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過去日記

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2003年8月11日 (月)ターミネータ3てどうよ!

 ターミネーター3を観た。面白かった。どれくらい面白かったかと言うと、ダイハード3と同じくらいおもしろかった。心待ちにしていたのでこれ以上言いたくないほど落胆した。仕方ないからどちらの映画も第4弾に期待することとしよう。

 トータルフィアーズというビデオを観た。スパイもので「レッドオクトーバーを追え」みたいなストーリーだ。たいしたアクションは無いがそこそこ面白かったのだけど、それより興味深かったのは、悪役の登場するシーンは、先ずタバコの煙が画面に出て、それから悪人が旨そうにタバコを吸いながら悪巧みをするシーンが映し出される。だから当然善玉は大統領以下すべて嫌煙家なのだ。一緒にビデオを観ていたヘビースモーカーの兄などはいずらくなったのか途中で席を立ってしまったほど何度も繰り返された。

かつてアメリカの黒人が奴隷役か悪役でしか映画に登場しなかった時代が終わり、刑事やヒーローとして主役を演じるようになったのは政治が大きく影響した。と、聞いたことがある。本当かどうか僕は知らないが、この映画のように禁煙を奨励するのは嫌煙家の僕としては大歓迎なのだ。

昭和の初めのに生まれた先輩がたが映画のワンシーンで、ヒーローがタバコを投げ捨てるのをかっこいいと感じたように、今僕たちより若い世代はタバコを吸わないのがクールだという印象を持ち始めている。時代は変わったのだ。投げ捨てられたタバコが土に変わると信じられた時代は終わった。昭和生まれの僕たちを含めて、その上の世代は決してお行儀が良いとは言いがたいと思う。「生きていくことが精一杯で行儀など考えている余裕は無かった」というのは理解できるが日本の大人も、もうそろそろ気がついてもいい頃だと思う。

 
2003年8月10日 (日)木耳(きくらげ) 

京都府に月ヶ瀬村というところがある。西名阪道を大阪から名古屋方面に向かって走ると、天理の峠を越えて下り坂になったあたりからインターチェンジの案内に“月ヶ瀬”と出てくるが、どこまで走っても次の出口には左側に“月ヶ瀬”とある。ここから三重県、とはっきり分かるまで、どこからでも月ヶ瀬にいけるらしい。
ゴルフで時々通るが、ずっと奈良県だと勘違いしていた。

 いつぞや仕事の途中で月ヶ瀬ダムのあたりを通った。ダムに行くまでにパーキングがあったので立ち寄ってみた。土地の名産品などが販売されているので売店のおばちゃんに「この辺なら“木耳”(きくらげ)が取れるんでしょうね」と尋ねたらいきなり大笑いされた。

おばちゃん「きくらげゆうたらあんた、海のもんやんか!ここには置いてませんわ。ハッハッハー」

実に無礼なおばちゃんだがこの程度では僕もひるんだりしない。

僕「エー?きくらげゆーたら山のもんでしょう。ここらで取れるんとちがうん?」

おばちゃん「アッハッハー、あんたちょっと聞いてー、このひとゆーたらきくらげが山のもんてゆーんやでーおかしいやろー」

と、同じ売店のおばちゃん仲間に投げかけた。このおばちゃんどこまでぶしつけなんだ。

おばちゃん2「エー?きくらげて山のもんて聞いたことあるでー」

不躾おばちゃん「うそやろー、そんなはずないわー」

そう言いながら奥へ消えてしまってそれっきり出てこなくなった。どうやらこのあたりはきくらげの産地ではないらしいことだけははっきりした。

失意のままに会社に帰りこの話をすると。

A「きくらげは海のもんや、黄色くてこりこりしとって旨いやんか」

B「アホー!きくらげは木に生える“くらげ”みたいなやつやからその名前がついとるんや」

やっと正解が出た。一体皆、野菜炒めやラーメンに入っているあの、こりこり、ぷにゅぷにゅした黒っぽい切れ端を何だと思って食べているのだろうか。


 ぼくが“きくらげ”の名をはじめて知ったたのは小学高学年か中学のとき、友達の家で読んだ白戸三平さんの漫画からだった。あるお坊さんが大好物の木耳を取ろうとして境内の木に登り、滑って落ちて死んでしまう話だ。その部分だけ覚えていて肝心なストーリーは忘れてしまった。しかしお坊さんという徳の高い人が命を賭けてまで食べたいと願う木耳とは一体どんな物か、自分も食べてみたいと思った、が実際これが木耳だ度言われて食べたものは時々食べているものだったので少々拍子抜けした記憶がある。でもそれ以来木耳は僕の好物の一つとなった。だがいまだにどこで栽培されているのか知らない。まさか木の上で収穫はしていないと思うのだが。

 
2003年8月9日 (土)いつの日にか つづき

 四人の子供をもうけ、人並みに成人させた甲斐も無く母は今、愛媛の田舎に独りで暮らしている。姉二人はそれぞれ関西方面に嫁いだのだから仕方ないと言えるが、下の二人の弟ときたらまことに情けない体たらくでいまだに大阪方面に独り身でいる。田舎には仕事が無いと言えば田舎に残った同級生達からお叱りを受けよう、皆立派に親の面倒を見ているじゃないかと言われるに決まっている。

 今の今まで田舎に僕が帰らなかった理由はたったひとつしかない。父と穏やかに生活する自信がなかったからだ。「親の言うことを聞いておけば何も問題ないのだからおまえ自身に問題がある」そう言われるのももっともなのだが出来ない。正月に帰省しても三日間がもたなかった。「父親と喧嘩するのは30歳までにしておけ」と、僕に説教した友も実は舅とうまくいってないらしい。「揉め事が無いのはうまくいっているのではなく、接点をもたないようにしているからに過ぎない」と、言う友の指摘するように、早い話が僕は父親から逃げていたのだ。

 その暴力的で意固地で独善的で“こらえ性”の無いのを男らしいと思っていた父が死んだ。病院で寝たきりになりながら看護婦さんをあごで使うような態度の父は疎まれたが、献身的に看病する母に免じてかろうじて病院に置いてもらえたといった有様だった。

 「ワシは海の男だから体が利かなくなったら海に飛び込んで死ぬつもりだ」というのが父の口癖だったがそれは実現しなかった。そんな虚勢を張るのが腹立たしかったのもあるが最も許し難かったのは母の前で子供に浮気自慢をしていたことだ。「浮気をするのは男の甲斐性」として許された最後の世代であったとしても母の前で子供に「ワシは“もてた”」などと言うやつがあるか。二人で機嫌よく酒を酌み交わしていても、酔った父からこの話しが出始めると僕は席を立ったものだ。口に出して語り合ったことは無いが兄とて同じ思いであったに違いないのだ。

 有田川の爺さんに言われるまでも無く、次の世代に命をつなげといろんな人から諭される僕なのだが、父がこの世にあったときにはどうしてもそんな気になれなかった。父のDNAを引き継ぐ僕がどうして父と同じ過ちを犯さないといえるだろうか。父を反面教師として教訓を活かせるという保障はどこにも無い、いや自信が無い。

 今はまだ兄も僕も同じ足かせを引きずって生きている。足どりは重く歩みは遅すぎるけどいつの日かそう遠くはない日に鎖を断ち切れると思っている。それは母のためかもしれないが。

 
2003年8月8日 (金)収穫はこがねいろ つづき

 今年の梅雨明けは平年より遅く、しかもいさぎよく明けた感じが無かった。気象協会のかたも奥歯にものがはさまった感じで「梅雨が明けたと思われる」と、肩身緒の狭いおもいで発表をしていたのをテレビで見た。梅雨が明けたかどうかを判断するのは気象協会に頼らなくてもみんな知っている。雷が鳴ったかどうかだ。子供の頃に姉が買ってくれた『まんが お天気の話し』という本に書いてあったから今でも僕はそう信じている。昨年の正に梅雨明けのそのときを有田川の河口付近にある例の病院で僕は迎えた。

仕事を終え、玄関を出るとどしゃ降りだった。「入るときは小雨だったのに、傘を持って入ればよかった。いや、これほど降られたら傘をさしたとて結果はあまり変わりそうに無い。それならいっそ待合室でしばし休憩しよう」そんな思いで豪雨に煙る有田川を眺めていると、突然、ストロボを目の前で焚かれたような閃光とともに“ドガーン”と爆音がして雷が落ちた。PLの花火を間近で観たときも「凄いもんだ」と思ったがそれよりもっと恐ろしく感じた。恐怖にすくんでいるとひとりの爺さんが声をかけてきた。

爺さん「落ちたな」

僕「近そうですね」

爺さん「毎年のように○○へおちよる。ワシらこれを待っておった」

僕「そうですね雷が鳴ったらつゆあけですからね。僕も待ってました」

爺さん「梅雨明けじゃなしに雷が鳴るんを待っとったんや」

僕「雷を?ですか」

爺さん「雷て英語でなんていう?」

僕「いきなりですか。・・サンダー・・ですかね」

爺さん「他になんていう」

僕「・・知りません」

爺さん「ほたら日本語ならんほかになんていう」

僕「んーと、いなづま、いかづち、らいめい、それからと、いなびかり、あと、どんどろさん、とか子供のころは呼んでました」

爺さん「他にな、稲交と書いて(いなつるび)いうのもある。ようけ呼び名が有るんはな、ワシら百姓が雷を好きやからや。風神、雷神の絵しっとるやろ。あの顔憎めんやろ。好きやからや」

この物知りで小柄な爺さん、麦わら帽子を深くかぶって片手にカップ酒を持っている。長靴を履いてはいるが、泥に汚れた風も無いから誰かの見舞いにでもやってきたのだろうか。自分の診察なら酒を飲んで帰ったりせんだろうし、それにしても良く日に焼けている。多く刻まれた顔のしわも深いがあまり黒いので年齢が分かりづらい。80歳位だろうか。

僕「何で雷が好きなんです?」

爺さん「稲妻(稲を妻とする者)、稲交(稲と交わる者)、稲光(稲を光らせる者)。雷いうのは稲作には欠かせんもんなんや。稲を妻とし、稲と交わり、稲をはらませる。稲光は収穫の黄金色なんや。百姓は昔からそう信じてきたもんや。若いの!嫁さんとはうまいこといっとるか?ワハハ」

この爺さんにかかれば僕も若造か。それにしても以外だった。雷の呼び名や字なんか今まで意識したことが無かった。古代人たちの素朴な思いに気がついて少し感動した。

僕「いえ、僕は独りもんですから」

爺さん「そらいかんな、早よ嫁もらえよ」

「ほっといてくれるか爺さん」と言いたかったが楽しい時間を過ごすことが出来たので御礼を言わなければならないかもしれない。

爺さん「さてそろそろ行くか」
 
そういってから残りの酒をぐいと飲み干し、タバコに火をつけて出て行った。外は先ほどまでのどしゃ降りが嘘のように今は霧雨に変わっている。有田川の水面には暗い雲の隙間から平行線が降り注ぎ、何者かが空から降りて来そうだ。雨に叩きつけられ逆立っていた流れも今は少し穏やかになり、水面からほんわかと白いものが立ち上り始めている。梅雨が明けた瞬間だった。         つづく

 
2003年8月7日 (木)暗雲 

夏の甲子園が始まった。僕のふるさと愛媛県からは今治西、名門だが久しぶりの出場のように思える。名門といえば和歌山県では尾藤監督率いる箕島高校が勇名を馳せたのを思い出す。その箕島高校から有田川を挟んで対岸にある病院を訪問した。

 駐車場に停めて降りた瞬間から汗が噴き出すほど強い日差しとアスファルトの照り返しに見舞われた。空の半分は西から白い雲が侵食してき来てはいるが残りの半分はまだ真っ青に晴れ上がり、まだ夏の日差しに慣れていない体に容赦なく日が降り注ぐ。真水と海水が入り混じった汽水域と呼ばれるこのあたりなら、川の涼と海の涼を風が運んで来てくれてさぞ涼しかろうと思うがそれは大間違いだ。そんな心地よい体験を一度たりともした事が無い。土地の人に聞いてみると「朝夕なら確かに川面を吹き抜ける風が涼しいですよ」と言われた。 愛媛県や静岡県と並ぶ温州みかんの産地として名高いこの地の夏は、よそ者には「お日様に叱り付けられている」ような気がするほど暑いのだ。

 仕事を済まし玄関を出て空を見上げると、もうすっかり空全体が白い雲に覆われ、重温い風が梅雨の長雨に増水した有田川の水面をなめるように吹き抜けている。西の空遠くには黒い雲が現れ、まだ沖縄方面を進んでいるという台風6号を予感させる。川の中州に取り残されて揺れる葦の群れはやがて来るだろう台風の雨に海の満潮が重なると溺れてしまうに違いない。植物という天災から逃げることのかなわぬもの達の定めは悲しいが、葦原は必ず次の年にも現れる。人もまた考える葦といわれるように、むしろ弱い存在だからこそ連綿として命の絶える事が無いのかもしれない。                     つづく

 
2003年8月6日 (水)トラブル

数日間ルーターがトラブっていたのでネットに接続できなかった。何もルーターを経由させる必要は無いのだからホームページは更新できるのだけれどトラブル対策に躍起になっている間に時間が来てしまう。

携帯電話から接続しようと、専用のケーブルを購入したが設定に30分程度かかってしまった。パソコンビギナーはホームページの更新の前に高いハードルがいくつもあって、それを克服していかなければならないのだ。こんな体たらくではお遍路に行く前に脚にまめを作ってしまって行けませんでした、なんて言っている様なもんだろう。お遍路リポートするにはまだまだパソコン使いが上達しなくては、と思っている。将棋で言えば駒の動かし方をおぼえた、といったところか。

 
2003年8月4日 (月)市町村合併

7月の25日は天神祭りで夕方から会社の周りは通行止めになり、苦労しながら帰社してみると、もうすでに机の上にはビールや日本酒、つまみには鳥のから揚げ、巻寿司などが並んでいて、赤い顔の連中ばかりだから、どうやら一時間ほども前から宴は始まっているらしかった。

 ホームページのねたにする写真を数枚撮ってから、後は酒を飲むことに専念した。花より団子ならぬ、芸術よりアルコールの人間なのだ。

 やがてお客さんもたくさん来られ、酒の肴に困るようになったので各方面よりカンパをいただいた。その中におかき、せんべい、といったものもあった。米の酒は好きでも、米の菓子はあまり好きではない僕なので仕方なく口にしてみると、これが以外にうまかった。

 鰍烽ソ吉 福岡県直方市下境字餅米もちだんご村餅乃神社前。 おかきの袋をふと見ると、やたら長い住所が書いてある。よく読んだら、なにやらうそ臭い住所が書いてあり、しかも会社名は『もちよし』と読むのか『もちきち』と読むのか悩ましい。同僚らとあれこれ詮索していたが、そのうち酔ってすっかり忘れてしまっていた。確か、本当の住所か、もちきちか、もちよしか、で誰かと賭けをしたような記憶が有るがはっきりしない。翌週幸いにもおかきの空き袋が残っていたので、フリーダイヤルに電話してみた。

 「はい株式会社もちきちです」と元気のいい女性の声が返ってきた。質問を三つほど用意していたがこれで一つ目の答えは出た。二つ目の質問「本当にこんな住所があるのですか」と聞いたら、またも元気のいい声で「ございます」と返ってきたので信じていいのだろう。三つ目の質問には「ホームページに詳しくあります」と答えられたが、いやそうな感じも無く、最寄の販売店を教えてくれた。どうやら全国に支店があり、デパートにも出店しているらしい。僕の住む堺市からは泉大津店がどうも近いようだ。

 国道26号線の阪和豊中という交差点を少し入ったところにその店はあった。入るなり、本当にこの住所があるのか尋ねた。実は電話の話を信じていなかったのだ。おばちゃんは「正式な住所はあるのでしょうがこれで荷物は届きます」といってくれたので賭けには勝った。が、そのまま店を出るわけにもいかないので、せんべいとか、おかきとか、好きでもないものを買って帰って『もち吉ブランド』のミネラルウォータを飲みながらせんべいを食べたが、やっぱり水もお菓子もおいしかった。

 豊田市とか日立市とか会社の名前をつけた市が有るが、いつの日にかおかきとせんべいの町『もち吉市』が誕生することを僕は願っている。

 
2003年8月2日 (土)うらぼん つづき

 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。やがて人の子は天まで届く塔を建て始めた。神様はそれを見て言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているからこのようなことをたくらみ始めた。直ちに彼らの言葉を混乱させ、全地に彼らを散らそう」。神様の怒りを買ったこの地は『バベル(混乱)』と呼ばれた。

 旧約聖書の創世記に書かれてある有名なバベルの塔の話だ。旧約聖書の話は映画(十戒)や絵本などで、何度も子供のころから見聞きしているので、本当にあった事だとずっと信じてきた。この歳になってようやく「聖書には真実が書かれているかもしれないが、必ずしも事実が書かれているわけではない」そう思えるようになった。サンタクロースを信じている子供を笑えない僕なのだ。

 聖書に書かれていることを本気で証明しようとする人は多くいるし、誰か証明してほしいと願う人もまた星の数ほどいるに違いない。僕も後者の一人なのだが、ある日のこと『世界は一つの言葉を使っていた』という証拠を思いもかけず見つけた。

 祖母は祖父とともに小さな貨物船に乗り海運業を営んでいた人なので、船底に溜まる水のことを『淦』(あか)と呼んでいた。仏様にあげる水のことも『閼伽』(あか)といっていたが、その発音はどちらも『akwa』(あくゎ)と発音していた。明治時代には当たり前の発音で、関西学院大学もアルファベットで書くと『KWANSEIGAKUIN』と書いてある。

 英語で水のことを『AQUA』という。{例 aqualung(水中肺)aquarium(金魚鉢)等}発音は『あくゎ』サンスクリット語の水も『閼伽』日本語の水も『淦』なのだ。水は原初アクヮという一つの言葉だったのだ。

 僕はこうして世界が一つの言葉を使っていた証拠を発見したけど、誰も感心してくれた人はいないので今では大きな声で言わないことにしている。つまらないことを思い出してしまうのはお盆が近いからに違いない。墓参りには祖母のために閼伽を汲もう。

 
2003年7月31日 (木)をみ(海)が好き

夏になると思い出すことがある。小学生のころ前の年に使った浮き輪を今年も使おうと祖母の家に行き、去年の浮き輪を出してくれるように頼むのだが、祖母は去年、浮き輪を仕舞ったことなどすっかり忘れてしまっていて、そんなもんは知らんという。

 その年の夏休みが終わるとまた祖母は浮き輪を仕舞ってやろうと言い出す。「また忘れるからいい」と断ってもしつこく言うので、新しく買ってもらった浮き輪を渡すのだが、次の年になるとやっぱりまた仕舞ったことを忘れてしまっているのだった。

 何度祖母をなじったか知れないが忘れてしまっているものはどうしようもなかった。しまいにはこちらの記憶が間違っているのか知れない、と自信がなくなってくるのだった。

 浮き輪のことなどどうでも良い年頃に僕がなったころ、すでに祖母は他界していて、父は祖母の住んでいた家を改造して住むことにした。

 家の改造が進んで行き、天袋を開けて見るとそこには様々なガラクタに混じって僕の浮き輪がいくつも見つかった。きちんと折りたたまれてだいじそうに新聞紙に包まれてあった。僕は勝ち誇ると同時に、祖母と喧嘩した幼い日々がよみがえってきて「あんなに祖母のことをなじらなくても良かったものを」と、少し後悔した。

 祖母は明治以前の生まれだったので、昭和生まれの僕とはかなり違った言葉を話していた。例えば、海を「womi」と発音したり、菓子を「kwasi」と発音して僕をおかしがらせたものだった。

                                       つづく

 
2003年7月29日 (火)人を好きになれたなら

誰も突っ込んでくれないけれど、祖谷郷(字も間違っていた)は徳島県が正解のようだ。このあたりは、何県に属しているのか良く分からない。剣山の麓のようだが、一度だけ国道を通った記憶がある。

 もう十数年も前になるだろうか、何かの緊急事態であったと思う。香川県から高知県に移動する途中だったのだろう。通ったことの無い国道を、暮れる日の中不安な気持ちで運転を続けていると不意に明かりが見えた。噂に聞いていた祖谷郷だとすぐに思った。切り立った渓谷、国道以外は獣道だけだろう、国道からはるか下に見える村の家屋と家屋をつなぐ道は自動車を寄せ付けないほど狭かった。ひっそりと、あくまでもひっそりと、家屋は離れて建てられている。いくら平家の落人とはいえ数百年も経過しているのだから、「何もこんな不便なところに住まなくても良かろうに」と、思わず熱いものがこみ上げて来たのを思いだす。

 実を言うと、「何もこんなところに住まなくても良いだろに」という所に僕は生まれた。地図で見ると、愛媛県と広島県の間に浮かぶ島々は無人島が多くあり、僕の生誕の大島もその一つかと思えるが、人口は一万人ほどもある。しかしツーリストには「何もこんなところに・・」と思えるに違いない。遍路をする目的の一つはそこにある。観光バスの窓からそこに暮らす人々を眺めるのではなく、そこに暮らす人々と触れ合ってみたい。人を好きになってみたいのだ。

 
2003年7月28日 (月)いつもありがとう 

今朝、退職願が受理された。
長年勤めた会社ともようやく決別することが出来そうだ。そう書くと、さも会社に嫌気がさして辞めるように聞こえそうだがそう云う訳でも無いのだ。皆さんには大変お世話になったと思う。「今まで勤められたのも皆さんの御蔭」と、社交辞令ではなく思っている。

しかし自分としては、「他の人生もあった」と後で後悔したくないだけなのだ。一生を賭してしなければならない事があると思う。遍路もその一つだけど一生やり続けるわけではない。他にはっきりとしたもっと別なことがあるのだけれど今は口にするのが憚れる。一生を賭しても成し得ないかも知れないと考えているからだ。その結論をこの一年間で出そうと思っている。出来ないほうに3000点!なんて人に話したら笑われるだろうね。まあやってみるよ、たった一つのことなのだから。

 
2003年7月27日 (日)バンカーヒルズ

兵庫県、ウォーターヒルズ ゴルフ倶楽部でプレーした。何の予備知識も無くコースに出たけど、このコースときたら、平均スコアが110以上の人はお断りなんだそうで、びっくりしていたら、キャディさんが「結構皆さん110以上たたかれますよ」と言ってくれたのでホッとした。

 INコースのキャディさんおばちゃんだったけど、良く動いてくれました。前半のINはフロントティーから打ったけど、物足りなかったので、後半のOUTコースはレギュラーティからプレーしてみたらやはり手強い。

バンカーヒルズと言われるらしく、INコースはバンカーだらけ。OUTコースは池が美しかった。

それにしてもラフに入れたら相当痛い目に遭う。アウトのキャディさんは研修生。少年に見えたけど、もう少し動いてよ。俺たちおじさんなんだから。

 今回遍路に出るために会社を辞することにしたので、いつものメンバーでの最後のゴルフかと思っていたら8月にもう一回、送別ゴルフやってくれるとのこと。嬉しい限りだけど、いつ辞められるのかはっきりしないんだなあ。まさか真冬の遍路にはならんだろうな。そこまでストイックではないんだから。

 
2003年7月24日 (木)お答えします

退職届けを出したと書いたら、各方面より激励と「何でなん?インドへ行くのか、それとブルガリアへでも行くのか」といったような質問をたくさんいただくのでとりあえずお答えします。退職のご挨拶はいずれ改めて余裕が出来たときにさせてください。それにしても日本に嫌気がさしてインドに行くう、みたいな話は時々聞くけど何でブルガリアなん?こっちが聞きたいよ。ヨーグルト食べて健康になりそうやけど、いったいどのあたりにある国だったかなあ。きっと本人さんが行きたいんでしょうね。


 さて噂で聞いていらっしゃるかも知れませんが、9月に退職したらすぐに四国お遍路に出かけます。歩いて巡礼をするんです。一人で行くつもりですが、最初の2〜3日は誰かと一緒かも知れません。ひまをもてあましている友達は、物見遊山で行くといっておりましたが「どうせすぐにけつを割るやろ」と、彼は言っております。一緒に歩いてくれる方がおられれば歓迎しますのでよろしくお願いします。

 誰ですか?飼い犬に手を噛まれたなんて人聞きの悪いことを言う人は。かんでないーつうの。

 
2003年7月23日 (水)祭囃子

 NHK BS2で向田 邦子原作のドラマ「阿修羅のごとく」を再々再々放送している。もう何度観たことか知れないが、何度観てもこれが感動するんだな。

 「神々は細部にこそ宿る」と向田さんは書いているが、このドラマどこにも隙がなく、ほんの細かいシーンにも伏線があり、意味を与えられ、登場する人物が皆はまり役。和田 勉さんと、向田さんが激論を交わしながら制作されたというだけあって、僕の一推しのドラマなのだ。

 愛媛県は平家の落人伝説がたくさんあり、ひっそりと佇む村がたくさんある。租谷郷(愛媛県?)などが代表格だが、HAL生誕の地、大島は村上水軍の末裔たちの島なのだ。水軍と言えば聞こえはいいのだが、どうも海賊に近い存在だったと、ものの本には書かれていたりする。海運業をなりわいとする家系が多いのはその伝統を踏襲しているからなのだ。したがって鎮守の神様は海神様となる。

 年に一度の秋祭りには十名ほどの漕ぎ手を従えて船首と船尾で踊り子が船の櫂を持って舞う『かいでんま』という出し物がある。僕もこれで一度踊ったことがあるが、タン・タン・タタタの単調な太鼓のリズムに合わせての練習は実に詰まらないものだった。
実はこのリズムはトルコ共和国の軍楽隊の行進のリズムと同じなのだ。モーツァルトのバイオリンコンチェルト『トルコ風』もベートーベンの『トルコ行進曲』も当然このリズムが用いられているからその名がついている。

 ドラマ『阿修羅のごとく』では、トルコの軍楽曲が場面の展開や劇中の人物の心の波立ちの時にバックで唐突に鳴り始めて観るものをどきりとさせるが、僕にはこの曲が何の抵抗もなくお祭りの曲に聴こえた。「どうしてこのシーンで祭囃子が聴こえてくるのだろう」といぶかったものだが後に真相を知った。幼いころに体で覚えこんだものはそう簡単にはイメージを変えられない。今聞いてもやっぱり僕には祭囃子なのだ。シルクロードと村上水軍を関連付ける力は僕には無いからどなたか証明してくれないだろうか。村上水軍はトルコまで行って海賊やってたと。

 
2003年7月22日 (火)退職願

月曜の朝だと思った。木漏れ日の中を蝉の声を聞きながら駅へと向かう僕の足取りは重い。鞄の中には『退職願』が入っている。八月の末で辞職するつもりでいるなら今から出してちょうど良いだろう。会社に不満が有るのではなく、全く一身上の都合なのだから穏便に退職したいと思っているのだが、そう簡単でもないかもしれない。それでも、とりあえず部長には提出した。後ろは振り返りたくないが、八月末というのは難しいかもしれない。 

 
2003年7月21日 (月)激動の季節

一週間が長かった。出張があったからではなく、パソコンがトラブってその対処に躍起になっていたからだ。しかし諦めた。別のハードディスクにOSをインストールすることにして120Gのものを新しく購入した。12800円は痛いけどこれで165G。めちゃ遅くなったけど、バックアップも出来ないパソコンよりはましか。

今週から激動のときが始まるので今日はこれくらいにしとこう。書きたいことは山ほどあるのに、力がないのが悔しい。もっともっと修行しなくては。

 
2003年7月21日 (月)富士山は冷淡な美人

 ゴルフというのは厄介なスポーツだ。どんなに上達しても練習が欠かせない。一月も打ちっ放しから遠ざかるともう素人に戻ってしまっている。来週のラウンドのために、今朝練習に出かけようと車のエンジンをかけるとラジオが鳴りだした。


「昨夜七時ごろ、静岡県、焼津市野秋の東名高速道路下り線、日本坂トンネル内で発生した火災は、12時間以上経った今も燃え続け、トンネルの入り口から噴き出す黒い煙が空高く立ち昇り・・・」
またか!と一瞬ドキッとしたが、冷静になって考えると一週間前に古いカセットテープを引っ張り出して聴いていた音楽番組の続きのニュースだった。あの事故から20年ほども経っただろうか、しかし僕にとっては決して人事ではない。先日あのトンネルを通ったばかりだからだ。


 今の下り線は数年前に新しく作られ、当時の日本坂トンネル下り線は今の上り線右ルートに換わった。いつものことだが、このトンネルを通るときにあの事故を思い出さずに抜けることはできない。白く塗られた壁板が取り付けられているとはいえ、路肩が狭く、煤で真っ黒になったトンネルの天井を見ながらの運転は決して気持ちのいいものではないが、このトンネルを抜けると唐突に、ほぼ正面に富士山が姿をあらわにする。そのときの気分を例えるなら、気楽に声をかけることができないほど憧れる女性に、電車の中で偶然向かいに座られた、といったところだろうか。嬉しくて仕方がないが、気恥ずかしくて見つめられない。富士は人を見透かすように毅然として立ちはだかるのだ。


 一年のうちの何度も静岡を訪問していながら、富士の裾野にある富士宮市からでもめったにその姿を拝むことが出来ない。そう地元の人に言うと、「そんなことはないよ、春先は霞むけど何時だって見えるよ、冬場なら最高だね」僕が思うにこの人はいつも見慣れて、心象風景として心に刻まれているので年がら年中見えていると思っているのではないだろうか。「こんなに近くにあるのにどうして今まで見えなかったのだろう」富士宮市に同行した人が不思議そうに富士に見惚れて声を上げた。近いのではなくあまりにも大きいので近く見えるだけなのだ。富士は旅の者に、そうおいそれと姿を拝ませてくれるほどやさしい山ではないのだ。


 60時間以上も燃え続けたというあの事故に思いを馳せながら、富士を背中で見送って今の下り線を帰るが、明るく広い4車線のトンネルからは当時の凄絶な事故を思い起こすことは出来ないくらい快適だ。教訓が生かされているのだ。

 
 それにしても今朝からニュースでやっている水俣市の山崩れはどうだろう。天災は突然やってくるというが、あの映像を見るとい如何に人が無力であるかを思い知らされる。行方不明の人が無事救出されること願っている。

 
2003年7月17日 (木)親は選べ

 Kさんとは飲み屋で知り合った。将棋を指していると横から眺めて茶々を入れてくる。そこそこ将棋を知っているらしく、その指摘は的確なこともあるが指し手についてよりも優劣についてコメントするものだから「そうじゃないだろう」と言いたいのだが、Kさんの顔を見ると何も言えなくなる。なぜってKさんの顔を見てみるがいい、ヤクザを絵に描いたようなそのものなのだ。怖いのでしばらく僕からは口をきかなかったが、何度か会っているうちに、素朴な人柄だというのがわかったので、友達付き合いをするようになった。

 高校を卒業すると、ごく自然にヤクザ組織に入ったとKさん。「ワルなら組に入るんものだ」迷いはなかったという。ところが組に入って初めて分かったことが、親分から子分まで全員がシャブ中の組だった。当然彼も覚せい剤を使うようになった。

 やがてKさんは、幻覚を見るようになる。「おー!電柱を見てな、『誰じゃー!ワレー』て言うとったちゃ」何とかしないととんでもないことになると考えたので組を抜けることにして、大阪に逃げた。
僕「追っ手は来んかったんですか?」
Kさん「全然、今でも当時の仲間におうても何も言わんよ。それより組がつぶれてしもうたったちゃ」
僕「それで薬を止められたんですね」
Kさん「止められんかったちゃ。注射違反での、刑務所に入ってようやく止められたっちゃ」

 今、Kさんは普通の勤め人だが、何かの時にはやっぱり怖いと思うときがある。夜中に交通事故をおこして、相手が警察を呼んだが、警官が、「Kさん、あんた前があるね」
Kさん「おまわりさん止めてや、昔のことだっちゃ」と言うのを聞いた相手がすっかりビビッテしまって、被害者であるにもかかわらず、Kさんに保障をしてくれたのだそうだ。

 Kさん「俺もな、あの組に入らんかったらもうちょっとましな人生を送ったかも知れんのう。親を選ばんかったけん、こない人生になったんかもなあ。お前も親は選ばんといかんぞ」

 ありがとうKさん。ようわかっとるよ、その通りや思う。命を命やと思わん親もおる。そやけどサラリーマンも親を選べんのよ、あんたも知っとるやろ。つらいよな。

 
2003年7月15日 (火)開け、こころ!

映画:『戦場のピアニスト』を観た方からメールをいただいた。
「クライマックス部で弾かれるショパンの『バラード第一番』は、なんと感動的な曲なのでしょう、CDを持っていて聴いていながら感動する力がなく、好い曲と今まで思えなかった自分が恥ずかしく思えます」と、あった。

その通りなんです。僕自身について言えば、バッハのフランス組曲2番がそうでした。一流演奏家のCDを別の曲を聴くために購入し、すべての曲を一度は聴いていながら、当のフランス組曲を好ましい曲と思えなかったのでした。

グレングールドという変人演奏家のCDを聴いたときのこと、演奏中にギイギイと音がする、妙なうなり声がする、良く聴いたら演奏家が歌っているのだ。ギイギイ音は彼愛用の古い椅子の音だった。それでも演奏はすばらしく、とりわけバッハのフランス組曲2番に感動したが、ずっと初めて聴く曲と思っていた。

あまり感動したのでピアノ発表会で弾こうと、練習したが、酷く難しい。何とかはじめの2曲だけ弾けるようになって、発表会に臨んだが、途中一箇所間違えたら最後までめろめろになってしまった。感動の代償としてはあまりにも高くついてしまった。こんな難しい曲なら初めからそう教えてほしいよ先生!

 
2003年7月14日 (月)朝日とともに

 小型犬を連れて散歩をしする人が増えたのはいつのころからだろうか。僕の住む団地の下は商店街と言うにはこじんまりとした、言ってみれば屋台村みたいな感じで商店が数件ある。そのアーケードのような通路には、ゲーム機、タバコ、ソフトドリンク、ビールの自動販売機などが各商店の前に数台づつ置かれている。僕がもっともよく利用するのはビールのベンダーでほぼ毎日ここで500ccを2本買う。量販店でまとめ買いをすれば安いではないかといわれるが、冷蔵庫にあればあるほど飲んでしまうタイプなので、量を制限する意味でここで買う。2本以上持てないからだ。

 このように大変重宝しているのだけど、これら自動販売機のあたりは、小型犬が散歩の途中で小便をするポイントになっていてとてもションベン臭い。飼い主たちはよその玄関前で犬の小便をさせることをなんとも思わないのだろうか。商店のあるじたちは相当迷惑しているに違いない。タバコ屋のご主人などは犬の小便で販売機が錆びてしまうのを防ぐためだろう、機械の裾のほうを厚手のビニールで覆った。「うまい考えだ、これなら機械も腐ったりしないだろう」そう思っていたが、ここのご主人もポメラニアンを飼っていて、先日見かけたときはこれから散歩に出かけようとするところだった。店から出てきたこの犬が最初にしたことは、まず、店の前におかれた販売機のにおいを嗅ぐことだった。しばらく嗅いでから足を上げてシャーとやった。自分のうちの前に小便をされる敵を討つかのように御主人も見守っている。

 ゴルフに出かけるため早朝6時頃に、このミニアーケードをくぐって駐車場に向かうと、こんな時間だというのに小学校に上がったかどうかぐらいの少女に出会った。この少女、頭の上から足の先まで薄汚れている感じがする。どっかの国の難民の印象だ。少女はちらと僕のほうを見はしたが、気にする様子もなく突然、腹ばいになって販売機の下を覗いた。細い手を機械の下に突っ込み何かを探っているがすぐに取れた。取れたのは10円玉だった。以前にも早朝におばちゃんが販売機のつり銭受け口に指を突っ込んでいるのを見かけたことがあるが、この少女も早朝からつり銭の取り忘れや、機械の下に落ちた小銭を探していたのだ。おばちゃんにはこの芸当は出来まい。つり銭の取り忘れは僕もよくやるほうなので、誰かのとり忘れに出会ったりすると、罪の意識は少しはあるが、取り忘れたお金が帰ってきたようで少しうれしかったりする。

 この少女に出会ってすべてが理解できた、というより誤解していた。タバコ屋の機械の裾をビニールで覆ってあったのは、コインを投入しようとして落として機械の下に入り、取れなくなったりするからだ。自動販売機などはリースだろうから犬の小便で腐っても大した被害ではない。ジュースやビールの機械の下をふさぐことが出来ないのは保冷機構がついているので、空気の通りを確保する必要があるからだ。そう思うとタバコやのご主人は自分の家の犬の小便も、よその犬の小便に対してもどうしてそれほど寛容でいられるのだろうか理解に苦しむ。

 商店の前にはゲーム機が置かれてあって、子供たちにはとても人気がある。幼稚園くらいの子から、今はもう大人になったが以前からここに通っている大きい子供もいたりする。ある日ゲーム機の前で子供たちが歓声を上げていた。「最近の子供の言葉は分からんなあ」と思っていたが良く聞いてみると中国語ではないか。子供の頃に少しかじったことがあるので分かる。その中にあの少女もいたようだ。難民や不法入国ではないにしてもいい境遇とも言えないに違いない。あの薄汚れた感じがとてもやるせない。あの子のために犬に小便させるの止めてやれよ。あんたら。

 
2003年7月13日 (日)またも愚行

やっと新しいエアコンになったけど今日は必要がないほど涼しかった。


性懲りもなくまたやってしまった。

何でかんでもダウンロードしてインストールしていて、

パソコンが起動しなくなるという愚行をまたもやらかしてしまった。

 
日記ページに直接書き込んでバックアップを取っておらず、

一ヶ月ほど書きためた文章を消してしまい、

おおいに反省したばかりだというのに。


もともと粗忽な人間ので、まあそう簡単にはなおらんだろう。

一病息災などという人がいるが、粗忽病だと思って仲良く付き合うしかない。


そんな訳でノートパソコンで日記をつけているが気合が入らない。

こんな日は日記などつけないほうがいいに違いないが、戒めだと思ってがんばる。

 
2003年7月12日 (土)仔猫

高2の春のこと、のどかな日曜の昼下がりだった。

縁側で日向ぼっこをしていると、その年の冬に生まれたと思われる仔猫が現れた。

茶色いとらじまで(虎縞は全て茶色なのだろうか)大変みすぼらしく、

鳴き声は今まで聴いた事もないほどのだみ声。

猫好きが猫を好きな理由の一つにあげる、つややかな猫なで声とは程遠い。



「お前、そんな声に生まれたからといって親を恨むんじゃないぞ。猫は声じゃない」と、つい慰めた。

それにしてもまだ人に怖い目に遭わされたことがないとみえて、ずうずうしいくらいに人懐っこい。



小さい頃から色んな動物を飼い、ことごとく死なれてしまった経験から、

「もう生き物は飼うまい」と、決めていたので、

「楽しく遊んでくれるこの猫に情が移るといけない」と、わざと冷淡にあしらおうと思った。



その夜、風呂に入ろうとしたら、どこから忍び込んだのか分からないが昼間の猫が佇んでいる。

まるで我が家かのように。

いるだけならまだしも、ウンチをしている。これには僕も怒った。

文字通りたたき出した。本当は飼ってやりたいのだが、生き物を飼うのはもう懲りていた。



餌のやり方が分からず餓死させた水鳥の雛、犬に咬まれて死んだ仔猫、

いつの間にか遊びに来なくなってしまった野良猫、なぜ死んだのか分からない仔犬、等々。

僕は動物を飼うのに向いていない。



「昨日の夜は少し冷えたから、あのままおいてやれば良かったか、もう来ないかも知れない」

学校から帰宅する道々考えたが、玄関に着くとヤツがいた。

「よー!また来たの?ツッツッツ」と舌打ちして呼んでもこない。

よくみると怪我をしている。血だらけというほどではないが体が腫れているようだ。

寝床を作ってやって、傷の手当てをしたけど、何も食べようとはしない。

餌をそばにおいてやって寝た。



翌朝起きて真っ先に見に行ったら冷たくなっていた。

学校を休んで弔った。

「あの夜、家に入れてやれば良かった。何もたたき出すこともなかったのに」

あれほど辛くあたったのに、翌日も玄関で僕を待ってくれていたのかと思うといたたまれない。

大きな傷ではなかったから野良犬ではなく、人に取り入るヤツに嫉妬した野良猫にやられたに違いない。
  


それからというもの何かの拍子にヤツとのことを思い出す。

夜中に目覚めて、ふと思い出し、目がさえてしまう。

寝入りばなにひょっと思い出して寝られなくなる。そうなると酒を飲んでもだめだ。

何度枕を濡らしたことだか知れない。



あれから30年、回数は減ったがそれでも一年のうちに数回思い出す。

もういい加減に許してほしいと思う。

たった一日ふれあった猫に死なれただけのことでこんな思いをするのなら、

中学生に幼い命を絶たれた子の親はこれから先どんなふうにして生きていけばよいのだろうか。

だれかおしえてくれ。

 
2003年7月10日 (木)ブンちゃん

会社から帰り、すぐに服を脱ごうとしたが、汗でべっとり体にへばりついてなかなか脱ぐことが出来ない。いらいらしながら脱いで、まだ風呂はぬるいけど、とにかく汗を流した。風呂から上がった後のことを思うと、出るのがうっとおしい。このくそ暑い日々を迎えたというのに3日前からエアコンが壊れているからだ。風呂上りの冷却ビールを飲んだら体は少しさめたが汗がどっとふきだして、もう一度シャワーをあびたくなった。

 このエアコンは10年以上前に、知人の電気工事屋さんのブンちゃんが取り付けてくれたものだ。ご親切に「家に帰ったとき、すぐに涼しくなるように」と、部屋に似合わない大きなものを付けてくれたおかげで確かにすぐに冷えるが、パワーが有り余っているためにとてもうるさい。リモコンがないので家庭向きではない。朝日を受けてセンサーが働き朝を迎えると寒さで震えなければならないので、ずっと窓を開けて使っていた。

 ブンちゃん長いことお世話になったけど今週末でお別れです。きっと僕はこのエアコンが部屋から消えると同時にあなたのことを忘れてしまうでしょう。文句を言いながらも夏冬にはこのエアコンをうごかしながら、必ずあなたのことを思い出したものです。一緒にゴルフに行きましたね。初めてコースに出てとまどうあなたでしたが、あんな楽しそうな笑顔をする人だとは知りませんでした。バブルがはじけてからのあなたの消息を知りませんが、きっと元気に仕事をしていてくれると思っています。さようならブンちゃん。

 
2003年7月9日 (水)カメラのキムラ

23:41 2003/07/09
また一つリンクが増えた。我がふるさとのお寺さんが『島四国おへんろ』のサイトを立ち上げたと知ったのでさっそく見に行った。新しい景色、懐かしい風景、時を忘れて美しい写真を楽しみながらサイト内を散歩した。

 写真といえば、僕も子供の頃からカメラをおもちゃにして自分で現像、焼付けなどしてはいたが、たいした作品も出来なかった。その頃お世話になったのが”キタムラカメラ”さん。今の”カメラのキタムラ”さんだった。高知に創業して今の本社は横浜にあるらしい。

 いつぞや静岡に出張したときのこと。ホテルに着いて、雨が降る前に晩御飯でも食べようと傘を持たずに外へ出た。100mほど歩いたところで土砂降りになった。いわゆる『cat-and-dog』というやつだ。帰ることも進むことも出来なくなって、とりあえずカメラ屋があったので雨宿りをさせてもらった。”カメラのキタムラ”全国どこへ行ってもこの店はある。子供の頃から知っているのでその名前には安心感がなんとなくある。

 ひと通り店内を見回して、雨宿りだけというのもなんなので(何も買わずに出られるほどの太い神経でないのが悲しい)フィルムを1個かった。レジの女の子が「こちら現像サービス券になります」と言ったので「これはどこでも使えるのですか」と聞いた。「いえ、当店のみでございます」僕は、全国の”カメラのキタムラ”で使えるのですかと聞いたつもりだったが誤解されているようだ。どんな風に聞き直せばいいのか考えているうちに面倒くさくなったので、有難うとだけ言って店を出た。「いくら何でも全国どこでもというわけにもいくまい、独立採算でやっているのだろうから。聞きなおさなくて正解だろう」そう考えた。

 小降りになったところを見計らって駆け足でホテルに引き返そうと空を見上げた。カメラ屋の看板が見える。赤地に白のカタカナで”カメラのキムラ”とある。何度も読み直した。”カメラの・キ・ム・ラ”何度読み直しても”キ・タ・ム・ラ”ではなかった。あそこであれ以上聞いていたらおそらく大恥をかいたことだろう。正解だった。

 
2003年7月7日 (月) お粗末な出来
21:39 2003/07/07

インターネットで調べものをしていると「こんな言葉で探しているのに、どうして関係ないものが出てくるのだろう」と、不思議に思うことが良くあるので、関係ないように見えればすぐに次のサイトを開けてみる。そうやって次から次へと開けてみるが、結局見つからない事のほうが多い。だから最近は出来るだけキーワードを絞り込んで調べるようにしたので、ヒット率も向上し、検索時間が短縮出来るようになったと思う。

 「なんだ当たり前のことではないか」と笑われるが、実はネットで調べ物を頻繁にするようになったのはつい半年ほど前に常時接続環境が整ってからのことなので、まだ僕はネット初心者に過ぎないのだ。

 今日もある事を調べたくて、キーワードをYahooのトップページの検索のところに入力した。たくさんのページがヒットして次から次へと開けてもそれっぽいのに当たらない。そこで最近覚えたキーワード絞込み術で検索するとすぐにそれらしいのが出てきた。がしかし文章がへたくそなのと、どこかで聞いたような話が書いてあるだけ。レイアウトもまずい。よくこんなホームページを作って公開しているもんだ。恥ずかしくないのだろうか。と、一瞬思ったがよくみれば僕自身のホームページにヒットしてしまっているではないか。

 しばらく更新してなかったページとはいえ自分の書いたものを忘れてへたくそ呼ばわりするのだから情けない。自らアル中ハイマーを証明してしまった。

 それにしてもこんなに簡単に自分のホームページに行き当たるとは思っても見なかった。ためしに他のキーワードで絞り込んで検索してみたら、出て来るわ出て来るわ。それも恥ずかしいのばかり。ああ恐ろしい!今度の土日は引きこもってホームページの刷新をしよう。

 
2003年7月6日 (日)フライングスタート

雨が降るでもなく上がるでもなく、ぐずぐずとした梅雨を女性的と表現する人がいるがどんなもんだろうか。自分の周りの女性を見る限りでは、結構はっきりとした性格の人が多いように見受けられる。
 
 今朝はどうやら落ち着いた女性空のようだ。雨上がりが独り者には優しい。先週の日曜日は朝から良く晴れていた。なにやら外が騒がしくいらいらする感じがして、いったいこのうるさい感じはなんなのかと思っていたら、蝉の声だった。

 聞くところによると日本は蝉大国らしい。どこの国の外人も、日本の夏真っ盛りの蝉の声を始めて耳にして大変な恐怖を覚えるのだという。日本人には虫の音を心地よいと思えても、西洋人にはノイズと聴こえてしまうのは、虫の音を日本人は右脳で聴き、彼らは左脳で聴くからだそうだ。どうやら話し言葉と大いに関係があるらしい。

 先週の朝に鳴いた蝉はほんの30分程度鳴いただけでフライングに気が付いたのか鳴き止んで、今日も鳴かなかった。七年も土の中にいたのだから少々の先走りは許してやってもいいが、今年の夏はうるさくなりそうだ。お前達が土の中に宿った七年前、僕は何をやっていたのか思い出せない。多分、無為のうちに時を浪費していたに違いない。歳をとると時間が早く進むのだとお坊さんは言ったが、今、これからの時間は僕にとってはとても貴重だ。蝉が地上に出て空を飛ぶことの出来る約束された時間のように。

 
2003年7月5日 (土)猫かま(ねかま)

名古屋の吉田さんからとても心温まるお話しと”ちい坊”の写真をメールでいただいた。何気ない文章の中に、そこはかとないないやさしさをうかがい知ることができ、読んでいるうちに不覚にも熱いものがこみあげてきた。”語るしす板”に書き込んでくださいとお願いしたら別の内容を書き込んでくださったが、これもまた面白く、知人に聞いた話を思い出した。
 
 アパートに住む知人の隣は子供のいない夫婦が住んでいて、本当は許されないのだが、捨て猫を拾ってきて飼っている。発情期に啼いたり、おしっこの臭いがくさかったりすると具合が悪いので、雄なのだが去勢している。元は野良猫だが文字通り猫かわいがりされたのと、去勢手術したせいもあってか、丸々と太ってしまって、猫のくせに塀の上を歩けない。無理して歩かせようとすると足を踏み外して落ちてしまうので、「お前はそれでも猫なのか、早く一人前の猫になれ」と、できるだけ外に出して運動させようとするがすぐに帰ってきてしまう。

 ある日、いつものように外へ出したらなかなか帰宅しない。ようやく一人前の猫として受け入れてもらえたものと喜んでいたら、部屋の隅っこのほうに隠れてプルプル震えているではないか。名前を呼んでも来ない。よく見るとあちこち傷だらけで血がにじんでいるので喧嘩してやられたに違いないと思い、慌てて動物病院に駆け込んだ。

 動物病院の先生の診立ては、「傷はたいしたことないが、どうやら”おかま”を掘られとるみたいだ」と、言う。「先生。去勢手術すると雄でも雌の匂いとかするようになるんやろか、そういえば、外でよその猫がナーオ、ナーオ啼いとったですわ」と、聞いたが、先生は「どうなんですかねー、ふっふっふ」と笑ってはっきりしない。

 翌日のこと、外でまた、ナーオ、ナーオと発情期の雄猫特有の啼き声が聞こえてくると、慌てて部屋の隅っこに隠れてまたプルプル震えている。「どうやらうちの猫呼んどるんやな」と、窓を開けたら、時々見かける雄猫が切なげにうろついていたという。

 知人「乗馬倶楽部の馬は気性がおとなしく、従順になるという理由で全ての馬が去勢された牡馬やゆうの知っとるかあ?不況がながいし、リストラされるのもかなわんから、俺らも去勢された雄人間にならなあかんのやろなー、おかま掘られることは無いやろけど情けないなー!」

 
2003年7月4日 (金)残りの時間 

小児麻痺で脚に障害を持ったせいで独特の性格が形作られたのか、それとも両親の教育によるものなのか、あるいはそれらに大正という時代が特有の色合いを添え、昭和の戦争がさらに色濃く煮詰めたのかは分からないが、息子の欲目でみても父は相当に歪んだ性格の持ち主だったと思う。

 機嫌よく酒を飲んでいたかと思うと、何が気に入らなかったのか突然母に向かって茶碗を投げつけ、飯台をひっくり返したのは一度や二度ではない。そんなことをして腹が立って寝られんだろうと思うが、意外にも父はすぐにふて寝した。割れた茶碗を片付ける母を気遣いながらも怖さが先にたち、何も出来ないでいる僕に、早く寝るように促しながら涙で畳を濡らしていた母の姿を思い出す。

 船乗りだった父は一度の航海で、半年、一年は帰ってこなかったからその間は平和なのだが、ひとたび帰ると、長期の休暇になった。最初のうちは母も歓待するし、父も機嫌が良いが、何かのきっかけで母に手をあげ始める。酒癖が悪いのではなく、むしろ飲んでいるときのほうがまだしもだったから、機嫌の良いときに訊いたことがある。

 僕「飯台をひっくり返したり茶碗を投げたりして気分がええんかい?」

 父「ほうよ。胸の悪いんが済むんよのう」と、申し訳なさそうな顔をした。

 何が逆鱗に触れるのか我が父ながら分からないのだから大変な冒険だったともいえるが、ようやく母を本気で気遣い出来るような年頃になった僕だったから敢えて危険を冒してみた。

 僕が大阪に出てからも盆暮れの帰省の時にも僕と父とのいさかいは続き、会話のない数年もあった。ある時僕が脚を骨折して3ヶ月の入院を余儀なくされ、様々な手続きが必要になり、父の許可が必要になったので手紙をしたためた。

 「脚を骨折しました。人間は自分が同じ境遇になって初めてひとの痛みを分かるものなのでしょう」父の脚の悪いのをおもう意味のことをかいた。

 手紙を読んだ父は嗚咽をこらえなかった「鬼の目にも涙よ」と、老いた母が涙ぐみながら病院のベッドに伏している僕に語った。

 その父も先年、病床で息を引取った。「わしは幸せな男よのう」と、いうのが口癖だったからその通りだったのだろうが、息子はまだ総括出来ていない。今から始めなけれならない。そう時間は残されていないと思う。

 
2003年7月3日 (木)七月七日に生まれて

またあの日がやってくる。織姫と彦星がミルキーウェイの架け橋の上で年に一度の逢瀬を祝うというあの日をうとましく思えるようになったのはおそらくは5年前。

すっかり忘れていることを否応なく世間様が思い出させてくれる。子供の頃は七月七日に生まれたことを、ラッキーな身の上だと思っていたのに、40歳になったとたんに、年を数えるのを忘れてしまって、一年間は何とかやってこれるのだけどこの季節になると少し憂鬱になる。

 行きつけの飲み屋のマスターが5歳上の同じ七月七日生まれなので、この日は二人で毎年、お互いの独り身である不幸を慰めあいながらグラスを傾けることにしている。

僕「マスター誕生日おめでとう」

マスター「アー!そやったなー忘れとったのに、また来てしもたなー。ところでいつ嫁さんもらうねんな?」

僕「あほなこと聞かんといてや。マスターにそっくりその質問かえすわ」

マスター「俺もあの時もうちょっと勇気が有ったらなー、今こんなことしとらんのやけどなー」

僕「僕もなーあの時もうちょっとアホになれとったらなー、今こんなていたらくやないのになー」

年に一度の僕とマスターの繰言は果てなく続いて夜は更けていく。せっかく七月七日に生んでもらったというに。

 
2003年6月29日 (日)諸行無常

仕事で名古屋から静岡まで車を運転した。堺市から阪和道、近畿道と乗り継いで名神高速に乗り、一度目の休憩で京都の桂川パーキング入った。

 桂川のパーキングが完成したのはほんの数年前。完成して間もないころに利用したらがらがらに空いていて、こんな所にパーキングを作って採算が合うのだろうかと心配したもんだが、一年もすると、いつ入っても駐車スペースに困るくらい繁盛し始めた。その理由のひとつは、焼きたてのパン屋さんがあってどれを食べてみてもとても美味しいし、定食なんかも美味く、そのほかジャンクフードも外れがほとんどないからだ。

 先日もいつもいのように焼きたてのパン屋さんに入って好物のクロワッサンとホットコーヒーを食べたらクロワッサンの味がいつもと違うような気がした。そうなるとコーヒーの方も味が違うような気がし始めて気になって仕方がない。グルメ人間ではないので自分の舌に自信がないからもう一度コーヒーと違う種類のクロワッサンをとってレジに並んだ。

僕「味がかわった?」とレジのおばちゃんに聞いたら

おばちゃん「変わった味なら○○パンなんかいいですよ」と答えるから

僕「そうじゃなくてクロワッサンの味が以前と違うような気が・・・」

おばちゃん「変わってないと思いますけど、わざわざ聞くところをみるとおいしくなくなったと言いたいいやね」

僕「いや、というか、言いにくいです」他の人も並んでいるので口ごもってしまった

おばちゃん「あー、やっぱりおいしなくなったて言いたいんや!はいどうぞ、エスプレッソ隣から出ますねえ、ありがとうございました」なんだかかえって突っ込まれてしまった。

 席についてもう一度食べなおしたら「全然味かわっとるやんか」と確信した。店は一度人気が出るとすぐに味が落ちるというが、あんたとこもか。

 それより数日前のこと、お昼が相当遅れてしまったので「ついでのこと、いつものラーメン屋さんまで我慢しよう、そうすればいつもよりおいしく食べられるかもしれない」そう考えて、「あの次の信号まで、次の交差点まで、それがすぎたらまた次の信号まで」と、ふらふらになりながら運転して長浜ラーメンの店にたどり着いた。

 3時をとうに回っているから店内は相当空いている。昼時なら並んだりするのにラッキーかあ、と思いながらラーメンを注文した。ラーメン一杯で足りるのかと心配しなくても、博多系列の店は替え玉ができるのが当たり前だから、というかラーメン以外はたいしたこともないのでここではラーメン以外は食べない。

 店はがらがらなのに結構待たされるので店内を見回すと『餃子半額セール○日まで』とある。今日までだがまあ営業中なのだからやめとくことにした。それにしても遅い。まるで混んでいるときのように待たされて、やっと出てきた麺を一口食べて驚いた。いつもの極細丸麺ではなく、中細角麺が入っているじゃないか。しかも伸びきっているようなやわらかさ。俺、「かた麺」て注文したよなあ。これじゃあ替え玉する気にもならん。

 寂しい気持ちでレジのおばちゃんに「麺、変えたん」と聞くと「柔らかかったですか?」「うん、相当ね、かためん注文したのにノビ麺出てきたよ」というと申し訳なさそうな顔をしたのでそれ以上何もいえなくなった。

 数日後、またその店の前を通ったらダンプやユンボが入って敷地を掘り返している。そうか!あの日が最後の日だったのか。するとまさか俺、最後の客?スープ余ったけど麺が足りんので近所のスーパーにでも買いに走って、似たような麺選んで、それで茹で時間を把握しかねて伸びたやつ食わされたのかも。なんてつかん男なんや!

 繁盛していたからつぶれたとは考えにくいけど、何でだろう?まだ開店してて3年ほどの店なのに。それにしても、俺の好きなもんどんどん世の中から消えていくなあ。諸行無常やなあ。

 
2003年6月28日 (土)店員顔

仕事の途中で、よんどころない事情が発生し、ホームセンターや電気店に部品などを買いだしにいくことがままある。同僚と一緒に店内を物色していると決まって他のお客さんに声をかけられる。

 「すいません。蛍光灯どこですか」とか「これと同じもの探しとるんやけど」つまり僕のことを店員と間違えて声をかけてくる。そんな時はできるだけ笑顔で「ああそれならあそこですよ」と、わかる物なら店員に成りすまして教えてあげるようにはしているが腹の中では「ここの店員は○○電気と書いた赤いはっぴ着とるやろ、なんでわかってくれへんのおばちゃん」と思っている。

 わからない物をたずねられたときは店の人を指差して「あの人が係の人です」と答えるようにしている。「店員ではありません」と答えたら間違えた当人たちがどれほどバツが悪いか、実は僕もワイシャツを着てネクタイをめた、お客として来ているお兄ちゃんを捕まえて「すみません」とよくやるくちなので、店員で無いとわかったあとどれほど小恥ずかしい思いをするかを知っているからだ。

 同僚はそれを見ていて、「自分、店員顔しとるんと違うか?」とからかう。店員顔というのがあるのかどうか知らないが、その同僚は全くといっていいほど声をかけられないから、少なくとも彼は僕よりは店員顔でないといえるだろう。

 ネクタイを締めているときならいざ知らず、休日の電気屋で声を掛けられた。近所の○○無線をうろついていると、何かを片手に持って哀願するような目で僕のほうを見ているおばちゃんがいる。網膜の片隅で捕らえてはいるが、ここで目を合わせようものなら間違いなく声をかけてくるだろう。好きで店員に成り済ますわけではないのだから当然のことながら御免こうむりたい。

 ああ近づいてくる!だからといって逃げるのもおかしい。いくら目が悪い人でもポロシャツ着てGパンはいている僕を店員と見まがうはずもないからもう少し近づけば気が付くに違いない。

おばちゃん「あのー、すみません」思惑が外れた。甘かったか。

僕「あ、いえ、あの、そーゆーあれじゃ、係りの人は・・・」と不意を突かれてしどろもどろしていると。

おばちゃん「○○さんですよね」ん?

僕「あー!○○さんの奥さんかあ、しばらくですう。その節はご馳走様でした。おでんおいしかったですう」なんだかほっとした。知人とわかって世間話など楽しんだ。

僕「ところで今日はどうされました?」

おばちゃん「ワープロのリボン探してるんですけど」

僕「んー、最近はワープロのフロッピーとかリボンあまり置いてませんもんねー。このへんじゃないですか、あー、ほらほら、これかな?」ふと我に返ると店員を演じている自分に気が付いた。

名は体を表すというが、店員顔は店員をやるのだろうか?本物の店員さん、知ってたら教えて。

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