HAL日記

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2004年3月31日(水) 出会いと別れ (断食絵日記はこちら
 昨日の努力が実って、本日の朝食後から移動性の腹痛に見舞われました。昼食後、更に大腸の中を宿便と思しきうんこの移動している様が、その痛さから確認できるようになったので、堪らずトイレに走りましたところ、思いのほかあっさりと日の目を見るに至ったのですが、なにぶん一瞬の出来事でしたのでどういった形状であったかを観察出来ず、大変残念に思えてなりません。

 とにもかくにも宿便と共に肩の荷も下りたような気がしまして、これで心置きなく泉北ニュータウンに帰れそうです。全ての入所されていた方が満足してここを後にされたのかどうかは分かりませんが、春休みを利用して来所され、今日東京に帰られた学生さんの絵美理ちゃん(仮名)は綺麗な字でびっしりと日記をつけておられたから、体重がリバウンドする心配はきっと無いでしょう。でも彼女の場合、元々背が高くスタイルがいいからやせる必要は無いように思えるのに、そこんとこが僕には不思議でしかたありません。

 「人が外を歩けば、誰にでも等しくチャンスが訪れるのであり、それは出会いであり、幸運であり、また不運でもありはするけれど、平等に機会が与えられるのだ」といった信念を持っている僕ですが、裏づけがありませんので説得力に欠ける嫌いがあります。どなたか社会学的に証明をしてくれる人がいないのでしょうか。それともそういった蒙昧は既に否定されているのでしょうか。

 先週まで入所されておられた某女性社長さんのことを、絵美理ちゃんは「どこかで見かけたことがあるけれど一体それが何処でどなたかが分からないので、分かったら話しかけようと思っていたら、思い出す前に帰ってしまわれた」と言っていたのだが、昨日になって遂に思い出したのだそうだ。なんと彼女は某社長の開発した商品群の愛用者で、ホームページに掲載されている彼女の写真を見て知っていたのだそうだ。惜しかったねえ、もう数日早ければ断食以外の話も聞けたでしょうに。 

 

2004年3月30日(火) ふとした出来心
 稀代のオペラ歌手マリア・カラスが太り過ぎてパトロンの寵愛を受けられなくなり、当時大流行していた「真田虫をお腹に飼う」というダイエット法を実践して激痩せした話は有名ですが、そんな人が断食などしようものなら、真田虫ちゃんは瞬く間に飢えて死んでしまうのではないでしょうか。それほど真田虫というのは生命力の弱い寄生虫らしく、「嗤う回虫」という本を著した某先生はその著書の中で、「激辛の食事をしながら深酒をしたりするとたちまち真田虫が流産してしまう」と書いておられます。

 10日近くも栄養らしいものを摂取していないかったのですから、今のわたくしの大腸の中は真田虫は言うに及ばず、大腸菌までもが激減して瀕死の憂き目に遭っていたはずで御座います。ですから、食物残渣とそこに繁殖した大腸菌の死骸から形成されるという「うんこ」を未だ見ないのは、消化しやすいように軟らかく煮られた根菜類や少量のお粥だけを食べているせいばかりでなく、目下のところ大腸菌が繁殖にいそしんでいるからに相違御座いますまい。

 入所時に頂いた「断食のしおり」を繙きますと、回復食が進むにつれて一週間前後に宿便が排泄されるのが通常であるらしく、排泄時に肛門など裂る(切れるではなく裂るとあるところが恐ろしい)こともあるので、入浴時に薄い石鹸水を人差し指などに付けて、肛門の括約筋をよく刺激しておくことが宿便排泄に有利となる、と云う旨が記されて御座います。

 胃腸の検査でバリウムを飲んだ後の排泄に失敗し、石膏のように硬い便通を経験された方なら、「もう二度とあの悲劇は繰り返すまい。ノーモア・バリウムの便秘」と心に誓ったはずで御座います。わたくしも同じ過ちを繰り返すまいと念願する一人で御座いますから、ここは忠実に「断食のしおり」に従うのが賢明で御座いましょう。幸いにも本日から入浴が許されたものですから、早速風呂場にて実践いたしたので御座います。
 
 マニュアル通りに石鹸を泡立てて中指で括約筋をマッサージしておりますと、これがまあなんと微妙な気分になるものでございますなあ。あまり長くやっておりますとあらぬことを妄想しても困りますので、最後の仕上げとしてゴシゴシとやりましたところ、「ハゥ、、ッ!」。 皆様は顔を洗っているときに、勢い余って小指を鼻の穴に突っ込んだことは御座いませんでしょうか。かつて内視鏡を挿入されたことを話したとき、「気持ちよかったですか」と訊いた女の子の言った意味がこの瞬間にようやく理解できたような気がしたわたくしなので御座います。 

 

2004年3月29日(月) 日課
 静養院での日課はおおむね次の通りであります

05:30 くらいに起床 
06:00 洗面、その他。娯楽室で勤行が始まるまでケーブルテレビ
06:30 勤行開始 15分程度で終了
07:00 朝食 8:30から9:00まで自室のパソコンでNHKニュース
09:00 健康講座の放送(初代院長の著作の朗読)内容はとてもいい
10:00 英語ソフトでトレーニング(全部やれば続基礎英語程度か)
11:00 昼食 その後も英語(ヒアリングは結構難しい)
12:00 将棋ソフトで遊ぶ(馴れて来たので対戦成績は勝ち越し)
13:00 散歩 生駒駅前の本屋、スーパーで水の購入、写真撮影等
15:00 シャワーのある日はその後に洗濯
16:00 夕食 その後少々休憩 散歩が疲れることもある
17:00 ぼちぼちホームページのメンテナンスを開始
18:00 夕方の勤行 その後苦しみながら9時ごろまで日記をつける
21:00 ニュース 面白そうな映画でもあれば11時頃まで見る
23:00 あんまり眠くも無いが習慣づけのために床に入る

 以上が平均的な毎日の過ごし方であります。朝10時から夕方6時までは自由時間なので、ほぼ一日中パソコンの前に座っており、その合間の時間に散歩に出るといった具合なのであります。プログラミングのトレーニングをやろうと思っていたのでありますが、絶食中はハードに頭を使うことなど全くやる気が起こりません。

 窓外の桜も本格的に咲きほころび始め、小鳥たちがせわしなく蜜を吸う姿が観察できますし、娯楽室は春休みになったこともあって、友達を出し抜いて自分だけ痩せて綺麗になろうと目論む若い女の子で花が咲いたようになりました。この二つによって僕は生駒山に遅めの春が訪れたことを実感出来たのであります。   

 

2004年3月28日(日) 憑かれた!
 道路にはみ出して置かれてあるプランターに入り込んだ小型犬が、匂いを嗅ぎながら花を踏みにじっているのをじっと見ている飼い主に腹が立つ。「プランターを道にせり出して置いているのも悪い」、と憤る。階段の途中に屯しておしゃべりしている連中に逆上しそうになる。なかなか咲かない桜に苛立ちを覚える。こんな風に絶食中の心理状態は、まるで潤いの切れた僕の肌と同じく荒んでいた。

 回復食3日目。よく噛みながらゆっくり食べても決して満腹感の無い粗末な食事を、ハイチやイラクの食糧難にあえぐ子供たちに思いを馳せながら食べつつ、「食べられる喜びを享受できてごめんなさい」と謝りたくなる。長い闘病生活の末、遂に病を克服し、後は快方に向かうだけの入院患者のように、今の僕は寛容で慈悲深い人間になっているので、イスラエルの為政者に風化カルシウムでも贈って、「これでイライラが治まります」と言ってたしなめてやりたいと思っている。

 気持ちに余裕が出来たので、買出しのための散歩ではなく、滝を見に行こうと思い立ち、ここ静養院から10分程歩いて、初代院長が行をされたという滝に着いた。写真を見て想像していたよりもこじんまりとしていて、行場らしく石仏などが配置され、滝つぼにはお立ち台が設けられており、直ぐそばには暖をとるためのお堂も用意されている。生駒山では唯一の滝修行場なのだそうだ。

 写真を撮り、勤行の時間が近づいたので帰ろうと振り向いたそのとき、「カレーうどん」という単語が不意に頭に飛び込んできた。どう云う脈絡だか分からない。何かのサブリミナル効果だろうか。とにかく「カレーうどん」なのだ。帰り道を歩きながらも頭の中を「カレーうどん」がぐるぐる回る。

 そういえば遍路のガイド本に、「滝の周辺には悪霊、雑霊などの低級霊が多く飛散堆積しており、近づく時には結界を張る事。さもなくば、たちまち憑依されて命を失うこととなろう」と書いてあったのをすっかり忘れていた。よしんば思い出したとしても結界の張り方を知らないのでは意味が無いし、滝に手を打たせてしまった後ではもう遅すぎる。どうやら僕はカレーうどんの雑霊に憑依されてしまったのだ。これを書いている今も、頭の中にはカレーうどんの雑霊どもが渦巻きながら、時には絡み合いながら、グツグツと泡をたぎらせ僕を苦しめている。

 

2004年3月27日(土) ゆっくり食べられる
 「今朝の味噌汁は殊の外美味しく感じたのではないですか?」と、院長がおっしゃる。10日間何もを食べていなかったので当然といえば当然なのだが、美味しく感じた。しかしややショッパく感じたのは断食の影響だろうか、それともいつものお姉さんが休みで代わりのおばちゃんが料理を作ってくれたからだろうか。普段なら3分で済むような質素極まる回復食を10分もかけて、慈しみながらいただいた。

 今までの食事の摂り方が、何かにせっつかれる様にろくに噛みもしないで胃袋に放り込まなくては気が済まなかったことを思うと、噛む必要の無い三分粥まで咀嚼しているのはなんだか不思議な気がすると同時に、現在までの食事のやり方には相当問題を抱えていたと気付かされる。

 酒の飲み方にしても同じだが、ビール、ワイン、日本酒、ウィスキーと、常に種類の違うアルコールを前に、酒を飲むための肴を夕食にしていた生活が懐かしいし、出所した後もそれを変えようとは思わないのだが、せめて2種類に限定し、肴はゆっくり咀嚼しながら食べようと思う。減量と断酒のみを念頭において入所したはずだったのに、思ってもみなかったな効用を発見をした。

 

2004年3月26日(金) 夜桜詣で
 宝山寺はその規模においては瞠目に値すると云うほどではないが、参拝客は一日中途切れることがない。ほとんどの方が車を利用しての参拝らしく、歩いて石段を登らなければ真価が分からない門前町(その名も門前町)は斜陽の様相を呈していて、数十軒も立ち並ぶ料理旅館前も昼間は客の気配が無い。この料理旅館というものが一体どういう性格の旅館で、観光旅館とどう違うのか、僕はおぼろげながら知っているだけだ。

 かつての会社で宝山寺門前町の噂を聞いてきた誰かが、「金を積み立てて一晩豪遊しよう」と言い出し、有志を募って細々と預金を始めたまでは良かったのだが、「毎月の3000円を出すくらいなら刹那の享楽を選ぶと」いった連中ばかりなものだから、集金は停滞しするわ、業を煮やした会計担当が預金を使い込むわで、結局幻の企画に終わってしまった。

 正月の宝山寺の人出ときたら、僕が知っているだけでも3箇所ある広大な駐車場がすべて満車になり、周辺の体育館やその他の施設を臨時駐車場にして、無料タクシーが運行するのだと聞く。なんとも太っ腹な話だがそれもそのはず。このあたり一体が全てお寺の所有地らしく、土地の賃貸収入だけで莫大な金額が転がり込んでくるのだと云う。

 今の僕には宝山寺に商売繁盛を祈願するよりも、毎月1日と16日にどなたかが奉納されると聞く樽酒のことが気にかかる。そして最も楽しみなのは、閑散とした昼間の料理旅館が様変わりするであろう夜の姿を左右に見ながらの夜桜見物だ。しかし肝心な桜がこのところの冷え込みのせいか、なかなか咲いてくれない。出所まであと9日。社会復帰するまでには実現できるだろう。

 

2004年3月25日(木) 断食は心のダイエット
 断食写会に登場してくれた葵ちゃん(仮名)は、1週間の予定で来所し、5kg痩せたのだそうだが、回復食の重湯が飲めなくて、「早く帰りたい」としきりに訴える。「最後まで頑張ればいいのに。でもそんなに帰りたいなら副院長に相談してみたら」と言ったら翌日許されて、1日を残して帰っていった。彼女の場合はリバウンドが心配だが、もし失敗してもいくらでも取り返しが効くだろう。なんたってまだ19歳だから。

 今日もまた若い女の子が二人入所してきた。一人は痩せ型だが、もう一人の子は待望のポッチャリ型だ。僕がここに来て初めて出会うタイプの女の子だ。しかしだからといってあからさまな肥満というわけでは決してなく、あくまでポッチャリという程度。いやむしろ健康優良児と表現してもいいようなふくよかさなのだ。

 十年前にウィンドサーフィンを始めた頃の僕はむしろ痩せていて、53kg程しかなかったが、趣味がピアノに変わってからというもの、だんだんと太り始めた。毎週レッスンに通い、テストを受けているようなものだったから、緊張の捌け口を酒に求めた結果だと言えるだろう。

 やがて仕事に忙殺されてピアノは止めざるを得なくなったが、父が病に倒れてからはいっそう肥満に拍車がかかり、遂に60kgを突破してもなお太り続け、父の葬儀を迎えたときには70kgに達していた。いつ訃報が届くか知れない状況の下。酒に倒れた父を教訓とすることなく飲み続けることで、日々の緊張を和らげていた自らを蔑視しないわけではないが、もしも酒と食に助けを請わなければ新興宗教にでも走っていたかも知れないと思うと、どちらが幸福になれたか今の僕には分からない。

 

2004年3月24日(水) うんこの仕方を忘れた
 苦しい。微熱が続いている。寝返りを打つというような、ちょっとした動作で動悸がすることがある。雨が降っているから外出は出来ないが、晴れていても外へ出る気になれそうも無い。

 最後にうんこが出たのは本断食に入る前の夜のことで、それも桜餅一個分程度のささやかな一物だった。それ以来便意を催すことは無い。こうしているうちに狭くなった腸壁がこすれて宿便が取れるのだろうか。しかし3年ほど前の成人病検診で大腸S字結腸にポリープが発見され、オペの前日に生臭く塩辛い下剤(ニフレック)を2L飲んで病院行き、ゼリーを塗られた肛門に内視鏡を突っ込んでいただいて、大腸の内壁を見せてもらった限りでは全く綺麗なもので、宿便なんて何処にあるのだろうと不思議だった。今思えばあの時にはもう既に流れていたのだろうか。

 会社でオペの模様を話したら、女の子が、「気持ち良かったですか?」って、「あれは苦しいもんなんだ」と、力説したのだがどうも理解してもらえなかったようだ。それはさておき、今気になっているのは果たして宿便が出るのだろうかということで、それもバリウムを飲んだときのように便秘になりはしないかということだ。女性では珍しくないのかもしれないが、僕は今だかつて一週間もうんこをしなかったことが無い。体はだるいが気がかりなことといえばそれだけだ。

 

2004年3月23日(火) 治療としての断食
 ダイエット願望の女の子が入所の面談に来ると決まって、「○kg痩せたいんです」と訴えるという。すると副院長は、「あなたが○kg痩せたら友達や周りの人が、『○○ちゃん軽くなったね』と言ってくれるのですか?大事なのは、サイズではないですか。今のウエストが何センチで、何センチまで縮めたいんですか?」と訊ねてもほとんどの子が、自分のサイズが分からず、何センチ縮めたいのか答えられないそうだ。

 考えてみたら男がダイエットするのは腹回りを小さくしたいのであって、頬っぺたに肉がついたから口の中をよく噛んでしまうとか、のどに脂肪が付いたので鼾をかくようにり、睡眠時無呼吸症候群になったらしい。といった諸々の問題は腹回りが萎むにつれて解決するだろうと思い込んでいる。

 しかし女性にとって問題は複雑だ。下手なダイエットを続け、お腹の周りが縮んだと喜んでいると、気がついたらバストも縮んでということが少なくないと聞く。哀しいかな人間は部分痩せが出来ないのだそうだ。いくらアブトロニックを腹に巻いて、日がな一日腹筋を痙攣させて汗を流しても、腹回りの脂肪だけを燃焼させるのは不可能なのだと云う。

 ではいったいどうすればいいのか。断食を始めると一日1400から1800キロカロリーを必要とする基礎代謝を維持していくために、内臓に纏わり付いた脂肪を先ず最初に消費し始めて、それが尽きると皮下脂肪を消費し始めるのだそうだ。つまり内脂肪が無くなったところで回復食に切り替えると、皮下脂肪が落ちる前にお腹周りがすっきりする、といった理屈らしい。
 
 ここに来て驚いたのは、僕のように尿酸値が高く夕方になると右足の親指の付け根が痛み、アルコールのせいで動悸がしたり、血圧も高いといった、本当に減量をしなければならないような人は誰一人として入所していなかったということだ。ここに来ている人の多くは健康志向の強い方たち、あるいは元々美人なのにもっと綺麗になりたいと願う欲張りな女性たちなのだ。

 40代なのに90代の体だと医者から言われ、通風、血圧、糖尿病。と様々な薬を処方されている知人は恐らく断食はしないだろう。僕自身に関して言えば、酒が自分の意思で止められるくらいなら断食道場に来たりしないし、食事制限が自分で出来ないからこんな事態に立ち至っているのだ。それと同じように、成人病を患っている人は不健康に鈍感な方が多いように思う。病院行けば喜んで薬は出してくれるだろうが、成人病ごときに親身になって治療しようとする医者などいはしない。自らが招いた惨状は自らで解決しようとしなければ現状は何一つ変わらないのだ。楽をして健康を回復しようと考えるのは間違っている。

 

2004年3月22日(月) やっと痩せた実感が湧いてきた
 「ホ〜ホケキョッ」 うぐいすの鳴き声で目が覚めて見ると、今朝の生駒山は冬の嵐のように冷たい風雨が屋久杉の大木を揺らしている。うぐいすはどうやらその大木に雨宿りをしに来て鳴いているようだ。

 それにしても、なんとも古典的というか正統派というか、非の打ち所の無い鳴き声だ。が、院長曰く、「今年は温かかったので2月頃から鳴き始めましたんです。初めのうちは『ケキョ、ケキョ』と鳴いてましたが、そうしているうちにいつの間にか上手になったんです」ということだった。

 どうでもいいけどこの部屋の寒さはどうだ。持ってきた服をみな着込んで炬燵にあたりながらパソコンのキーを打っているが、指先が冷たくて5分打っては5分暖めるという繰り返しだ。葵ちゃん「仮名」の部屋にお邪魔すると、14インチのテレビという熱源があるとはいえ僕の部屋よりずっと温かかったのはなぜだ。彼女が僕を見て、「頬っぺたが痩せた感じぃ。でも顔色がめっちゃ悪いよぅ」と言う。その通り、昨日までは熱っぽくて赤ら顔だったし、むくみがあったけど、今朝から熱も下がりむくみも取れて見た目にも痩せたと感じるのだ。

 入所8日目にしてようやく体重計以外で痩せたと実感できたのは今日の夕方シャワーを浴びているときだった。いままで醜く突き出たお腹に邪魔されて、マイジュニアが見え隠れしていたのに、今日晴れて御対面出来たのだ。嬉しさのあまり、「おい、久しぶりやなぁ、元気にしとったか?」と、思わず口走ってしまった。

 またもや新人さんお二人が入所。60歳近い男性と、20歳そこそこの清楚な女の子。お二人とも決して太ってはいないから、もっと別なところに目的があるのだろう。

 

2004年3月21日(日) 今日も歩きすぎたか
 断食4日目ともなるとさすがに苦しい。炬燵に入り台の上に頭を突っ伏している時間が長くなった。本を読むのはぼーっとしながらでも出来るが、パソコンに向かって物を書こうとすると、何も思いつかない。タイピングのミスが多くなって一行に何分も掛かったりする有様。

 熱っぽいし、口の中が粘る。だるくて動くのが億劫だ。鏡に映った顔はやっぱりむくんでいて、アルコールではなく熱のせいで赤い。体重の減少ペースが鈍っているのは、カロリー摂取に見合わない運動をしたから、細胞内浮腫を起こしているのかもしれない。そういえば水を2Lも飲んでいるのにトイレの回数が少ないのはどうしたことかと思っていたのだがそういうからくりだったか。

 今日も新人が入所してきた。またしても20代前半の、何処から見ても普通の女の子で、本人は太っているからといっているが、本当の訳を初対面で開陳するはずも無いから、きっと自身では深刻な悩みを抱えているに違いないと思う。

 NHK杯将棋トーナメントの賭けに勝ったので、友人から「何杯でもビール飲ませてやる」と云うメールを貰ったが、例の場末のサロン、毒戴マスターの店には足が向かないのではないかと思っている。今のような惨めで苦しい収容所生活はもう二度としたくないからだ。

  

2004年3月20日(土) 断食修行の身に女の子がぁ
 このところ、「へぇっへっへぇ〜!ジュニアは元気かい?」といった旨のメールを頻繁に頂くようになったので御座いますが、この方達ときたらわたくしの体調のことは心配では無いので御座いましょうか。他人の不幸を笑うものは自らが同様の不幸に見舞われるということをご存じないらしく、わたくしの尊厳を貶めようと心無い有り難迷惑メールをせっせと送り付けて下さるので御座います。

 こういった不幸の手紙のようなメールには、テロ対策防止法をもってしても太刀打ち出来かねますので致し方御座いません。正直に告白いたしますと、ジュニアとは全く音信普通となっておるので御座います。もっとも、わたくし自信が気合を入れて、「勃てぇー!勃つんだ、ジュニアー!お前はオレの希望なんだぁー。勃ってくれぇー!」と行動に移せば、あるいは願いを聞き届けてくれるやも知れませんが、今のところはそのような檄を飛ばす気には毛頭なれないのでございます。

 断食と申しますのは行で御座います。食欲は無論のこと、一切の我欲、煩悩を捨て去った境地こそがわたくしの希求するところで御座いますから、「痩せて女の子にもてよう」などという邪まな煩悩を抱いているはずも御座いません。ただひたすら仏道を成ぜんことのみを願いつつ朝に夕に、般若心経を一心不乱に唱えるわたくしの姿を御想像いただきとう御座います。

 本断食が始まったとはいえまだ三日目で御座います。日ごろより東南海地震に備え、飢餓対策として越冬前のアザラシよろしく十分に脂肪を身に纏っていたわたくしで御座います故、いまだに散歩にも出かけることが出来るほどの余力を残しておるので御座います。娯楽室で、「明日も散歩に出かけます」と宣言しましたところ、可愛らしい女の子が、「私も付いて行くぅ〜」と申しまして、そのままわたくしの部屋に上がり込み、30分も話し込むに至っては、わたくしの意に反しジュニアが心を取り乱し、恥ずかしながら「ピクリ」と反応してしまうという、禁断を冒してしまったので御座います。

 「南無大師遍照金剛」願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に佛道を成ぜんことを。

 

2004年3月19日(金) 断食は冬眠
 確実に4.5kg痩せたというのに鏡に映してみると、見た目は大して変わらないのでがっかりした。酒焼けで赤く浮腫んだ、頬っぺたぷっくりのところも同じだし、お腹の出具合も気持ちだけへこんだといった程度の成果の無さはどうしたことか。恐らく真っ先に消費される脂肪分は体内脂肪で、その次が皮下脂肪だろうから、先ずは肝細胞に蓄積された脂肪が分解されていると思いたい。

 少しでも体重を減らしたいと思うので、往復3〜4kmほどある麓の生駒駅まで歩いて近鉄百貨店に入って見ると、食品売り場は結構広く品物が充実していて、特にチーズの種類は泉北高島屋など楽に凌ぐほどだ。お腹が空いているのでついつい誘惑に負けそうになるが、生駒の水とバナジュウム入りの富士山の水だけを買い、4kgになったザックを担いで元来た石段を登ったらすぐに息が上がってしまった。ふと気がつくと目の前には清涼飲料水の自動販売機がある。水以外のものは飲むなと言われているけど、まあアクエリアスならいいだろうと勝手に解釈して、冷た〜い350缶を一気飲みしたら頭が痛くなった。

 ここ静養院の開院は凡そ85年前にあ遡れるということだが、現在の建物は70余年前の建築らしい。僕の部屋は最も安価なCの部屋で多くの人がそのグレードを選択しているみたいだ。しかし空いていたのが本棟からは離れていて別館と呼ばれている建物で、共同のトイレはもちろんあるのだが、この辺り一体は汲み取り式らしく、また便器自体が古いために用を足そうとするとアンモニアで目が痛くなるので、本館の便座が温かい綺麗なトイレで用を足すことにしている。潔癖な方にはSAというグレードの部屋を推薦するが、トイレはもちろん冷蔵庫からエアコンからシャワーと一通り揃っているので(ビールが冷やせる)自己管理がしっかり出来る人しか使用しないほうがいいかもしれない。

 4kgを担いで階段を登って帰ったら汗をかいたので、風呂に入りたいと申し出たのだが、心臓に負担がかかるので本断食中は一日おきにシャワーを5分程度にしてくださいといわれた。ここの断食の概念は、食べ過ぎ飲みすぎで疲れた内臓を休めて、免疫能力を回復することにあるらしく、断食中は運動をしないというのが基本なのだそうだ。言ってみればリスや熊が冬眠するのと同じで基礎代謝のみで減量を目指すのが正道なのだ。熊が冬眠から醒めていきなり獲物を捕ることが出来るのは骨や筋肉が痩せていないからだそうで、断食も同じことだから安静にしていなけらばならないそうだ。断食中に歩き回る僕はどうやらここでも異端児のようだ。

 

2004年3月18日(木) またもや普通の女の子だ
 昨日一人去ったと思ったら、入れ替わりに一人ニューフェイスがやって来た。また若い女の子で、二十歳くらいじゃないかなあ。「肥満体なんでやってきました。一日にどれくらい痩せるんですか」と訊くけど、君が肥満体なら世間の女の子はほとんどが肥満体と呼べるんじゃないか、というくらい普通の体型をしている。「一日に1キロのペースで痩せていくみたいよ」といったら、「ウワー嬉しぃ!」と微笑んだが、今のままで良いんじゃない?

 お母さんと娘さん二人で一週間体験した方の話を聞くと、「生駒の水が飲めない、頭痛はする、ストーブの臭いで嘔吐しそうになる」と、散々な思いをなさったのだそうだ。だから僕が元気そうなのを見て不思議そうに、「何日するんですか」と聞くので、「21日です」と答えたら、新人さんが、「21kgも痩せたんですか」と訊く。そんなに痩せたらいくらなんでも痩せすぎだろう、「目標10kgですよ」と聞いて安心したようだ。

 残り7日間を毎日1kgのペースで痩せていくと、今で-3.5kgだから目標は楽々クリアできそうだ。しかし明日どれくらい散歩できるだろうか。水が切れるので、4L買いに行く事が出来るかを今は心配している。

 

2004年3月17日(水) 森久美子はいない
 院長に聞いたわけではないから正確には分からないが、入所日の一覧が黒板にあったので数えたら、入所者は現時点で20名らしい。そのうち僕が出会っ男性は2名しかなく、後はみな女性なのかも知れない。廊下を歩くと、部屋の前に掛けられている名札は、驚いたことにほとんどが女性名なのだ。

 それではきっと森久美子さんみたいな女性が大勢入所していて、巨体をもてあましつつ空腹と必死に戦いながら断食に励んでいるのだろうと、勝手に想像をめぐらしてしまったのだが、朝夕の勤行(自由参加)でお会いするのは、若くて普通の体型の何処にでもいそうな女の子ばかりでいささか拍子抜けしてしまった。

 めでたくも今日出所した優衣菜ちゃん(仮名)は、「太りたくて来たんです。一週間でしたが、完全に水だけの断食はしていません」ということだった。言われてみれば華奢だが病的ではなく普通の20代の可愛らしい女の子ではないか。別の20代の柚美ちゃん(仮名)は、「美容と健康と自己啓発のために来ました」と言っているが、女優の安達祐実さん似の、これまた可愛らしい子がどうして?と首を傾げざるを得ない。

 アルコール中毒と成人病のボーダーラインに居る僕は、体調が優れず已むに已まれなくなって断食に来たわけで、そういう者に言わせれば美容のためなら他にもっといい手段があるんじゃないかと思うのだが、どんなものか。彼女たちによれば、「減量目的よりも、もろもろの慢性病や皮膚病の治療のためにここを訪れる人のほうが多いかもしれない」という。藁をもつかむ気持ちで断食に救いを求めるのは、アル中と成人病のおじさんばかりではないらしい。

 
 

2004年3月16日(火) 玄関で立ちすくんだ←絵日記
 「道場に来る前の夜はお酒を抜いて、当日の朝と昼は軽い食事をしてください」と入所案内にあるが、「酒を抜いて寝ると遅刻の可能性があるじゃないか」という言い訳を思いついたので、「軽めのお酒」にとどめておいたがそれでも寝る時間がずれ込んでしまった。

 泉ヶ丘を発って数駅過ぎる頃には瞼が重くなってきて、うとうととやっていたら甘い香りが開いたドアーから流れ込んできた。「椿油」そうだ春場所の季節だと気がついて頭を上げると大きなお相撲さんが二人、向かいの席に座っている。一人は日本人力士で、もう一人は「黒海関」みたいだが、幕内力士が電車に乗るのだろうか。

 南海難波駅から近鉄奈良線に乗り換えて座った。少し寝ておきたいので目を瞑ったが数駅して停まったところで焼肉の匂いを感じて目が覚めた。鶴橋駅だ。ここは焼肉の有名店があるので会社仲間で来たことがあったのを思い出す。

 生駒駅に着いたのは2時50分。「十分間に合うじゃないか。これなら慌てて来なくても良かったものを。もっとゆっくり本屋で平美樹さんの本を探せば見つかったかもしれないのに」と悔やみつつ、今月最後となるコーヒーを喫茶店にはいって飲んだ。

 急な坂を宝山寺目指してケーブルカーが進む。ゆっくり走っているのにとても乗り心地が悪い。10分くらいで終点宝山寺に着いた。静養院はドライバーを打つと届きそうな距離に見えている。あえてゆっくり歩いて玄関と思えるところににたどり着いて、その廃屋のような古さに呆然となったが前金を払っているからもう引き返せない。

 「怪しげな佇まいはやっぱり現実を現していたのいたのか」と、恐る恐る玄関をくぐると、沢山の靴がそろえられておいてある。ということは入所者は結構いるのだということに気付いてホッとした。

 副院長と面談して書類に記入して説明を受け、部屋に通されると、既に食事が準備されていた。炬燵、小さな折り畳みテーブル、ゴミ箱、コンソール、既にひかれた布団。たったそれだけの四畳半の部屋でわびしい食事をいただいた。もう少し情報を収集してから申し込むべきだった。無茶だったと悔やんだが時既に遅し。唯一の救いといえば、20名の入所者の多くが若い女の子ということぐらいなのだった。

 

2004年3月15日(月) 悪あがき
 遂に断食道場入所の案内が郵送されてきた。費用の振込みが確認できたという表現は無いが、「どうぞおこしやす」という風に受け取っていいのだろう。パソコン周りはほぼ設定できたので憂いは無いが、菩提寺の御住職曰く「怪しい佇まい」ということだから非常に不安である。

 しかし泣き言を言っている時間はもう無い。現地には4時までに到着しなければならないから2時前には電車に乗っておきたい。が、その前に例のラーメン劇場に立ち寄り、体に悪いことをするという当初の目的をある程度達成しておかなければならない。風来軒を目指したが2、3人が行列を作っているのでやむなく、尾道ラーメンの「柿岡や」に入ったら満席に近い状態だった。

 「尾道入りまーす」の声で、僕の注文したラーメンが基本形で売れ筋であること推測できる。「青葉」よりやや薄い醤油の色をしたスープは煮干から出汁を取っているのだろうか、和テイストをコンセプトにしているようで煮干がやや勝っているとはいえ醤油と相性がいい。味のバランスが気になる御仁は胡椒やラー油で整えてみたらどうだろう。背油は思っていたほど入っておらず、さっぱりしていた。まあこれなら週に一度は食べたい気がする。後一軒ノルマを残しながら、志半ばで断食道場へ旅立たなければならない僕の最後のメソッドはこれで全て終了した。晴れ晴れというほどではないが、満足して泉ヶ丘駅を後にしたのだった。

                                     つづく

 

2004年3月日14(日) 旭川ラーメン
 泉が丘ラーメン劇場の日曜日は幾分混雑していて、豚骨ラーメンの店「風来軒」だけが行列をなしているが、本日の目標は旭川ラーメンの「青葉」だ。以前コンビにからカップ麺で発売されていたのを食べたことがあるので、本当にあんな味なのかどうか確認したかったのである。

 店内は何の変哲も無いシンプルな作りになっていて、7〜8名程度のお客さんがおり、僕の注文した醤油ラーメン以外のものを食べているようだった。テーブルには胡椒と粉ガーリック。ここでもトッピングが自由に出来るものは置いてない。それにしても粉ガーリックとはいただけない。せめてフライドガーリックくらい有ってほしいものだ。

 北海道旅行のパンフレットを見ながら10分程待っただろうか、店内は空いている状態なのにかなり待っているように思うのは錯覚だろうか。行列を作って店外で20分でも30分でも待てるというのに、店内に入り注文してから3分も待たされるといらいらし始めるのが人の心理なのだというが、全くその通りだ。パンフレット見るふりをして入るが、網膜の片隅にはしっかりと、麺を茹でるお兄ちゃんの所作を捉えている僕は、「あれがオレのラーメンに違いない」と期待しつつ2回外し、3回目でようやく女の子が「お待たせしました」と運んできたとき、さも「意地汚く待ってなんかいませんでした」といった風を装いながら、おもむろに蓮華をスープに浸けるのだった。
 
 一口つけて、「あー、これはカップ麺の味に酷似しているな」と感じる。濃厚な醤油はやはり油が浮いているのでコクがあるようには思うのだが、それほど深みがあるようには思えない。美味しくはあるが、まあカップ麺でも我慢できそうなので、次の機会には別のものを注文するだろう。いや、それ以前にこの店に足が向くかどうかだ。

 

2004年3月13日(土) 徳島ラーメン
 ご当地ラーメンのブームに乗って、関西では和歌山の次に徳島ラーメンが全国に知られるようになった。徳島と和歌山の県民性を比較できるほどの経験を僕は持ってないが、フランクな和歌山と違って紳士的な雰囲気を持った人が多いように思える。それはさておき、ラーメンのベースは和歌山の井出系と同じ豚骨醤油なのだが、繊細な井出系と打って変わり、豚臭さも味わってしまおうというような野趣あふれる無骨といってもいい濃厚さがある。井出系を女性的と例えるなら、徳島ラーメンは男性的といえるかもしれない。

 それにしても近年のカップラーメンの味の再現性はどうしたことだろう。徳島ラーメンの味にそっくりな出来に驚いてしまった。最も現地でいただくラーメンの中に入っているのはチャーシューではなく、いわゆる豚肉で、大抵の店にはおでんと白御飯が付き物。腹一杯飯を食うためにラーメンを食うといった趣の店が多いように思う。

 さて、ラーメン三昧も残すところ後二日。全店制覇は出来そうもないから出所してからの楽しみに取っておくとするか。

 

2004年3月12日(金) 和歌山ラーメン
 「青葉」に行くはずだったのに、気がついたら高速に乗って和歌山県と大阪府の境界、阪南市にあるラーメン屋「泉善」(せんよし)に向かっていた。たかが550円のラーメン一杯食べるのに片道750円の高速代を払う愚行を笑うがいい。しかしそうまでしても食べたくなるのが、和歌山ラーメンを一躍全国に知らしめた、「井出商店」系列の豚骨醤油ラーメンなのだ。

 断っておかなければいけないと思うが、和歌山ラーメンというものは本来なく、店によって味のベースはまちまちだ。また、ラーメンではなく中華そばと呼ぶのが正道である。店の名前は○のなかに一文字を入れて「まるさん」とか「まるみ」といったエンブレムを掲げているところが多い。白御飯は大抵置いてなく、その代りに巻き寿司、あせ寿司(さば寿司)、ゆで卵が置いてあるのだ。

 久しぶりに「泉善」の暖簾をくぐり、「中華硬い目」と注文した。もし、何も言わなければ伸びきったような茹で加減の麺が出されるから要注意だ。その軟らかさときたら長浜ラーメンの「針金」や「バリ硬」を日ごろ口にしている人にとっては、ラーメンの尊厳を貶める許しがたい愚挙と映るだろう。

 だが心配はいらない。和歌山県人というのは融通無碍をもって知られているのである。硬めだろうが軟らかめだろうが、スープ濃いめだろうが薄いめだろうが、ねぎ多めだろうが注文を聞いてくれる。「お上何するものぞ」という気質があるので敬語を使いたがらない人が多いから、ともすると野蛮でぶっきらぼうに思えるかもしれないが、裏を返せば直截で誠実な県民性である証なのだ。

 「泉善」の中華そばを初めて食べたときは、井出商店とは一線を画した味だったと思うが、井出商店の大将がテレビのラーメン対決かなんかで勝ち、横浜のラーメン博物館に出店して一世を風靡してからは井出商店伝統の味に戻ったように思う。しかし最近気がついたのだが、和歌山市内にある同系列店の麺とは少し違うように思うのは気のせいだろうか。ともかく豚骨と醤油が絶妙にホモジナイズされたスープは見た目とは裏腹に実に上品で、さばの寿司と良く合う。

 余談だがここの大将は「梨木」と書いて「ありのき」さんと読む。冗談に聞こえるかもしれないが御本人に確認したら、「ルーツを探しとるけど分からん」とおっしゃっていた。満足して店を出ると友人からメールが来た。「徳島のラーメン屋『王王軒』がカップ麺になってローソンから売り出されて有名になり、久しぶりに行ってみたら行列が出来る店になっていて、気軽に行けなくなった」とのこと。早速ローソンで徳島ラーメンを購入した。体に悪そうなものを腹一杯食うのも今週限りだ。どうにでもなれー!

 

2004年3月11日(木) またも豚骨ラーメン
 今日のラーメン三昧は、醤油と塩で勇名を馳せている「青葉」と決めてラーメン劇場に出向いたはずなのに現地へ行ってみるとすっかり忘れてしまっていて、ふらふらと入った店は「山小屋」。この店も昨日と同じく豚骨味。「しまった〜今日は青葉だった〜。二日も続けて豚骨はさすがに嫌だけど食券を購入してしまったらどうしようもない」と、またも基本形。メニューの一番上の左側に掲載されている「昔のラーメン」を頼んだ。

 半熟卵が半分に切られてトッピングされている写真を見て美味そうだからと、ついつい券売機に小銭を投入しようとしたら足りなかった。札入れを覗いたら万札しか入ってない。うろうろしていると店のお兄さんが両替をして来てくれた。それだからと言うわけではないが、昨日の豚骨よりはこちらのほうに僕個人的には軍配を上げたい。

 麺はやや太くて味の自己主張が強く昨日の店の細麺のほうが僕的には好きだ。コクを油に頼っているところはいただけない気がするが、これなら二日続けてもまあ許せる。しかし残念なことに唐子高菜も紅しょうがも自由にトッピングできないということ。これさえあればしょっちゅう来るんだがなあ。明日こそは「青葉」へ行くぞ。

   

2004年3月10日(水) ラーメン三昧
 昨年の今頃はまだ行列が出来ていたラーメン劇場の「山神山人」に入り、基本形の極細豚骨ラーメンを食べてみたが、こってりとしていながら臭みもなく上品な味だった。近年の大阪は豚骨ラーメンの進出が著しく、本場の博多に負けないレベルの物が食べられるようになったので分かるが、この店の味も決してまずくはない。しかし残念ながらインパクトがあるというほどのものでもなく、もう一度食べたいとは思わないのだ。

 以前、博多は天神の有名店に並んで、卵を産む鶏のように隣の人とパーティションで仕切られた薄暗い店の豚骨ラーメンを食べてがっかりしたことがある。おまけに激辛に絶えられなかった根性の無い僕のお腹は2時間ほどして悲鳴をあげた始め、夜中まで下痢が続いたのを思い出す。連れて行ってくれた地元の人曰く「体力が落ちているときに激辛を食べると下痢しますねぇ」ってそんなに危険なものなら最初に教えといてくれよ。

 月曜日から断食に入るので今のうちに出来るだけ不摂生をやっておかなければ気が済まないから、今週中にラーメン劇場を一通り制覇しようと思う。明日は「青葉」の醤油ラーメンの予定だ。今日断食道場「生駒静養院」さんに140,630円振り込んだが、振込み確認のメールは貰ってない。なんだか少し不安ではある。

 

2004年3月9日(火) 入所の予約
 友達の奥さんの体調が思わしくなく、病院で血液検査をした結果、「立派な糖尿病ですね」と、医者から宣告されたらしく、早急な治療が必要なのでどうしたらいいか、と聞くので、「遍路でもやったらきっと減量できるよ、それとも一緒に断食道場にでも行くかい」と言ったら「アホか!」と、予想通りのアクションするのは、彼が学会の方だからだ。

 歩き遍路は事前に僕が思っていたより、肉体的にも精神的にも癒しの効用があったものだから、会う人毎に歩き遍路長命説を説いて回っているのだが、どうも彼だけは聞こうともしない。「四国は何教でも拒まないんだから、お寺で般若心経の替わりに南無妙法蓮華経を100回唱えたらどうよ、クリスチャンも歩いとるよ」と言うと、「まあ観光でなら行ってやってももええけど」という答えを聞いた辯天宗の信心深い飲み屋のマスターが文句を挟んで話が紛糾してしまった。

 「金を払った上に飯を食わせない宿に泊まるというのは一体どういうことだ。それならいっそうの事もう一回花遍路をやって来たらどうだ」という罵声を浴びながらも遂に断食道場入所の予約を済ませた。確かに皆様のおっしゃる通りで、初心を思い出して断酒のための歩きを始めればいいのだろうが、歩いていると酒がとても美味しく感じるので誘惑には抗えそうも無いし、元々断食には興味があったものだから今回の運びとなった。またもやパソコンを持ち込んで今度は断食をリアルタイムでリポートします。どんな目に遭うことやら。

 

2004年3月8日(月) 断食予定
 長島監督が脳梗塞の疑いで入院したニュースを聞いた知人は急に不安を覚えて近所の医院に駆け込んだと言う。

)^o^( 医者:どうされました?
(T_T) 知人:胸が寂しくなることがあるんです
)^o^( ププーッ、具体的におっしゃってください
(T_T) 不整脈があるんです。こう、トントンと打ってトンなんです
)^o^( トントントーン、与作ぅ〜ですか
(~_~) HAL:それ僕とおんなじことゆうてますやん
(T_T) そやねんおもろい医者やろ、あんたが断食する話したら
)^o^( その人には効果があるかも知れんけどあんたにはないやろ
(T_T) おもしろい医者やからずーとしゃべっとったら
)^o^( 聴診器あてられへんからちょっとの間黙って!
(~_~) それで結果はどうなんです
(T_T) 全くの健康体らしいわ、そやから断食は一人で行ってくれ

 さみしいけど一人で断食に行くことになったので、最後の晩餐やろうと、沖縄料理の店に入って泡盛と豚肉とゴーヤチャンプルで別れを惜しんだ。断食道場入所は3月15日から三週間、4月4日までと宣言したのでそれまでは夜毎暴飲暴食の限りを尽くすつもりだ。

 

2004年3月7日(日) 猫に憑かれている
 「 この車なんか臭うぞ、オイルとかなんかが漏れてないか」と、横に乗せた友達が僕の車に因縁をつける。10年以上乗り続け、その間にエンジンを下ろして修理したのが2回。オーバーヒートで水がエンジン内を満たしたので分解してホーニング作業。トランスミッションが走行中に破損してオイルをばら撒いたのでオートマチック変速機の交換。振動が激しくカムシャフト交換。その他マイナーなトラブルは数えたらきりが無いが、何度となく修理しながら今もなお大事に乗り続けているのは金が無いからではなく惚れ込んで買った車だからだ。実はこれほどトラブルに見舞われるにはちゃんとした訳がある。猫の怨念なのだ。

 購入してから初めての冬を迎えた或る日曜日の朝、エンジンを始動すると激しく振動しながら回転を始めたので慌ててエンジンを切って思った。「これは何かを巻き込んだな」と、それが何であるかを想像したくないけどエンジンルームを開けないわけにはいかないのでボンネットに手をかけた。「ああどうしよう、想像通りだとしたらエンジンルームは毛が飛散して、あちこちに血しぶきがかかっているにちがいない。あまつさえ猫の千切れた首が僕を見つめたらどんなに恐ろしいだろう」。

 震える手でボンネットを開けたら確かに猫の白い毛が舞ったのだが、血はほんの数滴程度しかついてなく、恨めしそうな顔した死体は見つからなかった。胸をなでおろして辺りを見回すと駐車場の隅っこにうずくまっている仔猫がいた。鼻の辺りに血がついているからあいつを振り回したんだろうと、近づこうとしたら走って逃げたからあいつは死んでないと思う。僕の車は縦置きエンジンなのでラジエータとエンジンの間が大きく開いている。前夜からそこに潜り込んで寝ていた仔猫をファンで掻き回したのは間違いない。前の夜が冷えたので深夜に帰って来た車の温かさに誘われてそのまま寝込んだのだろう。大事に至らなくて良かった。

 そんな事があったというのに、たまたま仔猫が気まぐれに入り込んだのだろうから二度と発生しない事案のように思って対策は何もしなかったのだが、すっかり悪夢を忘れた次の年にまた同じことをやってしまった。今度もたいしたことは無いだろうとボンネットを開けたらプロペラのあいだにまだうずくまっている仔猫と目が合った。「おい早く出ろ、これはオレの車でお前の寝床ではない」と言ったら「フゥーッ!」と威嚇されてしまった。大丈夫そうではあるが腰が抜けて動けないらしい。猫は心臓が弱いと聞くから、放っておいたほうがいいだろうとボンネットを閉めて出かける約束をキャンセルした。

 二回も同じことが発生するならこれは車の構造に問題があるに違いない、と様々な対策を講じようとしたがいいアイデアをい思いつかなかったのでガソリン屋さんに相談したら、猫の嫌いな臭を出すやつが売っているからそれをエンジンルームに置くと良かろうと教えてくれた。早速入手してエンジンルームに入れたが、これが臭いの何のって猫だけでなく人間にも大変臭い。殺虫剤のきついやつみたいだ。早く車を買い換えたいけど、本当のことを言うと金が無いのでこの冬も臭いまま乗っているのだが、いちど御祓いしてもらったほうがいいのだろうか。


2004年3月6日(土) 貧乏は人を助ける
 「噂をすれば影が差す」とはよく言ったもので、先日の元同僚の女の子のお通夜のときに話題になった知人から早速電話をもらった。ベンチがアホやから仕事が出来んらしく、遠からず会社を辞する覚悟なのだとか。いつの話か知らんけど今やめたら仕事無いよとは言ったが、まあ本気じゃなく愚痴として聞いておいた。

 精神衛生面から考えたらストレス溜めて体を壊すより赤貧に喘いでいるほうが余程いいに決まっている。貧乏が直接の引き金になって死ぬのだとしたら地球の人口がこれ程までに増加しているわけが無いではないんだし。

 アメリカでは、「俺が太りすぎて成人病に苦しんでいるのはマクドナルドのハンバーガーのせいだから保証しろ」といった訴訟が続発して、たまりかねたマクドナルドが超BIGサイズのセットを販売中止にしたのだという。

 食べるか食べないかは個人の判断にゆだねられたものだから、販売者を相手取って訴訟を起こすなんて考えにくい話だが、「食べたら太る可能性があります」と表示していないマック側に非があると言うのだろうか。

 調子はどうだと聞く知人に、「僕、体調が悪いのでしばらく断食道場に行くつもりなんよ」といったら、「じゃあ出てきたら一杯奢るから連絡して」と言ってくれるたが、酒を断つために行くんだからぁ、有いがたいけど困るんだよなあ。こんな調子じゃ一生断酒なんて出来そうもないなあ僕は。

   

2004年3月5日(金) 大麻には治療効果があるらしい
 本当の話かどうかは疑わしいが、ある入浴剤メーカの社員が仕事をサボって有名な温泉宿に出かけてみて、「いい湯だなあ」と満足したのだそうだが、ふとのぞいたボイラー室に自社の入浴剤が山積みされているのを発見した。「すごいぞ、うちの入浴剤は本物の温泉よりいいのか!これを会社に報告したいが仕事をサボっているのがバレルとまずいので出来ない」と、嬉しくもあり残念であり、報告したいし、とジレンマに苦しんだという。

 僕は子供の頃からバスクリンとかが大好きなのだが、今も風呂場にはメーカーも剤型も違う何種類もの入浴剤が置いてある。買ったか貰ったかしても気に入らなかったらいつの間にやら使うのを忘れてしまって、その上にどんどん積み上げるものだから、いつの間にか棚の上で山を形成してしまった。危なっかしいなとは思っていたが、今日その一画がついに雪崩を起こした。落ちてきたのは生前に父が愛用していたバスクリンのイミテーション物で、あまり好みではないものだが久しぶりに使ってみたらレモンの出来損ないみたいな香りに、実家の風呂を思い出した。

 いつもの飲み屋で最も面白くないのは将棋を指す相手がほとんどヘビースモーカーだということだ。昔のプロの棋士はたいがい愛煙家で、テレビには大きな灰皿が吸わない棋士のほうにも置いたあったりしたものだ。今のプロのテレビ対局が禁煙と言うわけでは無いのにほとんどタバコを吸いながら対戦する人はいなくなった。なのに場末の飲み屋は口にくわえたまま吸いもしないのにいつまでも煙を上げ続け、たまに吸ったかと思うと煙を僕の顔面めがけて吹き付け、吸い終わったかと思うや否やまた点火するといたような連中ばかりで、全くもって迷惑千万な話だ。
 
 車の芳香剤とかトイレ消臭剤といったものは匂いがきつすぎるものが多いので使うことは無いが、よく考えてみたら、入浴剤とか線香とか香炉みたいなグッズを沢山持っている僕はどうも香りフェチなのだろう。言ってみれば毎日がアロマテラピーを実践しているようなものかもしれない。タバコにしても香りそのものなら決して嫌いなのではなく、煙がいやなだけなのだ。そう思ってみるとタバコを吸っていた昔の自分は、これまた日がな一日アロマテラピーをやっていたことになる。そうか、してみるとあのヘビースモーカーどもは治療行為をしていることになるじゃないか。だったら俺の前で吸うなと言うわけにもいかんか。

  

2004年3月4日(木) ネオコンってシオニストと同義か?
 拡張型心筋症という重い病気で、心臓移植しか生残る道は無いと診断されて、大阪の国立循環器病院に入院していた康輝君がドイツの病院で移植を待たず亡くなったと報道されている。彼とは面識が無くテレビのニュースで数十秒間見ただけだったが、同じ病院に入院されている美樹さんの募金活動に出逢ってから臓器移植の問題に、僕自身の関心が高まっていたところだったので、渡航のニュースから程無い訃報にやりきれない思いだ。

 知人の娘さんは生まれつき心臓に疾患を抱えていて心肺同時移植が必要なのだそうだ。確かいま17歳の筈だが年頃の女の子らしことをしたくて友達とコンサートに出かけたりしては何度か不整脈で倒れ、蘇生処置を受けているらしい。お父さんの話だと、「医者には中学生まで生きることは難しいでしょうと言われたんやけどまだ何とかもってる」ということだった。それから一年くらいして先日飲み屋で会ったがあの時にはろくに話せなかった。 

 募金活動が実って目標の6000万円が集まり、日本では臓器移植法の壁のために手術が出来ず、望みを託してドイツへ渡るも、こころざし半ばで倒れた康輝君の臓器がドイツの子供に提供されて、「息子は今後もずっと生き続けています」と語ったお父さんの言葉はいかにも空虚で無念さが偲ばれる。

 イラクでは今日もまた子供たちが治安維持という名の下にアメリカ軍に撃たれて死ぬ不条理が展開されている。人の命が地球より重いと言う気などさらさら無いが、某国の大統領と敗戦国の子供の命は十分ハカリにかけられると思う。石油の利権を貪りたいメジャーやネオコン達におもねる権力者の胸の内なんて、そのへんのガキ大将とさほど変わりは無いように僕には思えるからだ。

  

2004年3月3日(水) 最強将棋ソフト
 僕が将棋を覚えたのは大山康晴から中原誠が名人位を襲って棋界が大きく変貌し始めた頃で、プロとアマチュアの力の差がまだまだ歴然としていて、女流棋士もまた男子プロに遥か及ばないどころか、男子トップアマにもまだ後塵を拝していたものだった。

 その差がかなり縮んだと思えたのは、男子アマで新宿の殺し屋と呼ばれた真剣師、小池重明がトッププロの森鶏二九段に勝ってからだ。女流棋士では現在ポルノ作家として、小汚いヌード写真集を出版したり(買いました)と、八面六臂の活躍をなさっている林葉直子女史が女流タイトルを独占して、非公式では男子プロにも勝利し始めた頃のこと。

 今のアマ棋士と女流トップ棋士の差はほとんど無いと思えるようになったのは先日NHK杯トーナメントで中井広恵女流名人が男子プロのトップクラス二人に勝って、中原永世十段に惜敗したのを見たからだが、アマチュアトップも男子プロには公式戦で相当勝っている。羽生名人がアマトップ二人を相手に二面指の角落ちで勝ったりするものだから、まだまだ差が有るように思っていたが、プロとアマの差は下位プロに関してはもうほとんど無くなったのではないかと思われる。

 先日友達の持っている将棋ソフト「激指」と対戦したら設定を最強にすると全く勝てなかった。今まで勝てないソフトは無かったのにあの「激指」の最新版の奴ときたら「東大将棋」や「Ai将棋」のそれより強いと感じる。それもそのはず、アマチュアの大会で先日優勝してしまったのは特例で許された将棋ソフトだったのだから。もうここまでソフトが強くなってしまったら弱い人間と指しても楽しくないかといえばそうでもない。やっぱり人に勝ったときの優越感がいいんだろうなぁ。

 

2004年3月2日(火) 官能的ピアノ・レッスン
 30歳半ば頃のこと、知人が女の子を紹介してやるというので、色恋命で生きていた当時の僕はめかしこんでいそいそと出かけたのだが、待ち合わせたホテルのロビーに時間ぎりぎりに現れた知人は手ぶらだった。

 「彼女まだ来てないか、おかしいな」などと言うが、「普通あんたが連れて来るんじゃないんかい」と不満を口にしながらソファーに掛けて待つことにした。女の子は化粧やら何やらと時間がかかるから仕方ないなと辛抱していたのだが時計は20分、30分と無常に過ぎて行き、他人の遅刻が許せない狭量な僕は、別に用があるわけでも無いのに「忙しいから帰る」と知人に言い残して立ち去ろうとしたのだが、まるでタイミングを計っていたかのように彼女が現れた。時計を見ると僕が到着してから一時間も経過していた。

 欲望のなせる業なのかも知れないが、存外に辛抱強い自分を発見して、我ながらアホなやつと思いつつもホッとした。首が長が〜くなったところへ御登場あそばした彼女が美しく見えるのは、お腹の空いたときには何でも美味しいのと同じ現象だろうか。三人ですし屋にで食事してから二人きりにしてもらって、実は気の利いた遊びを知らない僕は返って不安になり、少し歩いて見つけた映画館に慌てて飛び込んだのだった。

 隣に美しい女性を侍らせて映画を観た経験の無い僕はなんだか気が散ってしまい良くストーリーが分からなかったのだが、「いい映画だったねー」なんて調子を合わせていたところ、彼女のほうはすっかり感情移入してしまったようで映画館を出てからもまだ涙ぐんでいた。それからもう一度だけ彼女に会ったが、いかんせん僕の容姿では彼女のおめがねにかなう筈も無く、あっさり「ごめんなさい」と言われてしまった。

 アカデミー賞の季節とあってか、NHK衛星で過去のアカデミー賞受賞映画を特集している。ビデオに撮って、あの時二人で観た映画をもう一度観なおしたら泪を拭くハンカチが二枚ほど必要だった。良く数えてみると僕がピアノを習い始めたのは、あの映画を観て彼女に振られた翌年のことではないか。ピアノ・レッスン 1993年作品とあるから、僕達が観たのはその年か翌年で、ウィンドサーフィンに見切りをつけてピアノ教室に通い始めたのが1994年のこと。あの悲恋が動機になっていたとは今の今まで思わなかった。驚いた。

   

2004年3月1日(月) 毒戴経営
 独裁マスター主催によるYさん追悼の飲み会に出てみると、第一発見者が沈鬱な面持ちをしている。「さすがのお前も気落ちしただろう」と慰めたつもりだったが「もぅ、でんっでんこたえとらんよ、死んだら終わりや、借金から逃げられて良かったぐらいやぁ」などとぬかす。尊敬する人物は、と聞いたら「金 嬉老(きんきろう)」と答え、行きたい国は、と聞いたら「ハイチで略奪したい」と答えるような奴だから、慰めるだけ損した気になってしまった。

 どうもYさんを死に至らしめた要因は様々あったようで、会社が自転車だったのもその一つに違いないが、Yさんを取り巻く連中に大きな問題があったのも見逃せない。昼間からYさんの事務所にビールケースを担いで行って、断酒している苦しさに必死で絶えている彼の決意をあっさり打ち砕く輩や、ツケでいくらでも飲ませるマスターといった連中が直接、あるいは間接に引き金を引いたのは間違いない。

 「マスター、もう何人この店で死んだ?俺が知ってるだけで5人は葬っとるやろ」となじると「なんでぇな、そんなこというたらまるで俺が毒盛っとるように聞こえるやないかぁ、人聞きが悪いなぁ」というので「その通りやで、これから名前変えよ、毒盛るから毒戴マスターやな」となって全会一致で彼は毒戴主義者の烙印が押されてしまった。今宵も精出して毒を盛ってください。毒を欲しがるアル中ニストが来る限り、マスターが毒に倒れるその日まで。

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