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HAL日記


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2006年01月31日(TUE)  我が身の不幸も密の味
 まずいぞ〜! 実にまずいことになったかも知れない。こちら(堺)に帰って来て遅ればせながらきのうの日記を書こうとしたのだけど、その前にドン様のサイトをのぞいたらなんとトップページにご自身のお顔がアップで掲載されているではないか。しかも美しい! これはまかり間違って、僕が先日の日記でドン様を預言者とか魔女呼ばわりしたことへのアンチテーゼではあるまいか。まさかそんなことは無いと思うが、万が一もしそうだとすると穏やかではない。悠長にきのうの日記なんぞ書いている場合ではないぞ。なんとか善後策を練らねば次回の教室でどんな怖ろしい仕打ちを受けるか分らない。

 ドン様は京都の旧家の生まれらしいが、なに不自由無い少女時代を過ごされた幸せをたいそう悔いておられる。
「私は家庭も容姿も恵まれ過ぎたのよぅ。だから物書きになった今、苦労が分らなくてとっても苦労しなければいけないの。あ〜ぁ、私も不幸せに生まれたかったわ!」
 というのがドン様の口癖だけど、貧困、病弱、家庭不和、成金、破産、物乞い、一家離散、身売り、等等。究極の不幸を体験したなら、それは物書きとしては貴重な財産となり得るに違いない。だからと言ってドン様のように、「お母様、どうして私を捨てて下さらなかったの?」なんて、家無き子みたいに悲劇のヒロインに感情移入するのは、せっかく容姿端麗に生んでくださり幸せに育ったというのに罰当たりといえないだろうか。

 ほんのあと10cm高いだけで良い。それだけの身長が僕にあったなら10年前にお嫁さんを娶れたかも知れないし、もしあと20cm背が高かったら20年前に嫁を強奪しても許されたかも知れない。いや、10cmなんて高望みはしない。
「神様、あと5mmだけで良いですから僕の指を伸ばしてください。そうすればどんなに楽にバイオリンが弾けるでしょうか」
 どれ程我が身の不幸を呪ったか知れない。たった5mm足りないだけで僕は今、不幸のどん底にのた打ち回っているのだ。

 人の幸不幸は何を基準に思うのだろうか。オリンピックに出られないパラリンピックの選手が五体満足であれかしと思う心と、僕の「あと5mmを下さい」の情念との間に隔たりがあるだろうか。不幸な境遇に生まれたかったと願う作家のドン様との心の間にどれ程の落差があろうか。叶わぬ願いに向って努力する姿を誰が笑えるというのか。
 悪いやつ、調子に乗っているやつが報いを受けるのは世の常としたいが、不幸せな者、恵まれない者だって当たり前に脚光を浴びられる時世が来て欲しいと思う。

 あー、僕って駄目な男だよなぁ、といつも思うけど、これもなんか素敵なことなら、他人の不幸だけじゃなく自分の不幸も密の味っていうことぉ?

 

2006年01月29日(SUN)  ボンズ鍋とかに想う
 時ならぬ帰省をしたのだけど、毎日どなたかが取れたての魚やら何やらを差し入れしてくださる。といっても決して僕のためにではなく母のためにだ。盆暮れに帰省して、良く物が届くなあとは思っていたけど、どうも日ごろから物を良く頂くのかもしれない。ご近所付き合いの密接な田舎だからといえばそういうことになるんだろうが、なんだか菩提寺の御住職の日記のように写真を撮って貼り付けたくなる。

 御住職主催のプチオフ会で蕎麦を打たせていただくも、ギャラリーの目に晒されて打つのにそろそろ慣れてきて、珍しがられながらこちらも楽しく打つことができた。本当の蕎麦打ちは匠の技なのだけど、伝統芸能の要素もあるので、素人が本職の真似をしてもそれなりに見てもらえるところがうれしい。
 実は業界では蕎麦打ちに段位を認定する制度を設けることで蕎麦打ちの普及を目指している。口さがない人からは、「業界人の自己満足」との声も聞かれたりするが、これが意外に難しいものらしい。初段から四段まであって、基本が出来ていれば初段は頂けても、四段ともなると早くて正確で美しい出来上がりを要求されるのは言うまでもなく、所作に風格と品位が要求され、なおかつ“みやび”が加味されていないとお墨付きは頂けないのだとか。つまりこのへんが伝統芸能の要素といわれる所以だろう。

 お坊様方を前に、「蕎麦打ちの心とは?」と聞かれ、「慈悲の心に御座います」などとは口が裂けても言えない未熟な僕なので、駆けつけた蕎麦僧正様にねぎらわれながらお接待をまっとうしたが、その後は餃子和尚さまの水餃子で飲んだくれるだけで良い。
 ここで御住職は蕎麦アシスタントから餃子和尚様に変身して水餃子のお接待が始まるが、これがまた美味いのなんの! 
 御住職はときおり貢ぎ物を自ら料理して開陳されているわけだけど、あれを見てたら相撲取りが引退してもちゃんこ屋を開店できるように、お坊さんをやめても料理屋を開店できるんじゃなかろうか。
 息子さんが一人前のお坊さんになられた暁には、小料理屋 “Bonze”(ぼんず=坊さん)を開店して、「名物料理は説教鍋と、酔餃子(水餃子ではなく)」なんて銘打って大いに郷里の大島を盛り上げて頂きたいものだ。
 ん、ボンズぅ? どっかにそんな名前のチェーン店があったかぁ?

 

2006年01月28日(SAT)  魔女の行水
 もうずいぶん前のことだけど、お中元時期に宅配のバイトをしたことがあった。
 フィリピン人ダンサーのお姉さんたちが集団で暮らすマンション、頻繁にテレビショッピングの品物が届く家、ヤクザの事務所等等。それぞれに印象的だったけど、ある日のこと田舎の大きな屋敷にお届けに伺ったら、広い庭で豊満な若奥さんが行水していて、あろう事かその奥さんが、「は〜い、今行きます」なんて弾んだ返事をして立ち上がったのは嬉しかったけど、目のやり場に困ったことがある。

 僕が配達を受け持っていた地域には、ひときわ異様な雰囲気だけど頻繁にお届け物がある立派な家もあった。住んでいたのは高齢のご婦人だったと思うのに、記憶が無いのは荷物の置き逃げが許されていたからだろう。
 聞くところによると主は「預言者」らしかったが、狐を祀っているでもなく狸でもなく、なんだか統一感を欠いたオブジェが所狭しと並べてあり、縄で結界が張られていたようだった。
 ヤクザの事務所で、「兄ちゃん暑いやろ、ジュースでも飲んでいくか?」なんて言われるのも丁重にお断りしなければならなかったが、どこの家が怖いといってあの預言者の家ほど気味悪くて行きたくない家は他に無かった。

 一夫多妻を夢見て11人の女性と暮らす男のニュースを観て羨ましいと思った男性は多くいると思う。いや実にご立派だこと。願って努力すればいかなる困難も克服できるものだ、と教えてくれたのは昨年将棋のプロになった瀬川さんとホリエモンだったけど、あの自称占い師の男もその点では賞賛に値する。
 でもあそこまでの事をやっていると、いくら法に触れなくても世間が許さんのじゃないだろうか。宅配の兄ちゃんだって、あそこの家はなんだか変だぞ、と気が付くだろうし、婚姻届を受理するお役所だって何も疑わなかったなんてこと無いと思うのだが、どうなんだろう。

 僕がかかわった配達先の名前はもう憶えていないけど、たった一軒だけ今でも忘れられない表札がある。それは「儀間比呂志」と書かれた表札で、名前は沖縄由来だと想像できたが、一見すると子どもが夏休みの宿題で彫刻刀を振るったような木彫りの表札なのに、毎日見ていたら忘れられなくなってしまった。
 当の比呂志さんとは終ぞ会えなかったが、およそ20年目にして顔が分った。田舎に帰って来て去年の古新聞を読んでいたら、「ツルとタケシ」というタイトルの、沖縄のハンセン病少女の悲劇を描いた絵本を比呂志さんが出版されたのだそうだ。
 儀間比呂志さんは有名な版画家だったのか、この本は是非買わねば! と考えて思い出した。同じく沖縄戦の惨禍を扱った、僕のドン様(師匠)の「サトウキビ畑の歌」もまだ読んでないのだ。ドン様に怖ろしい預言を聞かされる前に買って読んでおかねば。
 ドン様は例の異様な家の預言者ではないはずだけど、僕の中では昨年ドン様が毎日新聞に連載しておられた童話の登場人物、「魔女のダイラ」と相まってどうもダブっていけない。ひょっとして、まさか本当にあの家の主だった……、なんて想像はやめておこう。

 あの広い庭で行水をなさっていた豊満な若奥さんだが、「どうぞお入り下さいな」とおっしゃるので門をくぐったのだけど、どこからか洗い髪で野良着姿の魔女のようなお婆ちゃんが現れて荷物を受け取って下さった。
 あれれ、豊満な若奥さんはどこへ行ったの? 僕は辺りを見回したが、なまめかしい姿はどこにも見つけられなかった。
 世の中には魔女も預言者も占い師も本当にいると思う。普段はなかなかその姿を我々の目の前に現さないだけなのだ。

 

2006年01月27日(FRI)  中国からダイオキシンのプレゼント
 僕がいつも同じ店で蕎麦粉を買う理由は―、そこの粉娘さんがカワイイから……ではなくて他の粉屋さんを知らないし、そこの蕎麦打ち実習室で蕎麦打ちを習ったからだ。
 月末の金曜日にはボランティアの人が二人がかりで蕎麦打ち教室を開き、手取り足取り教えてくれるし、先生が打った蕎麦を食い放題した挙句、自分で打った500gの蕎麦を持ち帰りできるというのに参加費用はたったの2000円。あり難いやら申し訳ないやらで、以来ネットショッピングの浮気もせずその店に通っている。
 餃子和尚様主催のOFF会で蕎麦僧正様の教えを請うためその店に蕎麦粉を仕入れに行ったら、丁度蕎麦打ち教室が開かれていたので少し見学させていただいた。
 蕎麦の打ち方は地方によっても違うし、人それぞれどんなやり方をしても美味しい蕎麦が打てればそれで良いのだけど、最も合理的とされているのが「江戸流」と呼ばれる、延し棒1本と巻き棒2本を使って四角く延ばしていくやり方らしい。僕もそのやり方で覚えたけど、最終的に味を決めるのはやっぱり蕎麦粉の良し悪しなのだ。

 蕎麦粉の良し悪しと言っても、食べ比べせずにそれぞれ単品で打って味わっても違いは分りにくいと思う。なので場末の飲み屋なんかで酒を飲みながら食べるんだったら、なにも高価な国内産でなくたって安価な中国産で十分美味しくいただけると思う。それに失敗した時の被害も少ないので中国産蕎麦粉を1回だけ買ったのだけど、今年になって粉屋さんに中国産が見当たらなくなった。
「お嬢さん、小売の蕎麦粉はいつも同じものが無いんですねぇ?」と、粉娘に聞いてみた。
「そうなんですぅ、今回は宮崎産と北海道産のブレンドなんです」
 どうやら蕎麦屋さんへ安定供給するために小売用はないがしろにされているのかも知れないが、そんなことは今の僕にとっては何の問題も無い。それどころか色んな粉を味わえるのでむしろありがたい。しかしそうなると毎回水分の量が違ってくるので注意が必要になる。
「じゃあ、この粉は何パーセントくらいの水が入りますかねぇ?」
「あ、ちょっと社長に聞いてみますね。社長〜、お〜い社長〜ぉ」
「社長さんを、お〜い呼ばわりなんですか!」
「お父さんが社長なものですからぁ…」
 なんともアットホームな粉屋さんなのだが、従業員だとばかり思っていたあの気さくで親切でおしゃべり好きな人が、実は社長だなんて僕はちっとも知らなかった。
「社長、このところ中国産の粉が見当たりませんねぇ」と、僕
「そうなんですよ、玄蕎麦(殻が付いたままでで輸入される)にダイオキシンの基準値を少しオーバーした物が見つかって、中国産は輸入停止になったんです」

 日本は農産物輸入大国といわれていて、少し前は世界一の農業国アメリカからの輸入量が第一位だった思うけど、今は中国にその座を明け渡したんじゃないだろうか。キムチだって韓国産と書いてあっても作っているのは中国だったりするんだから、我々の日常生活で中国産で無い食品を探す方が苦労しそうだ。
 それほど中国に頼りきっているというのに、中国政府すら危機感を表明するほどの揚子江や黄河の汚染のすさまじさを思うと、あと数年もすると中国政府は自国民の健康さえ守れなくなって、日本にも食品は輸入されなくなるから大変なことになるだろう。
 そう考えていくと町の蕎麦屋さんたちにはもう既に、今回の中国産蕎麦粉の輸入停止で激震が走ってだっているんじゃなかろうか。だって蕎麦屋さんで一人前の手打ち蕎麦が700円というのは手間を考えると格安なんだから。

 

2006年01月26日(THU)  グーグル自主規制で明るみになった中国の異様さ
「中国は日本を追い越したか?」という中国上海テレビの討論番組を観たけど、あの番組って一昔前に日本で人気だった、「時事放談」を彷彿させる。細川隆元さんがホストを務め、各界の知識人を呼んで日曜の朝から爺さん二人で言いたい放題の番組は、「ジジイ放談」とも揶揄されていたけど、子どもの頃にあの番組が始まると、僕は父と一緒にテレビの前に座ったものだ。しかし上海テレビの討論番組はジジイ放談よりは洗練されていて、学者や評論家を招いて対極に別れて討論する。そういった形式は良いのだけど、内容もさることながら議論のための議論をやっているその心根はジジイ放談と同じで、生産性の無い単なるエンターテイメントに過ぎない。

 GDP(国内総生産)で世界第4位に躍り出た中国は数年後に日本を追い越すのは確実視されているし、そうなっても何の不思議も無い。ジジイ放談の時代の日本もアメリカに次いでGNP(国民総生産)が世界第二位になったとはしゃいでいたのだから、中国のナショナリズムの高まりも良く分かる。だけどあの頃の日本の公害といったら最悪だった。都会では光化学スモッグ注意報なんてものが発令されていたし、地方でも水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息と、数え上げたらきりが無いほどの公害病に苛まれていた時代でもあった。

 米国大統領が盗聴を正当化しているらしい。テロ対策の名の下に盗聴がOKなら同じ理由で盗撮だって許されるわけで、それだったら女子高生のスカートの内側を覗いたとされる植草教授の手鏡事件なんてもう全然OKなんじゃないかと思う。そんなことを許している国がホリエモン逮捕に快哉の声を上げる日本人を指弾している場合じゃないだろう。

 検索エンジンGoogleが中国政府の許可しないキーワード(法輪光とか台湾独立など)で検索できないように自主規制したのにも驚いたけど、中国国内の公害が日本で報道されないのは、日中記者交換協定というのがあるからなのだそうだ。
 そんなに隠さないといけないほど具合の悪いことがある国って、理由はなんであれ、大統領が率先して盗聴盗撮を主導するような国と同じで、どこに正義を見出したらいいのだろうか。
 北京オリンピックへ行ってみたいと思っていたけど止め止め。その前にせめて中国産の食品にだけは気をつけたい。

 

2006年01月25日(WED)  プラセボ先生の教え
 飴玉を口に入れた途端にボリボリ噛み砕いてしまうので、「飴をいただく作法すら知らぬ不躾者」と鼻で笑われる僕でも、龍角散のど飴はだけは舌の上の存在感が消え去るまで丁寧になめ切ることが出来る。もちろん龍角散の歴史と伝統や知名度に敬意を払っているのもあるが、単なる飴玉をさも薬であるかのように崇めているからだ。

 効能など包装紙のどこを探しても一切記されていない龍角散のど飴に咳止め効果を託して、つまりぺろぺろやりながらバイオリン教室の門をくぐったら、本日のレッスン室は大広間だった。といってもたかだか15畳程度の部屋だが、いつもの密室を思うとずいぶんと開放感があって良い。
 それは良いけどお師匠ちゃまは相変わらず曲を解説しながら僕と一緒に練習する体たらく振り。そりゃ4歳からバイオリンを始めて音大のバイオリン課を卒業しているんだから、バイオリンを習って3年の僕が弾く曲など朝飯前の筈、なんだけど……。

「三つ子の魂百まで」といわれるように、幼い子どもを導くのは神経を使うと思う。先生の一挙手一投足に至るまで子どもに影響を与えるのなら、初めに師事する先生との相性は大事だ。
「お師匠ちゃまの子どもの頃の先生ってどんな方でした?」
 彼女の幼い頃を想うと、さぞ先生は苦労したに違いない。
「私の先生はメチャ美人でしたけど、メチャ厳しかったです」
 さもありなん。あなたは厳しく接しないと伸びないタイプでしょ。
「そ、そのメチャ美人の先生紹を介してくださいな」
「駄目です! だってご主人が……、そういえば……、でも聞けませんものねぇ」
 そういった意味で紹介してくれと言っとるんじゃないだろうがぁ、ったぁくぅ。弟子の弾く曲などチャッチャと片付けられる先生に早くなりなさい、と嫌味を言ってるんです、よ。
 師匠を換えたくてもピアノのように易々と次の教室が見つかるわけでもないのでもう半年くらいは我慢するが、それ以後はお師匠ちゃまの方が音を上げそうな気がする。

 龍角散のど飴は良く効く薬かも知れない。いや実際になめている間は咳が出ないのだから、少なくとも僕には効能を発揮しているのは間違い無いのだ。そう確信して原材料名を読んでみた。
 砂糖、水飴、ハーブエキス、ラカンカエキス、ゼラチン、デキストリン、香料、ビタミンC、着色料(葉緑素、カラメル)
 のどに効きそうなものといえばラカンカエキスくらいだろうか。ハーブエキスといっても何のことやら分らないし、香料に至っては「龍角散の匂い」という意味らしい。
 製造者 味覚糖株式会社、とあるので、良く良く読んだら、龍角散のど飴ではなくて、「龍角散“の”のど飴」と書いてるじゃないか。つまり、龍角散の匂いがする飴であって、作っているのは龍角散という薬屋さんじゃなくて飴屋さんということらしい。でも確かに効いたぞ。するとあれは「病は気から」の反対の現象なのだろうか。
 あ〜、そういうことなら考え方一つで今のバイオリンのプラセボお師匠ちゃまでもまだしばらくは効くかもしれんな〜!

※プラセボ=偽薬 良薬口に苦しといわれるように、苦味を付けたコーンスターチなどが主成分で、頭痛を訴える患者などに投与すると、薬効が無いにもかかわらず本当に治ったりする、老人病院なんかでは絶大な威力を発揮し、なおかつ副作用の無い万能薬。

 

2006年01月24日(TUE)  のどはオペラで鍛えよ
「こんにちは、HALさん、今日はどうなさいました〜?」
 昨年末に風邪を染して頂いたのが完治したのは良かったのだけど、急に寒いところに出たりすると激しく咳き込むようになった。時節柄、人様にあらぬ心配をおかけするのも心苦しいので、緊急というわけでもないのに馴染みの耳鼻咽喉科を受診した。
「先生ぇ、どうやらライブドアショックらしくて熱が出ましたぁ!」
「あははぁ、実は私もそうなんですよ」
「せ、先生、目が笑っとりゃせんじゃなかですか!」って、ノリが良い先生だけど本当にライブドア株を買っていたのだろうか。

 耳鼻咽喉科っていうところは、咽や鼻の弱い僕が子どもの頃からお世話になり続けているのだけど、大人になって行くところじゃないなと思う。
 何が嫌といってもお子様たちで大学病院並みに混んでいるのが一番辛い。お子様が患者なのか、お母さんが患者なのか、両方が患者なのか分らないから、パッと見では何時間待ちなのか分らない。で、最近は銀行みたいに整理券が出てくるから助かるけど、待合室に座っていると鼻をたらした子がゴロゴロしているだけでなく、連中がこちらにアプローチしてくるので危険極まりない。
「俺は感染症じゃなくてアレルギーで来ているんだから病気を染すな、あっちへ行けシッシッ」とは言えないし、お母さんたちはヤンママだしぃ……。

 今年はモーツァルト生誕250年とあってモーツァルト関連のコンサートが目白押しなのはうれしい。今夜も「フィガロの結婚」を録画する予定だけど、「やっぱモーツァルトはオペラが最高だよな〜」って思っている僕としては、日本で演奏するなら日本語でやってほしい。
 原曲に忠実であれかしと願う人が多いのは理解できるのだけど、それがゆえに内容が分らないからクラシックは難しいと思われている方もまた多いはず。ならば、モーツァルトのオペラは、言うなれば「百人一首」の歌の世界みたいなものだと思っている僕としては、アメリカ人みたいに平然と母国語で演奏しろと言いたい。

 オペラは好きだけどカラオケを全くやらないので歌は下手糞だし、その前に人前で歌うことはないから風邪をひいたって咳が出たってかまわないけど、歌のプロは咽とか鼻のメンテナンスはどうやっているんだろうか。
 昨年聴いたボーカリストは一日中歌っているらしいけど病院のお世話になるとは言ってなかったし、オペラ歌手の錦織健さんなんて部屋を乾燥させて練習するらしい。ということは咽だって鍛えることが出来るということか。カラオケで咽が鍛えられるなら試しても良いのだけど、その前に酒を断つべきだろうなあ!

 

2006年01月23日(MON)  麻原とか堀江に騙される無垢な日本人
「バリュークリック」というスパイウェアに悩まされていたら、「あんな低級なスパイウェアにやられるなんてトロイにも程があるな」と笑われた。パソコンに精通してなかったので仕方の無いことだけど、ちょっと知識があればあんなものにはやられなかった。
 どこの国の会社から垂れ流されたものかも分らないまま対策には成功したんだけど、バリュークリックというのはライブドアの傘下に入っている企業だっていうじゃないか。

 もうホリエモンのことなんか書きたくないんだけど、連日報道されるので聞きたくなくても耳に入ってくるから仕方ない。
 メディアがはしゃぐのも分るが、ついこの前までグルメ番組にまで起用してヒーロー扱いしていたくせに手の平を返して悪者扱いかい。もし仮に無罪放免になった暁には名誉毀損に訴えるだろうな。それはそれでホリエモン劇場が面白くなるけど、ヤクザよりたちが悪いというのはこういったところかも知れない。だって社会的汚名こそがヤクザの名誉なんだから、悪と言われれば言われるほど賞賛されているようなものだから。(昔のヤクザはどうか知らない)

 なんだかオウム真理教事件に重ねながらライブドア事件を見てしまうけど、ホリエモンと麻原彰晃がダブって見える人も多いと思う。どちらも汚らしい、じゃなくて頭の回転が良いし口が上手いし求心力があるっていうか、人を使う術に長けていると思う。個人崇拝の嫌いな僕だってああいった連中を目の前にしたらひれ伏すかも知れない。
 そして最も共通しているのは、“目覚めている”ところだろうか。フセイン元大統領や金正日首領がどれだけの自国民を虐殺したか知らないけど、彼らがそんなことで良心の呵責を感じるだろうか。ホリエモンだってそういった人の命を軽んじれる為政者と似ているという意味では目覚めている人かも知れないと思う。

 麻原、堀江と世界に通用するような稀代の詐欺師を輩出し続ける日本、日本人ってなんてすごい国、国民なのだろうと思う。彼らのどちらをこの国の指導者に戴いても世界制服に向って突き進むだろう。
 そういえば選挙に立候補して落選したところも共通しているから、もしかしてご先祖を辿れば……、いやちょっと待て、あんな連中を容認してきた日本人ってどうよ? あんな低級というかプリミティブな詐欺師に引っかかる日本人って、無垢と言えば聞こえは良いけど、もっと成熟しないといけないんじゃないか?

 

2006年01月22日(SUN)  酔って許されないもの メール
 アルコールと名が付けば工業用以外は大抵飲める人間だけど、高粱酎(こうりゃんちゅう)とかメコンウィスキーなんて珍しいものを飲むときには注意が必要だ。口に合う会わないにかかわらずついつい飲み過ぎるばかりでなく、その酒がどれくらい利くのかが分らないからだ。
 で、翌日エライ目に遭うことも少なくないのは大抵ビールとチャンポンやっているからで、珍しい酒のせいではないのだけど、どうしても犯人探しをやりたくなってしまうのは酒飲みとしての僕が未熟である証なのだろう。

 どんな酒が自分の体に合っているのかといえば多分旨い日本酒だと思う。ビールも好きだけど多くの知人がビール好きの通風持ちとあっては僕も尿酸値が心配なので、最近は赤ワインばかり飲んでいる。
 日本酒を飲むときには必ず何かを食べながら飲む習慣なのだけど、ビールと同じでワインは肴がなくてもボトル一本くらいならあっという間に飲めてしまう。そんな空きっ腹に飲んだ赤ワインの二日酔いのきついことといったら無い。

「昨夜のメールはいったいどういう意味なんや? さっぱりわけが分らんぞ」
 ワインは酔いの回りが遅い気がするのでガブガブと飲むからいけないんだけど、しっかりと後から酔ってくる。そんな時にメールなんかしたらとんでもない事をやらかしているもので、指摘されたメールを見て後悔したのも一度や二度ではない。なので飲んだ時には相手が目上だと返事は酔いが覚めてからにすることも多い。

 酔って電話をすると呂律が回っていないのですぐに飲んでいるのがばれるけど、メールでも酔って書いているのが相手に分るんだろうか。酔ったら楽器の演奏は言うまでもなく何一つ満足に出来なくなって後は寝るだけになってしまうタイプなので、昼間の元気な時間帯に飲んだら何をやらかすか知れない。そんな時に書いたメールは後から読み直すと大抵タガが外れている。「飲んだら書くな、書くなら飲むな」だな〜。

 

2006年01月21日(SAT)  恋は脳害リモコン
 NHKの番組“脳リモコン”を観て驚いた。脳にチップを埋め込まれたねずみがパソコンから送られる信号の通りに動くのだ。こんなことが可能なら近い将来ペットの犬が何を考えているのかも分るようになるのだろうか。そうなると楽しい反面、「こいつペットのくせに自分が大将だと思っていたのか!」なんて事にもなるんだろう。
 またテレパシーのようにインターネットを介して遠く離れた者同士が直接脳内に信号を送って意思の伝達する実験も成功しているのだとか。言葉なんて面倒なものが要らなくなるんならこんな便利なことはない。言葉を使うから誤解も生じるわけで、直接イメージが届けられるなら世の中の殺人事件も10%くらい減るんじゃないだろうか。

 アメリカの脳科学がこれほどまでに進んでいるのは軍事開発と無関係ではないらしい。兵士にチップを埋め込んで、ああしろこうしろと命令できるようになったら、兵士は撃たれても前に進むんだろう。こりゃすごい兵器になる、と考えるのも分らないではない。でもちょっと待てよ、フィリピンが独立を宣言してアメリカと戦った時、コカインを処方されたフィリピン兵は撃たれても倒れずに戦ったと聞いたことがあるし、脳内にチップを埋め込まれているから自爆テロに走るんじゃなかろう。すると人をコントロールするのは薬や言葉だけで十分だということになる。

「あなたのこと好きです。付き合ってください、お願いします」
「……ごめんなさい!」
 以前こんなお見合い番組を観ていたけど、あの「ごめんなさい」ってどんな意味なんだろう。「あんたみたいに不細工な男じゃ駄目よ」とか「貧乏人はノーサンキュー」ってはっきり言ったらどうかと思う。でもそれを口走ったら修羅場になりかねんだろうな。すると直接イメージが届いたらかえって色恋沙汰の怨恨による殺人事件が倍増するのかも知れない。
 好きな女を意のままにしたいと願う気持ちは分かるから、脳内リモコンがあったら良いなと思うけど、いや、それよりも言葉を使わない恋なんて情緒が無いし、やっぱり色恋のイメージがダイレクトで届くと絶対に脳に良くないって。

 

2006年01月20日(FRI)  刑務所の内側から送り付けられるメール
 やられた〜! ノートパソコンを使っていてバックグラウンドでしょっちゅう何かが数秒間動いているのは分っていたけど、ウィルスソフトはもちろんスパイ対策ソフトでも検出不能なので野放し状態だったが、スパイ対策ソフトをアップデートしたら遂に見つけることが出来た。
 どうやら中国の検索エンジン会社の放ったスパイウェアに侵入されていたようだ。何を嗅ぎ回っていたか知らないけどその会社は、アンダーグラウンドではないにしても、あちこちから提訴されている怪しげなIT企業らしい。

 IT企業というと、ついこの前まではアメリカンドリームでも見るような羨望の眼差しを向けていたものだが、実際は刑務所の塀の上を歩いているような、流行の言葉で言えば“デスパレート”な業界という印象にたった一日で変わった。
 言うまでもなく刑務所の塀の上を歩いていたホリエモンが内側に転びそうになって初めて目からウロコが落ちたわけだが、業界関係者によると、「IT企業って、やっていることは経済ヤクザと同じなんだけど、成長とか変革とかを標榜しているだけにヤクザよりも始末が悪い」と以前から聞かされていたのを思い出す。

 電話の請求明細とかカードの明細とか毎日のように郵便物が届くけど、携帯のバッテリーが意外に早く送られて来たのは嬉しかった。それと都市再生機構からの不在配達も来ている。何だろ? 耐震強度に問題があって今住んでいるところから引っ越してくれ、というなら僕にとってはむしろ喜ばしいくらいなんだけどなあ。

 あとは……、配達間違いか? 封筒の宛名を見て一瞬思った。いや、だけど僕の名前もちゃんと書いてあるしぃ……。あ、そ〜か、自分でつけたペンネームが宛名になっているんだ。

 まったくぅ、自分のペンネームを忘れるようじゃ、公募に出して落選するのも当たり前なわけだ。出版社が、「もっと長い80枚以上の原稿を送って来い、審査してやる」と言ってきたようだけど、この手紙はきっと落選者全員に送り付けているのだろう。

 自費出版しませんか、と誘われるのは良くある手口で、と言っても詐欺ではないからむしろ落選続きのフラストレーションを解消できるなら乗せられても構わないのだけど、無料で公開しているこの日記ですら読む人がいないというのに、書籍にしたからといってどうして希望小売価格を付けられようか。
 結局のところ数十万の持ち出しとなるだろうから、損をしたのかどうか良く分らないアムウェイ商法に似た商売なんだろうか。このところ新刊を上梓し続けている童話教室のドンさま(首領様)にお聞きするとしよう。

 それにして最近の個人情報の精度の高さには驚かされる。ヤフーの提携先から送られて来るメールの中に、近所に建設中のマンションの分譲案内があった。正にピンポイントなのだが、ここまで来るとなんだか不気味になってくる。刑務所の塀の内側にさえ落ちなければ何をやっても構わない、と大きな声で言えるような世の中は怖い。

 

2006年01月19日(THU)  長い目ではものが考えられない
 万里の長城2400kmってか〜、すごいなあ、2000年に亘って築き続けるなんて中国人のやることは壮大だなあ。とNHKの探検ロマン世界遺産をみて感激したんだけど、その修復方法は今でも人海戦術なのだと知ってのけぞってしまった。
 ♪ト〜ン、ト〜ン、トントントン ♪ト〜ン、ト〜ン、トントントン
 修復実演を見ていて、あっ! と思った。土と水を混ぜて石で突き固める時のリズムがトルコ行進曲のリズムじゃないか。ということは蒙古軍の侵入を阻止するための長城築城に、シルクロードを伝ってきたオスマン帝国の威信までも利用したというのか! 蒙古軍は長城から響くの槌音を聴いて、「明はトルコ軍を後ろ盾に付けた!」と思い込んだろうか。
 つまり大相撲でいうなら栃東や海皇だけで朝青龍に対抗するには心もとないと、琴欧州を味方につけたようなもんか?

 あ、いやそんなこと言いたいんじゃなくてだ、「村上水軍トルコ遠征説」を性懲りも無く持ち出したいわけだ。が、その日記がどこにあるのかもう既に歴史に埋もれてしまって分らない、というより遥かな記憶の彼方に置き忘れてしまったので、自分の日記ながらリンクすら出来なくなってしまっていたのが悲しい。サイト内を検索できるようにしたいけど、も一つやり方に明るくない上に金がかかるのはいやだ。

 ブルーマウンテンコーヒーに半額のタグが貼られていたので試しに一袋買ったら焙煎豆状態のものだった。普通開封する前に、というよりも買う前に気が付きそうなものだと思うけど、ここに至っては悲しい過去を清算するよりも未来に希望を託したい。そこでコーヒーミルを買いに出かけたが、お目当ての石臼980円は売り切れていた。
 石臼でなければならない理由があるとしたら蕎麦も挽いてみたいからだけど、これが必ずしも合理的とは限らないかも知れない。

 困った。蕎麦の件は後回しで良いとしても、開封してしまったコーヒーは賞味期限を迎える前に何とかしないといけない。物、特に食べ物を粗末に出来ない世代なので捨てるなんてことは微塵も考えられない。こうなったらやっぱりコーヒーミルを買おう、と考えたけど今度は電動式か手動式かで悩む。
 ひょっとしてこのご時世だから手動式なら100均で売ってないかと探し回ったけど見つからない。いやそれどころか石臼が980円で売ってるならコーヒーミルごとき……。ア〜、悩むぅ。とやっていて、いつかどこかで同じ事で悩んだような気がする。
 デジャブーというやつかも知れないけど念のためにあちこちひっくり返してみたら、手動式のコーヒーミルが出てきた。やっぱり何年も前に同じエラーをやらかしていて、その時にコーヒーミルを買いに走った苦い記憶が蘇る。
 で、コーヒーを挽いて飲んでみたら、マズゥ〜! お、そうだ、これで蕎麦が挽けんだろうか、と気が付いたけど、中国的に長〜い目でものが考えられないと、こんなことになる。

 

2006年01月18日(WED)  在日宇宙人 ホリエモン
 昨年の流行語大賞は「想定内(外)」だったらしいけど、今年は「ライブドアショック」で決まりかもしれない。2年連続の受賞となるとさすがにホリエモンも想定外だろう。まぁ、将棋で言えば「一手バッタリ」というやつか、投了もやむなし。
 と書いていたらフジテレビが同じ事を言ってはしゃいでいたので恥ずかしくなったからこれ以上は書かないけど、フジサンケイグループさんも溜飲が下がって良かったね。

 かつて細川政権が誕生した時、メディアはこぞって「熊本のお殿様」と細川護煕氏をはやし立てるので、メディアに踊らされた我々も「さすがにお殿様は育ちが違う」なんて感歎したものだったけど、たった一人の知人だけ「あいつの目は嘘をつく目だから用心しないといけない」と言った。
 結局細川氏は金銭疑惑で逃げ出すようにして退陣したのだけど、さてあの人は今どうしているのかというと、陶芸家を名乗っているのだそうだ……、あやし〜ぃ!

 以前「平気で嘘を付ける人」というタイトルの本が良く売れたことがあったけど、有史以来正直者は騙され続けているのだから、何を今更と思って読まなかったのを今は後悔している。
 嘘もつき通す事が出来たなら最後は本当になる、というのを教えてくれるのは、かの有名な「ちっちゃいソフト」さんで、あの会社は「嘘から出た真」を実現する努力したからこそあそこまでになったんだろう。そうすると最後まで嘘をつき通せなかった細川氏の目もホリエモンの目も正直者の目なんだろうか?

 臭いものには蓋をしたくなるのが人情というもので、街でタバコをポイ捨てしているような、ちょっとムカつくやつを見ると、あれは外国から日本に出稼ぎに来ている人だから日本のマナーを知らないのだ、と考えたい僕は株式投資に興味が無いので、ホリエモンは日本に出稼ぎに来ている宇宙人なのだから、と見て見ぬ振りを決めこみたい。

 

2006年01月17日(TUE)  K爺の遺産
 僕が物心付いた頃、村に一人の「いざり」がいた。年齢は80歳が近かったろうか。いつも黒っぽいボロをまとい、木製のいざり車に座って日向ぼっこしていた。良く日に焼けている上に白髪頭を丸坊主にして無精ひげも真っ白だったから、まるでだまし絵のように上下の区別が付きにくい感じの丸顔の爺さんだった。
 子どもを見つけると何わめいて追いかけてくるので僕はそのいざりの爺さんを見たら、くるりと今来た道を引き返したものだった。いや、爺さんはいざり車を1mたりとも動かせなかったはずだから、追いかけて来るように錯覚して怖かったのだと思う。

 爺さんはいつも一人ぼっちだったけど、日向ぼっこの場所にいざり車を押してくるのは身なりのきちんとしたお婆さんだったから、毎日同じ汚らしい服を着ていたからといって赤貧にあえいでいたわけではなかったと思う。
 不思議だったのは爺さんが村の誰からも蔑まれることは無かったということ。それどころか誰もが爺さんを「K爺」と親しみを込めて呼び、姿を見ると近づいて声をかけて気遣ったりしたものだった。声をかけられるとK爺は皺だらけの顔を一層しわくちゃにして、声にならない声を上げて懸命に愛想を返そうとしていたようだった。

 K爺というのは匿名ではないがもちろん本名でもない。村の皆が「けいじい」と呼んでいたから、本名を知らない僕の頭の中でいつの間にかK爺となってしまっただけだ。 僕はいざりとしてのK爺 しか知らないけど、かつては秀でた大工さんだった。
 “だった”と言い切れるのは僕の実家がK爺の手によって建てられた家だからだ。祖父の時代に建てられた家は、もうかれこれ築80年が近いと思うけどしっかりしたものだ。合掌作りとまではいかないけど分不相応な大黒柱と太い梁は不必要と見えるほど立派なものだから、後の大工さんの手によって現代生活向けに改築されても家そのものには狂いが無い。
 僕が知っているこの40年くらいの間にでも実家は地震や風雪害に何度も見舞われながらも耐えてきた。だから当時K爺に家を建ててもらうのがステイタスのように思われていたのが今にして理解できる。

 K爺の建てた家に住んでいたら救われた命があったかも知れないのに、と思いながら阪神大震災から11年の日を迎えたら、証人喚問でマンション屋さんの証言拒否ときた。ああいった手合が開発した経済設計家屋に住んでいて下敷きになった人は多いだろうし今後も被害は後を絶たないだろう。
 K爺の建てた家はまだ村に何軒か残っていると思うが、きちんとメンテナンスをし続けたら向こう100年は住めると思う。これを経済設計と言わずして何が経済設計なのかと言いたい。

 最も脂の乗り切った頃に中風で倒れたK爺は、その後新しく建つ家をどんな思いで見ていたのだろうか。K爺の生き様に思いを馳せながら日記を書いていて思い出したけど、僕はいざり車を押してK爺を転ばせてしまったことがある。言葉を交わしていたのかどうか思い出せないけど結構一緒に遊んでいたかも知れない。

「K爺の着ているボロは、大工さんのころに着ていた印半纏(しるしばんてん)というものだ」と、母に聞いた。
 いざりとなってもなお大工としての誇りを失わなかったK爺。彼の建てた家が200年持つなら、その名もまた200年に亘って語り継がれることだろう。

 

2006年01月16日(MON)  女店員さんとの葛藤ごっこ
 携帯電話を忘れて外に出たら待ち合わせにも困る時代にあって、待ち受けだけでもバッテリーが1日しか持たず、少し長話しだったらバッテリー残量は必ずレッドゾーンを示している携帯ときたら、これはは明らかに緊急事態だろうと思う。
 とは言ってもバッテリーだけ買い換えるのも気が進まないし、ましてDoComoさんはmovaの新機種は今後開発しないときた。そこでこの際にFOMAに替えようと思って機種を調べていたら「無料バッテリー交換」のサービスがあるのだという。

 いそいそとDoComoショップに出かけて相談したら、FOMAの新機種を見せてくれたのだが、これがなんとテレビ電話が付いて、しかもビデオ録画が出来る優れものなのだそうだ。こうなるともう何がなんでも手に入れたくなる良からぬ性癖がカラータイマーを鳴らす。

「ダメダメ最初のチャンスは見送れって教訓があるだろう。もう少し待てば安くなるって」
「馬鹿野郎、そんなだから時代に取り残されるんじゃないか。良い物は真っ先に買って誰よりも先に楽しんでこそ真価だろうが」
「イヤイヤ、新しいもん好きの銭失いって言葉があるじゃないか。それで今までどれほど失敗したと思ってるんだ」
「阿保ぅ、ここまで来て何を今更! 買え、買いますって一言言うだけで苦しみから解放されて、後はバラ色の人生さ」

「あのぅ、お客様ぁ、お悩みでしたら月額300円でFOMAとmovaの両方を切り替えて使えるサービスもあるのですが……」
 白い僕と黒い僕が頭の中で激しく戦いを繰り広げ、髪を振り乱して苦吟する様子を見かねた研修中の女店員さんが、もしここで声をかけてくれなかったら危うく悶絶していたかも知れない。

 我に返ってみると、来店の目的はバッテリーの無料交換の相談だった筈。うっかり物を見失うのは通例だが、ここに至って初心まで見失うようではもはや生ける屍ではないか。
「バッテリー交換をお願いします」
 敢然と初志を貫いた。
「あ、在庫があるようですので、そうですね、2週間後のお届けとなります」
「えぇ〜、2週間でっすてぇ〜、それまでバッテリーが持つかなぁ〜? 今買ってしまえばデジカメを持ち歩く必要も無くなるし、ビデオを持ち歩くみたいなものだから、録画しておいて電車の中で「巧妙が辻」を観れるし。ああ、でもまだ値が高いし、だからといってここで買いぞびれたら……。よ、よっしゃー、し、白を下さい!」
 シーザーがルビコン川にサイコロを放り込むシーンを想いながら決然と言った。※
「申し訳ございません、ただ今白が品切れになっておりまして……。2週間もすれば入荷すると思いますが、もう少しお待ちになりますか?」
 結局バッテリーが届いて、値下げのメールが届くまで辛抱することにしたけど、これが吉だったのか凶だったのか、今の僕には分らない。

※「賽は投げられた」と言って川を渡ったらしいが、サイコロを放り込んだかどうか……。

 

2006年01月15日(SUN)  性差別はあってしかるべき、か?
 たった一度だけど、若い女性と将棋を指したことがある。あの頃僕はまだ初段程度の力も無かったと思うが、大阪難波にあった将棋クラブの席主が、同じくらいの実力だろう、ということでお手合わせしてもらったらとても強かった。
 女だからと甘く見たのもあったかもしれないが、なによりも相手が美人だったから、ニヤケている内に攻められて王様が城からあぶり出されてしまった。
 女ごときに負けたら恥ずかしいなんて気負いもあって、粘りに粘ったら彼女は時計を気にし始め、とうとう僕の王様は逃げ切ったけど、彼女は帰ってしまった。

 たった一度だけど、若い女性とゴルフをしたことがある。もちろんコンペなんかに参加すれば女性と同じパーティーになることもあるけど、そんなんじゃない。男二人でミニコースに行ったら丁度前の組が女性二人だったので、なんでしたら一緒に回りますか? みたいな乗りだったのだけど、彼女たちはかなり上手で、我々二人は愛想を付かされたのか、午後から彼女たちは帰ってしまった。
「あんたがミニスカートをチラチラ見るから気分を害したんと違うかぁ?」
「なに言うてんねんな、それはあんたの方やろうがぁ!」
 後に残された我々は悄然と責任のなすりあいしたのだけど、女性にゴルフで負けそうになったのはあれが最初で最後だった。

 あの頃の世の中のシステムの多くは男性向けに構築されていたから、そんな中で女性がどんな苦労をするのか僕はもちろん世間も考えてなかった。ゴルフ場にしたってトイレの場所は少なかったし、将棋クラブに至っては女性が遊びに来ることなど前提にしていなかったのだ。
 ところが時代が変わって、「セクハラ」すら死語になりつつある今の日本のゴルフ場には、「男性化粧室」なるものまで設置されるようになった。これはいったいどういう意味だろうか。男もジャンジャン化粧しろって言うのだろうか。それともオカマは「女性化粧室」を使うなと言う意味だろうか。単なる言葉のあやならどうして今まで一般的でなかったのか不思議だ。

 これからの男性は女性化していくのか、それとも女性が男性化しつつあるのか、あるいはその両方が世間に受け入れられ始めたのか、男性の間で編み物が大流行していると聞く。
 まあ、趣味の世界だからそれはそれで結構なことだとは思うけど、将棋の対局で女性がミニスカートを着てあぐらを組む時代が来たら、男は彼女たちに太刀打ちできなくなるんじゃないだろうか。無論そうなったらこちらも対抗手段として、密かにブラジャーなんか装着して対局に臨むわけだが……。

 

2006年01月14日(SAT)  ちょっと待て、捨てる前には、もう一度
「捨てたら必要になる」
 ご存知マーフィーの法則だけど、「買ったら要らなくなっていた」もあったかな? 物持ちは悪くない方なのに物を良く失うと言うか、物を見失う傾向があって我ながら呆れる。

 5年前に見失ったドライバーソフトのCDをついに探し出した。だが見つかったはいいけど、とっくの昔に2000円で買ってしまった後だった。しかもわざわざメーカーのサービスステーションに出かけて発注し、数日後に引き取りに行くというアナクロ振りを発揮したとあっては、いっそ見つからずじまいだった方がどれ程精神衛生に良かったか知れない。
 
 そんなだから気に入った本をうっかり二冊買うなんてのはもちろん当たり前で、二度と買わないと誓った不味い酒を買ってしまうことも良くある。きっとそれらのラベルかネーミングや何かが僕の心の琴線を爪弾くに違いないが、同じ本を読んでも気が付かず、酒を飲んでも気が付かず、本を収納しようとしてそこに同じ本を見て愕然とし、酒の空き瓶を並べて見て味を思い出すと言った有様。
 しかし世の中、上には上がいくらでもいて、同じ女を3回もナンパしてことごとく振られたやつがいた。やつに比べたらまあマシかなと思うけど、やつの場合はうっかりしたと言うより、振られたことそのものを忘れることの出来る、素晴らしく立ち直りの早い性格なんだろう。

「何ぃ、プライドぉ? お前は阿保か、そんなこと言うてたら女なんか一生出来るかいな」
 やつのナンパポリシーを何度聞かされたか知らないが、やつがナンパして撮った彼女の写真を見せてもらった人によると、「お前、霊長類やったら何でも構わんのか?」と言いたくなったらしい。
 僕だってプライドをひけらかすことの出来るような男ではないので、人の染色体46本のうち性染色体二本がIだったら女なのだか、らこの際ぜいたくは言わないのだが、ゲットした女にデートの金を払わせるのは潔しと思えない。しかしそれをプライドと言い切る裏づけを持ち合わせていないのも哀しくはある。

 人のプライドはどこにあるか分らない。金や権力に転んで平気なのに、たかが将棋に負けたくらいで逆上する人、ゴルフに負けたくらいで口を聞かなくなる人。他人にしてみたら詰まらん事とは思えるものでも、当人にとったら何よりも重要事なら仕方あるまい。
 誇りや矜持などといったものは国や文化によっても違うもの。日本文化を知らしめるのに畳の上に敷いた布団に寝てもらおうとしたら、「貧乏人みたいなマネが出来るか!」と怒る外国人とか、援助交際でビデオカメラの前に裸を晒すのはOKでも、髪型が乱れていることの方がずっと恥ずかしい女子高生なんかを、理解の限度を超えているからといって、他人の我々が指弾すべき筋合いのものではないのかも知れない。

 に、してもだ、クローン技術でES細胞を作ったと捏造発表したソウル大学の教授って、研究者としての誇りをいったいどこで失ったんだろう。日本でもゴッドハンド事件があったけど、一個人だけの問題でもなく、大学だけの問題でもなく、国を挙げてプライドを傷つけられた韓国はやり切れんだろうな。

「捨てたら必要になる」
 プライドを捨てようと決意する瞬間こそが、最もプライドの必要な瞬間なのかも知れない。

 

2006年01月13日(FRI)  それでも鴨食いてぇ
 粉屋の娘さん(以下、粉娘)のおっしゃるには、「チーズケーキを炊飯器で作ろうと思ったら、お粥モードで炊かなあきまへん」らしい。さすがに粉娘がお母さんをやってるとケーキ作りに粉うるさくなるらしい。この調子で「粉娘(こむすめ)ロール」なんて名前のケーキでも開発して、いっそのことケーキ屋を立ち上げたらどうかと思う。

 餃子オフ会に招かれているので今から「餃子力」を付けようと思っていたら、姑娘さん(古い娘ではない。こむすめでもない。くうにゃん=若い娘)が、「日本ノ焼餃子ハ水餃子ノ成レノ果テネ」と教えてくれた。中国では水餃子を食べた残りを翌日に焼いて食べるのだそうだ。もちろん餃子和尚も中国文化に精通しているのでパーティーのメインは水餃子となっている。

 全国至る所に名物料理があって、高知ならやっぱり「鰹のタタキ」を思い出すし、静岡なら「鰻」とか「とろろ汁」が思い浮かぶ。僕の田舎の今治市みたいな小さな町にだって「殲懺鬼」(せんざんきと読む鳥のから揚げ)という名物が有ったりする。名前の由来は中国語で鳥のから揚げを(ュエンツァーキー)と言うのが訛ったものと云われているけど、いっぺん姑娘ねぇさんに聞いてみるか。

 鳥のから揚げも良いけど、鳥インフルエンザが人間向けに変異してしまったらしく、トルコ共和国とか中華人民共和国で感染者が見つかったというではないか、あな恐ろし! 
 他所の国のことだろうと日本人は楽観しているかも知れないけど、目に見えないものが襲ってくる恐怖は、目に見えるものより本来は恐ろしいはずなのに、感染者が死んで初めて怖くなる。
 堺市の通り魔も恐ろしいけど、ああいった人間が増えてくるにはちゃんと理由があるはずなのに見えない。それが恐ろしいと思う。なのに、「鴨南蛮用の鴨ありまへんか?」と肉屋に聞いて、「この時節に鴨肉なんぞ置いてるか、馬鹿者!」と言われた僕は、チーズケーキを作っている方が向いているかも知れんな。

 

2006年01月12日(THU) 夫婦の秘め方 
 「仮にやで、風俗店に行ったとせいや。そこの待合室で自分の会社の社長にバッタリ会うたとして、お前ならどないする?」
 以前、女遊びの大好きな友達に聞かれたことがある。
「そりゃ、『今晩は』とかなんとか挨拶するかな〜、いや、見て見ぬ振りするかもな、多分」
「そうやろ、つまりいかがわしい場所っていうか、あらぬ所でお客さんとかに出会うたりしたら途端には身の処し方に窮するやろ。俺が言いたいのはそういう事やねん」

 彼が言い訳したい事というのはこうだ。ある日のこと彼が出張先から直接家に帰って来る途中、酒を買おうとスーパーに立ち寄ったら携帯が鳴ったので、しばらく立ち止まって話した。しかし運悪くそこは女性用下着売り場で、しかもバッタリ彼のお客さんに出会ってしまい、「こんにちは」と愛想を振りまいたまでは良かったが、お客さんだと思った相手は、なんと彼の奥さんだったと言う。

「で、奥さんは何て返した?『あんた、ボケたんか』くらいのことは言われたの?」
「それがな、向こうも、『こんにちは』言うてニコニコしながら頭下げたんや。その晩の飯時の気まずいこと!」
 そんな馬鹿な! と思うかも知れないけど、大勢の女性客を相手に営業なんかしていると、そこのユニホームを着てその場に立っていてくれないと、その女性が誰だか特定するのに時間がかかることは珍しく無いらしい。だから妙な場所で見覚えのある女性に出会ったと勘違いして、慌てふためいた友達のとった行動は非難に値しないと思う。

 実は今日、スーパーで3人の知人と出合った。一人はご婦人だったが、これは奥さん同士で立ち話に夢中だから逃げおおせた。もう一人はたまに飲み屋で会う爺さんで、目が合ってしまったので仕方なく会釈した。ところが、三人目は一昨日の晩に酒を酌み交わした男だったというのに、互いの買い物かごの中身をチラッと見て、「あ、げ、元気?」といった極めて座りの悪い会話を30秒程してそそくさと別れざるを得なかった。

 確かに飲み屋でしか会わない人とは、飲み屋以外の場所で会ったりするとなんだかきまりが悪いし、童話教室でしか会わないはずのご婦人と、もしスポーツクラブのプールで水着を着た者同士が会った日にゃ変に意識してドギマギするに違いない。逆にプールで会うご婦人が童話教室に来たりしたら落ち着かないに決まっている。
 そんな有るはずで滅多に無い珍しい状況に遭遇した。童話教室の見学に来た人が、なんとカルチャー教室の受付のご婦人だったのだ。そりゃ誰だか瞬間には分らないはずだ。

 それにしても友達の奥さんの職種を僕は知らないけど、もし男性客相手の仕事なら夫婦で似たようなエラーを仕出かすのは十分に理解できる。しかし家族水入らずで晩御飯を食べながら、二人がその件に一切触れなかったなんて、互いに何か秘めている! と見た。

 

2006年01月11日(WED)  ピアスやってる場合かっての
 ソースネクスト社の「ウィルスセキュリティ」が頼みもしないのに勝手にアップグレードして、ホームページ更新などのメインとして使っているノートパソコンがシャットダウンするトラブルに見舞われるようになってしまった。他にも原因があるのか知れないけど、トレンドマイクロ社の「ウィルスバスター」から乗り換えた時には調子が良くて気に入っていたのに残念だ。
 値段が1980円という安さだから仕方ない、なんて言ったら開発者のプライドを逆撫でするだろうけど、あまりのトラブルにたまらず見切りをつけて、キングソフト社の無料ソフト「インターネットセキュリティ」に乗り換えた。

 新しい年を迎えてパソコンソフトだけでなく自分も新しく脱皮しなければと思うけど、清原選手みたいにキラキラしたピアスの一つも出来ないでいる僕は、あれってアスリートの格好つけなら他にやりようが無いのかいな? って言いたくなってしまう。
 偶然なだけだろうが、男はもちろん女の知り合いにも誰一人としてピアスをしている人を思い出せない。質実剛健と言えば聞こえが良いけど、ひょっとしたら無意識のうちにそういった方がたと距離を保っているのだとしたら考え直す必要があるのかもしれない。

 今日は今年初めてのバイオリンレッスンの日。師匠ちゃまはあいも変わらずへそだしルックで迎えてくれたけど、クリスマスから新年まで遊び呆けていたらしく、バイオリンの腕の落ちていることもあからさまときた。
 そりゃ遊びたい年頃だろうけど、あなたは先生なんだから、せめて弟子とのデュエットの、どちらを持ってもキッチリ弾いて下さいよって言いたくなってしまう。
 今回の曲は強制終了して次回からはバイオリンの定番曲をレッスンしてもらうからちゃんと練習してきてね。でないと見切りをつけて乗り換えるぞ!

 

2006年01月10日(TUE)  蕎麦打ちの試金石では「鉛」と出た! 
 年末に蕎麦打ちの依頼があったのに日程が合わず、年を越して延ばしてもらったのを心苦しく思っていたけど、この3連休で二件のカタを付けることが出来てホッとした。
 何が大変といっても高速を走って片道1時間にある飲み屋で蕎麦を打つのだから当然夜になるわけで、こちらも飲まずにはおれないとなると一泊二日になってしまうということ。飲まなかったらその日のうちにも帰れるけど、商売でやってるんじゃないからついでに依頼主の家に泊まって旧交を温めてきた。

「息子がちっとも親の言うこと聞かんから難儀してんねん」
 なるほど、知人の息子さんに最後に会ったのは六年生の可愛いころだったのに、中三になったらすっかり声変わりして親に口答えするようになっていた。体力ではまだまだお父さんにはかなわないけど、反抗期の息子さんに大甘のお父さん側に勝ち目のあろう筈が無い。まあ、そうは言っても父子家庭でよくぞここまで育て上げた、と褒めてあげたいくらいだ。

 翌日はそのままの車で蕎麦切り包丁をくれたスポンサーに返礼の蕎麦打ち。前日は幌加内産の蕎麦粉だったけど、今回は宮崎産のひきぐるみ(丸抜き)を使ってみた。
 蕎麦は粉が命。良い蕎麦の実を石臼でゆっくり挽いたものを2週間以内で使い切ってしまうのが理想といわれている。その点でいつもの粉屋さんは申し分ないのだけど、どうしてだか買いに行くたびに産地が違っていて、その都度水の分量が変わってしまう。今回もやや固めの蕎麦に打ちあがり、しかも味が今ひとつで、未熟な僕の腕の試金石になってしまった。

「蕎麦打ちありがとう、とても好評だったよ。で、次回はいつ来てくれるの?」
 知人からお礼のメールをもらったけど、あのなぁお父さん、あんたが蕎麦打ちを覚えたいって言うから教えに行ったんじゃなかったのかぁ? 息子が言うこと聞かんっていうけど、僕から見たら子どもみたいなお父さんが子どもを育てているんだから、言うこと聞かなくて当たり前だろうと思えるよ。いやむしろ、母親の着物を質屋に入れた金で遊んでたようなあんたより余程良い子じゃないのか。
 と、子育ての試金石では、「14金」と出たお父さんだけど、ま、息子さんの卒業パーティに間に合うようにもう一度教えに行くよ。

 

2006年01月07日(SAT)  嫁には鬼のふんどしを洗わせるな
 今年もやっぱりあて先不明で年賀状がいくつか返ってきたし、毎年くれていたのに今年は来なかった人もある。そんな中でも僕が気になるのは、毎年奥さんと子どもさんの写真入りだったのが、いくら戌年とはいえ愛犬の写真だけになった年賀状だ。消息を確認したら、案の定独身に返り咲いたらしい。
「ざまあ見ろ、お前が遊びまわって奥さん放ったらかすから罰が当ったんやんけ」と、自業自得のケースなら良いけど、「そんなアホナ〜! あの夫婦メチャ仲が良かったのに、なんで?」というのは目も当てられない。

 夫婦の核心の部分は決して他人に分からないものだと思っているので、いくら興味があっても別れた理由は相手が喋るまで根掘り葉掘り聞かないことにしているが、いかに別れた嫁が箸にも棒にもかからない性悪女であったかを力説して、自己弁護に回ろうする男が多いのには呆れる。自分のことを棚から下ろして良く見てみろ! と言いたい。
 そうかと思えば、「何であの二人が別れないの? ってか、子どもが増えてる!」なんてのもあって、年賀状の楽しみは尽きない。来年からもっと乱発してみたらどうなるだろう。

 昔々あるところに仲の良い若夫婦が住んでいました。そこへ鬼がやってきてお嫁さんをさらって行ってしまいました。
 男はお嫁さんを取り戻そうと、来る日も来る日も探し続けてついに見つけたら、お嫁さんは川で鬼のふんどしを洗濯しているではありませんか。
「逃げようと思えば逃げられるじゃないか。どうして鬼のふんどしなんか洗濯しているんだ」と、男がお嫁さんをなじったら、「だってこの生活に慣れてしまったら、結構居心地が良くて今更逃げ出すのも面倒くさくて」と、お嫁さんは平気な顔で言いましたとさ。

 その昔のワイドショーが芸能人の離婚をとりあげると、「性格の不一致を理由に別れる、と語ってはいますが、本当のところは性の不一致らしいですよ」なんて言い方をしたものだけど、今もそんなことを言うのだろうか。あの手の番組は滅多に見ることが無いのだけど多分、「奥様の方に親しい男性の影が見えるんです」と、はっきり言うんじゃないだろうか。
 かつて離婚の原因を作るのは男の側としたものだったけど、今の時代は他所からやってきた鬼に喜んでさらわれていくお嫁さんのなんと多いことか。

 お嫁さんを取り戻そうなんて思ってはいけません。一度鬼にさらわれたお嫁さんは容易には元の鞘に納まらないもののようですから、そんなこと考えないで他所のお嫁さんをさらいに行ったほうがよっぽどマシでしょう。

 

2006年01月06日(FRI)  赤ちゃん連れ去りに見る、日本の裏と表
 このクソ寒いのに何してくれるんや! お前の赤ん坊が連れ去られたらどないな気持ちになるんや! 
 数ある事件の中でも赤ちゃんがらみの犯罪は理解に苦しむのが多いけど、今回の仙台の連れ去り事件もその例に漏れない。院長に腹を立てているんなら直接院長に嫌がらせでもしたらいいじゃないか。そりゃ赤ちゃんを連れ去ったら大きく報道されるだろうが、それではどんな理由があっても誰もてめーに同情してくれないだろうが!

 昨日の日記で「雪は人を穏やかにするのだ」と書いたばかりだというのに、たった一日で論旨を逆転させるのもやりきれないが、確か4、5年前に米子で発生した赤ちゃん連れ去り事件も雪の中だったと覚えている。
 実はあの鳥取県の病院には仕事で事件の起きた半年後くらいに行ったことがあって、「おお、これがあの時に報道されていた病院の玄関か、見覚えがあるぞ」と、妙に感動したミーハーな僕だった。

 ウィンタースポーツをやらないのもあって、冬の裏日本に僕が行ったのは数えるほどしかないと思う。
「裏日本ではなく、山陰とか北陸とか、日本海側とか、他にも表現の仕方があるだろう」と言われたなら、「その通りです、ごめんなさい」と謝るけど、氷見市の「寒ブリ」は美味しかったな〜。合掌作りの宿で頂いた「イワナの骨酒」も、女将さんがササラを持って「こきりこ節」を踊ってくれたのも素敵だった。能登の「散居」も独特だし、金沢の鍋料理「鳥野菜」も味わい深い。訪れた裏日本はどこも、瀬戸内海や太平洋側しか知らない僕にとっては驚きの多い土地だった。
 こんな風に素敵なものに事欠かないのに、裏日本と呼ばなくなったのはいつからだろう。子どもの頃の天気予報では裏日本とか表日本とかっていう言葉が当たり前に使われていたと思うのに、ひょっとして今は放送コードに引っ掛かるのだろうか。

 いつ頃どの辺の人たちが裏日本と表日本を分けたのか知らないけど、太平洋側からの文化の渡来がメインになったのはペリーが浦賀に来てからのことと学んだと覚えている。それまで文化といえばロシア? 朝鮮半島、中国から学んだのだから、むしろ今の裏日本はかつての表側だったに違いないのだ。
 気候風土から受ける印象歴史上の裏と表は、今でこそ一致しているかのように見えるけど、かつての表文化をを日本人は裏側に閉じ込めてしまった。だから太平洋側から押し寄せた文化に毒されない日本古来の美しい文化が今に温存されたと言えないだろうか。
 現代日本人はアイデンティティーを見失いかけているといわれている。そんな今だからこそ長く大事に暖めてきた裏日本文化に積極的に接するべきなのではなかろうか、って言うか、早く赤ちゃん返せー、バカヤロー!

 

2006年01月05日(THU)  雪は人を穏やかにするか
 今年がオリンピックイヤーと言われても、ウィンタースポーツをほとんど経験していない僕はあんまりうれしくない。スノボでも始めようかと思ったこともあったけど、ウィンドサーフィンを冬に楽しもうと考えていたくらいだから、サーフボードをスノーボードに積み替える決心が出来なかった。それにスキーでもスノボでも上から下に進むだけで、自力で下から上には進めないのがまだるっこしく思えて仕方ない。

 ウィンタースポーツはどれもこれもスピード感があってスリリングだけど、良く考えたら格闘技があったかどうか思い出せない。唯一格闘技っぽいのはアイスホッケーだけど、あれは血圧の高い連中がルール無用の喧嘩に発展させているだけで、氷上ボクシングとか雪上レスリングなんて正式な競技は無いと思う。
 しかし夏にビキニを着て「泥レス」みたいなものやって楽しめるんだったら、「雪レス」なんてどうだろうか。女の子に水着を着せて1ラウンド3分間雪まみれになって戦わせ、ゴングが鳴ったら一つの温泉に呉越同舟よろしく飛び込んで、「泉質は単純泉で、打ち身や捻挫に効能があります」なんて和むのはどうだろう。う〜ん、泥レスと同じでメジャーにはなり得ないか。

 今更だけど、冬って格闘とか戦闘には向いていないのだろうか。ナポレオンやヒットラーが仮に優れた軍師だったかも知れないけど、冬に戦争をやって負けてしまったし、ツンドラ地帯の領地を巡っての紛争なんて聞いたことが無い。また、エスキモーが二つの部族に分かれていがみ合っているというのも知らない。
 詰まるところ極寒の地では、人は生きていくだけで大変だから喧嘩している場合ではないのだろう。「王様以外はみんな王様になりたがる」といわれるアラブ諸国の人々が、二千年もの長きに亘って血みどろの宗教戦争を続けているのに比べたら、極地は平穏な世界といえようか。

 もし気温と紛争の間に相関関係があるのだとしたら、このところ戦争やテロが頻発するのは地球温暖化のせいかも知れない。ならばクレムリンをシベリアに移設し、ホワイトハウスはアラスカに移設したら世界中の紛争は激減するだろうか。
 それが実現しなくても、地球が温暖化したらやがて逆に氷河期が訪れるとする説もあるから、そうなった暁には世界平和が達成されるに違いない。人類の未来は明るそうだぞ!

 

2006年01月04日(WED)  天国からの年賀状
 母宛に届いた年賀状を見ていて、既に数年前に鬼籍に入った父宛のものを見つけた。しかも同じ町内の商売人の方からだったから尚の事驚いたのですが、今もって父が存命であると思ってくれている人がいることに、腹立たしいよりかえって嬉しかったりするのです。

 それにしても昔の人っていうのは字が上手だ。書家の方から頂いたのかと見まがうほど芸術性の高いものもあって見飽きない。普通の人でこんなに素敵な字を書くのなら、昨年亡くなった書家の村上三島さんから賀状を頂いたらどんなに素晴らしいでしょう。

 そんな事を思いながら更に見ていくと、僕の姉がボールペンで書いたのを見つけた。あんまり上手な字じゃない。しかも自分の生まれ故郷であるというのに住所に修正液を使った形跡がある。年賀状ではないから筆を使わなかったのだろうが、かつては習字の先生だったという姉も筆を持たないと真価を発揮出来ないものなのでしょうか。

 もう一人の姉の年賀状も見つけたけど、これが最も不可解なものでした。インクジェット用紙というのは筆ペンで書いても滲まなくてコントラストの高い字が書けるようですが、姉からのは明らかにパソコンを使っていながら、なぜか文字の部分だけが“プリントごっこ”を使ったかのような“かすれ感”がある。
 パソコンとプリントごっこのハイブリッドなんて面倒なことをする人はいないだろうから、最近のプリンターはこんな芸当が可能なのでしょうか。見れば見るほど分らなくなってしまいます。

 つまらないことを考えていると、特別に印象的でもないので見逃していた、昨年末に事故で亡くなった叔父さんの奥さんからの年賀状も届いていました。
「今年がより一層よいお年であることをお祈り……」
 天国から届いた年賀状です。これにはぼくも胸が詰まりました。

  

2006年01月03日(TUE)  儒教思想に隠れているバグ
 ホームページを作ろうとして、危うくご主人と別れ話に発展しかかったかも知れない(笑)「うさこさん」が、いとおめでたくも元旦にうさこのひきだしを立ち上げました。
 美人でおしゃれなお嫁さんを迎えた男性にどんな気苦労があるのかお察し出来ない僕ですが、ホームページを作るくらいなら何も心配いらないのでしょう。
 そうは言っても昨年のように子どもが被害者の殺人事件が多発すると、迂闊に子どもの写真や名前をワールドワイドにばら撒くのは控えねばなりませんし、美人がWEBサイトを運営してフェロモンを発散していると、厄介な虫が惹き寄せられて来るのは避けられないでしょう。それが証拠に、清楚なチェンバリストのSeikoさんや肉感的なピアニストのりょうこさんのサイト周辺には僕みたいな虫がうろついているではありませんか。

 他人の手垢が付いた物や妙な癖が付いた物は使いたくない、と言っておきながら、ウィンドサーフィンのボードや、いかにも他人の癖が付いていそうなバイオリンは平気で中古品を使っているのだから、言う事とする事が一致しない僕ですが、知人に言わせると、「他人が使ったもんやからこそ自分も使ってみたくなるんやんか。特に女は!」なのだそうです。
 こんなことを主張する輩に限って自分のものを大切にしないくせに、自分のものは他人に貸したがらない傾向にあるようです。もちろん僕が、「あんたの奥さんちょっと貸してくれへん?」と聞いてみたのではなく、自分の浮気は大目に見て欲しいが、嫁の浮気は許さん、という身勝手をまかり通したいのだそうです。

「あんたが管理している肉体と違うんやから、浮気の一つや二つかまへんやんか」
 火に油を注ぐように彼に言ってみた。
「それはアカン。貞操観念ちゅうもんが無くなったら日本は終わりやで!」
「貞操ってどの口から出た言葉なん? それに国際社会からは、日本人はそんなもんとっくに失ってると思われているらしいよ」
「もしそれが本当ならえらい事やないか! もういっぺん儒教思想を流布せなアカンがな」
 どうやら彼を支えているのは儒教思想のようですが、その反動が昨今の風潮に繋がっているんじゃないかと思ったりします。
 もうそろそろどなたか、「貞操観念の復活」を改革の本丸に据えてくれる政治家が現れてくれないでしょうか。

 

2006年01月02日(MON)  軍鶏に教わる平和
 昨年の暮れに「軍鶏(しゃも)鍋、軍鶏鍋」と連呼していながら今一歩のところで思いを遂げられなかった僕を、ひょっとしたら何かの神さまが哀れにお思いになられたのか、新年を迎えてついに「軍鶏スキヤキ」の夢を叶えて下さいました。
「肉質が締まっていて噛めば噛むほどに味わい深くなります。スキヤキ風がお勧めです」と教えていただいたからには素直にお説に従うのが賢明と考えました。ですが日頃は他所宅で頂くことはあっても自分で率先してスキヤキに手を染めたことが無い僕なので、調理法としては甚だ野蛮なものになったかもしれません。

 先ずは細切りのゴボウなんか炒めてみたのですが、面倒くさくなって日本酒を鍋にぶちまけ、みりんを少々たらし、醤油、砂糖の代わりに麺つゆを放り込んでみたら、なんと立派にスキヤキのたれが出来上がってしまいました。
 いい加減なレシピにもかかわらず、たれは奇跡的に美味しかったのですが、肝心の軍鶏肉は恐ろしく身が締まっていて、一口で100回くらい噛まないと喉を通らないのです。確かに味わい深くはあるようですが、食べる行為に全神経を集中させたために疲れきってしまって、味わっている余裕もありませんでした。

 軍鶏っていうのは闘鶏のために品種改良された鳥らしいから、卵を産ませるために品種改良されたブロイラーなんかと肉の色からして全く異なっているのもうなずけます。本来食肉のためのものではないのだから文句を言ったら罰が当るけど、この肉は戦いを繰り返してきた軍鶏のものではないでしょうか。
 同じ人間でもアスリートの筋肉と僕のような霜降り肉の間には歴然とした違いがあるように、戦わせた軍鶏は肉が硬くてとても食べられないらしく、知り合いなんかは穏やかに優しく飼育しているのだそうです。

 聞くところによると僕の田舎じゃ闘鶏が静かなブームらしいから、ひょっとして頂いた軍鶏は戦いに敗れた末に処刑されたのでしょうか。だとしたら戦うために産ましめられる軍鶏ってなんて哀しい生き物なんでしょう。
 次の日に僕のあごが筋肉痛で口を大きく開けられないとしたら、それは軍鶏たちの恨みがこもっているからに違いありません。言うなれば、殺された腹いせの自爆テロみたいなもんですかね。だから今年はテロの悲惨なニュースなど聞かない一年であれかし、と願ったのでした。

 

2006年01月01日(SUN)  空けまして……
 明けましておめでとうございます、と言いたいところですが、僕的には少々面白くないことが今年はありそうなので、空けまして……となったわけです。なにが面白くないのかと言えば、郷里の大島に巨大なゴミ捨て場が完成するかも知れないからです。
 何のゴミかというと、鉄を作るときに出る“スラグ”というものらしいのですが、純朴な年寄りばかりの島民に聞いても何のことやらさっぱり分らないのです。

 ゴミ捨て業者の言うには、スラグはゴミではなく資材として活用されているらしいのですが、僕が懸念しているのはアスベストのように夢の資源と言われながらもその実は発がん性物質であったように、スラグだって人体に無害といえるのかどうか誰が証明したんだってことです。と、やかましいこと言いたくなるのも、実は島内の山中には既に産業廃棄物処理場が稼動しているからなのです。安全なゴミといいながらも、高い塀で囲まれた処理場に何が捨てられているのか分ったもんじゃありません。

 僕は10年以上前にはタバコを喫んでいたのですが、その頃に場末の飲み屋に行くと店の床はタバコの吸殻だらけでした。その頃はまだタバコを吸ってなかったマスターは、「床が灰皿なってますから」なんて言ってましたが、タバコを吸うようになった今、タバコを吸う時にはいつも指でタバコを挟んでいるわけではなく、手を休める“間”が欲しい。その役目を担っているのが灰皿なのだと、ようやく灰皿の必要性に気が付いて置くようになりました。
 
 日本人ってひょっとしたらゴミに対して無頓着なんじゃないでしょうか。床を唾や吸殻だらけにして平気なように、歩きながらでもタバコやゴミを捨てる輩のなんと多いことでしょう。ある時、「あんたの家でそういう事出来んだろうが、それやったらゴミ捨てるの止めろ!」と注意したら、「それは、家で出来るのならやっても良いということやな?」と言われたことがあって、彼の家に行ったら本当ににゴミだらけで、「恐れ入りました」と言わざるを得なかったのです。

 人類が普通に社会生活を営んでいたらゴミと無縁ではいられません。普通でもそうなのですから発展志向の立派な指導者の下だと、最低限の生活の二乗に比例してゴミが量産されるのは避けられないのです。我々はそれを“豊かさ”と言い換えて自らを幻惑してきたのでしょうが、今となっては角を矯め過ぎて窮地に追い詰めてられてしまったかも知れません。

 とは言ってもゴミを外国に持って行って捨てるわけにもいかないので、どこかで処理をする必要はあります。なので、「灰皿の役目くらいなら引き受けてやっても良い」という方がたの奉仕の精神には感服するのですが、やっぱり業者は油断ならないので、密かに空から監視することにしました。
 
こんな風に飛行機から空撮してやろうと思っているんです。
 9700円で買ったラジコン飛行機に小型のビデオカメラを積んでみたら、結構写りました。
 本当はラジコンヘリの方が具合が良いのですが、エンジン機だとやかましいし、電動で長時間飛ばそうとすると金がかかり過ぎるので妥協した次第です。

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2006年01月日()