HAL日記


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2004年12月29日(水) 二代目GORO
 ミニミニ自転車のGOROを入手して、喜び勇んで飲み屋に出かけたものの、道中で散々女の子に笑われた羞恥の体験以来隠忍自重していたが、久しぶりに近所を乗り回していると、XLとXOの間くらいの、ママチャリにまたがった立派な体格のおばちゃんと信号待ちで隣になった。
 おばちゃんの自転車は今にも両のタイヤがパンクしそうなほどのいたたまれない過積載なのだが、あろう事かおばちゃんは僕のGOROにまたがった姿を見るなりケタケタと笑い始めた。それもよだれとも涙とも分らない、いや多分その両方を垂れ流しながら無礼にも笑いを隠そうともしない。
(おばちゃん、あんたのほうがよっぽど面白いよ)
 僕は大人なので、そんな復讐の言葉で溜飲をさげようとは思わない。もっとも、彼女を笑うより、むしろ相当自転車に同情してやりたいくらいだが、グアムじゃこんなのはまだまだ可愛い方だから、特別な感情も湧いてこないのだ。
 信号が変わって、横断歩道を漕いで行くと、あれでもこらえていたのか、後ろから堰を切ったような笑い声が聞こえてきた。腹が痛いほど笑い転げて横断歩道を渡れないらしい。
 あんなおばちゃんに笑われたのは大層心外だが、そんなに笑いを取れるほど妙な姿を僕はしているのだろうか。犬の放屁でも笑い転げるような十代の女の子ならいたし方ないないが、あんなおばちゃんに笑われて、少なからずくじけてしまった。
 そんな事件があったから、実用に供さない、意外にも車に乗せるのがスペースをとるGOROと決別して、二代目GOROを求めるべく、ホームセンターに出かけた。

 

2004年12月28日(火) 漬けてから半年経過
 クリスマスイブの夜を一人で過ごすのも寂しかろうと、飲みに誘ってくれるのか、それとも僕が断酒しているのを知っての嫌がらせかどうか分らないが、先週の断酒初めから一度、しかも大量に酒を飲んだ。
 酒を断ってから5日目あたりが、禁断症状というほどではなく、とても苦しくて、酔ってもいないのに顔が上気して、むくんだような感じになる。ちょうどその5日目に馬鹿飲みしたものだから、一気に二重あごが加速した。
 翌日から反省してまた断酒に入ったが、顔のむくみは未だに元に戻っていない。昨夜も遅くまで目が冴えていて、テレビをつけたら「シャイン」という心の病んだピアニストの映画をやっていたのでついつい最後まで観てしまった。
 映画自体は何度も観ているのだけど、眠れないので仕方なく観ていたのだが、梅酒のお湯割りのCMが流れていて、自分の漬けた梅酒で試してみたら、これがなんと結構いけるじゃないか。
 とうとう映画が終わるまで飲み続け、梅酒のお湯割ですっかり出来上がってしまった。
(梅酒は酒じゃないんだ、これも般若湯の一種なんだ)と自己欺瞞を図ってはいたものの、目が覚めたら二重あごが三重あごになっていた。

 「僕は特別な人間じゃないんだ。普通の人間でも一生懸命やれば、世界一になれるんだ」
 イチローが子供達を前に、自分を語っているのを聞くと、子供達はきっと希望が湧いてくるに違いないが、子供はそれでいいとして、頑張れなかった僕たちのような大人は、彼我の違いを比較してしまう。
(一生懸命やれるのも才能の内なんだって)
 梅酒の一杯で初心を忘れてしまうような半端者には、慰めにもならないのであった。

 

2004年12月27日(月) 日本のできる事は
 阪神大震災の1600倍の大きさとも云われるスマトラ島沖の地震による津波被害の映像を見て驚愕した。こんな巨大地震なのだから、東南海地震の予見みたいなことが出来なかったものだろうか。

 日本でも150年前の安政南海地震による津波被害を記した石碑が大阪大正区に残されているそうだが、実は、「知識と備えがあったので被害に遭わなかった」という石碑が、僕のあやふやな記憶では貝塚市の二色浜公園にあったように思うが、WEBで調べても分らなかった。

 中越地震被害対策の目処がようやくついたばかりだから、他国にまで救援の手を差し延べるなんてこともままならないだろうが、爆弾を落として破壊活動をやっておきながら、「復旧活動」の美名の下に侵略を推進するようなマッチポンプのお手伝いを今すぐやめて、自衛隊を津波被害を被った国々に派遣したって、この際だからアメリカも文句をつけられんのじゃなかろうか。

 いつわが国も東南海地震の被害に遭うかも知れないのだから、大津波対策のありようを自衛隊に経験してきてほしいものだし、国民感情に照らし合わせても大いに理解してもらえるだろう。
 本当の意味での人道援助が出来る喜びに自衛隊も気勢が上がるし、小泉政権もここで大英断を下したなら、残りの任期を全うすることが出来るに違いない。

 

2004年12月26日(日) サンタの見える人
 「子供のころサンタさんを信じていたかだってぇ?東京じゃ、毎週宇宙怪獣がやって来て、ウルトラマンが助けてくれていると思い込んでいたような人間に向って訊くようなことじゃないだろう」
 先日会った人は女性は、中学生になるまでサンタさんを信じていたというから、僕よりかなりなうわてだと思うが、きっと優しいお父さんと暖かい素敵な家庭に育ったのだろう。

 騙されることにかけては僕も決して他人に引けをとらないので、高価な品物を買う時には、たいてい人の評判がいい物を選ぶことにしている。決して個性を主張しようなんて、思ってはみても、実行する度胸なんてありはしない。
 車はホンダの人気大衆車。ピアノもヤマハの普及型。フルートもパールの中の上。そんなわけで、バイオリンも鈴木製27000円の安物だからもうそろそろ買い換えたいのだが、手作りのマスターバイオリンとなると100万円近くするから、車やピアノと違わない。
 自分で弾いてみても良い物かどうかなんて判断がつきそうもない。誰かの助言でもあればと思うが、世の中に一つしか無い物だから車のような訳にはいかない。だからといって先生なんかに頼るはずもない。
 そうなると後は見た目で判断するしかないのだが、本当に美しい、自分で納得できるものを求めようとすると、僕の車より高い買い物になるのは必至だ。ましてイタリア、クレモナ製の物となると産地のブランドにプレミアムが付いているので、中国産の贋作を掴まされる可能性は相当高い。
 先日のドラマで見た陳昌鉉さんや日本初のバイオリンマスター無量塔蔵六さんといった日本バイオリン制作会の重鎮の手になる物がどれくらいの値段するのか知らないが、ラベルを見ないで楽器だけを見て判断したら、どちらもまず買う気にはならないないだろう。バイオリンを選ぶのはそれほど難しいものなのだ。

「いつかきっと、白馬に跨った王子様が私を迎えに来てくれる」
 女の幸せがかなうことをサンタさんにお願いしてずっと待ち続けていたYちゃんは30歳の若さで向こうに逝った。彼女は向こうでもきっと王子様を待ち続けていることだろう。
 Yちゃん、僕はこちらでサンタさんに毎年バイオリンのプレゼントをおねだりしているけどまだ届かないよ。

 中学までサンタさんを信じて待ち続けていた女性が、中学になったクリスマスにお母さんに言われた。
「今年からサンタさんは来ないのよ、もう来れなくなったの」  
 彼女は去年貰ったクリスマスプレゼントの自転車に跨って思った。
「サンタさんってお父さんだったのかしら。もしお父さんがサンタさんだったら、この自転車はどこに隠していたのだろう。どこから入ってきて枕元に置いていってくれたんだろう」
 不思議なことは沢山あったが、お父さんをこの自転車の後ろに乗せて転びそうになったのを覚えている。あの時のお父さんは重たかった。お父さんの重さを思いだしながら彼女は誓った。
「お父さん、私、今年もこれからも毎年靴下を枕元に置きます。お父さんがサンタさんだったら、私を忘れないでいつかきっとまたプレゼントを持ってきてくれるよね。メリークリスマス」

 

2004年12月25日(土) やはり危険物かも
 駅前の忙しい交番に着くと、警察官が4人おられて、ちょうど先客が出たところだったが、またすぐに他のお客さんも入ってきた。忙しいといっても大した事件も無いようで、僕の持って行った拾得物をカウンターの上に並べ、3人で手分けして「拾得物預り書」なるものを作成してくれた。
「期限が来ても落とし主が現れなかったらあなたの物になりますが、どうしますか」
「そんなん要らないですよ」
 まぁ、ゴーグルだけなら僕にも使えそうではあるが、人の物を装着して泳ぐのもいかがなものかと思うので、一切の権利を放棄することにした。
「それでは落とし主が現れた場合、あなたへの連絡先は教えてもいいですか」
 世間から隠れて生きていたいと思う僕ではあっても、この際だからXOサイズというのがどんなものなのか、怖いもの見たさも手伝って会って見たい気がする。しかし、僕が総額1万円相当と見積もってみたこれらの物品ではあるが、警察に問い合わせるなんて面倒くさいことは、僕なら多分やらないだろうから、この楽しみも期待できそうに無い。

 来年の楽しみが無くなって寂しいので、宝くじでも買おうかと思ったら、年末ジャンボは既に販売が終了しているらしかった。帰る途中夫婦喧嘩の現場に出くわした。奥さんはどうやらXOサイズかもしれない。かわいそうな旦那は奥さんのパンチから逃げるのに難儀している。
(これがXOの威力かぁ!こりゃぁ連絡先を教えるの無し、無しぃ!)
 もう一度交番に引き返そうと思ったら、ポツリと雨が落ちてきて断念した。
 来年は何か恐ろしいことが起こる予感がする。

 

2004年12月24日(金) 第四の説
 おっとぅ、回想に耽っている場合ではなかった。このXOというサイズがどれ程のものであるのか、彼女の言葉を借りて想像してみたいと思う。
「大きいサイズの専門店に行ったらな、まるで相撲部屋に来たんかと思うほどの壮観やで、1回一緒に行ってみるか?」
 彼女の申し出を丁重にお断りした僕だが、彼女自身にとっては、だれに後ろ指差されるでもない安住の店ではあっても、「余りにも人の足元を見たような値段がついているので、男物のLLサイズに甘んじている」のだそうだ。
 そう聞いて彼女の足元を見ると、男物のロングサイズを切らずに履いているというジーンズの裾からは、長い足がまだ余っていた。

 不審物を説明する三番目の有力な説は、この際考えなかったことにして、四番目の「引ったくり、放棄説」を考えて見ることにする。
 どこぞの奥様がスポーツクラブの帰りに、買ったばかりの競泳用水着とゴーグルを前かごに入れて、自転車のタイヤを苛めながら懸命に漕いでいる所を狙って、二人乗りのバイクが後ろから近づきざまにひょいっとかっぱらて逃げ、夜中に団地の踊り場で中身を確かめてみて驚いた。
「なんじゃこりゃぁ!金目のもんちっとも入って無いじゃん、しょーもなっ」
 ということで袋に蹴りを見舞ったところ、僕のドアーの前にぽとり。朝、僕がドアーを開けて不審物を発見したという説である。
 なるほど、これなら十分に考えられることだ。金額にして2万円近いだろうこれらの持ち主もさぞかし悔しい思いをしているに違いなかろう。そうすると、僕のとるべき行動は考えるまでも無い。袋ごと大きな紙袋に入れて部屋を出た。
(なんで、こんな隠すみたいなことせんといかんのやぁ、これやったら俺が、なんかやったみたいじゃないか)
 納得いかないまま、駅前の交番をめざして急ぎ足で歩いた。

 

2004年12月23日(木) XOじゃん!
 目が覚めた。普通に目が覚めたということは、昨日の不審物はやっぱり爆弾ではなかったのだろうか。ドアを開けるとやっぱり置かれたままになっている。
(ひょっとして、クリスマスプレゼント?)
 内容物を確かめたら僕がスポーツクラブに持って出るような、ゴーグル、ランニング用の靴、スイミングスーツ。靴以外は新品のようだが、クリスマスプレゼントには2日早いので、その線は消えた。
(そうすると今はやりのフィッシングメールの亜流詐欺?たとえば、後で持ち主が現れて、『あの中には大金が入っていたのにどこへやった。ひょっとしてお前が盗ったのか、それしか考えられんぞ』なんてことになりはすまいか)
 しかし、それにしては内容物が妙にユルさを発揮している。ブランド物のハンドバッグに財布でも入っていたなら分らないでもないが。
 残るは、密かに僕に思いを寄せている女性がおられて、今回の事件を知り合いになるきっかけにでもしようと企んでいるという線が考えられた。
(マジかぁ!それなら話は早い。このあいだサンタさんにお願いしたところだしな)
 この中に入っている競泳用スイミングスーツというのは、上下が分かれていて、男女どちら用なのかよく分からないが、それだけでなく、サイズXOなんて聞いたことが無い。僕のサイズはMだが、それより大きいのだろうか。
 ブランデーのXOなら、エキストラ・オールドで、メッチャ古ぅ!という意味だろうが、服のサイズなら、エキストラ・オーバー(サイズ)で、メチャデカッ!とでもいうのだろうか。

 かつて十数年前に、この界隈を夜毎飲み回っていたころの友達は、どういうわけか180cmオーバーのデカイ連中ばかりだったが、その中で一人だけ女性がいて、彼女が最も背が高かった。
「185cm位かぁ?」
 訊いてはいけないことのようにも思ったのだが、訊かないのも逆に変に思われそうなので、ってゆーか、粗忽物の僕はついつい訊いてしまった。
「ま、そんなとこかな」
 否定でも肯定でもない答えが彼女から返って来たのは、きっと控えめな数値を僕が提示したからに違いないと思った。仮にこれが体重で、オーバー目に訊いたなら即座に否定されただろうから。
 ある日、彼女と映画を見に行くことになって待ち合わせをしたら、10cmもあろうかというハイヒールを履いて現れるじゃないか。それを見て僕は激昂した。
「こぅらぁ、人を舐めたようなマネぇ晒しとったら承知せんぞぅ!」
 つま先立ちで、出来る限りの背伸びをし、彼女の胸の辺りを見下ろして、額に青筋を浮かべながら思いっきりの巻き舌でガツンと釘を刺してやった。
「そーかそーかぁ、よしよしぃ、ほな行こかぁ」
 彼女に頭をナデナデされて、なだめられた。身長差30cm以上。哀しいかな、体格ではいかんともし難いのであった。

 

2004年12月22日(水) 不審物
 朝、外に出ると、ドア前に何か置いてある。小汚いピンク色した見たことも無い袋だが、ゴミ袋でもなさそうだ。足でつついてみると、軽いものが入っている感触がある。気持ちが悪いが、掃除のおばちゃんか誰かが忘れていったのだろうとそのままにして外出した。
 夕方帰って来ると、怪しい袋はやっぱり置かれたままになっている。
(ゴミなら捨てても問題は無いだろう)
 ファスナーをあけたら異臭がするんではなかろうかとびくびくしながら中を覗いたら、スイミング用のゴーグルが見え、「SPEEDO」という美津濃スポーツのブランドが確認できた。
 いつだったか、スーパーで買い物をして、楽譜一式を入れたカバンを忘れて、店員さんに届けてもらったことがあったが、あの時どうしてスーパーの店員さんは僕の住所が分ったのか不思議だった。
 確かにゴーグルとかスイミング用品等を担いでスーパーに出入りはしているし、昨日もそんな格好で買い物をしたが、何も忘れた訳じゃないし、まして、店員さんが僕の背中の荷物の内容を知っている筈もない。
 放って置いたら誰か取りに来るだろうと、中身を全ては確認せず、そのままにしてあるが、まさか夜中に爆発したりはしないだろうと思っている。 

 

2004年12月21日(火) 次亜ラマダン
 このところ胸焼けがするなと思っていたが、やっと原因がわかった。どうやらグアムで買ったバーボンウィスキーの「ワイルドターキー」を飲み過ぎているようだ。
 このウィスキー本当にアルコール度数53%も有るのかと疑いたくなるほどまろやかで飲みやすく、しかも芳醇な香りがするのでついつい飲み過ぎてしまうのだ。
 このまま飲み続けて年を越したら、正月の酒を飲む体調を維持できるかどうか分らないので、ストックしている酒を全て帰省用のカバンに詰め込んだ。
 そうする間にも飲みに誘う電話が鳴る。もし電話に出たら強引に勧誘されかねない。いや、誘惑に負ける自分の姿が容易に想像できるので電話には出ないことにした。
 
 誘惑に抗い、アルコール切れによる不眠症と戦いながら、何とか一晩を越すことが出来たが、早朝から固定電話が鳴る。
 電話番号表示が出来ないので仕方なく受話器をとった。
「モーニング食べに行こう、その後飲みながら将棋やろう」
 人の苦労も知らずにいい気なもんだが、これにも打ち勝った。
「やれば出来るもんだなぁ、この調子で帰省するまでの1週間頑張るか」
 今夜も飲み屋からかけているのだろう呼び出しの電話を無視しながら、我慢という被虐に曝されて打ち勝つ自分を見つめながら、酒でなくヒロイズムに酔うことでこの難局を乗り切ろうとしている。

 

2004年12月20日(月) 遍路らしげに
 稀にではあるが、これから遍路に出発しようという方からメールを頂くことがあるし、遍路から帰ってこられた方からお便りを頂くこともある。
「私は、たまたまあなたと同じ施設を利用した者ですが、もしやと思ってあなたの日記に書かれてある事の裏を取ったら、事実だと分って非常に驚きました」
 つい先ごろ頂いたお便りには言外に非難の響きを持っているようにも思える。
 きっとこの御仁は、どこをどうひねったら遍路姿で我々のように乱暴狼藉・破廉恥を働き、スットコドッコイを仕出かすことが出来るのだろうかと不思議でしかたないのだろう。
 しかし私はこの御仁に強く念を押しておきたい事が一つある。それは、乱暴狼藉・破廉恥というのは、随行したTEL氏の分担であって、僕は主としてスットコドッコイの方を受け持っていたということである。
 真摯に遍路を実践しておられるのであろうこの御仁は、パソコンの画面を前に僕の日記を読んで、きっと眉をひそめておられるに違いない。
「TELだかHALだか知らんが、GO TO HELL じゃ!」
 恐ろしい呪いの言葉が聞こえて来そうではある。

 今年の正月には、島四国を普段着で歩き回って、地元の方がたや、何度もすれ違ったバスの運転手さんに不審に思われていたに違いない。
 だからお遍路さんに地元の方がたが白衣の着用を求めるのならそうすべきであろうと思う。
 昨年の秋に遍路を始めたころの僕たちといえば、白衣に菅笠をかぶっているから辛うじて遍路と認識して頂けたのであろうが、地元の方から見れば初心者遍路丸出しであったろうと思う。

 大阪西成区に通称「釜が崎」という由緒正しい労働者の町があって、若い頃に一人で歩いて金をせびられそうになったことがある。
 後年、古道具などを捜し歩くようになっても「他所者」という視線を感じたものだったが、2、3年も通っていると、着ている服は同じでも立ち居振る舞いとか、慣れが出てきて町に溶け込んで見えるのか、地元の人間に間違われて良く声をかけられるようになったものだ。

 これだけ何度も遍路に出かけていながら、いまだにスットコドッコイをやらかしているが、この秋に遍路道を歩いて気がついたのは、菅笠もザックにかけ、白衣も着ず、杖も忘れているというのに遍路道を歩けば、ちゃんと遍路として見てもらえ、お接待まで頂けるということ。
 遍路が板についてきたのだろうか、もしそうなら来年は普段着で、乱暴狼藉・破廉恥・スットコドッコイな遍路にチャレンジしてみようかと思ったりしている。

 

2004年12月19日(日) まだやるかぁ、忘年会
 「いくら飲み放題といっても場末の店なんぞにいつまでも腰を落として飲んでいるのも芸が無いだろう」
 店主には言い分があるようだが、こちらは将棋でも指していれば朝まででもビールを飲めるのだからお構いなくと言いたい。
 しかしそんなことをして、せっかくテッチリで上げた薄利が吹っ飛んでしまっては気の毒なので、店主をねぎらって皆でスナックに繰り出すという話になった。
 今更スナックでもなかろうと思う僕は、他の方にショットバーと居酒屋を奢ってもらったのだった。そこでこの世のものとも思えないような美しい女性二人に会ってラッキー!と思ったけどその場限り。

 そんな事情があったので昼になってもアルコールが抜け切らなかったから、今日のスポーツクラブの忘年会はパスしようと思っていたのに呼び出されてしまった。
 しかもこの集まりは僕には少々場違いな、マラソンマニアの忘年会なので、気が進まないけどせっかくだからお付き合いさせていただくことにした。

 しっかし、この方たちときたらハーフマラソンをこなしてから飲んでいるし、なによりも皆さん60歳前後のお歳なのだから恐れ入るよ。
 こんな元気なおいちゃんたちが軟派にいそしんでくれているから僕ンとこに彼女が回って来んのじゃないかぁ。えぇ加減にしといて欲しいよ。

 

2004年12月18日(土) だから言わんこっちゃ無い
(こぅらぁ、野蛮人、これのどこがコンパニオンじゃぁ、こぅゆーのは仲居さんって呼ぶんだろうがぁ、普通ぅ!)
 飲み処ひょうたんの忘年会に出てみると、コンパニオンが来るというふれこみだったが、案の定騙されていたのがわかった。
(しかも、ひょっとしたら手前ぇの会社の事務員さんじゃないのかぁ、この二人わぁ!)
 暖簾をくぐるなり、僕は落胆したというより、怒りが込み上げてきて声を荒げようと思った。
「コンパニオン代として払った銭の500円を1000円にして返せぇ!」
 誰かが皆の気持ちを代弁して忌憚の無い意見を吐いたので、少なからず僕の怒りも消沈したのだが、もしそうでなかったら踵を返して、入ったばかりの店を飛び出していたに違いない。

 K1ファイター武蔵のお父さんが甲斐甲斐しくもフグちりを勧めてくれるので、苦虫を噛み潰したようなツラで大人しくグラスを傾けていた僕だったが、酔いが回るにつれ、怒りがぶり返してきた。
 萱で切ったような細い眼。おたふく風邪にでもかかったかのような下膨れの頬っぺた。おまけにコンパニオンの年齢制限を超過しているだろう彼女らに対する僕の怒りは、もはや金銭面の問題ではなくなっている。
(平安絵巻じゃあるまいしぃ、えぇ加減にぃ…。ん?平安貴族ぅ?)
 カウンターをたたいて罵ろうとしたが、そう言えばどこかで見たことのある顔だと気がついた。
 先ごろおめでたい発表をなさいました、いとやんごとなきお方を髣髴させる風貌ではありゃしゃいませんか。
 芥川龍之介先生の「天下に我々の恋人くらい、無数の長所を具えた女性はいないのである」という「侏儒の言葉」を引用するまでも無く、見方を変えれば、なんと美しい彼女たちなのでしょう。 

(こ、これはこれで一興かぁ?すると、このシチュエイションはなかなかに楽しいものかも知れんなぁ!)
「ささぁ、姫君ぃ、こちらがフグの刺身でございますれば、先ずは一口ぃ…」などと彼女たちの手を握ったりして、鉄拳制裁を食らったHALなのでございます。

 

2004年12月17日(金) 希望と現実
 テレビと蛍光灯を何とか自分で回復させることが出来ないものだろうかと苦闘してみたら、テレビの方はチューナーとして機能させているビデオデッキに問題があることが分ったが、直すことは結局諦めた。
 蛍光灯のスイッチはスプレーオイルでもかけたら簡単に直りそうな気がして、シュッと一吹きして、カチャカチャと入り切りした途端にボムッと炎が上がり、ヘアリキッドを塗っている髪の毛に引火して慌ててパシパシ叩いて消火した。
 スプレーの説明がきを読むと「LPガス使用」と書いてある。なぁるほど、それなら燃え上がりもするだろう。
 それにしてもマンダムのヘアリキッドは燃え良い!

(クメール・ルージュ、確かそんな名前だったよなぁ)
 無料パソコン教室の抽選に漏れたので、童話教室のお師匠様が教えてくれた19日の日曜にコンサートをするというパン屋さんを探しに出たが、地図と名前と電話番号を書きとめたメモを忘れて往生する。
 ルヴァン・ルヴュージュという舌をかみそうな名前のパン屋さんをやっと探し出したと思ったら「もう満席になっているので入れませんよ」と言われて、お腹もすいていないのにパンを買ってしまった。

「グアムのゴルフ場から『ゴルフ場ご招待の件は落選しました』というメールが来たが、そちらはどうだった?」
 一緒にグアムでゴルフをした友達から問い合わせがあったが、スパムメールに手こずって片っ端からメールを削除していったので、ひょっとして間違って削除したかもしれないと思って、サーバーを見に行ったら、サーバー側も全て削除してしまっていて、おまけにメルアドも変更してしまっているので、仮に当選していてもお手上げだい。

 日々に希望というものから見捨てられていくようで、やるせない思いをしている僕なのだが、友達の娘さんが18歳の誕生日を迎えることができ、運転免許を取ったので中古の軽自動車を買ってやったという。
「16歳までは生きられないと覚悟しておいてくださいって医者がゆうたんよ。そやからワシも嬉しゅうてのぅ」
 娘さんは心肺同時移植をしないといけないのだが、日本では和田教授の事件以来、脳死移植が困難であるくらいのことしか僕は知らない。
「希望を捨てたらアカンちゅうことや。そやからな、お前も嫁さん貰うの諦めたらアカンでぇ」
「そう来るか、ありがとう。希望だけは一応持ち続けるよ」
 いい話を聞いてうるうるしていた僕は、思わぬ冷や水を浴びせられて、ようやく現実に戻るのであった。

 

2004年12月16日(木) きな臭い噂
 どうも困ったことになりそうだ。
「ひょうたんって一体どんな面白い店だろう、一度飲みに行ってみたい」
 場末の危険な飲み屋のことを書いたりしていると、とても楽しいサロンと勘違いして、向こう見ずなことを言い出すご婦人がおられたりするが、とんでもない思い違いをしている。

 背中にお絵かきをしている青年。
 注射違反で別荘暮らしの経験を持つおじさん。
「指の一本や二本で済むような事ならいつでも解決してやるぞ」
 最後の解決方法を頼みもしないのに伝授してくれる猛者、等等。
 とにかくデンジャラスな連中ばかりの屯する、ブッシュ大統領ならずとも間違いなく悪の巣窟に指定するだろう、それはそれは恐ろしい飲み屋なのである。
 そんなお化け屋敷を想わせる飲み屋に行ってみたいなどとは、余程恐怖体験に憧れているか、自殺願望でもある方の自棄になった発言としか考えられない。
「またまたHALの奴、オーバーな表現をして」
 そんな好意的な邪推をされる向きもあるかもしれないが、それは全くの逆で、むしろ我が身に危険がせまるといけないので、これでも控えめに書いているつもりだ。
 
「オレのことを書きやがったら承知せんぞ」
 どうやら何かあったら殴りこんでやろうとチェックされている方がおられるという噂を耳にして、先回りをして日記を消してしまおうかと震え上がっているが、今のところは危害が及ぶ気配も無いのでそのままにしておく。
 人様への尊厳と思いやりをもって、神経を使いながら書いている日記ではあっても、そこは相手のあること。どこが癇に障るかもしれないし、人のプライドはどこに有るのか分らないのだから、面倒なことにならないように心して書かねばならないと思っている。

 

2004年12月15日(水) 疑心暗鬼、か
(少しばかり手を焼かされたが、まぁ、この程度のことは……)
 日頃厄介者扱いしているお腹に助けられたというのに、土手の上に立って勝ち誇りながら、難儀したスロープを見下ろした。
 舗装されてはいないが、行きたい方向に道らしきものを見つけ、闇の中を息を整えながら歩くと、嫌な臭いがますます強くなってくる。そればかりでなく、周りの影にも不穏なものを感じる。
(ひょっとして、ここは墓地じゃないのか)
 募る不安を吹き払うように真っ直ぐだけを見つめ、全身を硬直させながら足早な千鳥足でこの場を抜けることだけ考える。
 「ゥモ〜ゥ!」
 異臭に包まれながら牛小屋があるに違いないとは思っていたが、墓地を抜けてホッとした矢先に牛に吠えられて動転した。
 そこに更に追い討ちをかけるように、ジャラリという音と共に大型らしい犬が吠えながら追いかけてくる。
(鎖の音がするから繋がれているのだろう、心配するほどでは、いやまて、鎖が外れている音だったら)
 もつれる足でダッシュをかけた。
(最悪の事態だ。やっぱり外れているんじゃないか)
 闇の中で正体の見えない黒い犬がどこまでも追いかけてくる。
 走りに走って気がついたら舗装道路に出た。犬の気配はもう無い。
 いつから追いかけて来なくなっていたのか、それすら分らず走り続けていたのだった。

 そこまでだ。そこまでは覚えている。しかしその先の記憶が全く無いのだ。今思い出してもどこをどう歩いたのかも分らないし、タクシーを捕まえたのかどうかも思い出せない。
 走り回ったことで酔いが一気に回ったのかも知れなかった。
 その夕方現場検証に向った僕だったが、覚えている景色とは全く違うものだった。
 民家が沢山あって、田んぼの真ん中という訳でもなかったし、コンビニの明かりと思っていたのも、民家に飾られたクリスマスのイルミネーションらしかった。
 墓地は見つけられなかったし、牛の姿も見当たらなかった。黒い大型犬には吠えられたが、ちゃんと長い鎖に繋がれていた。

(うぅ、気分が悪い。ここは、あ、そうか、自分の部屋かぁ)
 ずきずき痛む頭で目を覚ますと、脱ぎ捨てられた泥だらけのジャンパーとジーンズがあった。
 冷蔵庫を開けてみる。
 オムそば、6pチーズ、トマトジュース、白菜の漬物、カップヌードル。
 いかにも僕が買いそうな食品が、見かけないコンビニの袋に入ったまま放り込まれている。
「きっちり帰り着いているんだからオレの帰巣本能も捨てたもんじゃないな」
 チンしたオムそばを一口食って、ホッと声に出して呟いてみた。

 

2004年12月14日(火) 艱難辛苦
「字が間違っている。用法を間違えている。変換ミスをしている」
 日記を読んでくださった方から様々な指摘を受けるので、Yahooの辞書を置いてみました。
 すべての辞書にチェックをつけて辞書を開き、例えば「艱難辛苦」をコピーして貼り付けて検索すると、「かんなんしんく」の読み仮名や意味が表示されるといった具合です。
 識って間違えている場合はいいとして、勘違いして使っている言葉もあるようないい加減をごり押しをしているかもしれないので、これでチェックしながら書きたいと思っております。

つづき
 畦道を進むにしたがって街灯の明かりが暗くなり、星明りとコンビニの
看板の明かりだけが頼みとなった。
(変だ、さっきまで確かにコンビにまでの道が見えていたのにどういうことだ)
 緩やかな傾斜だが、壁のように立ちはだかる土手を前に僕は右往左往して、先ほどまで確かに見えていた道を探したが見つからない。
 辛うじて草が削れて、道のように見える土手に足をかけて登りはじめたが、ずるりと滑って元の場所に落ちた。
(やっぱり手を使わないと登れそうもないな)
 このときになぜ元に戻って舗装路を歩こうと、一瞬たりとも考えなかったのか不思議でならないが、酔っているというのはそういうことなのだろう。
 草をつかみながら順調に登っていたかに思えたが、ここでも千鳥足が災いして、ずるり。醜く突き出たお腹のおかげで辛うじて下まで落ちるのを免れる。
(ちょっと油断したかぁ、それにしてもなんか臭うなぁ)
 足を滑らせては、お腹でストップをかけ、また滑ってを繰り返すこと数回。ほふく前進の体制でついに土手を登りきった。



 正直に申しあげるが、僕はこの日記を書く前に、ここをもう一度訪れている。
 それは、いい加減な日記を開陳するのに忍びないというのではなく、僕自身が到底納得出来る筈も無い事をやらかしていそうな気がして、いうなれば現場検証のつもりだったかのかも知れない。

 

2004年12月13日(月) ほんの入り口だった
 泉北ニュータウンは、通称「台付き」と呼ばれる丘陵地を削って開発された新興住宅地が、やや低い旧来の田園地帯に囲まれるように形成されている。
 僕が歩いているのはこうした谷間に位置する、まだ自然の残された畑地を分断するように走る自動車専用道路の側道のはずだ。民家もあるにはあるが、道は暗い。

 三歩進んで一歩戻るような力無い千鳥足でどれくらい歩いただろうか、よく知っている場所に出た。
(えぇ?まだこんな所を歩いているのか、こんなんで夜が明ける前に帰り着くことができるんだろうか)
 懸命に歩いたつもりが、何ほども進んでないことを知り、空しさを覚えて地べたにへたり込む。

 目の前に暗い池が見える。水面に鳥の影のようなものが見えるが鳥なのかどうか分らない。鴨とかの渡り鳥がやって来ているのだろうか。
(ジベリアみたいな遠いところから良くぞ日本まで渡って来たものだ。お前らの旅路に比べたら俺の家路なんぞたかが知れとるな)
 気を取り直した僕は、おもむろに立ち上がってまた歩き始めた。

 街灯の消えているところを歩きながら空を見上げて、初めて星空の下を歩いていることに気がついた。
(そうか星を意識することなんて、このところなかったなぁ、今日はついてるいい日なんじゃやないか)
 いい歳をして馬鹿をやっているのを慰める助けにはなった。
 
 一陣の風が吹いて竹林が騒ぐと、竹と竹がぶつかり合って奇怪な音を発していた遍路路の記憶が蘇ってくる。松風の音は寂しさをあらわすというが、竹風の音は悲しみを誘うのか。
 朝、目が覚めて、死んでいなかった喜びよりも、生きていた哀しさに、訳も分らず枕をぬらした幼い日を思い出す。人通りが無いのをいいことに、しゃくりあげながら歩を進めた。

 コンビニの看板が見えてきて、ニュータウンが近いことが分ると、急に尿意を催してきて、田んぼの畦道に入って用を足した。良く見ると畦道がコンビニの明かりまで続いている。
(ここまで来たらあと30分余りか、なら少し田んぼの中を歩いてみるか)
 この秋の遍路で道を間違え、田んぼの中を歩いたら意外にも近道だったのを思い出していたのだが、このあとの200mが最大の難所だなんてこの時には思いも拠らなかった。

 

2004年12月12日(日) 誤算があった
 町の明かりが徐々に遠ざかるのを背中で感じながら、この春に愛媛卯之町から内子町を越えて50km歩いた遍路を思い出していた。
 距離を8km程も間違えていて、思いがけず月明かりだけが頼りの未知の長距離を歩かなければならなかった辛さを思えば、今夜の7kmなど物の数ではないはずなのだ。
 少し遠回りしているかも知れないが、この道は遍路に出る前にトレーニングを兼ねて、車を購入したディーラーから歩いて帰ったのだから良く知っている単純で平坦な道のりだ。不安など無いはずだった。
 ところが歩き始めてすぐに、とんでもない思い違いをしていることに気がついた。
 確かに道は知っているし、距離もたいした事はないが、今夜の僕の障害は、ほとんど真っ直ぐに歩けないほど酩酊しているということだった。
 段差につまづいて転ぶかと思えば、ふと気がつくと目前に電柱があってしたたか頭を打ち付ける。街灯にしがみついていたかと思えば、街路樹に抱きついている。
 今からでも遅くは無いから駅前に引き返してタクシーを拾うのが最善策だろうと振り返ったら、町の明かりはずっと遠くになっていた。
(もうこんなに歩いたのかぁ、この努力を無にするのも辛いなぁ)
 たとえ最善の策であると分ってはいても、今来た道を戻るなんて耐え難いのが歩きニストなのだ。
 歩き続けるのを選択した僕だったが、今思えばこの時点で引き返ていれば、あれほど悲惨な目に遭わずに済んだものを、と後悔しないではいられない。

 

2004年12月11日(土) 危ない連中
 野蛮人に将棋の戦いを挑まれ、僕が場末の飲み屋「ひょうたん」に着くと、日頃は紳士的な、K1ファイター武蔵のお父さんがいつになく荒れていた。先日の武蔵の試合に関してとやかく言われて反論しているみたいだ。
 ファイターのお父さんだけあって、お年を召されているとはいえ武蔵にヒケをとらない体格なので、本気で暴れられたら安普請の店が倒壊しかねんが、そこは紳士。口汚い連中相手に声を荒げて議論はしても、体力に訴えるなんてことはしない。
 
「あんたが俺を嫌いなのは知っとるが、ナメたマネさらすなっ!」
 先ほどまで熱い議論を戦わせていた武蔵のお父さんたちが店を引き払っても、残った酔客のボルテージは昇圧を続け、やがて限界まで達したと見え、遂には野蛮人が僕に向って放電し始めた。
「自分で呼び出しておきながら、将棋に負けたからといって、逆上してみせるとは一体どういう了見だ。面白くないから俺は帰る」
 この夜はビール瓶が宙を舞わなかっただけマシだったが、大人しく将棋を指していた僕もたまりかねて、野蛮人を足蹴にして店を出ようとした。
「まぁまぁそう言わんと。送っていくから。さぁさ、車に乗ってよ」
 変わり身の早いのが彼の取り柄でもあるが、気の毒なのは彼の運転手さんで、酒も飲まずに深夜まで引っぱりまわされる。

 送って行ってやると言われてホイホイと車に乗り込んだ僕だったが、気がついたら一駅離れた隣町のスナックに連れて行かれていた。
 何度か来たことはあったが特段印象に残っていないごくありふれたリーズナブルな店には、何年ぶりかで会う顔があって、互いに近況を話し合って再会を喜んでいると、ここでもまぁた野蛮人が暴れ始めた。
 知人と隣の静かな店に非難し、戻ってきたころにはほとぼりが冷めているかと思いきや、野蛮人の姿は既に無かった。
 時間は深夜2時。タクシーもつかまらない。それどころか知人と別れてから道を間違えたらしい。
(ここは何処?私は誰?)
 酩酊した頭で見当識を失った僕は、7km余りもある道のりを帰巣本能にまかせて歩いて帰ろうと、暗闇の中に足を踏み出していた。

 

2004年12月10日(金) 絶不調
 朝、起き抜けにテレビをつけた。
「天皇皇后両陛下の外国ご訪問は……」
 両陛下のお姿が映っている画面を眺めながら僕は呆然としていた。
(ほほぅ、こうやって白黒の映像でみるとまた一味違うもんだなぁ、こんな味なことをやるテレビ局はどこだぁ)
「次のニュースです。拉致被害者のものとされる遺骨の鑑定を……」
 やっぱり白黒の映像が流れている。目やにをこすっても同じ。青汁のコマーシャルも、トレーニングマシンのコマーシャルに出ているローラとマイクも、やっぱり白と黒。

(とうとうこの日がやってきたのか。ここ数ヶ月赤みをおびた画面を調整しきれなくなっていたが、あれが進行するとこんなことになるのか)
 テレビの末期症状を憂いながら蛍光灯のスイッチに手を伸ばしたが、何度紐を引っ張っても明かりが点らない。イライラしながらカチャカチャやっていたらワイヤーが緩んで蛍光灯本体が頭の上に落ちてきた。
 ワイヤーを巻き取っているぜんまいが、なまっていたのは承知していたが、何もこんな日に一度にやってこなくてもよかろうに。
 
 先日は風呂の自動給湯が不能となって、修理に来てもらったばかりだというのに、またしてもこの仕打ちである。なんで年の瀬が迫ったこの時期に一気に機械物が不調になるのか不思議で仕方ない。
 蛍光灯程度のものへの出費も痛いが、テレビとなると今すぐ衝動買いするわけにもいかないから、しばらくはB5のノートパソコンにカードチューナーを差し込んでテレビの代わりを担わせようとしたのだが、これがうんともすんとも言わない。
 ドライバーをアンインストールしたのを忘れていたのだが、再インストールのCDが見つからん。
 やんぬるかな、ナメクジに塩もみされたような打ちひしがれた状態で、白黒テレビに甘んじながら年を越すしかないようである。 

 

2004年12月9日(木) 強火でやりたい
 恐れていたことが現実味を帯びてきた。忘年会のメイン料理を何にするかで大もめにもめていたカニ派とフグ派の間に入って、煮え切らない「立呑み処ひょうたん」の店主だったが、結局はフグ免許を持っている自分の力量が発揮できるフグのコースに決定したという。
「マスター、まさか虎フグじゃないやろね」
 恐る恐る僕は切り出した。
「いや、虎やで、フグは虎にきまってるやろ」
「だれが造るの?」
「俺にきまってるやん。心配せんでも中国産の養殖物をさばいて配達してくれるから大丈夫やってぇ」
 マスターはこちらの不安を見透かしたように先手を打ってくる。

 フグもカニも嫌いではないが、古いカニを食べてウクライナのユーシェンコ元首相みたいな顔になった悲惨な体験を持つ僕としては、フグの方がまだしもではあっても、免許を持っているとはいえ専門家ではないマスターの造るフグ料理には、さすがに慎重にならざるを得ない。

「マスター、まさか北朝鮮産のシャブ漬けフグやないやろね」
 まだ会費を払いたくない僕は、なんだかんだと煮え切らない。
「阿保なぁ、そんなええもんやったらホントのフグシャブやんか」
 今の北朝鮮がどんな酷情であるのか知らないが、10数年前の北陸方面ではよく北朝鮮産の食品を見かけたものだった。
「そうかぁ、それやったら30分程遅れてから来るわぁ」
「なんで?食ぅてる客の容態を確認してから食べるつもりかいな。そんな事やってたら鍋なんか煮え切らん間ぁに食われてまうでぇ!」
「それも困るなぁ、そやけど命は大事やしなぁ……」
 いつまで待ってもトロ火で炊くような、煮え切らない会話が続くのであった。

 

2004年12月8日(水) メルアド変更しました
 「たとえ槍が降ろうが、火が降ろうが俺は初志貫徹の無頼漢だ。フィッシングメールやウィルスメールごときに苛まれているからといって、そうおいそれと引き下がるはずも無い。メルアドを変えるのはそろそろ前のアドレスに飽きたからで、決して奴らに屈するものではない」
 負け惜しみにも似た捨て台詞吐きながら、あからさまな精神勝利法に身をゆだねて、奴らの軍門に易々と下ってしまった。

 とにかく毎日大量に(数多くではなく、量と言っていい)ものが、頼んだわけでもないのに洪水のように押し寄せてくる。
「逆援助交際、リッチな女性紹介します。裏ビデオが激安。私、今から会ってくれる男性を探しています。出会い系の書き込みを見て気になったものですから。俺はこれで人生が一変した、ホントにすごい」
 等等、よくぞこれだけ手を変え品を変え次から次へ、ほとんど読まずに捨てられるメールが書けるもんだと、奴らの情熱に感心しないではいられない。

 メルアド変更のお知らせを多くの方にしたら皆さんがたも結構悩ませられているのが分った。
「毎日100通以上のメールが来て、必要なのはそのうちの2〜3通といった寂しい有様です」
 これもとんでもないことになっている。
「迷惑メールは対策とのいたちごっこ。諦めてしまうのが1番かも知れない勢いです」
 同意同意。全く同感です。
「ホームページにアドレスを公開したり、掲示板にアドレスを公開したら、自動巡回ソフトがメルアドを集めて回りますので、hotmailならサーバー側で対策してくれます」
 このアドヴァイスは的を射ていると思うし、それでもなおかつ迷惑メールが来はじめても、簡単に変更できるのはうれしい。
 だけど、これはメーラーでは送れないし、受けることも出来ないから、チェックを忘れそう。
 出先から簡単にメールがチェックできるのもいいけど、Yahooメールは携帯からでも確認できるから、利便性でMSNなんかのhotomailに軍配が上がるとも思えない。
 そういったような理由で、YahooのIDを新たに取得してhotmailを作ってHP上に公開することにした。
 これならメーラーに転送してくれるのでチェック忘れがなくなりそう。

 全ての迷惑メールが悪質で、役に立たないものだと思い込んでいた僕なのだけど、先日のこと日本橋の電気屋街を歩いていて女の子に声をかけられた。
「ケーブルテレビのスクランブルが解除できるチューナー35000円です」
「えぇ、本当?違法じゃないの」
「大丈夫です、今のところは違法じゃありません。今のところはね!」
 どこかで聞いたことがある話だとおもっていたら、迷惑メールによく見かける内容じゃないか。香具師物だとばかり思っていたけど、本当に使えるものだとは知らなかった。
「こりゃぁスゴッ!よっしゃ、買うたぁ」
 とは言ったものの、うちのテレビ今恐ろしく調子が悪いじゃないか。先にテレビだろう、買うなら。それに、この万能チューナーってアナログ専用らしく、うちでは使えないことが判明した。
 迷惑メールもあながちゴミだけでもないんだなぁ、新しい情報の発信源でもあるということか。
 パソコンを持っていないような方がたと飲み歩いている僕が、なかなか新鮮なネタにありつけないことを思うと、ひょっとしてメルアドを変えたのは失敗だったかぁ!?

 

2004年12月7日(火) 歡喜凱蒂猫(キティちゃん、中国名らしい)
 僕の常用している場末の飲み屋は「立ち呑み処ひょうたん」(敢えて名前を公表して糾弾する)というのが通称で、ライターにもそう印刷されているが、店主の名刺には「飲み処ひょうたん屋」となっている。
 よもや店主もどちらの名前で保険所の認可を受けているか忘れてはいまいと思うが、時々半年くらい店を開けるのを忘れる有様だから、存外どちらが正式な名前なのか分らないのじゃないだろうか。
 開店したのが20年ばかり以前というから、この界隈じゃ事件沙汰になってつぶれたりもせずに長続きしている方だと思う。

 今まで食中毒や刃傷沙汰にならないのが不思議なくらい荒んだ客層と衛生状態で、おまけに店主ときたらくわえタバコ(しかも客のたばこ)で料理を作るという、いかにも場末然とした、今時の日本では到底許されそうもない行為がまかり通っている。
 今夜もいつもどおり下品な常連の酔客が将棋板を挟んで大きな声でもめている。
「今、お前手ぇ離したやろ、待ったやんけ!負けたら負けた言え」
「そっちこそさっき2歩打ったん見逃してやったやないけ」
 今にも掴み合いの喧嘩になりそうなのは、恐らく相当な金がかかっているに違いない。
 危ない手合いは放って置くに限るので、友達と別の飲み屋で1時間ほど飲んで帰って来たら、まぁだ将棋をやってやがる。

「将棋を指す人からは将棋税を頂きます」
 店が今より繁盛していた頃は他の客の迷惑になるからというので、店主が制限を設けていたが、いつの間にやら闇の賭け将棋クラブみたいな様相を呈している始末。
 当夜は僕も酩酊して連中に1000円巻き上げられてしまった。面白くないのでビールグラスを床に叩きつけて割ったので、代わりのものを何か返却しなければいけないが、洋服の青山で貰ったキティちゃんどんぶりとキティちゃん皿を持って行ってやろうと思っている。少しは客の心も和むんじゃないかな。

 それにしてもあそこで店主の造るフグを食いながらの忘年会とは色んな意味で恐ろしい。しかもコンパニオンが本当にあの店に来るんだろうか。女性だとは聞いているからその点は信用しておくが、まさか70歳くらいの「元コンパニオン」じゃないだろうなぁ。
 ちゃんと年を越せるかどうか不安でかなわん。

 

2004年12月6日(月) 虚礼廃止ぃ!
 年賀状の季節ということだが、筆不精というより字が下手な上に、近頃じゃ何でもかんでもパソコンに頼るようになったせいで、字を忘れたばかりでなく、小学校低学年並みの書体を誇るほどになったものだから、ことここに至っては手書き年賀状など考えられない。
 始めの頃は「筆まめ」というソフトを毎年アップグレードして使っていたが、年賀状のほかには年に数回立ち上げるだけの不経済な使い方しかしないのでアップグレードはもうやらん。
 文面は慣れたホームページ用のソフトで絵(しかも他人の作品)を加工して「筆まめ」に渡し、謹賀新年の文字を追加したり、宛名書きをするという不合理な使い方をする。そんな「まめ」なことするくらいならワードでも同じことが出来るじゃないかと笑われそうだ。

 住所は知らないがメールアドレスなら知っている、という付き合いが増えたので、そんな方がたには広告付きのグリーティングカードを送ればいいかと思うが、退職した会社の元上司とか、仕事上の付き合いしかなかった方がたに年賀状を送るべきかどうかで悩む。
「あれ、こんな奴からまだ年賀状がくるか。仕方ないから返しておくか」
 年が明けて、貰いたくもない奴から年賀状が届いて、苦々しい思いで返信をしたためるさせるのも、嫌がらせのようで忍びない。
 だからといって、もしも虚礼廃止を敢行して、昨年の年賀状の全てに律儀にも返しておられる方から頂いたりすると、こちらの方が恐縮してしまうだろう。全く悩ましい限りだ。

 義理や人情、慣習や虚礼。面倒くさいからといって一切を避けて通るのも世間から隔絶してしまうようで空恐ろしく、踏み切れない。
 そこで僕は、相手になんと思われようが、昨年までに頂いていた方がたには全て継続して年賀状を送る決断をしたのだが、実はこれには下心がある。
 来年からSOHO(Small Office/Home Officeの略。元々はIT系のプログラミング的な仕事の意味だが、この場合は自宅でチマチマした物品を販売するという意味)を始めるので、そのダイレクトメールを兼ねた宣伝に利用してやろうという見え透いた目論見なのだ。
 これなら僕自身は快く50円を支払えるし、受け取った方がたはきっとこう思うに違いない。
「なんだこれは、年賀状の皮を被ったダイレクトメールじゃないか。なら返信は要らんな」
 こうして僕自身は世間から忘れ去られることも無く、SOHOサイトのPRにも成功して一儲けに貢献できるという「一石二鳥」の素敵なアイデアではないか。

「二兎を追う者、一兎を得ず」
 そうかぁ、こんなことわざもあったかぁ!ひょっとしたら僕が世間から忘れ去られてしまう可能性を内包している危険極まりない思いつきかも知れんな。

 

2004年12月5日(日) 披露宴は日本か?
 結婚を来春に控えた幸せ絶頂にあるのに顔色の冴えない甥に会った。結婚式はどこで挙げるのかと訊ねたら、僕が先日グアムで泊まっていたレオパレスリゾートを予約しているのだそうだ。
 身内だけで、それも親兄弟だけのこじんまりとした式なのだそうで、当然ながら僕は招待されていない。
 面白くないので「グアムでもう一度ゴルフをやって、ついでに式場に乱入してやるぞ」と脅しておいた。

 先日友達と飲んでいて、甥がグアムで結婚式を挙げる話をしていたら
「ワシもグアムで結婚式挙げたよ。もう30数年前になるかなぁ」
「ほんまでっかいな、僕が小学生の頃じゃないですか。そんな頃からグアム挙式が流行ってたんでっか?」
 実は甥の彼女のご両親もまた30数年前にグアムで式をあげたというから、相当古くから流行っていたらしい。今となってはもはや伝統的といっていいのかも知れない。

 日本人は今や世界中のリゾート地で結婚式を挙げているのだろう。拉致被害者として、心ならずも北朝鮮で結婚したジェンキンスさんと曽我さんの例をみると、日本と国交の無い国にあっても、ちゃぁんと日本人が結婚して住んでいるのは厳然とした事実だ。
 とすると、これ程までにグローバル化した日本人なのだから、日本人が結婚式を挙げたことが無い国は、ひょっとしたら無いのかもしれない。
 そして来年あたりは冬ソナ人気にあやかって、韓国の教会で合同結婚式を挙げるカップルが増えるのではないかと危惧している。

  

2004年12月4日(土) 戴冠ミサとの出会い
 大阪日本橋の電気屋街に出かけて、CDやDVDをあれこれ買った。
「何してるの、日本橋ぃ、DVD?何買ったん。え、タイカンミサぁ?、へっへぇ〜、面白そうやなぁ、あとで貸してなぁ」
 友達から電話があったので、CDの話をしたら貸してくれという。
「おまえなぁ、性感マッサージのビデオかなんかと間違えてないか?モーツァルト作曲の戴冠ミサ曲やで」
「そんなもんなら貸して要らんわい」

 全曲聴くのに1日を費やす覚悟がいるバッハのマタイ受難曲や、3時間かかるヘンデルのメサイアに比べたら戴冠ミサ曲の1時間15分は短いし、聖書を読んでいなくてもモーツァルトの作曲はスコンと耳に入ってきて心に届く。
 どういえばいいのか、とにかく明るく楽しい時間が経過するが、その最後の曲を先日の、ミスコンみたいに綺麗なお嬢さんばかりが登場する、夢のようなコンサートで初めて聞いたのだった。
 
 あるクラシック音楽ファンがマーラーを好きになれないので、夜毎苦行のようにマーラーの曲を聴いていたら、奥さんの方がすっかりまいってしまって、遂にはマーラーと決別したという。
「たとえ嫌いなものを克服できたとしても、結局自分はマーラーが好きにはなれない」
 努力と犠牲の末にたどり着いたのは、事前に予想したうちで最悪の、苦渋に満ちた結論だったという。
「それ以来好きになれる曲ばかりを聴くことにしている」
 音楽学者でも詰まるところは自分の好みの年代なり作曲家なりを研究するのであって、好きでもないものを手がけるはずも無かろう。
 生涯をかけてマーラーを振り続けた朝比奈隆さんだって、感性がマーラー向きだったから、という以外の理由は付け足しに聞こえるのではないだろうか。
 
 わざわざ日本橋まで出かけてCDを買ったのは、他にも用事があったからだが、戴冠ミサ曲を買う気になったのは、NHKテレビの「世界遺産・青きドナウの旅」という番組で2回目の演奏を聴いたからなのだ。
 初めて聴いた時も素敵な曲だとは思ったが、2回目にしてとどめをさされた格好だ。
 音楽との出会いは、偶然もあれば必然もあろうが、多くの場合は今回の例のように蓋然性に支配されているものなのである。

 

2004年12月3日(金) 変容する文化
 韓国でキムチ離れが進んでいるらしい。キムジャン(キムチ漬け)する人が減って中国からの安いキムチが輸入されるようになると、白菜農家が立ち行かなくなったのだそうだが、今年の日本の台風被害で日本への輸出ができ、辛うじて救われたと農家の方が話している。
 そういえば、ソウルオリンピックの公式キムチに日本製が選ばれたと聞いたことがあるから、韓国人のキムチ離れは相当なものなのだろう。
「キムチは食べたらニンニクのに臭いが残るので嫌だ」
「キムチの食感が嫌いだ」
 テレビで韓国の若者達がインタビューに答えている。
「韓国の空港に降り立つとキムチの匂いがして、韓国に来たんだという実感が湧いた」
 その昔僕が勤めていた会社は、韓国に合弁会社を作っていたので、先輩が日本に帰って来るとそんな話をしてくれたものだ。
 きっとその頃の日本の空港は、沢庵や魚の匂いが充満していたのだろう。そして今の日本はどんな小さな村の商店でもキムチが手に入るのだから、日本の空港も韓国の空港も、匂いに関しては変わりが無くなったに違いない。

 伝統文化が失われていくのを目の当たりにするのは実に寂しいもので、僕が子供の頃に見た島四国八十八箇所を歩いて巡拝する人の姿がいつしか消えてしまったのも、春の風物詩が一つ消えてしまった思いだった。
「今の若い者は、、わしの若い頃は、、、」
 いつの時代でも大人たちは伝統文化が消えていくのを若者のせいにして憂うが、実際に伝統文化の消失に加担しているのは、本来歩くべきところを車に変えたような大人たちなのである。
 だから今の韓国で若者たちがキムチを有り難がらなくなったばかりでなく、毛嫌いされるようにさえなったのは、ファーストフードの輸入や外食産業を興して一儲けを企て、食文化を変えた大人たちのせいだと言えよう。

 伝統文化は守り続けて生きたいと思うが、無くなっていい悪習さえも伝統文化の名の下に存在していることもある。
 フランス語が英語化して行くのを阻止しようという運動に象徴されるように、残したいものだけを守るのは困難なことなのだ。
 それゆえ伝統が守り続けられてられている場所に人は惹かれるのだろう。
 だがアーミッシュ(ここにはアーミッシュというキーワードがあって、リンクを張っているのだが、なぜか見えないパソコンがある。http://rose.zero.ad.jp/~zbm18386/amish.htmlノートンのファイアーウォールのせいか?)やイスラム原理主義が限定的にしか存在できないように、いつの時代、どの国にあっても伝統文化が変貌して行くのは避けられない。
 そして、どの国の、いつの時代の大人たちも、次世代に責任転嫁することも、また出来ないのである。

 

2004年12月2日(木) いざない(そそのかし)
 日記に忙殺されている場合ではないのに、これだけはやっておかないとアイデンティティーを失うような気がする。
 ともあれ早いことSOHOを立ち上げないと、それこそ自分の存在意義に自分自身で疑問が出て来そうなので手を付け始めているが、結構手間と費用が発生しそうだ。。
 どこかで講習会とか、SOHO講座でもやっていないか探してみても、一頃もてはやされたSOHOという言葉自体を見かけない。
 堺市や、(財)じばしんあたりで取り上げてくれていてもいいんじゃないかと思うが、探し方が悪いのかさっぱりその手のグループの情報を見かけない。そのかわり無料の初心者向けパソコン講座を見つけた。

 友達のTELさんに会ったので無料パソコン講座の話をしたら
「是非行きたいからついでに申し込んでおいてくれ」
「でも、どうして?パソコンも持ってないじゃないですか」
「それは、ええねん。無料やから出席することに意義があるねん」
「はぁ、じゃコースが、ワード、エクセル、インターネットと分かれていまして、いずれも初心者向けみたいですがどれにします」
「それは任すから、適当にしといて」 
 任せるといわれても、いったいどんな目的意識をもって出席しようというのだろう。理解に苦しむ人だが、とりあえず一緒に申し込むことにした。

 いまさら初心者向けワードもエクセルもないもんだが、実はどちらもちゃんと学んだことがなく、なんとなく使えているといった有様なので、基礎固めをしておきたいのが正直なところなのだ。
 僕の理由は分りやすいが、パソコンを使うあてもない人間好きのTELさんの出席理由は、たぶん友達を作りたいからだろう。それもお年頃のご婦人であったらこの上もないということに決まっている。
「そりゃそうとTELさん、童話教室の先生は美人でっせぇ」
「お、それええ話やねぇ、こんど紹介してよ」
「はぁ、節操が無いんですね。いいですよ、月2回4000円ですけど」
「ちょっと考えさせて」
「教室は上品な女性ばっかりですよ」
「う〜ん、ええ話やなぁ、でも俺の金銭感覚では4000円は出せんわぁ!」
 
 金銭感覚といえば、別の友達に会ったら馴染みの飲み屋のことで不平を漏らしている。
「ジョッキにビールを1センチほど残してトイレに立って帰って来たら下げられてるじゃないか。頭に来たからあの店には当分行かん」
 あの店のジョッキというのは380円と格安なのだから、目くじらを立てるほどの事でもないのだが、酒飲みの心理としてはシンパシーを禁じ得ない。
 TELさんに奢ってもらっていながら、こんなこと言うのもなんだが、彼はその人のさらに上手をいく方で、格安の店で僅かな肴で飲んでおきながら、お勘定の時には値切りかねない方なのだ。
 そんなTELさんを、なんだかんだとそそのかして童話教室に巻き込んでやろうと企んでみるが、彼の金銭感覚の牙城はかなり堅牢なようで、結局は墨守された。
 世間は僕の思惑通りに上手くはいかない。

 

2004年12月1日(水) 人類愛護
 死刑には断固反対である。我々が選出した為政者の施行する法によって死刑を執行するのは、自分自身が殺人を犯すのと似ているように思うからだ。
 しかし昨今の殺人事件の判決を聞くにつけ
「はぁ?あれだけのことを仕出かしといて無期懲役かい、納得できんな」
 そんな声に賛同したくなるのは僕だけではないはず。だから
 「どんどん死刑判決を出してチャッチャと極刑に処したら犯罪が減るだろう」
 という(死刑=犯罪抑止効果)論にも耳を傾ける必要が無いとはいわない。しかしその論理は確かに一般の、犯罪には縁の無い、小心で誠実な人物には効果が期待でても、あまねく適用できる図式ではない。
 例えば中国では売春には即死刑判決が出て、直ちに刑が執行されるというのにもかかわらず「カラオケ、イキマショウ」と声を掛けられ、堂々と女性の家で外交交渉のベッドに着いた日本人の話を聞いたりするのである。
「死刑が怖くて世の中生きていけるか」
 そんな堅固なバックボーンをもって生活する剛の者も、実際に大勢いるのだ。

 犯罪の抑止に最も効果が期待できそうなのは、正しい(何が正しいのかは知らない)教育と、豊かではなくても安定した生活、そして未来へのそこかかとない希望ではなかろうか。(宗教が両刃の剣であるのはイスラエルやアメリカを見れば分る)
 その論理を採るなら、教育には世代間を超えた長い時間が必要で、政策の効果が確認できる頃には、それを主張して実行した為政者なんて、とうの昔に草葉の陰だろう。
 だから死んだ後に歴史が正当に自分を評価して賞賛される保証がないので、無責任な政治屋が手をつけようとせず、詭弁を弄して失政を展開し続るから他国の不興を買うのである。
「日本的首相靖国神社参拝絶対反対」
 中国人は1000年先までそう叫び続けるに違いないが、そんな行事も日本人は昭和一桁生まれの最後の人が亡くなった頃にはすっかり忘れてしまっているんじゃないかと憂う。(首相としてでなく、私人でこっそりお参りしたって罰は当らん)

 動物実験に反対する人たちがいる。人間の都合で生ませては実験して殺すのが、動物愛護精神に照らして許しがたいということだろう。(ペットを残して引っ越して行くのも目くそ鼻くそだ!)
 しかしそれらの動物たちの数多の命のおかげなくして、今の人類の繁栄が成立し得ないのもまた事実なのである。
 だから動物愛護団体の方がたは声を大にして、動物実験反対を唱えてほしい。そうすることで、図らずも誕生させられ、失意のうちに死んでいった実験動物たちの哀れな霊も浮かばれようというものである。

 犯罪抑止が死刑をもっても達成できないのは「自殺しようと思って人を刺した」という証言が物語るように、死刑がどんどん執行されるようになったら返って、自殺志願者が人を道連れにする犯罪を、競って犯すようになるだろう。 
 その観点からでも死刑は駄目なのだ。そこで僕は思いついた。犯罪抑止と動物愛護団体の主張の両方を一挙に解決する妙案だ。
 医薬品開発や認証、あるいは医療技術が、臨床試験が出来ないことで遅れているケースが多いのだから、収監者を使って罪の程度によって段階的に臨床試験をするのである。
 かつてアメリカで凶行された被爆実験は、善良な兵士を騙した人体実験だったから国家的犯罪なのだが
「罪は自身の体であがなっていただきます」
 という合意があるなら問題は無かろう。
「人をあやめた方は、幸いである。なぜならあなたは生涯をかけて、身をもって人につくすことが出来るのだから」
 そんな事いわれたら「人のためにつくすなんて死んでも嫌だ」と思っているような不逞の輩は「何が何でも罪には問われたくない」と思うに違いない。
 こうして犯罪は大いに抑止され、動物愛護団体も少しだけ溜飲が下がるのである。

 あぁ、しまったぁ、人間愛護団体、いや人権擁護団体があったのをうっかりしていた。

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2004年12月日()