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HAL日記


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2006年03月31日(FRI)  ゴルフ慰労戦
 将棋の対局が終わると、大抵の場合は“感想戦”と称して一局をふりり返って最初から並べ直し、指し手の善悪を研究したりする。囲碁ではそれを“検討”と呼んでいて、やっている意味は同じでも雰囲気は将棋よりも淡白な印象を受ける。
 将棋では盤上の戦いが終局しても、感想戦というプライドをかけた新たな戦いが幕を開けるのだが、それは“戦”という名の通り、囲碁に比べたらずっと感情的でエキサイティングだと思う。その違いは囲碁というゲームが終わって地を数えてみなければ勝敗が不明である場合が普通なのに比べ、将棋では必ず負けたことを何らかの形で敵に意思表示をしなければならないという厳しさによるものではないだろうか。

 負けましたと搾り出すように声を発したり、駒台に手を伸ばして投了を宣言した時点をもって将棋の終局は成立するのだが、その直後にどちらが最初の声を発するのかは微妙で、激闘の後だったりするとさらに難しい。勝った側が、「ここでこう指されていたら私の方が投げてましたよ」と、相手を思いやる言葉から感想戦を始めるケースが多く見られるようだし、「これがまずかったかな」と、敗者が盤上を指差して言うと、勝者がそれに同意して始まるときもある。どちらにしても勝者は謙虚であり、勝ち誇って高飛車な態度に出ることはほとんど無い。なぜなら、感想戦は敗者を慰める場でもあるからだ。

 小雪吹き荒ぶ中、三重県の随縁カントリークラブキャニオン上野コースで、練習の甲斐もなく友達と三人で打ちひしがれた。
 練習はちゃんとした。それも二ヶ月前にゴルフの案内が来たときから、打ちっぱなしレンジで二万円分くらいの球を打っただろうか。練習を再開するとまたど素人に戻っていて苦労したけど、一週間前にはなんとかモノになりそうだったので、二日前に50球だけ打って調整しようとカード残高を残しておいたら、二日前は嵐! 仕方なく一日前に練習場に行って球を買ったら、こんなときに限って当たりのカラーボールが出て、100球分がただになったので、無謀にも150球も打ってしまって肱を傷めた。それを言い訳にもしたいし、コースは難しいし、強風でゴルフ指数が☆一つという困難な状況の中でのプレーとは言え、さすがにスコア100をオーバーしてしまったら情け無い。

 この結果はある程度の想定をしていて、「今回のプレーが終わったら、『河川敷の易しいコースから出直そうよ』なんて話し合っているでしょうね」と、メンバーにメールを送っておいたが、果たして惨劇の予測は的中した。
 ゴルフというゲームはスコアに打ちのめされるだけでなく、負けたら最後にコーヒーまでおごらされたりする苛烈なゲームだ。そこでプレーは4時ごろに終わったのに、レストランのオダーストップの時間まで感想戦を開いて気の毒なコーヒースポンサーを激励した。
「男らしいとは優しいことで、真の勇者は寛容になれるものだ」というほどではないにしても、ぼくとしてはわずかながらも実りがあったので、頭を垂れる時間でもあった。

 

2006年03月30日(THU)  駐車料金で車が買えるよ
 昨日のつづき
 駐車場の何が苦手と言っても、そのシステムが良く分からないことがある。先払いのところがあるかと思えば、いくらか買い物したら無料になるところや、車に乗って駐車場を出る前に清算するところもある。しょっちゅう失敗するのは駐車券を持って車から下りないで、もう一回遠いところまで走って取りに行って、それで既に10分を消費して損をする。そんなのはまだいいが、ビジネスホテルに泊まって、間違えて他所のホテルのパーキングに一晩停めて大金を失ったこともある。

 うっかりミスは誰にでもあるし、不可解なシステムのところもあるからぼくだけが責められることも無いと思うが、バブリー娘に「ロイヤルホテルでコーヒーを飲みたい」と言われてコーヒー二人分で2000円、駐車料金を確か2000円程払ったのには目をむいた。
 そしてもっとも情けなかったのは、年上の人妻を車に乗せ、平日のショッピングモールに行ったまでは良かったが、あいにく休み。でも親切な係員のおじさんが手招きするので停められ、1時間くらいして帰ったのだけど清算の仕方が分らない。どうやらそこは業者の搬入用駐車場らしく、出口で係員のおじさんが、「え〜っとぅ、3000円!」とおっしゃる。
 思うに、人妻とあらぬ関係の二人と見られたか、法外な金額が提示された。それは良い、3000円くらい構わない。構わないが、昼間の情事を楽しんだわけじゃないのだから、何も後ろめたさは無いというのに、「領収証をよこせ」と言えなかった自分が情けない。あの金はたぶんおじさんの懐を暖めたと思う。

 駐車違反で反則金を払った記憶は一度しかない。つまりぼくは違法駐車はやらないタイプなのだ。しかし、もう時効だろうから白状するが、馬鹿の知人をかばって駐車違反の肩代わりしたことがある。なのにそいつは反則金を支払わず、ぼくのところに督促状が来たので立て替えざるを得なかった。
 やってられんよ、自分の間抜けさが本当にいやになるよ。だって今の耳鼻咽喉科の本来の駐車場の隣が無料駐車場だって知ったのは3回目に受診したときなのだから。

 

2006年03月29日(WED)  注射も駐車も苦手
 「せんせぇの出してくれた薬ちっとも効きませんがな、余計に咽がはれて物が食べられへんなりましてん!」と、耳鼻咽喉科の中芯で不満を叫んだら、先生はカルテを見直しながら、「では薬を換えてみましょうか、その前の薬はどうでした?」と聞いた。その前もアカンかったゆうねん、ったくぅ。先生の薬よりのど飴の方がよっぽどマシやと言うたら、ついにトローチを処方してくれたが、こんなことなら初めから出してくれたらどやねん。

 とまあ自分の不摂生を棚に上げて、医者にかかろうにもかかれない人を想うと心苦しいのでやめるが、1週間経ってようやく風邪が快方に向っているのは、自力で克服している可能性も否定出来ない。そろそろ先生を変えたくなったが、今の病院は駐車場が無料でとても便利なところにあるので不満をかこちつつも通い続けている。駐車場なんか、今時どこの病院でも完備されているだろうといわれるだろうが、実を言うとぼくは駐車場が苦手だ。運転の技術がどうのこうのではなく、駐車場に入る以前のところに問題がひそんでいるのだ。

つづく

 

2006年03月28日(TUE)  人生はピンサロ嬢に学べ
 キャバレーと呼ばれた風俗店がキャバクラと名を変え、サービスの内容が多岐にわたるようになったのは風営法の改正によるものかどうか知らないが、ピンクサロンと呼ばれる悪質な店にはぼくも引っ掛かったことがある。
 子どもの頃の田舎町にもハワイという全国展開しているキャバレーがあった。いったい何をする店なのか興味はあったけど、中途半端な不良のすることはパチンコか喫煙ぐらいが精一杯で、風俗店なんかに入れるわけもなかった。だから大阪に来て友達にキャバレーに行こうと誘われた時には、期待と不安で頭がクラクラするほど緊張したものだ。

 大阪南の歓楽街を歩き回って、客引きの兄ちゃんのなすがままに薄暗い店に連れ込まれ、そこから更にお姉ちゃんに、「奥へ行こう」と誘われて3000円を払い、奥へ行ったら5000円よこせと言われて出したら、男を磨かれた。
 何のことは無い、キャバレーだと思ってぼくらが入ったのは、ピンクサロンと呼ばれる危険な店だったのだ。幸か不幸かぼくは手持ちが少ないうえに、付いたおばちゃんは優しかったので仕事が終わったらすぐに開放してくれたが、一緒に店に入った友達は人身御供となった。

 先日からしつこく電話勧誘がある未公開株詐欺屋さんが、また今日も電話をかけてきた。あれだけもてあそばれてもまだ見込みがあると思ってかけてくるなら、よほど粘り強い男か、よほど間抜けな営業マンに違いない。いやそれとも新入社員のオリエンテーションみたいなもので、ぼくを練習台に使っているんだろうか。どちらでもいいけど話の中身が面白くないやつなので三回目はごめん被りたい。

「はじめの三分間が勝負です。三分間の会話でお客さんを見切れなければ、ピンサロのホステスは務まりません」
 悪徳ピンサロのおばちゃんの身の上話を聞いたら、そりゃもう気の毒な人で、今でいう夫のドメスティックバイオレンスから逃げ出すように北陸を発って大阪の地を踏み、電話ボックスに張られてあった求人に応募してピンサロ嬢になったのだそうだ。
 ピンサロの水は彼女に合ったようで、悪徳な商売をするまでもなく客が喜んで金をくれるらしい。その極意が、「三分間で……」なのだ。それを教わったのは二回目に彼女に会ったときだったが、その他にも彼女は人生訓を色々と語ってくれた。
 だから、「一流の詐欺師になろうと思うなら、まずは悪徳ピンサロで修行を積むことだね」と、今度あいつが電話をかけて来たら言ってやろう。

 

2006年03月27日(MON)  オシッコは、ワンちゃんからの迷惑メール
 かつて乗っていた車は、不思議なことに右前タイヤだけ老朽化が早く、車屋さんに聞いてみても理由は分らなかった。そんなある日のこと、一匹のヨークシャー犬がぼくの車から走り去り、ぼくが車に乗ろうとしたら、タイヤにオシッコをした跡があるのを見つけた。
 やられた〜、ひょっとしてこれがタイヤの老朽化を促進する原因だろうかと、初めて気が付いた。

 前の車は祟られていたようだった。猫が二回もエンジンルームに入っていて、知らずにエンジンをかけたら猫ごと振り回して、猫は大丈夫だったがエンジンが壊れるかと思ったこともあるし、なぜかぼくの車の天井にだけからすが糞を落として飛び去ったものだ。そんなありさまだったから、犬のオシッコなんて取るに足らないように思えたが、たかが一本のタイヤのために四本とも交換しなけらばならなかったのだから被害は甚大だったといえる。

 ぼくの駐車場の回りは自然が豊かなので、公園を散歩するときの通り道に使われているのだろう、いつも小型犬と飼い主の姿がある。犬の散歩はおおいに結構だけど、他人の車にオシッコをかけさせるのだけはやめてほしい。いや車だけでなく、道路標識や消火栓の根元にもかけるなと声を大にしていいたい。そんなことだから犬の散歩はリードとかハーネスを付けるのが条例で定められたりするのだ。

 犬がすることだから大目に見ろ、と言いたい飼い主もいるかも知れないが、ことは犬ばかりでなく、いや人間こそがが問題なのだ。先日のこと、ぼくの駐車場でオシッコをしようとしているお爺さんを見つけて、「そんなところでしてもろたら困りますな」と注意した。聞いたお爺さんは一旦出しかけた一物を引っ込めようとするのだがうまくいかない。そうしているうちに事態が逼迫したらしく、「す、すんませんなぁ」と謝りつつ、もう一度イチモツを引っ張り出した。

 出すに出されず、さりとて引っ込めることもままならず、お爺さんにとっては“前門の虎、後門の狼状態”に至ったようだ。気の毒ではあっても、抱きかかえて場所を移す間に粗相をされたら困るし、イチモツを仕舞い込むお手伝いして差し上げるわけにも行かず、ぼくはそのまま車を発進させた。
 人間にしてこれなのだ。お爺さんには腹も立つが、酸素ボンベを犬の散歩みたいに引きながら、秒速5cmという生まれたての海亀の赤ちゃんが海へ急ぐより遅い歩みでは仕方なかろう。せめて毎日違うところで用を足してくれと願うばかりだ。

「でね、その人が『犬のオシッコが原因で街灯が倒れる』って言うのよ。街灯なんかステンレスにすればいいのよね。オシッコは“ワンちゃんからのお手紙”なんだってことが分らない人は嫌ね」
 犬の散歩をさせているおばちゃん同士の会話を小耳に挟んだが、オシッコがワンちゃんからのお手紙だなんて初めて聞いた。誰もそんな迷惑メールを頼んだ覚えはないぞ馬鹿者!

 

2006年03月26日(SUN)  咳止めに新処方
 咳止めのブロチン液を一気飲みして動けなくなったことがあったけど、今回もらったブロチン液にはリン酸コデインが含まれてないのでいくら飲んでも大丈夫っていうか、いくら飲んでも咳が治まらんじゃないか。「来週また来てね」と耳鼻咽喉科の先生が言ったことに、冗談じゃないぞと思っていたけど、このままだと本当に行く破目になるかも知れない。

 耳鼻咽喉科には子どもの頃から世話になっているけど、際立って優れた医者がいない代わりに、箸にも棒にもかからない医者もいないと思う。器用でも不器用でも治療でやることに大差が無いのだから、薬だけもらえたら良いというスタンスで空いている医院を選んでいる。それで大ハズレしたこともないからこの先もそうしようと思っている。

 そういえば、昔は必ずと言っていいほどトローチを処方されたものだけど、ここ泉北ニュータウン内では最近は見かけなくなった気がする。うがい薬もほとんどイソジンだし、抗生剤は昔からあるやつだし、どうも今の先生はぼくと年齢は近いけど、コンサバなのだろうか。
 受診するたびに新薬をどっさり投与され、薬を出せば出すほど儲かった医薬未分化時代に比べたら少しはマシかなとは思うのだが、効かない薬をもらっても仕方がないんだよな。
 そんなこんなで、咳止めに“カンロのど飴”を処方して窮地をしのいでいる。

 

2006年03月25日(SAT)  アニメ声のピアニスト
 右肩上がりに悪化する風邪の諸症状もなんのその、土曜日で電車の本数が少ないこともあって、片道2時間かかる良子先生のロビーコンサートに足を伸ばした。プログラムの中にショパンの「ノクターン20番」という生演奏で聴いたことがない曲が含まれているので、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないのだ。
 
 目的の美術館に到着したら既に演奏が始まっている。そして用意された椅子席は、ざっと見渡すところ150余人のお爺ちゃんお婆ちゃんたちに占拠されていて、立ち見を余儀なくされただけでなく、プログラム案内も手に入らなかった。

良子先生 
良子先生は相変わらずマニア好みのアニメ声で曲目紹介して下さるが、なんだか痩せたみたい。この後も泉北でコンサートが続くとあって、ハードな練習が続いているんだろうか。


 本来美術館で音楽を演奏するための場所ではないのに、実に立派なコンサートグランドピアノが置いてあって、素晴らしい音色を響かせていた。
 写真を撮るために前の方で立って聴いたたけど、実は天井桟敷みたいな離れた場所の方が音は良かったし、写真を撮るのにも向いていないステージだった。せっかくのピアノなのだから、もっと音響効果の良い広い部屋で演奏させてあげたかった。
 
 ノクターン20番は、映画「戦場のピアニスト」の冒頭で演奏される曲で、ぼくが発表会で弾いたCDが残っているけど、録音もヒドイが演奏も聴くに堪えない。それにしても不思議な感じの美術館だった。まさか姉歯さんのかかわった設計じゃないだろうなぁ!

 

2006年03月24日(FRI)  鼻からオエ〜
 夜中に咳が出て辛かったせいか、耳鼻咽喉科を受診しに行く夢を見ていた。
 二駅お隣というのは隣町というのだろうか。小学生が自転車で移動するならそうもいえるが、同じ泉北ニュータウンだから別の町では決してないし、街並も良く似たものだし、なにより車で行けばほんの10分程度の所に目指す耳鼻科がある。しかし到着してみたら看板だけが残っていて診療している気配が無い。道行く人に尋ねたら、「ああ、あそこの先生、自分で咽の手術を自分でやって失敗して死なはったんや」と教えてくれた。
 
 慌てて目が覚めて、まさか自分で自分の手術はせんよな、とは思ってみるが、ぼくだったら案外そんな馬鹿なことをやらかして死んでしまいそうに思うので、夢は現実の出来事を整理する作業だというのを実感するのはこんなときだ。本当に死んだかどうか気になったわけではないけど、耳鼻科に出かけた。
 いつもの小さな耳鼻咽喉科は、春休みということもあってかお子様でごった返しているかと思いきや、朝一だったせいかすぐに診てもらえた。

「先生、恥ずかしながら、ハタハタのから揚げを頭から飲み込んだら咽が痛くなって、それから風邪をひいてしまったみたいで」
 笑われるのを覚悟の上でそういったのだが、思いのほか真剣に問診をされる。患者が少ないからだろうと侮っていたら、内視鏡を咽に突っ込んで調べるとおっしゃる。
「先生、ぼく胃カメラも飲んだこと無いですけど、オエっときたらどうなるんです?」
「オエっとなったらやめますから」
 常日頃から思うが、ぼくは自身の気持ちを他人に伝えるのがどうも苦手なようで、かなり誤解されることが多いように思う。ぼくはオエっとなったら先生はどうするのかと聞いているんじゃなく、突っ込まれたままオエっとなったぼくがどうなるのかを知りたかったのだ。
「はい、ガーゼで舌をつまんで下さい。少し上を向いてぇ〜、モニターを見て下さい」
 口に内視鏡を入れてくるのかと思っていたら、鼻から突っ込むのか! 虚を突かれて涙を流しながらモニターをながめていると声帯が見えてきた。
「食道まで入れて見ますからね〜」
 という声を聞くや否や、「おえ〜〜」と嘔吐感に襲われた。これだよ、オエっとなったら朝飯が飛び出すかどうかを聞きたかったんだよ!

 人間には嘔吐中枢なるものがあるのだそうで、咽に指を突っ込むとおえっとなるのはそのためなのだそうだが、ぼくの場合はその反射が強すぎるらしい。先生も途中で諦めて正解だったろう。あのまま続けたら絶対に味噌汁をぶちまけていた違いない。
 しかしなんでまた食道なんぞを見るのかといえば、骨が立って化膿していたら大事に至ることがあるからなのだそうだ。
「でも先生、鯛の骨ならいざ知らず、ハタハタごときで骨が立ったなんて笑われますよ」
「いえいえ、ちりめん雑魚や肉でなったのを見た経験もありまして、どんなものでも可能性はあるんですよ」
「それで、ぼくの咽が痛いのは?」
「風邪ひいたようですね、咳止めと化膿止めを処方しておきましょう」
 だから最初からそう言ってるんだけどなぁ、と涙をふきながら訴えようかと思いはしたが、前の患者さんは、同じく咽の張れで大学病院に紹介状を書いてもらっていたから、甘く見てもイカンのだろうな。いやはや驚いた!

 

2006年03月23日(THU)  おどろいたこと
 童話教室の日だというのに一枚たりとも作品を書いていない。このままだとおしおきにも似た講義が展開されかねないので、朝の一時間で3枚程度のイントロ部分だけ書き上げた。もちろん前回の講座から2週間何もしなかったわけではない。頭の中でならすでに物語は完結しているのだが、いざ書き始めるとなるとなかなか文章にならなくて今日に至っている。何もしていないように見えて……、やっぱり書いていないというのは何もしていないのと同じことなのだ。

 そんなわけで業を煮やした首領様がとうとう宿題を出した。「おどろいたこと」というテーマで5枚書いてくるようにとのことだ。直近のことなら「WEC王ジャパンの世界一」だろうし、少し前なら「谷川浩司九段の名人位挑戦決定」で、昔のことなら、「ホリエモン逮捕」だが、童話作家が出した宿題なのだから、そこには何か明確な意図があるに違いない。それが何か分らず苦悩するぼくは、まるでスフィンクスの出した問題に手こずるトゥームレイダーみたいだ。仕方ないからぼくなりの「たまがったちゃ!」を書く。

 風邪が悪化したので、つづく

 

2006年03月22日(WED)  未公開株詐欺、待ってました!
 キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!! 待ちに待った詐欺勧誘の電話がやっと来た。
 一月近く前のこと、田舎の母から電話があって、「HALの同級生で友達の☆☆と名乗る男から電話があったので、携帯の電話番号を教えといたよ」と言ってきた。人を疑うことを知らない純朴な田舎の年寄りを相手取って、息子の電話番号を聞きだすなんて詐欺師でなくても出来ることだが、いったい誰が何の目的でやったのか気になっていた。ひょっとして恋人商法だかなんだかで、もし美人が土地でも売りに来るんだったら騙されてやっても構わないと思っていたけど、残念ながら未公開株詐欺だった。

 毎日毎日出会い系のメールを頂いている身としては、恋人商法なんぞには免疫も出来ているけど、世に名高い未公開株詐欺のターゲットになるのも悪い気分でもない。なぜなら詐欺っていうのは金を持ってない人には寄り付いてもくれない、貧乏人のぼくにとってはいわば高嶺の花でもあるからだ。
 とはいっても他人のふんどしで実体の無い相撲をとる不届きな輩であることには変わりないから、一喝して撃退しようかとも思ったりするのだが、そこはぼくも紳士。ずうずうしくも人様の時間を浪費するからといって、そう邪険に扱うものでもない。

「●●と申しますが、本日は未公開株のご紹介をさせて頂きたく思いまして、さっそくですが梶「△という会社をご存知でしょうか? あ、ご存じない……、△△は多層基板のメーカーでして、あ、タソウキバンが分らない……、それではこの10月から地上デジタル放送が開始されますが、あ、ご存じない……、薄型テレビの需要が急増しまして、あ、地上デジタルの意味が分らない……、とにかくですね、2011年から現行のテレビが使えなくなってですね、当該の会社が上場した暁には値上がりが期待されまして、公開前に一株80万円で買っておきますと、は? お金が無い、80万円のお金が手持ちに無い! (ややあって)あのHALさんは業界のことをよくご存知の方ですか? あ、違いますかぁ……」

 とまあ相手の物腰が低いので(そりゃ高飛車に出るわけも無いが)およそ30分ばかり相手してあげた。途中で、「あ、お客さんが来たからちょっと待って」と言って10分くらいインターバルを入れてみようかとも考えたけど、逆恨みされて、「○○はヤリマン女、電話番号は××」みたいに、携帯番号をWinnyで流出されてもかなわんのでやめた。
 ぼくの時間は確かに彼に無償で提供したけど、しかし悪いことばかりでもない。地上デジタル放送が本格開始されるのが10月だっていうのも、2011年からは今のテレビが使えなくなるなんてのも本当に知らなかった。聞いてはいても切羽詰って考えたことなかったから、これがいいきっかけになったかも知れない。それに何よりも、お金持ちの方が被害に遭うのを、ぼくの力で30分だけ遅らせることができたのだから。

 

2006年03月21日(TUE)  奇跡の風邪ひき
 電車の一番前の車両の一番前の扉付近には必ず変な輩が一人や二人はいる。なにやらブツブツつぶやいているやつ、ガムを噛んでいるのかと思ったらティッシュを丸めてもぐもぐやっているやつ、声を出して漫画を読んでいるやつとか、近寄ると危険極まりないのだが、遅刻しそうになったらわずかな時間も短縮したいので乗らざるを得ない時もある。

 そんな満員電車の一番前の車両に乗ったら、ぼくの前に立っているやつが新幹線並といわれるスピードで鼻水を飛散させた。運の悪いことにぼくが目でキャッチすると、その日のうちに熱が出た。まさに「瞬く間」の出来事で避けられなかった。「目は口ほどにものを言う」といわれるけど、ぼくは目から風邪をひいたのだ。

 恥ずかしながら夕方になって風邪をひいたかもしれない。風邪をひいた事実が恥ずかしいのではなく、風邪をひくに至ったプロセスが恥ずかしいのだ。
 昨日の昼ご飯にハタハタのから揚げを頭からかぶりついたのだが、飲み込むときに咽チンコになにやら引っ掛かったけど無理やり飲み込んだら、朝になって咽がはれ上がっていた。イソジンでうがいして外に出たのだが、帰って来てシャワーを浴びてそのままWBCキューバ戦を観戦していたら、寒気がし始めて今は体の節々が痛い。

 せっかく王ジャパンが世界一に上り詰めた奇跡に祝杯をあげようと思っていたのに、この体たらくではまだしばらく断酒を続けるとする。
 それにしても新聞の号外を巡ってけが人が出るなんて、日本人もまだまだ熱いなあっていうか熱しやすいから、カーリングが一躍人気競技になったように、野球人気が回復するんだろうか。

 

2006年03月20日(MON)  たこ焼きも、ヘビーデューティー
 今夜もディナーにたこ焼きを食べて、もうしばらくたこ焼きはいらんな、とうんざりしているHALです。
 たこ焼きなんて20個もお皿に盛り付けられていたら、見ただけで食が進まなくなると思うけど、自作すると一回に焼けるのが9個なので、5回焼くと45個を知らず知らずのうちに食ってしまうが、これは仕方がない。卵と小麦粉と水の関係で、3回分の粉を作るのが難しいからだ。

 お米を炊くのは3合以上を炊かないと美味しくないというし、コーヒーも3人前いれろとマニュアルにあるし、蕎麦は1kg打てとそそのかされる。そういった話は、それぞれの業界が消費量を伸ばすためのプロパガンダだと聞き流していたけど、いざ自分でやってみて初めてその理由が納得できる。
 米は1合だけでは炊飯器の中でうまく対流しないし、コーヒーは最後までドリップすると雑味も一緒に抽出されるし、蕎麦も500g打つのは水加減がシビアになるだけでなく、蕎麦らしい長い麺が出来上がらない。ものには適量というのがあるのだ。

 月末にゴルフを控え、スポーツジムでトレーニングに精を出しているのだけど、先日からあちらこちらに違和感を感じるようになった。ウェイトが重過ぎて関節に負担がかかり過ぎているせいだが、今のボディビルはウェイトを重くして、その分回数を減らす“ヘビーデューティー”というやり方が主流だから仕方ない。
 というのは表向きで本当の理由はそれではなく、「いったい誰がこんな重たいの上げてるんや!」と、ぼくの後にマシンを使う人が驚嘆の声を上げているのを聞くと実に愉快なので、無理して重たく設定しているのだ。
 実際、マシンの限界まで荷重をかけてトレーニングしているものもあって、「これでもか、ざまあ見ろ」とマシンをいたぶって優越感に浸るのもやめられない。
 だけど少しばかり調子に乗りすぎて罰が当ったか、膝がかなり痛くなった。これではゴルフ練習場に行く前にリタイアしかねん。人にも身の丈に合ったやり方があろうに、今頃気が付くとは!

 

2006年03月19日(SUN)  涙で味付けるたこ焼き
 ぼくが初めてこの街に来た頃だからもうずいぶんと昔のことだけど、駅前に一軒のたこ焼き屋台があった。気の強そうなおばちゃんが汗水たらして焼いていたのだけど、いつしか幼い女の子が手伝うようになって、やがてその子が中学生くらいになった頃には独りで店番をするようになった。土曜日、日曜日はもちろん、夜中までその子は働いていたから遊ぶ暇なんて無かったんじゃないだろうか。ときおり人相の悪いおじさんが店の周りをうろついていたから、きっとわずかな売り上げからヤクザ者が上納金をまきあげて回っていたのだろう。

「働けど働けど なお我暮らし楽にならざり じっと手を見る」
 いうまでもなく石川啄木の歌だけど、世の中にはいくら頑張ってもうまくいかない運の悪い人って確かにいると思う。あのたこ焼き屋さんがどうして幼い女の子まで働き手にしないといけなかったのか知らないけど不憫だ。きっと父ちゃんが借金をして逃げてしまったのだろう。そんなことを考えると、たこ焼きを自分で作ってまで食べようという気には到底なれない。たこ焼きはぼくにとって、あの母子を思い出す、貧困や不幸や理不尽を象徴するジャンクフードなのだ。

 駅前には屋台の飲み屋もあって、滅多には行かないけど夜遅くまで開いているので何かの時には顔を出してみる。ある夜のこと、友だちとしたたか酔っ払ってその屋台に入り、店のお姉ちゃんをつかまえておちゃらけたことを口走った。
「昔のことやけど、ここにたこ焼き屋さんがあってね、幼い女の子がたこ焼きを焼いとってん。その姿がとても健気で、食べたくも無いのにたこ焼きを何回か買ったことがあったなぁ」
 するとお姉ちゃんが答えた。
「それ、あたしのことや、あたしが焼いとってん」
 お姉ちゃんは小柄な上に童顔なのでかなり若くは見えるが、ぼくとそんなに歳は違わないようだ。それに言われて見たらあの頃の面影を見つけられないことも無い。
「え! そしたらあの小さな子がこんなに大きくなったん?」
「そう、大きなってん。小さい頃からずっとたこ焼き焼いてたし、今も焼いてるよ」
 飲み屋から表を見たら確かにたこ焼きの屋台があって今でも稼動している。そうか、あんな小さかったのに立派になって本当に良かったと、ぼくは少し感動した。

 ある日、場末の飲み屋で駅前のたこ焼き屋台のことを話したら、「ああ、あそこは飲み屋と経営は同じや。あそこの大将はえらいお金持ちらしいで」という。大将といえばいつぞやも腕相撲を挑まれたので、お相手したら歳の割には強かったが、するとあの大将が昔見た人相の悪い集金人だったのだろうか。で、あの幼い女の子はお金持ちの娘さんだったということか。
 しょっぱい酒を流し込んだあの夜の感動はいったいなんだったのだろう。あの一家は地元では知る人ぞ知るお金持ちなのだと聞いて、ぼくの胸にはぽっかりと穴が開いたぞ、ぼくのセンチメンタリズムを返せ〜!

 大阪では一家にひとつたこ焼きプレートがある、
なんて嘘だと思っていたら、なぜだかぼくも一つ持っていたので、自分でたこ焼きを焼いてみた。一回目は焦げ付いてしまったので、フライパンに移してたこ焼き風お好み焼きになってしまったけど、二回目からはまずまずの出来具合になった。やっぱり何でも自作は旨い!

 小麦粉を3倍の水で薄めるんだからたこ焼きの原価は安い。でも朝から晩まで何十年も焼き続けたら金持ちになれるんだろうか。あ、それに石川啄木のあの歌は、大酒は飲む、女は買うといった自堕落な生活に身をやつしていた彼の借金苦を詠んだ歌だったよな、確か。

 

2006年03月18日(SAT)  初期型ドラえもんの血圧
 このあいだスポーツジムで血圧の高い奈美さんが騒いだ時、実は僕の血圧も高かった。140mmHg(ミリ水銀)を超えたら、「運動を中止するか、運動量を少なくしてください」と言われるのだけど、あの時は150mmHgもあったのだ。
 亡くなった父は血圧をはじめ、糖尿病、通風、といった成人病を気にしていたけど、僕はどちらかといえば低血圧なので、下は50mmHg台の筈なんだからやっぱり太りすぎなんだろうか。

 初期型ドラえもんと呼ばれていた知人が、朝の通勤時に倒れそうになって病院に行くと、「あんた、80歳のワシより年寄りの体しとるな、まあ90歳といったところやな」と、老院長先生に診断されたそうな。その言葉を真に受け、驚いて処方された降圧剤を規則正しく飲み続けていたのだけど、どうしたわけか元気がなくなり、やがて心を病んだ(かもしれない)。
 初期型ドラえもんと呼ばれるくらいだから、彼の場合は飲みすぎというより、食べすぎの上に運動不足だったから太るのも自明の理で自業自得というんだろうが、こんなにエクササイズにいそしんでいる僕が高血圧症に見舞われるだなんて、どうしても納得がいかん。

 最近肩が凝って背中が凝って、夜中に気分が悪くなって目が覚める。たぶんバイオリンを弾く練習でハイポジションを多用するようになったからだろうと思うけど、足がつったりするのと同じで、酒の飲みすぎもおおいに関係があるのは経験で知っている。
 そこで酒を控えたら少しマシになるかなと思って、月曜日から断酒しているのにちっとも良くならない。それは良くならないけど、なぜだかこの一週間で血圧が急激に低下し続け、今日測ったら上が113mmHg に下がっていて驚いた。少し痩せたとはいってもリニアに影響があるとは思えないので、原因は断酒にあると断定した。

 初期型ドラえもんの知人とはその後音信不通となったが、改良型ドラえもんの奈美さんは酒は程々なので、高血圧症の原因のひとつに高カロリー食があるのは間違いなかろう。グルメも程度もんだなと思うが、止めるのは難しいので、トレッキングでもお勧めしておくか。

 

2006年03月17日(FRI)  下着ルックでコンサートとは!
 バイオリンのお師匠ちゃまがコンサートを催すとかで、パンフレットをくれるから聴きに行かなければと思ったのだけど、「絶対に来ないで下さい」とおっしゃる。それなら何のためにパンフレットを持ってきたのかといえば、「組織から生徒に配れとの指示があったものですから」なのだそうだ。
 それは分ったけど、僕が知りたいのは「来ないでくれ」という理由のことなんだが、うやむやのうちにごまかされてしまった。そこで嫌がらせとばかり聴きに行き、最前列のかぶりつきで写真を撮ってやった。

 いわゆる“ロビーコンサート”というやつで、お昼時に誰でも無料で聴ける。ざっと見渡したところ立ち見をを入れて200人くらいの聴衆が集まっていただろうか。非常に広いエントランスホールだったので、マイクで拾ってスピーカーを鳴らしていた。
 
 楽譜を見ているのでストロボを発光させるとまずいかと思って止めたので、今ひとつ写りに不満が残る。4、5mくらい前で写真撮ったけど、緊張して僕が来ていることに気が付いていないんじゃないかと思う。だから特に不具合もなかったのだけど、来るなと言った理由はやっぱり不明のままだった。

 

2006年03月16日(THU)  アジアの一部としての日本
 スポーツジムのモニターで観戦していて、王ジャパンが韓国に惜敗して準決勝進出の望みが限りなく断たれた瞬間、悲鳴にも似たどよめきが館内に響く、かと思ったのに、静謐が保たれていたのには驚いた。まだ望みがあるからではなく、「もしかすると日本が韓国に負けるかもしれない」と考えていた人より、「日本が韓国に勝てるかもしれない」と考えていた人のほうがずっと多かった故の反応だったのだろうか。
 わざわざアメリカまで応援に駆けつけたファンには気の毒だけど、日本がアジア球界の盟主であった時代は今日を持って終焉を迎えたと考えていいのかもしれない。

 慰めにはならないけど、囲碁の世界では日本が世界一だった時代は既に20年もの昔に終わりを告げている。今は韓国と中国が金メダル争いをして、台湾と日本が銅メダル争いをしているのが現状なのだが、それを衰退と考えるか、それとも日本社会の爛熟と捉えるかで、問題の本質の見え方は違ってくるだろう。
 それはアメリカにも当てはまることで、南米やアジアの選手が抜けたら予想以上の苦戦を強いられているのを見ても納得できる。
 
 荒川選手の金ひとつに終わったレギュラーオリンピックの不甲斐ない結果を、パラリンピックの好成績で溜飲を下げているのだけど、ああいったイベントに今の日本人は熱くなれなくなったんじゃないだろうか。騒いでいるのは視聴率が気がかりなメディアだけで、一般人は、「今時スポーツでナショナリズムの高揚でもないだろう」と考える人は少なくないのだろう。
 尖閣諸島や中国の日本近海でのガス田開発に激昂する石原東京都知事にシンパシーは感じても何も行動しようとは思わないように、だれもが圧倒的な無関心に接しても平気でいられるのが今の日本なのだ。

 日本人は満足した国民であると言える。領土を拡大したいとは今だれも思わないし、国内に宗教対立や人種対立があるでなし、救いがたい貧困を抱えてもいない。持てる者と持たざる者の格差が広がったとはいっても、高い者がより高みに上がったに過ぎないと思い込める成熟した社会に住んでいられるのは幸せだと思う。
 それでいけないとは言わないが、熟した果実がやがて木から落ちて土に帰るように、やがて日本はアイデンティティーを失い、「アジアの一部」と呼ばれるようになるだろうし、ひょっとしたら、「中国の一地方」と呼ばれるようになるかもしれない。

 

2006年03月15日(WED)  太蔵センセはオブラート
 まいったまいった、バイオリンのお師匠ちゃまがますます図に乗ってレッスンしてくれるのでしんどいのなんの。音大の教授の楽譜への書き込みを新しい楽譜に書き写せ、なんてのたまってくださるのは有り難くお聞きしておくけど、おいらは音大を目指してないっての。そもそもお師匠ちゃまが自分で書き込んでくださいなとお願いしたいのに、それはなさらないんだな。というより、こちらが信用して無いのを見切っておられるのだろう。

 モーツァルトはピアノの名手だったけど、バイオリンも上手に弾いたらしいから、僕の今やっている曲もモーツァルト自身が演奏するために作曲したのではないかとの説があったりする。
 なるほど、そうかも知れないなと思う。バッハもハープシコードのみならずバイオリンの名手でもあったらしいけど、いかにも眉間に縦じわを刻んだ難しい顔をしたバッハが弾きそうな曲ばっかり作曲しているのに比べたら、モーツァルトの曲は明るくはつらつとしている。
 名は体を現すじゃないけど、ベートーベンの顔がヨン様みたいな優男だったらしっくり来ないだろうし、難しい顔をしていると自然に難しい曲を書くようになるんじゃないだろうか。それとも難しい曲を書いていると苦みばしった顔になるんだろうか。

 今日婚約発表した太蔵センセは若かりしころの森田健作センセを彷彿させる爽やかな風貌をしているし、それに見合ったパフォーマンスをしてくれる。決して小難しいことは言わない分りやすい(言えないだけかも知れないけど)人は世の中では人は少なからず重宝されるけど、それは政界でも大差ないんだろう。自民党の腐敗に覆いをかけるならあれくらい軽めのオブラートで包むのが丁度いいのかも知れない。まあそのうち溶けてなくなるものだろうから。

 

2006年03月14日(TUE)  老犬ホームを見学したい
 先日、僕が通うスポーツジムにお友達のTEL師を招いたら、「なんや、年寄りばっかりやな、まるで老人ホームの娯楽室やんか」とおっしゃった。確かにそんな雰囲気のあるジムには違いないんだけど、いったいどの口がしゃべってるん? と僕は耳を疑った。
 ちょっと何かが違っていたら、そういった施設の娯楽室にたむろしていてもおかしくない年齢である彼の言葉を聞いて、自分のことを棚に上げるというのはこういうことか! と感心させられた。

 一線を退いた方がたが集まっているジムとはいっても、僕なんかよりはよっぽど屈強な御仁が大勢おられて、毎日それはそれは厳しいトレーニングに励んでおられるのだ。定年を迎えてもこんなエネルギーがあるんだったら、何か社会に貢献しろよと激励する向きもあろうが、もう十分に社会貢献してきたなら、エネルギーとお金と時間を消費する側に回るのだって立派な社会貢献の道だろう。

 盲導犬というのは人間に奉仕することを誇りに思って働くのだそうだが、彼らが引退を迎えたらどうなるのだろうかと思っていたら、どうにもならないんだそうだ。実際のところ彼らが行くところは篤志家に頼らざるを得ないのが現状らしい。そこで、日本サービスドッグ協会というところが、引退犬のための“老犬ホーム”を建てようとされているのだそうだ。せっかく人間に仕えて一生を終えるのだから、最後くらいはのんびりと幸せな余生を送ってもらいたいという配慮なのだ。

 犬にとって幸せな老後とはどんなものなのだろう。そりゃあ運動するのは引退犬だって嫌じゃないだろうけど、一日中うたた寝している犬だって幸せそうに見えたりする。
 そう考えると、引退人のように元々は罪人の懲罰のために開発されたトレッドミルの上で汗を流すようなストイックな感情とは何なんだろう。健康で長生きしたいから少しくらいの苦しみはいとわないのか、それとも汗を流した後に出るといわれている脳内モルヒネ中毒になっているだけかなのだろうか。
 とりあえず僕は痩せたいし、マッチョになりたくてやっているんだけど、夢が実現するのはいつのことやら。気が付いたら「苦しき事のみぞ多かりき」となっていないように、今もっと苦しんでおくべきなのだろうか。

 

2006年03月13日(MON)  ピアノ買取は足元を見られるかも
 ピアノ買取の見積もりを取ったら、各社ほぼ横並びの値を付けてきた。中古市場での売値もほぼ同じだし、買取まで同じ値段を提示されたら、「ひょっとして談合? カルテル?」なんて変な勘ぐりをしたくなってくる。音は狂っているけど弾けないわけじゃないし、しかも綺麗なんだから18万円は安すぎないか? だって今欲しいと思っているカーボン弓は同じ工業製品で20万円なんだから。
 そう考えたらカーボン弓が高すぎるんだろうか。もっとも安いものなら数千円から手に入るのだから、狙っている弓が高すぎるのかも知れない。仮にそうだとしても、僕の感覚が麻痺しているのか、弓の値段が高すぎるとは思えない。

 それなら他の商品と比較したらどうだろうか、例えばゴルフのドライバーは最新の人気ブランドでも20万円するものなんて知らない。多分あるのだろうとは思うけど、少なくとも僕の回りの人が使っているのは一本のドライバーで10万円以下だろう。
 カーボン弓とドライバーでは生産量がまるっきり比較にならないし、メーカーの数も格段に違うからそうなるというのは理解できるけど、弓とドライバーを比べたら、注がれている技術力はドライバーに圧倒的な軍配が上がると思うのだから変だ。

 考えれば考えるほど良く分からなくなってきたけど、毎年モデルチェンジして毎年のように飛距離アップをうたい文句にしているゴルフクラブと比較したところに問題があるのだろう。ふんどしを締めてリングに上がってしまったようなエラーかも知れない。少なくともフルセットのゴルフクラブに5万円程度の出費しかしていない人間の考えることではないだろう。
 しかしちょっと待てよ、知人なんかはフルセットで50万円くらいの道具を使っているけど、スコアは僕と優劣が付かないから、ゴルフは道具じゃなくて腕ということになるな。

 多分僕程度のバイオリンの腕ではストラディバリを弾いてもそのポテンシャルを発揮できないに違いない。だったら弓はもうちょっと上達してから買い換えるとして、さて購入金額の五分の一にまで下落したピアノを売るべきか、所持し続けるかが悩ましい。上場廃止に決定したライブドアの株を持ち続けているのもこんな気分なんだろうな、きっと。

 

2006年03月12日(SUN)  F1でバブル再燃か?
「アッパレだ、アッパレやれよ!」と、大沢親分でなくても、今年から自動車レースの最高峰F1グランプリに参戦しているスーパーアグリチームを拍手で称えたい。井出選手はリタイアしたが、佐藤選手は最後まで走りきったんだから素晴らしい。
 自動車メーカーでもないチームが活躍している一方で、TOYOTAチームは惨敗。「喝だ、喝!」と、張本さんでなくても、なにやってんだかと思う。スーパーアグリチームが、トリノオリンピックのカーリングで4位だったチーム青森なら、TOYOTAは日の丸飛行隊のジャンプ陣だな。

 まあ結果はどうあれ、純粋な日本チームがF1を走っているだけで奇跡のように思う僕としては、それが3チームもあるんだから贅沢は言わない。中島悟さんもティレルチーム(今のHONDA)を買っておけばなーと思うけど、あの頃はバブルがはじけた頃だったから仕方ないといえば仕方ないか。
 バブル当時はYAMAHAやSUBARUがF1にエンジンを供給したり、日本の衣料品メーカーや運送会社がチームを買収したりして楽しかった。その後アイルトン・セナが亡くなってから人気が低迷していたけど、ここに来てようやく日本にもF1文化が定着したのか、少なくともF1業界にだけはバブル回復の兆しが見えてきた。

 

2006年03月11日(SAT)  樽ごと計量事件を嗤う
 素行不良のおじいさんの話を書いたら、「そういうのを近頃では『ちょい悪オヤジ』と呼ぶのだよ」と教えてもらった。どういう人物を指してそう呼ぶのか具体的なことは分らないけど、ちょい悪オヤジとか、ちょい悪姉さんなら僕の回りにもうろついている。その代表例が、「酒盗りTEL師とその弟子の奈美さん」で、連中の正体を暴いたらちょい悪どころでは済まなさそうな気もするけど、あいにく告発に至るまでの物的証拠を持ち合わせていないので、迂闊に喋って永田先生みたいな目に遭わされるのも本意でないから、ちょい悪くらいで済ませておこうと思う。

 そのちょい悪ユニットから、「スポーツジムの無料券を持っているなら使ってやってもかまわんぞ」と迫られて、やむなく同伴することにした。あんなところであんな連中と係わりあっていることが知れたら肩身が狭くなるので、インストラクターにまかせっきりにしてアカの他人を決め込んだが、案の定ストレッチが始まるなり二人でしっかりと笑いを取っていた。
 その後、マシンジムの方に移動したら、なにやら騒がしい。どうやら血圧が高い高くないで奈美さんが女性インストラクターともめた挙句、体重計に乗るのをかたくなに拒否しているのだ。
 生娘でもあるまいに、今更体重がばれたところで人生の悲哀を味わうこともないのだから、自然体で生きれば良いと思うが、ちょい悪姉さんは案外シャイなようだ。

 大阪府の柏原市立柏原病院で発生した、「樽ごと計量事件」には笑ってしまった。不謹慎ながら腹の底から可笑しいのは、いかにも調理室で起きた調理人らしいセクハラだったからだ。
 あの樽にお尻が入ったくらいだから被害者の女性もそんなに太っているわけじゃないと思うが、加害者がなんでそんなに体重にこだわったのか理解が出来ない。余程退屈な職場なのか、計量マニアなのか、それとも柏原市に対して言葉に出来ない不満が、セクハラという形をとって噴出したかのどれかだろう。
 くだらんニュースで有名になった柏原市民は気の毒だし、同じ大阪府民である僕たちの身にもなってほしいが、そんなに体重を計りたかったのなら、自分で女性を抱っこして天秤に乗るべきだったのではなかろうか。

 スポーツジムには、ヨガやエアロビとか色んなレッスンがあるのだけど、昨日はたまたま空手エクササイズをやっていて、その教室をしげしげと眺めていた奈美さんが言った。
「これや、やるならこの空手エクササイズや、とりゃー!」 
 奈美さんはドラエモンのようなこぶしを握り締めて続けた。
「ほんでもって、だれかセクハラやってくれへんかなぁ〜♪」
 どうやらセクハラを理由に男をどつき回そうという魂胆のようだが、今なら十分に正当防衛が認められそうに思える。これだから連中は、「ちょい悪」どころでは済まないのである。

 

2006年03月10日(FRI)  たこ焼き道はセクハラから
「大阪の家庭には必ずたこ焼き器が一つ以上あるんだって? さすがは食いだおれの街だよね。それで、やっぱたこ焼きソースも二度漬け禁止なの? ワッハッハ〜」
 東京人は大阪のことを本当に食い倒れの街と思っているだろうか。仮にそうだったとしてもグルメの街だとは決して認定していないと思う。しかし世間が大阪の食文化に一目置いているものだから、望月の欠けたることの無し、としたいにわかグルメたちは、「たこ焼き」や「二度浸け禁止」を槍玉に挙げて快哉を叫ぶのであろう。

 読売ジャイアンツには阪神タイガース、東京タワーには通天閣といった具合に、大阪人って何かにつけて東京にコンプレックスを持っていて、それは天皇が京都御所から江戸城に転居なさった明治維新に始まったかもしれない。だけど大阪人が東京人をライバル意識する割に、東京の人は大阪を地方の一都市くらいにしか考えていない。それがまた大阪人には、月見草が向日葵に嫉妬するように我慢ならないのだ。

 まったくぅ、なんでこんな理不尽な辱めを東京人から受けなければならないんだと腹立たしく思うが、それは95年に大阪で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に始まるのだ。
 当時アメリカの大統領はビル・クリントン、大阪府知事は横山ノックといった日米を代表する二大性事家だったが、横山ノックは自分の頭を彷彿させる大阪名物のたこ焼きをクリントンに食わせ、米大統領に頭を撫でさせようと画策したのだった。しかるにクリントンはAPECをすっぽかし、横山ノック伝家の宝刀が空を切ったおかげで、グルメの街宣言をした大阪の代表料理としてのたこ焼きだけが周知されることとなった。
 後に横山は強制わいせつで有罪となり、クリントンもモニカ疑惑で失脚寸前まで追い詰められたことで、米大統領の威厳は地に落ち、大阪人の尊厳もまたジャンクフードのごとく貶められたのである。
 
 大阪府に住んでいるからといって、みんながみんなたこ焼きが大好きだと思ってもらっては困るし、みんながみんな串カツをソースに二度浸けしたがっていると思われては心外だ。そりゃたこ焼きは僕も大好きだが、あんなものは自分で作ってまで食うもんじゃない。夜店で缶ビール片手に一年に一度くらい食うもんだ、馬鹿にするなと言いたい。言いたいが、キッチンの天袋を整理していてたこ焼きプレートを発見してしまった。なぜだ、なぜこんなものが? いや考えるのはよそう。見つけてしまったからには全部横山ノックの責任に転嫁して、明日からは「たこ焼き道」に精進したいと思う。

 

2006年03月09日(THU)  古い人々の心はおいしい
 童話教室のドン様は、韓国から帰国するなりボランティア活動に精を出して倒れたそうな。トリノオリンピックで金メダルをとった荒川静香選手だって世界選手権を休んだというのに、ちと頑張りすぎやしないかと気遣う。そんな声をよそに今日も童話教室に来て下さったお姿を見て、あまりの憔悴ぶりに別人かと僕は思った。

 前回はどなたの作品も提出されなかった。ということは、今回の講座は合評の体をなさないだけでなく、儲かりもしないのに教鞭をとってくださるドン様に申し訳が立たないので、今朝から書き始めてぎりぎりまで頑張って童話を6枚だけ書いた。
 童話だからといって子どもが主人公でなくてもいいので、今回の主人公は素行の悪いおじいちゃんにした。

 いつも思うことだし、今日の教室でも皆さんと少し議論したのだけど、近頃の年寄りは行儀が悪いと僕は思う。
「それなら地べたに座ってたむろしている若者連中はどうなんだ」
 なるほど確かに電車の中で座っている若い子は多い。でもそんな連中は昔からいたじゃないっていうか、ひところのブームが去った今、そんなのは減ったんじゃないだろうか。

 韓国の若者が礼儀正しいかどうか僕は知らないけど、韓国のお年寄りが今のご当地の若者を礼儀正しいと思っているだろうか、もちろん否だと思う。
 でも僕の持論ではそんな世間の思いとは逆に、「古い世代ほど必ず行儀が悪い」のだ。弥生時代より縄文時代の日本人の方が行儀が良かったと誰がいえるのか。おばちゃんが畑で立ちションをしていた僕の子ども時代や、宮廷の淑女たちが立ちションしていたマリーアントワネットの時代の方が今より行儀が良かったの?

「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるべきだ」と、聖書のルカによる福音書にある。つまり新しい時代に古い価値観は当てはまらないし、無理に当てはめてはいけない、と言っているのだと思う。
 絶対の善なんてものは存在しないのだと聖書は教えているのだが、ルカによる福音書には続けてこう記されている。
「だれでも古いぶどう酒のほうが良いと言うだろう」
 いつの時代でも、古いものは古い人々だけではなく、新しい人々の心をも魅了してやまないことだけは確かである。

 

2006年03月08日(WED)  大人から始めるバイオリン
 慣れてきたら癖になりそうなモーツァルト節の2回目のレッスン日とあって、お師匠ちゃまもえらく気合が入っている。なんといっても自分がレッスンを受けた某音大教授の細かい書き込みがある楽譜を使っているのだから教え易かろう。
 小説家の先生なんてのは苦労して世間に認められ、出版を重ねて初めて弟子を教えられるし、将棋指しだって競争を勝ち抜いてプロとして将棋連盟に登録されて初めて先生と呼ばれるのに比べたら、音大を出ただけで先生を演じなければいけないお師匠ちゃまも気の毒といえばいえるが、小学校の先生もだいたいこんなものかと思うと、教室が荒れるのも分らないでもない。

 ゴルフ界ではレッスンプロという資格を持った方がおられ、僕が通う打ちっぱなし練習場にも元プロ野球選手のレッスンプロがおられる。さすがに体格は素晴らしいし、正確なショットはとても参考になるのだが、なんだかあんまりレッスンをお願いしようかという気にならない。隣の席の人が受けているレッスンを盗み聞きする限りでは、目からウロコの画期的レッスンという感じに思えないからだろう。

 知り合いのご婦人が若い男性プロゴルファーのレッスンを受けたら、あんまり下手糞なので大声で笑われたらしい。下手糞を不器用者呼ばわりして笑うとはとんでもない先生だと思うが、きっとそのプロは子どもの頃からただひたすら練習をつんできて上手になった天才肌の人だから、大人から始める苦労が分らないのではないだろうか。大人には理屈が通じるのだから論理的に教えれば良いのに、体で覚えたスイングを言葉にするのが難しいのだろう。

 そんな意味でならバイオリンのお師匠ちゃまは、幼い頃からバイオリンを習ってきたとはいえ苦労人みたいだから、大人からバイオリンを始めた僕としては天才に教わるより分り良い。
「私みたいな優しい先生って、他にいませんよね」
 教授を後ろ盾につけ、虎の威を借る狐みたいに細かい御託を並べた挙句、「私は優しい」だぁ? その前に練習曲をちゃんと弾いて聴かせて欲しいよ。モーツァルトが終わるまでは大人しくしておくが、次回はお師匠ちゃまが聴いたこと無い曲のレッスンをお見舞いするぞ。

 

2006年03月07日(TUE)  レッスンの前に思うこと
 明日はバイオリンのレッスン日なのにモーツァルトのコンチェルト3番が上手に弾けない。大好きな曲だし技術的には難しくない筈なのに、モーツァルト節が歌えない〜! みたいな難しさがある。都はるみさんに対して、「平原綾香さんっぽく歌って下さい」と要求しているような感じだろうか。とにかくモーツァルトは一筋縄では行かないようだ。

 モーツァルトを弾くのは初めてではないし、ソナタK304の時もそうだったけど、バイオリンだけ練習していたら何をやっているのかさっぱり分らない曲が多い。伴奏との掛け合いを楽しめるようにモーツァルトは書いてくれたのだろうが、おかげで僕程度の腕前の奏者には嫌がらせか拷問みたいに思える曲だらけだし、有名奏者のCDなんか聴いても、「それって楽譜に書いてある通りに弾いてないやんけ!」と言いたくなる。

 バッハにはバッハ特有の難しさがあって、それはバッハ弾きにはむしろ望ましいことなのかもしれない。それはモーツァルト弾きやショパン弾きもいえることだと思う。
 一度こけたら元に戻るのに困難なバッハ、いくら転んだって華麗に響かせられたら許されそうなショパン、流麗に歌わないと聞いてもらえないモーツァルト。それぞれに難しくて、それぞれ楽しい。

 

2006年03月06日(MON)  ♪ピアノ売ってあげたぁ〜ぃ
 ピアノを売り払おうかと思って、買取の相場を調べようとNET査定のフォームを開いたら、入力項目が沢山あって急に面倒くさく感じて止めた。型式とか製造番号を調べるその前に、アップライトピアノの天蓋上に鎮座している埃だらけのラジコンヘリ3機を片付けないといけないからだ。
 それなら中古市場でどのくらい売られているのか調べようとしたのだけど、それでもやっぱり正確な型式が分らないと駄目だった。

 仕方ないからヘリを下ろして埃を払って、ヘリをいじりたくなる衝動にあらがいながら蓋を開けて型式を確認したら、YAMAHAのサイレントピアノ(音が消せて、電子ピアノみたいにヘッドフォンで聴ける)、U300SXとあって、95年から97年にわたって生産されたものの後期モデルと分った。
 当時の定価で83万円とNETにあるが、設置費用とか付属品やら椅子やら何やらを追加すると定価で100万円を超え、値引きをしてもらって90万円と少し支払ったと思う。それが今の中古市場では54万円前後となっていて、思ったより値崩れしていないこと驚いた。

 経済産業省の指導で今年の4月1日から中古家電製品にも「PSE」マークのあるものでなければ販売できなくなるのだそうだ。もっとも個人で売買するのは対象外らしいから、僕のサイレントピアノも慌てて売る必要はなさそうだし、それに使っているACアダプターについては猶予期間が平成20年だから問題なさそうだが、業者はどうするのだろう。してみると価格が値崩れしていないように見えるのは、実は先生への謝礼分が含まれているからだろう。そう考えて引き算していくと買い取りは15万程度になるのだろうか。

 先日のNHKを観ていた時のこと、朝ドラ「風のハルカ」に出演した高島ちさ子さんの弾いているのは「ルーシー」と名付けられたストラディバリなのだそうで、アナウンサーが、「これがストラディバリですか!」と感歎したのに対して、「一応そうです」と、彼女は軽くムッとして答えていた。
 千住真理子さんのように、同じくストラディバリの「デュランティ」と心中しかねないバイオリニストは別として、大抵のバイオリニストは自分の腕前より、ストラディバリの所有者として評価されることを不快に感じるようだ。

 バイオリンだって工芸品だから中古になったら値が下がるのは当たり前なのだが、ストラディバリみたいなオールド楽器がもてはやされるものだから古い楽器の方が良いのだと勘違いしている人も多いし、市場も消費者のそんな思惑に付け込んで中古バイオリンに法外な値を付けたがるようだが、ストラディバリよりも現代の楽器のほうが優れているに決まっている。
 古いバイオリンが良い音がして鳴らしやすいのは300年にもわたって名手たちに弾かれ続け、木が枯れて馴染んだからに他ならないのだ。

 僕のピアノはもちろんバイオリンも、まかり間違っても値が上がることはないし、フルートなんてもはや銀の重さで量る価値しかないかも知れない。でも、それらのどれも今後同じ物を買おうとしたら相当な出費になるだろうから、せめて売るのは自分の弾けないサックスみたいな楽器にしておこうかと思うが、ピアノみたいな大物は確かに邪魔物でもあるしなぁ!

 

2006年03月05日(SUN)  辛み大根を、ど根性大根に育てる
 近所に住んでいる姉が猫の額ほどの土地を借りて偽百姓を演じている。農業というのは自然を相手取った科学なのだから決してたやすいものでは無いのだけど、天候不順で作況指数が平年を下まわったからといって未曾有の飢饉にあえぐことも無いのだから気楽なもんだ。
 博打と同じで失敗した時には黙っているのだろうが、自力で作物を育て上げた達成感は何ものにも代えがたいとあってか、豊作だったりしたらお裾分けを無理強いされることも少なくない。

 所詮はアマチュアが手慰みにやっていることなので、貧相な野菜を押し付けられても無農薬栽培であるところだけはうれしい。それは素敵なことなのだが、今回のように大根が立派に実ったのにやたらと辛かったりすると他人様にはお譲り出来ないのか、自力で消費しているようだ。
 なんでそんなに辛い大根を作付けたのかと問いただしたら、「大きい大根は場所をとりそうなので、種苗屋さんに『小さい大根の種を下さい』と求めて蒔いたら、確かに小さい大根が出来たのだけど食べてみたら辛くて辛くて!」と嘆いていた。

 今朝のNHKによると、大根というのは交雑が進行し易くて変異種が出来易い植物なのだそうだ。つまり先日の日記で書いた、「ど根性大根のクローンを作る」というのは意味の無いことでは決してないらしい。仮に同じ練馬大根の種を蒔いてもアブラナ科同士で限りなく雑種が生まれるから、本来なら変異して消滅していく種であるかも知れない「ど根性大根」の商品価値を否定することは出来ないようだ。

 なるほどなるほど、そこまで考えてみると、どうやら姉の育て上げた大根は辛味大根の交雑種であるらしいが、今朝のテレビによると上物の辛み大根は、辛みの中にも澱粉質の甘みが求められ、そこに至るまでは想像を絶する農家の努力が要求されるのだとか。
 実は僕も辛味大根のかけらをベランダで育てている。蕎麦を打って試食する時に150円で買ってきた残りをプランターに植えておいたら葉を付けたのだけど、あの葉っぱの下が今どんなことになっているのか……、興味はあるけど少なくともすりおろせるまでに育ってはいないだろうな。

 

2006年03月04日(SAT)  65歳の彼女ができました
 スポーツクラブで車の保険屋さんに会ったら満期案内の葉書を渡すと言われた。満期と言ってもまだ二ヶ月も先のことなので何も急ぐことは無いのだが、先日彼と会った時、「金を払った後で満期案内の葉書が届く」となじったのでさすがに反省したらしい。
 彼の車に乗り込んだら後部座席も助手席もファイルの山になっていて、とても乱雑な様相を呈しているのに、「人呼んで動くオフィス」と自慢げに宣うたにはつい笑ってしまう。

 乗ったついでに場末の飲み屋まで送ってもらったのだけど、トレーニングの後だけにビール大瓶二本とワイン一杯で酔ってしまった。帰ろうとしたら、将棋を所望されたので一局だけ付き合ったら、今度は別の常連さんが女性を連れてきた。どうやら彼女ができたので見せびらかしに来たらしいが、他人ののろけなんて聞いてられんので店を替えて飲んだ。

 そしてしばらくして戻ってみると大変な騒ぎになっている。どうやら彼女いない歴の長い馬鹿がうらやんで常連さんの彼女を貶める発言をしたらしく、一触即発の空気が店内に充満している。
「マスター、包丁出してあげてよ」と、僕も軽口を叩いてみたけど、「あほなこと言いなさんな、ほんまに刺したらどないすんねんな」と、マスターに小声でたしなめられた。

 常連さんは憤然と席をけって彼女と共に店を後にしたが、その背中に哀愁を感じたのは、本当に彼女なのかどうか、彼が一方的に恋人だと思い込んでいるだけかも、という説を聞いたからかもしれない。
 このところの彼は顔色も良いし、身だしなみにも気を遣っているようで、今更ながら女の力、いや恋の力に驚かされる。だから振られたらどれ程落ち込むか想像すると気の毒になってくる。なんといっても彼にとっては最後になるかもしれない70歳を超えた老いらくの恋だからなのだ。がんばれ!

 

2006年03月03日(FRI)  矢内理絵子と山崎NHK杯の関係は?
 世の中には朝から深夜まで脳みそに汗して働いている人がいるというのに、そんな真摯な姿を酒の肴にしているなんてとんでもなく罰当たりな気がするが、やっぱりNHKの「将棋界の一番長い日」は面白い。
 トップクラスの将棋指したちが頭をかきむしって苦吟する様をながめるのは、将棋を知らない人にも緊迫感は伝わるだろうし、将棋が分るならとても楽しいし上に、贔屓の棋士がいるならテレビの前での身もだえを禁じ得ないだろう。僕としても数少ない関西勢、特に谷川九段に名人挑戦を取ってもらいたくて応援に力が入る。

 関西勢といえば昨年のNHK杯覇者の山崎六段もそうだし、その兄弟子は先年亡くなった村山九段。師匠の森信夫六段が村山のパンツを洗っていたという逸話は有名だけど、森先生は村山を育てたことで開眼されたのか、それ以降も優れた棋士を棋界に送り出していて、現役東大法学部の学生棋士として注目された片上四段もいる。
 その片上四段は先ごろ婚約を発表され、そのお相手は北尾まどか女流棋士なのだが、この二人が取っ組み合いの夫婦喧嘩したら奥様が勝つ方にたいていの人が乗ると思う。人は自分に欠けている部分に憧れて伴侶を選ぶものなのかも知れない。

 それで結局A級陥落は森下九段と鈴木八段だったが、鈴木八段も鋭い手をさす好きな棋士だし、森下先生は本人を間近で見たからこの二人には残って欲しかった。まあその代わり関西の久保八段が残ったし、名人挑戦は羽生と谷川両者のプレーオフときたから楽しみが後に延びて良かった。
 それともう一つ、山崎NHK杯と矢内理絵子女流名人の関係は以前から何か臭うとは思っていたが、清水市代前女流名人と戦ったとき矢内さんは山崎NHK杯の扇子を使ったと言っていたから、この二人は怪しい関係と見た。美人棋士を大阪に連れてくるなら良いが、山崎が東京に行くならワシは許さんぞ!

 

2006年03月02日(THU)  蕎麦通なんて信じない
 場末の飲み屋が久しぶりに開店しとるというので蕎麦を打って持って行ってやった。なんで滅多に開店しないのかというと、マスターが気まぐれというより、彼のモティベーションはいつだって辛うじて生きていける限界を低迷しているからなのだ。
「マスターがしんどいのはね、“仮面鬱病”を病んでいるからだよ」と勝手に診断を下して、精神科を受診するように勧めてみるのだけど、「いや、絶対誰かに毒を盛られてると思うわ」と聞く耳を持たないが、ここまでは久しぶりに会ったときの通常の挨拶だ。
「ハイハ〜イ、今夜は蕎麦打って来たよ。僕のソバティーちゃんを皆さんに食べさせてあげて」と渡したら、「お、ありがとう、今夜は冷えるから温かい蕎麦にするわな」と言った。

 先日のNHKで泉北そば打ち普及の会が紹介されていて、「おお、先輩諸氏も頑張っておられるな」と、断りも無く先輩呼ばわりしてエールを送ったけど、「脱サラして家まで売って蕎麦屋を開店したのにあんまり儲からない、でも蕎麦を打つのは楽しいです」みたいなコメントをされていた。
 そりゃ蕎麦屋なんて儲かるわけないよなと思う。いや、あの先輩の戦略がどうのこうのじゃなく、蕎麦はコーヒーみたいに原価の安いものじゃないので、労働にみあうだけの利潤が得られないのだ。しかし本当の問題は、蕎麦がお米ほど美味しいものではない、ということではなかろうか。
 本来、蕎麦はうどんよりは米に近い風味を持っていて、何も付けなくても美味しく頂けるのだけど、その風味は長持ちしないばかりか質の低い蕎麦粉では良い風味が出ない。だからつゆを付けて食べるし、まだその上に辛味大根やわさびなんかで風味付けしたくなるのだ。

 日本人は卑弥呼の昔からずっと米を改良してきて、コシヒカリ、秋田小町なんかの銘柄が今にあるけど、蕎麦打ちが始まったのはたかだか300年前のこと。いうなれば蕎麦なんて新参者で未だ発展途上にある食品なのだ。
 四国の人が蕎麦よりうどんの方をよほど好むのは、江戸に始まった蕎麦文化が未だ地方に浸透しきってな証拠だろう。そして僕が住んでいる泉北だって事情は大差が無い。だから、「こらあ! マスター、打ちたてのソバティーちゃんを温かい蕎麦にして弄ぶんじゃねー」と声を大にして叫びたい。自称蕎麦通の客も有難がるんじゃないっての。

 

2006年03月01日(WED)  神座ラーメンは牛骨味?
 カップ一杯の野菜サラダが150円。200gの鳥のカツが150円。どう考えても手間と価格のバランスが釣りあっていないと思う。生野菜をできるだけ食べたいと考えるベジタリアンなヘルシー志向の消費者多いといっても、同じ重さのキムチより野菜サラダの方が高価だという事態が容認されているなんて変じゃないのだろうか。
 それに、同じ重さの鶏肉をケンタッキーで買ったら骨まで付いて5倍以上取られる筈だから、下衆な僕は妙な勘繰りをしたくなってしまう。

「ケツの穴のこまい事を言うんじゃない」といわれるけど、ケツノ穴のでかいアメリカ人は狂牛病の存在さえ周知されていないらしい。そのかわりアメリカCNNのニュースなどを見る限り、鳥インフルエンザに関しては日本以上に神経質になっているように思える。
 そりゃ鳥インフルエンザは即効性があるし、狂牛病は20年経って発症しても因果関係がはっきりしないのだから、まるで「鶏肉は危険だから食べるな、牛肉を食え」といっているみたいな報道の仕方も分らないでもないのだが、鳥インフルエンザは熱を加えたら大丈夫でも、狂牛病は熱を加えても危険であることに変わりないのだ。

 大阪道頓堀が発祥で今や全国にチェーンを展開しているラーメン店の「神座(かむくら)」はスープに独特な美味しさをもっているのもあるけど、客を待たせないし目の前で自分のラーメンが出来上がるのを見せてもらえるので、某有名店みたいに客の飲み残したスープを使い回しをしてないのがハッキリして好きだ。それにメニューも沢山あって値段もリーズナブルだと思う。
 でもあそこってスープの原料は非公開となっているけど、味は鶏がらと牛骨じゃないかと思うがどうなんだろう。もし牛骨なら当然脊髄は使っているだろうし、そうなると散々食べまくっている僕の頭はやがてスポンジ状に……。

 このところ記憶力が衰えてきた訳をラーメンに求めてみたが、そんな頭で書いている日記なので永田先生のメールより信憑性に乏しい上に、性懲りも無く鶏肉を食っている僕は、ケツノ穴がこまいというより口は結構ユルイ。

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2006年0月0日()