HAL日記

 
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12月31日(水) 歌合戦
紅白歌合戦を見ながら年を越すのは何年ぶりだか知れない。僕の子供のころに比べたら出演者の歌唱力は比べることが出来ないほどレベルが上がっていると思う。昔の人の歌が下手だというのではなく、今の歌手のレベルは十分世界に通用するものだろう。

カウンターテナーの米良美一さんの歌うマタイ受難曲を聴いたことがあるが、本来女性のアルトが歌うこの部分を男性が歌うのは相当な無理があるように思う。でも彼のコンサートはいつも満席売り切れなのだそうだ。どうやら、怖いもの見たさで聞きに行くらしいのだが、それでもたいしたもんだ。


12月30日(火) 好きにしたらええがです
父の死後すぐに気が付きはしたのだが、一時的なものだろうと思ってさほど深刻に母の変化を受け止めてはいなかった。あれから3年、もうどうにも心配でならない。もしこれが、人が惚けていく前兆なら早急に対処を考えなければならないだろう。田舎に帰って一緒に暮らす時期を早める必要があるかもしれない。昨夜、母の料理で晩酌をしながら、やり場のない苛立ちに情けなさを覚えつつ真剣にそう考えた。

ビール、日本酒、ワインをテーブルに乗せて晩飯を食っているというのに、今の母の料理はどの酒にも合うものが無い。父の生前とはおよそ違うものだ。単に味が薄いというのではない。どう表現したらいいのだろう、素材の持つ味をそのまま活かしたと言えばそう言えるのかもしれないが、「これはまるで…」と、例えを探して驚いた。二番目の姉の味付けに酷似しているのだ。二番目の姉の夫は敬虔なクリスチャンだからかどうかは別として酒をたしなむ人ではない。だから姉の作る料理といえば、例え洗練された味ではあっても、「酒を飲むために食う」という、父に似た僕にとっては、必ずし受け入れやすいものではない。

酒を飲むためだけに晩飯、いや朝飯、昼飯を食った父は、小うるさく母に料理の指示をしていたようだった。たとえば焼き豚といえば脂身のリブのあたり、魚はメバルやアイナメの煮付、焼き魚なら鮭、野菜は茹でてマヨネーズ。グルメというには程遠かった父だが、好き嫌いは単純で分りやすかった。

先ごろ、一番上の姉の夫がいやししくも天皇陛下と同じ病で手術した。味気ない病院食で一月余りを辛抱して家に帰ると、晩酌をする義兄を待っていたのは病院食よりもさらに薄味の料理だったという。たった一月でこの有様だ。先日、遍路桔願祝いで酒を酌み交わしたが、「病院食が懐かしくてなあ」と、義兄が慨嘆した。この夫婦は今もなお味付を巡ってしのぎを削っているに違いない。父のためにだけに料理を作っていた母、自分の好みを我慢し続けた母、「かあちゃん、もう好きにしたらええんよ」と、心の中でつぶやいてみる。


112月29日(月) オブジェ

今治市内を歩くと石細工の彫像をよく見かけるが、ブロンズ像も結構見かける。もちろん珍しいということはない。ただ人口数万の小都市にしては多いかなという程度かもしれない。
 


12月28日(日) 田舎で商売をするなら
自分のことには惜しげもなく金をかけたが、家庭のことには吝嗇というほどではないにしても、渋々ながら金を出す、といった倹約的な父が亡くなってこのからの母は、”たが”が外れたように家に金を注ぎ込んでメンテナンスをしている。

父の亡くなった直後、成人男性でも少し腰掛ける位置が高いと思えるような、ウォシュレット付の便器にしたのはまだいいとしても、その翌年には風呂をユニットバスにしたが、これが年寄りにはおよそ使い辛いもので、なら若いものには使い易いのかといえばそうでもなく、酒と生来の運動嫌いの賜物で、今や立派な布袋さん腹をしている兄などは、「嵌ってしまうと出にくい」と、こぼすほど窮屈なものなのだ。いったい何を考えてこのユニットを選んだのか、業者の感性を疑わずにはいられない。

またその翌年には屋根に防水処置を施したが、ただ単にシリコンでコーキングしただけで、まるで素人仕事に見えるのだが相当な費用がかかったようだった。そして今回帰省したら、「天井を直した」と、言うのだが、これがなんと、「中学生でもこれほど下手な造作はするまい」と、悲しくなるほどの仕事がしてあって、言いたくもない苦言を呈すと母は、「誰がこんな古い家を直してくれるかい」と、有難がるのだ。それを聞くと、そのあまりにも稚拙な出来栄えと相まって、呆れかえって物が言えなくなった。

オレオレ詐欺じゃないけど、田舎じゃこんな風な、寄る辺無い、しかし金は少々貯めこんだかも知れない年寄りを食い物にするような商売がまかり通っているのには恐れ入った。「こりゃ、年寄りを一人で置いとけんワイ」と、言いたくはあるのだが、揃いもそろって、金銭に恬淡とした兄弟連中で、しかも老いた母に一人暮らしをさせている負い目から、誰も母の暴挙に口を挟めないでいる。これが一番の問題ではあるなあ!(~ヘ~;)


112月27日(土) 除夜の鐘までには歩き出すのか
おばさん「母の姉」が倒れて入院しているので今治の病院に見舞いに行った。大柄で目の大きい人だったが、ずっと眠ったように目を瞑ったまま会話した。来年早々には島の病院に転院出来そうなので少し安心した。

YUTIANからメールが来て、某寺で、寺男に成りすましているのだそうだ。息つく暇もないほど忙しいのだそうだが、「寺男から見たお遍路さんの姿をリポートします」とのことだった。まあ、無理しないで書いてくれ。楽しみにはしているが。


12月26日(金) 道を聞くなら
「道を聞くなら忙しそうにしている人に聞け」と、云う先人の教えに従えばいいものを、歩き遍路をしているとそうもいかないので手当たり次第に人に道を聞いてしまう。聞いてしまってから後悔したことも数知れない。最も聞いてはいけないタイプの人がいるとすればそれは、見た目のだらしない人だろうか。年齢には関係なく、衣服が粗末だとかではなく、人生を投げ出したような人。今日もその手の失敗をしでかしてしまった。

家を中心にして島四国を放射状に巡っているので、とても時間がかかる(つまり区切り打ちの要領)。前回バイクで10番まで廻ったので、今日は当然11番からなのだ。ところがそこに達するまでの4〜5km歩く道中にはいくつもの札所の前を通るのだが、順番に廻りたいので、それらをことごとく通り過ごして11番に到着。

そこから14番までは町の中を歩いたが、あまりに札所間が短いので、遍路石も少ない。スーパーのポリ袋を両手に提げた化粧気のないおばちゃんに道を尋ねたら、たった一言、「知らん」と、けだるそうに答えてくれたが、歩く道は同じ方角。たどり着いたら、あなたの家のの隣じゃないですか、と言いたくなるような場所だった。

解りやすい島四国巡拝地図を手にしていたとはいえ、YUTIANがここを迷わずに歩けたとはとても思えない。あの地図が完成するまでに巡礼した人はどうやったんだろう。月岡祐紀子さんとか、自転車で廻ったという「くろさん」も相当苦労したはずだ。地元の人間でありながら不思議に思うHALなのでした。今日は20km歩いたかどうか。明後日も歩くつもりだが、足にマメが出来そうだ。


12月25日(木) 思いを断ち切って
徳島道を通る筈だったが気が変わった。大阪から愛媛に行く道は瀬戸大橋、鳴門大橋、島並海道、と、大きく分けて三つのルートがある。今回は淡路島を経由して高松道を通り、実家のある大島に帰った。

涅槃の道場香川県はもっとも印象に残ったといってもいいだろう。「まいさん」というハンドルネームの女性にとてもお世話になったからだ。

高速道を走りながら思う、「彼女にお接待になったのはこのあたりだったな、るみばあちゃんのうどん屋はあの辺か、屋島寺はどっちだ」

存在の証明を、遍路に見出している自分を発見して戸惑った。社会復帰の道は遠い。


12月24日(水) 美人の名前
遍路道には山坂道とか獣道もあるが、単調で、変化に乏しく、「いい加減何とかしてくれぇー」と、嫌になるような国道や、トラックが砂埃を巻き上げながら路肩のない狭い道を猛スピードで行き交うような危険な道も確かにあるから、そういった意味でなら歩き遍路は変化が有って飽きないと言えるだろうか。

歩き遍路の醍醐味の一つは変化のある道の他に、地元の人々との語らいや触れ合いにあるに違いない。だが人気の無い街を歩いているときは仕方ないから、家々の表札なんかを眺めながら歩いて、おおー!珍しい名前だとか、なんと読むのだろうと考えたりしながら歩いたもんだが、そのほとんどの名前はもう記憶にない。

私が勤め人をやっていたときのお客様で、「○○ 可愛」さんという女性がおられて、この方は確かに、可愛いというより聡明で美しい方であったが、「この名前でどれほどからかわれたことか」と、苦汁に満ちた幼い日を振り返っておられた。彼女の場合は名が体を表していたのだが、37番岩本寺近くで、ふと見た表札に、「○○ 美人」さんとあった。あれは一体どうお読みするのだろうか。想像のとおりの美人であればいいなとは思うのだが、ヨシトあるいは、ヨシヒトさんと読む男性だったら………、どおよ。


12月23日(火) ちゃんと寝てるのか?
あちらこちらのホームページを覗いてはWEBデザインを参考にしているが、なかなか皆さん個性的で、俺にはこの発想は出来んなあ〜、とか、これはどうやって設定しているんだろうとか、色々勉強になることも多々あり、質問を書き込むとちゃんと教えていただける。有り難い事だ。おかげで少しスキルアップしたような気がする。

それにしてもYUTIANは一体何時ごろから歩き始めているんだろうか。朝の8時にメールが来るかと思えば日付が変わってから来ることもあって、「いつ寝てるんだあ?この子は」と、不思議でしょうがない。もっとも、女性で野宿で出来るような方のことが我々常人に解ろうはずもないか。

パソコンが趣味、と、質問に答えていたから、四国から帰還したらホームページの一つも立ち上げてくれて、携帯では書き難い表現や、こぼれ話を書いていただくのを期待する。私なんかよりはるかに興味深い事実が発見できるに違いないから。


12月22日(月) 今何処(いまいずこ)
写真は送ってくるけど、YUTIANが、今どこを歩いているのか僕もわからない。色々と怖い目にも遭うのだそうで、居所を伏せて置きたいのだろうと思うが、あまり心配になったので電話をかけてみたら、「電波の届かないところにおられるか、電源が…」というメッセージが帰ってきた。

翌日の夕方になって彼女からメールが返ってきた。「電波が届かなかったもので…」
僕が遍路道を歩いていたときはメールをいただいても、「いまそれどころじゃないよ勘弁してくれ」という思いになったことがしょっちゅうだったから、できれば彼女にメールも電話もしないでおこうと思うのだが、相手は女性の野宿ときているからそうもいくまい。

返したメッセージで、「一晩だけ親の気持ちを体験させてくださって有難う」と、嫌味を言ったが果たして彼女に伝わったものやら。


12月21日(日) 娑婆訶(ソワカ)
YUTIANの日記がいよいよ本格的になってきた。HALの日記はそろそろ手を抜いても(ずっと手を抜いてきた)いいような気がしてきたので、誰が読んでも、実に面白くない自分だけが分かる日記をしばらく書いてみたいと思う。

香川の山中をTELと歩いていたときのこと、そこは自衛隊の演習場の中を分断するように県道が通っている。その日は多くの隊員が草刈に精を出していたが、本来民間人が入ってはいけないはずの演習地内に誰かがいる。TELが目ざとく見つけて話しかけると、50歳台のおばちゃんが、「きのこ採りをしているんです」と、言った。手に持ったポリ袋にはしかし、収穫といえるほどのものは入っていないので、「向こうで自衛隊がどっさり松茸採ってましたよっ!て、ウソウソ」と、からかったりしたが。内心は、「本当に松茸が採れるのなら今すぐ遍路を中断して山中に分け入ろうか」などと、一瞬でも本気で考えた自分が恥ずかしい。

自衛隊の皆さんに挨拶をしながら、「この辺りは赤松があるから松茸が採れませんか」と聞いたが「全然ないよ」と、いわれて半信半疑のまま県道を歩き続けようとしたとき、大声で怒鳴られるように「そっちじゃないぞ、遍路道はこっちこっち」といわれて振り向くと、地元の方らしい60歳くらいの男性が近づいてきて「途中まで行くからついて来い」と、言われるままに山道を進み、会話が弾んだので年齢を聞いたら72歳!信じがたい若さだった。

72歳 「いやー!毎日散歩しとるから体は元気やが、あっちがいかん(あっちというのは、言うまでもなくあっちのことだ)そやけど、最近はバイアグラいうええもんがあってな、それで何とかやっとるんや」

僕 「バイアグラなんてどこで手に入れるんです?」

72歳 「病院の泌尿器科に行ってな、簡単な質問に答えるだけや。ここをおりたところの○○病院に行ってみ見ぃ、すぐに呉れるで、○○病院やで、ほな気ぃ付けて」

TELと顔を見合わせて「すごいなあの人、そやけど何も遍路をしている人間に病院まで教えてくれんでも良かろうに」なんて、呆気にとられたまま麓におりると、確かに○○病院があって、2人で大笑いしながら歩いた。

遍路を終えて帰ると友人からメールが来た「最近若いフィリピン人の女の子と付き合うてんねん、バイアグラがようけいってしょうがないわ」どうも自慢しているらしい。「それもええけどあんた体調は大丈夫かい、高脂血症やろ?遍路でもしたほうがええぞ」と、諭した積もりだが、聞く耳は持っていないと思うから、お2人に幸あれと願っている。


12月20日(土) 平和は好きだがブッシュは嫌い
15年ほど吸ったタバコを止めてからおよそ10年になるが、「匂いが良く分かるようになって、ご飯がおいしくなるから体重が増える」と、人が言うように確かに太りはした。でもそれとタバコを止めたこととの因果関係を証明できるものは、残念ながら何一つ持ち合わせていない。ただはっきりと分かったことは、牛乳が飲めなくなったということ。ある日、何気なく口にしたら牛臭くてたまらなかった。

トマトをかじるのは好きではないが、トマトジュースは大好き。葡萄を好んで口にはしないが、赤も白もワインは大好き。釣りをしたいとは思わないが、魚は見るのも食べるのも好き。子供の頃から変わり者と言われ続け、どんなコミュニティーに属しても、良きにつけ悪しきにつけ異端の者という烙印が押される。「あいつの話は理解できん。最後まで聞いたら損をする」と、それが日記を日々更新させる動機の一つなのかもしれない。

イラクのフセイン元イラク大統領が拘束され、アメリカCIAの尋問が始まり、裁判はアメリカ主導の下、イラクで行われるというが、なぜ国際法廷ではいけないのか。公の場で語られることのないアメリカの戦争責任がフセイン元イラク大統領に全面的に転嫁される恐れがあるイラクでの裁判はすべきではないと思う。1980年に「イラ・イラ戦争」を戦ったイランですらそれを望んでいない。

こうなったらフセイン氏には全てをさらけ出してほしい。アメリカの代理戦争とか武器がどこから流れたとか、アメリカに都合の悪い証言に事欠かないはずだ。「ブッシュ大統領親子の”カーライルグループ”との癒着ぶりが暴かれてブッシュ大統領の再選が危うくなるのでフセインは裁判が始まる前に、ケネディ大統領を暗殺したとされるオズワルドのように殺されるのではないかとの憶測もある。今となってはフセイン氏が拘束されたことよりも、ブッシュ大統領が失脚することを望んでいる僕は、やはり異端児に違いない。


12月19日(金) 来年も「歩きニスト」
伯母の体調が思わしくなく、入院したと電話があり、慰労会の店の前でしばらく話しをしてからやや遅れて入ると懐かしい面々がすでに着座されていた。師走ということもあるが、ちょうど大きなプロジェクトを抱えているとあってか人数は少ない。これが忘年会とは呼べない理由だった。

元の仲間たちの近況を聞くと、つつがなく仕事をしているらしいが、それが偉い人の前だけの言葉ではないことを期待しつつ、かつてのお客様がたの消息も聞かせてもらった。お世話になったY市立病院のI先生、A市立病院の先生方、W医大の先生方、等々お変わりないと聞いて一安心し、おいしいお酒をいただいた。辞職を発表してから退職までに時間がなく、十分な引継ぎが出来なかったので、営業員はもちろん、お客様にも多大なご迷惑をおかけしたのが悔やまれる。一度挨拶にとは思うが、それこそどんな顔をしていけるものだろうか。

つい数日前まで遍路を終えた喪失感に苛まれて、僕は何もする気が起こらなかった。まるで7年間もの長い間土中に潜み、ようやく土を掻き分け木に登り、羽化を果たした後の空蝉のように身じろぎが出来なかった。羽化した蝉は抜け殻に魂を取り残して、また四国の空へと飛んで行ったかのようだった。誰かが言った「あなたが自身を見つめているのは空蝉から羽化した蝉を見つめているのではなく、幽体離脱したかのように、実体である蝉から空蝉を見ているのです。今はもう羽ばたかなければいけません」

今、僕の手にしているのは遍路本ではない。神渡良平さんの「星降るカミーノ」遍路を歩き終えた著者が次に目指したのがスペイン北部の巡礼の”道”(カミーノ)だった。ブッディストの僕だが、西洋音楽を志していたので、キリスト教は避けて通れない。聖人ヤコブの墓に詣でる800kmの道を来年は歩いているかもしれない。スペイン語は言うに及ばす、英語も、それどころか日本語も怪しい僕と一緒に歩いたくれる人はいないだろう、たぶん独りで歩いているに違いない。
   


12月18日(木) 決して忘れない年
師走に入ると一体どれだけの忘年会に招かれるのであろう菩提寺のお坊さんが、夜毎忘年会に出席されているというので、「忘年会、忘年会って、そんなに忘れなきゃいけないほど嫌な事が沢山あるのですか」などと、お坊さん仲間に質されていたが、サービス精神旺盛なご住職なのでいたしかたあるまい。体を壊さぬ様遠くからお祈りするばかりだ。

もともと人間がそれほど好きでもないのかも知れない僕なのだが、飲むことは厭わない人間だからこの時期には幾つかの忘年会に招かれてはいるが、遍路を一緒に廻ったTELさんは人間が大好きなのでそれこそ毎夜のように忘年会に出かけている。元の会社のOB会に始まりダンス、卓球etc.と酒びたりの毎日を送っている。そんな有様だから年が明けたらすっかり前年のことを忘れてしまっているんだとか。

今年の僕には嫌な事が山ほど有ったはずなのだが、どういうわけかちっとも思い出せないでいる。思い出すことといえばやはり遍路道中のことばかり。素敵な思い出ばかりなので、下手に忘年会に出たりしたらこれを忘れてしまわんだろうかと心配でならない。今日の前の会社の慰労会(僕のではない)に出てみればはっきりするだろう。杞憂に終われかし。と、祈りつつ出かける。


12月17日(水) 遍路本という読み物

遍路二日目、十楽寺さんの宿坊にお世話になったときのことだった。食事に同席した方は8名だったが、そこでいわゆる「遍路ころがし」の話で盛り上がり、すっかり恐れをなしたHALとTELはNETに助けを求めた。ただちに何人もの方からアドバイスを頂き、歩き遍路の最難関を無事通過することが出来たのだった。

そのときに回答を下さった方の中に高田京子さんがおられて、適切なアドバイスをいただいたのだが、この方がライターで、遍路本を二冊上梓されているのを先ごろ知った。
そんな関係で「ある日突然お遍路さん」を読んでみたら、アカデミックな文章でとても読みやすく、「これこそ素人が学ぶべき文章だな」と、一人で納得した。

もう一つの「四国遍路のはじめ方」というのは、他でもない私がNETで助けを求めた「掬水遍路館」のWEBマスターの串間洋さんの著した一冊だ。普通の体力の普通のサラリーマンの歩き遍路を対象にかかれたもので大変参考になる。それだけではなく、体験記の中に「案内犬」という話しが出てきて、お遍路さんが道に迷わぬように先導してくれる犬がいるというのだ。歩き遍路のみならず必読の一冊だ。
  
  


12月16日(火) 遍路本5冊目
 
高田京子さんというライターのにわかファンになったので今日も彼女の「ある日突然、おへんろさん」という本と串間洋さんの「四国遍路のはじめ方」という本を買った。遍路本を5冊も買うとさすがにダブってしまうところがあるに違いないと思うがさにあらず。確かにお寺の縁起、由来といった話は似通ってしまうが、遍路が100人いれば100通りの遍路姿があると遍路道中で確信した僕だから、それを確かめたくて読んでいるのもあるが結論は今も変わらない、それどころか更に一層強固なものとなった。

僕のようにパソコンを担いで、何も知らずに友達と出かけた者と、「交通事故で妻を死なせてしまったからその懺悔で」という動機で廻っている方とが同じ視線で歩いているわけがない。「納経帳はスタンプラリーみたいなものだから持ちません」と、仰る方と、「托鉢しながら納経帳に重ね版をしています」と、仰る方はそれぞれに自分の遍路の形が正解であると確信しているに違いないが、どの形が偉く、どの形が劣るという序列など祈る気持ちの強さでしか判断できるものではなかろう。しかし祈りの強さというものを計るすべがない以上、本人以外に優劣の判断などできようはずもない。これが同じ歩き遍路同士でも相容れない原因となっている。

悲しいかな、お遍路にはヒエラルキー(序列)が存在する。廻る回数により持ち歩く納札が白札、緑札、赤札、銀札、金札、錦札となり、錦の札をかざせば水戸黄門の印籠の威力のごとくひれ伏す人もいる。しかしながらこの札の入手には何の条件もなく自己申告で購入できるので、歩き遍路の方には興味のない人がほとんどなのだ。先達として仕事をしたければ観光バスのガイドさんか運転手さんになれば回数を稼ぐことが出来る。基準を満たせば霊場会に申告して一定の金額を納めれば退職しても先達と認定されて仕事には困らないと聞いたことがある。一方で真摯な祈りがあり、一方では商売がある。四国巡礼は清濁を併せ持つ。それが1000年の長きに亘り人々を魅了してやまぬ所以であろうか。
 


12月15日(月) がっくり!
  
チェンバロ製作家の久保田さんからお答えをいただきました。「16世紀の作曲家の作品と思えますが曲名、作曲家は特定できません」というものだった。

チェンバロの専門家に分からないんだからもうこれは無理かもしれない。思うに16世紀の作曲家の作品を模した作品ではなかろうかと思っている。

久保田さん有難うございました、専門家をもってしても分からないのであれば、もう諦めるしかありません。でも未練がましくアップし続けます。写真使わせていただきます。
  


12月14日(日) お遍路天国

 駅前のスーパーに買い物に行くとそこかしこからクリスマスソングが聴こえてきて、粘り強い紅葉の中を歩いて来たものだから少なからず違和感を覚えた。ところがスーパーの入り口の果物コーナーでラフランスを買い、奥の魚コーナーにたどり着くとクリスマスソングに混じって♪サカナサカナサカナ〜という例の”お魚天国”がいまだに流されているではないか、泳げ鯛焼きくんも息の長い曲だったがこの曲も不朽の名作というわけなんだろう。

 昨年の今頃のことだった。当時勤めていた会社で、良くあることではないが女子事務員さんの部署間の移動があった。業務の形態が全く違う部の異動だったから当人たちはさぞ大変だろうということで歓送迎会を一席設けることになり余興でフルートを吹いたのだった。

 初めのうちは物珍しいのか、顔に似合わぬことをやるもんだと感心していた連中もクラシックの知らない曲ばかり聴かされて酔いも廻り始めた頃「モーええ加減に面白い曲やってくれ」とブーイングが出始めた。まあこんなことにはなるだろうと用意していたのが”お魚天国”。イントロでは何の曲か分かりにくいが♪サカナサカナのさびの部分に来るとようやく受けた。その後移動した女の子の片方は程なくして退職してしまった。

 一年前には既に退職して遍路をする決意していた僕だったから今思えば、いや今思わなくとも僕はあのときから辞意を表明するまで仲間たちを欺き続けたことになる。そんな僕なのに「忘年会ではなく慰労会をするからこないか」と誘ってくれた。どんな顔をして出席すればいいのか分からないが楽しみではある。
  


12月13日(土) ダイエット成功、と言っても体じゃない
  
 野宿遍路さんが写真を送ってくれると言うので、3箇所に分けて作って100メガBの容量があるホームページも残り25メガBほどになってきているのに「私のホームページならいくらでも写真を載せられますから心配要りません」と大見栄を張ったのでダイエットに専念することにした。

 見た目はあまり変わっていないかもしれないが全ての写真を圧縮しなおしたので一気に痩せることが出来て、今は15メガB程度しか使っていない。これなら携帯で送ってくれる1枚120KB程度のデータなら当分の間は安泰でいられる。残った80メガをどのように使うか思案中なのだ、と言って写真掲示板を設置しても、どちらかと言うとテキスト系の色合いが濃い当サイトに似合わんかも知れんし、う〜ん悩ましい。
 


12月12日(金) 野宿遍路へのオマージュ
 
 10月20日は忘れることが出来ない日だったが、日記を読み返してもどこにも書いてなかった。もっと他に書きたいことがあったようだ。その日は37番岩本寺を手前にして日が暮れかけているというのにまだ宿が決まってなかった。遍路マップを手に思案しながら歩いていると、前方に台車のようなもを押して歩く一人のお遍路さんを見つけた。

 歩く速度は僕のほうが少しだけ早いようで、だんだんと近づく後姿を見ているとどうやら女性のように見える。女性の一人歩き遍路というのは珍しいというほどではないがこの方はどうやら野宿のスタイルと見えて台車には家財道具みたいなものがうず高く積まれているのだ。一体どんな女性が野宿しながら歩き遍路をするのか興味が湧いてきて歩く速度を速めた。

 後ろに2、30メートル程近づくと、先ず台車の正体が分かった。乳母車なのだ!それもかなり古いものらしく、近頃では腰の曲がったおばあちゃんでも押してないような旧式のものに思えた。タイヤはまともに動いておらず、くねくねと蛇行しながら回転していて結構重そうだった。身なりはとても綺麗とは言えず、例え野宿とは言え一回目の遍路ではこうも汚れたりはするまい。余り関わりたくもないので追い越しざまに「今日は〜」と声をかけたら意外に明るい声が帰ってきた。60歳になっているかどうかといった感じで笑顔も明るかった。が、僕は乳母車に何が乗っているのか敢えて見ようとは思わなかった。もし乳母車に乗っているのが赤ん坊の人形なんかだったら絶対動揺するに違いないからだ。

 女性の野宿歩き遍路に出会ったのはあれが初めてだったからとても驚いたが、あの姿はもう二度とは世俗に帰ることのないような凄みのようなものを発していたように思う。そして2人目の野宿女性遍路に出会うのだが、それがこのホームページに登場してくれて、もう一回遍路に出て当ページにてリポートしてくださる“YUTIAN”さんだ。この方が若いのには驚かされた。ほんの2、3キロ一緒に歩いたきり彼女の都合で置き去りにし、もう二度と会うことはなかろうと思っていたのに、朝ごはんを食べに入った食堂でモーニングが出てくるまでに30分もかかってしまって、しかもお客さんとも話が弾んだものだから結局1時間かかって店を出たらちょうど彼女と会った。

 その後僕は電車に乗り、バスを駆使して、初日に出会った男性と再会をしたが、彼女とはもう出会うことはなかろうと思っていたら松山市内で友達と2人でいるところにばったり出くわし、翌日もまた2人に会った。「妹の結婚式に出席するために一旦島根に帰ります。それがすんだらまた四国に戻って歩きます」と言った姿はどこか自信に満ち溢れていて、既にゆるぎないものを獲得した人のようにさえ思えた。日焼けした逞しげな笑顔で「気をつけて」と見送ってくれた姿が彼女の最後の印象だった。


12月11日(木) チェンバロもしくはハープシコード

チェンバロの不明な曲をページにしてみましたので、どなたか作曲者、曲名が分かる方は教えてください、お願いします。

  イギリスの作曲家:W.Byrd(1543−1623) パバーナ,ソールズベリ伯爵

  ベルギー在住のチェンバリスト 下西美都さんに教えて頂きました


12月10日(水) イスラムは強いぞお

 「ところで、イラク派遣の善悪は別として、自衛隊が銃を装備してイラクのテロリストというかゲリラと戦って勝てるんかい?イスラエルとパレスチナみたいに2000年も戦い続けたイスラムの兵士に」と、飲み屋で話を振ったら「全滅するんと違うかあ!自衛隊なんか実戦やったこと無いやろ、北朝鮮より装備で勝っても戦ったら勝てんのと同じやけど、イラクのテロリストはもっと強いぞお」と異口同音に答えが返ってきて驚いた。

 「それならイラク派遣反対デモに参加するか、どこでやるんやろ」そんな話をして盛り上がった。よもや全滅することもないだろうが国民の多くが本気でそう心配しているとしたらこれはもはや派遣どころではないと思うのだがどんなもんか。 復興援助のために対ゲリラ戦を前提としているというのならそれは当然憲法第9条に違反しているのだろうし。

 自爆テロを実行して亡くなったイラク兵士の奥さんに、顔に「アラー」と読めるあざを持った子が生まれて「これぞアラーの奇跡」と話題になっているというニュースを聞いて、以前日本のタイヤメーカーが砂漠用に開発したタイヤの跡が「アラー」と読めるということで製造中止になったという事件を思い出した。

 イスラムの人たちは厳しい戒律を守って生活していて、酒も飲んではいけないらしいから当然僕はイスラム教には何があっても改宗できないが、本当は彼らだって酒は飲みたいのだそうだ。ただ現世で酒を飲むと来世で罰を受けるのだそうで、戒律を守っていれば来世でいやというほど酒が飲めるらしい。本当にそうなら改宗を考えてもいい。
  


12月9日(火) 謎曲

いつも気になってる曲があって、ふと思い出しては何という曲名なのか調べ続けて20年が過ぎた。散々ピアニストにも、楽譜屋の親父さんにも尋ねて、それらしい作曲家のレコードやCDを買い求めたが今もってわからず探し続けているハープシコードの曲がある。

NHKのFM放送から録音したから当然NHKにも電話したが分からなかった。しかし最近じゃNetという便利なものがあるので、チャットや掲示板上に詳しい人がいればひょっとしたら教えてもれえるかもしれないと考え、自分のホームページに載せてみることにしたがカセットデッキがないのに気が付いた。

大手電気店に走って、まだラジカセというものが手に入るのかどうか心配しつつ探したら、意外にも多種多様なものがあって「ラジカセは絶滅していなかったんだ、まだまだMDに取って代わられてなかった」などとエアーチェックの時代のアナログ人間はほっとしたのだった。

3980円でステレオラジカセとは安い!同じ様な物でも隣においてあるSONY製は6450円でデザインはむしろ中国製のほうがいいように思えて在庫1台残っていたのを購入

帰ってラジオを鳴らそうとしたら、ラジオは少しの局しか受信できない、まあ、カセットのほうがメインなので、とテープを入れて再生したらやけに早い演奏される。しかも音が揺れる。大失敗だったやっぱりSONY製にしとけば良かった、明日返品しに行こう。でも「こんなんですよ」なんて言われたらどうしよう。


             以前のお奨めバイオリン曲にMIDI曲追加


12月8日(月) クリスマス商戦

不況の世相を反映して、商売人の気が早くなったのかあちこちでクリスマス関連のイベントが12月に入った途端に紹介されるようになったけど、知人なんかは「忘年会は11月の末にやったよ」と言っていたから、気が早くなったのは商売人だけではなく消費者の側も連動しているらしい。

遍路の最終宿の奥さんが「11月の三連休のホテルの予約が一杯なので堺市のホテルを京都観光のお客さんに紹介してあげました」といっていたのを俄かに信じれなかった僕だが、三連休の間に京都に行ってその人の多さを見て「なるほどなあ、これかい」と実感した。今年も24日にはビジネスもラブホも一杯になるんだろう、うらやましいことですなあ。

僕はといえば14日と21日は近所の教会でクリスマス礼拝の予定。ブッディストの僕がなぜって、ただピアノ演奏を聴きに行くだけのこと。罰は当たらんだろうと思うから、一度創価学会の友達も誘ってみようかと思う。やっぱり教会の中に入るのはだめなのか?子供のクリスマスプレゼントを渡すんなら大丈夫だろう。とは言え一旦教会に入ると帰るまで「神様、神様」と何度聞かされるかわからない。それに耐えられるだけの気力がないとやられるよ。


ヘンデル:オラトリオ メサイアは全曲聴くと2時間かかるが、キリストの受難と復活を、明るく伸びやかな旋律で歌い上げるヘンデルの音楽センスが大好きで退屈しない。

                  メサイアからハレルヤ
  


12月7日(日) 映画:空海

映画:空海はかなり前に制作されたようで、空海役の北大路欣也さんも若いが最澄役の俳優さんが懐かしい。大岡越前やってた方だな確か。

空海入唐1200年の今年は、最澄入唐1200年でもあるのに大阪方面ではあまり話しに上らないが滋賀県あたりでは高野山みたいに比叡山でもイベントか何かが企画されているんだろうか。空海のバイタリティーに驚くことしきり。数十年かかる密教の会得を数ヶ月で完成させたとは人間技か?と思うが実は彼は十台の頃にすでに中国語をマスターしていたのだとか。

実は僕が驚いたのは最澄がすでに天台宗を開宗し比叡山延暦寺を建立していたのに帰国した空海に弟子入りし、年下、格下の空海を師と仰いだというところ。道を求め理想の実現にたゆまぬ思いを持ち続けるとき、真理を探究する喜びが最澄のプライドをも捨てさせたということだろうか。

閑話休題(それはさておき)昨夜のクリスマスパーティーは散々だった。開始が遅れるのは常だが、トップの出演者たちも遅れてくるとは信じられん。限定70名のはずが100名ほど入ったものだから暑いし、聴いてられんしでモー参った。座ったのは1時間だったが演奏を聴いたら30分でギブアップ。人入れすぎー<<o(> - <)o>> ウッキー

今日、マスターからお詫びのメールが届いた「この次は反省してちゃんとやるから懲りずにきてね」 又騙されて行くから今度はクラシックを企画してちょーだいよ、それならギブアップしないから。


12月6日(土)クリスマスパーティー

オークションで入手したエンジンは意外にも状態がいいものだったので、部品取りにするはずのところをコレクションにすることにした。30年近く前の、恐らくこのシリーズの初期バージョンではないかと推測される。興味のない人にはどうでもいいことだけど子供のころの僕にとっては憧れの一品だった。

今夕は喫茶”はっぴーえんど”でクリスマスパーティーが催される。限定70名、会費は1000円 一体どんなパーティーか分からないがジャズ系統のクリスマスソングを4時間ほどやるんだろうなあ。

詐欺師の話を聞いているように面白いいマスターは、ある会社の社長さんなのだがベースを引かせればプロ並みの腕かも。ヾ(@゚▽゚@)ノ楽しみだ〜


12月5日(金) 反行と拡大のカノン

賀来千香子さん主演の「カノン」は一人の天才バイオリニストと彼を取り巻く音楽仲間の愛憎と死と苦悩を描いた物語で、前編を暗い雰囲気が支配するが遂には昇華されるという話。

テーマに使われるバッハのカノンのタイトルのとおりのままかなあという気がせんでもない。原作が誰で、監督が誰かも知らんけどこんな難しい曲に触発されて作った映画が売れるんだろうか。

カノンとは追いかけっこのこと。テーマを変奏しながらいくつかの楽器が何小節か遅れて同じことを繰り返す複音楽。三つ目の楽器くらいから訳が分からなくなる。

劇中の曲ではないがバッハ:音楽の捧げ物BWV1079からカノン
 


12月4日(木) 暗証番号もたまに変えたほうが

りそな銀行とかUFJ銀行がどこの銀行と合併して出来たのか、日本の政党のように頻繁に吸収合併が進んでもうわけがわからなくなってしまった。セレッソがヤンマーでベルディーが読売まではわかるがFマリノスは日産とフリューゲルス(これがもう分からない)だったか?みたいなことになりそうだったので、大和銀行の通帳と三和銀行の通帳を一新するために出かけた。

UFJはわりとすんなり更新できたが、りそなが大変だった。というのも大和銀行で自動引き落としを何件か設定しているが、昭和61年以来一度も通帳記入していなかったので一気に四冊も通帳に記入することになったからだ。3時をとっくに過ぎても印字が終わらず、行員さんには悪いことをした(難儀な客ですんません)

ついでにビデオ屋に寄ったがこちらもしばらく利用していないところだったのでカードを再発行してもらって、邦画「カノン」と「空海」を借りた。それとDCカードの提携先が船場経済倶楽部だったのに提携を解消してしまったのでカードでの支払いがNet上で出来なくなってしまったみたい。店頭では使えるのに?時代の変化が早いので遅れないようにするだけでたいへんだ。


12月3日(水) 乗せられたか?

以前からNetオークションには興味があったが今日はじめて入札を経験した。25年程前に生産されて、10年位前に生産中止になった模型エンジンだ。昨年近所の模型店で見つけた物と同じものを7250円で落札した。

性能はたいしたことは無かったが、一度製造を始めると長く生産を続けるメーカーのもので、マニアには根強いファンもいる。「今のラジコンヘリに搭載するためにはパワー不足でしょうが飛ぶことは飛ぶでしょう」と模型屋の店長に言われる程現代のエンジンは性能が向上している。

チューニングしない素のままで取り付けて飛ばしてみたら思いのほか快適に飛んだがスタントには耐えられそうにない気がしたものだからチューニングに踏み切った。苦労してチューニングし、この螺子を締めて完成するという最後の螺子を締め上げたところでパキリと割ってしまった。螺子を締め上げすぎたのだった。

部品を発注したが、入手不能。泣く泣く現代の高性能エンジンを買って取り付けては見たものの気分が乗らず今もって一度も飛行させていない。

落札寸前までどきどきした。競合は二人ほどいたようだがどちらも自動入札設定をしていて相手が入札するとすぐに250円上乗せすしてくる。僕が介入したら「申し訳ありません自動入札されました」とコンピュータがすぐさま律儀に返事をする。一人目が6500円で自動入札を停止、二人目はどうやら7000円で設定しているらしいので7250円で入札して、様子を見ると自動入札が停止した。それでも気が抜けないので7750円を準備して最後の1分まで辛抱して落札出来た。

待っていればいつかまた出品されるだろう品物だがどうしてもほしかったのだ。オークションはこの心理を巧みについていてすっかり乗せられた。


12月2日(火) ラジコン保険が値上がりすかも
 船員だった父は55歳の定年を迎えてから車の運転免許を取得するために教習所に通っていたが「棺おけに入るのが先か、それとも免許を取れるのが先か」と揶揄されて「もう止めた」と一旦は拗ねていたが教官に諭され、温情もあったのか知れないが何とか免許を交付された。

 免許を取ってからはすぐに小型の乗用車を買い、母を連れて四国の道を回ったらしい。もとより信仰心の無かった父のことだから巡礼などは念頭にあろうはずも無く、名所旧跡の類を訪ねたのだろう、出来の悪い写真がたくさん残されている。

 自分の思うようにならなければ、自分以外の誰か、あるいは自分以外のほかの原因を探すことに努力を惜しまなかった父のことだから、運転中も小言を言い続けたに違いないのだ。母にとっては恐らくありがた迷惑であったはずだし、怖い思いも少なからずさせられたはずだ。

 晩年目を患った父は「運転免許を返上したい」と警察に申し出て表彰されたが、僕にとって数少ない敬愛するべき父の一側面ではあった。年寄りに外へ出るなとは言わない、それどころか寝たきりにならぬように積極的に外出するがいいと思うが車はいけない。半ばぼけた老人に幼子がはねられたニュースを聞くと憤りを禁じえない。生い先短い者に未来を奪われた子の親はどう心の整理をつければいいのだろう。呆けた人間を憎むことも出来ない。ラジコンヘリの事故だって同じこと、72歳が65歳を死なせたっておんなじだ。おもちゃが凶器に十分なりうるのだから。

菩提寺のお坊さんがこんなサイトを教えてくれた、深く見ていくと面白い。
http://www.osoushiki-plaza.com/


 12月1日(月) 痛ましい事故
イラクの外交官が殺害されたニュースは痛ましいが、あれは外交官だから報道されているので、誰も知らないところで人知れずNGOの邦人が殺害されているということはないのだろうと願う。なぜなら外国人の殺害が報道されなければテロリストにはメリットがないだろうからだ。

それにしてもラジコンヘリで人が亡くなったのは、マニアの一人として残念で仕方がない。ラジコンヘリは実に危険なおもちゃで、知り合いの一人はエンジンをかけようとして、組み立てミスに気がつかず、フルパワーで始動してしまい、しかも手を離さなければ大丈夫なところを驚いて離してしまったものだから、ヘリが大暴れして顔や手に怪我をしていたが、同時期に別の人も事故を起こしていた。どちらも大した怪我でなかったのは不幸中の幸いだった。

打ち明けるが僕も一度恐ろしい経験をしたことがある。機体に積むバッテリーが残量が下がり、予備で持っていた乾電池に換えて飛ばし始めたら数分の内に振動で電池が外れてコントロール不能となった。そのまま墜落してくれたら問題は無かったのに、よく調整されていたものだからいつまでも空中に浮かんだまま、よろよろと送電の鉄塔のほうに向かい始めた。

鉄塔にぶつかって機体が破損してもいいが、回収が出来そうに無い。だが親子が近づいてくるのを見たときは未だかつて無いほど肝を冷やした。生きた心地がしなかった「早く落ちてくれ」と願いつつキリン草の中を追いかけたが、茨も生えていて痛い思いをしながらのた打ち回った。

ようやくのことでキリン草の中に墜落してくれて、親子が落ちたところを教えてくれた。もし怖さを知らない子供が近づいてその上に落ちていたらと思うとぞっとする。模型は怖いところもあるが下のサイトは動画もあってとても面白い。本物のマニアには脱帽。

http://hokusei-kobe.co.jp/

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