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HAL日記


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2005年5月31日(TUE) HALの恩返し
 あるミニコミ誌が、泉北ニュータウン出身の有名人ランキング調査なるものを実施したところ、ダントツのナンバーワンは女優の沢口靖子さんだったという。誰に聞いてもきっとそんな結果になるのだろうが、驚いたのは僕のお師匠さまが15位以内にランクされていることだ。お師匠様には申し訳ないが、これほどの有名人だとは思っていなかった。

 しかし良く考えてみれば、泉北の書店には師の著書が並んでいるし、盲導犬書籍売り上げ番付によると、師の著作『盲導犬不合格物語』が『盲導犬クイールの一生』を押えて、堂々と正横綱に鎮座されている。
 未だに師匠の作品をった1冊しか読んだことのない不肖の弟子なので、ここらで自力で買って読まないといけないのだが、童話ってのは装丁がしっかりしているからか、発行部数が少ないからか、結構な値がする。わが師に貢献するのも、そうそう簡単なことじゃない。

 今年二回目の鮎ちゃんを送っていただいた。前回もらったとき、「滋賀県の地酒でもあればいいのに」と書いたらその通りに、『御代栄』も同梱してくださった。
「今年の鮎は不漁で、なかなか手に入りません。今回のは少し味が落ちています」
 さっそく味見をしてみたけど、決して悪くない。山椒が旬とあって、香りがすがすがしい。これのどこが「味が落ちている」んだろうか、と不思議に思いながら味わっていたが、なるほど分かった。旬の山椒に拮抗するだけの十分なパワーを鮎が失っている、という意味らしい。少し非力になった鮎とはいえ、新酒の御代栄で頂く飴煮はやっぱり絶品だ。

 お師匠さまには不義理をし、入手困難な鮎と御代栄。このお二人になんなとか恩返しせにゃならんのだが、鶴のようにはたおりの仕方も知らないし、お地蔵さまのように気の利いたことも出来ない。何だかんだと悩んだ末に、遂に妙案が浮かんだ。お師匠様の本を買って、鮎方に送ればいいんじゃないか。なんでこんな一挙両得、一石二鳥の素敵なアイデアが今まで浮かばなかったんだ。というわけで、お師匠様の『行こうぜ!サーカス』を求めた。


 お師匠さまの童話は、就学以前の子供には少し難しいかも知れないので、その中でも易しそうな1冊を選んでみた。
 僕自身が読んでないので、何も言えないけど、カバーに、「ある日、何もなかった空き地にサーカスがやってきた。テントの中には、どきどきがいっぱい!不思議がいっぱい!笑いがいっぱい!さあ、みんなもサーカスへ行こうよ!」とある。

 この本は確か、初めて知り合った頃に執筆し始めた本じゃなかったろうか。取材のためにサーカスを見に行ったとは聞いていたが、すごい速さで書き上げたと思う。

 

2005年5月30日(MON) 惨劇を予測しました
 童話教室の皆様方、申し訳もございません。私の力では皆様を温泉にお連れすることは不可能となってしまいました。撲る蹴るの乱暴狼藉、いかようにも甘受致す所存にございます。
 わたくしは恐竜の望む募集要項に沿っていなかったことが、ライバル婦人のご指摘で判明しました。奥様、全てはあなた様の双肩に委ねられる事となってしまったのでございます。

 公募とは、言うまでも無いが、かなり厳密なもののようで、既に発表している作品は応募できない決まりだとか。それなら同人誌などは良いのかといえば、今回僕が応募するJOMOに関しては否だそうだ。自分のホームページなら良かろう、と思っていたらこれも×だという。よその公募に落選したものさえ許されない。
 ニセもの、コピーものが常識のバイオリンのことを思うと、ずいぶんとオリジナリティーを要求されるが、優れた作品はなかなか生み出すのは難しいと思う。
 物語はギリシャ悲劇に始まって、千夜一夜物語、紫式部、シェイクスピアあたりがほぼやりつくしてしまって、あとはディテールを工夫するしか無いのでは、と悲観する。

 いくら言い訳を考えても空しいな。ごくごく基本的な部分でミスを犯したので、審査の対象にすら上がらないのが辛い。ワードの設定を間違えて、10ページのところを11ページ分書いてしまったのです。ああ、これぞ惨劇の予測。何か忘れているか、間違えているとは思っていたよ。がっくり!

 

2005年5月29日(SUN) ストラディバリ?そりゃ嘘だろう
 「お気の毒ですが、手順を間違えてしまったようです。救いようがありませんので諦めてください(惨)」
 有り難いことに、パソコンのスペシャリストからアドバイスの振りをした、臨終宣告をされた。どうやらWin2000をインストールする前にやるべきことをやっていなかったらしい。救いようが無いというのは、「デュアルブートを諦めて、WinXPを修復しろ」という意味のようだ。専門家に駄目出しをされてはもうお手上げなので、素直に修復作業にかかった。

 修復作業そのものは難しくはないし、データもそっくり戻ってくるのでダメージは少ないが、同じ様なエラーを繰り返す自分と対峙しなくてはならないから、精神的なダメージは計り知れないものがある。
 すっかり落ち込みながら作業を進めたのだが、専門家のご指導もあってboot.iniの意味がようやく分った。なんだか急に嬉しくなって、「次回はちゃんとデュアルブート出来るな」と楽観の虫が蠢くのだが、しばらくは怖いから大人しくしておこう。

 ストラディバリの名前は良く知られているように、300年前に作られて人気を博し、当時も今も最高のバイオリンとして業界に君臨している。
 現代のバイオリン製作家が参考にする形は、ほとんどが彼の形を模倣したもので、弟分に当るガルネリ・デル・ジェスを模倣したものは少ないし、親方のアンドレア・アマティのモデルとなると、もっと少なくなる。ましてチロル派の、ストラディバリに勝るとも劣らない、ヤーコプ・スタイナーとなるとかなり珍しいのだが、Yahooオークションにはそういった、本物なら億の値が付けられる楽器がいくつも出品されている。

 メインに使っているPCが不調の間、Yahooオークションにアクセスしなかったが、終了したオークションを見ると、出鱈目な値が付けられたバイオリンがどんどん落札されている。落札する人も決してストラディバリだと信じているわけじゃないが、「古い」というキーワードには弱いらしい。
 バイオリン製作の現場では、アンティークフィニッシュという技術が確立されていて、素人ではまず本物か偽物かを見破れないと聞く。現物を見ても分らないのだから、オークションの写真で何が判断できるというのだろうか。
 パソコンも、バイオリンも、専門家には敵わないのだから、まあ適当に長いものに巻かれるように、無駄な努力に見える苦労をしながら付き合っていくしかないか。

 

2005年5月28日(SAT) テレビ将棋で口喧嘩するなよ
「棋士とはなんですか」と問われた将棋指し、故芹沢九段はいみじくも答えた。「先生と呼ばれる期間が最も長い職業である」と。
 確かに囲碁も将棋も、棋士は「先生」と呼ばれる。羽生4冠などは、小学生の頃にプロ棋士養成機関である『奨励会』に入会しているから、14歳でプロになる前に、どこかのお金持ちのアマチュア将棋指しに請われ、アルバイトで将棋指南をしたことがあると思う。
 おかっぱ頭の愛くるしい顔でありながら、先生と呼ばれている姿には違和感もあるだろうが、あの世界では決して珍しいことではない。そして彼等は引退した後も、死ぬまで先生と呼ばれ続けるのである。

『銀河戦』と呼ばれるテレビで放映される将棋のタイトルがあって、先日観る機会があった。
 対戦するのは、還暦を過ぎた有名棋士A先生と、関西の若手B七段だった。どちらの棋士も、気合の良い将棋を指すので、僕は二人とも贔屓にしているが、激しい戦いが始まった頃に事件は起きた。A先生のマナーが悪いのに業を煮やした若手B棋士が、大先生に向って意見したのである。
「何度も残り時間を聞くことないでしょう。秒を読まれているんだから、すぐに駒から指を離してください。時間切れになっているじゃないですか。ぶつくさ.etc」
 確かにA先生の対局マナーは良くない。棋界でも1、2を争う程だが、決して嫌がらせでわざとやっているわけでもなく、盤上没我になるとアクションが激しくなるだけのことなのだ。
 全人格を否定された形になったA先生も反駁して、対局を放ったらかして口喧嘩に発展したからたまらない。気の毒な解説も者も聞き手もコメントが出来ず、黙して見守るばかりとなったのである。

 将棋界のタブーの一つに、「棋士の臍から下の話題には触れるな」というのがある。男性棋士は女癖が良くないというのだ。あの大棋士、故大山康晴先生など、タイトル戦で地方に行くたびに、奥さん以外の女性が同行していたし、中原先生と林葉直子さんの痴話喧嘩は記憶に新しい。このたび将棋連盟の会長に選任された、東京都の教育委員を兼ねる米長先生だって、若い頃には相当浮名を流したと聞く。
 囲碁も将棋も日本の国技みたいなもんだから、棋士はすべからく品行方正であれかし、と我々は願い、彼等に高潔な人格を求めたがるが、大きな間違いであることに気が付くべきだろう。盤を挟んで口喧嘩するくらいならまだしも、囲碁界では殴り合いの喧嘩をした人たちもいるのだ。

 勝負の世界に生きているなら、棋士というのは闘士でもあるから、きれい事を宣ってばかりもおれまい。某老大家のC先生など、わざと飛車と角を反対に並べ、「先生、飛車と角が逆になってますが」と若手棋士に指摘されるのを待って、「ん?ありゃ〜、ワシも惚けたかのう…」とやって敵の気力をそいで置いてからコテンパンにやっつけるのだそうだ。
 将棋は勝つか負けるしかない実力の世界だから、どんなに若輩者であろうと強ければ先生と仰いでも変ではない。感性というつかみ所の無いものを重視して、天才ピアニストだからといって、子供を先生呼ばわりすることの無い演奏家の世界とは違うのである。
 先生と呼ばれる子供が将棋を指しているのなら、NHK杯選手権者の若手棋士山崎六段をして、「棋界人に見識の高い人は少ない」と言わしめたのも仕方の無いことであろう。

 「酒と女と将棋が好きだったら、八段にまではなれる」と芹沢九段は言った。かつてそういった時代が確かにあったが、競争の激化している今の時代にこの言葉は当てはまらない。タイトルと人格に相関関係が出来つつあるように思えるのだ。芹沢九段が本当に言いたかった、「名人位は相応しいものだけが手に入れることが出来る」時代が到来するかも知れない。

 

2005年5月27日(FRI) 上手くいかない
 パソコンのインストールが上手くいかない原因がようやく分った。「boot.iniを書き換える必要がある」とのことだが、booto.iniって何だ。具体的にどんな手順でやるのかが分らない。このままでは100ギガほどのデータが消失することになってしてしまう。

 分らないことは分るように待つか、諦めるしかない。「諦めることはいつだって出来る」とは言っても、諦められないからいつまでも苦しんでいるわけで、まるで初恋の相手みたいに引きずっている。もう少しだけ頑張ってみるか。

 

2005年5月25日(WED) ロシア式拷問を受けてます
 「カリコリ、カカカ、カチカチ、ジジ、キュッキュ」
 もう3時間ばかり僕のパソコンはせっせと仕事してくれている。その仕事の中身とは、2つ付いてあるハードディスクの片方のデータを全消去することだ。そのデータが何かと言えば、Windows2000Professionalと言うOSだけなのだが、これをインストールしてからWindowsXPが起動しなくなってしまったので仕方なくDOSモードでWin2000が入っている筈のドライブをフォーマットしているわけだ。

 そもそも僕のパソコンは、ただ一つのゲームをやるためにだけ組み立てたパソコンだったのだが、Win98からXPに乗せ換えたらそのソフトが使えなくなった。
 使えないソフトを持っていても仕方ないので、NETオークションで売り払ってしまおうと思い立ってからもう1年になる。値が張るだけでなく、このソフトを動かすために一体どれ程の苦労をしたろうか。
 いざ手に入れて使ってみたら、プレステのように、CDを入れたらすぐに言うことを聞いてくれるような易しいソフトではなかった。日本語の分厚いマニュアルが付いてはいるが、ソフト自体が英語でしか動かせないばかりでなく、操作を誤るとすぐにフリーズしてしまう。
 まるで出来の悪い息子のような存在だが、それだからこそ、苦労したからこそ手放せないのかも知れない。

 ロシア式の拷問というものがあるのだそうで、囚人に、「自分が入れるくらいの穴を掘れ」と命じるのだそうだ。それだけならしんどいだけで済むので、囚人もいやいやながらも地面に穴を掘り始めるが、頃合の穴が掘りあがったと思われる頃に、「今度はそれを埋め戻せ」と命じるのだそうだ。
 それを何度も何度も、何日も繰り返すと、大抵の囚人は気が変になると云う。労働が苦しいのじゃなく、意味の無いこと、生産性の無いこと、達成感を味わえないことを繰り返すことに、たとえ懲罰といえども、人は耐え難いのだろう。
 
 今僕のパソコンがやっている作業も、僕が仕出かしたエラーも、実はもう何度も繰り返している。原因が分らないから、分るまでやってみたいと思った結果がこれだ。
 一つのパソコンにWin2000とWinXPが同居していてもいい筈で、それなら例のソフトがWin2000で動かせるから嬉しい。
 OSのデュアルブートというやり方はXPと2000の間なら普通に出来る筈なのに、どうしてこんなに苦しんでいるのだろう、と思ってよくよくCDを眺めていたら、これはコピー商品だと気が付いた。今頃遅すぎるけど、手書きでWin2000と書いてある。

 さっきからずっと見ていると、1%を処理するのに10分かかっている。ということは60分で6%だから10時間かかってやっと60%のペースか。朝までかかるこんなやつに付き合っておれんぞ。頭が変になりそうなので寝ることにする。

※日頃コピー商品に鈍感になっているので、ただで美味しい思いをしたくなるが、ロシア式拷問を食らっては元も子もないだけでなく、この2、3日恐ろしい思いをした。でもそれはこの次に。
 それにしてもハードディスクがカリカリという音をたてている分には安心だが、なんでキュッキュって音がしてるんだろう。ものすごく不安だ。

 

2005年5月24日(TUE) 良心を持つ、悪質ウィルス
「○○ですが、奥さんいますか」
 僕の女房の友達を思わせるような物言いをする、無礼なおばちゃんから電話がかかってきた。普通なら、「あらまご主人、お元気ですか、このところはお天気も…」みたいな時候の挨拶の一言くらいあっても良さそうなもんだが、なにやら急いでいる様子だ。
「え、どちら様ですって?」
 ○○のところが聞き取れないほど早口だったので聞き直したのだが、もう一度聞いても中国人の名前のように聞こえる。
「はあ、それでどういったご用件でしょうか」
「ですから、奥様に用事があるんです。代わって下さい」
 何とも不躾な輩だが、僕でさえ知らない女房の名前をこの人は知っているとでも言うのだろうか。

「女房はおりませんので、代わりに用件をお伺いしておきますが」
「奥様にだけお知らせしたいんですが、美味しくて健康にも良い水を、女性の方にだけお配りしているんです」
 何かを売り込みたいようだとは感づいてはいたが、それが何なのか知りたくてここまで引っ張ったら浄水器だ。とうとう馬脚を現したので、こちらも頭にきた。

「女房のやつ帰って来ないんですよ。いえね、逃げられたんじゃなくて、変な水飲まされましてね、帰って来れない所に行ってしまったんです。早い話が殺されたんですな」
 どんなリアクションが返ってくるのか楽しみだったのに、いきなりガチャンと切るのは反則だろうが。
「それはそれはご主人、ご愁傷様で」と、JR西日本の社長ですら言えるようなお悔やみのひとつも言ってから電話を切りやがれ、と言いたい。

 考えてみれば僕の電話が古くて、番号表示が出来ない所にも弱みはある。しかし近ごろでは、大抵の連絡事項は携帯経由になっているし、売り込み電話も昔に比べたら少なくなっているみたいだから、新しい電話なんか買う気にもなれない。
 とりあえず急いで買わないといけないのはビデオデッキなので、WEBで調べていたら、知人から、「kakaku.comにアクセスしたなら、ウィルスチェックすべし」とのご忠告メールを頂いたので、慌ててウィルススキャンをかけた。
 
 あれから何度も無言電話があったが、きっと水商売の○○さんに違いなかろう。顔が見えない相手というのは不気味だと思う。どこの誰だか特定されないと思えば、人は何でもやらかせるのだろうか。
 顔が見えないだけで、声が聞こえるのはまだいい。ウィルスにいたっては機械がばら撒いているのだからたちが悪すぎる。そんな悪質ウィルスに、良心の呵責、悔恨の念がプログラミングできないもんだろうか。
「あ、この人はお金の無い中高年で、明日をも知れない難病を患っている。せっかく抜き取った個人情報だけど、謝って返してやろう」とか、「こいつは振り込め詐欺の常習犯だから、搾り取れるだけ騙し取ってやろう」なんて動きをするプログラムだ。どなたか優秀なハッカーにお願いしたいものだと思う。

 

2005年5月23日(MON) 競走馬の末路
 バクチというものは一切しない。嫌いなわけじゃないけど、やり始めたら熱くなって取り返しがつかないところまでのめり込んでしまいそうで怖いからだ。
 だから当然ながら競馬のことも知らないが、知り合いには競走馬を持っていた人がいる。今ダチョウを飼う算段をしている彼の持っていた馬は一度たりともレースに勝ったことが無いまま処分したと聞いた。
 そりゃそうだろう。「ダービー馬のオーナーになるのは、大統領になるより難しい」と言われる世界で、たとえ地方競馬でも馬で黒字を出すなんて、もし簡単に出来るなら競馬ファンがこぞって馬主になるはずだ。

 NHKの朝ドラ『ファイト』を観ていると、ヒロインがしょっちゅう厩舎に出入りしているけど、あんなことが実際に可能なのだろうか。
 以前仕事で、『栗東トレーニングセンター』という競走馬を調教している所に行ったことがあったが、門のところで守衛さんに止められ、行き先を訊かれた。
「どちらまで?」
「診療所に行きます」
「ご用は何ですか?」
「商用というやつですが」
「具体的に何をするんですか?」
「機械のPRとか、調整とか色々です」
「それでは持ち込む鞄の中身を全て出してください」
「はあ?前回来た時には何も言われませんでしたけど」
「あなた馬診に行くの?それとも人診に行くの?」
「あ、そうかぁ、人診です」
「なんだ、それならそうと先に言って下さいよ。人診ならかまいません、お通り下さい」
 馬の診療所があるとは聞いていなかったので驚いたが、人を診療する先生にそのことを話すと
「ここじゃ、人間より馬の方が大事にされてるんですよ。全くぅ!」
 自嘲気味に聞こえるけど、あながち冗談でもないように思えた。考えてみれば、馬にはどれ位か知らないけど、とにかく大金が掛けられるのだから神経質になって当然だろう。

 競走馬の背中に乗る人間が、たとえ天才と称えられる武豊であろうが無名のジョッキーであろうが、アラブじゃ金を稼げないのなら、人間よりサラブレッドの方が大事にされても文句は言えまい。
 仮に僕が車にはねられて死んだって、少しの間だけ肉親が悲しんでくれるかも知れないが、テンポイントが安楽死させられたよりは、世間は悲しんでくれないのだから、「人の命は地球より重い」などと軽々しく口にする人には気をつけたほうが良さそうだ。

※税金を納めようが納めまいが、日本国民なら使い物にならなくなっても安楽死させられたりすることは無いのだから、日本の人間に生まれて良かったと思うが、競走馬が安楽死させられたらその後はどうなるんだろう。熊本に運ばれて、『テンポイントの馬刺』として売られた話は聞かない。でもドッグフードにはなっているかも知れないと思う。

 

2005年5月22日(SUN) ピンクチラシの必要性とは
 毎日のゴミのように、ミニコミ誌やダイレクトメールが投げ込まれているポストを開けて、宛名の書かれていないものはゴミ箱に捨てるが、必ずといっていいほどピンクチラシが入っている。大したゴミにはならないが、「あんたの家のポストにこれが投げ込まれていて、お子さんが見ているのをご覧になったらどんな気分だ」と、文句を言いたくなる。

 とまあ、世間並みのことをつぶやいては見るが、子供どころか嫁もいないので、こういったチラシは僕のような者にこそ必要なのか知らん、と思ってしまう。
 モーニング娘だかなんだかのアイコラが扇情的に印刷されているのを見ても、モームスそのものを知らないので、僕に対する訴求力は無いに等しいから、アイドルには悪いけどやっぱりゴミ箱行きだ。

 ビデオデッキが何の前触れも無く壊れた。将棋番組を録画したはずが、音声しか録画されていなかった。色々試したけど、どうもヘッドに問題が発生したのだと思える。同じメーカーの似たような機種で、違う部分の壊れているデッキがあるから、2台を合体させたらどちらかが機能を回復させそうだが、ビデオデッキごときに何日も費やして修理した、昔の情熱はもはや枯渇してしまっている。

 大手家電販売店に行って、ビデオデッキコーナーを探したが見つからない。いつの間にやら世の中は、ハードディスクとDVD録画が当たり前になっているようで、VHSデッキはほんの数台が展示されているだけだった。
 こうなったらハードディスク、VHS、DVD一体型のレコーダーを買うしか無さそうだが、もらった最新のカタログを見ていたら、「2004年12月現在」となっている。コンビニで立ち読みした本には、もう既に新機種が紹介されているじゃないか。
 家に戻ってポストを開けて電気屋のダイレクトメールを探したが、普段は意識しないのに、必要なときに見つからないのは、他所の町散髪屋さんと同じだ。ということは日曜日に限って申し合わせたように投げ込まれている、これらのピンクチラシもいつか必要になる時が来るのか。
 ゴミ箱に捨てかけたチラシの束をポケットにしまおうとするや否や、ご近所の女性に見られ、泣く泣くゴミ箱に捨てた。


※しばらくVHSで不便を感じていなかったので、浦島太郎さんになっていた気分だが、デッキが壊れたおかげで現世に戻ることが出来、ちょっと興味深い物を発見した。これで一月ほどバイオリンが遠のいたかもしれない。

 

2005年5月21日(SAT) 待っててね、中国の女工さん
 時々中途半端な金額でオークションに入札しているが、次々とチャンスを見送りながらバイオリンが落札されていくのを見ていると、少しは僕にも知識が付いてきて、安いのか高いのか、それとも騙されて落札しているのかが分かるようになってきた。
 誰でも知っているようなメーカーの入門用バイオリンセットは、ショップで買うよりは確かに安いと思う。だがあまり知られていない欧州方面のメーカー製には、とんでもなく不当な『落札希望価格』が設定されていたりする。

 どういった事情があってこんな出鱈目がまかり通っているのか調べてみたら、日本の大手バイオリンショップが、アメリカのネットショップで普通に手に入る価格の3倍以上もの値を付けているからだと分かった。
 大手バイオリンショップのNET通販のページにある、希望小売価格が40万円の楽器は、アメリカでは1000ドル程度で売られているが、その楽器を仮にルーマニアの工場から10挺仕入れた時の価格が@500ドルだったとしたら、およそ8倍近くもの値を付けていることになる。
「薬九層倍」と言って、医薬品は仕入れ原価の9倍の定価が付いているのが当たり前だったのが変わりつつあろうかという時代に、こんな旧態然とした商法を踏襲していて許されるものなのだろうか。

 聖書の曰く、「信じる者は救われる」なんて嘘じゃないのか。イエス・キリストが言ったのは、「信じる者は騙される」の間違いじゃないのか、という気がして仕方ない。
 東京の有名バイオリン製作マイスターの、「信頼できるショップを見つけて、とことん騙される覚悟でバイオリンを買ってください。良いバイオリンは転がっておりませんから」という言葉を真に受けて、とことん騙され続けたら、良い楽器を手に入れるまでには、とことん散財する羽目に陥るんじゃないだろうか。誰か猜疑心の強い僕を上手に騙してくれる人は、楽器商は、あるいは何かの理由は無いのか。

 GDP(国内総生産)が二桁に達しようかという好景気の中国にあって、労働力は無限にあると信じられているかのように、「労働者は、山の向うから湧いてくる」のだそうだ。だから機械を買うより手作りの方が安く付くので、バイオリンのような楽器作りにはうってつけらしい。
 もうこうなったらバイオリンを買う残された手段は一つしかない。「安いですよ。その代り中国製ですよ。ラベル貼ってませんから、自分で適当に貼り付けてね」と言わんばかりの謳い文句でオークションに掛けられている中からバイオリンを探すことにする。
 山の向うから上海のバイオリン工場に出稼ぎに来て、狭い部屋に何人も押し込められて共同生活し、河南省辺りに残してきた家族に仕送りするために、一生懸命バイオリンを削る若い女工さんたちに思いを馳せながら、「君たちが心を込めて削ったり、ニスを塗ったバイオリンは日本に来て、僕が弾いているのだよ」と言ってあげたい。



※安い中国製の、しかし綺麗な楽器を買うために、自分自身を偽ることの出来る理由を発見したのでございます。

 

2005年5月20日(FRI) 甘いな、グアムの結婚式は雨だぜ
 甘すぎるな、と思いつつ浸けた去年の梅酒は、やっぱり今飲んでみても甘い。まずくて飲めなかったウィスキーで薄まっているはずだが、まだまだ女子供の飲み物並なのはしゃくにさわる。だからといって今日はワインを買ってないから、アルコールといえば消毒や掃除用に使っている96度のウォッカしかない。酒があったらあるだけ飲んでしまいかねないので、買い置きをしないことにしているのだ。

 ここ数日は赤ワイン1本で済ますことにしている。酒が無ければ無いで済むけど、梅酒かウォッカが貯蔵されているのを知っているから、当然飲む手段を考える。
 甘い梅酒に超辛口のウォッカを1/4程入れて、少しだけ水を加えたオンザロックを作ってみたら悪くない。もし今年も浸けるなら、砂糖は半分にした方が良いな、でもまだ1/3も残っているから、6月の半ばまで毎晩梅酒を飲むことにするか。

 去年の日記を読みながら、そういや甥が結婚するとか言い出したのもちょうど1年前だったな、と思い出した。やつの結婚式はグアムらしいから、ちょっとグアムの天気を調べてみたら、日本を発つ明日は晴れだが結婚式の当日は雨と出た。
 「ザマア見ろ、俺を出し抜いて先に結婚するような底意地の悪いやつに罰が当たって当然だろ」
 声に出して腹の底から笑って溜飲を下げたけど、なんだか遣る瀬無い気分になった。それというのも、半年前にゴルフに行って泊まったリゾートで、結婚式の模様を指をくわえながら写した同じチャペルで式を挙げるからなのだ。

 手の込んだ嫌がらせにも思えたりするひがみ根性も大概にして、「せめて関空離婚だけはしないように」と二人の幸せを祈っているような、この期におよんでも往生際の悪い僕だ。
 二人して新居に暮らしているらしいから、そんな不吉なことは有り得ないとは思うのだが、実際にそんなカップルを目の当たりにしたことがある。でもそれはいつの日にか書くことにして、とりあえず、つつがなく結婚式が挙げられますように。 d(^0^)b

 

2005年5月19日(THU) バイオリンの先生は美人か?
 バイオリン教室をネットで検索してみたら、泉北ではたった二つしかヒットしないのはどうしたことか。僕でも何人か知っているというのに、あの先生がたはもぐりで営業しているのだろうか。まさかそんな筈はないから宣伝不足なのか、あるいはピアノと違ってバイオリンを教える側も習う側も数が少ないから、需要と供給のバランスがとれていて、宣伝の必要も意味も無いというなら分かる。

 良く通う場所の近くにそのバイオリン教室を見つけたので覗いてみたら、受付のおばちゃんがとても愛想が良いので捕まりそうになる。
「バイオリンですか。先生は若い女性ですよ、ホホホ」
 なんだかこちらの下心を見透かされているようで恥ずかしくなってしまうが、このおばちゃんなかなかのやり手と見た。
「い〜ですやん。その上にベリーキュートなお嬢様なんでしょうね、きっと」
 相槌を打つように僕が返したら、間髪を入れず答えが帰ってくると思ったけど違った。
「…そ、それは、もう…」
 僕の顔に、「その微妙な間は何?なんだかとても気にかかるぞ」と書いていたのだろうか。
「どうぞレッスンが終わるまで待たれて、先生にお会いになられてみては?」と何度も勧めてくださる。

 さすがに接客のプロらしく、もう一人の相棒と組んで、システムの説明やらの資料を出して来て下さり、危うく転んでしまいそうになるじゃないか。
「最初のチャンスは見送れ」という将棋の格言を思い出した僕は、とりあえず今回は逃げることにした。
「それがですね、今バイオリンを探しているところでして、それが上手くいけば先生にお会いしに来ますよ。ですから今日のところは勘弁して下さい」
 苦しまぎれの言い訳をしたが、決して嘘ではないのだから、こちらの良心も痛まない。でも約束は約束なので、バイオリンが手に入ったらもう一度出かけるとするか。「飛んで火に入る」ってやつかも知れんな。

 

2005年5月18日(WED) 発砲社会アメリカに学ぶ自己変革
 アメリカの超高級住宅街ビバリーヒルズを歩いたことがある。有名俳優の所有らしい家も見たが、道路からではどれほどの豪邸なのかは良く分からないので、特に感動も無かった。ただ道路に信号機が無くて、十字路でよく事故が起こらないもんだな、と感心した。
 「一旦停止して到着順に交差点を通過します。譲っても先に行ってくれないほど、厳密にルールが適用されるんです」
 後で聞いたら、自己主張の強いアメリカ人には似つかわしくない、愚直と言っても良いような順法精神が生きているのだそうだ。

 泉北ニュータウンにも、高級と呼ばれるほどでもないが、立派なお家の集まっている街があって、わざわざ走り難く道路が作られているだけでなく、無駄と思える信号機も結構有ったりする。それなのに泉北で最もホットなスポットと思われる街は、凄い交通量なのに信号機の無い所が多い。
 日曜日になるとショッピングの車たちが、我先にと交差点に突っ込むので危なくて仕方がないし、気の弱い初心者の運転する後に付いたらなかなか交差点を通過できない。信号機を設置してくれないなら、ビバリーヒルズ並みのマナーがあってほしいもんだが、日本の車文化はまだまだアメリカに遅れをとっているのだろうか。

 先ごろアメリカで、「身の危険を感じたら発砲してもかまわない」という法律が、全米ライフル協会の後押しを受けて成立したらしい。殺されるより、とりあえず撃ってみてから裁判にかけられた方がマシだ、という連中が増えたらピストルメーカーは大儲けするだろうが、アメリカは開拓時代に逆戻りするんじゃなかろうか。何と血なまぐさい野蛮な国なんだろう。
 してみるとビバリーヒルズに限らず、アメリカの交通マナーというのは、順法精神というよりも、身を守るためにルールを守っているに過ぎないのだろうか、と思えてくる。
 日本の交通マナーが譲り合いの精神を基本にしているのを、アメリカも学べと言いたいが、今後の日本の交通マナーもアメリカナイズされていくのだろうと思う。

 安全神話がとっくに昔話になってしまった今の日本では、自分の身は自分で守らなくてはならない。娘がいなくなったのに警察にも届けていないなんてちょっと考えられないが、それが現実なのだ。もはや安全な国じゃないのだから、考え方を変えろと言いたい。
 アメリカの良い面もそうでない面も取り入れてきた我々の、安易にして急激に文化を変革させることに鈍感な才能は喜ぶべきものなのだろうか。僕だって1年前と同じ事を言っていないのに気が付いて愕然とする。
 昨年の日記で、「男が座ってションベンするだぁ?アホか」と言っていたのに、「酔っ払ったら命中率が悪くなるし、飛沫は跳ね返らないし、結構落ち着くから良いんじゃない」なんて言いだす始末だ。これからの日本人は、こうして自分の身を守るために自己変革を遂げていかなくてはなるまい。

 

2005年5月17日(TUE) ドラマ『エンジン』を観て泣く
 留守電にかわいらしい女性の声でメッセージが入っていたが、堺警察からの間違い電話らしい。どの部署の誰かも名乗らないので間違いを正すことも出来んじゃないか。メッセージを受け取れなかった○○さんも気の毒なことだ。
 100均でニンニククラッシャーなるものを買ったら、手を切りそうなバリが出ていたので、電動リュータで削り落としていたら指まで削ってしまった。無印良品の店に行くと、640円でいいデザインのものが売られていた。やっぱり100均には気をつけないと。
 Yahooにオークションのページが誤動作する旨をメールしたらドイツ語の返事が来た。どうせーっちゅうんや?後から日本語で回答をもらったが、僕の言った意味が通じていなかったようだ。

 人間は生きていれば楽しいことよりおもしろくない事の方が多くて当たり前だと思う。そりゃ、年収100億円ももらってりゃ大抵の事は我慢できるだろうが、そんな人には辛い事って無いんだろうか。いや、順風満帆に見える人生だって、必ず蹉跌や挫折は付き物だ。あの独裁者ヒットラーの最後だって失意の内に自殺したじゃないか。
 納税長者だって、タイガーウッズだって、宮里藍だって大して変わりないと思う。ん?そうじゃないかなぁ、そうであってほしいと思う。

 ドラマ『エンジン』を観ていると、はなっから可哀想な境遇にある子供たちが主人公になっているので、観る者の涙を誘うのも当然だ。
 それだけでなく、3歳の幼子から50歳くらいのオジサンにまで、登場人物全てに葛藤を背負わせ、自らに解決させていくプロセスを見せ付けられる僕たちは、彼等の生き様に感情移入せずにいられない。

 良い歳したおじさんが、あのドラマを観ながら涙するのがおかしいだろうか。確かにストーリーの展開は分かりきっているような所もあるし、安っぽい感動を誘うように作っているかも知れないけど、あれでいいんだ。
 昨年ヒットした『冬ソナ』だって、30年も前に僕たちが読んで涙した、漫画『愛と誠』を踏襲しているように思えるし、同じく漫画『タッチ』や『メゾン一刻』を彷彿させる、まだるっこしさや擦れ違いの妙を憶える。

 物語を書くのは難しい。『エンジン』だって、僕にも書けそうにも思うが大間違いだ。演出も上手いし役者も揃っていて、金をかけているのだから出来の良いドラマなのは当然だが、実はとてもムカつく部分がある。でもそれは次の機会に。

 

2005年5月16日(MON) こちとら税金が払えねえんだよ
 高額納税者番付のニュースを見ていて、納税の季節であることを思い出した。納税と言っても自動車税ののことだけど、今年は「あれっ?」と思うくらい安い納付金額が提示されている。
 事故ってから1年。新車を購入したときに税金のことまで考えていなかったけど、燃費の良い車を買うとガソリン代が浮く上に税金まで安くなる。

 前の車は、いわゆる『デートカー』というやつで、スポーツっぽいフォルムの、女の子が好みそうな見てくれだけの燃費の悪いツードアだった。実際はそんなに走らないのだけど、なぜか走り屋に受けるFR車なので、かなりのロングセラーだったと思う。
 その軟派な車を買った当初は、「車と彼女はワンセットやんけ」と彼女作りに精を出していたものだから、1年で2万キロ近くも走っていた。

 温暖化が進んで、アラスカでは、今まで氷河に覆われていた土地に花が咲き始めたのだという。暖かくなれば住みやすくなるだろうにと思ったら、エスキモーの人たちは「とても住みにくくなった」と言っている。花が咲いたら心も満たされると思うのは間違いらしく、アザラシが獲れなくなったのが大問題なのだそうだ。

 人類は自らが招いた環境変化に対応していけるのだろうか心配だ。急激な環境変化のスピードに合わせて肉体の進化が追いつける筈も無い。いやそれどころか人類は退化しているのではなかろうか。
 新しい病気が発見されると、新薬が開発される。それはすばらしいことだが、自然の法則にしたがって淘汰されることがなくなるから、病気に耐性のある遺伝を子孫に引き継ぐことが出来なくなってしまった。
 それだけならまだいいが、人類は自然界に存在しないダイオキシンやプルトニウムみたいな毒まで生産して自らを苦しめている。

 おっと、自動車税を払いたくないものだから、ついつい余計なことを考えてしまう僕だが、高額納税者となると言う事が違う、「一生懸命に働いて税金を納めるのが国民の義務だと思います。税金が社会のために有効に使われることを望みます」
 素晴らしい志だと思う。肉体の進化は滞っているかもしれないが、精神は飛躍的に進化を遂げている証明だろうか。金を稼ぐ遺伝だけは間違いなく後世に受け継がれるだろう。

 

2005年5月15日(SUN) 「ご主人様」いや、それほどでもないっす
 「くたびれてるのは分かるが、ちっと静かにしてろ」と叱りながら本体を叩いたらしばらくは大人しくなる。僕の使っているパソコンは、2001年製のmade by HAL、名はSOYOTIANという。台湾のメーカーSOYO社のマザーボードに換装してからその名付けてやった。
 製造されてから4年。パソコン齢に直すと、かなりなお婆ちゃんということになるから、あちらこちらに具合の悪い所が出始めても不思議じゃない。ノイズの音源は4個あるファンのうちのどれかだろう。

 何でお婆ちゃんなんだと言われても困るが、マザーというくらいだから女でいいんじゃないかと思っただけのことで、男になりたいらしいYUTIANの名前をもじってみた。
 至らないところは数々あれど、文句を言わずに良く動いてくれるやつだが、もし今こいつと同じスペックのパソコンを探そうとしても新品では手に入らない。当時5万円で買ったグラフィックボードを搭載しているが、それと同じ値段のパソコンでもSOYOTIANよりは良く働くはずだ。

 少女監禁事件が世間を震撼させているが、識者によると世の中には監禁したい人も監禁されたい人も少なからずいるのだそうだ。もちろん男女どちらの場合もあるという。それだからこそ『監禁ゲーム』みたいなものが売れるのだと聞かされた。
 監禁ゲーム。聞いただけで身震いしそうな恐ろしいゲームがあるなんて世も末だ、なんて僕も思うが、ゲームを体験した人に聞いたら、「あんな、まだるっこしくて退屈なものは、マニアじゃないとやってられん」のだそうだ。

「一所懸命で尽くしたのに彼にふられた」
 知り合いの女の子から電話をもらったことがあって、よくよく聞いてみると、彼氏にはSMの趣味があり、同好の士が見つかったのでふられたらしい。
 で、そのふられた彼女は女装趣味の男を見つけた。頼みもしないのに、見せびらかすように僕に紹介してくれたが、なるほど確かに女装させて見たくなる男ではあった。彼と出会うことで彼女は自分の服を男に着せて一緒に街を歩く喜びを見出したというのだ。

 監禁事件の報道を見ていると犯人の奇行ばかりが強調されているようだが、被害者とされている側の落ち度は無いのだろうか。NHKの言う「インターネットを使った」というキーワードも気に入らない。
 儲け話に飛びついて詐欺に遭ったのと、どう違うのか僕には釈然としない事件だと思う。初めから、「監禁されたい女性求む」と言えばその趣味の人が見つかっただろうに、それじゃ駄目なのだろうか。

「自己責任」を広辞苑で調べても見つからない。日本語に本来無かった概念だろうか。自分のしでかしたことを自分で責任取るのが当たり前だった時代が終わり告げて、社会のシステムに責任を擦り付けても変ではない時代になったと言えるのだろうか。
 だが上には上がいて、詐欺師だって詐欺に引っ掛かる。どんなにソフィスティケートされている人だって、アクティブであろうとすれば危険はつきまとう。だからいつだって能動的なことは自己責任であるはずだ。
 僕のSOYOTIANも自分が生み出したのだからどこにも誰にも文句が言えない。彼女が働けなくなるまで、自己責任で温かく見守ってやるしかないか。

 

2005年5月14日(SAT) 死別の悲しみがあるから飼わない
 「ダチョウを飼う話はどないなっとんねん」
 バイオリンのことばかり考えていたら知人から督促の電話がきた。忘れていたわけじゃないけど、でっかくて怖いやつと対面して来たのでモチベーションが急激に低下していたのかもしれない。

 ダチョウの価格は、生まれてすぐの雛でも1万円強する。夜店でヒヨコを買うのとは訳が違うし、買った雛が全員健やかに育つとは限らない、と聞いてはためらわざるを得ない。
 それに昨今の鳥インフルエンザの猛威を思い出すと、なおのこと心配事が増える気がするのに、なぜか知人はとても乗り気になっている。広い土地を確保している上に、ウコッケイを飼って楽しんでいる人だから、ペットを飼うつもりで楽しみにしているのだろうか。

 メジロ。にわとり。野良猫。雑種犬。その他いろんな動物を飼ってはことごとく先立たれ、中には僕の不注意のせいで天寿をまっとう出来なかった生き物たちも少なくない。理由は分からないけど、僕は生き物を飼うのに向いてないのだと思う。
 僕の気まぐれで飼われて、死んでいった動物たちの顔を今はもう覚えてはいない筈なのに、眠れない夜には何かの拍子に鮮明に思い出すことがある。

 ゴメンね、水温を下げようとして水槽にドライアイスを放り込んで窒息死させた金魚たち。何を食べるのか知らないものだから、ソーセージを与えて餓死させた水鳥の雛。犬にかまれた子猫。猫同士の喧嘩に破れた野良猫の『ノラ』ちゃん。
 死んだ我が子の歳を数えるように、彼等の顔を思い出しては懺悔する。もうこれ以上悲しい別れをしたくない。僕の手の中で息絶えた子猫の感触を、温もりを、もう二度とは体験したくない。

 ダチョウを飼ったらきっと子供の頃と同じ轍を踏むに違いないと思う。同じ過ちを犯して苦しむのはこりごりだ。僕は知人にダチョウを飼うのを諦めさせようとして、生態を勉強した。
「雄1羽に雌5羽までが適当で、それ以上はグループ分けをすること。寿命はエミューの場合50年、ダチョウで80年くらい生きる」
 ダチョウたちと悲しい別れをするのは、順調に行くならあと50年は先のことになるというなら、悲しい思いをするのは絶対彼等の方だろう。そんなら、ヨッシャー飼うぞ!

 

2005年5月13日(FRI) 色んなプロのオフ会もよし
 スポーツクラブの風呂に浸かっていたら、またもや視線を感じた。もし女性だったら大騒ぎになるだろうから、今度は間違いなく男だ。
「やあ、今日は。その後バイオリン弾いてますか」
 名前をちょっと失念したが、ギターの先生だった。
「先日、東京のバイオリン工房に行ってきたんですが、ちょっとやそっとでは作ってくれそうにないので、ネットで探してるんですよ」
 ギターやバイオリンの選び方の話で盛り上がったが、先生は200万円ほどのギターを使っておられるらしい。イギリス製らしいが、本場スペインの楽器も使ってみたけど、日本人の指には合いにくいのだそうだ。

 アンダルシア。ロドリーゴ。カルメン。フラメンコ。ダンス。言われてみれば確かにギターはスペイン、というイメージがある。
 おお、そうだ!ダンスといえば酒泥棒のTELさんと、その手下の奈美さんはそこそこの踊り手と聞いたけど、巷ではダンスブームなのだろうか。
 僕もいつぞやショットバーで、ダンスの先生に危うく教室へ勧誘されるところだったが、あの先生はショットバーで時々催すらしいダンスパーティーを、いったい何の伴奏で踊っているんだろう。もし実現するのだったら、ギターの先生に伴奏してもらって踊られたら楽しいだろうに。
 それに2、3曲だったら僕もフルートかバイオリンで恥をかいてもいいと思うから、ドリームプロデューサーさんにお願いして、プチオフ会でもセッティングしてもらおうかな。

 

2005年5月12日(THU) 朝ドラ『ファイト』に教えられる女社会の怖さ
 昨日のつづき
 このところ太ってきたので水着がきつくなってしまった。競泳用水着というやつは、単なるパンツのくせになんであんなに高い値段がつけられて売っているのだろう。100均でも売ってそうなもんだが今まで見たことがない。
 理不尽な価格に屈して新しいのを買うより痩せる方が精神衛生の上でも、健康の上でも優れているような気がするので,
きつい水着を無理やり履いているのだが、鏡を見ると自分でも不恰好だと思う。

 そんな僕に比べると、例の奥さんは実にスマートで泳ぎも上手い。プールで泳いでいる姿を見て、プールでは何度か話をしたことがある方だと思い出したけど、どうしてだか僕が休んでいるときには泳いでいる。僕が泳いでいるときには休んでいる。二人とも休んでいるときにはコースの端と端に分かれて休んでいる。
 彼女の方からは決して僕に近付こうとはしないけど、こちらから話しかけるとニコニコと会話するのはどういう訳だろう。

 女性の社会は学校であれ職場であれ、男には想像も出来ないほど難しいものらしい。
「娘が出来たら絶対に女子高には通わせたくない」
 数年前に聞いた女子高に通う女の子の言葉を、NHKの朝ドラ『ファイト』を見てようやく理解できた僕だったが、この法則はスポーツクラブのプールでも適用出来るのだろうか。僕があの奥さんと話していると、どこからともなく他のご婦人が現れて、話の輪に加わって来るのも不思議だ。

 プールで世間話といっても何も思いつかないので会話はすぐに途切れるが、そうすると彼女は何事もなかったかのように、つれない素振りをする。翌日会うと初めて会った人のような顔をされる。それなのに彼女の視線を感じてしまうのはなぜだ。
 もしかしたら僕の方が意識過剰になっているからだろうか。う〜ん、痒いところに手の届かないような、何とももどかしい、ハガユイ思いをしているぞ。
 これかぁ、この感じに似ているのか?欲しているバイオリンが売れていくのを見ている心の揺れは。

 

2005年5月10日(WED) 小雪さんに見つめられるキムタクとはいかないな
 昨日に引き続き、またもやチャンスを見送った。目の前で定価100万円のバイオリンが45万円で買われていくのを見る気分を何に例えたら良かろうか。
 あれは日本の大手メーカーの量産している楽器なのだから、いつだって手に入れようと思えば造作はない。さりとて激安というほどでもないが、ショップで買おうとしたら懇意なバイオリンの先生であっても、あれほどの値引きをしてくれるだろうか。当落のボーダーライン上に置かれた、実に微妙な価格のような気がする。

 釣り逃がした魚は必ず大きいように、今になってからヤケにあの楽器が美しく思えてきて仕方がない。
「まあ、なんだな。あんなに綺麗な楽器を一旦持ってしまうと、次に買い換えるときにグレードを落とすわけにもいかないから大変だろう。車と同じで、クラウンからカローラに乗り換えるみたいな違和感を感じるといけないから、先ずは今のより少しだけ高級なやつに買い換えるのが正攻法だろうな」
 誰に言い訳するでもないが、パソコンの前に腰かけて声を出して自分自信をねぎらってみた。

 見られているような気がする。多分気のせいだろうとは思うが、スポーツクラブに行くと誰かの視線を感じるように思えてならない。ジャブ中になると常に誰かの気配を感じて、大声で電柱に向かって威嚇したりするんだと聞いたが、アル中でもそんな発症があるんだろうか。
 このままだとまた断食道場行きか、それとも心療内科を受診、いやアルコール依存症友の会みたいなサークルを探した方がいいのだろうか。
 僕は躍起になって視線のでどころを確かめた。するとどうだろう、いとやんごとなきには見えないが、シルバーエイジの会員さん達に囲まれたら『お年頃』に見えるご婦人にその源を割り出したのだった。

 スポーツクラブに入会してから一年。同じ時間帯のメンバーは大して代わり映えが無いから、彼女の顔も既に覚えている。華奢で全く化粧気の無い地味ないでたちは、良妻賢母を匂わせるものがあって嫌味のない方だ。
 でもどうして僕の方を気にしているのだろうか。やっぱり醜く突き出たお腹がおかしいのか、それとも僕のやっているエクササイズのどこかにエラーでもあって、注意してやろうかどうしようか迷っているのだろうか。
 視線の主を突き止めたというのに、不安が解消するどころか、ますます気になって夜も寝られない。

 明日につづく

 

2005年5月9日(MON) 美人でなきゃ振り向かれもしないじゃないか
 「最初のチャンスは見送った方が良いようです」
 ある有名なプロ将棋差しの言葉だが、そんな悠長なことを言っているから羽生さんに勝てんのじゃないか、なんて言いたくなってしまう。
 随分昔に師走の路上で売っていたアイドル女優のカレンダーそ欲しいと思ったが、人目を気にして買いそびれて以来、あの手の物は二度と見つけられず、いまだに後悔している。
「気に入ったものがあったら、とにかく二つ買っておくんだ。そして嫌になったことがあっても買い続けることだ」
 妙な癖のある知人の言葉だけど、一つですら買うのをためらっている人間はいったいどうしたらいいのだろう。

 物を買うという行為は、必ずしも物欲ばかりに支配されての衝動からではない。
 物に惚れ込んで、それを手にするまでのプロセスが、手にした瞬間を夢想するときの、まるで恋の成就を願うのと同じ悦楽を与えてくれるからではなかろうか。
 もしそうなら今の僕は正にバイオリンに恋していると言っていい。ネットオークションのページを開いたら、数年前と違ってかなりの数のバイオリンが取引されている。世界中の、というより中国製の新作が驚くほど安く売りに出ていて、目の前でどんどんオークションが終了していくのだ。
「こうしちゃおれんぞ、すぐにでも入札しないと大損するんじゃないだろうか」
 知らないバイオリン製作家の評価をネットで調べているうちにも綺麗な楽器が競り落とされていく。
「ええい、こうなったら気合だ。それ入札!」
 今正にボタンを押そうとした時、その楽器メーカーの入札履歴見たいなものが出てきた。

「どんなに悪い形勢の将棋でも、必ず二回はチャンスが巡ってきます」
 先の将棋指しの言葉によると、二回目までは力をため、モチベーションを高めてから攻撃するのがいいのだそうだ。
 確かに僕が落札したいと思った楽器は、それほど格安というわけでもなかった。思い止まって良かったと思うが、本当にそうだったのだろうか。あれと同じ程度の楽器は二度と出品されないかも知れないのだから。
「オレが保証してやる。彼女よりいい女はこれからも山ほど現れるって」
 昔の彼女に振られたときに友達が慰めてくれたが、あれからずっと女運に恵まれんじゃないか。外を歩けば公平ではなく、平等にチャンスが巡ってくる、と言ったのは気休めだったのか。
 こんなことしちゃおれん。やっぱり衝動入札しないと、僕みたいなタイプはいつまでたっても恋と同じように、お目当てのものは手に入らないだろう。

※バイオリンを見ちゃいけませんって言われたばかりだというのに、美人には飽きるなんて言いながらこの有様です。

  

2005年5月8日(SUN) 手相で女を口説け
 玉子を立てられるか、と訊かれたら誰だってコロンブスを思い出すだろうが、彼の力を借りなくたって玉子を立てられるのを実証して見せる人は、マジシャンみたいに飲み屋で人気者になれる。


 写真は僕が立てた生玉子だが、立てられることを教えてくれたのは、TELさんという知人だ。
 やってみたら意外と簡単に立つのだが、女の子には大受けする。 試しにやってみるといい。決して難しくない。
 飲み屋の女の子にもてたいなら、手相を見るのが一番だと教えてくれた知人もいるが、あれは少し勉強したくらいでは上手くいかない。それなりの人生哲学が必要なのだ。



 遊びの達人と呼ばれている知人と一緒に飲みに行くと、かっこ良くて楽しい手相見の彼は大もてだ。今はF国の女の子とつきあっているらしい。
 でも先日会ったときに聞くと、離婚して父子家庭になったらしいから、もて過ぎるのも考えもんだなと思う。

 

2005年5月7日(SAT) オレのせいで娼婦になった?
 車両保険をケチるや否や、フロントフェンダーをボコンと凹ませてしまって大いに凹んでいるHALです。去年は新車だったこともあって免責ゼロの車両保険に入っておりましたから、同じぶつけるならもう少し早くぶつけておけば良かった、と後悔する事しきりです。
「それもこれもあの保険屋の野郎がイカンのだ!」
 とまあ例によって逆恨みにカタルシスを求める有様だから情けないですが、保険屋さんに、「それ見ろ、だから言わんこっちゃ無い」などと勝ち誇られるのも悔しいので、知られる前に何とかしなければなりません。
 なので帰省していた3日間を板金作業のために費やして、なんとか遠目には分らない位まで修復させました。

 1年落ちとはいえ、まだ1万キロも走ってない車に傷を付けた悲しみを何に例えたら良いでしょうか。初めて袖を通したワイシャツにカレーうどんの汁を飛ばしたことはどうでしょう。それも確かに情けないですが、金額の面では比較のしようもありません。
 それなら取り返しの付かないことを思い出してみましょうか、と言っても命に例えるほどのものでもないので、子供の頃に失ったカメラを思い出してみましたら、戻ってこない物と修理可能なことは比較できそうにないのです。

「♪ゆうべ眠れずに、泣いていたんだろう。この週末の時間はオレにくれないか?」
 こんな歌詞だったろうか。恋人に振られた女の子の寂しさにつけ込んで我がものにしたい、と願う男の心理を歌った浜田省吾には共感できるが、この後を覚えていないので、どうしてこの曲を女の子が好きなのか僕には分らない。ただ、この曲を教えてくれた女の子は当時、心も体も傷ついていた。
「君は今まで真っ白なキャンバスだったのに、一点の染みが出来てしまったのは間違いない。哀しいのは分るけど、そんな染みがあるからこそ真っ白なキャンバスがモッタイナイ、と思ってしまう。君にはそんな女の子になってほしい」
 どこかで聞いたような言葉で慰めたが、彼女とはそれっきりになってしまった。

 人生というのは真っ白なキャンバスに染みを付けていくようなもんじゃないでしょうか。いくつもの染みを塗り重ねているうちにやがて一つの絵が見えてきて、天寿をまっとうした時にどんな絵が出来上がっているかが大切なのでしょう。
 途中でどんな色を付けても出来上がりが綺麗だったらそれで良いのですから、一つや二つの塗り間違いなんて気にすることはないのです。
 ですからあの時の彼女から何年かぶりに連絡があり、会ってみたら娼婦になっていたからといって、僕は彼女を軽蔑したりはしませんでした。いやそれどころか、娼婦になったのはあんたのせいだ、と言われている様な気になったものでした。
「男で受けた傷は男で癒したい」
 もし彼女がそう考えたのなら、僕はあの曲をプレゼントされた時に気付くべきだったのです。全くぅ、鈍いにも程があろうというものです。
 ここまで考えて、「あ、これだ。新車をこすった感じって!」と合点がいきました。後悔先に立たずというやつです。

 

2005年5月6日(FRI) 恋は禅問答
 エリック・サティが自作の曲を演奏し始め、彼を師と仰ぐ若者たちが真剣に聴き入り始めると言った。
「聴いてはいけない。私の曲は聴いてはいけないんだ!」
 もしも僕が現場に居合わせたら、きっとこう訊ねただろう。
「ええ?先生、聴かれない音楽、聴いてはいけない音楽が存在するんですか?それって音楽とは言えないんじゃないでしょうか」
 BGMという考えの無かった時代に、サティは聴かないための音楽を目指していたのだと云う。

「バイオリンを見てはいけません。バイオリンを見て音も楽器の良し悪しも音も判断できません。職人と付き合って騙されるしかないのです」
 東京のS親方はまるでサティみたいな禅問答をする方だったが、今の僕なら少し分るような気がする。本当に良い楽器は転がっていないと思い知らされるからだ。

 またまたバイオリンフェアーに行って来ました。国内の若手というか、新進気鋭のメーカーが腕を振るったものが主な展示品でした。若手の台頭は、今後の日本製バイオリン製作界もそこはかとなく希望が持てるぞ、と教えてくれるのだが、まだまだ僕を騙してくれる悪女はいませんでした。

 バイオリンを見ちゃいけないっておっしゃるけど、一目惚れってことも世の中にはあるじゃないかと思う。そんな、実ることの無い片思いに胸を傷めながらも、新しい恋の相手を求めてバイオリンフェアーをこれからも渡り歩き続けようと思っている。

 

2005年5月4日(WED) ダチョウは怪鳥だよ
 ジャイアント馬場の『空手チョップ』が目の前に飛んで来たらこんな恐怖を感じるのだろうか。でも馬場さんなら話せば分ってもらえるだろうから、『空手チョップ』も『椰子の実割り』も思い止まってくれるだろうが、こいつは言葉の通じない野獣だ。鉄格子を介しているとはいえ、そういう意味では馬場さんと対峙するよりも今の方が余程恐ろしいんじゃないだろうか。
 だがこの期に及んで気が付いても遅い。へっぴり腰で恐る恐る差し出したレタスを目がけてダチョウの頭が振り下ろされ、口ばしが僕の指をついばむ。
「痛い!噛まれた」
 そう思ったけど実際は、軽く口ばしに突き指されただけだった。獣にたいする潜在的な恐怖がジャイアント馬場よりも大きなダチョウを作り出してしまったのだった。

 陽気にも誘われて、田舎に帰ったついでにダチョウ牧場を見に行ったのだけど、思ったよりも臭かったのと、未知の沢山の大型鳥類の前にすっかりすくんでしまって、用意していたレタスを食べさせてほうほうの体で逃げ帰ってきた。
 人を怖がらないだけでなく、『くみあい配合飼料』みたいな餌に飽き飽きしているのか、それともレタスの匂いを感じたのか、餌場はたちまち大勢のダチョウたちでごった返した。
 つぶらな瞳をパチクリさせながらレタスをついばむと言うより、鷲づかみするように食む姿はさすがに異国の怪鳥だ。

 よく数えなかったけど、4、50羽いるのだろうか。青草に飢えているかのようにレタスを求めたが、どこかのおじさんが与えた草も喜んで食べていた。
 かわいいと言えばかわいいのだが、ニワトリに突付かれるのも御免蒙りたい僕が、こんな連中と果たして係われるのだろうか。
 岡山県吉備中央町の観光農園内にあるダチョウ牧場にて。

 

2005年5月3日(TUE) 「恋は盲目」なんですね
「以前有名オーディオ評論家に引っ掛かったのを思い出しました。音楽は感性に訴えるものだからスピーカーなんかは自分の好みで選ぶしかないのですね」
 バイオリンについて書いた日記を読んでくださった方からメールを頂いて、ずっと以前に他人の心を傷つけた思い出が蘇ってきた。

 ある日、初めての喫茶店に入ったら見覚えのあるスピーカーが置かれていた。今から25年ほど前のアメリカ製で、J社からヘッドハンティングしてきた技術者を設計主任に据えたM社が、初めて世に問うた高級スピーカーだ。
「マスター、珍しいピーカーですね。当時かなり値が張ったでしょう」
 当時としては秀逸なデザインで、M社が社運をかけた意欲作だったのを思い出した僕は、懐かしくなって店主に話しかけた。
「アメリカのM社製ですよ。デザインも良いですが、音も素晴らしい物ですよ」
 僕はかつて、このM社の下請けをしていた日本のメーカーに勤めたことがあったが、低音部のスピーカーはその大阪工場のラインで生産されたものだった。
「ええ知ってます。このウーハーは大阪で作ったものなんですよ。前面はアルミでカバーされているからアルミフレームのように見えますが、実際は鉄板に黒メッキを施したもので、磁石はフェライトです。○○○Bと刻印されているBは、大阪工場の意味なんですよ」
 懐かしさのあまり、今はもう無い会社の内幕をぺらぺらと僕はしゃべった。
「ええ!そうなんですか?でも設計はアメリカなんでしょ?」
 マスターの顔色が急変して、心配そうに訊いたのを見て初めて余計な事を話したのに気が付いた。
「あ、あそうですよもちろん。設計は元J社の○○氏ですし、このウーハーのコーン紙も当時の日本では作れなかったので、J社の外注先に作らせたものなのでそっくりでしょう?組み立てもアメリカでしていたんですよ」
 思いつく限りのフォローをしてマスターを慰めたが、彼はきっと長い間お気に入りのスピーカーが純アメリカ製と信じ込んで満足していたに違いないのだ。なんて罪なことをしたんだろう、俺のバカバカ!

 しばらく自責の念にさいなまれた僕だったが、思えばバイオリンとて同じこと。美しくなくても惚れ込んでしまえば誰に何を言われたっていい。現に僕がもう一度見たいと思っているのはとても汚らしいバイオリンで、「素人が作ってもこんなひどいものは出来んのじゃないか、これだったら綺麗に作るほうが遥かに易しいんじゃなかろうか」というほどの楽器なのだ。

「陳昌鉉先生の楽器は雰囲気を楽しむものと思ってください」
 東京のS親方の言葉であるが、僕も確かにそうだと思う。ドラマや漫画でも有名な韓国出身のバイオリン製作家、陳昌鉉さんの作る楽器は『オールドフィニッシュ』と呼ばれる、300年前のバイオリンを彷彿させる楽器なのだ。
『女は便所発言』をした知人が浮気をしながらも、別嬪さんには程遠い奥さんと仲睦まじく暮らしているのは、女性を客観的に見るのと違って、奥さんを主観的に見ているからに他ならない。恋の相手は、バイオリンでも女性でも客観的に見ることなんて出来ないのだから。

 

2005年5月2日(MON) まだ見ぬダチョウに思いを馳せる
 ダチョウ牧場を見学する筈だったのに、昨日の雨で諦めた。それだけじゃなくて、見学を予定していたダチョウ牧場は閉鎖されたらしい。鳥インフルエンザの前にはダチョウと言えども抗い得ないのか。
「放し飼いにしているから適当にご覧下さい。ただし危険ですから牧場内には立ち入らないように」
 もう一箇所の牧場ではそう言われたけど、ダチョウを見るだけのために高速道路を降りて何十キロも走るのはつらい。ダチョウを実際に飼育している人に話を聞くのが目的なのであって、ダチョウとたわむれるのが目的じゃないのだから。

「なんでダチョウなんか飼うの」と訊かれるけど、僕が飼いたいんじゃない。友達が飼いたいと言うので情報を集めているだけのことだ。
 僕は動物を飼うのが苦手だし、玉子を食べるのはまだしも、飼っているダチョウを散弾銃で撃ち殺して食ってしまうなんて到底できそうに無い。
「飼うのはあんたに任せたよ。ホームページくらいは作ってあげるから」
 友達に言うと笑われるかと思ったら、意外にも厳しい顔をされた。
「屠殺があるからこそ人は豚の肉を食えることを忘れてないか。お前が今食っているソーセージのパッケージに、ニコニコ笑う豚の絵が描いてあるが、豚が喜んで食われているとでも思っているのか。牛は美味い肉を身に付け、人間に飼われて食われるのを種の繁栄戦略に選んだと思っているなら間違いだ。人も決して食物連鎖から逃れることのできない肉食動物の一種なのだ」

 屠殺場で牛や豚の泣き叫ぶ声を聴くような時代に生まれたというのに、愛らしい動物の絵が描かれた肉屋の看板に疑問を感じないようになった。人が生きるということは動物たちの命を奪うことだという事を忘れてしまっている。
 かわいいダチョウとたわむれた後でダチョウの肉を食えるのは、殺す現場を見ていないからだと思う。もし首をはねられてのたうちまわる彼等を見たら食えなくなるに決まっているけど、人間の真実の有り様を直視して彼等の命に感謝しながら、「美味い肉だ」と言って食うべきではなかろうかと思っている。
 ああ、でもやっぱりそんなことは僕にはできそうもない。飼うのを見るだけにするから、こっそりダチョウを屠ったらその肉を料理して食べさせてくれ。あんたが言うように、僕は現実を直視できない卑怯者だから。

 

2005年5月1日(SUN) 適性検査が必要な仕事
 あの日、首都高速道路を渋滞の渦に巻き込んだのは僕です。関係者の皆様ごめんなさい。10年の長きにわたり逃げ隠れしておりましたが、そろそろ時効を迎えたかもしれませんので告白します。
 雪が降っていたとか荷物が重かった、といった言い訳は山ほどありましても、オカマを掘ってはいけません。巻き添えで僕の車に突っ込んで来た方も気の毒ですが、けが人を出さなかっただけ幸いでした。

 ケアレスミスの多い僕ですので、外科医を目指していたら今頃どんなことになっていたか空恐ろしくてなりませんが、仮に何か楽器の演奏家を目指したとしてもうまくいかなかったと思います。記憶力が悪い上に、人前に出ると緊張するタイプだからです。
 小ミスをするは曲は覚えられないわは、おまけにアガリ性ときたらこれはもう演奏家としては三重苦を背負っているようなものですから、まず途中で挫折したのは間違いないでしょう。
 ところがそんな僕でも運転免許は持っておりますし、似たような方、いやもっとヒドイ方々も世間には大勢おられて車を運転しているわけですから、事故が絶えないはずです。

 メディアがJR福知山線の事故を報道する時には必ず運転士の適性を絡ませるようですが、これは僕も身につまされます。
 事故で亡くなられた方々は気の毒でなりませんが、亡くなってからでもなおも断罪されないといけない運転士もまたかわいそうで仕方ありません。
 毎日オーバーランという言葉を耳にしますが、電車を停めるのはとても難しいと思います。電車のシミュレーションゲームをしたことがある方なら分るでしょうが、電車を所定の位置に停めるのがどれ程困難であることでしょう。
 僕がゲーム機で運転したら、南海線の中百舌鳥と百舌鳥八幡の短い駅間を、一駅くらい平気でオーバーランさせてしまうのです。
 空の電車でも難しいのに、乗客の多い少ないの違いでもブレーキの感覚も変わってくるのでしょうから、実際の運転がどれ程難しいものかを思い知らされます。どうやら僕は電車の運転士になる適性にも欠けているようです。

 音楽が好きというだけでは演奏家になれないというのに、勉強ができれば外科医になれるのはどうしてでしょう。電車の運転士に適性検査が有るのに、鉄道の経営者になるための適性検査はどうして無いのでしょうか。
 たぶんそんなものがこの先も行われることはないと思っております。人民の命を軽んじるような人間が大統領になれる不思議のまかり通ってしまう世の中ですから。

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