HAL日記


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2005年4月29日(FRI) シスター、くさくてごめんなさい
「料亭でハタハタを食べました。とても美味しゅうございました。(^ц^ )」
 先日二回目のハタハタに誘った時は無視したくせに、いったいどういう了見でTEL氏はこんな嫌がらせのメールをよこすのか知らないが、料亭でハタハタを食っているというのも変な話だ。
 おおかたどこかの立ち飲みで安い日本酒をロックで飲んでいるに違いないが、僕を出し抜いてハタハタを食っているとはけしからん。こうなったら場末の飲み屋にハタハタを持ち込んで食ってやる。

 東京の居酒屋ならどこでも『くさや』と『ホヤ』が食べられると思っていたが、意外とそうでもないらしかった。同じようにハタハタを食べるチャンスも巡ってこなかったのは、かえすがえすも残念だ。
 冷凍くさやを解凍したようなものだったとはいえ、念願のくさやを食べられたのだから、店に連れて行ってくれたTEL氏に感謝しこそすれ、文句をたれる筋合いのものではないが、でもくさやがフナズシをしのぐほどくさいものだろうか。
 彼は「うんこの臭いだ」と言うが、一口にうんこと言っても人それぞれだし、前の日に焼肉を食ったのか餃子を食ったのかでも違ってくる。朝トイレで「おおそうだった。昨夜は餃子でビールを飲んだんだ」と思い出すこともしょっちゅうなのだから、うんこの臭いを何と定義するのだ、と詰め寄ったら明快な答えが返ってきた。「それは汲み取りの臭いである」と。

「お前よくそんなくさいもん食えるなぁ」と言われることがある。酒を飲みながらカマンベールやブルーチーズを食っているときだが、養老の滝や白木屋なんかのチェーン店で出てくるものなんて、くさいと言ってもたかが知れている。ウォッシュタイプや、発酵が進んで食べごろになったカマンベールを嗅いでみろと言いたい。
 僕だってアンモニアはくさいよ。でもあれは自分の経験上、食べられるものに分類しているから平気なのだ。だがもし、くさやのことを何も知らないで食ったなら、腐った鯵の干物だ、と感じても決して不思議じゃない。
 カレー味のうんこか、うんこ味のカレーかという究極の選択だって、「どっちも食えるよ」と騙されたら案外どちらも食ってしまうんじゃないかと恐ろしくなることがある
 
 TEL氏と浅草で別れて一人で新幹線の自由席に乗った。迂闊に指定席を取ったりして嫌な奴と隣り合わせになったら辛いので、人畜無害そうな方の隣をさがしていたら、制服を着たシスター二人連れの隣に空きを見つけた。
 お二人が仲良くお弁当を食べるのを見ながら、ビールとウィスキーを注文したのだが、ひょっとしたら昨夜のくさやとニンニクとホヤと今日の電気ブランと今のビールとウィスキーの悪臭をばら撒いているんじゃなかろうか。嫌な奴が隣に来たと思われてないだろうか不安だが、でもシスター!そのスルメ、くさいよぅ。

※自分のことを棚に上げて他人を非難するのは、僕の悪い癖です。

 

2005年4月27日(WED) ストラディバリの音なんて分りませんよ
  バイオリンショップに行ったら大抵どこの店でも沢山の楽器を展示しているものだが、僕が訪ねようとしているのはショップではなく工房なのだ。だから何挺ものバイオリンを見ることができるわけではない。ただ1挺を見ることができたならそれで用は足せる、とS氏のバイオリン工房を訪ねるつもりだったのだ。
「年中無休といっても、いつも誰かがいるとは限らないので必ず事前連絡が必要です」
 そう聞いてはいた。ショップじゃないのだから当たり前なのだが、もし約束して時間通りに行けないとまずい。しかし何も連絡せずにいきなり訪ねたら、相手は有名な職人さんだから、「入れてやらん」と言わるかも知れない。電話の1本くらいはしなければ、とは思いつつも、浦安から都内までバスや電車を乗り継いでいる間に掛けそびれてしまった。

 小さな普通のマンションの1階に出ていた看板を見逃しはしたが、S氏の工房は簡単に見つかった。インターホンを押して出てきた方は写真で見たその人だった。連絡をしなかったので少しだけ不機嫌な顔をされたが、快く工房内に僕たち二人を入れて下さる。
 新作楽器を見せて欲しいと切り出しすと、残念なことに今は手元に無いとのことだったが、楽器選びのポイントやバイオリン製作の現状、みたいな話を聞かせていただいた。

「信頼できるショップや製作家を見つけて、とことん騙される覚悟で付き合った上で購入するのがいいでしょう。良いバイオリンは転がってませんから」
 正直なところ、自分で色々なバイオリンを弾いてみても、その音が良い音なのかどうか僕には判断がつかない。好きな音かどうか、自分の楽器より良く鳴るかどうかで判断するだけのこと。10メートル離れて自分の演奏する音を聴いたことが無いので、他人には僕の音がどう聴こえるのか、まして分らない。
 それを裏づけたいのじゃないが、今日のNHK教育で放送した「地球ドラマチック」の中で、ストラディバリと新作バイオリンを弾き比べるシーンがあり、聴衆はどちらが数億円の楽器なのか当てられなかったばかりでなく、新作の方が良い音に聴こえたという。

「一流といわれる演奏家でも、楽器の良し悪しを正しく判断できるとは限らないんですよ」
 S親方のおっしゃることは本当だと思う。ではなぜ演奏家が競ってストラディバリやガルネリを演奏したがるのだろうか。
 諏訪内晶子さんが史上最年少の18歳でチャイコフスキーコンクールのバイオリン部門で優勝したとき、「楽器を変えたのが優勝できた要因だと思います」と答えたように、演奏家は自身にしか分りえない部分に大きな比重を置いて楽器を選ぼうとするのだと思う。そして良いと確信できる楽器が彼女の演奏に影響を与えることになったのは間違いなかろう。

 玉子を見ただけで生玉子なのか、半熟玉子なのか、煮ぬき玉子なのかが分らないように、少し会話したくらいでは相手が善人か悪人かを判断することは難しい。だからこそかえって我々は、人格がその人の外見に直結していると思い込んでしまうこともある。
「女なんて所詮便所みたいなもんや。同じ用を足すなら綺麗な便所を使いたいのが男ってゆうもんやろ」
 浮気相手にふられた腹いせに暴言を吐いた知人がいる。
「ほほぅ、するとあんたの嫁さんは綺麗な便所やと思ったから結婚したわけかい」
 美人というわけでもない奥さんと知っている僕は嫌味を言った。
「いや、結婚する相手は別やねん。美人には飽きるけどブスには慣れるていうやん。それにたぶん結婚した時は何か錯覚があったと思うわ」
 自己弁護をするみたいな、何を言いたいのか良く分からん男だが、ある一面では正直に告白しているように思える。
 年間に1挺しか作らないS親方の楽器は確かに美しい。だが残念なことに3年くらい親方の工房に通って、更に3年待たないと作ってはくれなさそうな雰囲気があった。
 バイオリンの姿を見ただけで良い楽器かどうかが判断できない僕を美しいと錯覚させてくれ、一生騙し続けてくれる楽器と巡り会えるまで、製作家をこれからも訪ね歩かなければならないんだろうな。

※40分も話し込んだが、同行したTELさんが退屈したようなので、他のお客さんが来られたのを機においとました。思っていたよりも相当熱い方だった。

 

2005年4月25日(MON) 浦安は熱い男の生きる町
 泉北‐東京間を新幹線を利用して往復すると3万円ほどかかるが、これはちょうど先日の車両保険をケチった金額に相当する。浮いた金とはいえあぶく銭という訳でもないので、「くさや」の干物を食うだけのために東京を物見遊山するわけにもいかない。
 目的は3つあって、その第一は浦安市役所に展示してある焼玉エンジンの始動実演を見ることにある。せっかくディズニーランド、ディズニーシーを横目で見て次の駅で降りるなら、雰囲気だけでもディズニーを体験すれば良いようなもんだが、何が哀しくておじさん二人してお手手繋いで行かにゃならんのだ。これは来るべき良き日のために取って置くことにしよう
 
 焼玉エンジンというのは、昭和の初期に日本に輸入された、2ストローク内燃機関で(これは国産)主として舶用、農耕用に使われた。
 基本的な構造は白い煙を吐くバイクのエンジンと同じだが、スパークプラグの代わりに、赤熱した燃焼室に重油を噴射することで点火させる。
 「玉」と呼ばれる燃焼室を灯油バーナーで熱すること1、2分。ほど良く焼けたらバーナーを消し、圧縮空気をシリンダー内に送り込んで始動させる。



 なにゆえこんなものを見るために東京まで行くのかと訊かれるが、「僕がエンジンマニアだから」という単純明白な理由以外のものは無い。
 昭和初期を再現した町屋で、初対面の奥さんと輪投げをして遊ぶ相棒のTELさんを放ったらかして、僕はこの「機関長」に30分くらい質問を浴びせた。
 元々寡黙なお爺さんのようだったが、海から引き上げたこのエンジンの製造元をつきとめ、実際に製造した技術屋さんを見つけ出して欠損部品を作ってもらい、協力者を募って組み上げたという熱い方なので、話すうちに灯油バーナーより熱い答えが返って来るのだった。

 4月23日(土) この後バイオリン工房を訪ねたが、そこにも熱い職人が……つづく。

 

2005年4月22日(FRI) 逆恨みしたいなら
 鰰もしくは燭魚と書いて(はたはた)と読む。魚偏に雷とも書くのは、11、12月に産卵期を迎えた時が旬らしいが、その頃の北日本ではよく雷鳴が轟くからその名を頂いているのだという。秋田の「しょっつる」はこいつから作るのだそうだ。
 旬をはずしたとはいえ僕がこの店に来たのは、鰰を肴に青ヶ島の芋焼酎、通称(青酎)を飲むためだったのに……どちらにも裏切られた。

 どうも中途半端でいけないが、お腹一杯のTELさんはこの店よりダンスの肉感的な先生が時々現れるショットバーに行きたいらしい。僕も先日のコンサートをすっぽかしたのでちょっと顔を出してみたが、ここでもまた裏切られた。
 お客は我々二人だけなので、マスターを独占してしゃべりほうだいしたら、意外にも共通の知人がいたりなんかして驚いた。

 さて最後は屋台の串カツでビールなのだが、この屋台のマスターはさすがに梅田の新地仕込みと言うだけあって料理は上手。ジャンジャン横丁よりもずっと美味しい串カツが食える。馴染みになると、最後にはスープや味噌汁をサービスしてくれるので、只もの大歓迎のTELさんはここがお気に入りなのだ。

 午前2時ごろ別れて颯爽と自転車を漕いで帰ったまでは良かったが、目の前に段差がある。別に段差を超えなくても平坦な場所があるのに、こんなところを乗り越えるのが僕は好きだ。わざわざぬかるみを通りたがる子供と同じレベルなのである。
「昔取った杵柄だ、そりゃーウィリー!」
 思いっきり前輪を持ち上げたら勢いが良すぎて、前述の体たらくである。
「くっそ〜ぅ、保険屋の野郎……」
 もちろん保険屋とこの不始末には何の因果関係も見出せないのに、言葉だけが先走る。逆恨みするならこの程度にしておくのがいいと思った。

 

2005年4月21日(THU) ダチョウを食べたことあります?
 自転車でバック宙返りをしてそのまま背中からアスファルトに叩きつけられた。自分の全体重プラス自転車の重量すべてを背中で受け止めたのだからたまらない。内臓が背中へ一気に移動したのが分かるくらいの衝撃というのは、痛いというより息のできなくなる苦しみだった。
 呼吸もままならない痛みに抗いつつ僕はすぐに起き上がり、何事も無かったかのように自転車を押し始めた。万が一にも目撃者があろうものなら、間抜けを絵に描いたような、まるで松竹新喜劇並みの笑いを取るアクションだったのは間違いないからだ。

 もちろん松竹にも吉本にも入るつもりは無い。ただ単に20pほどの段差を乗り越えようとしたら前輪が浮き上がり、勢い余ってそのままひっくり返っただけの事である。頭を打たなかったのが不幸中の幸いではあったが、人気の無い所で痛みに耐えかねて泣いた。
 部屋に戻ると口の中がなにやら生臭くてヌルヌルする。舌を噛んだらしく、うがいをしたら洗面台が血の海になった。午前2時ごろの出来事だが、これには車の保険屋さんが大いに関係しているのだ。

「あ〜HALさん、△△保険の○○ですぅ。車の保険が24日で満期になりますので手続きをお願いします」
 友人でもある○○さんからの電話だったが、この件はスポーツクラブの風呂で20日ほど前に「早く集金してくれ」とこちらから話を切り出していたのに、今まで延び延びになっていたのだ。23日から僕は大阪にいないのだから、実質3日しか余裕が無い。これでは保険の内容を吟味する時間が無いじゃないか。毎年これだから嫌になるよ。
「考えるのも面倒くさいし、じゃ一番安いのでお願いしますよ。え、何?すぐに金額が出ないですってぇ、去年まですぐに出てたじゃないですか。はぁ?コンピュータ化して時間がかかるようになったぁ?」
 どうも良く分からんことをのたまうようになったもんだが、会社でパソコンにばかり頼るようになって、保険金額早見表を見るような昔の作業が面倒になったものと思われる。

「も〜、たいがいにしてくださいよ。もっと早よしてもらわんとぅ、こっちもうっかり東京に行ってしまうところでしたやんか」 
「いや〜わるいわるい、今日の飲み代はワシが奢るから」
 飲み屋で待ち合わせて更新手続きをしたのはいいけど、2万円の保険に入ったくらいで飲み代を奢っとってえぇんかいなと思うので、ゴルファー保険に入る約束をした。
「ゴルファー保険は入ったほうがえぇよ。ワシがホールインワンやったくらいやから」
 僕は誰かに怪我をさせたときの事が心配で保険に入ると言ってるのだが、この人どこまでずれているんだろう。
 そうこうしているところへ、一緒に東京に行って「くさやの干物を」食べるための打ち合わせをするTELさんがやって来た。

「あんたは東京に行って何をしたいの?」
 河岸を替えて打ち合わせを始めると、彼が訊いた。
「焼いた臭いで幼子が気絶するくらい泣き叫ぶという、くさやとはどんなものか体験するためですが、何か?」
「一にくさや、二にふなずし、三四が無くて五に××。××は何やったかなぁ、とにかく臭いよぅ」
「望むところです。それとダチョウ牧場の見学は次の機会にしましたので」
 そんな話をしていると、若いマスターが、「ダチョウをさばいた事があります」と言い出した。
「ダチョウといってもエミューのことですが、あの肉は殊のほか美味しいものですよ」
「よっしゃぁマスター、ならダチョウの料理はこの店に任せたよ。泉北で、いやひょっとすると大阪ではダチョウ料理店第一号ということになるかもね」
 
 体中が痛くて、これ以上書く気力がありませんので、つづく。

 

2005年4月19日(TUE) ドラマ「エンジン」で、キムタクにやらせたいこと
 冬ソナの大ヒットで、あらためてドラマの威力を思い知った去年だったが、キムタクのドラマを観て思い出したのは、4、5年前のバタフライナイフを使った事件だ。ドラマ「ギフト」だったかでキムタクが使ってかっこ良かったのが関係していたという。僕が事件の後にナイフ販売店に行ったら既に販売が自粛されていた。と同時に彼の乗っていたバイクも人気を博して、元々特殊なバイクだったらしく、売り切れ続出だったとか。

 誰か忘れたけど人気者の女の子が主演した、ドラマ「ライブ」だったか?高校のブラスバンド部を一人の天才少女サックス奏者が立て直すという物語があった。ブラスバンド部を一人前にして、その天才少女は病に倒れる設定だったが、ドラマが終わった頃には、「彼女が使ってたのと同じサックスを下さい」と女の子たちが楽器店につめかけて、サックスが店頭から姿を消してしまったらしい。

 その影響を僕もモロに被ってしまった。ある楽器メーカーのショールームでフルートを見せてほしいと頼んだまでは良かったが、気に入ったので買おうかと思ったら、「在庫はございません。バックオーダーを抱えておりまして、あと数ヶ月もしないと入手不能です」と言われた。
 フルートなんてどちらかというとマイナーな楽器だから、年間に売れる数なんてそう変動があるわけでもないのに、「今はどこのメーカーのフルートも、10〜20万円クラスのものは手に入りませんよ」と言う。
 聞くと例のドラマの影響らしかった。仕方ないので楽器屋の、「この男もドラマの影響を受けた一人か」という軽いものでも見るような眼差しを回避するために、30万円の楽器を買う羽目になってしまったじゃないか。
 フルートはサックスと違って女の子の楽器というイメージがあって、放っておいてもフルーティストは女の子だらけなのに、あのドラマで確実に女性フルーティストが増えたはずだが実際はどうなのだろう。

 あのドラマを見逃してしまったのは実に残念でならない。フルートが主役、準主役で登場するドラマなんてそうはないからだ。同じようにバイオリンなんかも相当少ないと思う。マイナーな趣味にばかり手を染めているとこんなところが哀しい。
 野球、サッカー、釣り、でも趣味にしていたらテレビドラマに事欠かないだろう、と思うとうらやましくなる。だから去年NHKが「花へんろ」をやってくれたときは、実にありがたかった。
 
 先ごろのニュースで、現役女性自衛官がアイドルデビューするとあって、自衛隊も全面的にバックアップすると聞いた。これを機に隊員スカウトに弾みをつけようという気持ちは分かる。
 フルートやサックスを作っているメーカーや、バイクメーカーが資金を出してドラマ制作を依頼したかどうかは知らないが、もしそんなことができるのなら、ラジコン業界も、今度のキムタクのドラマでラジコンヘリでも飛ばさせてみたら活性化するんじゃなかろうか。有名人でラジコン飛行機を飛ばしていたのは、今は亡きF1レーサーのアイルトンセナくらいだったもんなぁ。業界の方、本気で考えてみてよ。

 

2005年4月18日(MON) キムタクの「エンジン」が面白いぞ
  木村拓也が演じる、すでに盛りを過ぎた馬鹿レーシングドライバーが、ヨーロッパのチームから契約を切られて日本に帰ってきた。実家に帰ると、親父が養護施設を運営していて、木村は身寄りのない子供たちと暮らし始める。
 今日から始まったTVドラマ「エンジン」だ。かったるい恋愛ドラマなんて観る気がしないが、レーサーという設定が興味を惹いて観始めたら、とても良く出来てると感じた。
 何より二枚目のキムタクが見事に馬鹿を演じて見せるのだ。やつは本物の馬鹿jじゃないかと思わせるくらいの自然な演技が光る。

 養護施設に入所している子供たちそれぞれの抱える問題をいきなり突きつけられて、目が離せなくなる。まだ描いてもいない、登場人物が抱えるそれぞれの葛藤に、今のうちから想像を巡らせないではいられない。いずれロマンスもどこかで絡ませてくるのは間違いないが、軟弱なラブストーリーも、レーシングカーの爆音で気にならないだろう。月曜日が楽しみになった。

 それはさておき、昨年までNHKBSで放送していた、バイクレースの頂点モトGPの放送権が、今年から日本テレビ系のケーブルTVに移った。NHKも長く日本でのモトGPファンの開拓に努力して、しかも今年はKawasakiを駆る日本人ライダーの中野真也の調子が良く、優勝争いの一角に喰い込みそうで、近年まれに見るエキサイティングなシーズンだというのに、何で放送権手放したんだ。ダイジェストを見たくても、関西じゃ放送してないじゃないか。くそう!
 初戦のスペインで、中野は5位。第二戦のポルトガルでも8位に入賞しているじゃないか。こちらもなんとしても見たいぞ。

 

2005年4月17日(SUN) さくらの頬に光ったのは、僕と同じもの
  女子プロゴルファーの横峰さくらちゃんが、悲願のプロトーナメント初優勝を飾った。お兄さん達がプロゴルファーという恵まれた環境に生まれた宮里藍ちゃんと比較されながらも、今日まで「ライバル対決」に相応しい活躍が出来なかったのが、少女にとってどれほどの重荷であったことだろうか。ホールアウト後に、さくらちゃんが流した涙の重さは、彼女にしか量り得ないのだ。

 ライバル対決というと、古くは巨人の長島に、阪神の村山。相撲なら、大鵬と柏戸あたりを思い出すが、あんまりいにしえの事で、はっきりとした記憶が無い。
 いい加減なことを書いて顰蹙を買うのも本意ではないので、現在の有名ライバル物語を挙げるなら、将棋の羽生善治四冠と森内俊之名人が一推しだと思う。
 二人は今34歳の同い年で、小学生の頃からのライバルであるが、天才肌の羽生少年の前に、常に森内は苦杯をなめさせられ続けてきた。
 プロになってからも、羽生が全タイトル7冠を制するのを横目で見ながら、森内は精進を続け、昨年とうとう羽生から2タイトルを奪取し、名人と合わせて3冠を獲得した。

 森内の名前は知らなくても、史上最強の棋士と謳われる羽生を知らない人は少ないだろう。そんな絶対君主の如く棋界に君臨する超人の前には、誰であろうと2番手に甘んじるよりないのかも知れないが、森内を始め、羽生をライバルと目する棋士は、「タイトルを取るのが困難な時代に生まれて残念だ」とは思っていないだろう。むしろ、史上最強の棋士と戦える喜びと誇りこそが己を成長させる、と信じているに違いないのだ。

 ライバルの存在が自分を、より高みへと導いてくれるのだとすれば、残念ながら僕にはライバルがいなかった。無敵だったのではなくて、誰かと競い合い切磋琢磨する前に、自分からどこかへスピンアウトし続けて来た、と言えるだろう。
 だから漫画「巨人の星」の星飛馬と花形満のように、「星くん、君は僕の永遠のライバルだ。さあ、かかって来い」なんて台詞に憧れたものだった。ところが、先日遂に憧れのこの言葉を耳にしたのだった。
「HALさん、ライバルのあなたには負けないわよ」
 先日の童話教室からの帰りがけに、同じ門下生の奥さんに言われた。
「え?お、奥さん、僕たち同志じゃなかったんですか」
 思いがけない挑戦状を突きつけられて、僕は慌てた。
「今まではね。でも今日から私は、あなたをライバルとして認めたの。容赦はしないわ」
 さくらちゃんの頬を伝ったものは、お友達からライバルとして、藍ちゃんの見方を変えさせる、いわば挑戦状であったと言えば穿ち過ぎようが、ライバルを持つ喜びを彼女に投影する僕の頬に熱いものが一筋伝ったのは、奥さんの姿をそこに見たからに他ならない。

 
 

2005年4月16日(SAT) スパムが来なくなったと思ったら
 あれ程酷い目に遭わされ続けていたスパムメールも、アドレスをエンティティー化するソフトを使って、ホームページに公開するようになってからは、一件たりとも来なくなった。これで一件落着、と喜んでいたところへ、「メールが送れない」という情報が寄せられた。
 確かに自分でやっても送ることが出来ない。そこで、返って来た「メーラーダイモン」の言うことを読んでいたら、以前に使っていたDIONのメールアドレスを破棄したのが原因だと分かった。
「なんでヤフーのメルアドにDIONが関係しているのか」
 実はこれが大いに関係していて、かつて馬鹿をやっていたのが、ここに来て露呈したという次第なのだ。
 己が阿保らしさに、自己嫌悪を禁じ得ないが、どうあってもヤフーのアカウントとか登録情報とかは修正しなければならない。ところがパスワードが分からなくなってしまっている。セキュリティーキーって何のことだ。今となっては意味すらも分からなくなっている。結局一晩かかって全てを修正し直したが、まだどこかにDIONの呪いが潜んでいそうで怖い。

  

2005年4月14日(THU) 名古屋は、燃えているか 大阪に通う人
 テレビをつけて、名古屋万博を扱う番組を見ない日は無い。大阪万博を見逃した僕としては、なんとしても見に行きたくはあっても、人ごみが好きじゃないので二の足を踏んでいる。
 でも名古屋に足が向かない理由は、本当は別のところにあるんじゃないかと思わないのでもない。名古屋と言えば、天白区。天白区と言えば、田中広志。田中広志と言えば、寸借詐欺。
「財布を落として困っています。名古屋に帰る電車賃を貸して下さい。必ず返しますから」
 大阪市内の道端で、名古屋の天白区に住む田中広志と名乗る男から、借金を申し込まれたことがある。
 もちろん怪しいとは思ったが、仕事の契約が取れたこともあって、気持ちが大らかになっていた僕は、言われるままほいほいと4000円ほどを渡してやった。そんな金が返って来る筈も無かった。

 名古屋は今熱い。新空港も開港したし、憧れの金の鯱は触れるし、世界の先端技術が名古屋に集結しているのだから、名古屋市民が熱くなっているのも当然だ。
 その熱さの質においても、熱量においても、反日感情に熱くなっている某国などを、はるかに凌駕していると言っても過言ではないだろう。
 夜の名古屋市と大阪市の明るさを、衛星写真で比較してみても、名古屋は大阪を圧倒している。精神面のみならず、物理的にも名古屋は熱いのだ。

 その熱さを象徴するような事態に出くわした。童話教室に新人が入会したのだが、その方がなんと、童話教室のためだけに、名古屋から片道2時間半かけて通う、とおっしゃるのだ。お師匠様の名声や恐るべしであるが、名古屋人は熱いぞ。
 教室まで歩いて20分。時には何もかも忘れて出かけ、ついでにスポーツクラブのプールで泳いで帰る、という体たらくの僕にとって、これは大変な驚異と言わざるを得ない。こんな気合の入った方と席を共にして著名な先生の講義を受けると思うと、迂闊なことは出来ない。でぇーりゃー事になったぎゃー!

 

2005年4月13日(WED) 漫画「ピアノの森」はどうなった?
 ピアノの演奏を聴きに出たりしていると、自分で弾いてみようかという気になってくるのだけれど、すっかり音が下がってしまって、ホンキートンクになっているマイピアノがそんな気分に水を差す。調律を頼もうかとも思ったりするけど、かかりつけの熱血調律師とも随分会ってないので、なんだか気が乗らない。そんなことを考えていたら、彼の調律師と、ピアノの漫画情報を交換したのを思い出した。

 今まで一番良かったと思うのは、さそうあきらさんの「神童」全5巻だったかな。
 次に面白いと思ったのは、調律師に教えてもらった、一色まことさんの「ピアノの森」だけど、作者が病弱なために休載したままで、いつの間にやら連載していた雑誌も廃刊になった。9巻まで出版されているが、これからというところなのでとても残念だ。
 三番目は今連載中の、二宮知子さんの「のだめカンタービレ」厳密に言えば音大ピアノ科在学中の女の子が主人公とはいえ、ピアノだけの話でもない。クラシックというと、コミカル路線が少ないだけに貴重だ。
 バイオリンの漫画、さいとうちほさんの「花音(かのん)」あたりはさすがにバイオリンをちゃんと描いているが、大抵の漫画家はかなりいい加減だ。「のだめカンタービレ」も弓に問題があるが、まあ及第点だろう。それに鍵盤もしっかり描いている。実はこの鍵盤というのはかなり怪しげな絵が横行していて、ピアノ演奏会のプログラムですらとんでもない間違いがあったりする。
 ピアノ関連のホラーなら、宮脇明子さんの「金と銀のカノン」で、これはストーリーが緻密に書かれていて、その意味でピアノを扱ったものとしては出色だと思う。
 まだあるぞ、「まみあな弦楽四重奏団」とか、「あるとのあ」なんかは、ほのぼのとした古典と言えるだろう。それから、ピアノじゃないけど「モーツァルトは子守唄を歌わない」等等。

 ピアノの漫画なんて多くはないのに、結構読んでいるものだ。ひょっとして僕はこの手のマニアなのか。いや確かにピアノを弾いてた頃は確かにそうだったかもしれない。あの頃は「レッスンの友」、「ショパン」、「月刊ピアノ」、「ムジカノーバ」といった月刊誌のどれかを、分かりもしないのに毎月読んでいたくらいだ。
 漫画を読み、専門誌を読み、レッスン番組を見たからといって、ピアノがうまくなるわけでもないが、モチベーションを保ち続けるには有効だったのだろう。そんなことを考えながらふらりと本屋に入ったら、「のだめカンタービレ」を見つけた。
(ありゃまー、もう十数巻まで出てるじゃないか。そうだな、ピアノを触らなくなってもう随分になるからなあ。そろそろ調律してもらうかな)
 ピアノに情熱を注いでいた当時を思い出し、漫画に重い腰を蹴り上げられたような気がした。来月に調律をしようと思う。

 

2005年4月12日(TUE) 食べられる哀しみ、ぺペロンチーノ
 ワインなんてオーストラリアだろうが、チリだろうが、カリフォルニアだろうが、遺伝子組み換え葡萄を使っていようが、どうだってかまわない。普段飲んでいる400円のワインなんて、ワインのような味がする、と思って飲んでいるだけのことだ。値段が高いからと言って、美味しいとは限らないし、古いものは酸化していたりするので、こだわりといえば、出来るだけ新しいものを求めるようにしていることくらいだろう。

 米も秋田小町だろうが、コシヒカリだろうが、値段の高い銘柄物にこだわりは無いし、新米でなくても平気だ。何でかと言うと、日頃米を食べないからだ。同じようにスパゲッティだって、デュラムセモリナ粉100%で無くたってかまわない。どの道、味の違いが分からないというのもあるが、米と同じく表示を信用していないからだ。

 グルメというのは、成金から数えて3代目にして初めて名のれるものだ、と誰かが言っていたが、その理屈から言うと、僕は初代にも列せられていないので、グルメからは程遠い人間と言うことになる。
 そんな僕でも、金を払ってまずい物を食わされたときは切れそうになることがある。味が甘いとか、しょっぱいとかは好みによるものだから、そんなことで飯台をひっくり返したりしないが、あからさまに手を抜いた料理は許せない。

 風邪が少しマシになったし、桜にも誘われて、回復期の病人にありがちな躁の気分で駅前を歩き、あるレストランに入った。時々前を通る店だが、いつも暇そうに見えるから、どこかに問題があるのだろうとは思いつつも、病み上がりの鷹揚な心構えで、ペペロンチーノを注文した。(ペペロンチーニとどう違うのか知らないが、コーヒー付きで1000円)
 注文してから7、8分くらい経ったろうか、少し早い気がするが気のせいだろうか、注文の品が出てきた。

 足を骨折して手術をしたことがあって、思いがず3ヶ月も入院とリハビリに明け暮れたことがあったが、退院間際になると何もかもが美しく見えて、誰に対しても優しくなれたと思える瞬間があった。
 全身麻酔から目覚めて、生きていたのが分かったときも、朦朧とした痛みの中で死から生還した喜びを感じたものだったが、退院の直前は社会復帰できる喜びに、生きている悲哀さえも悦楽と思えた。

 今の僕は風邪から生還した病人であり、全てを許せる気分になんている筈だが、このぺペロンチーニはどうだ、見るからにいかがわしいではないか。この麺の白さはどういうことだ。何で麺がストレートじゃないんだ。
 僕はグルメじゃないのだし、食えればいいというスタンスでこの店に入っているのだから、文句など言うはずも無い。ただ哀しい気持ちでこれを完食して、コーヒーを飲んだ。

 今の僕のささくれ立った気持ちはどうだろう。病み上がりの優しい僕で無かったなら、「シェフを呼べ!」とでもウェイトレスに毒づいたかもしれない。
 あんまりムカついたので、スパゲティの、それもぺペロンティーニの材料をスーパーで、これでもかというくらい買った。

 家に帰って三食入り198円の茹でぺペロンチーニを作ってみた。
「お、おー!さっき食べたのはま、るっきりこれと同じまずい味じゃないか。ということは、オリーブオイルとベーコンと光熱費で一食の原価は100円くらいか」
 なんだか犯人を暴いたようでとても気分が良くなったが、テレビではどこかの国の飢える子供たちの姿が映されている。
 金を払ってまずい物を食わされた挙句、なんでこれほど罪深い気持ちにならにゃいかんのだ、と哀しく思う。


2005年4月11日(MON) 日記に嘘を書いてもいいですか
  嘘ばっかり日記に書くな、と言われる。僕の人徳に問題があるのか、それとも文体が信頼感を持たないせいか、90%以上は本当のことを書いているのに、出鱈目ばかり書いていると思われているのは少し心外だ。
 確かに嘘を書いている部分も無いわけではない。例えば「TELさん」という人が登場したときは、話を半分に抑制して書いている。と言うのも、彼についてありのままを書くと、とんでもない事ばかりになってしまい、それこそ大袈裟で著しく信憑性を欠いた話のように思われてしまうからだ。
 にもかかわらず、「TELさんがむちゃくちゃ書かれて気の毒だ」などと同情のメールを下さる優しい方がおられたりするが、実際は日記に書いてある少なくとも倍は、彼が出鱈目をやらかしていると想像して読んでいただきたい。

 結果をでっち上げている場合も正直あって、去年のこの日記がそうだ。チャラチャラした幸せな雰囲気で締めくくっているが、日記を書いた時点でお爺さんは生きていた。新聞が溜まっているのを心配した隣の方が警察に連絡。親戚がやって来てようやく入院していることが判明したのだ。分かってはいても最悪の話なんか書きたくなかったし、少し前に見かけたときはとても元気そうだったから、まさかという感じだった。そしてお爺さんはあれから二月ほど後に亡くなられた。

 とまあ日記に嘘を書いたらこうやって、どこかで懺悔しないと気が済まん僕だが、物語を書くにあたってはそうも言っておれない。全く実在しないファンタジックな話なら別だが、物語にリアリティーを持たせようとすると、実在する誰かの何かをイメージしないと全然筆が進まない。
 そこで先日から、「あんたのことを書くぞ」と根回しをして回っているのだけど、場末の飲み屋なんかでそれをやると、「ワシの一生を伝記に書け」などとしゃしゃり出て来る連中ばかりなので始末が悪い。童話なんだからさ、オトシマエつけるのに小指を飛ばした、なんて話は書けんのだよ。
 でも事実にばかりこだわっていると物語りの進展性が損なわれる恐れもある。そんな訳で、嘘を平気で書けるように心を入れ替えるつもりだ。

 

2005年4月10日(SUN) 偶然ですか、夫婦の出会いは
  そのまたつづき

 大酒飲みで癇癪持ちの父を、母がなぜ三行半を突きつけなかったか(みくだりはんは、男の特権であるが)。戦争で男が少なかった、子供ができて生活が苦しくなるから、今更面倒くさい。と訳は色々あって、それらは決して間違いではないが、どれも核心には至らない。
 母は決して従順な女ではない。だから茶碗が飛んできたし、平手打ちも飛んできたのだと思う。ではなぜ死が二人を分かつまで暮らすことができたのかと言えば、母が誰かに奉仕することを厭わなかったからだ。つまりアル中でこらえ性のなかった父を癒し続けていたのだと僕は思う。
 
 ついこの間も知人が美人の奥さんに見限られた。酒を飲んで一日中しゃべりまくるからうるさい、というのが奥さんの言い分だったらしい。はなから独身ならいざ知らず、70歳を目前にしてこれは辛い。場末の飲み屋で今にも泣き出さんばかりに愚痴をこぼす背中は哀しい。
 彼の奥さんの場合は、子供を立派に育て上げた、生活に困らない、世間体はもう気にしない。大酒飲みでうるさいだけの亭主なんぞ役立たずなだけだから、一緒に生活する理由が無くなったのだろう。
「ええ嫁を見つける才能」を口にした知人というのもこのタイプだけど、奥さんは僕の母に似て、ボランティアが好きなようだから、彼の未来は安泰だろう。

 こう考えてきて、僕は遂に「ええ嫁さん」を見つける才能とやらを解明できたのではなかろうか。条件はそう多くはない。
 一、美人は誘惑が多くていけない。かといって、ブスもこれまた熱狂的なマニアがいるからいけない。(例、さる、やんごとなきお方様)
 一、可哀想で一途な男を演じることが出来なければならない。(母性本能と関係がある)
 一、自分に向けられたキラキラ輝く目が、自分に向けられたものであると同時に、万人に対しても向けられるものかどうかを見極めなければならない。(イラクで自爆テロを実行する者の悲しみと喜びを共感できる女性なら申し分ない)
 以上を満たす女性が現れたなら、何はさておいてもプロポーズはとりあえずしておくべきだろう。そうすれば老後の介護に憂いは無かろう。

「お前なあ、毎日そんなこと考えてんの?男と女なんて錯覚と衝動、それか金やで。それが分からんうちは、お前は結婚出来んわぁ」
 スーパーの醤油棚の前で僕と知人は小1時間話し込んだろうか。彼が養う子供は3人、いや4人。でも彼の子供はそのうち1人しかいないのである。他は前の嫁さん、とその前の嫁さんの連れ子なのだ。

 せっかく組み立てた理論であるのに、彼のたった一言で僕はつまづいた。一度の見合いだけで父の元に嫁ぎ、そのまま父の死を看取った母。ただの偶然だった。父は運が良かっただけだと思う。
 宇宙人は存在すると思うけど、宇宙の時間は長すぎて互いの世界が滅んでしまうまでに出逢え無いのだろう。そして人の時間は短いゆえに、僕もまた伴侶を見つけられないだけなのだと思っている。

 おわり

 

2005年4月9日(SAT) 馬鹿につける薬下さい、もっと。
  HALです、馬鹿につける薬をつけるや否や風邪をひいてしまいました。

 先日の続き

 実名を公表して日記を書いていると、プライバシーに係わる話のときに歯切れが悪くなってしまうのが実にもどかしい。だからといって、「私はどこの誰でもありません」と逃げ隠れしながら言いたい放題書くスタイルは好みじゃないし、他人の家に土足で上がらせてもらう代わりに、構えたりしないのがフェアであると思っている。早い話が僕は無神経で無防備な男なのだ。

 父は子供の僕がひいき目で見てもかなり鬱陶しい男だったと思う。大酒を食らうのはいいとしても、身勝手な正義感を他人に押し付け、受け入れられないと、誰とでもすぐに喧嘩した。妥協しないのではなく、思いやりが無かったのでもないが、ものの考え方全てが自己中心的で、独善的だった。
 暴力こそが男の証でもあるかのように母を殴ったかと思うと、わざとらしく涙を拭って悔いて見せる偽善的な男だった。

「あんな親父なんかとええ加減に別れ!」
 飯台をひっくり返して茶碗を投げつけられ、涙をこぼしながら床に落ちて割れた茶碗の破片を片付ける母に、物心ついた僕がそう言ったことがある。
「戦争中じゃけん、男がおらんかったんよ。今度こそ別れよ、明日こそ別れよぅ、て思うとる間ぁに子供が生まれて……」
 
 戦争さえなければ母は普通の農家に嫁いで、僕を産まなくていいから、もっと平穏な生活が出来たら良かったのにと思うが、それは詮無いこと。母は長い忍従の時間を子供のためだけに捧げた。
 と思っていた。今でもそう思っているのだけど、結婚したことのない僕は、最近になって何か少しだけ視点がずれているのではないかと思い始めた。
「お前に分かるか、そういう嫁を見つける才能もあるって言うことや」
 知人は言うけど、なんだか大事なことを見落としているような気がしてきた。

 風邪のウィルスが、、、止めろと言います。

 

2005年4月7日(THU) 嫁を見つける才能、捨てられる素質
  スーパーで知り合いを見かけたので、後ろからそろりと近付いて右肩を叩き、素早く左側に回り込んだら、彼は一瞬きょろきょろしてから僕を見つけて大袈裟に驚いてみせた。
 買い物カートには、すき焼きでもするような食材がどっさり入っていて、どの醤油を買うかで悩んでいたとこらしい。
「えらい大きな醤油買うんやね」と僕。
「そら子供がおるからな、小さいん買うてたら間に合わんがな」
「そやけど、お父さんがいっつも買い物してんの、奥さんは?」
「ああ、嫁さんな、『風呂に行って来る』言うて帰って来んのや」
「いつからですのん?」
「せやな、三年くらいになるかなぁ」
「あ、あー成る程ね。そりゃまた長い風呂ですなぁ」

 僕の知り合いとか友達とかいった連中は独身が圧倒的に多いわけだけど、未婚ばかりじゃなくてこんなタイプもまた少なくない。ま、言ってみれば、嫁さんに愛想尽かされたとか、捨てられた連中だ。
 僕から見たらそんなに悪い男じゃないんだけど、夫婦のことなんて所詮他人には分からないのだから何とも言いようが無い。
 そうかと思えば、酒乱で仕事はしないは、喧嘩はするはといった男なのに、夫唱婦随の良く出来た奥さんを持っていたりする。
「あんたの嫁さん、よう我慢してるね。俺があんたの嫁やったらとっくに別れてるけどな」
「お前はアホやな。そういう女見つけるんが、さいのうっちゅうんや」

風邪ひいてしんどいので、明日につづく。

 

2005年4月6日(WED) 罰当たりにも、劣情をもよおす
  きのうのつづき

 早送りを続けて行くと、奥様といけないことをするシーンに来た。
(このへんは普通に再生してみるか)
 思った通りかなり以前のものらしく、モザイクがかかっていて案外ソフトな内容だった、がしかし。
(な、なんだぁ?ちょっと待て、これは一体どういうことだ。なんでだ!)

 早送りで無音のまま流してしまった、奥様が登場するシーンまで巻戻した。
 奥様が青年の方に振り向いたその瞬間、バックに流れた曲はバッハの無伴奏バイオリンソナタ第1番ト短調のアダージョだった。これは主人公の心に衝撃が走った時の定番曲みたいなものだが、こんなところで使うなんて、と僕の心にも衝撃が走った。

 ずっとバッハのアダージョに支配されて進行するのかと思っていたら、核心に迫るシーンに来た所で、一転してヴィターリのシャコンヌに変わった。
(たぶんヴィターリだと思うが、無伴奏用に編曲されている。ということはCDとかのレディーメイド演奏ではなく、このアニメのためだけに演奏されているのか)

 奥様の娘さんが登場した。
 娘さんがバイオリンを弾くその曲が、またもやバッハの無伴奏バイオリンパルティータ第3番からガボットだ。
(楽しい!絵が無くても十分に楽しいが、アンニュイな雰囲気が漂うシーンにピッタリ来るヴィーターリ。娘の初々しさを遺憾なく表現するガボット。これが、これこそが「萌え〜!」と言うやつだろうか。いま俺は猛烈に萌えているぜ!)

 メイドの女の子が登場した。
 良く知らない曲だが、イザイの無伴奏曲に似たような旋律があったと思う。これがメイドのデーマ曲なのだろうか、それにしてもなんてマニアックでナイスな選曲であることだろう。まるでメイドの羞恥心が露わになったなったかのような、胸のざわめきが感じ取れる。

 奥様、娘、メイド。全員が同時に登場した。
(一体どんな曲を選曲しているのだろう)
 もはやストーリーに興味を失っている僕は、ひたすらこの隠微で猥褻で羨ましい展開のバックグラウンドで流される曲が何かを想像し、期待しているのだ。

(おい!その曲はないだろう。いくらなんでもそれはいかんぞ。どういうつもりなんだ。「神へ届け」と祈りを込めて作曲したバッハの崇高な精神を汚そうと言うのか。音楽自らが神と対話しながら宇宙空間を創造しているかのように気高い、人類史上究極とさえ称される、至高の曲をこんなシーンで晒すことに何の意義があると言うのだ。人類が自らの手でその尊厳を貶めてまでして、一体何を得ようというのか)

 曲はバッハ作曲無伴奏バイオリンパルティータ第二番ニ短調からシャコンヌだった。
 人類全てが罪人であるが故の苦悩。原罪と祈り。許しと癒し。神の畏敬のもとに生きる喜び。ありとあらゆる感情が凝縮された20分の一部とはいえ、人類の至宝を欲望に重ね合わせるとは、いかにも大罪に値しよう。
 でも、なんでこんなにしっくりとくるんだ?この曲の持つ包容力とでも言うのだろうか、なんだか劣情さえもこの曲の前にひれ伏して浄化されるされる、とでも言いたげな選曲である。

 ああ、でもいかん。この曲がいくら優れて包容しようとも、僕自身に昇華の能力は無い。この曲を耳にするたびに神を見た、とさえ思って今日まで過ごして来たのに、今より先はこの曲を聴く度にあのいかがわしいシーンが脳裏によぎり、劣情をもよおすことになるのだろうか。えらいもん観てしまったよ。

※バッハといえども所詮は人間。劣情も懐けばその他の欲望からだって逃げおおせるものでは無い。だからこそ贖罪の心が、神へ届けるための音楽をバッハに作曲させる衝動、原動力になり得たのではなかろうか。それ故シャコンヌを聴くとき我々は至福の時間を全ての聴衆と共有できるのである。

 

2005年4月5日(TUE) アニメ「くりいむレモン」にやられた
(くっそう!ビデオを録画したら直ぐにラベルを貼っておけば良かった。そうすりゃこんなことにはならなかったのに)
 昨年、NHKのBSで放送された映画、「王は踊る」の上に将棋番組を録画してしまって泣いたばかりだというのに、またF1グランプリの上に関係ない物を録画してしまった。将棋番組ならまだ許せるが、「暴れん坊将軍」って何だ。これってサンバ踊ってる奴じゃないか。ハンサムなのは分かるが、だから嫌いなんだよ。
 呪うのはマツケンではなくて、他でもない自分自身の愚かさなのだが、あんまりムカつくので、平野レミの「ぺペロンチーノの作り方」を上書きしてやった。
(ざまあ見ろ。平野レミの下敷きになるようじゃ、マツケンの権威も地に落ちたな)
 おっと、こんなことで溜飲を下げている場合ではない。冒頭の「くっそう!」は最後まで見たF1グランプリのことではなくて、映画「カストラート」を録画していたはずなのに見つからないから騒いでいるのだ。

 映画「カストラート」というのは、去勢された男性歌手の物語なのだが、そこで歌われるヘンデルのオペラのアリアが素晴らしかった。で、もう一度聴きたくなって探しているのだけど見つからない。だが、こうなったらもうヘンデルなど、どうでも良い。いつの間にやら問題は、マツケンであり、平野レミであり、いや、言うまでもなく自分自身との戦いの場と化しているのだ。つまり意地になっているだけなのである。

 僕は探し続けた。二度と読む事も無かろうと、ダンボールにしまった本の間に入って無いだろうか、ひょっとしたらパソコンソフトに紛れていないだろうか。とにかく部屋中をひっくり返して探していたところ、1本の見慣れないタイトルのビデオが見つかった。
(くりいむレモン?これはずいぶん昔に話題になった18禁アニメのタイトルじゃないか)
 僕はドラマをあんまり見ないし、アニメも見ない。ましてアダルトのアニメなんて持っているはずが無い。だからこの中身はタイトルとは違うものではないだろうか。

 能書きを言っていても仕方ない。これに「カストラート」が録画されている可能性だって否定は出来ない。とりあえずビデをセットしてみると、これは間違いなくアダルトアニメだった。
 遠い記憶をたどってみると、誰かにもらったような気がしてくるが、思い出せない。内容は、昭和初期を舞台にした恋物語のようである
「お、奥様、い、いけません」
「あら、もうこんなになって。ウフッ、可愛いのね」
「あ、そ、そこは!」
 とまあ、こんなところがコアになっているのだが、ストーリー展開に無理がなく、台詞も文学的に仕上げてあって、この手のものとしてはいい出来なんだろうと思った。だがこんなものは早送りで見てもどうって事無い。所詮やっていることはアレなんだから。
 そう思った僕だったが、その後何度も何度も繰り返して見る羽目になった。いや、自分でそうしたくなったのだ。

あしたにつづく

 

2005年4月4日(MON) プライドの垣根を越えて
 きのうのつづき

 もちろん現実ではない。ゴルフに対する思い入れというより、美しい先生に憧れる余りの妄想とか白日夢といった類のものである。仮にそんな衝動を抱いたとしても、実際に行動に移す男がいる筈無い。もしいたなら、ピアノ教師は貞操をかけた危険極まりない職業ということになってしまう。
 しかし閉鎖された空間に美人女教師と二人きりで、寄り添うようにピアノを弾いているわけだから、時にはあらぬ妄想を抱いたとしても決して不思議でなかろう。
(先生もきっとそんな僕を許してくれた。いや、許してほしいな〜)

 行きつけの飲み屋のマスターは1週間や2週間は平気で店を休む。半年店を閉め続けたこともある。休んで寝ているのかと思えば、時々起きだしてカラオケスナックなんかで飲んでは、また体調を崩して休む。
 マスターの身を案ずるお客が電話をかけても取らないので安否が分からない。業を煮やしたお客が、「もう二度とあんな店で飲むか」と誓っても意に介することも無い。お客に対する責任感なんてものはおよそ彼には無いのだ。
 そんな店がしばらく振りに開店しようものなら、待ってましたとばかりに文句をつけたい連中が殺到して、マスターに僅かに残された更生の可能性を信じて説教する、優しいお客さんたちの罵詈雑言、叱咤激励に曝されてマスターの一日が暮れる。
 
 先日語るシス板(カタルシスは心の浄化、はけ口の意味)に書き込んでくれた尼さん志望のyutianさんはマスターに良く似ていると思う。カウンターテナーの米良美一さんばりの歌声を誇るマスターと、ひょっとしたら男になりたいのかもしれないyutianさんという違いはあれど、お互いに他人の説教を柳に風と受け流してしまうあたりがそっくりだと思う。どちらもプライドの高い人だから、「説教なんぞ糞食らえ」と考えても不思議ではない。
 そのyutianさんがどなたかの言葉に心動かしたという。どんな言葉だったのか分からないけど、説教でなかったことだけは確かだろう。

 童話を書いて教室の皆様に読んでいただくと、皆様一様に、「説教臭いことを書くな」と助言してくださる。確かにそうだと思う。小学生だって、いや三つ四つの幼子だってプライドは持っている。頭ごなしに何か言われたら反発するのも当然だろう。
 そう考えていると、僕の日記全部が説教臭いような気がしてきた。誰かに何かを伝えるのは難しい。まして人の心を動かすのは至難である。だからと言って全ての努力を放棄したときから僕の存在する理由も無くなってしまう。誰かに思いを伝える喜びを知らないばかりか、思いを伝えることの苦しみさえも知らずに朽ち果てるだろう。

※ピアノの先生は年下だったので、僕に説教をした事は無い。むしろ説教をしたなら、それは僕の方だった。ピアニストの土俵に靴を履いて上がるような、思い上がったことを言ったかもしれない。
「先生、左手だけの伴奏でいいんですよ。右手は適当な旋律でも付けて下されば」
 どんな意地悪な伴奏をさせても初見でスラスラ弾いてくれた先生だったが、ショパンのワルツやノクターンの右手を僕がバイオリンやフルートで弾いて、左手だけを先生にピアノで弾かせたら出来なかった。
「出来ないの。楽譜を見ると、つい両手が動いてしまうの」
 出来ないことがあろうか。目を瞑って弾いたって、楽譜を見ないでも出来るはずだ。たぶんこの辺が彼女のプロとしての矜持だったのだろう。僕はそれを、いとおしいと思った。

 

2005年4月3日(SUN) プライドのありか
 ゴルフのお誘いが来たが、今回はどうも日程の都合がつきにくい。しかしそうは言っても、いつ予定が変わるか知れないので、とりあえず練習に行ってみた。
 前回のゴルフから一度もクラブを握っていない。素人に逆戻りしている僕は、より遠くへ飛ばしたいという衝動を抑えつつ、ゆっくりとクラブを振り始めたはずだったが、気が付くと、やっぱりいつものように親の敵とばかりにボールを引っ叩いていた。

 僕はゴルフをプロに習ったことは無い。先生はみんな僕より少しだけ上手いか、あるいは同じ程度。いや、ともすると自分よりも下手くその先生に習ったことがあるかもしれない。
 ゴルフというのは誰でも見よう見まねで始められるから、初めてクラブを握って一月もするといっぱしのゴルファー面をして、独自のゴルフ理論を展開し始める『先生』が決して少なくないのだ。
 そんな有象無象の輩を師と仰いで練習していて上手くなるのだったら余程筋が良いのか、奇跡が起きたと言わざるを得ないだろう。
 だからゴルフ暦が長い割には未だに練習場やコースに多くの無駄金を捨てている。それならレッスンプロの門を叩くか、ワンポイントレッスンでも受ければ良さそうなもんだが、下らないプライドが邪魔をして決心が付かないのだ。

 人間のプライドなんて自分でも気が付かない意外な部分にあるのかもしれないと思う。
 あるとき、婿養子になった会社の同僚に旧姓を訊いたことがあったが、教えてくれなかったどころか、その日から3ヶ月くらい口をきいてくれなかった。
 元々頭が良くてプライドの高い、切れ者(すぐにプッツン切れるので)ではあるが、苗字が変わることなど考えたことの無い僕の無神経な質問が、彼のナイーブな部分を逆撫でしたのだと思う。

 堺市会議員に3度立候補してことごとく落選した知人がいる。彼が3度目に落選したときはさすがにプライドが傷つき相当落胆していたが、今その話をしても意外なほど冷静だ。ところが、彼と将棋を指して勝ち誇ろうものなら烈火のごとく怒りを顕わにして、鼻息も荒く再戦を挑んでくる。
 彼にとって議員生活は目標であるからなのか、それとも見果てぬ夢だからであるのか、あるいは立候補は単なる趣味の一つであるからなのか、さして重いプライドがかかったものでは無いらしい。
 そんなことより、勝とうが負けようが生活に何の影響も無い将棋の勝負の方が、目前の敵に敗北感を味わされる方が、はるかにプライドが傷つく重要なことのようだ。
 
 僕は今、童話のお師匠様についているが、ゴルフの先生に付くことは潔しとしなくても、文章の書き方を教わるのに何のらためらいも羞恥も無い。自分自身で文章が下手だと思っているし、もっと上手になりたいからだ。
 同じように、大人になってピアノのお師匠様に弟子入りするのにも全く抵抗がなかった。
 ところがあれは毎週テストを受けてことごとく赤点を取っているようなものだったから、人としての生き様を一から見つめ直さねばならぬほど、完膚なきまでにプライドが粉砕されたものだった。

 あるときなど無味乾燥な指の練習曲である『ハノン』を気が遠くなるような超スローテンポでやらされたことがある。
「先生、こんなにゆっくり弾くより、いつものテンポの方がやりやすいように思うんですけど」
「それはあなたの錯覚です。ゆっくり弾けもしないものを、早く正確に弾けるはずが無いではありませんか」
 考えてみるまでも無く、当たり前な論理であった。
「あなたもゴルフをされるんでしたら、軽く振れないで強いスイングが出来ないことはご存知でしょう」
 この一言に理性を失った僕は、先生のむなぐらをつかむと、両手でブラウスをビリビリと引き裂いて言った。
「よう先公、黙って聞いてりゃ上等なことをほざいてくれるじゃないか。あんたがどれ程ゴルフが上手いってんだ。男がどういうものか、今からタップリとアンタに教えてやるぜ」

(つづく)

 

2005年4月1日(FRI) 酒泥棒に手を染める罰当たり者
 桜を愛でようにも、ここ泉北ニュータウンの近隣では、まだ一輪たりとも見かけない。だから奈良県の生駒山に、よもや花見酒の出来る場所などあろう筈もないのだが、毎月1日は宝山寺恒例の聖天市が立つ日だ。久しく蕎麦屋のおじさんにも会ってないので、不届き仲間と示し合わせて出かけた。

 昨年の今頃、僕は断食道場に囚われの身であったが、その頃の絵日記を参照すると4月1日は桜がほぼ満開であったのを思い出すことができる。
 桜の開花には気温だけでなく雨量も関係すると聞くが、昨年は雨に祟られた日が多かったことを思えば、今年の開花が平年並みとはいえ、昨年より1週間遅れているのも頷ける。

 聖天市というのは午前中にお参りを済ませてしまうもののようで、我々が到着した2時頃にはもう参拝者は少なかった。
 残り福じゃないけど、ほとんど蕎麦を売り切っていた仲良しの蕎麦屋のおじさんが、余っている蕎麦を食べる尻から注ぎ足してくれるので、樽酒を楽しむ前にお腹が一杯になってしまった。そのせいもあるかどうか、今回は奉納酒をほとんど飲んでいない。

酒泥棒※ありがたい奉納酒をペットボトルに詰めるという言語道断の酒泥棒に耽る二人は、この罰当たりな所業を見咎めた宝山寺当局に事情聴取を受けることとなり、厳しい教育的指導を賜ったのち無罪放免となった。
 酒泥棒の決定的現場を隠しビデオに収めました。 クリック →


 帰りに通天閣下のジャンジャン横丁に串カツを食べに行ったところ、若い女の子たちで大賑わいだった。串カツごときで並ぶ訳にも行かない我々大人は適当な店で妥協して、目当ての店に入れなかった憂さを、ハシゴすることで晴らしたのであった。

※もちろん宝山寺様はそんな狭量なお寺ではありません。樽の前でなければ本来の味を堪能できない奉納酒を、ペットボトルに詰めて持ち帰るという道を外れた行為に嬉々とする二人を断罪したい、という僕の正義感のなせるエイプリール・フールなのでございます。

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2005年4月日()