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HAL日記


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2004年9月30日(木) 前途多難
 はっきり言って童話は難しいです。子供に読ませるのだから難しい言葉は要らないわけですが、大人の言葉を子供に読めるように直せと言われたら、これが英語に訳せと言われたくらい難しいことのように思えるんです。

 講師のとんぼ先生は、長く「電通」に勤めておられたとおっしゃいますので、運送会社の事務員さんでもなさってたのかと思いきや、「電通」というのは世界でもトップの広告代理店のだそうで、アテネオリンピックも次の北京オリンピックも広告の業界は「電通」が仕切っているのだそうです。

 そんなところで活躍されておられたというだけあって、さすがに理路整然としたお笑いが展開されるのでして、2時間があっという間に過ぎ去ってしまうのでした。当日はまたミニコミ誌の記者さんが取材に来られていたとあって、初めての僕は大変緊張したのですが(記者さんは大変な美人だったので)他の皆さんも真剣そのもの。

 それにしても童話を書くのがこんなに大変なこととは思ってもみませんでした。世の中の母親は皆さんこんな難しい作業を毎日こなしているのなら、世の中のお母さんはみんな童話作家になれるのではないかとかと、頭が下がるHALなのでございます。

 

2004年9月29日(水) 童話にチャレンジ
 20字×20行でお話を書いてくるようにと、童話教室のとんぼ先生から宿題が出されておりまして、さてどうしたものかと思案はしてみたものの、これはなかなかに厄介なもののようでして、いえもちろん毎日日記を綴っているのですから、その乗りで書いたら造作もなかろうと思えばさにあらず。

 思いますに、文章というのは難しく書くほうが易しく、易しく書くほうが難しく、優しく書こうと思えば更に困難なものになるのではないでしょうか。死んだ父が常日頃より、「お前の言うことはさっぱりわからん」と申しておりましたから、実の父にさえ分からんような物言いをする人間が、果たして他所様のお子に理解できる物語を書けるのかどうか、甚だ疑問に思わざるを得ないのです。

 先ずもって、何歳の子を対象に書くのかが最初の難関でして、子育ての経験など無いわけですから、三つ四つの幼子の思考回路なんぞさっぱり分からない・・・ん?ちょっと待てよ、ゆなちゃん(4歳)から結婚してくれと言われとったな、すると4歳児と僕は話が合うということかぁ。

 まんざら絶望したものでもないな(なにが?)とひとりごちたりしているのですが、そもそも童話というものは何歳までを対象に書くものだろうか。小学5年生に童話でも無さそうだし、(専門書を読みはじめる年齢だと思う)すると小学3年生が上限ということになるのだろうか。

 とりあえず小学3年生の男の子に語らせて、物語を進めてみる。父と子の遊ぶ場面で行き詰まる。父に遊んでもらったことのない僕だった。母親にしかられる場面が表現しにくい。子供を叱る暇もなく立ち働いていた母を思い出す。子供を叱る言葉をよその親に託す。子供が親に反抗する言葉が思いつかない。

 今のいまになって、子供をもうけておればよかったのに、と思う。

 

2004年9月28日(火) 軽犯罪
 スポーツジムで身の程をわきまえないトレーニングをやらかして、夜中に下肢に痙攣を起こし徹夜で寝てしまいました。目が覚めるてもなお腰痛と膝痛に苦しんでいるのは、トレーニング後の食事による肉体のメンテナンスを怠ったからに違いありません。

 日頃はトレーニング後にホエイペプチドなる粉末をミルクに溶かして飲んでいるのですが、昨夜は速攻ビールを投入しました。言ってみればオイル切れでエンジンをかけたようなものですから不具合が生じたのも自明の理というか、身から出た錆というやつです。

 体重は依然として62kg。努力の甲斐もなく、体重の減少が確認できないばかりか、ビールに換算して夜毎3Lほどの飲酒が体を蝕んでまいりました。つまり右足親指に鈍痛のようなものを感じるようになったわけで、これは即ち痛風の初期症状に違いありません。

 本日乳飲み子が救急車に乗せられて運ばれるのを目撃しました。若い母親がくわえタバコで乳飲み子を抱いておりましたがいかがのものでしょう。病名が呼吸不全だそうです。

 僕も痛風で救急車を呼ぶ羽目にならないようにビールを控えて用心しようと思っている矢先、母から電話がありまして、「ビールを貰ったから送ろうか?それともビール券送ろうか」。

 ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、どちらも犯罪に違いありませんが、子供を甘やかすのもある種、犯罪なのではないかと、近頃、懸念している僕なのでございます。

 

2004年9月27日(月) 誘惑
 長い間のらりくらりと逃げ回ったおりましたが、ついにとんぼ先生に尻尾を掴まれまして、先生の指導する童話教室に入会することとなりました。コピーライターを経て童話作家になったというだけあって、先生の巧みな勧誘メールに心を動かされたわけですが、それだけでなくこの先生、お年を召してらっしゃるとはいっても、とてもお綺麗な方で、そんなところが決め手となったのではないか、とそしられたら否定することもできないのも事実です。

 また本日はチェンバロの妖精Klavi Seikoさんのリサイタルのチケットを予約してしまいました。もう何年もコンサートに出かけたこともないし、チェンバロだけのリサイタルなんて初めてですのでとても楽しみにしております。いえ、正直に申しますと、このお嬢さんとても美しい方なので、生Seikoちゃんを一目見たいという邪な目論見があってのことなのですが、こんなことが彼女に知られようものなら、純粋で厳格な彼女に、「生HALお断り」、の肘鉄を食らわされかねませんので、他言は無用です。

 日頃女性に縁がないからとはいえ、この調子で鼻の下を伸ばし続けていると来年あたりには、多宝塔や開運の壺なんかに手を合わせているだろう自分の姿がありありと網膜に結像してくるものですから、空恐ろしくて仕方ありません。何とか霊感商法の被害を食い止めるべく、今のうちに有り金を使い切ってしまわねばと考えているのですが、そこは貧乏人の悲しさ。食べることと飲むこと以外に金を使う術がとっさには思い浮かばないHALなのでした。

 

2004年9月26日(日) 表示
 「せっかくカウンター」っていうのを置いてたけど、最近になって酷い広告が現れるようになりました。どうやら、ノートンさんに好ましくない広告として規定されているようで、カットされて表示されるんですが、中途半端に消されているので、手動での消去が出来ません。

 あんまり鬱陶しいのでとうとうカウンターを載せかえることにしましたが、今回のは重複カウントをしてしまうんですね。大したアクセスもないのでカウンターを設置する必要も無いくらいなのですが、そこは悲しいかな爪に火を灯す窮乏生活。一つのアクセスが嬉しいという、はかない有様。

 巷では消費税を10パーセントに引き上げるような話が取り沙汰されておるようですが、この手の税金は公平感があるものの、僕のようにエンゲル係数の高い者にとってはやはり重税であるわけでして、つまり食費に占める税金の割合が10パーセントになるということですから、とても切実な問題であるわけです。

 僕は今、税金を食っている、僕の今飲んでいるのは酒税の上に更に消費税が上乗せされた物を飲んでいる。そう思い始めると日々のビールもさっぱり美味しくなくなるのですが、いっそのこと、「アルコールはあなたの健康を害するばかりでなく、国家権力や官僚の腐敗につながるかも知れない無駄金を国庫に納めている可能性があるので、飲みすぎに注意しましょう」みたいな表示でもしてくれたら酒量が減るんじゃないかと期待しておる、今日この頃であります。

 

2004年9月25日(土) 徴兵制度その2
 どこでスカウトされたのか知らないけれど、18才で自衛隊に入隊した男が2年くらい務めて帰ってくると、えらくガッチリした体型になっていて、以前の彼を知る人はみんなびっくりしたんです。

 もともと気が小さいところがあったんだけど、さすがに自衛隊で揉まれてちょっと落ち着いたように見えたんですがね、実のところ、隊では先輩たちから、コーヒー入れろ、靴磨け、と結構いじめに遭ってたそうで、といっても1年目は大抵そんなもんらしく、2年目になると立場はすっかり変わるんだそうですな。

 彼、もともと、少し手癖の悪いところがありまして、金もないのにお菓子やらおもちゃを持っているので問い詰めると、どうもコンビニあたりで失敬して来るらしいんです。自衛隊に入ったらそんな悪癖も直るんじゃないかと周囲も期待しとったんですが、彼いわく、「あっちじゃ、しょっちゅう物を取られた」と。でもあれはたぶん自分がやってたんじゃないかと思ってます。

 自衛隊のおかげでちっとはマシな人間になったどころか、制服を着ている姿はなかなかに凛々しく、爽やかになったので、結構女の子にもてたみたいですが、それも束の間。見る見るうちにお腹が出てきまして、それと呼応するかのように昔の性根が戻ってまいります。ついには自衛隊の紹介で入社した立派な会社を退職して、ぶらぶらしながら昔の稼業に手を染めるに至りました。とは申しましても所詮は臆病者ですから、万引きがせいぜいなのですが。

 ある日、彼が僕のところに来まして、「戦利品をあげる」などと申しますのでキツク叱りましたところ、その日を境に二度と僕には近寄らなくなってしまいましたので、その後彼がどうなったかは分かりませんが、自衛隊の水が合わなかったと申しておりましたから戻っていないことだけは確かでしょう。

 韓国では野球選手や、有名俳優が徴兵逃れをやって、立派な犯罪者の烙印を押されているようですが、いっそのこと犯罪をおかした者を、収監するんではなく徴兵して根性を叩きなおしたらと思うんですが、いかがなもんでしょうかね。自衛隊上がりの知人なんかに、「自衛隊は更生施設じゃない」と怒られそうですが、愛国心ってなものを、オレオレ詐欺やってる連中に教えてやって欲しいわけですな。

 「冬ソナ韓国ツアー」が人気を博しているそうですが、ヨン様やリュウ様も絡んでないことを願いたいもんです。あ、でもあのへんはまだ学生さんだったか?。

 

2004年9月24日(金) 徴兵制度その1
 ごめんなさい、お腹のすいた歌なんて言ってごめんなさい。この歌難しいですぅ!ついて行けません。ましてピアノ引き語りなんて到底僕には無理。

 これって確か、劇中のユジンだったかの婚約者役の青年が作詞、歌ってるんだよな。天は二物を与えず、なんて一体誰が言ったんだ。こいつは二物も三物も持ってやがるじゃないか。

 韓国という国は徴兵制度があって、若い才能がオリンピックなんかでは活躍しにくいのだと聞いているけど、徴兵制度が悪いばかりの制度ではないよね。ローソンの前でシンナー吸ったりタバコ吸ったりしてるやつに、お前、自衛隊に行って来たらって言いたいよ。

 

2004年9月23日(木) 初めから今まで
 というわけで冬のソナタのピアノ楽譜を買い求めに行ったわけですが、休日とあってか駅前の紀伊国屋書店は夫婦連れやら子連れやらで賑わっており、そんな店内をリュックサックをかついだ僕はふらついておりました。

 休日のスポーツクラブに入れないデイ会員であることを、受付の手前で気がついたのは本当に不幸中の幸いだったと思っています。

 この店は泉北ニュータウンの本屋さんでは随一の品揃えを誇っているようですが、広さという点では瞠目するほどではありません。つまりちょっと狭いのです。そんなところにリュックサックをかついでふらついているのですから迷惑なことといったらありません。

 雑誌のコーナーにも立ち読みしたい本があるのですが、リュックが邪魔になって両サイドで立ち読みしているお客さんの間を縫っていくのは至難です。背中に何も背負ってない人の間を通過するのでさえ大変なのに、僕と同じようにリュックを担いで立ち読みしている人がいると、ぶつかってもなお掻き分けながら進まなくてはいけませんが、こんな人に限って、「俺を押すな」とばかりに反発してきたりしますからたまりません。あまつさえ、チッ!などと舌打ちでもされようものなら自分がリュックを担いでいるのも忘れて逆上しそうになってしまいます。

 こんな有様では人気コーナーのバイク雑誌の立ち読みは諦めるしかありません。やっとのことで楽譜コーナーにたどり着けたのは良かったのですが、ここでも女子高生っぽい女の子達の立ち読み(楽譜を立ち読みしても仕方ないから、吟味しているのでしょう)で占拠されております。それもちょうど目指す冬ソナの棚辺りに陣取って動く気配がありません。仕方ないので裏側に回ってバイオリンの楽譜を見ますと、ここにでも冬ソナは大変な人気のようです。

 お、ようやく女の子たちがどいてくれそうだぞ、と思っていたら、入れ替わりに別の女の子たちがやってきて屯を始めます。もういい加減嫌になってきたので、本日の万灯会に一緒に行くはずだった連れに電話すると、なんだか昼間から賑やかな所で飲んでいるらしくドタキャンされてしまいました。ちょっとむかついたので、痺れを切らした僕は女子高生たちの間に無理やり手を伸ばして冬ソナの楽譜をとったのです。

 するとどうでしょう、彼女たちの目線が一斉に僕の方を向くではありませんか、いえそれだけならどうって事無いおじさんですが、「え、ふ、冬ソナぁ〜」なんて、なじるような見てはいけないものを見てしまったみたいな反応をされた日にゃ、あなた、楽譜を開いて吟味している場合ではありません。そのまんまレジに直行したのですが、ここでもなんか珍しい動物でも見るよな視線を感じたのは気のせいでしょうか。

 疲れました。冬ソナの楽譜一つ買うのがこんなに大変だとは思っても見ませんでした。帰って早速ピアノの前に座ったのですが、弾き語りの歌詞は全て韓国語で書かれてまして、いえもちろんハングルだけでなくカタカナをふってくれてはいるのですが、どう読んでいいのかさっぱり分かりません。やはりちゃんと吟味してから買うべきでしたが、あの状況では・・・。

 ピアノの方は何とかなりそうですが、歌の方は発音できないばかりでなく、音域も僕には高すぎるようです。日本語の訳も無いので何を歌っているのかさっぱり分かりません。そこでNHKの公式サイトで知らべてみました。歌も全部聴いたことがないので、冬ソナの公式ホームページで聴いてみましたが、これも途中まで。仕方ありません、明日はCDを求めて走ろうと思っているHALなのです。

 

2004年9月22日(水) 冬のソナタ
 冬ソナ冬ソナ、と周りが騒ぐもんだからたまに見ていたのだけど、なんだかしっくり来ない感じがして本腰を入れて見れなかった。そうは言ってもテレビをつければどこかの局で毎日のようにあのテーマ曲を聴かされ、外に出たらスーパーの野菜売り場でも、スポーツクラブでも、ゴルフ練習場に行っても嫌というほど「初めから終わりまで」だったか?がBGMで流されている。こう毎日毎日聞かされると、日本の70年代のフォークソングみたいにお腹のすいたような歌にも慣れてきて、良い曲のように思えてくるから不思議だ。

 役者は嫉妬するほど美男美女ばかり登場するし、バックに流れる曲もいい。ストーリーは梶原一騎を思わせるまだるっこしいすれ違いと盛り上がりがあり、美しい映像と相まってついつい引き込まれる。なのに、なぜだかしっくり来ない。日本語吹き替えがハリウッド映画よりぴったり来ない感じがするといっても、下手糞呼ばわりするほどでもない。何が違うのか、どうしてこうおさまりが悪いのかどうにも気になって仕方がない。

 この夏里帰りしたときのビデオを編集しようとごちゃごちゃやっていたら、昔撮ったビデオが出てきて、ついでにこれも編集しようと引っ張り出していたら、20年前にテレビ録画した韓国KBS制作のドラマ「離婚旅行」というのが見つかった。1時間半のシンプルなストーリーの恋愛ものだが、結構気に入ってたドラマだったのでずっととって置いたやつだ。

 ビデオ編集するはずだったのに、このドラマを見始めたらやめられなくなってしまったのだけど、見だしてすぐに冬ソナのしっくり来ない訳が分かった。「離婚旅行」の方は字幕で、大統領や議員さんでも出演しているのかと思えるくらい迫力のある韓国語で会話が続いていく。僕はこの迫力が好きなんだけど、このパワーが吹き替え版では感じないんじゃないか。だけど、まてよ、この迫力で冬ソナをやられたら日本人には少し抵抗があるのかも知れんな。だとしたら、あの吹き替えは大成功と言えるかもしれない。あぁー!これでわだかまりが消えてすっきりしたよ。明日はテーマ曲の楽譜を買いに行こう。 

 

2004年9月21日(火) 旨さのもと
 チリソース、チリソース、と呪文のように唱えながら、遊びに行った先だけでなく仕事中でも、ふとチリソースのことを思い出してはそれらしい店を訪ねてみる。それらしいというのは、例えば神戸中華街の中国食材の店であったり、おしゃれな輸入食材の店であったりしたのだが、良く考えてみるとアメリカ食材の店なんていうのが無いことに気がついた。

 アメリカ料理やカナダ料理というのがあるのかどうか知らないが、あるとしたらハンバーガーくらいだろうか。しょせん日本料理や中華料理ほどの歴史が無いのだから、いくら世界中の料理が揃っているアメリカやカナダとはいっても食材店そのものが無くて当然か。ならメキシコ料理の店ならどうだ、と探してみたが、チリソースは沢山有っても探している「キギョヒミツヨ」が見つからない。

 そうやって2年ほどの無駄な努力の末に、もう見つからんな、と諦めかけた頃、「カナダならどこのスーパーにでも5ドルくらいで売ってるよ」という情報が入って、一瓶1000円の約束で10本ほど送ってもらった。早速頂いたチリソースをインスタントラーメンに入れて食べてみたら、揚子江のラーメンにそっくりな味になる。他にも使えないかと色々試したが、どんな料理にでも使えそうだ。

 自分の作ったものは言うに及ばず、馴染みの店に持って行ってマスターの作ったものにかけてみたりと、様々な掟破りをやらかして分かったことは、あの揚子江のラーメンが美味しいと思ったのはこのチリソースの旨さだったのかも知れないということ。それ以来揚子江ラーメンは食べに行ってないのでその結論が正しいのかどうか僕には分からない。

 

2004年9月20日(月) キギョヒミツヨ
 大阪梅田に、揚子江というラーメン屋さんがあって、梅田界隈で酒を飲んではカプセルホテルに泊まるといった不健康な生活をおくっていた頃に、最後の仕上げで仲間としばしばその店に入ったものだ。

 揚子江ラーメンは鶏がらスープに菊菜が添えてあって、僕はその上に豚バラ肉(ヒコツと読めそうだったが本当はなんと読むのか知らない)をトッピングするのが好きだった。その上にこの店ならではの香辛料、チリソースを少しづつ足しながら、最後には透明なスープを真っ赤にして食べたものだ。このチリソースというのが、甘みも無い、玉ねぎもその他の余計な味を付けていない、トマトと唐辛子だけで出来ているもので、素晴らしく爽やかな辛さと、香りを持っている。調理人にこれはどこで仕入れるのかと聞いたら、「キギョヒミツヨネン」と中国なまりと関西弁なまりのある日本語で答えた。

 この店の社長は女性だと聞いていたが、なかなかの商売上手らしく支店も出したと聞いた。そこで、夜しか食べたことが無かった僕たちは昼間の味を知りたくて都合をつけて入ったことがあったのだが、二人して顔を見合わせ、「こんな味だったかぁ?」といぶかりながら、「飲んだ後に食べるラーメンやねんなこれは」と結論を出した。それでもやっぱりチリソースはとても美味しかったので、もう一度どこで仕入れるのかと聞いたら、「コレキギョヒミツヨネンナ」。

 どうやら中国から出稼ぎに来ている彼には仕入れ先までは分からないらしい。僕たちは500cc入りの真っ赤なチリソースボトルを手にとって、「中国語と英語で書いてあるけど、MADE IN USAみたいやな、アメリカ関係をあたったら手に入りそうやな」と確信したが、これを手に入れるまでに二人はとんでもない苦難を乗り越えなければならなかった。  
                                    つづく

 

2004年9月19日(日) 祝Kawasakiの表彰台
 思わず、ヤッター!と叫んだ。ロードレースグランプリ最高峰のモトGPクラスでHONDAに乗る玉田誠選手が優勝したからではなく、Kawasakiを駆る中野真矢選手が3位に入ったからだ。

 Kawasakiといえば、確か僕が子供の頃に勇名を馳せたメグロを吸収して本格的に4ストロークのバイクメーカーに名乗りをあげ、500cc2スト3気筒のマッハV、4スト2気筒650ccのW1で高い人気博したメーカーで、その後も人気車を次々に発売して、日本車としては初めてアメリカの白バイに採用された輝かしい実績を持っている。

 川崎というくらいだから川崎市に本社があるのかと長く思っていたのだけど、本社は明石市の川崎町にある川崎重工業(もっとも川崎重工業があるから川崎町なのだろうか)の一角にあるのだそうだ。世界にその名が知られているというのに、本社がどこにあるのか知らないような僕の言うことだから眉に唾でも付けながら聞いてくれたらいいのだけど、バイクメーカーとしてのKawasakiは弱小メーカーだ。

 ライダーの技術と体力がものを言うモトクロスレース界でもHONDAとYAMAHAが激しくしのぎを削っている中にあって、2ストを苦手としているKawasakiは良く健闘しているといっていいのかもしれないが、豊富な資金と経験値が不可欠なロードレース界には参戦すらしていなかった。そんな中で復帰参戦2年目にしての3位表彰台というのは快挙と言っていいのだろう。

 今年もHONDAに乗っていれば年間チャンピオンへの道が明るく開けていたヴァレンティーノ・ロッシ選手(ついでながらロッシというのはイタリア語で赤毛頭の意)がYAMAHAに移籍したのと同じで、中野選手もYAMAHAのワークスライダーだったら優勝も狙えたはずだから大変な決断だったろうと思う。ロッシと中野の挑戦者魂には心から敬服するが、本当のところを開陳すると、原田哲也選手に帰ってきてもらいたいんだよな。加藤大治郎選手亡き後、あれほどアグレッシブな走りをする日本人レーサーまだ出ていないように思う。ロッシ選手をぶっちぎった玉田選手にけちをつけるつもりは無いけど、なんだか2年前の250ccクラスが懐かしい。


2004年9月18日(土) 種まき
 地獄の川西方面、とタクシーの運転手さん達に忌み嫌われていた町にも阪神高速道路が延び、交通事情は随分改善されたようで、ゴルフに行く回数もあのあたりが増えたように思う。

 今まで通過するだけだったその川西市に兄が引っ越してから時々訪れるようになって思うのは(正直言うといなか町と思ってなめていた僕だが)飲食店関係に限って言うと意外にもいい店がたくさんあってなかなか飽きないところみたいだ。そんな中の一軒のタイ料理店、その名も「ドリアン」に兄と入った。

 20席ほどのこじんまりとした店内にはタイ王朝歴代の王様の絵がかけられていたりしてエスニックな雰囲気が充満しており、なぜか女性客で占拠されていて、男子禁制の店かと思うほどだった。タイ人らしいハンサムなマスターと日本人の女性二人で切り盛りしているみたいだが、マスターの年齢は良く分からない。20台後半、いや30台半ば、40台と言われたらそうかも知れない。とにかく外人の歳は分かりにくい。この二人は一言も言葉を交わさないのに、息がぴったりと合っている感じだからきっと夫婦だろうと思って聞いたらその通りだった。奥さんがタイに観光で行ってハマってしまい、そのままタイに居ついてしまったのだそうだ。

 さて料理は思ったほど辛いものでもなく、日本風の味付けにされているのか、何を食べても美味しかった。ついでと言えばものはついで。店の名がドリアンなのでドリアンを食えるのか聞いたら、冷凍してあったものをレンジでチンしてくれた。(ついでに、日本語でチンというのはアメリカでは「温ぅく」ヌークというのです。いえホントの話。nuke=原発、核攻撃の意味。大袈裟なぁ!)

 鼻をつまんでどきどきしながら、黄色い丸っこい塊をかナイフで切り、一口ほおばってみたのだが期待したうんこの匂いなんかちっともしなかった。味は甘いバターと言えば言えるかも知れないが脂っこい感じではなく、兵隊さんが感涙に咽ぶほど美味しいものとはちょっと思えない。しかし現地の人は旬になると果物屋さんの店頭で真剣に選んで買うのだというから、日本では本当の美味しさは分からんのかもしれない。

 フォークとナイフ使っていたのでは、まだるっこしくて仕方ないから丸ごと口に放り込んだら親指くらいの種があった。これを植えたらどうなるかと奥さんに聞いたら、芽ぐらいは出ると思いますよ、と教えてくれた。翌日帰ってベランダに置いている朝顔のプランターにドリアンの種を植えた。来年の夏にはうんこ臭い芽を出せよと念じながら。

 

2004年9月17日(金) ドリアン
 麻薬とは日本では禁制品であるマリファナのことを言っていたように思うが、彼によるとバリ島では普通に買うことが出来るのだとかで、インドネシアあたりでは合法らしい。しかしそうは言っても、僕はもちろん彼も実はマリファナの味なんか知らず、まだ見ぬ赤道直下の雄大で真っ赤な夕日が大洋に沈むビーチに佇んで、マリファナをくゆらす場面を想いながら、二人は国産のタバコをふうっと大きく吸い込んだ。

 マリファナを日本に持って帰ることは出来んだろうから、その代り一つ土産を頼みたい。いやもちろん無理にとは言わない。それだって持ち帰ることが出来るかどうか分からんからね。それは果物の王様と言われるドリアンなんだけど、太平洋戦争中に南方で食べたという兵隊さんに聞いたら、この世のものとは思えない美味しいもので、あの味がずっと忘れられず、大金を出して取り寄せたのだけど、現地で食べた味には遠く及ばないものだったらしい。そう彼にお願いすると、そんな美味しいものなら僕も現地で食べてみるよ、検疫かなんかで持って帰れなかったらゴメンな。

 それから数日して彼がバリ島から帰ってきた。思ったとおりドリアンの土産は無かった。いやそれだけでなく、夢のマリファナも既に当地では禁止されていて、と言うより元々禁制品だったところに、厳罰が下されるようになったとかで、マリファナ商人も影を潜めていたらしい。それならドリアンはと聞くと。あれは食べることが出来たけど、、あれが美味しいと言う人が信じられんよ。なんたって「うんこ」の臭いそのままやった。タクシーも持ち込み禁止、ホテルも持ち込みお断りのとんでもない果物やった。あれが食えるなんて信じられんワ。

 うんこの臭いと聞いては僕も彼に謝らざるを得なかったが、うんこの臭いというのは本当に嫌なものなんだろうか。少なくとも他人が用を足した後のトイレは我慢ならんが、じゃ自分のはどうなんだ、嫌な臭いなのかと言われれば、ちょっと待てよとなってしまう。朝、用を足していると、ん?この臭いは昨夜の餃子の臭いか、とか焼肉のたれを思い出したりして、それは必ずしも嫌なものでは無いように思えるからだ。

 では自分のうんこの臭いはいつだって許せるのかと言われたら、これまた別の問題で、先ほどまで昨日の餃子などと言ってたのに、続けてトイレに入ったりすると、先ほどの僕のうんこの臭いも他人のそれと変わらない我慢ならないものだったりする。つまり人の感覚なんてそんなものさ、絶対嗅覚なんてありはしない。ガス漏れの異臭だって時にはかぐわしいものになりうるのさ。彼とはそれっきり会うこともなかったが、20年経ってからドリアンを食べる願いは叶った。
                              つづく

 

2004年9月16日(木) サンセットビーチ
 27歳の甥がバリ島で結婚式を挙げるという。どうしてバリ島なのと聞いたら、親戚関係とか色々古風な因習があって煩わしいのが嫌なのだそうだ。

 「結婚は儲かるぞぅ、お前も早よ結婚せぇや」と友達にアドバイスされ続けたが、縁が無くて未だに結婚できなくている。そんな僕に近頃来る縁談は、「200万でどう、いやぁ、ちょっと名前貸してくれるだけでええねンやんかぁ、中国人の女の子やねンけどなッ」といった心温まるお話が絶えない。

 結婚が儲かるのか損をするのか、本当のところはバーナード・ショーさんに聞いても結論が出るとは思えないから、僕にとってはどうでもいいことなんだけど、20年前にボランティアで車椅子を押していたときに、体の不自由な男性(CPといわれる重度の脳性小児麻痺)と健常者の女の子が結婚した。二人はバリ島で結婚式を挙げたかったのだが、いくつかの問題が解決出来なかったらしく、バリ島での式は断念せざるを得なかった。

 健常者と障害者の結婚がどれほど大変なことか、当時はもちろん今でも分からない僕だが、一緒に車椅子を押していた仲間がバリ島に旅行に行くと言い出した。バリ島に何をしに行くのかと尋ねたら、○○ビーチでサンセットを見ながら麻薬をやるのだと答えた。
                                 つづく

 

2004年9月15日(水) 菅さんの高知
 元民主党代表の菅さんが遍路を再開して、23番薬王寺から24番最御崎寺まで歩いたのだそうだ。運良く台風には見舞われなかったらしいが、この暑さの中を一泊で歩いたのは相当大変だったのではないだろうか。
 宿泊したのが僕の泊まったのと同じところだったので、自分の日記を読み返してみると、「小娘の嫌がらせのような雨に祟られての32km、真っ暗な中を歩き続けたのはたいそう辛ろうございました」と書いてあった。

 菅さんの泊まったロッジ尾崎にどんなかたちで予約したのか知らないが、頼みもしないのにくっついて歩いている方もおられるようだから、サーファー相手のあの小さな民宿に皆さん泊まれたのだろうか。すれてない、素朴な感じのあの若奥さんがどんな応対をしたのかとても興味深い。徳島、高知のお礼参りの折には是非寄ってみたいもんだ。

 

2004年9月14日(火) エイリアンVSプレデター
 大鵬と千代の富士が戦ったらどちらが強いのだろう。江夏と江川が投げあったらどちらの球が速いのだろう、と実現しない対戦を予想するのは楽しいし、実現しないからこそ夢なのだろうと思うが、映画の世界ならモスラ対ガメラの対戦があっても不思議ではない。そう思うと同じ制作会社のエイリアンとプレデターの対決が実現したのは必然だったのかもしれない。

 ビールに始まって、日本酒の熱燗をちびちびやりながら秋刀魚をつまみたいし、焼酎のロックも同じテーブルに並べ、豚の角煮も食べたいというさもしい根性の僕みたいな人間にとって、この「エイリアン対プレデター」という映画は実にうってつけだ。オープニングは「トゥームレイダー」をほうふつさせるし、中間部はまるで「インディージョーンズ」のサスペンスを味わえる。その上に人間を巻き込んだエイリアンとプレデターの戦いとくるのだから、一粒で二度も三度も美味しいといったところだろうか。 

 もしもモーツァルトとバッハが即興演奏を競ったとしたら、とんでもない大イベントになるだろうとは思うのだが、バッハの存在があったからこそこそモーツァルトが完成したのだ、といった話を持ち出すまでも無く、そんな対戦はタイムマシンで歴史をいじくるようなタブーに思えてならない。大鵬も江夏も彼等と同じ時代に生き、対戦したあまたの力士やピッチャーが存在したからこそヒーローが誕生したのだ。モーツァルトやバッハが傑出した存在だからといって、彼等としのぎを削った当時の作曲家たちをないがしろにする暴論は許されるはずも無い。だが娯楽映画というなら話は別だろう。

 エイリアンとプレデター。どちらも大好きな映画なのに、両者の戦いなんて考えもしなかったが、言われてみれば興味をそそるに決まっている。キャラは立っているし、南極の地下数百メートルにあるピラミッドという齟齬のある設定や説明的なストーリーもSFなら許せるし、映像も決して安っぽくない。なのに観終わった後のこの映画のばかばかしさは何だろう、と釈然としないままに思い出した。アントニオ・猪木VSモハメド・アリの異種格闘技戦。あれだ、あれに似ているんじゃないか。期待に胸を膨らませて子供の頃に見た、あのすっきりしない不完全燃焼の試合に似ている気がする。映画の技術ではない、もっと別の何かに問題があるんじゃないか。エイリアンもプレデターも映画の中の主役。いうなればヒーロー。ジャンヌ・ダルクとナポレオンの対戦があり得ないように、比類ない二つの個性の対戦はいつの時代にも成立し難いものなのかも知れない。

 

2004年9月13日(月) 先行者
 僕の車はミニバンと呼ばれる荷物と人をたくさんのせるための小型乗用車なので、せっかくだからゴルフバッグだけでなく折りたたみの自転車の一つも積みたいもんだと思っていた矢先、兄のところに行ったらミニミニ自転車を無理やり車に積み込まれた。本当はこんなのが欲しかったのだから渡りに船というもんだが、渋々売りつけられたことにして一万円を払い、その晩の飲み代一切をたかることに成功した。

 ライトが付いていないのでソーラー発電のLEDライトを二千円で買い、早速5kmほど離れた居酒屋に出かけてみた。ライトは足元を照らすというよりは対向車や人に自分の存在を示す程度の明るさしかなかったが、泉北ニュータウンもライトが無いと走れないほどの田舎でもないので、十分といえば十分だ。

 気分良くサドルにまたがっては見たものの、車輪が小さいためにとても安定が悪い。少しの段差でも転びそうになるし、片手運転が怖く、振動を拾うのでお尻が痛い。これだけでも一万円払ったことに疑問を覚え始めていたが、決定的に悔やむことになるのはもう少し走ってからだった。

フロントブレーキはほとんど効かない。また仮に効いても前に転ぶ危険があるので使えない。後輪がマウンテン仕様でなければもう少し楽かもしれないが、あんまりかわらんだろう。
  信号に引っ掛かって一休みしていると、車の窓を開けて運転している女の子が僕の方を見るなり大笑いして走り去った。次に二人乗りのバイクの女の子が大笑いしながらすれ違う。どうやら彼女たちの目にはおじさんが三輪車に乗っている見たいに映っているみたいだ。

 それもそのはず、普通にこいでいると人が歩くスピードと大して変わりない。だからといって一生懸命にこいでいると、まるでハムスターかなんかが車輪に入ってチョコマカ走っている姿を連想させそうだ。きっと兄はこの羞恥に耐えがたかったからこそ僕に売りつけたに違いない。

 途中コンビニに立ち寄ったら、レジの女の子が腹を抱えて笑い転げている。お釣りをもらうときにも笑いをかみ殺しているのがありありとわかるほどだ。店を出た瞬間に背中で笑い声を聞いたが、僕は振り向かなかった。

 ようやくの思いで飲み屋に到着して知人に見せると、なかなかええなぁ、これ欲しいワ。などと言うのだが、おばちゃん連中は。あれぇHALさんのぅ?がッはッは〜。と笑い転げる始末。

 翌日はお尻が痛かったこともあるが、少し根性がなえていたので飲み屋には歩いて出かけた。途中本屋に立ち寄って折りたたみ自転車のカタログを見ていたらミニミニ自転車が紹介されていて、結構たくさんの製品が販売されている。曰く、実用性というより玩具と思って買うべしとあった。

 思えば僕の姿を見て笑ったのはみんな女性だった。女は男と違ってどうも遊び心が分からんのだろうか。今はメジャーになったインラインスケートだって、公園で初めて乗った女の子が笑い者になり、もう二度と履かない、と嘆く時代もあった。先覚者に迫害は付き物だというなら、僕はこの苦難を乗り越え、ミニミニバイクに日の当たるその時が来るまで、うん当面は夜の飲み屋に出かけるためだけに乗ることとしよう。

 

2004年9月12日(日) 記憶の迷宮
 息苦しくなるような硝煙の匂い、漆黒の闇を横断する天の川の星明り、海の底から湧き上がるような海蛍のおぼろな瞬き、束の間の静寂。夢から覚めたかのように彼女の手が緊張したのもほんの一瞬のことだった。薄明かりの中お互いに顔を見合わせ、年に一度の逢瀬を慈しむ織姫と彦星を想いながら僕たち二人は指を絡める。刹那の感情が僕の胸を穿ち、永遠の時が通り過ぎ行くような、息をするのを忘れそうなほどの苦悶。しかし次の花火が打ち上げられる頃には二人の絡めた指は解かれ、何事も無かったように彼女はまた花火の虜となった。

 あれから28年が経ち、僕が時々里帰りをした折に彼女を見かけることはあっても話をする機会が持てなかった。噂では結婚して二児の母になったと聞いている。そしてこの夏僕は遍路のお礼参りを済ませて実家に帰り、28年前のあの夜のように岸壁から花火を見上げた。ビデオカメラで花火を撮っていると、隣で携帯で写真を撮る女性同士の会話が聞こえてくる。大輪の花火に映し出される彼女たちの顔をみて驚いた。背格好が良く似た感じの母娘。母親が佳奈ちゃんだとすぐに判った。それほど印象が変わっていなかったのだ。

 もうとっくに賞味期限の切れた思い出のはずだったのに、突然鮮やかな記憶が蘇って来たのは不思議だった。娘さんが当時の彼女と同じくらいの年齢だったからだろうか。一瞬声をかけようかとも思ったけどやめた。彼女が覚えているかどうかは分からないが、僕たち二人にしか分からない甘い思い出。ほんの一瞬の美しいかけがえの無い思い出。もし日に晒して色褪せさせてしまうといけない。このままずっと記憶のラビリンスに閉じ込めることにしよう。  
 
                                  おわり
 

 

2004年9月9日(木) あの夏の初めての夜
 土鳩の物憂げな鳴き声に促されて目を覚ますある夏の朝。夏休みだからといって早起きが出来なくなっていたのはいつの頃からだろうか。既に酒の味を覚え、たまには友達のタバコをとってふかしながらの夜更かしがすっかり板に付いた18の夏休み。遠くで女の子達のはしゃぐ声が聞こえる。とても気になる都会のあの女の子が田舎の女の子と再会を喜び合っている姿を想像しながら、僕は重い瞼を開けた。
 
 その頃の僕は泳ぐことそのものには興味を失っていて、女の子と友達になりたいという思いが一杯詰まった頭で夏を過ごしながら、毎日ナナハンで迎えに来る友の後ろに座り、覚えたてのカメラを持って遠くのビーチに出かけた。当時の島には至る所につつましく美しいビーチが在って、その一つにマフラーの蓮根を抜いた派手な音のするバイクで乗りつけ目ぼしい女の子のグループに声をかける。

 750ccのバイクのおかげか、それともカメラのおかげか、100歩譲っても友の容姿でもないし、また僕のキャラクターの効用でも無かったが、意外にすんなりと彼女たちと友達になれた。そこまでは良かったのだが、彼女から電話がかかってくる様になるとなんだか気後れしてしまって、遂に約束をすっぽかしてしまう。今思えば色んな意味でなんと愚かな所業でったことかと悔恨の念に苛まれるが、当時の僕は全くのウブだったのだ。

 猥雑で熱いわだかまりと、それでいて大人への一歩を踏み出せないのは純粋だからである、と自分を欺きつつ、日々不毛で気だるい遊びに興じ、無為のうちに時間を浪費しているのを知りながら、他に何も考えられないし、それでいいと思っている愁春の少年でもあった。

 夏のうつろいは休むことを知らず、気がつくと盆踊りの時期になっていて、残された怠惰で放縦な日々も後二週間ほど。遊びに疲れたというのでは無いのに、何か漠然とした不安。瀬戸の渦潮に巻き込まれて海の底に沈みそうな胸騒ぎにとらわれて、盆踊りの誘いもないがしろにして家に閉じこもった。

 やがて僅かに虫が鳴き始めた田舎の静寂な夜を叩き壊すような爆音が轟いて、花火大会は始まった。庭に出てみるとちょうど東京の女の子佳奈ちゃんが他の女の子と連れ立ってやって来た。うちの庭は近道にもなっているから出合っても不思議ではない。誘われるままに三人で岸壁に出かける。

 懐中電灯が無ければ歩けない星明りだけの畑のあぜ道を通り、岸壁にたどり着く。僅かばかりの花火を慈しむように間欠的に、時に連続して海面から打ち上げられる花火は、さざ波の海面を鮮やかに染め上げ、星空を焦がし、佳奈ちゃんの端正な横顔を艶やかに浮かび上がらせる。一つまた一つと打ち上げられるたびに彼女は感嘆と恍惚とした表情を浮かべ、僕のことなどすっかり忘れているのを見ると、彼女の瞳の奥に煌く花火が妬ましくなり、闇に支配される時を待って、僕はそっと彼女の手を握った。  
                                 つづく

 

2004年9月8日(水) 驚異のロングセラー
8月31日からの続き

 何でか分からないけど気になって仕方ない言葉がある。酒を飲んでいるときにふと思いだしてみたり、スポーツクラブでトレーニングに励んでいるときに頭に浮かんでみたりと、何の脈絡も無しにその言葉が頭をよぎる。あんまり度々なものだから気持ち悪くなって、インターネットでその単語を検索してみた。

 単語と言うよりそれは商品名なんだけど、今ではさっぱり耳にすることが出来ないもので、とっくにその商品はこの世から消滅したものと思い込んでいたが、とんでもない思い込みで、今でも立派にその商品は販売されており、当時と殆んど値段も変わっていないみたいだ。云わば卵や牛乳みたいに物価の優等生的な存在であるらしい。

 1970年という年は大阪で万国博覧会が催された年で、僕は小学6年生だった。3つ年上の兄は修学旅行で万博を見に行ったが、僕は指をくわえて兄の自慢話を聞くしかなかったのが未だに残念でならない。大人になって大阪に住んでいるのだから、何時でも万博公園には行けるのに、自分から行くのが悔しくてまだ行った事が無い。

 気になって仕方ない商品と初めて出合ったのは万国博覧会の年くらいだったように思う。男の子なら大抵あこがれるようなハンサムな外人のマッチョマンが、少年サンデーとか少年マガジンといった漫画誌の広告欄に登場し、その商品を持って肉体美をひけらかしているのだった。僕はもちろん、同級生や先輩たちも憧れ、こぞってそのトレーニングマシンを手に入れたいと願ったものだった。

 僕が中学に上がった頃に兄はバイクの免許を取り、牛乳配達のバイトを初め、貯めたお小遣いでとうとうその憧れの品を手に入れた。「ブルーワーカーU」。僕たち兄弟はこのマシーンで比類無き肉体を構築する筈だったのに、兄が三日で断念した後、僕も四日目で挫折した。

 「Bullworker2」だってぇ、「雄牛働き、その二」ってかぁ。実はその商品は今僕のところにある。30数年の品物をまだ持っているなんて、物持ちが良いったらありゃしないが、取り出して使って見たら、ノスタルジーを満足させてくれた以外は、やっぱり三日で飽きてしまいそうな物だった。こんなものが未だに売られているなんて信じ難いことだけど、今も少年たちに夢を売り続けているというのならこの商品を弾劾する気持ちにはなれない。

 

2004年9月7日(火) 嵐に見出す喜び
 地震が収まったかと思ったら今度は台風がやって来た。少し雨が降るには降ったが、あとは強風が吹いただけで、記録的暴風を体験することは無かった。

 各地で被害を及ぼしているというのに不謹慎な話しだが、来るぞ来るぞ、超大型台風が来るぞと待ち構えていたから、なんだか肩すかしを食わされたようで釈然としない。 

 台風という非日常に心を躍らせた幼い頃、雨嵐の中を表に出ては何度親に叱られたか知れない。言ってみればデパートに行くと走り回りたくなるのと似たようなものだったのだろう。

 大人になってウィンドサーフィンをやっていた頃は夏の週末になると台風を待っていたものだが、上手くタイミングの合ったのはただの一度っきりだった。日本でのウィンドサーフィンの困難さを思い知った夏から急に興味を失った僕は、その年の秋からピアノ教室に通い始めた。

 ウィンドサーフィンからピアノとは一体どんな脈絡が有ってのことか、と散々友人からなじられたものだが、僕の中では特段軋轢の発生することでもなく、ごく自然な成り行きだったように思う。

 あれから10年が過ぎたが、子供の頃からウィンドサーフィンまでずっと台風を待ち焦がれていたように今でも僕は嵐が好きだ。もちろんこの歳になってデパートで走り回ることはしないが、精神構造は大して変化が無いように思う。

 木々がざわめき、電線が笛を吹くように鳴る。窓は軋み、高層住宅は慟哭するように揺れている。それでも僕には幸せがある。こんな日はピアノが弾けるからだ。うるさいと言うより下手糞で苦情が出そうな調律の狂った僕のピアノを嵐がかき消してくれる。重苦しくて2回目が見れない映画「戦場のピアニスト」を想いながら「ショパンのノクターン20番」を弾く。台風は学校が休みになる開放感や、非日常に心ときめかせた幼い頃だけでなく、今でも僕の安らぎのときであるのかも知れない。

 

2004年9月5日(日) アゴーギクは音の揺れ
 揺れたなぁ!阪神大震災以来の揺れの大きさに生きた心地もしなかったけど、丁度ピアノを弾いていたときだったので、遂に僕も自分の演奏で夢見心地になれるか、なんて冗談のひとつも言いたくなったが揺れがいつまでも続くので必至にアップライトピアノを押え続けた。

 グランドピアノなら下に潜れば物が落ちてきても助かりそうに思うが、アップライトピアノの下敷きになったら相当痛そう。およそ200kg位はあるだろうから大きめのお相撲さんが上に乗っかってきた感じだろうか。いやそれなら痛いと言うより苦しいと言うべきで、だんだんと窒息して死んでゆくのか、それともあっという間に死ぬのと、どちらを選ぶかというややこしい話になりそうなので考えるのをやめる。

 2回目の地震に見舞われた頃にはバイクのレースをテレビで観戦しながらワイン一本空けた頃だったから、酔って天井が動いているのか本当の地震なのか、それとも両方の揺れが相殺しあったのか、殆んど揺りかご状態だったので幸いだった。だがもし揺れの方向が90度違っていたらあるいはピアノが倒れたかも知れないと思うと怖い。でもピアノの地震対策は結構金がかかるんだよなあ。ま、今回は堺方面には大きな被害も無かったようで不幸中の幸いか。

 

2004年9月4日(土) 白色矮星
 蝋燭が燃え尽きる寸前の煌きの様に、星がその最後を迎え超新星爆発を起こしたかのように毎日はしゃぎ回っているTELさんだが、昨夜は宝山寺の般若湯に力を得たのか殊の外気分が高揚していて、最後の寿司屋に入るなり隣席のご婦人に話しかける始末。元より節操の無い人なので今更驚くには値しないが当夜はどこか2、3本螺子が緩んだみたいな感じだった。

 「死ぬまでに一度でいいから生レバーを食べてみたい、麻薬をやってみたい、金で女性を買ってみたい」というのが口癖のTELさんだが、生レバーなんか知らんうちに口にしているに違いないし、宝山寺の只酒でトリップ出来るのなら何も高価な麻薬に手を出すことも無いだろうし、時々見知らぬご婦人と飲み歩いているみたいだから念願の三つとも達成していると言って差し支えないと思われるから、いつ死んでも彼に悔いは無いはず。

 それにしても随分とまた卑近なものに人生の目標を掲げているものだなと思ったりするが、「定年までは死ぬほど働いた」と豪語しているからこの辺りでタガが緩んでもまあ、戦後の日本の礎を築いた世代なのだから少しぐらい下品でも行儀が悪くても許そうと思う。

 さて他人のことはさておき、僕が酔っているときには冷静に自分を見つめることは出来ないのだから一体どんなことをやらかしているのか心配になってくる。一説によると相当危ないらしいが、どこかに言い訳を見出せないものか。戦後のベビーブームに生まれて、団塊の世代に生まれて、高度経済成長の時代に生まれて、と考えてもどこにも斟酌の余地が無さそうだ。敢えて言うなら「夢想する時代に生まれ、夢想するままで人生を終えた男」。それがいい、僕の戒名にはそんな名が相応しい。

 

2004年9月3日(金) 枇杷の実
 いつだったか友達を集めて、焼肉をやりながら将棋会を催そうという話が持ち上がって、TELさんの家に集結したことがあった。バーベキューセットを持参した僕が庭にセットしようとすると、TELさんが、「家の中でやろう」と言い出した。いくらなんでも家の中でバーベキューは出来ないだろうと言うのだが、彼は頑なに屋内を主張し、仕方なく折れた。

 僕が炭火を起こしている間、皆は庭にたわわに実っている枇杷の実を採って食べている。良くぞ庭にこれ程の枇杷の木を育てたものだ、並大抵の施肥ではこうもいくまいと感心したのだが、今思うとなんだか納得できる気がする。枇杷の実は大変に美味で、一同は焼肉を食べながら堪能し、僕も頂いた。

 やがて焼肉の宴も一段落し、ビールが回った僕たちはTELさんの勧めで一斉に庭に放尿し、とても爽快な気分を味わうことが出来たのだが、所々に穿たれた穴を見ると、やはり尋常ではない思いにとりつかれて問い質した、「いやあ、隣の奥さんに咎められた事があってね、いやいやぁ大丈夫、隣の奥さん亡くなったから」。

 やはり思ったとおり、彼にとって庭というのはトイレと同義であるらしく、庭で焼肉を催すというのは即ちトイレで焼肉を食うというのと同じ意味を持っているのだった。これなら流石に庭で、つまりトイレで焼肉を拒むのも納得出来よう。こんなことを年中やられた日にゃ、お隣の奥さんの糞死、いや憤死も頷ける。実に気の毒な話だ。

 ひょっとすると隣の奥さんの怨念の成せる業かもしれないが、焼肉の翌日つるつる滑る畳の上でTELさんは転倒し、すんでのところで大怪我を免れたらしい。因果は廻り廻りて子々孫々にまで及ぶと聞くが、たわわに実った枇杷の木に思いを馳せながら僕は痛感する、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かんものかは」。
 
                            まだつづく


2004年9月2日(木) 憑依されたのかも
 岩谷の滝で結界も張らずに滝行なんぞ仕出かしたからだろうか、痙攣を伴った金縛りに遭った挙句、目覚めると体中が痛む。金縛りも四肢の痙攣も珍しいことではないが、両方が一度にやってくるのはここ数年記憶に無い。これはやはり悪霊雑霊といった低級霊に憑依されたのではあるまいかと真剣に考えたが、冷静になって考えると、スポーツクラブのメニューが一新して、更に宝山寺に遅刻したものだから走ったのが原因だろうと思う。その上に昨夜はTELさんの気分が高揚して、ついつい飲み屋の梯子したのがこの体たらくの要因となっているのは間違いない。

 それにしても昨夜のTELさんは気分がハイになっていると言うにしては相当変だった。もちろん僕自身が「変な人間」と後ろ指を指されるタイプなので、他人のことを変人呼ばわり出来た義理ではないし、変でない人なんて変だというスタンスをとっているのだから、変だからといって他人を糾弾出来る立場に無いのは百も承知している。にしても昨夜の彼は変だった。

 そもそもTELさんという人は社会的な地位もさることながら、見てくれも紳士だし、生活に何不自由無い余裕が好々爺を演出している、というよりは青春を謳歌しているシルバーなのだが、付き合ってみるとその変人振りが随所であらわになり驚愕を禁じえない。一例を挙げると彼は自宅のトイレで用を足した事が無いと言う。何故かと質すと、「水がもったいないし、屋外での放尿こそが無上の喜びだから小用は庭で足す」と言う。

 成る程、確かに一理はあるかもしれない。しかし小ならそれでもいいとして、大のときはどうすのかと聞くと、「喫茶店とか駅とかいくらでも用は足せる」のだそうだ。しかし自宅に居ながら、よんどころ無い緊急事態の発生は予見出来ないでしょう言うと、「無い、そんなことは未だかつて無かった」のだそうだが、未だかつて無くてもこれから先のことは分からんでしょうと追求すると、「そのために頃合の穴を庭に穿っておる」と答えた。
                                        つづく

 

2004年9月1日(水) 滝行
 宝山寺聖天市の日だというのにすっかり失念していて、待ち合わせに1時間以上も遅刻して本堂に到着したら、般若湯は樽を傾けて掬わなければいけないほどに減っていた。 お参りを済ませて樽の前に立つと、見知らぬお爺さんが、「今日のお酒はいつもより美味しいよ」と、お酌をしてくれた。成る程!言われて見ればいつもと違う気がする。水っぽいと言えるほど柔らかな感じがする。お爺さん曰く、「さっきね、この酒をペットボトルに詰めている人を見たよ」。多分先に来ているTELさんと奈美さんのことに違いない。「残ると捨ててしまわなければいけないので良いんじゃないですか」と弁護をしておいたが、下の蕎麦屋さんで待ち構えている二人の仲間であることがバレルとまずいので、お爺さんが下山するのと時間をずらせて蕎麦屋さんに向かった。

 残念なことに蕎麦屋の大将は体調を崩されていて、見るからに精彩を欠いていた。僕の顔を見るなり、「あんた、この二人を友達と呼んでええのぉ?」。またこの二人は何かとんでもないことをやらかして大将を呆れさせたに違いなく、そのお詫びと称して閉店の手伝いをやったらしい。体調の優れない大将は蕎麦の量を控えて来られたと言い、遅れてきた僕は蕎麦にありつけなかった。「23日が祝日で、万灯会があるから夕方においでよ」と教えてくださる。大将、写真もプリントしてくださって有難うございました。万灯供養には是非蕎麦を食べに来ます。

お決まりのコース、「岩谷の滝」に行くと、奥さんが体調を崩されていて、代わりに娘さんがおられた。82歳のお爺さんもおられ、滝行を勧めて下さるので、レンタルふんどしをお借りして滝に打たれてみた。残暑が厳しいとはいえ、滝の水はとても冷たく、般若心経1回で音を上げた。TELさんが逃げ出した理由が分かったよ。

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2004年9月日()