お奨めのバイオリン曲             
   
モーツァルト:ソナタ ホ短調 K 304


数少ないモーツァルトの短調の曲です。哀愁に満ちた旋律が支配する中に、激しい情感の錯綜するピアノとの掛け合いが聴く側の涙を誘う。しかし『モーツァルトの悲しみは疾走する』ように曲想は流れてゆく。
 ピアノとの掛け合いを堪能できる2楽章形式の小さい名曲です。 バイオリンだけで練習しても意味不明。やはりバイオリンという楽器は伴奏が必要なんですね。

第一楽章を聴いてみて下さい。
MIDIデータなのでバイオリンの音がしないかも
   
バッハ:マタイ受難曲 BWV 244
からペテロの否認

言わずと知れた教会音楽の最高峰。全曲聴いたら4時間かかるが、「聴き終えたら人格が変わる」といわれている。何度も聴いたけど、私の人格が変わった形跡がないので、たぶん全てを理解出来ていないのだろう。それでも「ペテロの否認」の部分は何の感動もなしに聴くことは出来ない。バッハはクリスチャンにとって最も重要なこの部分の詩を、高価な赤インクで記述した。本国ドイツの教会で演奏すると、この部分に来たらホール全体がむせび泣くような感じになると云う。

 最後の晩餐のときイエスはペテロを呼んでこういった。「ペテロよお前は明日の朝、鶏が鳴くまでに3度、私のことを知らないと言うだろう」。ペテロは最も忠実で最も勇敢な弟子だったから、「他の誰が先生を見捨てようとも私は自分の命に掛けて先生を守るつもりです。その私がどうして先生を知らないと言うでしょう」と憤ったが「ペテロよ私は真実を言っているのだ。汝、鶏鳴く前に三度われに躓かん」イエスにそういわれてはさすがのペテロも引き下がらざるを得なかった。

 やがてイエスを捕らえるために軍隊がやってきた。ペテロは戦ったがイエスに制止された。「誰もついて来てはならぬ」と言い残しイエスは軍隊につれられて行くが、ペテロは自分の命に代えてもイエスを守ろうと、こっそりとついていった。
 
 着いた先は裁判所だった。そこには怒り狂った群集が口々にイエスを罵倒しながら石を投げているではないか。「これは大変なことになった、何とかしなければ」とペテロが思案しているところへ「あんたはあの男の仲間じゃないのか」と誰かが咎めた。ペテロはとっさに、「いや関係ない」と答えるが、人が集まってきて「あんたの話し方はあの男とよく似ている、仲間だろう」重ねてペテロは否定したがさらに、「あんたがあの男といるのを見たことがあるぞ仲間だろう」と言われて、「神に誓ってあの男のことは知らん」と言うや否やどこからともなく鶏の鳴く声が聞こえ、ペテロはイエスの言葉を思い出した「汝、鶏鳴く前に、みたび我につまづかん」その場を逃れたペテロは地面に倒れこんで泣いた。

 主よ私は涙を流しています、だからもう一度私のことを振り向いて下さい。主よ私は後悔しています。だから、どうか許してください。
 
 あなたの心は今一時、主から離れましたがいつか帰ることでしょう。人の心は弱いものだから間違いを犯します、しかし悔い改めて祈るなら、許されるでしょう。なぜなら主の愛はどんな海よりも深く、どんな空よりも広いからです。

 原曲はバイオリンとハープシコードの伴奏でメゾソプラノが歌いますが、バイオリンでそのまま弾くことが出来ます。ペテロの気持ちになって弾いてみましょう。人格は変わらなくても、すさんだこころは癒されます。

バッハ:マタイ受難曲からアリア「ペテロの否認」
   
「無人島へ流されるとして、たった一冊の本しか持って行けないなら、あなたはなにを持っていきますか?」という質問がよくありますよね。聖書、歎異抄、といった答えがよく聞かれます。とっさに訊かれたら真言宗の私もそんな答えをしてしまって後悔してしまうかもしれませんので、あらかじめ用意している答えがあります。

バッハ作曲無伴奏バイオリンパルティータ第二番から”シャコンヌ”の楽譜です。」

実はクラッシク音楽愛好家の間では,わりとポピュラーな答えなのです。30年ほど前でしたか、アメリカが打ち上げた惑星探査機(何ていう名か忘れた)に積まれたタイムカプセルには、様々な言語やこの曲が刻まれた金のレコードが入れられ、未来へと飛ばされました。選者曰く、「宇宙人がカプセルを拾ってこの曲を聴いたら、自慢しているように思われるでしょうね。」

私の拙い文章ではこの曲を語ることが出来ませんので、映画にお任せしたいと思います。その題名も{シャコンヌ}この曲を演奏するためだけに撮影された映画です。ラストシーンの20分間はシャコンヌと映像が流れるだけ、言葉はありません。生きている恐怖、死んでいく平穏、諦観、宇宙の法則。なにを感じるかは観る人に委ねられています。サントラはギドン・クレーメルですが、理論物理学者アインシュタインの演奏が残されています。ユダヤ教徒の彼がキリスト教プロテスタントの敬虔な信者であったバッハの曲を愛したという事実は、この曲の持つ人種や宗教を超えた普遍性の証明でしょう。
  

TOP