

 民宿岡田朝6時朝食
 食堂には我々以外に4名の方がおられましたが、一人を除いて既に顔見知りでした。遍路の楽しみの一つに、こうした出会いと別れの不思議な縁(えにし)のようなものがあります。遭う筈がないと思っていたのに遭ってしまう偶然。「会おうね」と約束したのに会えない必然。遍路1000年の歴史の中にあって、たまたま同じ時代に生き、同じ空気を吸っている奇跡。ユダヤ教とイスラム教、パレスチナとイスラエルだって同じことです。2000年に亘っていがみ合い続けたといっても宇宙の時間からすると所詮は刹那。人の世が悠久の時間でありえないことを思えば遍路道は言うに及ばず、同じ時間を共有する生きとし生ける者の日々に幸あれかしと願わないではいられません。

 民宿岡田さんから四国の最高峰雲辺寺への道は八十八箇所中にあって屈指のハイキングコースかもしれません。よく整備された快適な道でした。僕は一年前に結願したのに、この道は歩いておりません。『まい』さんという美しい女性に、やはり雨の日に車で送っていただいたからです。

彼の背中のザックカバーは燃えるゴミ専用袋。
僕なら間違いなく無地の方を外側に持ってくるんだが。(生ゴミ専用袋ならもっと笑いが取れる?)
雲辺寺の羅漢さんと。

 雲辺寺に到着した時は蒸し暑かったのですが、さすがに八十八箇所中の最高峰ですので時間が経つに従って体が冷えてきました。歩き始めるとまた温まるだろうからと震えながら休憩していると、一匹の痩せ細った犬が寄って来ました。TELさんが岡田さんで頂いたおにぎりを分けてやりましたら、相当お腹が空いているのでしょうぺろりと平らげます。チョコレートをやりますと、これもぺろり。そういえば椿堂までの道でも痩せ犬がくっついて来ましたので、お接待で頂いた大きなおはぎをやると喜んで食べました。おはぎを頂いたのはいいが、甘いものがそれほど好きでもなく、TELさんもお腹いっぱいでしたのでどうしたものかと思案しておりましたから助かりました。あの2匹もきっとあれできっと命を繋げることが出来たでしょうからお接待の心は十二分に生かされたものと思っております。

 大興寺着12時半だったかな
 民宿岡田さんを7時半に出たので約5時間でここまで来れたことになります。空を見上げますと雲は切れ雨はすっかり上がって日が差してききましたが雲辺寺の頂には白い雲が立ち込めていて、さすがに『雲の辺りのお寺』と妙に感心するのでした。
「今からあそこまで歩けと言われたら絶対無理やなー」
 二人ともしんどかった道を振り返って、良くぞ歩いたものだと驚きの声を上げました。
 遍路に出る前にスポーツジムでステアマスター(階段名人?)やトレッドミルといった罪人が受ける刑罰みたいなトレーニングを積んできたので少なからず足には自信があった僕ですが、トレーニングマシンと実際のでこぼこ道を歩くのとは随分と違うもののようできっちり筋肉痛と膝関節痛に見舞われてしまいました。

 神恵院、観音寺3時20分到着
 観音寺から神恵院、ここも逆打ち気取りでお参りしました。これで最後とばかりにTELさんが神恵院のコンクリート打ちっぱなしの本堂で「よっ、ほっ、それっ」と遠くから賽銭を投げ入れますと、あろう事か賽銭箱に弾かれた10円玉はTELさんの足元に帰って来てしまい、彼は言いました。
「ウッ、賽銭返しかぁ、縁起悪いなぁ」
 その様子をご覧になった団体さんの先達を務める、お坊さん然とした方が彼に注意しました。
「今のお賽銭の入れ方は仏様に失礼ではありませんか。子供に物を取ってくれと頼んで投げてよこされたらあなたならどう思います」
 善意の方にはお気の毒ですが、賽銭は投げ入れるものと思い込んでいるTELさんにこんな啓蒙をしても暖簾にストレートパンチなのです。ただもうちょっと違う言葉で語りかけて下さっていたら、360度以上へその曲がったTELさんもあるいは耳を傾けたかも知れませんから、彼のサポーターである僕としても実に残念でなりません。

 観音寺駅4時20分到着
 6時20分高松発大阪OCAT行き高速バスを予約して観音寺4時35分発の鈍足列車に乗り込みました。5時53分に高松駅に着いて切符を買うと目の前に6時ちょうど発の高速バスが来ていました。乗ろうと思えば一本前のに乗れたのですが、立ち食いでワンカップを飲みながらうどんを食べ、ミスタードーナッツでホットコーヒー買って一息ついてから乗り込むことにしました。指定席されている席は真ん中の辺りでしたが、それを無視したTELさんは一番前の運転手さんのすぐ後ろの席に陣取って子供みたいにきょろきょろしながら足を投げ出して健やかに眠りにつくのでした。
 疲れている上に酒を飲んでいるというのになぜか目が冴えて眠れません。思えば昨年の10月1日に初めての遍路に出発し、結願したのが11月15日ですから、ほぼ一年かかってようやく歩き遍路の道が一本に繋がったように思えます。昨年の結願に感動はありませんでした。というより八十番台のお寺になってくると先が見えてきて少しづつ切ない気分になったものでした。
「このまま続けて周ったらどうなんだろう。色んな約束事を放ったらかして二順目に突入したら二度と戻らなくなるんじゃないだろうか。四国を周り続けている人はきっとそうなんだろう」
 そんな言葉を呟いてみたりしたものですが、あの時は資金が底をついてしまったので1番霊山寺までお礼参りに戻れなかったのです。もし1番に戻っていたら今頃どうなっていたか分かりません。


アッ!そうだ88番から1番に戻る道をまだ残しているじゃないか。


どこまでも往生際の悪いHALなのでございます。
 

 

2004年11月10日(水) とうとう1日遅れ
 8時にホテル『京極』を出発。
 日頃から朝の遅い二人にしてみれば上々の滑り出しですが、半日遅れていることを思えばもう少し早く出発してもよさそうなものですのに、この体たらくです。もちろん昨夜ホテル近くの焼き鳥屋さんで飲んだ後、お接待で頂いた缶ビールを飲んだのが関係していることは否定出来ません。

 お年を召している大先輩のTELさんですし、何でも好き放題の彼ですので遍路道ではいつも後ろを歩いてきたHALですが、なぜか今回のTELさんは大リーガー並にッペッペと唾を所かまわず吐きまくってマーキングにいそしんでくれますので、風向きによっては飛沫がかかりとんでもない被害をこうむりかねません。またやたらに放屁してくれますので臭くて堪りません。
「いや〜、サツマイモは放屁効果があるからね、良く出るね」
 お接待で頂いたサツマイモに責任をなすりつけているようです。
 このまま彼の後ろを歩き続けると病気になりそうで、たまらず前に出て地図を持たない彼を先導する形で歩くことにしたのですが、ふと後ろを振り返ると姿が見えません。しばらく立ち止まって待っていると茂みからぬっと姿を現したりします。
「いや〜、コーヒーは放尿効果があるからね、良く出るね」
 どうやら今度はコーヒーに責任をなすりつけたいようです。
「それも言うなら、排尿効果でしょうがぁ」
 放屁は良いとして放尿は立ち止まらなければ困難ですから、地図を持たない彼が迷子になるといけませんので、時々は後ろを振り向いて彼の姿を確認するのですが、これが意外に体に負担をかける動作のようで、一日中やっているとボディーブローのようにダメージを受けてしまうのです。

 三角寺への道のりは車道が通行止めになっている所が何ヶ所もあるようですが、歩きの道には台風の無慈悲な爪痕を見かけるものの通行には問題がありませんでした。三角寺は特に被害を受けたようには思えない落ち着いた佇まいでしたが、紅葉にはまだ早かったのは惜しいことです。

三角寺近辺にはこんな感じでいたる所に崩落がある。横峰寺の方は山一つが大崩落を起こして移動したと表現出来るほどなのだそうだ。

 三角寺を打ち終えたまでは良かったのですが、ちょっと道を間違って、それだけならいいのですが、バイクのおばちゃんに教えてもらった道がもっと違う道で、これで40分程ロスをやらかし椿堂までのちょうど中間にある半田休憩所に着いたのが12時。
 そこからは小雨に降られて椿堂を打ち終えますと、納経所の美しい女性がお茶とお菓子を出してくださいますので、ニタニタ、ダラダラと時間を浪費してしまい、半日の遅れだったのが更に増幅してしまいました。  それでも頑張ればまだ雲辺寺を打ち終えることが出来たかもしれませんが、打ち終えることができても泊まる所がないのでは困りますし、TELさんの足に『液化現象』の前兆が現れたらしく、彼がぐずり始めましたので民宿岡田さんのお世話になることにしました。こうして遂に丸一日の遅れと相成ったのでございます。

 

2004年11月9日(火) 半日遅れ
 極上の蕎麦と究極の水餃子。そして御住職の法話に耳を傾けながら神社の境内で醸されているという米焼酎『神錦(かみにしき)』を存分に頂いた上に仙遊寺沢登り体験が災いしてか、目が覚めたら既に7時半を回っていて絶望してしまったHALです。

 気の毒な鈍足さんは大変な酒豪であるのに、今日も早朝から運転するとあって昨夜の酒を控えておられたという事。ですから鈍足さんご夫妻はとっくに朝食を済ませ、くつろぎながら僕の母と語らっているほどの余裕を持って目を覚ませたみたいですが、HAL、TEL、YUTIANの三人は慌てて飛び起きなければいけなかったので、コーヒーを飲む余裕さえありませんでした。

 YUTIANの運転で別格20番まで連れて行ってもらう約束になっていたのですが、1時間も遅刻してしまったので下手をすると彼女がお寺に戻るのも遅刻するかも知れないという心配が出てきました。彼女が遅刻して恐ろしい罰を受けて生涯恨まれることになるのも不本意ですので、今治のレストランでモーニングサービスを三人で頂いてから開放してやることにした次第です。YUTIANありがとね。

 大阪南港にTELさんが現れたとき彼は既に飲んでいましたが、なんだか様子が変です。
「TELさん、杖はどうしたんですか」
「梅田で飲んでてね、なんか変やな〜、なんやろなぁ〜ってずうぅと考えとったら、店を出る時に、あ!そ〜や、杖忘れてきたんや〜って思い出したけどもう遅かったね」
 きっと何か忘れてくるとは思ってましたが、まさか遍路の魂である金剛杖を忘れてくるとはもっての外であるとTELさんを罵っておきました。だからといって彼には蛙の面にションベンでしかないのですけど。僕の場合は実家に白衣と輪袈裟を置いているのでカジュアルで出かけてきたわけですが、杖はちゃんと持参しておりました。そしてその大事な杖を、ちゃんと菩提寺に奉納してきました、、、、、。ええ、つまり菩提寺でのオフ会の時に奉納、つまりそのぅ、菩提寺に忘れてきたのです、、、ハイィ。

「なんやあんた!お大師様を忘れてくるとはいったいどういう了見や、あん?お大師様と同行二人でなくて何が遍路や!」
 このときとばかりにTELさんは日頃の鬱積を晴らそうとしているようです。お互いにわだかまりを持っているままでこの先を共に歩くことも出来ません。棒切れを拾って杖を突いている彼の、自分の事を棚の上に置いた理不尽な叱責を僕は甘んじて受けたのでした。

スーパーでつまみ食いをするTELさん。彼の尊敬すべきところは物を粗末にしないというところ。倹約家なのでこんな姿が板についている。(いやしいだけか?)
傘に日よけ用の布がくくりつけられているのだが、それも明石寺近くで篤志家に頂いたおにぎりが包まれていた布なのだ。

 別格12番延命寺から今回の本格的な僕の遍路が始まるのですが、遍路道を歩きながら新居浜市内にさしかかりますと台風の影響と思われる家屋の倒壊や、あちらこちらの山肌で大きな崩落がいやがうえにも目に飛び込んできますし、遍路道も被災の跡が未だ癒えない所があったりします。それなのに地元の方から暖かいお接待を頂きまして、なんだかとても申し訳なくもあり、台風くらいでは人の心がたやすく変わらないことが嬉しくもありました。

 別格20番延命寺と四国不動25番見壽院(けんじゅいんの、けんは目偏に見と書くが、入力はできてもブラウザが表示できない)を打ち終えて、ビジネス旅館『京極』に宿泊。予定に無かった高野山別院などをお参りしたり電車に乗り遅れたりで、本来の宿泊地である民宿岡田屋さんには行けなかった。モーニング食うなら家で母が用意してくれていた朝食を食べれば良かった。高野山別院なんか行かずにすぐに列車に乗れば良かったと悔やみながらの半日遅れとなったのございました。(杖と輪袈裟を持ってこなかったのと遅れた言い訳に終始してしまった本日の日記です)

 

2004年11月8日(月) オフ快
 愛媛東予港、朝6時10分定刻着。
 今治までの無料バスに乗り込み、国分寺まで行きたい旨を運転手さんに告げますと、お寺まで約1km弱くらいの、バス停ではない所で降ろして下さいました。

 国分寺7時06分着。
 本堂前で車遍路の初老のご夫婦が写真を撮っておられますのでシャッターを押してあげましたが、ご主人とはどこかで会ったことがある気がしますので尋ねました。
「ご主人、どこかでお会いしてますよね」
「延命寺ですか?」
「いえ、お寺ではないようなもっと別な所ではないですか」
「和歌山の方でしょう?」
 そこまでの会話でやっと思い出しました。かつて僕のお客さんだった方でした。

 騙した、騙された。出し抜かれた、やり返した。報復、腹いせ。裏切り、寝返り。ネガティブな事例が日常茶飯事の業界に身を置いていた僕ですので恨みを買っていたり、僕自身わだかまりを残している方がたも決して少なくありません。どなたか思い出せないので、そのうちの一人であったらどうしようと一瞬は身構えましたが、とても良くして頂いた方であると判明したので「世間は狭いもんですねぇ!」と、ほのぼのとした会話でお別れすることが出来ました。

 もやがかかったように薄日が差すお寺を後にしながら「TELさん、今回も朝からラッキーですね、バスもちょうどいい所で降ろしてもらえたし、偶然にも知り合いに会えたし、天気も上々だし」などと、同行するTELさんが納経を終えると、のどかな会話をしながら仙遊寺への逆打ちを始めた二人なのです。

玉ちゃんが「遍路道表示の補修すべし」と宣うので赤マジックをコンビにで買った。こんなことやっているので、どんどん予定が狂ってくる。
この時にはちゃんと杖を持っているなぁ〜。


 『仙遊寺まで3.1km』の表示があるところまで遍路マークを探しながら、後ろを振り返ったり立ち止まったりしながら、お腹を空かせた二人がひたすら喫茶店を探して歩いておりますと、一人の若い女性遍路ジュラちゃん(仮名)が休憩しているところに出くわしました。

 この方とても面白い方で、なんと申しましてその風貌に先ず引き込まれます(早い話がヤンキー娘)。日焼けしたお顔は知性的ですが両耳には大小とりどりのリングが沢山輝いていて、上半身は白衣なのにもかかわらず、下半身はこの涼しいのになぜか派手目のニッカズボンに短い靴下。しかも驚いたことにサンダル履きといったいでたち。しばらく話しますと見た目の楽しさよりも話の中身が相当興味深くて、気がつくと30分以上も話し込んでしまったのでした。

 フジテレビの取材を受けることになっているらしい彼女とは、いずれどこかで再会することになる気がしますし、日記を付けているともおっしゃってましたからホームページでも作って遍路日記を読ませてくれることを期待したいと思います。ジュラちゃん、亡き弟さんの供養が存分ににできることをお祈りします。

 さて目指す仙遊寺が見えてきたのは良かったのですが、同行のTELさんが事もあろうにこんな時点で泣き言をいい始めます。
「あれが仙遊寺かぁ?あんな高い所に寺は無いやろぅ、勘弁してよ」
「あのねぇ、僕は行かなくてもいいけどあなたが御朱印いるんでしょう」
「いやあ、この前はアンタにも迷惑かけたからね」
 どうやら前回の遍路で卯之町から内子町をハイスピードで歩いたまでは良かったものの、両足に巨大豆を作って麗婦人の世話になったのが余程こたえたらしく、今回の初日はやけに殊勝らしく振舞っているようです。

 仙遊寺の麓にたどり着きますと、災害復旧の工事現場に出ました。
「すみません、お寺へはどの道を行けばいいんですか」
 工事現場に車を停めて作業しているおじさんに尋ねました。
「こっちの道も、こっちの道もどっちも行けるけど、キツイぞう、こっちの方がまだマシかも知れんなぁ」
「お礼を申し上げて、マシな方の道を行くことにしましたが、進むにしたがって崖崩れがの様子がひどくなって、まるで沢登りの様相を呈してまいりました。

仙遊寺逆打ちの遍路道入り口付近。本来道があったのかもしれないが、ここを登って行ったなんて、今考えると我々はち〜と変だぞ。

「これ以上進んで、もしたどり着けなかったら帰りの体力を消耗して危険だからやめて、車道を歩きましょう。引き返すのも勇気の一つです」
 ほうほうの体で先ほど道を訊いた場所まで戻って見ますと停まっていた車が移動していて、その先には例の遍路道札がいっぱいかかっているではありませんか。ちょうどトラックの陰になって先ほどは見えなかったのです。5mも登るとちゃんと整備された道に出、上から青年遍路が降りてきます。
「山門まで15分ほどの快適な道ですよ、山門から本堂までも10分ほどです」
 青年の言う通りの快適な道を登ってお参りを済ませ、宿坊の2階で書と塑像の個展が開かれているので先生直々の解説をお聞きしながら堪能させていただきました。

 仙遊寺を昼過ぎに出発しましたが、その後54番延命寺まで車のお接待になってしまったので、逆打ちの困難さは体験せずに済みました。それどころか栄福寺に着いて御住職にお会いすることが出来、御住職には大変にお世話になりました。この場で再度お礼申し上げます。
 
 さてこの先はオフ快でして、遍路からは相当逸脱した話になってしまいますので後日の機会にでも書きたいと思っております。蕎麦僧正様、餃子和尚様、奥方様本当にお疲れ様でした。またご参加各位におかれましても、実に愉快で濃密な至福の時間を共有できたことはかけがえの無いものとなりました。真にありがとうございました。

 

2004年11月7日(日) 離阪
 22時50分大阪南港発、愛媛東予行きオレンジフェリー乗場に9時半に着いたというのに、ファッキン!ファイヤーウォールの設定に戸惑ってNETに正常に繋がるまでに時間を浪費してしまい、すぐ前で営業している屋台で一杯ひっかけそこなったHALです。

 今年になって、ファイアーウォールをアップデートしたら性能が上がったのかしょっちゅう「ネットウィルスを検出しました」といかにも仕事してますみたいな、ノートンさんよろしくウィルスバスターも派手にアピールしてくれるようになりました。南港でスタックするような体たらくでは、グアムからのリポートなんぞ心もとない限りですが、何とか今のうちに出すもん出しておかんと恥をかくことになりかねません。

 昨日の日記の件を他所様のHPに書き込ませていただいたら、さっそく回答を頂きました本当にありがたいことです。ほとんど海外旅行なんて、、、20年前にさかのぼらないと、あぁ!はるかな記憶の彼方にかろうじてほじくり返せるわずかなデータ。

 今ようやく同行するTELさんが到着しました。あとはフェリーの中の風呂上りにお互いの無事を祈念して一杯。初めて遍路に出たときの初々しくも胸を詰まらせた去年の記憶さえも、もう遠い過去のものとなったなぁ、と公衆電話の前で電気泥棒をしながら感慨に耽ったりするのでした。

 

2004年11月6日(土) 誤算
 迂闊でした、全くウ・カ・ツな話です。アメリカはテロ対策の一つとして、機内に持ち込める荷物の大きさは3辺の和が115cm以下に制限されているのだそうです。ですから先日ヨドバシカメラで法外な金額を払って購入した小ぶりのスーツケースが僅かなサイズオーバーで持ち込めないことが判明して、とても悔しくて飲まなければ眠れそうにないHALです。

 追加料金を8000円ほど払えば積み込むこと自体は問題ないのですが、その8000円でゴルフが1回できるのですから悔しいじゃないですか。金額がどうこうというよりも自分の愚かさに腹を立てているわけで、、、いや、やっぱり8000円そのものがアホらしいなと思います。こうなったあかつきには遍路の延長線上にグアムゴルフツアーを『変路』と位置づけて軽んじて歩いてやることにいたしましょう。

 ヘッヘッヘェ〜、これですっか米国の尊厳を貶めてやったから、溜飲も下がって安眠ができようというものです。が、それでもやっぱり、訳の分からない部分に、カタルシスを求めても、決して癒されることは無いと悟った、本日のHALでございますぅ。

 

2004年11月5日(金) アイゴーU
 5時に開店して客足が途絶えた途端、9時に閉店する場末の飲み屋は、更に厄介なことに週休5日ときているから全くあてにも何にもなりゃしない。今から行くから開けといて電話しているにもかかわらず、美味しい話があったらたちまち店を放り出して飲みに行くのだから開いた口が塞がらない。そういうわけだからまたまた韓国料理店で眞露 をやりながら遍路の打ち合わせをしたTELとHALです。

「あんたら何しに来た?」
 こちらのママさん、いたって口が悪いので言いたいことズケズケおっしゃって下さいます
「何しに来たと言われても、、、ママさんの顔見に来たんやんか」
 と答えますと
「アイ〜ゴ〜!」
 実に微妙な表情をされてしまいました
「えぇ?その言葉はもう韓国では使ってないって言うてたじゃない。その舌の根も乾かんうちに自分で使うかぁ」
「アイ〜ゴ〜!」
「しかも連発かい!」

 ママさんはブッシュ大統領が再選されて喜んでおられるようでした
「ケリーは顔が長いから嫌い!」
 とまぁ、はっきりおっしゃって下さいますが、アメリカの主婦の方がたも同じようにどちらがハンサムかで選んだというのだそうですから、ハンサムは得ですね
「じゃあママさんHALとTELはどっちがハンサム?」
 ある程度リアクションが予想できる質問をしてみましたら
「あんたらは、二人ともダメ!」

「そう言うと思ったよ、アイゴー!(二人ハモッて)」

 妙に納得してしまったHALとTELなのでございました。

 

2004年11月4日(木) ビジュアル系?
 チェンバロの妖精こと中田聖子さんのソロリサイタルに行ってまいりました。彼女のホームページに小さな写真が置いてありましたのを見て、綺麗だ妖精だなどと申してはおりましても、実のところは彼女の容姿をはっきりと知っていたわけではないので、生の聖子さんを見て非常に驚きました。

 派手なドレスと濃い化粧で登場するとばかり思っていた僕の予想は全く外れ、薄化粧とそれに合わせたビジュアル系ではなく実力派であることを強調するかのような大人しめの衣装。細く長い首にかけられたきらきら光る首飾りは豪華ですが、彼女の清楚な美しさはその派手目のアクセサリーに負けるどころか一層際立っているのでした。

 拍手に包まれながら彼女がチェンバロの前に立ち止まり、深々とお辞儀をされますので、僕も釣られて「ど、どうも」なんて頭を下げたりして赤っ恥を掻いてしまったのですが、演奏が始まりますとなんとも女優さんがチェンバロを弾いているのかと勘違いしそうな凛々しい姿に、魅入られたように身を乗り出して聴かせて頂きました。

 こんなことを書いていると、肝心の音楽の方はどうなんだとお叱りを受けそうですが、ほとんど僕の知らない曲ばかりでして、しかもチェンバロのソロを聴くのも初めてのことですし、演奏がどうのこうの言えるほどの者でもないのが哀しいです。ただ一つ言えるのはこんな風に気軽に彼女のチケットが手に入るのはそう長く続きそうもないということ。あと数年もすると収録のためにベルサイユ宮殿でチェンバロを弾いているであろう彼女の姿が想像できます。

 いずれ人気が出て遠い存在になるだろうから、今のうちにせっせとタメ口きいておかなければと思いつつも、彼女の圧倒的な生真面目さの前にひれ伏すしかすべを持たないHALなのでございます。

 

2004年11月3日(水) 杞憂U
 フィアギアスケートカナダ大会を見ていたら、掲示板に書き込みを頂いていたのに気がついて、返事書こうとしていたらラフマニノフで滑っている選手がいて、急にラフマニノフを聴きたくなって昔録画したビデオを引っ張り出してみたら、なぜかドラマ『ふたりっこ』が録画されていてついつい懐かしく見入ってしまって、ハッ!。ラフマニノフを聴くはずだったのを思い出して前奏曲を聴いていたら、掲示板の返事を書いているところだったのを思い出して…。腰の落ち着かない人間であることを思い知って心底凹んだHALです。

 新札が流通し始めているようなのでコンビニのATMで金を引き出したのに旧札しか出て来ませんでした。早く野口英世や樋口一葉の肖像を拝みたいものですが仕方ありませんので、ドル紙幣の肖像画を見て欲求不満を解消しようと試みました。1ドルは初代大統領ジョージ・ワシントン。5ドルはエイブラハム・リンカーン。とここまでは分かるのですが、10ドルのHAMILTONって誰?20ドルのJACKSONも誰だか知らない人です。

 どなたの肖像か分からないドル紙幣を眺めておりますと、なんともまあ出来の悪い紙幣だこと。再生紙みたいな手触りの良くない紙に色の少なさと単調なデザイン。大きさが統一されているのもあって注意しないと間違えて使ってしまいそうに思えます。それだけなら良いとして、なんで微妙に寸法がバラバラなんだろう。ひょっとしてどこぞのお国で密かに刷られているという偽札じゃなかろうかと心配になってきました。

 アメリカじゃ今回の大統領選も大接戦が展開されて、結論がでるまでにまだ少しかかりそうなのだそうですが、グアム島もアメリカですのでブッシュ大統領が再選されたらテロがおきるという噂には僕も過剰に反応してしまいます。

 ビンラディンさん、どんなテロでも御免こうむりたいですが、スペインに侵略されたのちアメリカに踏みにじられ、日本に統治されたかと思うとまたアメリカに蹂躙され、現在働いている人の多くが日本人と韓国人といった不幸な生い立ちのグアム島にだけはなにとぞ御勘弁下さい。あぁ、でもアメリカ軍の基地があるしぃ…。

 ところで、ブッシュ大統領も死んで100年もするとドル紙幣の肖像になったりしているんだろうか。100年後に紙幣は使われて無いと思うけど、ああ嫌だ!まだビンラディン師の方がましかぁ…どっちも嫌に決まってる。

   

2004年11月2日(火) 杞憂
 パスポート用の写真に1785円も支払わされて、犯罪者然とした容貌はいかんともしがたくはあっても、この程度の写真なら自分の携帯で写してプリントするんだった、と悔やんでも悔やみきれません。

 グアム島がどこにあるのかさえ知らなかった僕ですので地図で確認したらのですが、硫黄島から1200kmほどしかありません。アメリカと言っても近いもんです。淡路島ほどの大きさの島が一大観光地になったいきさつは知りませんが、どうやら日本人との関係しているようですね。なんと言っても横井庄一さんも住んでいらっしゃったくらいですから。

 それで何でグアム島でゴルフかと言いますと、ちょうどレオパレスリゾートというホテルのキャンペーン中だとかで通常の半額の45ドルでワンラウンド出来るのだそうで、友達はこれに釣られたみたいです。5日間ずっとゴルフばかりもできませんから、1〜2日くらいはマリンスポーツとショッピングでもやろうかと目論んでおります。ショッピングと言ってもブランド物のバッグとかに興味があるわけでもないので、両替は3万円分しかしてませんし、まして堅物の彼が一緒なら風俗なんか考えられませんので…。


 わからんなぁ!誰が見ても紳士に見える彼だけど、頭の中開けてみたわけじゃないから何が詰まっているかは、、、。旅の恥はかき捨て、じゃないけど暴走したらどうしよう、ドキドキ。などと取り越し苦労が絶えないHALなのでございます。

 

2004年11月1日(月) フェチズム
 鮒寿司、ナンプラー、ブルーチーズ、ヌクナム、塩魚汁(しょっつる)、与論島のキビ酢、キムチドレッシング、チリソース等々。誰かが僕の冷蔵庫を誤って開けたらこの世のものとは思えないような、まるでパンドラの箱でも開けたみたいな臭気で卒倒するのではないか、いやもう既に部屋中に臭気が充満していて、ご近所にこの匂いが漏れ出ているのではないだろうかと心配しているHALです。

 日曜日に琵琶湖のほとりにある長浜市を観光案内していただきましたので、特産のフナズシを買いました。お友達のTELさんにも買い求めてあげようと思いましたので彼に電話しますと「フナズシぃ〜!ブルブルゥ。あんな臭いもん人間の食いもんじゃなかろう。勘弁してくれ」と申しますので、僕もムッとしまして「ほな何かい、珍味として世間に認知されとる鮒寿司よりあんたの足の臭いの方が"かぐわしい"とでも言うんかい?」と、いさめてやろうかとも思ったのですが、近々共に遍路道を歩く関係を悪化させてもいけませんので、ぐっと噴き上げて来る物を飲み込んだのでした。

 先日のゴルフ中に立ち寄った茶店のおばちゃんが「このゴルフ場は赤松だらけですから松茸が取れるんですよ」と教えてくれまして、ゴルフそっちのけで松茸を探しておりますたら「見つけたぁ、これ匂いかいでみい」と仲間の一人がキノコを差し出しますので鼻を近づけますと、松茸どころか得体の知れないキノコからはとんでもない腐敗臭がして、危うく嘔吐するところでした。

「お前は臭いに弱いのぅ。それやのになんでブルーチーズとか食えるネン、匂いフェチかぁ?」と笑われましたが、ブルーチーズは食い物と解かっているから食べているうちに良い匂いと思うようになるんであって、初めから良い匂いと思って食べたわけじゃないのです。鮒寿司も初めて食べたときは完食出来なかったように記憶しています。人でも動物でもそうやって経験を積み重ねて学習した上で良い匂いとそうでない匂いが判るようになるわけでしょう。もし仮にTELさんの足が食える物であるとするなら…。       自分で書いていて気持ちが悪くなってきましたのでやめます。



 鈍足さんが愛犬を連れてオフ会に出られるとのことですから、お会いしたらワンちゃんにTELさんの靴を嗅がせてやりたいと思っております。




喜びの余り、ワンちゃんが失禁する方に3000点!
 

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