HAL日記


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2006年4月30日(SUN)  郷に入っては虚栄を捨てよ
 「郷に入っては郷に従え」ということわざを英語で"When in Rome do as the Romans do"というのだそうだが、「ローマに居るときはローマ人がするようにしろ」なんて、排他的というか権威主義的というのか、ローマ人はち〜と高飛車なんと違うか?
 日本語の「郷」は田舎の意味なんだから、「いくら伝統や格式がある都会人でも、田舎に住んだら田舎者がするように振舞え」といっているのであって、決して権威に屈したり権力に迎合しろという意味じゃない。
 かつてローマに支配された経験を持つ英国らしいことわざだなと思うけど、誇り高いフランスにはきっとこんなことわざは無いと思う。いや、あっても僕が知らないだけでなく、無いことにしておかないと、この日記の先が書けないのだ。

「フランスに住みたければフランス人と同じ生活習慣にしろ」
 シラク政権はフランス同化政策を採っているのだそうで、「イスラム教徒であっても公立学校では女性はベールをかぶるな」というらしい。
 そりゃ確かに郷に従わないイスラム教徒にも問題はあるだろうさ。だけど何が何でもフランス流に従わそうとするのも頑迷過ぎやしないだろうか。

 ぼくの住んでいる泉北ニュータウンにも、フランスから進出してきた「カルフール」というスーパーがあったが、今はイオンが経営を引き継いだ。出店初期には、ローラースケートを履いた店員が走り回って話題になったこともあったけど、「狭い日本そんなに急いでどうするの」みたいな違和感を覚えたのもぼくだけではなかったはずだ。
 品物の陳列方法も目新しくはあったけど、デリカシーを著しく欠いていたから、日本人に受け入れられなかったのも当然で、撤退は郷に従わなかった罰が当ったといって良い。

 フランス流を貫いたカルフールだったけど悪いことばかりじゃない。イオンになった今でもワインが大量にしかも安く売っているし、洋風の惣菜がとても安く売られていてぼくのお気に入りのスーパーなのだ。
 ワインをガブガブと飲むデリカシーを欠いているぼくなので、ワインの味にとやかくは言わないのだけど、どうも安いフランスワインを飲むと翌日頭に来るような気がしていけない。ワインが出来過ぎて捨てているなら、そろそろ日本人向けに醸造をしてくれないものだろうか。

 

2006年4月29日(SAT)  やぎさんのハーモニカ
  BBSにドリーさんから案内をいただいた、ハーモニカ、ピアノ、ボーカルのコラボレイションを聴きに行った。お三方はこのところアクティブな演奏活動をされていてぼくも2回目だ。でもこのユニットにはまだ名前が無いので、勝手ながらぼくは、「ヤギさんとそのお友だち」と呼んでいる。
 会場に入るなり顔見知りのおじいちゃんとバッタリ会って驚いた。というのも「亡くなった」という噂が流れていたからだ。だれやぁ、あんなガセネタを垂れ流したのは! ともあれ、「ドリーさんとそのお友だち」にもお会いできて旧交を温めた。

 演奏が始まる前に矢木さんが「前回は選曲に問題があったかも知れません」とおっしゃっていたが、ロビーコンサートみたいなときは本当に悩むと思う。どんな客層かがつかめないから、何が受けるか分らないからだ。お年寄りが多いと懐メロみたいなものばかりやっていたら受けるかといったらそういうものでもなく、「年寄りを馬鹿にしとる」と憤慨される場合もあるだろうし、今時の曲を演奏したら、「年寄りに分かる曲をやれ」といわれることもあるだろう。結局全ての聴衆を満足させることは出来ないのだから、近似値でよしとするしかないのだろう。

 演奏が終わって席を立ったら、出口でお三方が待ち構えていて挨拶している。ぼくは素通りするつもりだったのに、彼らと目が合った瞬間、「おお、ドリーさんとそのお友だち、ドリームツアーですか!?」なんて頭を下げられた。ぼくの顔を覚えていたというより、きっとユニットの一部として覚えていてくれたに違いない。
 ヤギさんとそのお友だちは、これからもっともっと人気が出そうなユニットなので、是非素敵な名前を付けて活躍してください。

 

2006年4月28日(FRI)  映画館でナニをする人
  本屋の女性雑誌コーナーを見ると、女優の樋口可南子を表紙に起用しているのが多くあって、彼女がいくつになったか知らないが相変わらず美人だなと思った。で、男性誌のコーナーに回るとこんどは男優の渡辺謙だ。なるほどなるほど、これは最新映画「明日の記憶」にあやかってのことだね、と気が付いた。
 樋口可南子も好きだし、渡辺謙にも憧れるから、是非この映画は観たい。でも観るとしたら一年遅れでビデオを借りて観るか、二年遅れでテレビ放送を待って観るのだろう。旬の映画を今観ないで人との会話に付いて行けないのは承知の上だが、ぼくは一人では映画館に一歩たりとも足を踏み込めないのだ。

 あれはぼくが予備校通いをしていた頃のこと、友だちに小学生相手の塾講師をしていた男がいた。休みになると彼は一人で出かけ、帰って来たら「映画を観てきた」と言った。何の映画かは教えてくれなかったのだが、いつか彼の部屋で日活ロマンポルノのポスターだか何だかを見つけたので聞いた。
「はっはぁ〜ん! 映画って、これを観に行ってたんですねえ?」
「君ぃ、日活を馬鹿にしちゃいかんよ! ロマンポルノの女優は際立って美しいし、ストーリーは良く練れているし、なんといってもロマンチシズムが横溢していて、仄かに香る余韻というものが違う。そんじょそこらのエロ映画とは一線を画しておるのだよ」
「ほ〜、そんなもんですかねぇ、なら一度連れて行って下さいよ」
「ふざけたことを言っちゃイカン! あれは断じて一人で観に行くもんだ」
 ぼくの言葉に憤然とした彼は日活の歴史をひもといてくれ、いかにロマンポルノが優れた映画であって、単なるエロ映画で無いかを力説したが、その後そんな話は二度としなかったし、結局ぼくを連れて行ってもくれなかった。

 日活ロマンポルノの全盛期であった昭和の50年代初頭には、まだビデオなんてものが一般には普及していなかったから、映画は娯楽の王道だった。そんな頃にあって、ぼくもオールナイトの映画館で朝を迎えたこともあったが、ポルノを観に行くには歳が少し足りなかったし、映画を観るときは必ず誰かが一緒だった。
 映画とは誰かと一緒に観に行くものだと思い込んでいたぼくには、友だちが一人でロマンポルノを観に行く理由が分らなかった。映画館内に客が一人もいないなら話は別だが、必ず誰かがいるなら、その一人が友だちだった方が良いに決まっているし、映画を観終わった後で話も弾むに違いないのだ。
「君が一人で観に行けば分るよ」
 彼の言葉をぼくが理解できたのは、それから何年も経ってからのことだった。

 昭和の60年代になるとぼちぼちビデオデッキが普及して、お金持ちの家で「名画鑑賞会」などと称していかがわしいビデオに興じたものだが、そんなある日のこと、一人の男が、「あ〜これで映画館でナニをしなくて済むな〜、ええ時代が来たもんや」と言った。
「え? ひょっとしてお前ぇ、映画館の中でその、イチモツを出してそのぅ、ナニを……」
 ぼくは自分の耳を疑うほど驚嘆した。いくら暗闇とはいえ、こともあろうに衆人の真っ只中にあってそんな行為に耽る輩の存在を許せるはずも無い!
「当たり前ヤンか、じぶん、ロマンポルノとか観に行ったこと無いんか?」と、彼は答えた。
 良かろう、百歩譲って、仮に、仮の話だが、ぼくがそういった行為に耽る立場に立つことがあったとしてもだ、隣の席でそんなことを、たとえ暗がりにまぎれて隠密裏に遂行していたとしても、絶対にぼくはそれを見る側には立ちたくない。そんなおぞましい瞬間に立ち会うくらいなら、いっそのこと映画館には金輪際入らないと誓った。
 もちろん今この歳になってそんな誓いは忘れてしまったけど、トラウマだけはしっかりと残ってしまって、あの暗がりに潜んでいる者のことを思うと、ぼくはどうしても映画館に一人では入れないのだ。

 

2006年4月27日(THU)  いたずら電話をかけるなら
 「HALさんですか、私○○と申しますが…」
 聞いたことの無い名前の男性から携帯に電話があった。ワン切りなら良くあることだし、固定電話にはしょっちゅう勧誘のお知らせを頂くのだが、携帯の方に勧誘の電話を頂いたのは初めてのことだ。返事にまごついていると、「オークションで落札した者です」と名乗った。
「ああ、それはどうもありがとうございました」
 なるほど、鬱陶しい勧誘とかでないのは分ったが、モチベーションの上がらないぼくは儀礼的な決まり文句を返すしかなった。というのも、パソコンの前に座っている人が少ないと思われる時間帯にオークションの終了時刻を設定してしまい、入札に盛り上がりを欠いてしまった結果、信じられない安値で商品が落札されてしまって、すっかりしょげ返っていたからだ。

「実は私Aショップの近所に住んでまして、Aさんとは親交があるんですよ」
 相手は興奮を隠せないのか、早口で自己紹介を始めた。Aショップというのは、知る人ぞ知る、業界では有名な「A」というブランドを作るメーカーなのだが、ぼくの商品が正にそれだ。
「おおそうですか、じゃあ今回はボロ儲けでしたね」
「そうなんですよ、ラッキーでした!」
 どうやら彼は、ぼくの出品している商品をずっと追いかけていたらしく、今回は何としても落札しようと心に決めていたらしいのだった。

 本日は童話教室の日だったけど、生徒さんの一人が困っている子どもたちの援助をボランティアで申し出て、ミニコミ誌に大きな顔写真と本名で電話番号が載ったのだが、これには驚いた。え〜度胸してるというか、本名と自宅の電話番号なんかを世間に知らしめるだけでも憚られるような時代にあって、美人なのに大丈夫なんだろうか。
「イタ電とかがいっぱいかかってきませんか?」
 冗談じゃなく本気で彼女に聞いてみた。
「顔写真が載ったからかしら? 全然かかってこないの」
 無邪気に答えたお嬢さん育ちの彼女には理解できないかも知れないが、世間には色んなマニアがいる。ヤクルトおばさんにときめく高校生、生保レディをこよなく愛するおっさん等等、年齢や容姿に関係なく、世の中の全てにフェチズムは存在するといって過言ではないのだ。

 ぼくの商品を落札して興奮した様子で電話をかけて来た人とは長い時間話した。距離的にはかなり離れていても、彼には会う機会がありそうに思えるし、会ったらきっと話が弾むと思う。以前バイオリンを落札して、直接出品者と会って取引した時、コーヒー一杯で2時間も話し込んだように、同好の士なので互いに係わり合ってみたくはある。望んだわけではないけど、色んな出会いってあるんだなと思う。

 ボランティアで援助を申し出た女性の電話番号は、ミニコミ誌には掲載できてもここには書けない。そもそも新聞とWEBでは、だれが見ているか分らないという点で同じであっても、ぼくのサイトがチープだからという意味だけでなく、同じ個人情報を掲載しても責任の有り様みたいな点で違いがあるからだろう。だからこっそり彼女にイタ電をかけてあげようかなと思っている。

 

2006年4月26日(WED)  油が切れて壊れる人間
 パソコンが生き返った。5年前に5万円で買ったグラフィックボードの熱暴走が原因だと分った。4個付いているファンの1つがグラフィックボードに乗っていて、そいつが油切れで止まってしまったらしい。スプレーオイルをモーターの軸あたりに吹き付けたらそれだけで直ってしまった。

 本当のことをいうとぼくのパソコンはもう既に何回も死んでいる。人間でいうなら脳や心臓といった臓器移植を繰り返した挙句、思考の部分はウィンドウズ98、Me、2000、XPと入れ替えてきた。いずれ人間でもそんなようなことが可能になる時代が来るのかも知れないが、死んだ人間が生き返ったからといって、記憶が違ったらそれはもう別人だろう。おまけにぼくのパソコンなんか性転換までしているのだ。

「うっぷんを晴らしたかったから殺した。相手はだれでも良かった」
 和歌山の高野町で起きた事件の容疑者の言葉は、警察の発表をそのまま伝えるしかないメディアのいうことだから、にわかには信用するわけにはいかないし、警察の発表もありがちな表現だから真相はまだ先にならないと判明しないだろう。
 それにしてもどうしてあんなお寺だらけの田舎町でってぼくでも思うけど、長くあちらで修行された菩提寺のご住職なんかはとても心を痛めておられる様子だ。それもそのはずで、被害者の写真屋さんとは旧知の間柄だし、犯人は後輩なのかもしれないからだ。

 最近この手の理解不能な殺人事件が起きるたびに思うが、「自殺したくて人を殺すなんて許せないからチャッチャと死刑にしてやれ」という意見に賛同したくなる人が増えても仕方ないけど、それは犯人にとって願ったり叶ったりだから駄目なのだ。
 だいいち死刑っていうのは直接ではないけど、法を執行する為政者を選出した我々自身が人を殺すのにつながるから抵抗がある。だからそうじゃなく、「あなたの臓器は苦しんでいる人の役に立ちます。それゆえあなたの命はそこかしこで永らえるのです」という刑を設ける時代が来たんじゃないだろうか。

 政治家や公務員の収賄罪は腎臓ひとつとか肝臓の部分移植。軽い罪なら骨髄バンクに毎年通わせるとかいったように、犯した罪は自分の体で償っていただくのだ。これって強制的にボランティア活動させるのと同じ精神なのだから、別に問題は無いんじゃないかと思うがどうなんだろう……。
 あ、だめだ! 生産活動もしないくせに、献血もしていないようなぼくが真っ先に罪に問われそうだ!

 

2006年4月25日(TUE)  いきなりのさよなら
 「ついに倒産しました!」
 知り合いの家に届いた新聞のチラシに、こんなどきりとするコピーがあったそうだが、その家具屋さんの前のコピーは「店じまいセール!」で、前の前は「棚卸セール!」で、また前の前の前は……。
 まるで出会い系メールの件名が「まり子で〜す(*^_^*)」から「至急確認してください」になって、「入金をお断りしますか」とエスカレートしていくのに良く似ている。

「ぼくのパソコンもついに逝きました!」
 先日から調子の悪かったデスクトップパソコンがついにご臨終を迎えてしまった。調子悪い悪いと狼少年みたいに連呼していたら罰が当ったのか、いきなり画面がブラックアウトして二度と電源が入らなくなった。もちろん叩いてもみたのだが何度やっても駄目だった。

 JR福知山線脱線事故の追悼が行なわれているのをテレビで観て、「もう一年経ったのか、早いなあ」と驚くし、女優の本田美奈子さんが亡くなったのもちょうど昨年の今頃と聞いて、記憶の彼方になっていたことにも愕然となった。
 どんなにショッキングな事故でも所詮ぼくは他人。記憶が風化していくのも仕方ないのだろうが、脱線事故の遺族や友だちの中には、「事故の犠牲者はまだきっとどこかで生きているんじゃないか」と思っている人も多いに違いない。

 さようならも言えずに目の前から去られたら誰だってすんなり現実が受け入れられる筈もない。だからぼくのパソコンのSOYOTIANも、「明日になったらきっと帰って来る」って思えて仕方ない。帰って来て〜!

 

2006年4月24日(MON)  中国沈没、か!
  冗談やないぞう、この黄砂はあ! 焼き豚を腹一杯食ってメチャ油ギッシュな顔の上に黄砂が積もったら、まるでファンデーションでも塗りたくったみたいな重さを感じる。女性は毎日こんなこと良くやってられるもんだと感心する一方で、北京の女性はファンデーションの上にまだ黄砂が降りかかるんだから、歌舞伎役者より大変かもしれない。皮膚呼吸は大丈夫なんだろうか。

 黄砂って天花粉みたいに細かいから中国から日本にまで届くのだと思っていたら、黄砂にまぎれて昆虫の卵も飛んでくるのだそうだ。この歳になって初めて知ったのだけど、それだったらかつての日本以上に深刻だと聞く、中国の大気汚染も日本に降り注いでいるわけだ。
 やってられるか! ガス田を掘り下げて他所の国の海底にまで影響を与えるだけでは気が済まんのかあ?

 中国のネットカフェで「法輪光」を検索したら激しくアラームが鳴り響き、瞬く間に警察がやって来てその人は逮捕されたという。本当の話かどうか分らないけど、あの国ならあり得ない事でもないかなと思う。中国国内で何が起きているのか、中国人にさえ知らされないのだから、日本人に真実が分るはずもない。いやそれだけでなく、国内で何が起きているのか中国政府ですら本当のところは分かっていないんじゃないだろうか。分っていたら経済成長の代償を未だに払い続け、この先もアイフルから取り立てられ続けられるような、自然から借金した日本と同じ轍を踏むような馬鹿げたことをする筈がない。

 黄砂にムカついたから「中国の未来は暗い」なんて言う気はないけど、ホントにこのままでは先が危ぶまれる。日本もアメリカも、製造業やソフト開発をインドにシフトしているというから経済面では言わずもがなだが、中国は病人だらけになるんじゃないかぁ? いやそうなったら日本人だって一蓮托生で病気になるだろうし、法輪光の台頭も未知数ときたら、領土や靖国詣でがどうのこうのと言ってる場合じゃ無いってぇ!

 

2006年4月23日(SUN)  空気を、もっと空気を!
  サイン会に出かけて、もしも客がただの一人もおらず首領様がぽつねんと手持ち無沙汰にしておられるような姿は見るに耐えないなと思っていたけど、杞憂に終わって良かった。行列ができるほどではなかったけど、山積にされていた著書のカサもずいぶん低くなった。
 
 弟子たちも集まったことだし、首領様のお友達も大勢みえられたので、乗馬クラブでお馬さんたちを見ながらお茶なんぞ頂いて親交を深めたのだけど、なんともまあ皆さんサインする首領様紳士淑女であること。ボランティアとか無償で社会貢献に精を出されているような方がたばかりで、なんでぼくがこんなところに顔を出しているのか不思議で仕方ない。
 もしもぼくの飲み友達を召集したら、いや、集まること自体可能生は低いが、集まった時点で喧嘩が始まっているに違いないのだから、類は友を呼ぶというのか、友達からその人物のひととなりを推し量れるものなんだな。

  それで思い出すのは、友だちが間違い電話をかけてしまったときのことだ。ぼくの家からぼくの電話でかけたのだが、電話に出た相手は全く知らない女の子だったのに、口のうまい彼はまんまとデートの約束を取り付けた。
「漫画の世界みたいなことがあるんやなぁ! オレも隠れて見ててええかぁ?」
 獲物を仕留めた狩人のように勝ち誇る彼がよもや断るはずもない。鼠を捕まえた猫が飼い主に見せびらかすようなものだ。

 彼女から指定してきた高級ホテルの喫茶店でぼくたちは待っていた。軽薄なヤリマン女が来るに違いないとぼくは思っていたのに、現れた女性は清楚で知的な美人だった。嫉妬の余り、隠れていたぼくは席を立った。
「くっそう! オレの電話であんなえ〜女ナンパしやがってぇ。今頃はホテルの一室であんなことやこんなことやってるなんて許せん。あいつだけは絶対に許さんからな」
 背が高くてハンサムなやつを羨んでみても仕方ない。口がうまくなるように努力すればそれなりの成果はあるのだろうが、それをやらなくてやっかむ方が間違っている。

「え〜女やったなぁ、どやったぁ?」 
 翌朝彼に会って真っ先に尋ねると意外な答えが返ってきた。
「それがなぁ、彼女あんまり頭が良すぎて話が全然かみ合わんかってんやん」
「おまえの口でも話し合わされへんかったんかぁ?」
「その前に、為替相場が何たらとか言われて緊張してもうたわ!」
 人は背伸びをしなければ成長しない。しかしだからといって自分の範を超えて背伸びをすると、空気が薄くなって息苦しくなるもののようだ。 

 

2006年4月22日(SAT)  領土問題一挙解決
  中国産のキムチから寄生虫の卵が見つかって以来、ぼくもキムチは国内産を買うようにしているのだが、これが結構難しい。というのは、「国内産白菜使用」と表示されたキムチが売られているけど、日本国内で作られたものであるという意味ではないようだし、どこの国内で採れた白菜かもはっきりしないからだ。はっきりと、「日本国内で国産の白菜を使って作りました」と書いてあれば、韓国ブランドの信用に背を向けてでもそちらを買うって。

  ある百貨店の食品売り場を歩いていたら、チョゴリを着た美人店員さんに「キムチの試食をしていけ」と声をかけられた。頂いたら美味しかったので100グラムだけ注文した。したつもりだったが、出てきたら1キログラムだった。
 美人店員さんを前にして、「100グラムしか要らんねん!」と文句が言えるようなぼくではない。そりゃ確かにキムチ100グラムなんてチマチマした売り方やってられんのは分るが、独り身には1キログラムの消費は厳しいんだよ。

 あの美人店員さん、日本語が上手だったけど日本人ではないと思う。顔ではなくて立ち居振る舞いみたいな部分で少しそれを感じる。しかしそうは言ってもチョゴリを着てなくて、へそを出したりパンツを出したりしていたら大和撫子と見分けがつかない。パレスチナ人とイスラエル人の違いを、髭と装束の違いでしかぼくらには判断できないのと同じなのだ。厳密には違うのだろうが、所詮は隣同士の国なんだから顔立ちが似ているのも当たり前だ。

 パレスチナとイスラエルの関係を見ても分るように、二千年の長きにわたっても領土問題は解決しないのだから、竹島問題なんてすぐに解決するはずも無い。「欲しけりゃやるよ」と言えれば話は簡単だが、どちらの国内でもそんなこと言ったら自分の身が危なくなる。
 でもちょっと待てよ、南極に一番最初に旗を立てた国が領土を主張しているだろうか。アメリカですら、「月? あそこはうちの領土やで」なんて主張していないではないか。

 ぼくの生まれた小さな島には二つの町があって、互いに反目し合うシーンも過去にはあった。でも今はもう今治市の一部となってしまったから、そんな意識は地元の年寄りからすら失われつつある。だから大きい目で見たら、もちろん太陽系規模でみるまでもなく、地球規模でみたって竹島問題なんて存在しないに等しい。文化の違いから生じる、偏狭で矮小な利害意識が領土問題を複雑に見せているだけのことなのだ。
 キムチがどこの国の伝統食品なのかが分りづらくなったように、文化の融合がもっともっと進めば領土問題も解決するかも知れない。それでも解決しないのなら、竹島は南極扱いするしかなかろう。

 

2006年4月21日(FRI)  自分で焼く地鶏屋
 ビール1本に初めて酒を一合飲み干したところで帰ろうと思っていたのに、待ち人が来ないので仕方なくワインを1本注文した。そもそもなんで自動車保険の支払いをするのに飲み屋で待ち合わせしとるんだろう。それだけでも良く考えたら変な感じだが、このままだと保険屋さんは酒気帯び運転して帰るんじゃないだろうか。そこんとこがどう考えても理解できない。

 ワインが1本空きそうになってようやく保険屋さんがやって来た。領収証をちゃちゃっと書いてビール1本だけを飲んでで帰ったということは、やはり車に乗ってきたのか! 飲酒で捕まっても警官に食ってかかるような剛の保険屋さんだが、さすがにお年をめしたせいか、単に罰金が高くなったせいか、昔のように無茶はしなくなった。それは良いことだが、「安全運転」という意識に根ざしてのことでは無いように思えるところに、「本当にこの人で良いんだろうか」と、一抹の不安が付きまとう。

 空きっ腹に酒を速いペースで飲んだものだから結構酔いが回ってきたかなと思う頃、運の悪いことに次々と危険人物が入ってきた。連中はこの店で飲みたいというより、他所で飲んで来た上に、まだマスターや客を引っ張りまわして他で飲もうとする。下手をすると先週の二の舞になりかねないのだが、近所に新しい店がオープンしたと聞いては覗かないわけにはいかない。

 で、行って見たら夏木洋介みたいなマスターとふくよかな若い女性店主がいて、閉店時間を過ぎているというのに料理を出してくれた。といっても自分で焼く焼き鳥だからどうってことないんだけど、気持ちが嬉しい。先日店じまいした、酒も飲まないマスターが几帳面に閉店時間を守る握る寿司屋とはえらい違いだ。滅多に行かないと思うけど頑張ってね。

 

2006年4月20日(THU)  インターネット電話を始めようと思ったら
 ぼくのデスクトップパソコンには重要なデータなんてひとつも無い! パソコンをつぶしてウィンドウズを入れ直して初めて分ったが、どうもそれが真実らしい。結局ノートパソコンばっかり使っているから、金目のデータは何一つとして溜め込んでないし、写真なんかも重複していていて、オマケにCDに書き込んでいるから、失ったところで痛い目に遭うことも無い。それに、どのみちたいした写真も撮ってないんだし。
 ウィンドウズは上書きしたからデータは戻ってくるけど、ソフトは使えないだけでなく、「昨日までは資産だったかも知れないけど、今日から売ってはいけません」と、まるでPSE法の適用を受けた中古の家電製品みたいにゴミ同然だ。新しいソフトをインストールする前にゴミ出しからしないといけないなら、クリーンにインストールした方が良かったかも知れない。

 新しくインストールするソフトをNETから無料でダウンロードしているので、ぼちぼち使えるパソコンになってきたけど、せっせと百個くらいゴミ掃除をしてみて気がついたのは、常時使っていたソフトはそのうちの一割にも満たなかったのではないだろうかということ。くだらんソフトをよくもまあどっさり溜め込んでいたものだと思う。
 しかしそれにしても何度も同じソフトを、使いもしないのにダウンロードしていて、今回もまたダウンロードしたということは、たぶんそのソフトのキーワードが、よっぽどぼくの心の琴線に触れるのだろう。例えば、「世界中の人と無料で通話が、しかも五人まで同時に使える無料電話ソフト」といったものだ。

 常日頃から恥ずかしい話しをワールドワイドに垂れ流しているぼくとしては、いまさら個人データが流出したところで町を歩けなくなることもないから白状するけど、若い頃東京に彼女がいたことがある。
 東京と大阪といえば距離にしておよそ550km。時速100kmで空を翔けても5時間半かかり、実際に車で駆けたらその倍以上かかるから、彼女に会いたくなってもなかなか実行には移せない。いきおい電話で微妙な会話を延々とすることになるのだが、月に10万円もの通話料金の請求が来て蒼くなった。
「そんなことするくらいなら、その金を貯めておいて、月に一度でも会いに行けば良かろうに」
 良識ある大人からそんなアドバイスを頂いてはいたけど、若気の至り〜人に聞く耳なんぞあろう筈も無い。生活苦に陥って初めて愚行に気がつくのだ。

 親に挨拶をしなくても彼女と携帯で話ができるなら、「きみは誰だね? こんな夜中に電話を……何ぃ、娘に代われだとぉ、ふざけるな!」なんてことには決してならないんだから今の若いやつは恵まれている。
 それが若者にとって本当に良い事なのかどうかぼくには分らない。いやたぶん、ワン切りで連絡してもらって、公衆電話からかけなおしていた時代を思えば、浮気だってスリルも無くなるのだから、その喜びも半減するに違いない。だから今の若いやつは確かに物質的、物理的には恵まれていても、精神的な満足度は低いのではないか? などと己がしょっぱい時代を振り返ってやっかみつつ、インターネット電話のソフト「Skype」の説明を読んだ。
「ふむふむ、あとはヘッドセットさえあれば本当にただで電話ができるんだ、こりゃすぐにでも買いに走らないと損だぞ」
 善は急げと立ち上がったが、でもいったいどこの誰と会話すればいいのかが思い浮かばなかった。これはこれでかなりしょっぱい!

 

2006年4月19日(WED)  セロテープダイエットぉ?
 “セロテープダイエット”なる不思議なダイエット法を、タバコをやめて坂東英二みたいになってしまったご主人と一緒に実践しているらしいうさこさんが、いったいどれだけお太りになったのかといえば、ウエストで1cm、体重にして1kg程度らしい。
 ダイエットなんか必要の無い女性に限って、「太っちゃって大変なのよ、今日からダイエットしなきゃ!」なんて無邪気に口走るもののようだが、樽ごと計量してあげないと、体重計には絶対に自分から乗れないぼくの飲み友達の奈美さんに言わせば、「1cmや1kgというのは誤差の範囲内」ということになるらしい。

 うさこさんんも奈美さんもなかなかのグルメらしいから、それをやめればあっという間に体重もサイズも元に戻るだろうし、樽の力を借りなくとも体重計に乗れるようになるのにと思うのは、ぼくのように粗食に耐えられる貧乏症の考えることなのだ。
 ぼくの場合は粗食、粗酒に耐えられても、その量において、殊にアルコールの量に妥協ができないので太っている。アルコールというのはエンプティーカロリーであるとする説もあって、確かにそれだけでは太りにくいと感じるけど、アルコールこそストレートなカロリーなので、ビールばかり飲んだくれていても人は活動できる。なのにまだその上に焼肉なんぞをこの歳になって食っていたら、そりゃ太りもするワイ。

 そういうわけでスポーツジムなんぞに通って汗を流しているのだけど、アルコール摂取との均衡を保つ程度の運動量しかやっていないので、せめてこれ以上は太りませんようにと、小康状態を維持し続けているに過ぎない。
 そんな体たらくのところへ持ってきて、「酒泥棒に行かないか」と誘う御仁があったりするものだから人生はままならない。しかし誘いが無かったら無かったで寂しいので、たまに何かのイベントがあったらこちらから誘ってみたりする。
 そこで今回は、「童話作家みたいなモンを見たことが無いやろから見に行くかい?」と、掲示板にかいた首領様のサイン会にでも誘ってみようと思うが、静謐なところが苦手だろうから、あんな真面目な催しに連れて行って、もし体の不調を訴えられでもしたら困るなあ!

 

2006年4月18日(TUE)  オルタナティブなメディア
 ホームページの「MAIL」のところでへまをやらかしていて、出会い系のメールだけでなくウィルスまで送りつけられるようになったので、泣く泣くメールアドレスを変えた。
 もしも今問題になっているウィルス「山田オルタナティブ」なんかに感染しようものなら、パソコンの中身が全部丸見えになってしまうらしいから、銀行預金の残高が少ないのもばれてしまうわけで、これ以上恥ずかしいことはないだろう。

 それにしてもこれだけパソコンやインターネットが普及しているというのに、テレビのニュースでウィルス被害が報道される遅さはどうだ。winnyで情報がジャジャ漏れになり始めたのは1年も前のことだし、史上最悪のウィルスといわれる「山田オルタナティブ」が雑誌で取り上げられたのは1月ほど前だったと思うし、すでに「山田チェッカー」という対策ソフトまでリリースされているというのに、NHKテレビのニュースを聞いたのは今日が初めてだ。しかも対策の解説もしないのだからなんだか無責任な気がする。

 ところで、「山田オルタナティブ」というへんな名前だけど、もちろんウィルス製作者がつけたわけではなく、どこかの掲示板に、「友人の山田くんからもらった『フタコイ・オルタナティブ』というゲームから感染した」というので命名されたらしい。でそのフタコイ何たらを調べたら、どうやら双子の美少女をとっかえひっかえ……っていうか、マナカナみたいにそっくりな女の子に翻弄される物語らしく、テレビで放映されているんだそうな。そんなに面白い番組ならせっかくだから観てみたいが、どこでやっているのか分らないので諦めた。

 テレビもいざっていう時にはあんまり役に立たんもんだと思う。ニュースは遅いし掘り下げないし、低俗なお笑い番組かグルメ番組ばっかり。もういい加減にしたらどうだと思いながら、やっぱりテレビを観ているけど、去年あたりからNHKでぼちぼちやっている、「サラリーマンNEO」は面白い。昔の「ゲバゲバ90分」が登場したときのような新鮮さがある。なんといってもNHK自身をパロッたコントをやっていたり、現実と非現実の狭間を往来している、ありそうで無い、無さそうでありそうな感じが素敵だ。あれを観た後に本当のニュースを観ても、本当に思えないところが良い! この点ではNETを凌駕しているかもしれない。

 

2006年4月17日(MON)  無尽くんの借金愚を責めるな!
  そりゃ間違いなく借りた方も悪いって。だけど、どうしようもない時ってあると思う。この前書いた飲み屋のマスターみたいに、「掘り出しもんの安い車が有るけど、どや? 2、3日うちに売ってまうから、それまでに金の都合が出来たら連絡してよ」なんて言われたら、とりあえず品物は押さえておいてもらうでしょ。
 残念だが12万円の手持ちは無い。でも車は欲しい。しかしマスターの持ち物で高価なものといえば仏壇くらいなもんだから質屋にも行けない。そうなるとアイフルに走るより手が無いだろう。ぼくが貸してあげても良いのだけど、いつ店を開けるか分らないんだから無理ってもんだ。

 かつて一度だけぼくも借金グをしようと試みたことがある。あれは確か10年ほど前の今頃のこと。ゴールデンウィークの真っ最中だというのに、銀行から金をおろすのを忘れて慌てた。借金をするのは恥ずかしい。でも背に腹は代えられない。対面だと絶対にできないけど、相手が端末機ならどうってことも無かろうと、「無人くん」だか「お自動さん」だかの門をくぐった。

 野中の一軒家ではないにしても、繁華街ではないところにその店はあって、車が停めやすそうだという理由だけでぼくはそこを選んだ。
 店内には既に先客があるらしいが、仕切りがちゃんとしていて顔は分らない。銀行のATMみたいにタッチパネルになっていたと思うけど、機械に指示されるまま手書きの書類を作成してカードをもらったのに、どうしてだか10万円の金が出てこない。なら5万円ではどうだろうかと、あれこれ操作してみたがどうやっても駄目。万策尽きて天を仰いだらそこにカメラがあった。
「なあ、なんで出てこないの? 」
 ぼくはカメラに向って話しかけた。
「あ、お客様、お金を出せるのはゴールデンウィークが明けてからなんです」
 返事はすぐに女性の声で返って来た。
「それじゃアカンがな。で、せっかく作ったこのカードと書類はどうしたらいいの?」
「そこにシュレッダーがありますのでご自身の手で処分してください」
 こうしてぼくの借金グは未遂に終わった。

 今なら休日でも金はおろせるし、高速道路でもクレジットカードで支払えるが、当時のぼくはカードでさえ持つのに抵抗があった。ところが今はどうだ、カードを切りまくるにとどまらず、実体があるのかどうか良く分らない「ネットバンク」みたいなところに口座を作ったりしている。本当にぼくの口座に金があるのかどうか知らないけど、それで物が買えるし、売ってみたらそういった口座に金が振り込まれてくる。
 便利な世の中になったもんだと思うが、ひょっとしたら景気が回復しているように見えて、単に消費がやり易い世の中になっただけなのではないだろうか。消費はし易い、金は借りやすいというのなら、安易なキャッシングから自己破産してしまう人だけを責められようか。
  
 無人のサラ金を出て、ぼくはしばらく車の中で途方にくれていた。そしたら無人であるはずの店舗の裏口から、制服を着た女の子がキャッキャとはしゃぎながら二人出てきた。どうやら「お自動ちゃん」たちもお昼時なのだろうが、ひょっとしてぼくを笑い者にしていたのかも知れなかった。
 その年のゴールデンウィークは、お隣の友達に頭を下げて何とかしのぎ切ったが、とても屈辱的なものだった。

 アイフルの被害報告をうけて法律を改正しようという動きがあるのはいい。しかしそれだけでは何の解決にもならない。もしアイフルが♪あいふる〜廃業したら残党が全国に散らばって、闇金が雨後の筍みたいに増えて、被害はますます増えるだけだろう。
 だから庶民がみだりに借金をする気ならないようにするために、「無尽くん」の実態に見合ったヤクザ顔のおっさんを店舗の受付に配置するよう、法律を改正すべきなのだ。
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2006年4月16日(SUN)  北の鉄くじら
 高速船がくじらと衝突したっていうもんだから、被害者よりくじらの方を可哀想だなと思っていたけど、くじらの死体が上がらないのはどうも変だ。それに良く考えたら、車にはねられるのは犬よりも猫のほうが圧倒的に多いわけだから、犬よりもかしこいといわれる鯨があんなに広い海原で、よりによって滅多に走らない高速船と出会い頭に衝突するなんて、何十年に一回のことじゃないんだろうか。設計も運行もそのつもりで就航させているんだから、今回の事故はどう考えても腑に落ちない。

 おかしなことはまだある。イルカやくじらが岸に打ち上げられるのは、一年に二百件もあるということだ。いろんな説があるけど、ぼくが子どもの頃だったらそんな話は天誅殺かグランドクロスと同じくらい稀有なことだった。
 大方の日本人は海の中で何かが起こっていると感じている。海上保安庁も防衛庁も何か隠しているんじゃないかと思う理由は、竹島とか尖閣諸島とか北方領土みたいに問題を抱えている海域でそういった事故が多いような気がするからだ。

 UFOだのキャトルミューティレーションだのと同じで、くじらやイルカのこともメディアにとっては視聴率の稼げる話題だと思うのに、民放はどうしてもっと調査して報告しないのだろうか。NHKもそうだ。変わる変わるというけど、お笑い芸人を多用した番組を増やすのがその一端であるというなら、それは変わったというより国営放送としての責任を放棄したに過ぎないと思う。報道のありようは何も変わっていないではないか、もっとマシなことやれ。今回の事故やイルカの問題が、外国の手によって解明される前に、日本人の手で解決してもらいたい。

 

2006年4月15日(SAT)  パソコン万事塞翁が馬かも
 デスクトップパソコンが不調なのは気が付いていて、次回立ち上げた時にメンテナンスしてやるかと思っていたら、次回というものが無かった。パソコンといってもハードの方ではなくWindows の方に問題があって、それをメンテナンスするのは大した手間でもなかったのにホントに阿保や! でもまだ回復コンソールを使う手があるぞと思ったけど、自分で設定したはずのパスワードが分らなかった。

 次なるは修復インストールだが、これも何回やっても同じエラーが出る。残されたのは上書きインストールだが、これをやったら1000を超えるソフトをもう一度インストールしなおさないといけない。もちろん1000ものソフトを手動でインストールした記憶は無いけど、とりあえず動かすだけでも数十個は入れる必要があるからほぼ一日がかりとなる。しかし他の手ではどうやっても立ち上がらないので、腹をくくって上書きすることにした。

 Windows のインストールそのものは一時間ほどで終わったが、プリンタードライバとか何とか、面倒くさいものはぼちぼちやっていくとして、データがちゃんと残っているかどうか確かめようとしたら、これにも不自由する。そこで、ちゃんとしたブラウザソフトをインストールしようとCDを探すのに見つからない。仕方ないから無料のソフトをダウンロードしてみたら、これが何とも優れもので、「こんなんホントに只で使わせてもろてええのん?」と画面に向って聞いてしまったほどだ。

 そんなこんなでウィルスソフトにも見切りをつけたら、世の中には無料のものがたくさん転がっていて、だいたいのことは只でカタがつきそうだ。いやホントに、ワードだってエクセルだって代わりになるものはあるし、5年前に数万円したものが今はもっと高機能で無料! いまさら昔のソフトなんて入れてられるかってーの。というわけで、たまにはWindows をこわしてみるのもいいかな。

 

2006年4月14日(FRI)  日本人だから日本酒の味がわからない
 徳島名産のスダチで味付けされた焼酎の“すだち酎”の名は、「徳島の味」として日本中にとどろいているが、当地では“鳴門鯛”のブランドで旨い日本酒が醸されているのを知っている人は少ないと思う。かく言うぼくも知らなかったのだが、それは高知県民ほどには徳島県民が日本酒を愛好していないから、という理由を疑う人もまた少なかろう。徳島で旨い日本酒の地酒を飲もうと目論むなら、よほど居酒屋を吟味しなければ外すことを受けあう。
 では徳島県民がみんなすだち酎を飲んでいるのかといえばさにあらず。ビールが主に好まれて消費されるのだそうだが、保守的で知られる徳島県民なら、このところの焼酎ブームにもワインブームにも浮気していないと期待している。だから徳島で日本酒を飲んでいる人を見かけたら、それはたぶん県外から来た人と思って……そんなことは無いか!
 
 鳴門鯛というお酒は美味しいのだが、地元にもかかわらず徳島県内で飲むのはむつかしい。その理由をいみじくも旅館のご主人が言った。
「都会から来られた方がたが宴会で飲みすぎた照れ隠しに、『田舎の酒は悪酔いをする』とおっしゃいますので、伏見や灘の酒をお出しするのです」
 都会者は日本酒の味を知らないとも聞こえたが、その対極をなすような言葉を、鳴門鯛の蔵元で聞いた。
「私どものお酒は、東京や大阪のデパートが主なお得意様です。徳島では日本酒の人気が低いのです」
 田舎者には日本酒の味が分らないと言っているように聞こえるかもしれないが、そうではなく、「日本人には日本酒の本当の味が分らないのだ」と両者は言っているようには聞こえないだろうか。鳴門鯛

 製造年月日2006年4月03日の生原酒。控えめな吟醸香は奥ゆかしいが、アル添しているので本当の樽生というわけではなさそうだ。酒税法で本当の樽生が販売できないのか、生原酒を販売しても儲からないからか、それとも飲みやすくしてくれているのだろうか。詳しいことは知らないけど、高島屋泉北店で720mlが千円ちょっとだったから十分かな。


 正直なところぼくも日本酒の味は良く分からない。清酒の等級制が廃止された時にはもう既にアルチユーだったし、銘酒の誉れ高い八海山や久保田を飲んだときも大して感動しなかった。越の寒梅に至っては、水っぽいなんて揶揄するつもりは無いけど、それぞれの価格と味に相関関係を見出せなかった。
 日本酒の味が分らない消費者がどうして生まれたのか、不味い日本酒がどうして醸され続けてきたのか、日本酒を好まない県民性は何ゆえか、などと原因究明して犯人探しをするつもりもない。すんなり口に入って気持ちよく酔える日本酒が飲みたいだけだ。ちなみに、すだち酎のキャッチコピーは、「努力しないで気持ちよく酔える」だったかな。

 

2006年4月13日(THU)  事情のそれぞれ
 童話教室に10分ほど遅刻した。デスクトップのパソコンが不調なのでノートで印刷しようとしが、うまくいかなくて遅れてしまったのだ。一台のパソコンがこけただけだからどうってことないといえばそうなんだが、三台がつながっているために、うっかりするとどのパソコンに何の役をさせていたのかが分らなくなって往生するのだ。

「一番近い人間が遅刻するとはけしからん!」
 教室のドアを開けたら、開口一番首領様の叱責をいただいた。
「あ、あの、パソコンの調子が悪くて……」
「この期に及んで弁解するとはもってのほか!」
 言い訳じゃなくて、さっきまで頑張って宿題を書いていたんですけど、と言いかけて教室のテーブルを見渡したけど、誰一人として宿題らしきものを提出している様子が無い。
(あれぇ、宿題だと思っていたけど、勘違いだったのかなぁ?)
 勘違いしていたかも、なんてもんじゃない。だってぼくは先週の木曜日に、講座の日でもないのにこの部屋に座って皆さんを待っていた。それで時間が来ても誰も来ないので、初めて一週間間違えていたことに気が付いたのだ。
 こんな体たらくだから、宿題なんて無かったのは明らかだ。せっかく言いつけ通りにしたのに叱られるなんて割に合わないが、これ以上ことを荒立てて講座を停滞させるわけにいかない。

 それにしても首領様のやつれようはどうだ。これはきっと、来る23日に催されるという、首領様のサイン会に向けて練習に余念が無いせいではなかろうか。それとも新聞連載に追われてお疲れなのだろうか。いずれにしてもさわらぬ神にたたりなしとのことわざもあることだし……。

 

2006年4月12日(WED)  トリオでひとつ
 あ〜難しい! モーツァルトがこんなに難しいなんて、ようやく分ったっていうか実感した。何が難しいってことも技術的には無いのかも知れないけど、音楽がシンプルなだけに、気が抜けないというかごまかしがきかないというか、下手なのがすぐにばれる。成る程! だからオーケストラ入団の試金石として弾かされるわけか。

 ようやくコンチェルトの第一楽章が何とかなったと思ったら、次回からは技術的に難しいカデンツァが待っているというのに、お師匠ちゃまはやっぱり予習もしてくださって無いときた。「次までに練習しておきますぅ」って、あんたが中学生の時に弾いた曲だろうがぁ!

 と、ごたごたやっていたら、お隣のピアノの先生が来られた。前回会ったときに、「うちのお師匠ちゃまのピアノを鍛えてやって下さいな」とお願いしておいたのを覚えていてくれたのだろうか、それともうちのお師匠ちゃまに興味を持ったのか、まあお互いに年頃の男女なんだから大いに親交を暖めてもらいたい。

 「いえいえ、そうじゃなくて、三人でアンサンブルやろうっておっしゃったじゃないですか。今なら時間が空いてますよ」とおっしゃる。
 おおそうか、そういえばそんな話もしたな。というわけでモーツァルトがいつ終わるか分らないけど、次はそんな曲をフルート持って行ってやってみるかな。

 

2006年4月11日(TUE)  玄人嗜好(飲まないヤクザは怖い)
 昨日のつづき
 忘年会とか花見とか、会社で飲み会があって皆が羽目を外しているとき、飲めない人が所在無げに佇んでいても可哀想だなんて思えないときがある。一滴も飲めない上司や人事部長といったお偉方を前にして飲むくらいなら、いっそのこと飲めないほうがどれ程安心できるだろうか。なんたって相手はしらふなんだから、「飲んだ上でのことだから大目に…」というのが一切通じないではないか。

 玄人さんと酒を飲むなら言葉の端々に気をつけないと、とんでもないことになりかねない。基本は、「貸しは作っても借りは作らない」だが、そうも言ってられない事態も発生して、玄人さんの運転する車で家まで送ってもらったりして翌日後悔したこともある。
 そういう背中にお絵かきした飲み仲間と久しぶりに会ったら、酒ではなくお茶を飲んでいるではないか。驚いて理由を訊ねたら、なにやら酒の上のことでで半殺しの目に遭わされたとかで、酒はやめたのだそうだ。
「マジでお茶飲んでるの?」
「本当はタバコもやめたかったけど無理やった」
「ふ〜ん、ぼくはタバコの方が簡単にやめられたけど、酒やめるのは難しいなぁ」
「オレは血糖値も高いし、とりあえず酒をやめなアカンねん」
「それで女の方は?」
「それやめるくらいやったら死んだ方がマシや! そのために生きてるんやから」
 なるほど、色んな生き様があるんだなと思う。山あり谷あり、太く短く生きるのが彼の理想なのだそうだ。

「それで、半殺しの目に遭わされた被害届けとかは警察に出したの?」
「そんなんしとるかい! 普通の人と違うてヤクザとして登録されとったら色々と面倒なことがあるんや!」
 話をしているうちにだんだんと彼が不機嫌になった。どうやら痛い目に遭ったことを思い出したのだろう。調子に乗って続けていると、ぼくも痛い目に遭わされかねない。
 飲んでいるヤクザより、飲まないヤクザと飲んでいる方がよっぽど緊張を強いられるものだと初めて知った。ぼくがヤクザとして登録されるか、彼が再び飲むようになる日が来るまで自粛した方が良さそうだ。

 

2006年4月10日(MON)  やくざとしての、ぼく
“ヤクザ”と聞いたって、ぼくには清水の次郎長さんとか、赤木の山で何とかって名台詞を吐いたらしい親分さんしか思い浮かばないのだけど、実生活の上では知らない間にそういう職業の方がたと付き合いができている。
 もし、そんな連中との付き合いがあるなんて、よっぽど危ないやつだろうと思っているなら大間違いで、飲み屋でしか会わない仲良しが、実は○○組の大親分だったなんてことは無いにしても、末端の構成員だったなんてことは珍しい話ではない。

 ヤクザという生業(なりわい)に就いている方がたが、任侠(にんきょう)を標榜していた時代の最後の時代に物心付いたぼくとしては、ヤクザ者の持っているだろう美意識のようなもの、美しくはないけど、そこはかとない男らしさとか、社会的でありながら決して皮相的でない、つまり表立って勲章をもらえることは無いけれども、やくざ者として奉仕する精神に憧れたものだが、外国人の暗躍する今の時代にあっては、暴力団として総括される以外に彼らの評価される土壌は醸されてはいないのかもしれない。

 あしたにつづけますぅ

 

2006年4月9日(SUN)  無料は撒き餌?
 掲示板に書いた若い女性ばかりが出演するコンサートは、お子様からお爺さんおばあさんたちで大盛況だった。誰でも入れる無料コンサートなので一杯になるのも当たり前なのだが、演奏の質が低いとかそういったわけではなく、いやむしろ美人ばっかりに見とれて演奏を聴いている場合でないくらい楽しかった。特にソプラノ三人娘とその衣装が可愛らしくて思わず頬が緩んだ。写真を撮ればよかったけど確か撮影禁止だったんじゃなかったかな。
 
 メル・プロジェさんというのは若い女の子ばかりで運営している団体らしく、若さゆえの緊張する場面があったりして、それがかえってアクセントにもなってして面白い。前回だったか、ピアノの大屋根が持ち上がらなくて助けに行こうかと思ったり、今日みたいに連弾の譜めくりが一瞬遅れてどうなることやらとハラハラしたりと、もしあれが演出だったらすごい。

 さて次回はいったいどんな美女が出演してくれるのやら、またどんなハプニングがあるやら今から楽しみだ。次回は4月30日に催されて1000円だけど、これも是非行こうと思う。今日の無料コンサートが次回に向けての撒き餌だったら、ぼくはしっかりと食いついて釣られた。 

 

2006年4月8日(SAT)  たいていの寿司通は偽者だ
 やっちまった〜、やってもた! 飲み歩くつもりもなかったし、そんなメンバーでもなかったのに寿司なんぞ食いに行ってしまった。寿司っていうのはメシであって肴ではないと思っているので、仮に寿司屋で飲もうと誘われて行っても、ぼくはだし巻きとかネタばかり食って肝心の寿司なんてほとんど注文しない失敬な客なのだ。
 それに吹き溜まりの酔客連中と寿司を食いに行って楽しい思いをしたことが無い。たいがい誰かが寿司通を気取って店ともめるのだ。

 そもそも精勤に吹き溜まり飲み屋を開店し続けているマスターがいけない。なんでも二週間前に車を買い換えたらしいのだが、その支払いに充当するわずか12万円が無かったのでサラ金に走ったらしい。その金は数日間店を開け続けてすぐに返済したらしいのだが、今度は自分が飲み歩く金に不自由し始めたので、店を開けて客から搾り取ろうというわけだ。
 12万円の車を手に入れたことより、その金が手持ちに無かったというのに驚いたが、二週間の長きに亘って店を開け続けているのにも驚いた。普通の人なら客に対する責任感に突き動かされて少々の体調不良をおしても店を開けるのだが、そんなものが一切無いマスターが店を開け続けたことに感動して、ぼくはこの一週間通ったが、そこで無理やり寿司屋に誘われたのだ。

 もうずいぶん前の朝日新聞の天声人語(だったと思う)に、「東京に通称“おこり寿司”と呼ばれる、客を叱り付けながら寿司を握る店が人気を博している。そこに若い者と一緒に入るなり、『ボケっと突っ立ってるんじゃねえ! さっさと座りやがれ、この○○○野郎!』と怒鳴られ、(この○○○は差別用語なのでぼくが伏せる)罵倒された若い者がやんわりと店主をたしなめると、店主は二の句が継げなくなった。今の若い者の方が差別意識から解放されているのではなかろうか」みたいな趣旨が書かれていたのを思い出す。
 怒られたり怒ったりと、今までぼくも寿司屋で色んな非道い目に会っているけど、寿司屋ってひょっとしたら危険な場所なんじゃないだろうか。

「あの寿司屋は旨いから是非一緒に行こう、絶対に後悔はさせないから」と誘われて行った魚市場内にある店はまだ開店していなくて、一時間も待てないほど腹ペコだった我々は仕方なく近所の店で食ったが、これがまた輪をかけていけなかった。
「サヨリ注文するんだったらウニを食う前にしないと、サヨリの繊細な風味がウニの濃厚な味に負けてしまうじゃないか」
「あれ? このウニ全然味がないやんけ!」
「冷凍は許しても、ちゃんと店を開ける前にシャコを解凍し切っておけよなあ!」
「それのどこがトロやねん、その前に乾いてるやんか」
「シャリに張りは無いし、これなら回転する寿司の方がよっぽど旨いぞ」
 始めた始めた! 寿司通を気取った馬鹿が知ったかぶりをして文句を並べ始めたが、始めたのは他でもないこのぼくだったのだ。で、酔いが醒めてあんまり恥ずかしいので、しばらくは飲みに出ないことにする。

 

2006年4月7日(FRI)  仙人の寝息(飲み屋でのバトル)
「1967年が街開きの年だから、泉北ニュータウンは来年の12月で満40歳を迎える。それなのにこの街には文化が育っておらんではないか!」と慨嘆する知人もいるが、そういう御仁に限って、「文化とは何ぞや?」と質すと、「おもろい飲み屋が有るか無いかである」みたいな、ピンポイントを極めた我田引水論を展開して不毛な議論が始まるのだ。
 議論といっても、所詮は場末の飲み屋というルール無用のリングで戦われる異種格闘技戦なのだから、ぼくのように軽薄な男を相手どって議論を吹っかけても不足だろうし、酒の肴にするための議論など、柔らかな春風のように“いなす”のが最善で、それはぼくのような若造の務めでもある。だが老練な年金格闘家もそこは心得たもので、相手を貶める単語を羅列して挑発し、何が何でもリングに引きずり上げようと試みる。そして生贄の足がリングに着いたと見るや否や、ファイティングのゴングが鳴らされるのである。

「この街に文化が育たなかったというなら、それは古くからこの街に居を構えているあなた方にも責任の一端がありはしませんか?」などと利いた風なアンチテーゼでもひけらかそうものなら、それこそ相手の思う壺で、敵の敷設した地雷を踏んだも同然だ。
「この街を開発したのは大阪府を親方日の丸とする、その名も大阪府都市開発鰍ネんだよ。そんなことも君は知らんのだろろうから教えてやるが、役人的発想でニュータウンと地元を分かつような規制を発動したのが、地元文化とニュータウン文化の融合を遅らせる主な原因なのだ」と、一本取られるのである。
 なるほど、敵は経験も豊富で年齢も一回りくらい上であるなら、未熟者のぼくなど本来なら一ひねりだろう。しかしそれでは面白くないとあってか、猫が鼠をいたぶるようにチクリチクリと弄んでいるのだ。しかし長期戦こそがぼくの深謀遠慮なのを、気の毒な彼はまだ気がついていない。
 
「君ぃ、ワシを誰だと思っとるのか! ワシはこの本の著者であるぞ!」
 戦いは敵が断然優勢のまま次のステージへとなだれ込んだ。恐らくまだ、「ワシの土俵でねじ伏せてくれるわ」と考えているのだろう、彼は一冊の単行本をぼくの前に示した。
 立派な装丁の本で、タイトルが「仙人の嘆きと喘ぎ」とあり、帯のサブタイトルが「世界の一員として日本社会の変革がなければ国と民族の悲劇が予想される」とある。著者は知らない人だが彼のペンネームであるらしい。内容は新聞等からの引用がほとんどで、なにやら難しいことを言っているようでいて、その実何も言って無いのではないかと思われる文章で埋め尽くされている。それに、主張と連関が不明な写真も何枚かあって、これは何か仙人の著書と訊ねた。
「あ、それは大蓮公園(泉北ニュータウン内にある)やな」
「えらいローカルですね。じゃあ、この女性は誰なんです?」
「ワシの女房やないか、知らんのか?」
「知りませんがなぁ。お、これはニューヨークですよね」
「女房と旅行した時に撮ったんや。女房の若い頃べっぴんやろ?」

 閑話休題(・・・・・・)
 普通に読んだら「かんわきゅうだい」で、意味は「話を本筋に戻すとき、または本題に入るときに用いる言葉。接続詞的に用いる。むだな話はさておいて。それはさておき。さて」なのだが、この本の中では(つれづれに)、(くつろいで)と読ませて無駄話を書いている。
 ぼくはこの括弧で囲われた部分を指で隠し、「さてここには何と書かれているでしょう? かんわきゅうだいなんて読まないで下さいよ、なんたってあなたは著者なんですから」と、いよいよぼくは本腰を入れて反撃を開始した。
「あ、分った! 『ぼちぼちしまひょ』か、『まったりでんな』とちがうか?」
 ややあって、国会質問で初めてメール問題を取り上げた頃の永田先生のような勢いのぼくに答えたのは、敵ではなく飲み屋のマスターだった。
「HALさん、○○さんグロッキーしてるで」
 マスターにいわれて見ると、敵はいつの間にか安らかな眠りについている。
「狸寝入りと違うか?」
「もうアカンって、これぐらいにしときぃや」
 敵がロープを飛び越えてリングアウトしたところでマスターはタオルを投げ入れ、凱歌はぼくに揚がった。
 こうして吹き溜まりのような飲み屋で兵站線が切れて力尽き、仙人はその一日をゆるやかに閉じるのであった。

 

2006年4月6日(THU)  脱いで弾くバイオリニスト
 昨日のつづき
 ぼくがWEBで検索する時使う検索エンジンはGoogleだが、これはMSNとかYahooなどより検索結果に満足できるので、Yahooをホームページに設定していながらツールバーをエクスプローラーにインストールして利用している。このツールバーにはオプションで“イメージ検索”という、写真とか絵とかいったものをWEB上から見つけてくれる便利な機能がある。
 こういう技術は以前からあって、WEB内に転がっている画像を根こそぎダウンロードしてくれるという優れもののフリーソフトもある。ずっと前ぼくはそのソフトにアダルトなキーワ−ドを入力して検索してみたことがあった。その結果は大変良好なものだったのだが、美しい画像と共にアクティブスクリプトというのか、好ましからざるものも一緒にくっ付いてきたらしく、何も知らないで嬉々としてクリックし、まるで美人局(つつもたせ)の被害に遭ったみたいにどえりゃー往生したことがある。

 苦労話も今は昔。最近のウィルス対策ソフトはそういった良からぬものはブロックしてくれるし、Googleさんのなさることなら間違いはなかろうと、初めてイメージ検索を使ってオダマキを調べてみた。するとどうだ、エクスプローラーは美しい花々で飾られ、長年の疑問が一気に氷解したのだ
 こりゃあ便利! “化膿姉妹”などと変換ミスをやらかしてグロテスクな画像が現れたことを除いたら、Googleさんの方でフィルターでもかけているのか、おおむね安全なようだ。

 それならば、バイオリンのお師匠ちゃまの実名で検索したら何が出てくるかと試したら、出てくるじゃないか。なんともセクシーな画像ばかりのオンパレードで、お師匠ちゃま、ついに脱ぎましたか! と驚いた。
 まあ、手段はどうあれ有名になった者の勝ちだから、脱いで弾けるバイオリニストを目指すのも有りかなとは思うが、バイオリンを持つ姿が一枚も無いのはどうしたことか。それに女性は化粧術で変わるとはいえ、実物のお師匠ちゃまよりもずっと美人に見えるのも変だ。

 バイオリンのレッスンが始まる前に、「お師匠ちゃま、どこかで脱いでおられるのでは?」と水を向けたら、「失礼な! そんなことする筈がないでしょう」と憤慨されて、40分のレッスンが30分もつぶれてしまった。
 この上、「でも一枚くらい紛れ込んどりゃせんですか?」などと聞いて錯乱されても困るので、その場は大人しく引き下がったがホントに迂闊だった。どうやらお師匠ちゃまは同姓同名の女性が脱いでいることを先刻ご承知で、日頃から苦々しく思っていたらしい。聞いてみるまでもなかったのに、後悔先に立たずだ。

 帰ってからもう一度検索しなおしてみたら、やっぱり別人でお師匠ちゃまではなかった。ならば、童話教室の首領様の名前でイメージ検索したらどうなるのかと、またもや下衆な実験をしたくなって、それっ、検索エンジンよ、行って来い! とやったら、まかり出る出る。膨大な画像で溢れたが、残念ながらセクシーショットは一枚も見つからない。
 これでは少々物足りない気がするので、先ごろ脱いだらしい叶姉妹の写真でも入手して、顔だけすげ替えたアイコラをWEBに垂れ流しておいたら、もしかして首領様が喜んでくれるかなと一瞬は考えたけど、下手すると破門どころか名誉毀損で告訴されたり、出版社から損害賠償を請求されかねないので断念したのだった。

 

2006年4月5日(WED)  ジョージ・マッケンジーのホームラン
 日本のプロ野球を観なくなって久しいので、城島健司選手が日本のどこの球団からマリナーズに移籍したのか知らない。そんな有様なので、彼をイチローとの抱き合わせくらいにしか考えずにテレビを観ていたけど、アナウンサーがやたらと彼の名前を連呼する。しかしそれを聞いてもまだ、“ジョージ・マッケンジー”って誰のこと? なんて思ったりしたのだ。

 ぼくのこの手の聞き間違いはかなりヒドイものがあって、その昔、オートバイレーサーの“ニール・マッケンジー”のことを、歌手の“新沼謙治”がバイクレーサーに転向したと勘違いしていたとか、アルプスを登山する“アルピニスト”のことを“歩きニスト”と呼ぶのだと思っていた。
 そして文章を読んでも似たようなエラーをしでかして人に笑われる。一々思い出せないけど、文中に「鯛のかしら」とあったら、「誰のかしら? もとい、鯛のかしら? あれ? だれのかしら?」と声に出して読んだりする。言うまでも無いけどこれは「鯛の頭」のことだ。

 さらに開き直って言うけど、「兎追いし」を「兎美味しい」と聴き取るのは常識だし、阪神タイガースの応援歌、“六甲颪”の歌詞をどう解釈していたかなんて、あまりに恥ずかしくて人様には絶対に言えない。
 しかしそれも人に笑われる以外は特に日常生活で不便も感じないし、他人から迷惑を被ったと言われたことも無い。それにあの向田邦子さんだって、名曲“荒城の月”の一節、「巡る盃」を「眠る盃」と思い込んでいたというではないか。
  
 そんなこんなで、ジョージ・マッケンジーが城島健司だと分って密かに顔を赤らめながら、昔々“オダマキ”を”織田真紀”という女性だと思い込み、「あ〜、確かに彼女は綺麗だね」と、噛みあわない会話をしたアホな自分を慈しんでみる。
 しかし和んでいる場合ではない。こういったことをやらかすのは、日本人としてのベースが脆弱、つまり物を知らなさ過ぎだったり、センサーが人様とは別方向を向いているからではなかろうかと急に不安に駆られ、“オダマキ”が何だったかを知るべく、ネットで検索してみた。

 つづく

 

2006年4月4日(TUE)  春は温故知新の季節
 自動車保険に始まって、JAF(日本自動車連盟)の会員継続とか自動車税やら何やらで、春はどっさり請求書を頂くし、他にもラジコン保険とかスポーツジムの会費とか、すっかり忘れているところから継続のお知らせが来て驚いたりもする。
 いつだったか携帯の着メロをダウンロードして、そのまま一年間も毎月100円を払い続けたこともあったから、クレジットカードの年会費みたいに自動継続になっていて忘れているものもあるんだろうな。

 カードで思い出したけど、VISAカードの更新が済んだらしく、「洋服の○山」さんから3150円分のお買い物券が届いた。これはつまり、「当店でつくったクレジットカードの会費をあんたが払う代わりに、お買い物券をサービスしてやるから店に足を運べ」と、洋服の○山さんはおっしゃっているんだけど、ぼくの場合は本当に足を運ぶだけで、この数年洋服の○山さんでは現金で服を買ったことが無く、ポイントとお買い物券だけを消費し続けている。

 しかしなあ、お買い物券とサービス券とや、キティちゃんマグカップのプレゼント券をもらったからといって、あの店で買い物をして満足した思い出が無いんだよな。始末に弱るからといって場末の飲み屋に行って、「だれか8割引くらいで買ってくれへん?」などとお願いしても始まらんのは分っている。そこでネットオークションで調べたら、結構○山さんのお買い物券が出品されていて、実際に8割くらいで落札されていたりするじゃないか。
 世の中には色んな商売があるんだなと感心するが、こんなチマチマしたことやってもめんどくさいだろうにと思うのは間違いのようで、昔は良くもらった吉本興行の株主優待券とか、新聞屋さんがばら撒く巨人戦のチケットとか、机の引き出しで眠りにつきそうな金目のものを売りまくったらそこそこになりそうだ。

 とまあそんな流れでオークションを見ていたら、店じまいした酒店で売れ残っていたとみられるウィスキーが沢山出品されてる。これはうれしい! というのも、ぼくは昔のウィスキーの方が美味しいんじゃなかろうかと思っているからだ。
 誤解の無いようにあえて言うけど、古いウィスキーの方が美味しいと思っているんじゃなく、昔の人が高級スコッチに近づこうと情熱を注いで作り上げたものの方が、経営が傾いたスコッチの名門を買収して、日本人向けに訳の分らない味付けしたものより美味しいに決まっている。と思っているのだが、自信がないから一度落札してみるか……。

 

2006年4月3日(MON)  NHKの新番組にもの申す
 新年度が始まって、このところ再放送ばかりやっていたテレビも、ようやく新番組を放送してくれるようになった。去年は不祥事続きで視聴者にそっぽを向かれたNHKも、今年からは視聴率アップを目指して、本当に良い番組と一般受けする番組を勘違いしたような、庶民に媚びた番組を放送してくれるのだろうか。

 まあそれもいいでしょうっていうか、庶民が望んでいるのならそれを無視することは出来ないのだから視聴者に大いに媚びたら良いと思う。でも所詮エンターテインメントでは民放各局に真っ向勝負しても太刀打ちできるとは思えない。しかしそんなこと言っていたら改革も何も始まらないのだから、出来るところからやっていけば良い。

 NHKの朝ドラ「風のハルカ」の視聴率は放送終了時点で17%程度だったという。それが高いのか低いのかぼくには分らないけど、NHKの朝ドラが20パーセントを切った時からニュースになって、今はそれが普通らしい。
 NHKはドラマ作りが下手になったからか、他局が面白い番組をやっているからか、それとも視聴者の朝ドラ離れが進んでいるのか知らないが、そんな状況の中で始まったのが「純情きらり」で、昭和初期の岡崎市を舞台にピアノニストを目指す少女の物語らしい。

 ずっと昔のNHKの朝ドラで、確か「ピアノ」というのがあったように思うけど、あれはどんな話だったのだろう。あれがピアニストの物語だったかどうか定かではないけど、今度のはピアニストを目指す話らしく、これは案外タイムリーなテーマを持ってきたかもしれない。というのも、どうやら世の中はピアノブームらしいのだ。
 書店でピアノ関係の雑誌を探したら、「ショパン」、「ムジカノーバ」、「レッスンの友」、「月間ピアノ」、「その他」と、かなりの数の月刊誌を見つけることが出来るだろう。恐らくこれらの現象は、退職を期にピアノを習おうと考えている団塊の世代を意識してのことではなかろうか。

 団塊の世代を当て込んで色んな商売が企画されているらしいから、当然テレビ番組もそうなって不思議ではない。それは良いけどぼくがNHKさんに一つだけお願いしたいのは、似たようなものが他に無いコカコーラの瓶にテープを張って使ったり、南こうせつさんの歌、「神田川」の「二十四色のクレパス買って」を「二十四色のクレヨン買って」と言い換えたり、山口百恵さんの「プレイバックパート2」に出てくる「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」と言い換えさせるような愚を、金輪際犯さないでほしいということだ。

 

2006年4月2日(SUN)  使用済み下着はリサイクルの優等生
 100均で買ったアルカリ乾電池を充電してみたら、かなり回復することが分った。もちろん普通の充電器ではなくラジコン用の高性能なものを使ったのだけど、ニッケル水素電池用充電器でも、時計とかリモコンの電池に使えるくらいまでは回復するみたいだ。
 省資源とかリサイクルの重要性が叫ばれる中、こんな小さなことからチマチマと実践してみたりするが、何をするかではなく何を考えるかが大切であるとぼくは認識している。

 リサイクルするのは常に喜ばしいことでありそうに思うけど、本当にそうなんだろうか。例えば牛乳パックに使われている良質のパルプを回収するのに、パックをすすいだ水を流すのは環境の汚染につながりはしないのだろうか。もちろん燃やせば炭酸ガスを排出するから、元の資源に戻せるならエネルギーを消費してもそちらを選択すべきなのだろうが、ペットボトルなんかを土中で分解できるなら、それに越したことは無いのだろう。

 昨年の原油価格高等を受けて、アメリカでは2010年までに原発の建設が再開されるのだそうだ。詳しいことは知らないけど、今まで外国に委託してきた使用済み核燃料を日本で再処理する計画が進行中なのだそうだ。経済性を理由にあげて説明するのは分らないではないが、核燃料を無害化する技術も無いのに、目先の経済性ばかり追求することに、政治家も経済人も不安を感じないのだろうか。

 核燃料ほど深刻ではないにしても、ぼくの田舎にも“高炉スラグ”を貯蔵する場所が最近作られた。神戸とか北九州とか、キューポラのある町から鉄を作った残りの「スラグ=ゴミ」を引き取って、それを埋め立て材料やその他に転用しようとしているのだそうだ。
 地元の人間の目には強アルカリ性を示す危険なゴミとして映るのだが、これには規制も届出も必要ないのだそうだ。つまりスラグはゴミではなく資源として位置づけられているという。
 今まで海の砂を取ってきて建築材料に使っていたのが禁止されて、その代わりに溶鉱炉の廃棄物が使えるなら鉄筋の腐食もないし良いことだらけに思えるが、地元に住んでいる人にとっては、リサイクル問題の前に健康問題なのだ。

 田舎は土地が安いし、年寄りばかりで発言力も弱いとあっては、業者にとって都合の良い事ばかりかもしれないが、田舎をいじめるなといいたい。
 岩国市民が基地建設に反対したのを地域エゴだというけど、そんなこと言えるのは基地問題やゴミ問題を自分のことと受け止められないからではなかろうか。資源リサイクルというのは、女子高生が使用済み下着を売るのとはわけがちがうんだぞ、乾電池から始めて考えてほしい。

 

2006年4月1日(SAT)  人の振り見て鎮魂
 ゴルフのスコアが散々だったので、飲んだくれて忘れようと久しぶりに場末の暖簾をくぐったら先客は二人だけ。一人はK1ファイター武蔵の親父さんと、そしてもう一人は見知らぬおじいさん……と思っていたら、長くご無沙汰の飲み友達だった。二人に挟まれる格好で座っていながら、彼がぼくに声をかけるまで分らなかった。たしか彼は50台半ばのはずで、10年前には彼のヨットに乗船させてもらったりしたのに、失礼ながら知らないお爺さんだと思ってしまった。

 それに比べると70前になっている武蔵の親父さんは若々しくて、相変わらず武蔵の話題で盛り上がる。なんでも誰かがお父さんに向って、武蔵の顔は不細工だと言ったとかで、少々ご機嫌斜めではあったけど、10歳以上も年下の精彩を欠いたヨットマンの方が年寄りに見えてしまうほどだ。
 歳月は人を待たずとはいうけど、最後にヨットマンを見かけたのはほんの一年前なのにあまりの変貌振りに目を疑う。日頃のぼくは元気なお爺さんと飲み歩いているので、歳を取るのが怖いなんてあまり思わないのに、彼のような人を見ると諸行無常を思わざるを得ない。そう考えるとゴルフのスコアが少々悪いくらいどうってことないな。

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2006年4月日()