HAL日記


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2004年4月30日(金) 麗婦人に救われた
29日の続き
札掛大師堂を後にしばらく歩くとお昼になり、喫茶店に入って朝の篤志家に御接待していただいたおにぎりをお腹一杯に詰め込んで背中の重量を減らすことに成功したのだけど、良く考えたら足にかかる重さは変わらないじゃないかと愕然となった。しかし更に深く読むと体中に入ったおにぎりは、やがて消化され代謝を促すだろう。ザックにおにぎりを入れたままではいつまで経っても軽くはならないことを考えると、これはもう大きな成果と結論付けていいはずだが、喫茶店を出て歩き始めると食べ過ぎて歩きにくかった。

 エナジー満タンにしてあるので内子の「おはなはん通り」を観光客気分で歩き、大きな時間のロスをやらかす。それでも好天と相まって美しい街並をこの上ない気分で通過する。だがこれがいけなかった。十夜ヶ橋に着いたときにはTELがぐずり始めた。「もうバスに乗るぅ、電車に乗るぅ、タクシーに乗るぅ」と駄々っ子のようになってしまったので、もう少しだけ歩いて決めようとなった。

 この先には鈍足さんが教えてくれた、種をくださる遍路接待所「亀岡モータース」さんがある。とりあえずそこまでは頑張って歩いたのだが。後ろを振り向くとTELがまた消えている。無理して他人のペースに合わせたりすることは決してしない人なのでこちらが合わせるしかないのだが、それにしても相当な距離が離れてしまったらしい。道が分岐しているのでここで待っていないと彼が道を間違える可能性がある。座り込んで地図を確認しているところへ後光の差している麗婦人が「どうかされたんですか」と救いの手を差し延べてくださった。

 「ねずみ小僧現れんかなぁ、足長おじさん登場しないかなぁ、恵まれないHALとTELに愛の手を」などと会話するような、御接待馴れ、足の豆、根性の消失という遍路の三重苦に喘ぎながら、何かの罰があたったか、とチクチク後悔し始めていたところだったからこれは有り難かった。追いついて来たTELの姿を見かねた麗夫人が車で民宿「来楽苦」(敢えて言うけどきらくと読む)さんまで送ってあげましょうと申し出てくださった。「本当に助かりましたTELだけではなく僕も。この場でお礼を言わせてください。ありがとう御座いました。南無大師遍照金剛」。

 地獄に仏とばかりに、ほいほい車に乗り込むTELの姿を見送ってまた元通り歩き始める。内子の町を通過するときには夕暮れが迫ってきていて、美しい街並を堪能している余裕は無い。内子座も見ずに歩き去る。

 「変だ。距離が合わない気がする」そう感じ始めたのはすっかり日が暮れて街灯の明かりで地図を見なければならなくなった頃だった。TELと分かれたのが4時過ぎで、あれから2時間以上も歩いていると言うのにまだあと10km近くもあるのか。分岐点が明石寺から25kmとあるし、二人で歩いた距離は確かにそれくらいだろう。目標にしている楽水大師までは40kmと遍路地図にあるが、どうも5kmほど長い気がする。

 いまさら泣き言を言っても始まらないが、先ほどの麗婦人がTELに僕の携帯番号聞いてかけてくださり、「今から連れに行ってあげましょう」と申し出て下さったのを快く受けていれば良かったと後悔し始めた。

 誰が悪いのでもない地図が悪いのでもない。いやそれどころか、TELがリタイアして一人で歩く羽目になるのは初めから想定しているし、宿にも「明石寺から歩きますので食事は遅くなりますがいいですか」と念を押していたじゃないか、そのために反射板やLEDライトを持ってきている。それに今宵は半月で、青龍寺や金剛福寺を歩いたときのような漆黒の闇と言うわけではない。ただ時間が遅くなるだけのこと。民宿にはTELにお詫びをしてもらって待っていただくことになった。

 遠くで口笛が聞こえる。少し音程が狂っているから、あれはきっとTELが僕を待っていてくれる合図だ。10m手前でTELが拍手で迎えてくれ、ようやく歩みを止めたところで9時のチャイムが鳴った。

 宿のご主人は嫌な顔もせず焼酎を飲みながら待って下さっていた。その上にTELの足の豆まで治療して下さり、TELに、これが豆であることまで認識させて下さっている。さらにTELの足を考慮して明日は大宝寺までにとどめるのが賢明でしょうとアドバイスしてくださり、従うことにする。日記を書く気力も無いくせに焼酎は飲む元気があった。ん?禁酒のはずなのにどうしてTELさん焼酎を持ってきているの?まぁいいか。

 

2004年4月29日(木) 初日から御接待と波乱と二つ我らにあり
 「着きましたよ、TELさん卯之町ですよ」。定刻通りバスは朝6時に卯之町に到着したが、ほとんどの方が宇和島までの乗車らしく、車内はまだ寝静まっている。迷惑をかけないように小声をかけながら揺り起こしたのだが、「よっしゃ、分かった」と応えたっきり目を開く気配が無い。「よっしゃじゃなくて降りるんですよ」と、再度促すが、「分かってるってぇ」と動じない。

 そうしているうちにドアーが開かれ、後ろからのお客が、まだ余裕をかまし続けているTELの横をすり抜けた。そこで初めて[アワーチッャー!勘違いしたぁー」と卯之町が終点ではないことに気がついたTELなのだが、僕は意地悪く、もう既にザックを肩に掛け、杖でツンツンと小突いて起こそうとしているところだった。

 朝もやのまだかすかに残る卯之駅の待合には、先に降りた一人の女性遍路さんが身支度を始めている。菅笠を僅かに傾けて挨拶する姿はどこか厭世的にも思えたが、後々にそうではないことが判明する。

 明石寺(めいせきじ)奥の院を目指して歩いていると、先に歩いているはずの女性遍路さんが思わぬ方向から姿を現した。いきなり道を間違えたのだそうだ。見かけによらずひょうきんで慌て者らしく、「明石寺までご一緒させてください」とおっしゃるが、粗忽なことにかけては僕も決して引けをとらない。先導をする柄ではないのだ。案の定奥の院が分からず道に迷った末、御住職邸と思われる石垣の上にそびえる城のような御屋敷を見上げながら本堂へ到着した。

 納経所はぴったり7時に受付を開始。一番乗りはTELさんだけ納経を済ませて早々に奥の院を目指すが、なかなか人に聞いても見つからない。地元の人に100m手前で聞いてやっとたどり着いたのは、ザックの代わりに背中に担げそうな大きさのミニチュアの祠が祀られている箱庭のような森だった。「これは見つからんわぁ、僕を責めてくれるなTELさん」。 この一件で卯之町駅からちょっぴり張り詰めていた緊張が融けていく。

 卯之町は100年前から時の流れが止まったような白壁の土蔵や格子戸の家並みが往時の繁栄を偲ばせる。大洲、内子と並んで愛媛の古く美しい街並十選に挙げる人がいるくらい歴史のある町なのだそうだ。ぶらぶらと記念写真を撮りながら、「腹へったな〜、ひもじいよ〜」と二人して上げる悲鳴が聞こえたかのように一人の篤志家が現れ、朝食の御接待をして頂く。この時の朝食のおかずは、味噌、豆腐をはじめほとんどが奥様手作りのもので質量共に貧乏性の二人にはもったいないものだった。とりわけ、寄豆腐は自家製とは思えないような絶品だった。
 
 「長距離を歩くお遍路さんをいつまでも御接待しているわけにもまいりません。そろそろ歩かれますか」と、ご主人に促されなければこのまま居座ってしまいそうなほど快適で美味しいものをお腹に詰め込み、心まで満腹にしてまた歩きを再開した。この場で再度お礼を申し上げさせて下さい「ありがとう御座いました。南無大師遍照金剛」

 「いや〜、実に美味しかったねぇTELさん」と言うと、「うん、本当にあの奥さん美人やったぁ」って、「あんたねぇ、そんなこと言うとるんじゃないでしょうがぁ!確かに美人やったけど」と、罰当たりな会話をしながら意気揚々と鳥坂峠をぐんぐん登った。が、後ろを振り向くとTELが消えている。しばらく待っていると追いついて来たのだが、「足の裏が液状化現象を起こしてな、ちょっと違和感があるねん」と言う。何度か聞いたこの「液状化現象」だが、「豆が出来たのか」と聞いても「そうではない」と答えるので無視していたが、札掛大師堂に着いて靴下を脱いだら足の指の付け根辺り広範囲に水ぶくれが出来ている。

 「えらい豆ですやん!」と僕。「いや、これは豆ではなく液状化現象と言うねん」って、「世間ではそれを豆と呼ぶんです」と説明しても恐ろしく頑迷な所のある人なので説明するだけアホらしくなる。そうこうしている内に、あの女性遍路さんが追いついてきて豆対策のジェルシートを下さった。またまたこの場でTELに成り代わりお礼を言わせていただきます。「ありがとう御座いました。南無大師遍照金剛」。元気を満タンにしたTELとHALは彼女を残して快調に遍路道へと戻ったのでした。
 つづく

 

2004年4月28日(水) 愛媛を目指して 
 大阪梅田発22時20分の高速バス停はかなり混雑していた。タクシーの運転手さんが我々の姿を目ざとく見つけて声を掛けてくる、「タクシーあるよ。何処まで行くの?」。「じゃあ宇和島までいくらで行ってくれる?」とTELが運転手さんをからかっている。運転手さんたちは白衣に菅笠と杖を持っている二人がどこへ行こうとしていると思ったのだろう、「宇和島は行ったこと無いから料金は分からんよ。バスが有るんやろ」と、意外にも紳士的な答えが返ってきた。デフレになって世知辛い世の中になったと思っていたが、不況という荒波は人心を丸く削るのかもしれない。二人して笑顔で頭を下げた。

 定刻に発車したバスは二人体制で運転するのだと言う。タバコの匂いも無く、運転手さんが酔っ払っている風も無く、急ブレーキ急発進もない快適な運転だ。出発したときにあった空席も神戸三宮で全て埋まり、車内が賑やかになってきた。「うん、おれ、帰りょるんよ。大阪におっても暇やしぃ、帰ったら合コンとか有るけん、その方が面白かろぅ」。まだ板についていない大阪弁で話す後ろの席の若い男性はこの春大阪に出てきたのだろうか。愛媛出身の僕には違和感の無い伊予言葉が懐かしい。もう既に車内は愛媛県人で一杯なのだ。

 神戸を出て少しして車内の明かりが消された。酒を飲んで大声でしゃべるような連中もおらず、車内は皆窮屈なシートで、どうやって熟睡しようかと腐心しているかのように静まり返ってしまい、いつの間にやら僕も眠った。時折誰かの歯軋りで目が覚めてはまた浅い眠りにつき、また目を覚ますといったことを繰り返しながら、やがてバスは大洲、そして目指す卯之町に到着した。

 

2004年4月27日(火) 出発前夜
 もう遍路準備は肉体面以外に憂いは無く、完全なはずなのだが何か大事なものを忘れているんじゃないかと気になって仕方が無いが、何を忘れているのか分からない。

 写経は10枚くらい前もって書いておきたいがまだやっていない。そういったことではなくもっと精神的なものを忘れているような気がする。心置きなくという感じではない。

 初めての遍路に旅立ったときには何も分からず、何処でバスに乗るのか降りるのかさえはっきり分かっていなかったから四国に上陸して散々道に迷ったが、それさえも楽しかったのに今回はそんな体たらくは自分で許せない。

 三日間で110kmの歩き巡拝。今出来るのは体を休めて食べておくことくらいしか思いつかない。

 

2004年4月26日(月) 体重が減り過ぎか
 3kgほどのザックを担いでロードを5〜6km歩き、3%の傾斜がついているウォーキングマシンで4〜5kmのトレーニングをやって気がついたのは、「僕は実に歩くのが遅い野郎だ」ということだった。それを教えてくれたのがあの嫌味な爺さんである。今日もまた隣に来てちらりちらりと、マシンの上で苦闘する僕を観察しながら健脚をひけらかす様に快調なランニングを披露してくれる。

 これ以上無言の嘲りを受け続けるのは「お四国歩きニスト」を自称する僕としてはもはや耐え難くなったので、この次から少し時間帯をずらそうと思う。「三十六計逃げるに如かず」と言うわけで、これもまた耐え難いのだが「時は我に利あらず」である。今に見ておれ、今回の遍路を終えたら捲土重来ぢゃ!

 バスのチケットを無事に取り戻せたし、純白のポロシャツも買い、虫除けスプレーと水虫でもないのに「タムチンキパウダースプレー」をマメ対策用に買った。このパウダーが足の指をさらさらにしてくれて豆が出来にくいような気がする。

 今度の歩きはどうやら天候にも恵まれそうで早く四国へ旅立ちたくはあるが、体重が58kgを切ってしまって、マラソンのQちゃんみたいにスタミナ不足にならないか心配になってきた。欲を言えばもう一週間トレーニングの時間が欲しかった。


2004年4月25日(日) 今回の遍路装備
 遍路装備は「何を持っていくか」ではなく「何を持っていかないか」であると云われているのは十分承知していたつもりの前回だったが、途中から「なんでこんなもん持ってきたんだろう」と思うような物をどっさり持って来ていてホテルのフロントから実家に送ったという苦い経験を持っているので、今回はフルマラソンに近い距離を毎日歩くこともあり慎重に厳選した。持鈴と遍路ガイド本は携行したい物なのだが、鈴は慎重に取り扱わないとうるさくて仕方ないし、ガイド本は数箇寺しか巡拝しないので省く。
 
靴と上下服以外の全てをリストアップしてみた

巡拝用品
品目 数量 品目 数量 品目 数量
白衣、輪袈裟 1 経本 1 賽銭 少し 1
地図(最新版) 1 ローソク 少し 1 線香 少し 1
遍路ガイド本 - - ライター 1 数珠 1
納経帳 - 写経用紙 10 持鈴 - -
納札  20 菅笠 中 1 金剛杖 短 1
一般装備
洗濯挟 2 タオル 1 電気髭剃(小) 1
反射テープ 2 歯ブラシ他 1 ティッシュ 3
靴下厚薄(組) 2 着替え下着 1 LEDライト 1
遍路用名刺 20 カッパ 100均 1 メモ帳 1
ボールペン 1 医薬品等少し 1 豆対策 1
ボトル保冷袋 2 ポリ袋 2 虫除スプレー 1
デジタル装備
パソコン 1 PCアダプター 1 デジCAM 1
CAMアダプタ 1 CAM.B.T予備 × SDカード予備 1
携帯電話 1 携帯ケーブル 1 電話ケーブル 1
携帯アダプタ 1             
その他 
バスの乗車券 2 財布(大、小) 1式 部屋の鍵 1
ザック1380円 1 フェイスタオル 1 ハンカチ 1
 
 何かが抜け落ちているような気がするのは毎度のことである。

 

2004年4月24日(土) 迂闊だった
 大阪を22:20に発ち、愛媛卯之町に朝6:00に着くバスの料金が旅行会社の発券料を含めて8000円程というのはリーズナブルな金額だろうと思う。自分で車を運転したなら高速代だけでも8000円は超えるだろうしガソリン代はいらないし運転手付きなのだから歩き遍路にとっては申し分ない移動手段だろう。

 このチケットはバスに乗る当日TELに渡せば良いものを、帰りのバス、電車の予約があるので遍路計画表と一緒に飲み屋のマスターに渡したら「よっしゃ、よっしゃ。渡しとくわ」と言ったまでは良かったが、翌日から休み始めて今日でもう5日目になる。

 このところマスターも、ボロ車の車検とか何とかで入用だったらしく借金ができたのでやむなく、いやいや店を開けてせっせと稼いでいたのだが、どうやらぜんまいを巻き過ぎたのだろう、ついに店を閉めてしまった。

 毎度のことだから驚くには値しないのだが、預けているチケットを取り返さなければならないのに電話をしても一向に出ない。これもいつものことなので驚きはしないが、マスターの体のことよりチケットのことが心配でいけない。TELに電話したら「夜逃げの準備をしているやつに金を貸す様なことをしたお前が悪い。責任を持って取り返して来い」と言われて返す言葉が無い。明日もし電話に出なけらばシャッターをこじ開けに行くくしかないだろうなあ。

 

2004年4月23日(金) 無味乾燥な誕生日
 確かもうそろそろ当サイトの誕生日じゃなかったと思い出したので「HALとは」のページを開いてみると、既に3日前に1歳の誕生日を迎えていた。

 一年間ほぼ毎日のように日記を書き続けてきたというのにちっとも上手くなって無いような気がするのは一体なんとしたことか。書き始めた頃のほうが気合が乗っていて面白いものを書いていたんじゃないかと思える。ところがその頃の日記を誤って消去してしまったのを今もって諦めきれないので散々探しまくった挙句に見つけたのは自分の無能さ。達したのが無気力の境地だった。

 昨日のウォーキングマシンがいけない。いやそうではなく隣の隣のトレッドミルで走っていた70歳位の爺さんが、なぜか僕の横のウォーキングマシンに移って来た。さっきまで走っていたのに横に来たとたんに僕と同じ時速6.5km/hにセットして歩き始める。僕も40分歩いているがこの爺さんだって相当の時間を走っていたはずなのに余裕を持って歩きながら、滴る汗を拭きながら必死に歩いている僕をちらりちらりと見ては鼻で笑っている。いや笑われているような気がするので実に面白くない。

 ゴルフの打ちっぱなし練習場でもそうだが、横に飛ばし屋が居たりするとお互いに意識しあって、「今日は飛距離より正確さをテーマに練習しよう」と誓って練習に来ているというのにいつの間にやら初心を忘れ、隣のやつより飛ばすだけのために渾身の力を込めてドライバーを振ってしまって手はマメだらけ。そして翌日は筋肉痛に泣くことになるのだが、よもやスポーツクラブでも同じ轍を踏むとは思わなかった。気がつくと1時間10分、およそ7kmを歩いてしまった。もう二度と不毛な意地は張らないでおこう。さもないと翌日は今日みたいな鬱になる。 

 

2004年4月22日(木) とんぼ教室
 スポーツクラブの下にはカルチャースクールがあって、当ページにリンクしてくださっている童話作家の「とんぼおばさん」が講師をされている童話作家養成教室を見学させていただくために、受付をうろうろしているところへ先生がお見えになった。

 「いやー!HALさんこんにちわぁ〜。って初対面なんだけどそんな気がしないわねえ」といきなりストレートパンチが飛んできた。先生のHPを見ても彼女本人の写真が特定できないままお会いするので少々びっくりした。というのもお歳から想像していたよりずっと若々しく、美人で溌剌としていたからだ。「信念を持ち続け理想の実現に邁進している人は永遠に青春だ」といった松下幸之助の言葉を証明している人を目の前にすると眩しいもんだと初めて知った次第だ。

 「お笑い教室みたいです」と予備知識を頂いて教室に入らせていただいたのだが、さすがに童話教室。皆さん上品な方ばかりなのだが、どうも僕のHPを御存知らしく、僕を見るなり愛想を振りまいてくださる。だが人様に読まれることを前提にしているとはいえ、赤裸々に綴っている僕の日記を読まれていると思うと赤面しないではいられない。「あの日記は全て出鱈目なんですぅ〜」と、居心地の悪いこと夥しい。

 遍路を無事終えることが出来たあかつきにはNOVA(英会話教室)に通うつもりにしているので、そちらが落ち着いたら顔を出すことにした。それまで待っていてくれるだろうか知らん。

 

2004年4月21日(水) 肉の言い分
 「ファミレスから出て行こうとしたとき、ドアーですれ違いざまに『で〜ぶ』といわれてとても哀しかった」。

ジョギングをしていると子供に見上げられて『デブ』といわれてムカついたが、子供だから許そうと思った」。

「ファミレスでお昼を食べていると、『お母さん、ものすごいデブがいるよ』という子供の声が聞こえた。子供は純真だというが、残酷だから嫌いだ」。

などなど、ダイエットサイトの掲示板を読んでいると心無い言葉に苛まれている心優しく傷つきやすい方たちの赤裸々な苦悩が語られている。

 他人事ではなく僕も先日までは、「後ろ指」ならぬ「お腹指」を指されていた。それも僕よりも二回りほども大きな布袋腹を抱えた兄のような輩にまで自分のことを棚に上げて笑われるほど愉快な出腹だったのだ。10kg痩せた今、そういった中傷からは開放されたかに思えるが、今度は「痩せるために金を払ってまで霞を食った仙人のような尊いお方」と陰口を叩く成人病の塊みたいな無知蒙昧な連中の格好の標的にされているらしい。

 イラクで邦人が人質に取られたとか、回転自動ドアに子供が命を奪われたという悲しいニュースを聞いただけでいたたまれなくなって食べ物に手を出しては後悔して嘔吐してしまう若い女性たちが多くいる。僕だってなんら変わりない。嬉しいことがあったら祝杯をあげ、哀しいことがあっても酒に救いを求める。見方を変えれば宗教の一種かも知れないなどと思ったりすることがある。だから太っている人は脆く傷つきやすい優しい人間だと思ってほぼ間違いは無いのだ。

 

2004年4月20日(火) 肉を食べたくならない
 断食をやり終えたからといって菜食主義者に宗旨替えしたわけではないのだが、会う人毎に「肉を食わないのはけしからん」といった旨のお叱りを頂くようになった。

 肉食にも菜食にも特にこだわりは無いので放っといて欲しいのだが、「かたくなで信念を曲げないうっとおしい人間」と他人様の目には映っているらしく、頼みもしないお説教をしてくださるのには恐れ入る。

 どうやら彼らの肉食至上理論には二通りあるようで、「体格が欧米人に比較して貧弱なのは日本人が農耕菜食民族で、動物性蛋白質を摂取しないからだ」というのがその一つなのだが、「いまさら大きくなれんから俺の場合はもうええねん」と答えると、肉体面で説得しようという正攻法を諦め、こんどは精神面から攻めてくる。曰く、「菜食主義者が草食動物から連想するように大人しい人間だと思っていたら大間違いだ。その証拠に、あの残虐極まりない独裁者のヒットラーは菜食主義者だったんだぞ」と、もう一つの切り札を出してくる。

 「何を言うか、ヒットラーが数百万人の大虐殺したといっても数千万人の粛清をしたといわれるスターリンに比べたら所詮は小物。桁が違う」と言いかけて、「待てよ、スターリンがヴェジタリアンだったら決定的じゃないか」と心配になったので、「そういえば、『肌の色が白くなったのは成長だ』と、うそぶいていてはばからないらない傍若無人なマイケルジャクソンも『肉食は整形手術に良くない』とおびえて菜食主義をを通しているらしいから、あながちその説も当らずとも遠からずかも」なんて妥協しているのも少し情けない気がする今日この頃の僕ではある。

 

2004年4月19日(月) 遍路日程が決まった
☆4月28日の夜行バスにて翌29日(木)みどりの日に卯之町6:00到着
43番明石寺と奥の院を参拝して40kmあまり歩いて民宿来楽苦さんに   宿泊予定。どうやら「きらく」さんと読むらしい。ライラックさんなんて読んで恥をかくのはまだ良いとして、コーラックさんなんて読んだりしたら「便秘じゃなぃー!」なんて怒られるところだった。

☆4月30日(金)は45番岩屋寺を先に打ち、帰りに大宝寺を打ってから民宿笛ガ滝さんに宿泊の予定。大宝寺さんに予約の電話をしたけど「団体さんの予約が無いので宿坊は営業しません」とのことだった。これはとても残念だ。この日は35km程度になりそうだが、どうもTELが難しい顔をする。

☆5月1日(土)で終了するのだがこの日はTELに付き合う日。46番から51番まで38kmほど歩いて道後温泉に浸かってから前回も泊まったがスーパーホテルが安いのとNET使い放題なのとゴールデンウィークでも金額が変わらないのがいい。

☆5月2日(日)HALは電車で今治へ向い里帰り。TELは多分バスで大阪まで帰るはず。一日平均40q近くを歩くのでTELは心配らしいが、二人ともトレーニングはやっているので天候さえ良ければ大丈夫だろうと甘く見ている。

 

2004年4月18日(日) 健全な肉体は健全な排泄から
 断食から生還してこのかた肉類は魚を含めて口にしていない。ちりめんや牛乳、卵は見なかったことにして今のところは菜食主義者の仲間入りをしている。

 菜食主義というと草食動物を思い浮かべるが、草ばかり食べているのに牛はどうしてあんなに太れるのだろうと不思議で仕方ないのと同じで、野菜ばかり食っていても僕の体重はしっかり出所のときの59kgをキープできている。それとあんまり大きな声ではいえないが、毎日嫌というほど大量のうんこを垂れ流すようになった。食べている量は断食道場より少し多い程度で、主食の米の替わりに野菜を摂っているとはいっても多すぎやしないかと心配になるほどのうんこの量なのだ。写真にとって公開しようかとも思ったが一気に善良な読者を失いそうに思うので止めた。

 子供の頃から胃腸には自身が無く、便秘、下痢、どっちにも悩まされてきて、最近は肉食とビールの「食べ合わせ」のせいか下痢気味だったが便秘だって負けてはいない。年に数回は3日ほど出ないときもある。そんなときの僕だけの解消法は赤ワインを飲むこと。それも渋めのものが良く、白ワインでは上手くいかない。だけどその法則も今は適用出来なくなったらしく、赤ワインを飲んだ翌日でもうんこの状態は正常を保っている。

 こんな結構な話を会う人毎に語って、布教活動にいそしんでいるというのに誰も話を聞こうとしないのは一体何故だろうと訝っていたが、思うに権威というものに欠如しているからに違いない。僕のではなく断食道場というイメージの問題だろう。だから今度の遍路から戻ったら「お大師さんの啓示を受けた」と言い触らして回ることにする。

 

2004年4月17日(土) 最新地図は地名が変わっている
 思いのほか最新の遍路地図が早く届いて驚いているが、地図の出来の良さにもっとびっくりしている。4色刷りだったのがフルカラーになったのもその一つだが、自動車道が追加されて車道と遍路道を間違う心配が無くなったのは嬉しい。しかも新しい遍路道を発見できたし、距離も正確になったと思える。当初立てていた予定がこの地図のおかげで随分変わった。

★ 一日目 阪神バスで卯之町営業所へ朝6時に到着そこから明石寺奥の院からスタート 一泊目は、民宿来楽苦(どう読むのだろう)に宿泊予定。 ほぼ40kmを歩く。

★ 二日目 新真弓トンネル経由で45番岩屋寺を先に打ち、45番大宝寺の宿坊に泊まるつもり。 ほぼ35km 少し休める距離。

★ 三日目 石手寺近くのホテルか民宿、旅館なんでも良いけど道後温泉に入浴したいので、39kmくらい歩く予定。

★ 4日目 朝のJRで松山から今治へ、そこから島四国を少々。

 女性の歩き遍路ならいざ知らず、おっさん二人の歩き遍路なら予定を開陳したところで何の支障も無いだろう。実は宿の手配も交通機関の予約状況もなあんにもまだ調べてないけど大丈夫だろうか。4月の28日くらいりから世間様も連休に入るらしいからちょっと心配している。

 

2004年4月16日(金) 便秘と肌荒と断食
 昨夜は車の保険屋さんと会って任意保険の再契約の打ち合わせを、不謹慎にも飲み屋で酒を酌み交わしながらやってしまいました。そんなことをしたもんですから、今朝目覚めて、鼻の頭になにやら吹き出物みたいな腫れを感じたときは驚きました。

 識者から頂いたアドバイスを失念してついつい深酒をしたむくいを受けた格好となりまして、反省しながらもう一度アドバイスメールを読み直しました。お肌と便秘の関係に言及された部分をここに紹介させていただきます。

 【便秘とお肌と断食の関係ってとても単純明快なんですよ。完全断食最中って、お肌の透明感が凄く強く現れませんでしたか? つまり、透けるような透明感で、シワも少なくなり、赤ちゃんのような肌に戻っていませんでしたか?これを感じていて下されば、とても分かりやすいのですが・・・。

で、たとえ3分粥でも、食べ始めるともうダメ。あれ程の透明感だったものが、段々と元に近づいて行くんです。でも、もちろん断食前よりもずっと綺麗ですし、普通食になっても断食前よりは肌は綺麗ですよ。回復(私の言う回復期間です)の間は、垢が出て来ているように肌表面がカサカサしたりすることもありますが、これはカサカサしたものが落ちきってしまえば、下には綺麗な肌が待っています。

 中略 (4月13日の排泄の重要性に触れた部分を参照してください)

で、排泄機能が高まれば、肌は自然に綺麗になるんです。つまり、ニキビは肌が便秘になっているのと同じ状態だからです。ニキビや吹き出物について、みんな皮膚表面のことと誤解・錯覚しているのですが、そうではありません。そういうものが出る原因は身体の中にあるのです。だから、完全断食最中は肌が透けるような透明感があるのです。】

 いかがでしょうか。僕の場合は酒でむくんだ頬っぺたが、だんだんとしぼんでいくのが嬉しくて肌の透明感みたいなことは意識しませんでしたが、毛穴は開いていたかも知れません。絶食し始めてから5日目くらいから肌がカサつきだし、完全に回復したのはうちに帰ってから一週間くらい経った頃でした。食事が野菜中心になったので以前のように顔が油ギッシュな感じは今はありません。

 

2004年4月15日(木) 酒から開放されたい
 またまた下品な話を書いてしまって、善良で上品な女性読者を失ったかもしれませんが、これで下衆野郎どもからの好奇の迷惑メールから開放されることが出来まして、その喜びときたらイラクの日本人人質開放と言うほどではありませんが、とりあえずホッとしております。

 それにしても開放された三人は日本政府が「出来ないこと」、あるいは「やれないこと」をやるためにイラクに入っているわけで、それなのに日本政府の努力で救われたとあってはさぞや悔しいことでしょう。この先ずっと日本政府と世論に「助けられてすみません」と、謝り続けなければならないとなると、もう一度イラクに入って「イラクに骨を埋めてやる」という気持ちになるのは理解できます。それともずっと世間に頭が上がらないまま日本で暮らすんでしょうか。どうせならイラクで反米デモの先頭に立ってほしいものです。

 ついにスポーツクラブに入会しましたので、お遍路トレーニングとダイエット、そして肝心な断酒に励むことにします。(これは簡単な事のように思えたけど出所するなり車で事故ってしまって酒に逃避しましたので、結局元の木阿弥に帰してしまった)
 「究極のダイエット」と、歩き遍路を位置づけておりますのでこれに向かって今は邁進しているHALなのでございます。

  

2004年4月14日(水) 勃つんで御座います
 断食の概念をおおよそ理解していただきましたところで、本日はわたくし自身の体に起きました様々な変化を、限定的ではありますが報告させていただきとう御座います。
 
 体重が落ちたのは見た目で分かることで御座いますから、「何キロ減った?」と、先ずは社交辞令で儀礼的に問いかけては下さいますが、その次には必ずと言って良いほど「ジュニアの方はどうなった、元に戻ったの?」と、半で押したような下品な質問が浴びせられまして、「その前に断食の解説をしましょう」と言うのですが、「そんなことはええからチンチン勃つんか勃たんのかどっちやねん」などと急に態度を翻し、野蛮な質問がぶつけられたりするので御座います。

 今の今までこんな下らん連中と付き合っていたのかと思いますと、やりきれない思いに堪えないので御座いますが、「そんなに気になるなら言うけど、まあ5年前に時間を戻したみたいやね。朝が痛うて困るねん、トイレが辛いわ。へっへっへぇ〜!」と正直に申しますと「嘘をつくなぁ〜
」と逆切れされますが、「嘘やと思うなら聞くなゃぁ。羨ましかったらあんたらも断食やれば」と言ってやりますと「車も無いし、乗るもんがなくて気の毒やなあ」と、痛い所を突いて来られ、意気消沈する今日この頃なので御座います。

 

2004年4月13日(火) 断食の概念
 断食とは一体どういうもので御座いましょう。人によっては修行という認識をお持ちかも知れませんし、極端な減量という認識をお持ちの方もいらっしゃるようで御座いますが、それらは決して的を射ているとは言い難いようで御座います。断食を実行した当のわたくしですらそういう誤った認識を持っていた一人なので御座いました。

そんな体たらくのわたくしのもとに、ある研究者から啓蒙を促してくださるメールを頂きましたので、ご了解の下、ここにそのままの文章を掲載させていただきとう御座います。


 【私たち生命体は、生まれた以上、生命維持の方向にしか向かないようにできています。決して生命衰退の方向には向きません。

体は生命維持のために必要ないろいろな機能を生まれ持っています。それら生命維持のための機能を総称して「生理機能」と言います。

生理機能を、大きくざっくり二つに分けると、「吸収機能」と「排泄機能」です。人間(に限らずですが)は、排泄機能が停止すると生きていられません。消化・吸収機能は止まっても生きていけます。(これは経験しましたね。断食です。) 排泄機能とはそれほどに大事なものなのです。それなのに、私たち人間は、排泄機能の低下を軽視しがちです。

身体の中に入ったもので、体が「いらない」と判断したものは、「外に出す」しか方法はありません。身体の中で雲散霧消することは「絶対にない」のです。体が不要だと判断したものを、いつまででも身体の中に置いておくこと(便秘が典型例です)は、体にとって迷惑以外の何ものでもなく、外に出せないと、腸内で腐り有毒ガスが発生して、肝臓が毒ガス攻撃にあうことになるんです。それなのに、本当に皆さん便秘を軽視しています。

それほどに大事な「排泄機能」がキチンと働くようにするために、断食はとても良い方法なのです。断食は、「吸収機能」をゼロにして、生命エネルギー(摂取カロリーとは違います)を100%排泄に向ける作用をします。従って、完全断食最中は一切の吸収を絶つ、つまり、「水だけを摂る断食」でないと意味がないのです。

私たちって生まれてこの方、吸収をゼロにする期間というのがないでしょう。HALさんも今回初めてだったでしょう。

また、断食をすることは、生命体にとっては危機なので(いつも入ってくるものが全く入ってこない状態になるのですから)、いろいろな生理機能を、たたき起こし、違った方向を向いている機能があれば全てを生命維持の方向に向けるのです。そうしないと、生命維持が危うい可能性があるからです。

生命体が持っている生理機能は、言ってしまえば、怠けものなんです。ですから、平生、どってことない時には、私はお休み・足踏み、私はあっちの方、ボクはこっちの方と、適当にやっているわけです。ところが、「すわっ」となったときには、全機能を総動員して、敵と戦わねばならないわけです。その時に、総動員できないと、負けてしまって(感染したり、ガン細胞をガン細胞と認識できないようなこと)病気になってしまうわけです。

ですから、一定期間に一回断食をして、生命エネルギーを高めてやり(各生理機能全部を生命維持の方向に修正をかけること)、体をリセットしてやれば、病気になりにくい、健康でいられる体になれるということです】


 いかがで御座いましょう。以上は頂いたメールから一部を抜粋させていただいたものですが、断食の概念はここに集約されているいるようで御座いますね。

 え?わたくし自身の身の上のことで御座いますか?それはまだ後に開陳させていただきとう御座います。本日はこの辺で。

 

2004年4月12日(月) マイジュニアのその後
 全くどいつもこいつもわたくしの友人と申します連中は粗野で愚劣、無知で蒙昧、下品で好色といった最低の輩ばかりなので御座います。崇高にして深遠なる断食の思想などには一切関心が無く、興味があるのはただの一点、「おい!あっちのほうはどやねん?お前の役立たずの息子は元気になったんかい?」と、もう情けないやら哀しいやらで御座いますが、「類は友を呼ぶ」という言葉が御座いますれば、畢竟わたくしの人品に大いに問題があるのは疑いの余地も無いことで御座いましょう。

 このような連中の下卑た質問には無視をもって対処してまいりましたがあまりにも執拗な働きかけとうとう根負けしてしまいました。ですがこういった尾籠な問いに対してあからさまに答えるのはやはり憚られるもので御座います。従いまして回答をひけらかす前に先ずは断食の概念を詳らかにしないでは誤解を免れ得ないことでしょう。しかしながら大変申し訳御座いません。本日は遍路トレーニングで疲れてしまいましたので続きは明日にさせていただきとう御座います。

  

2004年4月11日(日) 食っちゃいかん!
 さてさて、断食が終わったからといって食生活が以前のように鳥の唐揚げで大酒を飲むようなことになったら何のために金を注ぎこんだのか本当に分からなくなるから、静養院で出てきたメニューをほぼ踏襲した食事に甘んじている毎日なのですが、そんなところにアドバイスのメールを頂いたのでした。

 「日本人が極力摂取しないほうが良い食品5品目というのがあります。それは肉類、卵、牛乳、砂糖、油脂です。なぜ牛乳がいけないかと言えば、人の体のリンとカルシウムのバランスは1:1に保たれているのですが、牛乳のそれは6:1なので、牛乳を飲むと不足したカルシウムを補わなければなりませんが、食物から摂取出来ない場合は骨を溶かしてバランスを取る事になります。だから牛乳を飲むと骨粗鬆症になりやすいのです」

 まあなんと恐ろしい話でしょう。今までの常識が根本から覆されているではないですか。これにはさすがの僕も震え上がりまして早速カルシウムを摂るために味噌汁の出汁に使う煮干をもぐもぐとやっていましたが、これは大変に食感が良くなく、口の中を切ってしまいそうになります。その上に御頭の部分に苦味を持っているようで美味しくありません。

 駅前に出かけたついでに高島屋に立ち寄って「かえりちりめん」を買いました。僕は「ちりめん」とか「しらす」とかいったものが大好きなのですが、それは美味しいからでもカルシウムが豊富だからでもなく、ちりめんの中に混じっている、オキアミの幼生らしいものとか、鯛の赤ちゃんかも知れない赤い色した小魚、蛸の赤ちゃんと思っていたら実はイカの赤ちゃんらしいといった言わば不純物を見つけるのが好きだからです。いつぞやタツノオトシゴみたいな生物を発見したときには狂喜乱舞したものです。

 しかしそれにしてもですよ、肉類には食物繊維がなく、「うんこ」の生産に寄与しないから便秘になったり、腸内で腐敗しやすいからいけないというのはよく理解できますが、完全食品である卵がいけないとは困ったものです。玉子かけ御飯は日本の朝御飯の王道ですからこれを禁じられたら旅館の朝御飯の楽しみがなくなってしまいます。だけど安心して下さい。摂り過ぎはアレルギーの原因になる可能性があるのでいけないという意味なのです。まだまだ識者からのアドバイスは続くのですが、本日はこの辺で。

 

2004年4月10日(土) 友達への手紙
 「15万円も金を払ってまでやることやないやろぅ。その半分くれたら俺が断食手伝ってやるわ」と、あんたは鼻で笑うが僕もその通りだと決断するまで相当悩んだよ。

 動悸が激しくなり、手は震えるし小さな虫が飛んでいるような幻覚が見え、その上に睡眠時無呼吸症候群といわれ、朝起きると「あぁ、今朝も目覚めることが出来たか」と、ホッとする。気がついたら目が覚めなかったというようなことがあるとは思えないけど、いつ突然死んでもおかしくない状態だった僕の姿をあんたも知っとるでしょ。

 緊急事態なら病院に入院したらという意見もあったけど、そんなことしたらアル中病棟に放り込まれるに決まっとるでしょうが。そうなれば僕の輝かしいキャリアに傷がつこうというもの。あぁ?まあそれはいいとして断食道場に入所してみて驚いたのは、「断食は減量のためだけにするのではない」という大前提があったということ。

 どういう意味かと言うと、断食とは食習慣を白紙に戻し、体をリセットするために行うということ。つまり悪習を断ち切り食の好みや体の反応を正しい方向に向き直らせるための手段。真っ白なキャンバスに新たに色を付けていくみたいなものと思ったら分かりやすいかな。

 断食道場では毎朝9時ごろから健康講座と題して、創始者である先々代院長の著作が朗読されていたけど、あれが4、50年も前に書かれたものだということを思えば先進的なのだけど、さすがに古さは否めなかったね。だけどおおむねその頃に断食の概念が確立されたようで、基本的には今も変わって無いと思う。

 僕がこれから話そうとしているのは断食道場サイドの理論ではなく、自身で断食を実践しながら現代の医学常識で断食の効用を証明していこうとする識者から聞いた話。たけしの「本当は怖い家庭の医学」でも同じような理論を展開してたよ。僕が思うに最新の理論じゃないかな。

 まだあんたは自分が正しい健康法を実践していると信じているだろうし、それを全て否定するつもりも僕には無いよ。スポーツクラブで汗を流すのもいいし、マラソンもいいだろう。でもね、総入れ歯にするために金を払って、残っている4、5本の歯を抜いてしまったあんたのほうが、断食に金を払う僕よりずっと健康意識が変だと思うよ。まぁ、今日のところはこの辺にしときますね。続きの理論はまた今度にさせてください。

 

2004年4月9日(金) 先ずは靴より始めよ
 初めてラジコンヘリコプターを作ったときにロータリーエンジンを搭載するという無謀なことを仕出かし、今もなお30年も前に発売されたエンジンを最新の機体に取り付けるという、ノスタルジーを満足させるためだけの不毛な行為に耽っている。

 この性癖で今までに被った損害は金銭的にも精神的にも途方も無い規模に上るに違いない。つまり大抵の場合は失敗に終わっているということで、それは自分でもよく分かっている。だから大きな買い物、例えば車とかピアノとかを購入するときには余程のことが無い限り、世間様が良いと認めるものを選択するように努めているので、世間様は「あいつにしては普通の物を買ったな」と不思議がったりする。

 昨年の遍路を前にして、識者から「靴を選ぶのは値段ではなく自分に合った物にすること。1ヶ月以上前から履き慣らすこと」というアドバイスを頂いていたにもかかわらず、新品の靴でいきなり現場に出たものだから文字通り痛い目に遭った。

 同じ轍を何度も踏んでしまう粗忽物ではあっても靴擦れの痛さは忘れ難いものがある。今回の遍路は短い距離に違いないが備えあれば憂いなしを実践するためにゴアテック素材使用のメレルというメーカーの通常より1cm大きいサイズの登山靴に近いものを買った。エアークッションと書いてはいるがどのへんがエアー入りか甚だ疑わしいがこれを履いてスポーツクラブのランニングマシンを走り、顰蹙を買うつもりでいる。

 

2004年4月8日(木) 律儀というわけではないが
 「去年の歩き遍路のときに、父の法事に間に合わなくなって仕方なく電車に乗った区間があって、その区間というのが『空と森だけの孤独な空間であり、号泣してはばからない』と、遍路ガイドブックに紹介されている所だけに何か忘れ物をしたようで気になって仕方ないんですよ。なんで5月にまた歩いて来ますね」と、15日ほど一緒に歩いたTELさんに話したら「俺も行くぅ〜。一緒に行くぅ〜」と駄々をこねるものだから「じゃあ行きましょう。でも宿の関係もあって一日45km歩く予定なんですよ。大丈夫でっか」と脅しておいた。

 本当のことを言うと50kmを目標にしているので、そのためにスポーツクラブに通うようなものなのだが、TELさんが一緒ならま、仕方ないか。彼は足は速いのだが結構休みたがるし、長時間歩くのは嫌みたい。「朱印帖が埋まっていくのが楽しいねん」と言うのだが、本当は気恥ずかしくて「感動したから」と言えないだけなのだろうと思う。彼が孫のような年頃の女の子から400円をお接待されて目を潤ませていたのを僕は見逃していない。あのお金で二人して飲んだコーヒーをもう一度味わいたいと思っているのだろう。

 

2004年4月7日(水) 神様は便利だ
 なんだか会う人皆さんの僕を見る目が以前と違うように思えるのは、痩せて僕の顔かたちが変わったからではないようだ。何処となくよそよそしいというか、距離をとられているように思えるのは僕の後ろに何かが見えるからだと言う。

 「痩せたねぇ、ほんと痩せた!」と切り出してくるのはいいとしてその後がいけない。やや間をおいてから、「厳しいんやろ、よく耐えられたねぇ!」などと聞いてくる。「いやいや、修行とかそう言うあれじゃないからさぁ、ただ単に成人病とアル中ハイマーに危機感を感じただけで、まぁ精神の浄化みたいなこともついでに出来たらなぁと少しは思ってたけどね」と答えるのだが、「ほぉ〜凄いねぇ、、、!で、やっぱり霊感が高まったりするの?」って、僕の話をちっとも聞いてないんかい。

 いったい世間のひとは「断食」に対してどんなイメージを持っているのか。僕は永平寺で座禅の修行をしてきたのでもなければ、役の行者みたいな山篭りをしてきたのでもないっつーの全く。挙句の果てに「5月にまたお遍路2、3日やってくるよ」と言ったら相手の視線がおよいでいる有様だ。

 三週間の断食と45日間の歩き遍路程度のことでこれほどの威光みたいなものが獲得できるのなら、というより世間をたばかることが出来るのなら「チベットでダライ・ラマの元で修行してきました」などと吹聴して回れば10人や20人の信者は容易に集まり、宗教法人を設立して教祖の座に就くのもさして難しいことではないだろう。だから神の名においてジハードを扇動し、純真で敬虔なイスラム教徒たちに反米自爆攻撃を実行させるのも案外造作も無いことなのかもしれない。そうであるなら石油の利権のための占領ではないかという疑念を抱きながらイラクに駐留する米兵たちが苦戦するのもやむを得ないのだろう。

 

2004年4月6日(火) ダイエットは続く
 ダイエットしたまでは良かったけど、骨まで痩せた上にリバウンドで前よりも太ってしまい、挙句の果ては拒食と過食を繰り返すようになった。なんて悲劇にならないように、断食明けから10日間もかけて食事を徐々に増やしたおかげで異常な食欲が沸きあがらなくてすんでいる。

 思えばこの数年、いやもっと以前から手偏の無い巨食症と巨酒症を患ってきた僕だから、この少酒少食ぶりは全く快挙といえるだろう。しかしだからといって痩せ細っているだろう骨格は容易に元に戻るとも思えないのでスポーツクラブに入会することにした。

 目指すスポーツクラブというのは駅前の総合レジャービルの中にあってカルチャースクールなんかも併設されている。ちょっと覗いてみたがとてもたくさんの教室があって、書道、生け花といった定番に加え、珍しいところでは「エッグクラフト」なるものがあって、生卵をくりぬいて中身を取り出し、人形を仕込んでみたり回りを装飾したりするらしい。 世の中多様化が進んで大変良いことだと思うのだが、これで月会費5000円には少し首を捻らざるを得ないと思うオジサンなのだ。

 ちょっと面白そうなのは「腹話術入門」で、これは大変人気があるのだそうで、アメリカまで出かけて勉強するのだとか。ヨガ、気功、英会話、「童話を書く」とあって、童話にも興味があるので講師の名前をみると何処かで聞いた名前が…、そうだこれは童話作家で時々当ホームページに書き込んでくださる「とんぼおばさん」ではないか。どかで教えていらっしゃるとは知っていたが、世の中狭いもんですなあ。お会いすることがあるかも知れませんのでよろしくお願いします。


2004年4月5日(月) 「花へんろ」
 NHK BSで再放送された「花へんろ」をビデオに撮ってもらっていたので念願がようやくかなって1、2回を見ることが出来た。今の時代には珍しい、つづれ織りの遍路道を粛々と行進するお遍路さんの姿が、幼い頃に見た島四国八十八箇所巡拝を彷彿させる。

 そういえば昨年の遍路で歩き残しているところがあって、いつも心のどこかにひっかかって何かの時にふと思い出しては、「あれをやってしまわないとすっきり歩きが完結した気にならんな」と思いつつも場所が宇和島とあってはなかなか重い腰が上がらなかった。車で事故ったことも影響しているのかもしれないが、テレビでお遍路さんを俯瞰していると、いてもたってもいられなくなり遍路装束を引っ張り出した。

 島四国を歩く遍路姿を見たくなり市の日に合わせて43番明石寺から46番浄瑠璃寺までを歩いて帰ろうと決めたが、菩提寺の御住職がお接待をすると聞くうどんには日程の都合でありつけそうもなくなったのが残念で仕方ない。来年もうどんのお接待をされることを期待してキャリーオーバーとする。きっとうどんの味もいっそう洗練されているに違いないだろうし。

 

2004年4月4日(日) 生涯残る後遺症?
 「断食を敢行する」と宣言いたしましたところ菩提寺の御住職が、「見えない後遺症に苦しむこととなろう」と、警告をしてくださっているのか面白がっているのか、あるいは僕の弔いの準備をして下さっているのか、よく分からないエールを送って下さいましてまことにありがとう御座います。おかげさまを持ちましてつつがなく断食を終了いたしましたことを謹んでここにご報告申し上げます。

 昨日の日記をサボったのは実を申しますと御住職の大予言がものの見事に的中したからなのです。車を運転中、信号待ちをしていたとき、事もあろうに食い物が目の前にちらついてしまいまい、急いで食べようと発進をいたしましたところ交差点内で人様の車と接触。相手様の車は小さかったこともあって被害甚大となったのです。

 僕の車は長年乗り続け、すでに満身創痍となっておりますので、「誰か後ろからぶつけてくれて新車にならんかなあ」などと罰当たりなことを夢想しておったものですから、とうとう駄々をこねた愛車の腹いせを食らった格好となりまして「一切我今皆懺悔」の憂き目を見ることとなったのです。

 それにしても恐ろしきは御住職の大予言です。テレビで見る伊集院光が丸々と良く肥えた豚に見え、山崎元幹事長がボンレスハムに見えたりと、四六時中幻覚を見ているような状態なのですが、いざ物を食ってみると良く噛んで食べる様になったせいか、ほんの僅かで満腹になってしまいます。どうやら精神と肉体の間に日朝二国間交渉のような埋めがたい溝が出来てしまったようで、これが正に「見えない後遺症」というやつに違いありません。我ながら取り返しのつかんことをしでかしたものです。

 

2004年4月3日(土) 最後の夜
 土曜の夜だから門前町も少しは賑やかだろうと、道場を少し抜け出して歩いてみたのだが人影は皆無だった。他人事とはいえ業態をがらりと変えるか、もう一度バブルでも来ないことには門前町の灯が消えてしまうのではないかと心配される。

 入院している女の子たちに数人に聞いた限りでは関東方面から来ている子も結構いるらしく、ここを選択したのは、「歴史と伝統、断食の専門、料金が最も安価」といった理由を挙げる例が多いみたいだ。しかし料金が安いとは言っても、お遍路をやっていたときに利用していた宿坊と同じくらいの料金設定がされているし、食事が三食出るとはいえ宿坊の朝ごはんより原価は低くて済むわけだから、とても優良経営なのではないかと思える。

 そこで提案だが、門前町はもはや宝山寺のご利益では成り立っていけそうも無いわけだから、いっそのこと料理旅館を断食旅館に衣替えをして、ノウハウは静養院さんから提供していただくと。その代りいくばくかのロイヤリティーみたいなものを上納するとか、名前も静養院通りにして、「バラエティーに富んだ断食が出来ます。あなたにぴったりの断食宿を見つけて下さい」というふれ込みで旅行代理店に企画を持ち込んだりしてみる。世の肥満と成人病にあえぐおやじを対象に、癒しと下心を兼ね備えた新たな健康ビジネスとして成立しそうに思うのだがどんなもんだろうか。

 

2004年4月2日(金) この次は茶髪にしてやる
 いつもの散歩コースには数店の散髪屋さんを見かけることが出来まして、社会復帰するときにはさっぱりしておきたいものですから、平日の昼間の暇そうなときを選んで一軒の大衆理容に入りました。

 思ったとおり客は一人もおらず、店員さんが暇そうにしているので、パーマでもかけてもらおうかという気分になりました。すると店員さんが驚いて「ロットで巻くパーマですか」と念を押すではありませんか。「そうですが、何か?」と答えたら奥のほうで、「あ、あったあった、これでやろう。この液使うわ」なんてやっているではありませんか。

 そうか、大衆理容ではパーマなんてかけるもんじゃないのか。これは失敗したかな、と思ったりしていますと店員さんが「いやー、最近はパーマが流行らなくてねぇ、若い子はみんなツンツン頭ですから。そうそう、スキンヘッドなんかも流行ってるんですよ、帽子との組み合わせなんですね、いかがです?」などと宣う。パーマをかけに来てスキンヘッドにされたんでは堪りません。「今日のところは軽くかけて刈上げにしてください」とお願いしてようやく始めてくれました。

 最近は滅多にパーマをかけないといっている割には店員さんなかなか上手で、手際よく仕上げてくれ、肩もこらずに終わることが出来たのですが、料金の支払いのときにまた久しぶりなもんですからパニクッてしまったようです。出来上がりはまあ満足できるのですが、支払いは6000円。なんだか大衆理容の有り難味が無い金額ですが仕方ありません。

 頭も軽くなりましたことですし、スキップをして静養院に帰ったのですが、お姉さんが僕を見るなり、「まるで散髪したみたいな頭になったねぇ」などとからかうので。「6000円もかけたんですよ」と言うと今度は「あらー、やっぱりお金をかけるといいわねぇー」などとすっかりおもちゃにされる始末。他の女の子からも、「へんな頭になった」と大変な不評をかってしまって、希望に満ちていたはずの僕の社会復帰はのっけから蹉跌をきたしたのでした。は〜!前途は多難です。

 
 

2004年4月1日(木) 嘘じゃないよ
 かねてより待ち焦がれていた宝山寺の市の立つ日がまいりました。断食道場の窓外に咲き誇る桜の隙間越しに、早朝から詣でる家族連れの歩く姿を見ることが出来ます。7時には既に第一、第二駐車場とも満車になっているらしく徒歩三分程離れた駐車場から歩いているのでしょう。大勢の人を乗せた観光バスもやってきたようで、奉納された酒が底をついてしまわないかと気が気でない僕ですが、11時前に運ばれてくる昼食を頂いてから飲まないと、急激に酔いが回って倒れるといった醜態を曝さないとも限りませんので我慢することにしました。

 お昼前に僕が詣でた頃、お寺直下の駐車場にはベンツを始めとした高級車がずらりと並んでいて、さすが商売にご利益が著しいとされるだけあって壮観です。皆様、さぞや宝山寺さんのおかげで商売が繁盛しているのでしょう。さて肝心の奉納された樽酒はまだ残っているでしょうか。はやる心を殊更に落ち着かせながら樽を覗き込みますと、もう底から10cmと無いところまで飲まれてしまっているではありませんか。お賽銭をあげてからひしゃくでひとすくいし、料理の味見をするような小皿に取り分け、恐る恐る一口いただきますと、これがなんと申しましょう杉の香りも仄かな妙味が口いっぱいに広がり、やがて砂漠のように乾いた僕の五臓六腑を潤すのでした。

 麓の町を散歩して一時間ほど経ってからもう一度樽の前に詣でましたら、残り5cmほどになっております。先ほど頂いたときには一瞬で酔いが回ったような気がしましたが、そんな理屈はありません。久しぶりのお酒の香りに酔ったと錯覚をしただけのことです。今度は小皿2回に分けて飲みましたから午前中の倍量を飲んだ計算ですが、やっぱり本当には酔いません。しかしだからと言って酒臭い息で道場に帰るわけにもいかないのでここは我慢です。
 灘の大手酒造の有名ブランドが張られている樽酒は、お酒自体の質を云々すればいくらでもケチがつけられるかもしれませんが、一度断食して食事の有り難味を知ったのと同じで、一度断酒するとどんなお酒でも有り難いと思えるものです。あの一口で、今まで浴びるように喉に放り込んでいた飲み方を改め、慈しみながら飲むことがこの先も出来そうに思えた今日の僕なのでした。

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