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HAL日記


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2004年1月31日(土) もう行かないと
 断食 修行で検索していたら、元オウム、現アーレフ代表役員上祐史裕氏のオフィシャルサイトを開いてしまった。非常にムカつくし、開いてしまっただけでどれほどの情報を抜かれているのか分からないので気持ちが悪いのだが、開けてしまったものは仕方がない。ホームページ自体は良く出来ているのでしばらくサイト内を歩いてみた。

 氏が代表に就任したのは2001、39歳のことらしい。その挨拶の中で、
地下鉄サリン事件に言及して、過去の事件の過ちを深く反省し、信者一同、今後とも一生涯にわたって謝罪、、賠償を通じて事件に対する償いを続けていく、と誓っているのはいいが、サイト内のどこを探しても麻原の"あ"の字も出てこないのはどうしたことだろうか。アーレフの中では既に過去の人物、忌まわしい記憶として抹殺されてしまったのだろうか、それとも世間を欺くための方策で、実は今でも信者の心の拠りどころであり続けるのだろうか。いずれにしてもアーレフは、表面的には上祐氏が教祖のように映る。

 成田山新勝寺の断食道場を、宿坊研究会のホーリーさんに勧めていただいたのだが、単に断食修行だけなら奈良県生駒山に、静養院断食療養所というところがあるそうで、ここは歴史が古く、システマチックな感じがするし、なんといっても近いのはうれしいではないか。家から1時間あまりでいける。アル中ハイマーの治療にはちょうどいいかも知れないな。


2004年1月30日(金) 昼間から熱燗
 奈良スポーツ振興カントリー倶楽部の朝は、曇ってはいたが風はさほど冷たくはなかった。前の会社のゴルフ仲間は、「年末から忙しく、ずっと練習もコースも出ていないからお手柔らかに」と言うが、それは僕も同じ。最後のお別れゴルフ以来、遍路で足腰を鍛えたものの、上半身は当時より確実に筋力が衰えている。練習に行ってみて如実に思い知らされ、ずっと筋肉痛で首が廻りにくいのだった。

 スタートしてみると案の定、ゴルフを忘れてしまったみたいなことになって、パッティング以外は散々なものになった。上がってみるとスコア「106」情けないー!みんな同じ様な結果に肩を落としはしたものの、久しぶりにリフレッシュに気分は上々。再会と練習を約束して別れた。


2004年1月29日(木) 夢の続き
 飲み屋で飲んでいるうちに、友達が長浜ラーメンを食いたいと言い出したので飛行機に乗って福岡の天神で豚骨ラーメンを食べたら、今度は急に讃岐うどんが食べたくなって香川に行ってるみばあちゃんの釜玉を食べた。

 もちろん夢の中での話しだが、バブルの頃には本当にそんなことをやっていた社長さんがいた。急にお金持ちになってお金の使い方が分からなかったのだそうだ。その方が今どうされているのか知らないが、別の知人で、「カダフィー大佐」と、僕が呼んでいた人が亡くなったと聞いた。お金にまつわるトラブルから包丁で刺されたというのだ。一緒に岐阜県の五箇山に行ったりした方だったので、信じがたいことだったがどうも事実のようだ。お金持ちで、独り暮らしだった彼の死後、畳をめくったら一万円札が敷き詰められていたというまことしやかな噂が流れたらしい。

 いい夢を見ると続きが見たくなるのは人情というもの。今朝も6時に目覚まし時計に起こされ、どうしても続きが見たくなってもう一眠りをしたが、続きを見たはずなのに何も覚えていない、残念な朝だった。


2004年1月28日(水) ありがとうございました\(^o^)/
 長年に亘り探し続けたチェンバロの曲名を下西美都さんに教えていただき、とても感動したのは言うまでもないが、分かってみると直ぐ近くまでは行っていた。というより楽譜の存在は知っていたので、心斎橋のYAMAHAに出向き、相当長い時間探したのだけど、遂に特定するに至らなかったのは、楽譜を見てもそのままでは頭の中で音が鳴り響かないからなのだ。

 以前師事したピアノのお師匠様に尋ねたところ、彼女は厳格で几帳面な性格の方だったので、いろいろと探してくれたみたいだ。仲間の先生の一人がW.Byrdらしい(このらしいというのが問題なのだ)と教えてくれたが、高価な全集を買うわけにもいかないので諦めていたわけだ。

 早速練習してみたが、ピアノから暫く遠ざかっていたので難しい。あんまりやりすぎて腱鞘炎になりそうだったのでほどほどでやめた。現代風の楽譜に書き直された(現代語訳みたいな)ものだからまだいいが、当時の楽譜だったらまず読めないだろう。1600年くらいの作品なのだが、それより100年後の楽譜だって相当分かり難いのだから。

 

2004年1月27日(火) 常識とは、思い込みのこと
 座ってションベンをなさる男性が増えているだぁ〜?そんなことニュースでやるなよアホらしい。そんなんやってる暇があるならイラクの先遣隊の様子をもっとレポートしろよ。とおっしゃるのは正論で、僕もそう思うと言いたいところなんだが、実はこの手のテレビ番組を、いつもびくびくしながら見ているのだ。

 僕が少年から大人へと脱皮したと勘違いした頃のことだった。親戚の家に行くと甥が布団にくるまって目を真っ赤にしてビ〜ビ〜泣いている。寝込んでしまった隙に母親に買い物に行かれ、出し抜かれて悔しいのだろう。暫くあやしてやったら機嫌が直ったが突然、オシッコー!と訴えて地団太を踏み始めた。子供っていうのは尿意をもよおしてから我慢できる時間が短い。あせったのは僕のほうで、よしよしちょっと待て、と半ズボンに付いているサスペンダーのクリップを四つとも外して、パンツまで脱がしたら、このをぢさん何をしてくれるねん、みたいな顔をされた。無事に用を足し、冷静になって考えてみると、サスペンダーのゴムを肩から外すだけでズボンは脱がせられるじゃないか。いやそれどころかチャックを下ろすだけでモノがつまみ出せたじゃないか。道理で妙な顔をしたはずだ。実は今でもどうするのが正しいのか知らない。

 知人とパーキングかどっかのトイレに行って立ちションをしていてふと彼に目をやると、ベルトを開放して、ファスナーを全開にしてパンツの穴からモノを出して用を足しているではないか。おいおい一体何をサラスねん、と訳をただすと、こうしなければ気がすまないんだとか。それ以来注意して他人の様を観察すると、意外なことにこの方法を用いる人は結構いらっしゃる。いや、もっとすごい人はお尻を半分晒している。僕は真似をしようとは思わんが案外快適なのかも知れない。

 自分が子供の頃から当たり前と思ってやってきたことが案外あっさりと否定されることがままあるもので、例えば風呂に入るとき一番先に洗い始めるところはどこかとか、お尻を拭くのは前からか後ろからかとか、他人と違ってはいないかとても気になるので、大勢の側に立っていると分かれば、これで人前に出ても恥をかかずにすむなと、ホッと胸をなでおろしたりする。NETでどなたかが告白していたが、うんこをした後でキッチリと拭かなければ気持ちが悪いので、トイレットペーパーを手繰っては手繰っては何度も拭いて、まだそれでは収まらず、ペーパーを指に巻いて×××に差し込んでグリグリと、、、。だから家でするとすぐにペーパーがなくなるので奥さんにしかられるのだそうだ。うーんしかしそんなヤツおらへんやろ!と言いたくはあるが、パーキングのトイレに入っていると、一体どれほどのペーパー使うんじゃぁ、いうくらいいつまでもガラガラ音をさせている人は確かにいる。存外これが正しいやり方だったら大恥を今、僕は曝している事になるが。


2004年1月26日(月) 知らない世界があるのだよ、見えないけれどあるのだよ
サムソンと聞いて、韓国の会社SAMSUNGを思い浮かべたらコンピュータ好き、韓国出身の大リーガー、サムソン・リーを思い浮かべたら野球好き、旧約聖書のサムソンとデリラを思い出したら物語好き。

 僕が思い出すのは雑誌の「サムソン」。これは「薔薇族」、「サブ」と同じホモ達系の雑誌なのだが、初めて手にしたとき、大相撲関連の雑誌かと思ったくらいFATな方たちが登場する。表紙は無精ひげを生やしていた栃東が笑っているようなイラスト。そこでもてはやされるのは、太って男らしい、絶倫で、しかもお爺さんとか社長、あるいはヤクザの組長といったイメージ。

 この雑誌が、男気のイメージの「サブ」、耽美派のイメージの「薔薇族」とはっきり違うのは、なんだか妙に明るいということだろうか(どの雑誌も真剣に読んだことはないが)。投稿を読むと思わず笑ってしまう。こんなことを真剣に考えている人がいるのだと、自分が何も知らない狭い世界で生きていることを思い知らされる。

 本屋で立ち読みしながら多分ニヤニヤしていたに違いない。ふと気がつくと若い兄ぃちゃんがすぐ傍に立っている。どうも邪魔になっているようなので半歩よけたがまたすぐ傍に来る。今度は一歩よけた。それでもまたすぐ傍に来るではないか。そこでようやく事態が飲み込めた。どうやらそちらの方らしい。本を戻して裏側の棚へ歩いたら「チッ!」という彼の舌打ちが聞こえた。

 駅前の本屋さんにでも、どこにでもこの専門誌は置いてある。分厚い本だから平積みにするとかなりな山になるが、それだけよく売れるということだろう。ということは世の中にはそちらの方が、たぁっくさんいらっしゃるということか。たぶんラジコンヘリ愛好家よりもはるかに多い。趣味だというなら、何が正しくて何が間違っているなんて議論すること自体意味の無いことだからぁ、、、それにしても僕はあちらに見えるのかぁ?

 

2004年1月25日(日) ど素人に戻っていた
 健康のために歩き遍路さんをやるのは間違ってないと思うのだが、なんとも金がかかる健康法だ。もちろん野宿という手もあるが、健康を心配する人のやることじゃないだろう。通夜堂とか善根宿を当てにする手もあるだろうが、これなどは御参りのためなのか泊まるために歩いているのか分からなくなってしまう。そうなったら本末転倒というものだろう。僕は一度もそういった所にお世話にはならなかったが、シミュレーションはやってみたことがある。泊まる所探しで頭がいっぱいになって、お経を覚えるどころではなくなった。

 ゴルフのお誘いがあったので久しぶりに練習に出かけてみた。友達のメールには「遍路で足腰鍛えたからさぞいいゴルフが出来るだろう。お手柔らかに」とあったが、練習場ではとんでもないことになっていた。確かに足腰は強くなったみたいだが案の定、上半身がすっかり弱っていて、以前の飛距離は望むべくもない。だから、健康のためにお遍路さんをやりたいのだったらその点は考えておかないといけない。遍路はやっぱりお祈りが主眼だね。筋肉痛に耐えかねて鎮痛剤を飲んでボーっとした頭で思った。


2004年1月24日(土) 胸が悪い
 誰でも自分の日記が穢れる様な気がして触れたくない事もあるだろうし、僕も同じなのだが、腹立たしい事もすぐに忘れてしまうタチなので書いておかなくてはならんだろう。

 書きたくない事と言うのは、池田小学校事件の「詫間」のことなのだが、腹立たしくて書いて置きたい気にさせるのは、テレビの報道の有りようなのだ。

 詫間に共感する女性がいるのだそうで、手紙や、チョコレートを送ったり、あまつさえ獄中結婚を申し込んでいるのだとか。当の女性にインタビューをしているのを苦々しく見た人も多いことだろう。それは僕とて同感なのだが、面白くないのはコメンテータやキャスターといった連中が異口同音に、「こんな女性がいること自体認めたくない。身勝手で、不愉快極まりない話だ」と視聴者におもねた発言しかしないということだ。

 詫間のことを考えたくも無いのは僕も同じなのだが、オウムの麻原にしても、人類の歴史の中で僕が同じ時代に生きているというのは稀有な偶然なのかも知れない。そう思うとき、この世界が詫間や麻原に及ぼしている影響と同じものが我々にも降り注いでいるのは間違いないのだろう。だとしたら、いつ我々が立場を変え、あちら側に立ってしまっても不思議ではない。彼らだけが特別だというのはたやすいこと。誰でもいえることなのだから、視聴者受けを狙ったコメントなど聞きたくないのだ。

 いったい何がどうして詫間のような人間を形成させたのか、今から本気で考えないと大変なことが次から次へと発生してくるように思う。汚らしいものを見たくないので、Netを歩くときには極力避けて通るが、それでもたまにぶち当たってしまって、「こんなことを考えているやつが実在するのだろうか」と思った事もたびたびだ。Netのヘビーユーザーというわけでない僕でさえそうなのだから、もう臭い物には蓋が出来ないところまで来ているのかもしれない。それを是正し、啓蒙してくれるのが健全なメディアであってほしいのだ。


2004年1月23日(金) 熱い思い出
 子供の頃、街に行くと言ったら、それは今治市に行くことだった。神経質で胃腸が弱かった僕が母に連れられ、街の病院へ行ったのは小学校3年生ぐらいの事だったろうか。寒い中を長い時間歩いて大きな病院に着いたが、診察までは随分待たされたように思う。やがて検査が始まり、バリュウムを、「バニラ味が付いているからおいしいよ」と、騙されて一気に飲まされ、バニラ味どころか気持ちが悪くなって吐きそうになっているのに、「おかしいな、ちゃんと砂糖も入ってるよ、もう一回飲んで」と、も一つ騙されて最後まで飲まされたのを覚えている。

 初めて体験する辛い診察を終えるとデパートに連れて行ってもらった。何をして遊んだのかは覚えていない。というのも、母はそこで少し目をはなした隙に財布を失くしてしまい、財布が置いてあったと思われる椅子には、人相の悪い、子供の遊び場には到底似合わない風体の男がタバコを吸いながら腕組みをしていて、僕はもちろん、母も怖くなって早々に立ち去ったのだった。財布には、しかし大した金額が入っておらず、不幸中の幸いだった。そんな事があったのだから何をして遊んだのか覚えてないのも仕方がない。

 既に日が落ちて、薄暗くなった今治港には大島行きの小さなフェリーが到着していたが、出港にはまだ少し余裕があった。僕はそこで生まれて初めてホットドッグというものを見て、「あれが食べたい」とねだったのだろう。母もまた珍しかったらしく切符を買った後、僕を先にフェリーに乗せてから屋台に走った。が、なぜか屋台のおじさんがもたついているようで、なかなか帰ってこない。僕はフェリーのタラップに立って、「お母さんはどうした」と聞く切符切のおじさんに、屋台のほうを指して答えた。

 出港の汽笛が鳴ってもまだ帰ってこない。車の運転手さん達が騒ぎ始め、ののしる言葉を背中で聞きながら、ただただ早く帰って来てくれることを祈り続けているところへ、更に汽笛が苛つくように小刻みに鳴って、ようやく母が走って帰ってきた。上がり始めたタラップに飛ぶようにして乗り込み、乗組員のおじさんや、口汚くなじる運転手さん達に謝りながら客室にたどり着き、やけどしそうになりながらホットドッグをほおばったら、口の中には未知の味が広がると同時に、僕の胸には熱いものがこみ上げて来た。それが、嬉しいからか、なじられて悲しいからか、それとも母を残してフェリーが出港しなかった安堵感からなのか、幼心には分からなかった。それ以来ホットドッグは僕にとっては神聖なジャンクフードとなった。

 今でも軽四ワンボックスなんかの、ホットドッグ屋台を見かけると車を停めて買いたくなるのだが、仕事中だったりすると急に不安になって、何かに間に合わなくなるようで買うのをためらったりする。

 テレビドラマでホットドッグを食べているのを見て思い出した。


2004年1月22日(木) 既(すんで)のところで
(゜o゜)「ピアノの先生ってどんな人やった、若かった?」
先日、人を紹介してやるという、意味のよく分からないメールをくれた友人と再会したら妙なことを聞く

(^u^)「70近い男の先生やったけど」

(゜o゜)「いや、そんなはずない。若い女の先生やったはずやけどなあ」

(^u^)「そういやその先生の弟子とかいう人が隣におったなあ、挨拶はしたけどお師匠様が熱心にピアノレッスンの持論を展開しだしたらどっかへ行ったよ」

(゜o゜)「そらあかんなあ、そっちの先生を紹介したかったんやんか、ママさんなんも言わんかったか」

(^u^)「お師匠様があんまり熱心やったし、ママさんもホールの準備で忙しそうやったね」

(゜o゜)「せっかく嫁さん紹介したろ思てたのに、残念!」

(^u^)「やっぱりそうやったんかぁ、なんか怪しいなぁ思とってん。あ、でもピアノレッスンの理論は面白そうやから教室行くかもよ」

(゜o゜)「ほーそら良かった。ところで仕事のこと考えとるんかいな?お勉強もええけど」

(^u^)「……(^_^;)。アー!、危うく罠に落ちるところやった。クワバラクワバラ」
 


2004年1月21日(水) 一体何が目当てなのか
駅前留学というキャッチフレーズで有名なNOVAにいったら、可愛らしい女の子が英会話コースについて説明してくれた。

 教育訓練給付という雇用保険加入期間が5年以上あれば、最高20万円まで支給してもらえる制度を利用するので、まあ少しは安くなるかという程度なのだが、ありがたい制度なので利用しない手はないだろう。

 それにしても説明してくれる彼女の、よく訓練されたプレゼンテーションを聞いていると、すぐに入校してしまいそうになったが時間帯が問題なのと、友達を引っ張り込んでやろうと思っているのでもうすこし時間が必要だ。

 その友達と待ち合わせていたので早速NOVAの話をしたら、とても乗り気のようだ。午前中は奥様方が多いよと言ったのが決めてかもしれない。でも動機は不純なほうが力が入るだろうね。

 

2004年1月20日(火) 飲む前、飲んだ後に歩く
許可制だった酒の販売が自由に販売出来るようになったり、酒の自動販売機を設置できなくなるのだそうで、酒店も立ち飲みを併設したりして、生き残るのに必死なのだそうだ。ある酒店の立ち飲みでの話。

(#^.^#)酒店の大将 「そろそろ寒ぅなってきたねぇ。夜勤の人なんか辛いやろねぇ」

(^u^)僕 「この季節はやっぱり熱燗におでんやね。夜勤で思い出した。もうかなり前のことで時効やろからしゃべるんやけどね。寒ぅ〜い日の深夜にべろべろに酔ぅて車運転して帰って、駐車場にやっとのことで真っ直ぐに停めてん。ほんで鍵掛けたら目の前に警官がおんねん。慌てたよぅ。そやけど向こうも慌てとんねん。飲酒運転の現行犯やないやろ、外に出てから見られてんねんから。3、4人おったかなぁ、堂々と前歩いていったら『もしもし、どちらへ行かれるんですか?』て、職質みたいなことゆうねん。『あ、ご苦労さんです、家に帰るんです』とかゆうたら『そうですか、お疲れ様です』て。そやけど何でか、皆後ろに手ぇやってこっち向いてんねんな。帰ると見せかけて向き直ったら、どうやら自販機でワンカップの酒買うて持ってるんやんか。『こいつらぁ仕事中やろ!』って思たけど気持ちも分かるからなんも言わへんかったよ」

(#^.^#)酒店の大将 「そらおかしいわ、あんた!飲酒運転で捕まったらあいつら許してくれへんやないか。そんなん許したらあかんわ」

(^u^)僕 「駐車違反とスピード違反は有るけど、飲酒で捕まったこと無いよ」

(#^.^#)酒店の大将 「わしなんか酒気帯びだけで11回捕まっとんねんで」

(+o+)知人 「ようそんだけ捕まったなぁ、大将。酒の配達できひんなるやん。仕事にならんがなぁ」

(#^.^#)酒店の大将 「そやから腹立つねん!」

(^u^)僕 「ゃ、そういうこと言うてんちゃうやろぅ」

(+o+)知人 「わしも去年捕まったわ。腹立つから噛み付いたった。『お前ら税金で食うとるから、何の心配もしとらんやろけど、わしら必死で仕事やっとんねん。酒でも飲まなやっとれんのぢゃあ!』て、がぁつ〜ん言うたったがなぁ」

(^u^)僕 「ちょっと待ちぃな、あんたの仕事て、車の保険屋さんやろ。警察と一緒になって飲酒運転撲滅ぅ、ゆうてなあかんやん。まぁったく揃いも揃てこんなんかい」

今は、飲みに行くときも、どこに行くのも歩いて行きたい僕なのでした。

 

2004年1月19日(月) 記念の日になるかも
友人の行きつけの喫茶店は、喫茶店というより貸しホールとして人気を博している。ある日はダンスホールとして、またある日はジャズセッションをやっているときがあるかと思うとカラオケ教室だったりと、いつも何かが催されている。

友人からのメールで、「夕方紹介したい人があるから例の喫茶店で待ち合わせしたい」という意味のメッセージがあり、約束した時間の少し前に確認のメールをしたが返事がない。もう一度彼から来たメールをよくよく読み直してみたら、僕が勘違いをしていたようだった。当の喫茶店のママさんが僕に誰かを紹介してやろうと言う意味らしい。文面には無いが一人で行けと言っているようだ。

どうもただならぬ気配を感じる。思い過ごしかもしれないが、年頃の女性を紹介してやろうと言っているように聞こえるのだ。女性から「女性を紹介してやろう」と言われた時は用心しないといけない。仮に、「あの子は可愛いから紹介してあげる」と言われたら、それは「性格がかわいい」と言う意味であって、必ずしも容貌が可愛いという意味ではない。また、「彼女は綺麗だから紹介してあげる」と言ったとしたら更に慎重に構えなければならない。「彼女は綺麗だけど、私よりは綺麗じゃない」という注釈が付いていないかどうか慎重に判断する必要があるだろう。ある女性がいみじくも言った。「ほとんどの女の子は自分が可愛い女の子だと思ってるの。そう思い込まないと女をやってられないの」。もしも、「嫁さんを紹介してやろう」と言う話なら丁重にお断りしたものを、到着の15分前になってから気が付いたのでは遅すぎる。こうなったら腹をくくって一人で店に行くしかない。

到着すると門前に女性が座って受付をしていた。聞けばピアノの発表会があると言う。そこでハッと気がついた。ピアノの先生を紹介してほしいと以前に戯言の中で話したことがあって、それを実行してくれたのだった。ホッと一安心したがまだ問題がある。もしその先生が、かつて師事した方だったら非常にバツが悪い。ママさんに会う前に慎重に店内をのぞいたら違う方のようだ。中に入ると待ってましたとばかり紹介してくれた。かなりのお歳を召した男の先生と話をしたが、独特の理論を持っておられるようで興味深い。いつか教室に行くことになるかもしれない。

 

2004年1月18日(日) お接待の落とし穴
9年前のあの日、堺市に住む僕も強烈な揺れで目を覚ました。すぐさまテレビをつけて地震情報を確認したら震度4。あれが震度4の揺れなのかと、訝ったが他に何の情報もなかった。そこへ電話が鳴った。宝塚市に住んでいる兄からだった。「震度4なんてものじゃない。家中の本棚とか何もかもが落下してきて、その下から電話を掘り出してかけとる」。

「趣味の、無線機やコンピュータ、家電製品等等、他人にはほとんどガラクタに思えるものを、いつかは使う日が来るだろうと信じて、所狭しと積み上げているあの部屋を何とかしたらどうか。いっそのこと地震にでも見舞われたら捨てる決心ができ、さっぱりするだろうに」と、前の夜、親戚のうちで酒を飲みながら大笑いしていたら本当にそうなって仰天した。その日から兄は「被災者」、ガラクタは「瓦礫」と呼ばれるようになった。

兄の住むぼろアパートが、そのぼろさゆえに免震の効果を発揮し、辛うじて倒壊が免れたというのに、近所の豪邸が倒壊した。兄も自分のことを放って置いて救助に駆けつけたと言うが、あたりは真っ暗、ガスの匂いも充満して救助は難渋を極めたという。

やがて近くの公民館に避難所が設けられ、被災者の一人として共同生活をしながらようやく出勤できるようになり、帰ってくる兄を待っていたのは有り余るほどの食料と被災して初めて知り合った飲み友達だった。2、3分会話すると、相手が身構えるか、距離をとられてしまう僕と違って、人畜無害な性分の兄はどんなコミュニティーに属してもわりにすんなり受け入れてもらえるので、避難所においても夜毎宴会のように楽しく暮らしていたらしい。

交通機関が回復し、ぼろアパートの瓦礫の処分を手伝うために出かけ、兄と再会して驚いた。被災して共同生活しているから、身なりが薄汚れていて汗臭いのは仕方ないにしてもなんとなく雰囲気が以前と違う人間のように思えた。動作がゆっくりになっているように思えるし、何かを待っているような遠い目をすることがある。被災者の心の傷なのかも知れなかったがそれだけではなかった。長い被災生活で、施しを受け続けることにすっかり馴れてしまって、誰かが何かをしてくれるのを当てにしながら生きているのだった。「まるで乞食になったみたいや」と、本人に自覚があったのだから間違いない。

歩き遍路の頃の僕が、お接待を受け続け、やがてお接待されることに馴れきってしまって、何かを待ちながら歩き続けたように、お接待は堕落と裏腹なのだ。兄は震災のトラウマもあり、今もって以前の人格には戻れないでいるようで、あの時以来太り続けている。YUTIANがお接待に馴れすぎてこの陥穽に落ちないことを願っている。

 

2004年1月17日(土) 誰にでも仁徳がある
行きつけの飲み屋が久しぶりに開店したので行ってみたら満員御礼だった。もし僕のホームページを一週間も更新しなかったら、恐らく皆様の記憶から消しれ去られてしまうに違いないのだが、この店は何ヶ月休んでも再開したとたんにお客さんが戻ってくるのだから不思議だ。

久しぶりに再会したマスターが、常連客から異口同音に長く閉店していたことをなじられている光景は、僕にとってはお馴染みで退屈だ。文句をつける客はやさしいので、マスターに、まだかすかに残されているかもしれない改善の余地、懺悔の可能性を信じて耳の痛い説教をするのだ。

この店が、夜毎常連客同士の間で喧嘩沙汰になるのにはちゃんとした理由がある。いわゆる面倒な客が多いからに決まっている。よその飲み屋で、恐らくは出入り禁止になっただろう大虎どもの吹き溜まりなのだ。マスターはこの大虎どもを決して拒まない、だからと言って上手く飼いならしているのかと言えばそうでもない。客とマスターの掴み合いの喧嘩もたまにはやっている。傍観者はそんな荒んだ有様を、緊張しながらも楽しんで酒を飲んでいる。

大虎といっても社会的には自営業、社長業、何をやっているのか知らないが自称芸術家といった風に、立派な地位にある方々が多いので、それなりに面白い会話や情報が聞けて飽きない。そういった客同士の付き合いが店に惹きつける理由の一つなのだろうが、それだけでなく、「異質な人間、意味不明な話、最後まで話を聞いたら損をする男」と、ネガティブなラベルを貼られる僕と違って、やはりマスターの、放っておけない、世話の焼ける、ある意味では仁徳かも知れないパーソナリティーによるものなのだ。

YUTIANもそういうタイプの人で、芯は強いのかもしれないが、やっていることは危なっかしく、おぼつかないから、ついつい世話を焼きたくなる。彼女は自分の性格を分析して悪いところを直そうと腐心しているようだがそんな必要はない。いいところを伸ばせばいい。そうすればやがて悪い部分も知らず知らずのうちに直ることだろう。

 

2004年1月16日(金) 大きな壁
占い師かも知れない方からメールをいただきました。

「YUTIANのこと、同じ女性として見てるんやけど、 なんか こころの中にある 大きな壁が 見える。 尼さんに なるのも 納得。本当の 己の姿は 見せんのやろねぇ。 人として 器の大きさ感じる 素敵な女性やから 仏の道も 良いかも」。

そーなんですか!すごい洞察力ですね。二日間一緒だったんですが、ずっと明るい姿しか見せてくれませんでした。修行のお寺に到着する数分前になって少しだけ「大きな壁」の一部を語ってくれました。彼女がそれを書くのかどうかは分かりません。ほんの一瞬、表情が曇ったように思えたのが気のせいだったらいいんですが。

僕は今、一人の人間が成長していく様を目の当たりにしているようで、とても心がときめきます。その人の歴史を左右した人物の一人として、間違いなく存在したことを証明したくて尼さん修行をそそのかしているのかも知れません。接待するようなふりをして実のところは面白がっている自分がいることを知っているんです。

 

2004年1月15日(木) もうだめだ、たまらん
僕の携帯電話へ、頼みもしないアダルトサイトの紹介メールが入ってくるようになったのは昨年の末くらいからだ。パソコンのメルアドと同じものだから、たった8文字。パスワード解析ソフトみたいなものを使ったら簡単にメールを送りつけることが出来るのかもしれない。

返信しなければそのうち来なくなるのだろうかと考えて、暫く放っておいたら逆にねずみ算式に増殖してくるではないか。こりゃたまらん、というわけで泣く泣く、少しだけ複雑なメルアドに変更をした。

メルアド変更の通知を皆さんに送ったら、結構複雑なメルアドなのに、アルファベットだけの方は僕と同じように悩まされているらしいことがわかった。あ!そうそう、誰かが送ってくれた添付ファイルかサイトを見たとか言ってたな。

 

2004年1月14日(水) アンチ・エイリアス
どこの参議院議員さんだったか忘れたが、なんかのバラエティーっぽいテレビ番組の討論会で、「偉そうにしたいから、威張りたいから議員になってどこが悪いのか」と、息巻いていたのを聞いたことがある。あの権威主義丸出しの議員さんを選出した有権者は、一体どんな思いで彼の言葉を聞いただろうか。。

僕の知り合いにも議員になりたがっているのがいるが、一緒に酒を飲むと、割りにあっさり壊れるやつで、口を開いたら、「弱者のために、世直しのために立候補するんです」と、アドバルーンを揚げるげるのはいいが、その舌の根も乾かないうちから、阿保を馬鹿にしたような言動をするもんだから、「そんなことじゃあ有権者を騙すことは出来んぞ」と、戒めたりするんだがさっぱり聞く耳もたん。単純で分かりやすいという意味では可愛げがあるのかもしれないのだが、果たしてそれでいいんだろうか。

知らない「偉い人」が議員をやっているよりは、知っている「アホなヤツ」が議員をやっているほうがいいだろうという、さもしい下心で彼を応援するのだが、「自分自身の投影として人前に立ってほしくない」と、もし思っているならいや待て、よくよく考えたほうがいいのかもしれないぞ。

  

2004年1月13日(火) 趣味のお遍路
初めのうちは僕のホームページに寄生しているパラサイトなので、パラサイト遍路と呼んでいたのだけど、彼女が遍路道を歩くと、どこからともなく手を差し伸べてくれる人が現れて、そのまま数日間その方の家や、お寺にお世話になって(居候して)は、また歩き始める。そんなスタイルの野宿遍路なので、源氏名はYUTIAN(ゆうちゃん)なんだけど僕は勝手にパラちゃんと呼んでいる。

先日、そのパラちゃんを車で引っぱり回した挙句、雲辺寺近くの民宿岡田さんに宿泊した。ご主人の岡田さんは雑貨店岡田屋を経営されているようだったが、店は閉まっていて大きな看板が立っているのに通り過ぎてしまった。「料理人がお休みなので食事はどこかで済ませてください」と、あらかじめいわれていたのでコンビニに立ち寄ってお弁当を買って行ったのだが、何かの手違いで一部屋しか用意されていなかった。お正月明けということもあり、宿泊客は二人だけだったので、急遽もう一つ部屋を用意していただくことが出来た。

「こちらが食堂、こちらがトイレ、風呂はもう入れます」。ご主人に案内されて風呂を見ると、普通の家庭用のお風呂だった。「これは一緒には入れないねぇ」と、お茶らけたことを言ったらご主人が、「えぇー!そういうことなら部屋は一つにしましょう」と、おっしゃるのを聞いたパラちゃんが「そうですねぇ!」なんて答えてさらに輪をかけてお茶らけたものだから、狼狽するご主人の誤解を解くのに苦労した。

ノートパソコンをパラちゃんに渡して日記を書いて貰う間、僕はビールを飲みながら宿を訪れた方々の遍路手記や、月刊誌「四国遍路」を読んでいて驚いた。月刊誌が発行されているということは、趣味のひとつとして商業的に成立するということであって、遍路が祈りや行、一部の人には生業、そして歩き遍路はほんの一握りの好事家だけの「特典」みたいに思い込んでいた僕だったから、あまりの無知ぶりに愕然となった。

よく考えたらそのとおりで、田舎のご近所のおばあちゃんは、「毎年の島四国八十八箇所をおじいさんの運転する車で廻るのが楽しみだ」と、言っていたし、何年もかけて区切りうちをし、納経帖を真っ赤にしているサラリーマンの方にも遍路道中でお会いした。いずれNHKの趣味悠々という番組なんかで「趣味のお遍路を歩く」なんて企画が持ち上がるのだろうか。裾野が広がるのはいいことなのかもしれないが、遍路道を歩いて結願した僕としては「特典」のままであってほしいと思う。狭量なエゴイズムだね。

 

2004年1月12日(月) 若者は抑圧すべきか
厚目のセーターを着て、今は何の季節なんだろうと、自問するほど暖かい陽気の中を歩くと、駅前に着いた頃にはすっかり汗ばんでしまっていた。

美しく着飾った和服姿の若い女性、黒っぽいスーツも初々しい、まだ少年と呼んでもいいような男の子ら。駅前がいつもと様子が違って華やいでいたのは、新成人の日だからだった。彼ら、彼女らの、まだ板についていない晴れ姿を見ると、おじさんのほうがなんとなく気恥ずかしくなり、思わず目をそらしてしまうのだった。

そんな中で例の「荒れる成人式」のニュースを聞いた。こんなことになり始めたのはいつ頃からだったろうか。少なくとも僕の時には聞いたような記憶が無い。そのころの多くの新成人は、まあ言ってみれば同窓会のつもりで出席していることもあり、田舎のほうでは確か、正月三が日の間に行われたのではなかったか。

第二次大戦の後、日本文化よりアメリカ文化の優秀性をPRされて育ってきた僕たちの世代は、アメリカナイズされたより自由な表現と行動、主体性、何よりも個性の主張を求められはじめた最初の世代なのかもしれないが、その世代の子供たちが今の新成人なのだ。

個性の主張と、自由という概念を解釈する発展途上の親として、子供の教育に確信が無いまま、メソッドを模索した最初の日本人であるのかもしれない僕たちよりは、今の新成人のほうがお行儀という点ではむしろ良いという印象を常日頃から持ってはいるのだが、こういった公の場で暴れる、いわば「お行儀のテロリスト」みたいな連中は、個性の主張と、お行儀と、自由を履き違えた僕たち親の世代が産み落とした副産物であり、その責任を我々が免れる得ることは無いだろう。

温故知新。もうそろそろ日本古来からの伝統を思い出してみて、中途半端なアメリカナイズを卒業し、今こそ日本的な教育を再確立すべきではないのか。な〜んて、右翼みたいなことを考えてみたりする日なのだった。

 

2004年1月11日(日) 健全な遊びは安い

近所に「極楽湯(ごくらくゆ)」という大型銭湯ができた。「風呂に入ってから将棋を指そう」と、友達に誘われ、車で出かけてみたら、なんと広々とした駐車場にはガードマンが3人も立っていて交通整理をしている。たかが銭湯に何でこんなに車で人がやってくるのだろう。

その銭湯の近くの「かっぱ厨房(ちゅうぼう)」というレストラン(ザ、めしやの計り売り版みたいな感じ)で食事をしてから風呂に入ろうとなった。

おかずとざる蕎麦を注文して支払ったら581円。友達は蕎麦とおかず480円程。安ぅー!。

ここは以前十割そばの店として人気を博していたのにどうして潰れたのだろうと、皆で(いぶか)っていたが、経営は以前と同じく得々うどんの系列のようだ。前店にも増して人気があるのはその安さと、バイキングっぽい感覚で好きなものを好きなだけ取って、重量で値段が決定されるというわかりやすさ。だからと言って決して味が悪くない。そんな流行(はや)る店の当たり前の理由からだろう。

銭湯の門前にある立て看板には「39度の温泉」とあるから、冷泉を沸かし直すものではないらしい。店内に入ろうとしたところで別の知人とばったり出会った。「今風呂から上がったところや」と言うのだが、「もう一度入って将棋を指そう」となった。

場内は大勢の人で(にぎ)わっていた。まるで出勤時間の駅のホームみたいな混雑振りには参った。浴槽はかなり広い。電気風呂、水風呂、サウナ、露天風呂、その他。湯は少し塩分を含んでいるのかもしれないが、温泉かどうかなんて味わっている余裕もないほど混んでいた。

風呂から上がり、持参した将棋版で対戦していると人が観戦に来た。「口を挟んでくれていいですよ」と言ったのだが行儀良く見てくれる。相当長い時間遊んだので晩飯にしようとなって、これまた近所の「サイゼリア」に入った。1,5Lの赤ワイン1本でピザ、フォッカチォなんかを腹一杯食べて一人1500円。不況になって、なんか暮らしやすい。

 

2004年1月10日(土) 恋文をもらいたい
朝昼夕と、規則正しく迷惑メールが携帯に入ってくるようになったのは、僕のメールアドレスが単純だからなのだが、いまさら変えるのもめんどくさい。一日三回くらいなら、一度もメールが来なくて寂しい思いをするよりは、かえって嬉しいくらいなので、その都度いちいち削除していたのだが、今日一日だけで30件近くも入ってきたのには参った。

もともと携帯を使うのが苦手だし、男同士のメールなんてほとんど五七五くらいで済んでしまう。用件が伝わればそれでいいではないかと思っている。飲み屋の待ち合わせなら「○○閑古鳥、鳴く」で、OK。

本を読むといったら、音楽関係かその他の趣味関係の、専門書みたいなものばかり。そういった本の文章と言えば、本人しか分からない独善的な話を延々としていたり、ビギナー向けのイントロダクションみたいなのが中心で、面白い記事といったらほんの一部。だから僕の文章も当然、気が利かない表現になってしまう。

遍路に出てから、様々な方からメールをいただいた。男性からいただいたものはやはり即物的と言うのか、用件が満たされたら表現は二の次と言ったものがほとんどであったのに、女性からいただいたものの多くは、感情を伝えるための、やや大げさとも言えるほどの表現が新鮮だった。漫画文化などと言われた僕たちの世代から見ると今の若者は、活字文化、恋文の時代に回帰したかのような、それでいて独自の表現を獲得しつつあるように思える。羨ましくもあり、「日本語の外来語化なんて心配することもない。なるようになるんだ」とも、思う。

 

2004年1月9日(金) 尼さん修行へ
66番、雲辺寺への道も厳しいと聞いているが、そこも僕は自分の足で歩いていない。「まいさん」という美人に車でお接待をしていただいたからだ。とてもうれしいことではあるのだが、歩き遍路は自分の足で歩かなかった遍路道があるのを、どうにも潔しとできない、といった気持ちがあって、もう一度歩きなおして、その部分を自分の足で感じて、失った何かを取り戻したいのだ。念のために断っておかなければならないが、お接待を断れなかったのではなく、喜んで受け入れているのであっても、それとこれは別のことなのだ。お接待も、とても貴重な体験なので喜んで受け入れたし、その思い出は、僕にとって終生忘れがたいものなのだ。

またまたYUTIANを出汁にして、雲辺寺への道を歩こうかとも思ったが、さすがにそこまでやってしまうのは、彼女の「何か」を奪ってしまうようで忍びない。彼女はその僕の邪まな目論見を拒否しなかったが、この際、彼女の気持ちを優先した。

YUTIANが本来の菩提寺の宗派である「曹洞宗」の修行がしてみたい。と言う願いをかなえるために、とある寺まで乗せていった。何日間の修行を体験するつもりなのか本人にもはっきりとは分からないようだった。「一回目は必ず結願したいので」とも言っていたので。数日したらお遍路さんに戻るのは間違いなかろう。

昨年、僕の息がかかった男を堺市議会へ送り込むことに失敗したとから、ということもあって、「一人くらい尼僧の友達を持つのも悪くないか」といった、浅ましい下心から「尼さんになれ、なれ」などと彼女をそそのかしているのだが、「実はそれも悪くないか。なんて思ってます」などと、仮に嘘でもそう語って、僕を喜ばせてくれるのだ。「きみはきっと良い尼さんになって病める人達の心を救済するに違いないと思うよ」。山門まで見送ってくれた後姿を写真に収めさせてもらって、そう確信した。

修行のお寺の門をくぐるYUTIAN

 

2004年1月8日(木) 騙したつもりなのだが
61番、香園寺でYUTIAN と待ち合わせた。60番、横峰寺への道は美しくもあるが、遍路道の難所ベスト5に入るような険しい道。彼女もさぞかしヒ〜ヒ〜泣いたことだろうと期待しながら、初めて当寺を訪れた人が一様に「お寺は一体どこにあるのだろう」と、探し回るほど近代的な、しかし二回目の僕には懐かしい本堂の前に、彼女を見つけたときはとても落胆した。

「お〜!HALさんお元気ですかぁ」と、なれなれしいく近づいてきた。「人見知りをするタイプ」と、自分で言うほどとは思えない。もっとも、そうでなければ見知らぬ他人の家に上がりこんで、風呂から食事からと、お接待をいただく事が苦痛に思えるに違いないだろう。それにしても彼女の元気そうな姿はどうしたことか。昨年、僕がここを歩いたときは、朝からおにぎりひとつしか食べられず、逆廻りをやってしまった悔恨もあり、5kmほど車のお接待をいただいたというのに、当寺に着いたときはへとへとだった。

島四国巡拝をそそのかした張本人の僕が、母に電話で「野宿の女性お遍路さんが島四国を歩くよ」といったら、母は宿のお接待を申し出た。もちろんそう言い出すだろうという、いわば未必の故意を意識してはいた。都合二日、実家に泊まったようだったが、母は「ありがたや、ありがたや」と、まるでYUTIANのうしろにお大師様を見たかのように喜んでいた。どうやら彼女は年寄りの話を嫌がらず、母の気が済むまでおしゃべりを聞いてやったみたいだった。恐らく母にとって、最初で最後の宿のお接待。YUTIANの施行に感謝する。

横峰寺を打ってから石鎚山に登りたかったのだが、時間的な都合で断念した昨年の遍路を、結願してからもずっと憂いていた。「正月前に登ってみようか。しかし一人で登るのも、遍路の延長ではないので気が利かんなぁ」と、悩んでいたところへ、YUTIANが某寺でスタックしているではないか。お接待をすると見せかけて、彼女を出汁にして石鎚へ登ってやろうと目論んだ。「64番、前神寺の奥の院へ行こう」と、上手くだまくらかして(騙されたふりをしたのかも知れない)9時半ごろロープウェー乗り場に到着したら、駐車場には数台の車しか停まっていなかった。二人連れのスキーヤーとスノーボーダーが多い。手ぶらで来ているのは我々だけだった。奥の院へお参りしてから7合目付近の展望台までの雪道を、貸しアイゼンを履いて登った。これで高野山までの町石道を歩く予行演習にもなった。世話になったな、YUTIAN。      

雪化粧をした石鎚山  

 

2004年1月7日(水) やっちまった。仔犬と同じだ。
初対面の時から「楽しい男だ」と思った知人がいるが、彼はスタイルが良く容貌もまあそこそこなので初対面の女性にも良くもてる。3分も話せば彼の楽しさが分かり、1時間も遊んだらすっかり彼の虜になってしまう。

彼がたまに飲みに行くオカマバーでも良くもてる。「○○ちゃあーん、今度デートしよう、なあ、なあ」。そんな風に、整形手術して美しく化粧し、着飾ったオカマちゃんに言い寄られるのだそうだ。その時の気分を聞くと、「う〜ん、あれは微妙な気持ちになるもんやなあ」。

告白するが、僕はYUTIANが女性だということを証明する根拠などひとつも持ち合わせてはいない。ただそうらしいと思っているだけのこと。実際、彼女が温泉に入ったら、「一瞬周りがざわめいたんですよ。そこで○○○と言ってから服を脱ぐんです。そしたらやっと皆さん安心されます。毎度のことなんですが」。○○○のところを聞きたかったのだが教えてくれなかった。

女性が野宿しながら遍路を続けるための苦肉の策とはいえ、化粧もしたかろう、長い髪も梳かしたかろう、爪も染めたかろう。年頃の女性の普通の姿を捨てて歩いて何が得られるのか、彼女にも分かっていない。そんな真摯な姿にほだされて、「温泉のお接待」などしてしまった。世間も同じ思いで彼女を甘やかすに違いない。修行の旅を歩く彼女のためには決していいことではないとは思いつつ。

 

2004年1月6日(火) もうそろそろ運が尽くはず
ゴロゴロ…ゴロゴロ…雷の音で目が覚めた。酒の抜けやらない頭で、うとうとしながら思った。「YUTIANのやつ今日から歩き始めると言っていたが、気の毒に。歩き遍路の再開がこんな嵐の日とは。しかしまあそれもヤツの不徳のいたすところ。このところ『もうすぐ歩き始めます』と、何度だまされたか。『狼が来るぞー!』とだまし続けた少年みたいなので、『狼YUTIAN』と呼んでやった。少々世間に甘えて来たので、この辺りで痛い思いをするのもいい気味だ」。

しかしどうしたことだろう。嵐のはずなのに雨の音も、風の音もしない。瞼の外側は変に明るい。そこで初めて目を開けた。雷の音だと思ったのは、近所の工事現場に石を運んできたダンプが石を降ろす音だと分かった。「チッ、なんて運のいいYUTIANだ。霜が降りた寒い朝とはいえ快晴じゃないか。こうなったら後は、横峰寺に期待するしかないな!」。

横峰寺は西日本の最高峰石鎚山の中腹にあり、標高は約750m。普通のルートなら途中までは舗装された道を歩くが、その先を一旦遍路道へ入るとそこはウォーターハザードが延々と続き、よく整備された遍路道に絡みつくような趣もあって、とても美しくはあるが14kgの荷を背にした女性お遍路さんには相当厳しいはず。打ち終えた後は、泥と石だらけの急な下り道。

初めのうちは僕も彼女を心配したんだが、今となっては、どうもぬくぬくとした遍路体験に支えられ、修行と言うより遍路道沿いにある友達のうちにでも泊まり歩いているようで、ある種、嫉妬に似た羨望みたいのが僕の心の奥底に醸されてきたようだ。ここらでひとつヒ〜ヒ〜泣いてくれなければ、読者の一人としては面白くない。

 

2004年1月5日(月) 島四国結願
11月4日にバイクでこそこそと始めた島四国巡拝だったが、ようやく区切りで打ち終えた。YUTIANが「38番が一番すごかった」と言っていたが、そのことはすでに僕の日記にも書いた。彼女が言ってたように、確かに達成感がある。荷を背にしていないのに、相当な疲労感もあって、本四国と同じ靴、靴下なのに豆が出来てしまった。これは恐らく、札所が次から次へと出てくるので、休憩するのを忘れてしまうからかもしれない。

御住職のおられる寺は立った4箇所なので、寺を見て楽しむと言うわけには行かないが、歩く充実感みたいなものは獲得できるだろう。もし本四国を廻った経験があるなら島四国のお堂と対照して、あまり印象に残ってなかった寺の名を思い出せて楽しい。

ミニ八十八箇所の面白さは十分に理解したので、次は新居浜八十八箇所あたりを廻ってみようかと思う。遍路リングのお隣さんのdokudamiさんのページに詳しく紹介されていたな、確か。

 

2004年1月4日(日) 香りの値段
菩提寺のお坊さんが、京都のお香の専門店でもとめたお線香は、一本が数千円するのだと日記に書いておられました。さすがのお坊さんも一本丸ごと燃やす度胸がなく、半分に折って本堂で焚いてみたそうです。するとどうでしょう、たった半分のお線香で、本堂いっぱいに、えもいわれぬ香りが広がり、お坊さんは危うく昇天するところだったそうです。

専門家のお坊さんをも昇天させそうになる線香の香りとはいかなるものか。一本数千円のお線香をもとめることは僕に出来ようはずもありませんから、せめて一箱数千円お線香を焚いてみたくなり、3000円のものと、5000円のものを前に、匂いを嗅いでみましたが、どうもよく分かりません。仏具屋のご主人が、「火をつけてみると全く違う香りになります」。そうおっしゃるので、サンプルを炊いていただいたのですが、僕には安いほうがいいように思われました。

しかしここでケチってはいけません。線香好きだった父は、毎日何本ものお線香を炊いておりましたが、母は実は大のお線香嫌いでしたので、父の死後、家の仏壇で、自分でお線香に火を灯したのはただの一度もありません。この両者の間を取り持つことが出来るとすれば、それはいい香りのお線香以外にありますまい。そこで一箱5000円のものをもとめたのです。

お正月前に購入したお線香ですが、サンプルを沢山いただきましたので、まずは安いものから順に炊いておりました。それも尽き、例の5000円のもののサンプルに手をつけたところ、「えもいわれに香りが」の筈だったのですが、甘い香りがどうにも我慢できず、一本燃したところで、「二度と焚くまい」と、決心したのでした。母がどう感じたのかは、はっきりしませんが、一箱数千円の、「沈香」(じんこう)といえども、やはり一本が数千円の、信長、秀吉、家康が削ったという、「らんじゃたい」には到底及ぶべくもないのだと知った次第なのです。

 

2004年1月3日(土) やっちまった!
哺乳類に限らずだろうが、動物の赤ちゃんというのは大抵、小さくて丸く生まれてくる。
 その理由は親が赤ん坊を、「かわいい、いとおしい、あいらしい」そう感じさせる必要があって、もしも小憎たらしく生まれたなら、親が子育てを放棄するからだそうだ。いうなれば、赤ん坊の自衛策なのだ。

やってはならないことをやってしまった。3時頃家を出て、島四国51番を皮切りに、61番から62番を目指して歩いている途中、切なげな仔犬の鳴き声が聞こえてきた。遠目に見ると何かに足を嵌めてしまって動けなくなっているんだと思った。遍路道沿いなので救助のために足を早めたのだが、行って見たら2匹の、双子と思われる、丸々、ふさふさしたやつが、三つ指をつくようにお座りをして迎えてくれた。

「捨て犬?」。こういったものに下手に情をかけると、どういうことになるかは十分承知している。ついて来られて飼う羽目になるか、仔犬を喜ばせておきながら、結局は置き去りにして悲しい思いをさせることになるのだ。どっちも嫌だから見なかったことにして通り過ぎるのが最善の策だ。そう思って近づくと、2匹ともなんとも愛らしい。しかしここで誘惑に負けてはいけない。「見ないふり、見ないふり」そうつぶやきながら……。結局、連中の魅力には抗えず、気がついたらふさふさの体を撫でていた。

「やばい、この2匹を連れて帰るわけにはいかない。小さいままなら、犬嫌いではない母にも世話が出来るだろうが、2頭が成犬になると到底飼い続けることが出来るとは思えない。ここは心を鬼にして振り切って行こう。10mも歩けばついてはくるまい」。そう考えたのが甘かった。1匹が遍路道を、もう1匹が側溝を、短い足をせわしなく進めながらどこまでも必死でついて来る。

62番に着いた。振り切ったはずの仔犬に発見される前に早々に立ち去らなくてはならない。お経もそこそこに階段を飛び降りた。「あの小さな体でこの階段を降りることはできるまい」。ほっと胸をなでおろしたところへ、側溝を走ってきたもう1匹のやつと目が合ってしまった。よっぽど2匹とも抱き上げ、ブルゾンの大きなポケットに突っ込んでそのまま家に帰ろうかとも思った。

胸が締め付けられながら、全力で63番へと駆け出した。その日を70番までで終えたら真っ暗だった。後悔先に立たず。同じことを何度繰り返せば気が済むのか。我ながら愚かしい。家に帰って母に話したら、「2匹とも連れて帰ったら良かったのに。今から行くか?」だって。 

☆追いかけてくる仔犬へのリンク

 

2004年1月2日(金) 思いを遂げた
手塚治氏の作品で、「どろろ」というのがある。百鬼丸という少年が自分の体を取り戻すため、妖怪どもを退治しながら諸国を歩くのだが、強風が吹きすさぶ断崖絶壁の道を、側壁にへばりつくようにしながら歩いていたときの事だった。一人の目しいた僧が杖一本を頼りに彼の後ろから追いついてきた。「お前さん、恐ろしいのか」。百鬼丸は、「恐ろしいです」と答える。「目が見えるのにどうして恐ろしいんじゃ?ヒッヒッヒ」。目が見えない僧は平然と強風にたじろぐでもなく、岩肌が露出した道、彼を置いて歩いていく。

幼いころに読んだ漫画なのだが、長く心に引っ掛かっていた。自分を百鬼丸に置き換えてヒーローになった気分でこんな道を歩いてみたいと常々思っていて、四国八十八ヶ所を歩いたのだが、本四国の道は整備されていてそんな危険な道は実のところ無かった。「まして島四国などにそんなところが在ろうはずも無かろう」。と思っていたのだが、実際に歩いてみると違った。

島四国37番・示現庵(岩本寺)から38番・仏浄庵(金剛福寺)までの道のりは、正に「どろろ」のシーンそのままだった。僕が歩いたときは凪いでいたが、もし強風が吹いたいたなら僕も”のりめん”にしがみつきながら歩いたことだろう。島四国は侮れない。

 

2004年1月1日(木) 謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。旧年中は弊サイトをご覧くださいましてありがとうございました。今年はさらに内容を充実させたいと思います。いやその前に去年の日記を軽くしなくては。MIDIや写真をむやみに貼り付けたので、「開くのが遅くてかなわん」と、いう苦言をいただいております。  島四国を歩いている途中で更新しました。

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