HAL日記


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11月17日(月)晴れ 渡せるうちに
 飲み屋のマスターと、一緒に四国を歩いたTELと、三人でお四国から帰ったら高野山に行こうと約束したのが2ヶ月ほど前の四天王寺さんへ御参りしたときのことなのだがずいぶんと時間が経ったような気がする。

 会社を辞める時に切羽詰まるまで言い出せなかったので引継ぎなどに一月半ほどしかなく、皆様に迷惑をかけてしまった。未だに引継ぎの問い合わせをメールでいただく。ごめんなさい急に辞めてしまって。

 本当は、今年の3月から4月あたりの「花遍路」を目論んでいたのだが、デジカメの使い方も分らないし、ホームページも出来ないしで延び延びになってしまって、真冬は嫌だし、年を越すと、田舎に一人で暮らす老いた母の時間がその分だけ減ってしまうわけだしと、ついに見切り発車をしてしまった。

 準備不足だったので、お経は読めない、お寺の名前も一番霊山寺しか知らない、もっと言えば逆打ちが正しいコースだと思っていたりと、はなはだしくお四国をナメテイタのだから今思えば恥ずかしい。鳴門行きのバスに乗るまで不安なのは当然だった。

 しかしとにもかくにも八十八ヶ所を回り終えて今日は高野山に御参り出来た。墨書と朱印で埋まった納経帳を母が喜ぶのかどうか分らないが正月には進呈するつもりだ。これが亡き父の孝行になるはずはないし母親孝行なるのかどうもは僕には自信がないが、父が存命中には終ぞ親孝行など考えたこともなかったのだから少しはましなことが出来たかもしれないと思っている。

11月16日(日)晴れ リハビリ
朝、目が覚めると、歩きしたくを始めようとする僕がいた。布団の中で「あー!歩かなくていいんだ、もう終わったんだ」と自分に言い聞かせ続けて納得させた。

自分でコーヒーを入れて日曜の朝ののんびりとしたテレビ番組を見て、ホームページに書き込んでくださった方や掬水遍路館さんの掲示板にもお礼を書いた。

髪の毛が相当伸びたので散髪に出かけたが駐車場の前を歩いているおばあちゃんに「こんにちは」と声をかけて怪訝な顔をされた。つい歩いているときの習慣をやってしまって自分でもびっくりした。朝、散歩している方が時々出勤する僕に挨拶してくれたが、僕がすっかりそういう人になっていたとは。

車の運転に違和感を感じる。道を早く低く動くのが変に感じるのかもしれない。歩きを終えた昨日から急に肩が凝ってきて辛いのでゴルフの打ちっぱなしをやってみたら余計に肩が凝った。

自分ではわからないが相当疲れているのだろうか。明日から歩きと還俗を交互にやってリハビリに努める。

11月15日(土)晴れ 結願が始まりか

お四国を88番大窪寺まで回り終えたら「結願(けちがん)」というのだそうだ。願をかけたものが結実するという意味なのだろうか。だが僕には何も「願」をかけたものはない。
唯一つ気がかりで心配なものがあるとすれば愛媛の大島で一人で暮らす86歳の母のことしかないが、それは僕自身の努力でどうにかせざるを得ない話だ。神仏の力にすがっている訳にはいかないだろう。

語りきれないほどの思いをもって四国を回る人は人は多いが、本当の意味で“結願”した人が果たしているのかどうかは僕には分らない。そんなことを語ったお遍路さんには一度も出会わなかった。托鉢のみで四国を回り、納経帳が真っ赤になるほど判を押してもらい(かさねばんというらしい)ながら「願が叶いました」とは言わなかったお遍路さん。この先何度回るのですかと尋ねたら「いつまでこんなことをやっているんでしょうかねえ、分りません」と答える。

「遍路はエンドレスなのです」と菩提寺のお坊さんに言われたが全くその通りだと思う。願をかけてない僕でさえそう思うのだから、願をかけた人が永遠に回り続けるのももっともなことだろう、お四国はどんな人をも拒まない。それゆえ人は回り続ける「いつかは疲れ果てて足摺岬の怒涛に身を投げる」というのも頷ける。

今、部屋に帰りこれを書いているが、どうして歩いていないのかむしろ不思議に思っている。あした1番霊山寺に立っていてもおかしくはない。

11月14日(金)晴れ 最後の宿泊
昨日までのすっきりしない天気とうって変わって朝から気持ちよく晴れていた。四国巡礼最後の宿泊とするために少なくとも87番長尾寺までは終わらせておく必要があるので、82番一宮寺から83番屋島寺までを琴電に乗って瓦町で乗り換えようとしたら若い女性が不思議そうに僕のほうを眺めていた「まさかお接待をしようとしているのでは」と思ったが、そのまさかだった。TELに400円を手渡し「二人でジュースでも買って下さい」

TELはお接待されたのは初めて。嬉しはずかしでそのまま僕に400円をよこして言った「いい風習というか習慣というかがあるんやなあ、感動したわ!」TELはそれからすれ違う人毎に無差別に挨拶を交わすようになった。

今日の歩いた距離は20kmほど、長尾寺に着いたのは5時前、最後の宿泊となる“民宿ながお路”に着いたのは5時40分頃。パソコンを立ち上げて携帯の充電をしているところへご主人がお茶を持ってきてくれて』おっしゃった「インターネットを使うと宿を探すのに便利ですね」

パソコンを担いでいながら一度もNETで宿を探したことはない。なぜなら自分がその日何処まで行けるか分らないし、地元の人に聞いて回るのも楽しみの一つかもしれないからだ。食事のときに奥さんがおっしゃった「一度だけうちの宿が酷評されているのを見たことがあります。もう五年も前の話ですが70歳くらいの一人歩きの方で長い時間飲んでおられた方だと思います」

自分のホームページに下品な事を誰も書きたくないものと思うからどこかへの投稿だろうが、客観的に事実を述べるなら当然でも「女将の愛想が悪い」などというのは主観的なものなのでもっての他かと思う。

しかし自分を振り返ってみるとどうだろう「ここの女将は美人だとか料理がうまい」とか主観的なことばかり書いてきたようにも思う。もし僕がパソコンを持っているのを見て自分の宿の中傷をされるのではないかという無言の圧力をかけてしまったとしたら、大変に申し訳ないことだと思う。知らないうちにやってしまったことがあったかもしれない。最後の宿に来て気がつくとは全くお粗末な話だ。
  

11月13日(木)曇り るみばあちゃんのうどんはうまいから並ぶ
昨日、白峰寺(しろみねじ)に御参りした後、宿を探すために根香寺(ねごろじ)の近くの喝破道場(かっぱどうじょう)というところに電話したがどうも要領を得ないので根香寺まで行くのを断念して白峰寺近くの坂出簡保保養センターに泊まったが、料理といい部屋といい坂出の町の夜景といい温泉といい実に充実した施設で、一番安い2200円の料理でも十分満足でき、朝は美味しいバイキング1000円、ビールも飲んで合計8500円ほどだった。用事がなくてもここにまた泊まりたいと思ったほどなのだが、注意すべきは、週末は予約で一杯かもしれないこと。

白峰寺から根香寺に行く遍路道は自衛隊の演習場を横切っている関係で自衛隊の草刈作業をよく見かけた。赤松の林を歩くと、きのこ狩りの人にも出会う。残念ながらマツタケはほとんど取れないのだとか。道中地元の方と歩いたが、昨日電話した「喝破道場」というのは禅寺で、いわゆる不良少年を更正する道場なのだとか。

今日の一つの目的は、いや最も大きい目的かもしれないが、るみばあちゃんの経営する「池上製麺所」でうどんを食べることで、どうしてかというと先日法事で帰省したときにNHKの再放送で製麺所を営むおじいさんが亡くなって後を引き継ぐ“るみばあちゃんのうどんやさん”を見たからだ。

遍路マップには出ていない場所なので道行く人に尋ねながら歩いたが営業時間内には到底見付けられそうになくなった。仕方なく郵便局へ入ってTELがお金をおろしている間、椅子に腰掛けて待たせてもらった。感じのいい青年の局員さんが今日はこれからどちらまで行かれるんですかと聞く。「83番一宮寺ですが、その前に池上製麺を紹介してもらったので探しています」と答えたら「今からではもう営業が終わってしまいますから車で送りますよ」

ありがたい!二人して車で10分程度の距離を送っていただいた。「池上製麺所はこの辺りでは最も美味しいところです、是非とも“釜玉”の大を食べてください。醤油は二振りほど、少しづつかけ過ぎないように」この方はどうやら池上製麺の大ファンであるらしく、細かくアドバイスを頂いて店の中まで連れて行ってくださり注文までしてくださった。
ところが惜しくも客足が途切れて釜の火を落としてしまっていたので釜玉は食べられなかった。営業時間を30分も過ぎていたのだ。

「実に残念です、普通のうどんですが卵をかけて食べてください」そういい残して局員さんは去っていかれた。おっしゃるとおりにして一口食べたらたいそう驚いた。何も付けなくても実にうまい。信じがたいくらい。言葉にすると嘘っぽくなりそうなのでやめるが、局員さんには感謝の言葉もない。

るみばあちゃんに「写真を撮らせてください」といったらポーズをとってくださった。飾らない自然体だ。テレビに出ていたそのままの人だった。なんとも心が温まるうどんが食べられて一宮寺までの10kmは体が軽かった。香西郵便局の岡田さん本当に有難うございました。 合掌

11月12日(水)曇り 別れの曲

「香川県綾歌郡中湛浦ニ於イテ転落死ニ瀕セル一幼児ヲ救出セルハ奇特ナリ依ッテ警察規則ニ法リ此処ニ表彰スルモノナリ」 香川県知事正五位 某

生前の父が酒に酔って機嫌がいいとよく人命救助で表彰されたことを自慢したものだ

「お前らは交通違反で警察に捕まった事があっても儂のように表彰されたことは無かろが」

表彰状をこれ見よがしに額に入れ、応接間に飾っていたが、もう一枚表彰状が飾られてあり、それは父が老いて目が見えなくなり、車の運転免許を返上したいと申し出たら思いがけず警察の運転免許返上キャンペーンのモデルケース第一号として表彰されたものだった。

父が亡くなってからも母はそれらの額を撤去しようとはしなかったから今でも飾られているので、いつの間にやら表彰状の文面を僕が覚えてしまったのだ。

友達が来てそれらを見て言う「われのおやじはめんどかったけんねや」 

訳:「君のお父さんは正義感が強く気難しいところがおありだったから」

本当は「誤った正義感ほど始末の悪いものは無い」などと言いたいところなのだが他人様にはどうでもいいことなのでウンウンと頷きながら友達の言うことを聞いたりしている僕なのだが、今日泊まっているところが実は香川県綾歌郡という所かそこに近い。

愛媛に帰省し、父の一周忌の法事を終え大阪に帰る車の中でショパンの「別れの曲」を聴いた。そのときまで、美しいメロディーだが明るく能天気に聴こえるこの曲がどうして別れの曲なのか何度聴いても納得が出来なかったのにあの時ごく自然に涙が流れ、初めて理解できた。人は別れることで初めて、わだかまりも美しい思い出に昇華できるのかもしれない。香川県を通る高速の上のことだった。あのときにすでに僕は父を許していたのかもしれなかった。

11月11日(火)雨後ち曇り まいさんからのメール

善通寺のことを「おだいっさん」って呼んでて

私を大事にしてくれたおばちゃんがよく連れて行ってくれたん

10年前におばちゃんはあっけなく亡くなったんよ

40代の若さで…

そのおばちゃんが大好きだった鳥坂饅頭

「美味しかった」っていっぱい書いてくれてありがとう

おばちゃんにも、お供えしに、また行きます

                      

11月10日(月)雨 TELが帰ってきた
弥谷治寺の本堂でTELが座り込んで待っていてくれた姿はまるで何年も遍路を回り続けてぼろぼろになった人のように見えて、御参りする人毎に「何回目ですか」と尋ねられたそうだ。

再開を喜んでいるところへ昨日お接待してくださった「まい」さんが差し入れに来てくださった。暖かい饅頭とお茶を二人でいただいて一休みしてから72番、73番へ雨の中急いだ。72番へ着くと納経リミット5時の5分前、73番までは500mほどだが到底間に合わない。出釈迦寺に電話してみるが、でてくれないないので走りに走った。残り300mのところで電話がつながり「待ってます」といわれた。

5時の少し前に仕舞い支度をしていたので電話に出られなかったのだそうだ。真っ暗になって曼荼羅寺に戻り本堂で読経していると、納経所のおばちゃんが「間に合いましたか、よかったですねえ」と、気にしててくださったのだ。

宿が近くに2軒あるが、ここに泊まると走って、電話をして待っていてもらった意味がないので善通寺市内まで無理して歩いた。まいさんに頂いた吟醸酒が重いが、楽しみは後のほうがいい。

夜中に二人で吟醸酒をやりながらTELの土産話を聞く。徳島で別れて帰る途中にフェリーの中で遍路の団体さんにとり囲まれて『歩きですかすごいですねー。話を聞かせてください』とヒーロー扱いされて得意げに『歩き遍路とバスツアーは別のものです』なんて威張ったりしたのだとか。

TELに「二人で歩くと二人だけの世界になってしまうので、土地の人々とのふれあいが無いでしょ、一人で歩くとまた違った世界が開けてきますよ」と話したら「明日から別れて歩くぅー」なんて言い出したが、その前にお経を覚える気持ちある?

11月9日(日)雨 美女のお接待でワープ
 汗をかいて寝苦しく目が覚めた。どこか頭が重いような気がするし、鼻水とくしゃみが出る。まさかカビのせいでは、しかし今日は僕の日記の読者「まい」さんが車でお迎えに来てくださってお接待してくださる。だから気分は高揚しているのだ。

 国道11号線のバイパスに出て少し待つと雨が降ってきた、が「まい」さんは来ない。携帯でメールをしてみた「道に迷ってます〜(T▽T)」。どうも方向音痴らしい。

 少し待ったら派手なラリー車がやってきた。「初めまして〜(^0^)」と笑う彼女は携帯メールでいただいていた写真のその人だった「喜び組」を卒業したような美人なのだ。

 三角寺、雲辺寺、大興寺などを楽しくおしゃべりしながら一緒に回ってくださった。不思議といえば不思議なことだが四国を回り始めていままで一度も転倒も尻餅もつかなかったのに、今朝初めて三角寺の階段で尻餅をついてしまった。完全に気持ちが緩んでいる。きっと顔もにやけているに違いない。

 まいさん、雨が降る中ホント有難うございました。後姿の写真を掲載させてください。
雲辺寺のロープウェーは霧雨で何も見えませんでしたね。激辛けんちんうどんおいしかったです(^¬^)!!夜の友になりたかったけど残念ですぅ〜。

 いかん!くだらん下心は。不邪淫、不妄語でした。ごめんなさい、まいさんの純粋な気持ちのお接待を汚してますね。でもとても楽しかったです。

 こうして涅槃の道場香川県の巡拝が始まったが、あと数日で結願ということになる。残り日数が計算できるようになったので今は寂しい気持ちだ。とはいえ明日から姿をくらませていたTELが再参戦するというから楽しみだ。

11月8日(土)晴れ お大師様のお導き
 幻の花見小路寺を探して歩いたが暗くなってきて、仕方ないから残り3km程のところから土居町までバスに乗った。

 運転手さんが「伊予三島まで行ったらビジネスも在るよ」と教えてくれたが、あす幻の花見小路寺の探索があるので土居町の旅館を当たったが驚くほど高額なことを言われてびっくり。2軒目は少し安かったが7000円を超える。3件目をあてにして歩いたが見つからない。

 街灯の下、一人の紳士に宿を尋ねたら連れて行ってくださったのだが営業しているように見えなかったので仕方なく花見小路寺の発見は諦めて、伊予三島の適当なビジネスホテルを予約して、紳士に連れられるようにして電車に乗った。

 紳士は既に四国を車で2巡されて「写真を撮ってホームペーに公開しております」とおっしゃる「では僕と同じですね、アドレスを教えてください」
jiroの写真帳というサイトで写真投稿の掲示板があります」そんな楽しい会話を交わしながら10分ほど電車に乗った。jiroさんは別れ際に路銀をお接待してくださった。何から何まで有難うございました。

 着いたホテルは見かけは立派だったが、部屋はカビだらけ、スリッパは埃だらけ、トイレには「消毒済み」の紙テープがない。洗濯設備がない。お四国さん歓迎とあるが、洗濯できないのは辛い。jiroさんが他のところを推薦してくださっていたのに、ちゃんと聞いとけば良かったと後悔しても遅い。

 風呂で洗濯して乾かそうとして暖房を入れたがかえって湿度が上がった。どうやら暖房のスチームが吹き出し口にもれているのかもしれない。それでカビが生えているのだろうか。結局洗濯物は乾かなかった。

 jiroさんのサイトへ行って見たらなんと美しい写真ばかり。恥ずかしながら僕も投稿させていただいた。

 遍路に出る前にいくつかの本を読み「こんなこと、あんなことがありまして、お大師様のお導きを感じました」などという大袈裟な話を聞くにつけ「何も無理にこじつけなくてもいいだろうに」と冷めた目で見ていたものだが、実際に自分が体験してみるとお大師様のお導きを思わざるを得ない。単なる偶然だとおっしゃる方もおられようが「袖触れ合うも他生の縁」なのだと、今はそう確信している。
 

11月7日(金)曇り おにぎり1個で難所

 朝出かける前にトイレに行こうと思ったら、照明と換気扇が停止した。時計を見たら8時05分。8時ごろにチェックアウトしますと言っておいたが8時05分に電気を切りやがるはと思わなかったぞ糞ー!それにしてもテレビとパソコンには電気が来ている。

 はて?どういうことか、ともかくトイレは暗いので扉を開けっ放しで用を足した。もちろん匂いがこもらないよう水を流しながら。

フロントでおばちゃんに言った「自動で電気が切れるんですか」

いーえー?電気が切れたんですか

照明とトイレの換気扇が動かなくなったんです

あー!分った、隣の方がビデオを見ようとして100円入れるところへ針金を差し込んでショートさせたんですよ

はー、なんとそこまで分るんですか

結構おられるんですよねー、おっしゃって頂ければブレーカー入れなおしたんですが

出かける前だから我慢しましたよ

ごめんなさい、みかんでも持っていってください

いえいえ気を使わないでください

じゃあティッシュでもどうぞ、これなら荷物にならないですから



 ビデオ見るのにお隣さん苦労したんだろうなあ、ぼくの知り合いにも一人やってるのがいた。彼、あるお気に入りのホテルでそれをやったのはいいが、針金を抜き忘れてきて「もうあのホテルには泊まれん」と嘆いていた。

 またある知人はテレビの線とビデオの線をつなぎ換えようとしてテレビを自分の足に落として指を骨折したらしい。

 全く男というのはそんな涙ぐましい努力と危険を冒してまでビデオを見たいんだなあ〜。でも気持ちは分る、中途半端に始まったかと思うと肝心なところで100円が切れてもう30分だけ見ようと思うと100円がない。仕方ないから買いたくもない缶コーヒーかなんかを買って自動販売機で両替し、いざ100円を入れたらもう重要なところが終わっていたあの時の無念さといったらない。

 ホテルをでてすぐにコンビニがあった。お茶とおにぎりを一つ買った。どこかの喫茶店でモーニングを食べるまでのつなぎのつもりだったが曲がる交差点を間違えたかもしれない。道行くお兄ちゃんに訊いたが、お兄ちゃんよだれをたらして「まっすぐ」とだけしか言わなかった。今度はおじいさんに訊いた「まっすぐ」おばあちゃんにも訊いた「まっすぐ」最後におばちゃん二人に訊いた「えー?歩いていくの、ものすごいところよー。まっすぐでいいけど」

 ようやくわかった。逆打ちの道を歩いてきたのだ。ホテルが遍路道を外れているから分りづらかったのか。

 さらに5km程登った。なるほど相当厳しい道だ。下りて来るお遍路さんとすれ違うようになった。口々に「逆打ちですか?」と訊いてくる「道を間違えたんです」といちいち返事するのが面倒ではある。知っている人3人に出会った。濃霧で30mくらいしか先が見えない、おまけに雨が降っているように濡れる。

 途中の休憩所で当初の目的だった石鎚山に登るべきかどうか検討したが、どうもこのペースだと安全をみたら2泊くらい余計に必要かも知れない。断念するのに30分が必要だった。

 横峰寺は意外にあっさりしたところだった。食べるものも売ってない。朝のおにぎり1個だけでまた下りなければいけない。今度も逆打ちを選んだが、ウォータハザードが絡んだ下りのコースは結構美しい。しかしいかんせん天気が悪い。

 3km程悪路を下りて、舗装路へ出ると休憩所があり、車で水を汲みに来ている方が何人もいる。うまいのかどうか僕も飲んでみたが良く分らなかった。30分歩いたらさきほどの水汲みに来ていた夫婦が車で61番香園寺まで送ってくれた。2時間ワープ。

 予定通り菩提寺のお坊さんの生家まで行くことが出来、先代御住職のお墓に御参りしたがなんと石碑にはすごい経歴が刻まれていた。

 石鎚温泉という宿に泊まったら、最高のところだった。お勧めです。おにぎり1個で良く歩いたなー、しんど。

11月6日(木)雨のち曇り 島四国よ再び!

きのう車のお接待をしてくれた方の話



車のお接待を申し出ますとね、3人のうち2人くらいの方が乗られますかね

えー、嬉しいもんですよ

あなたはどちらからおいでで?

ああ大阪から、ほう実家は大島ですか、大島の?

ほうほう、○○ですか、もちろん知ってますよ

妹婿が○○の出身ですからお近いですよね

いえね、昔は四国や広島などを回って商品を卸す仕事だったもんですから



菩提寺は○○寺さんですか、あー島四国をねえ

えー、若いころは良く回ったもんですよ

私の若いころはね、島四国を回るのは「色恋七分に信心三分」なんていわれましてね

若い者はそりゃ、信心なんかありゃあしませんよ

ガールハントで回ったんですよ

3日ほど同じ道をあるくでしょう、同じ宿に泊まりますからねえ

いつの間にか仲良しになりますでしょう、それが楽しみだったんですな

ま、今で言うお見合いパーティーいうんですかねえ

そんな意味合いだったですよ、若い女の子もねえ

んー、そこで知り合って所帯をもった話も聞きましたよー

それもねー、車になってからは情緒もなくなりました

触れ合いがないでしょう

でもねえ、この歳になってからもう一度歩いて回りたいと思うんです

昔のことを思い出しながら、こんどは信心七分でね

いやー、お恥ずかしい、三分は残しておきたいんですよ、はっはっはー!



車のお接待をね、3人のうち1人の方はお断りになりますよ

歩くことにしておりますから、といわれるんです

車をだすでしょ、ミラーで後ろを見ますと手を合わせているんですよ

私から見えなくなるまでなんです、見えなくなっても合わせているんでしょうね

いやー!声をかけてよかったーって思いますよ、嬉しいもんですよお



あ、泰山寺さんここです、すぐに終わるなら駐車場で待ってますから

ああ、納経の時間がね、団体さんが来ると分りませんからねえ

よろしいですか、いえいえ、とんでもございません、道中ご無事で


                                             合掌
   

11月5日(水)曇りのち雨 足は意外に回復していない

 来島海峡大橋を初めて歩いた。父の入退院と葬儀で、車では何度往復したか知れない橋だ。4年前には間違いなく父は大腸癌の手術から回復して僕の運転する車でこの橋を渡ったはずだったが、一瞬の光景として僕の記憶の片隅に、残像のように今は残っているだけだ。

 この美しい景色をおぼろげにしか見えなくなった父が訊く「今、橋の上か?窓を開けてくれ。何も見えん、景色は綺麗か」窓を開けたからといって見えるわけではないが、助手席の窓を開けたらそれっきり父は黙り込んだ。海の生活が長かった船乗りの父には潮の匂いだけで満足できたのかも知れない。

 54番延命寺から55番南光坊へ着いた。この南光坊とその隣の大山祇神社は父が入院していた病院のすぐ隣なので最後に見舞った死の前日に訪れているのだが、そのときはただのお寺と神社を散歩したという思いしかない。あれからもう3年経っているから病院を見上げたからといって熱いものがこみ上げてくるようなこともない。ただ安らかに眠れと念入りに読経をした。

 納経所に行くと、金子みすゞのポスターが貼ってある。菩提寺のお坊様が作成したポスターだが、弘法も筆の誤りではないが、印刷ミスがあるので筆を投げて修正しておいた。係の平田さんという方と、御住職も交えて少しお話をした。島四国を何度も回るのだそうだ。

 雨が強くなってきた。4時20分。70歳くらいの男性から車のお接待があったので気持良く頂いた。56番泰山寺に向かう道中のこと「夏に乗せた男性に、こんな暑い時に回らなくてもいいでしょうにといったら、『交通事故で妻を死なせてしまったので暑いとか寒いとか言ってられないんです』とおっしゃったんで、あー!悪いこときいたなーと思ったんです」そんな話の流れで僕の心の内を少し吐露する事になった。つまらん事をしゃべってしまったが、少しだけ気持ちが軽くなった。

 泰山寺から少し歩いて今治市内のホテルを雨の中、直接フロントを訪ねながら4件目に泊まることにした。実家に帰って寝るほうが安くつく。何をやってるんだかわからん。

11月4日(火)晴れ 区切り打ち
 
 島四国マップ(立体感の有る手書きの分かりやすい絵。300円)を手に、原チャで一番札所から回ってみた。

 歩きならともかく、バイクで菅笠というわけにもいかないし、「本四国を歩いておきながら島四国をバイクで回る地元出身の不届き者」と云う汚名を着せられると具合が悪いので普通の格好で“こそこそ”と回るのだが、道が全然分からない。マップがなければ間違いなく道に迷うだろうが、今の僕は隠れ遍路だから人に道を尋ねるわけにも行かない。少なからず面が割れているはずだから後ろ指を差されるのは間違いないのだ。

 ヘルメットで顔を覆って何度も同じところを回っているとかえって不審に思われるかもしれないが仕方ない。道が分からない理由のひとつは、お堂といっても成人男性なら二人で盗んで行けそうなミニチュアのお神輿みたいな庵もあるから見つけにくいのだ。

 近年に再建されたと思われる立派なお堂もあるが、9番大聖庵(だいしょうあん=本四国の熊谷寺)のように巨岩の中に洞窟のようなものがあって、そこに何かが祀られているところも有る。島四国は200年前の開創だというから大まかに言うと江戸後期、モーツァルトからベートーベンの時代だろうか。起伏に富んだ作りになっていて結構楽しいもんだ。

 般若心経をを空で唱えられるようになったので、一つ覚えみたいに嬉しくなって几帳面にやっていると時間がかかるので、10番までまわったところで区切りうちとした。次に来るときは正月かも知れない。島四国八十八ヶ所は逃げも隠れもしないのでゆっくりとやるつもりだ。
   

11月3日(月)雨 島四国八十八ヶ所
 
 僕のふるさと大島には島四国八十八ヶ所といって、本四国八十八ヶ所に対応した霊場めぐりのミニチュア版がある。例えば2番札所は海岸堂といい本四国の2番極楽寺さんに対応している。また45番札所岩屋寺は、本四国の海岸山岩屋寺というように同じ名前のお寺もあったりする。

 このミニチュア霊場を巡るには約3日間、60kmあまりを歩いたら結願するという手軽なもので、瞽女唄の月岡祐紀子さんもここを巡ったのだとおっしゃっていた。ただ、それぞれのお寺(といっても4ヶ寺以外は無人のお堂)にて納経できるわけではないので既に4ヶ寺の御住職が書き込んだ墨書に印鑑を押すので縁日のときに巡拝するのが一般的らしいが、自分自身で満足できるならいつ廻ってもいいのだろう。前回は募集して10月19日に歩き巡礼を実施されたらしい。詳しくは僕のリンクから亀老山 高龍寺さんか、心のふるさと島四国さんへどうぞお問い合わせください。

11月2日(日)曇り 法事
 
 前日遅くまで飲んだので朝起きるのが大変だったが菩提寺のお坊様は涼しげな顔で現れた。屋形船で「そんなに飲んで明日大丈夫ですか?」と聞いたら「死んでなかったらちゃんとお勤めさせていただきます」と返されて「明日まででいいですから生きててください」と兄が突っ込んでいた。



 このお坊様のお寺、つまり僕の菩提寺は、真言宗“御室派”(おむろは)というが、このお坊様自身の頭の中はどうも“面白派”(おもろは)であるらしく、宴の間中満座を沸かせていた。

 そんなお坊様の執り行う法事なので黒装束を着た檀家さんたちは、かしこまってはいるのだが実はお坊様のトークショーを楽しみにもしているのを僕は知っている。とはいえ、お勤めが始まってみると実に大きな、みごとな声でお経を唱えられるのでプロとはいえ「流石!」と感心するのだった。

 四国を廻り始めて30日が経過したわけだから、そこそこお坊様に接して朝の勤行にも出させていただいたりしたのだが、中にはノイズの入るマイクでいやいやお勤めをされたりする御住職もおられた。まあ、ろくにお経を読めない僕のような者が言うのもなんだが、お義理で朝食のタイミング合わせでやるのではなく、もう少し商売っ気が有ってもいいのではないかと思う。プロの仕事なんだから。



 お坊様という人種に初めて接したのは父が亡くなった12年の暮れだった。父は亡くなる数年前に大腸癌の手術をし、一年半後くらいに奇跡的に回復したのだが「酒が強うなってのう、なんぼ飲んでも酔わんのぢゃ!」と言っていた。単に大腸が短くなってアルコールを吸収出来難くなっただけだと思えたが、調子付いた父は周囲が驚くほど大量の酒を一年間にわたり飲み続け、やがて倒れ首から下が不随となった。

 入院してからもわずかに動く左手を使って母に命令し、言いたい放題、やりたい放題して看護婦さん達にうとまれたが、献身的な母の態度に免じて辛うじて置いて貰ったといった有様だった。「家に帰りたい」と聞き分けのないことを言い続けた父だったが、院長先生に懇願して酒を許された。酒を飲み始めると機嫌が良くなり、帰りたいとは言わなくなったが、少しして意外とな速さで衰弱し、意識のないまま息を引き取った。長いとも思えたが、入院してからおよそ一年だった。

 「仏式の葬式というものは理不尽なほどに費用がかかりすぎる」と憤慨しているクリスチャンの義兄をよそに、子供の頃に見た懐かしいような葬儀が済み、遺骨を菩提寺で拝んで頂いたた後のこと「今お茶をお入れしておりますので座敷のほうへどうぞ」とお坊様にすすめられ、お寺の縁起などを拝聴しているうち「このお坊様は普通の人間じゃないか」と分かった。

 今だから言うが、もしテレビに出てくる偉いお坊様のように「あなたのお父上の霊を感じます。安らかに逝かれました」などと言われようものなら「本堂で暴れてやろうか」という勢いで臨んだのだが、意外なことに「………。命とはこのように連綿と受け継がれてゆくものなのでしょう」と普通の言葉で語られ、少々肩すかしを食わされた思いだった。

 ありがちな表現だが、この瞬間、僕の中でわだかまっていた或る思いがはっきりと音をたてて弾けたような気がした。お坊様が普通の人間であり、普通の言葉で語りかけられたからこそ僕の心にとどいたと言えるだろう。



 法事も終わり、帰りかけたお坊様にお願いした「もし僕が遍路でのたれ死んだら、それはお坊様のそそのかしに乗ったせいもあるので、ひとつ高級な戒名をお願いします」お坊様は「はっはっはー!道中のご無事をお祈りします」とおっしゃったが、本来お遍路に戒名など必要なかろう。

 「生涯を歩き続け、疲れ果てて足摺岬の断崖から怒涛に身を投じるお遍路も少なくなかった」という話も聞くが、もう少しで“涅槃の道場”香川県に入る。老いた母より先に野垂れ死ぬわけにはいかない。

11月1日(土)曇り 瞽女唄(ごぜうた)を聴いた
 
 月岡祐紀子さんのコンサートが19時から始まる。それまでにホームページのメンテナンスをしておかなけらばならないのにうまくいかない。DIONに作ってあるページが一杯になってしまって転送できない。仕方ないのでinfoseekに作ってあるページを使うがこれは広告が一杯出てくるので、皆さんにはご迷惑をおかけするかもしれない。大変鬱陶しいので広告はクリックしないことをお勧めします。(只で作っておきながら酷い話しですわ)

 コンサート会場の海南寺にご近所の方が送ってくださって兄と二人で聴いた。月岡さんの書かれた本を演奏が始まる前に少し読んだが、歩き遍路をした経験なので僕にも実に良く分かる話で一杯だ。 

 「瞽女唄」というのは、盲目の女性が三味線を背に全国を歩いた、今はもう絶えようとしている芸能なのだという。安寿と厨子王、といったポピュラーな話を幾夜にもわたり、三味線の伴奏で話して聞かせ、土地の人はその話に涙したものだと云う。

 語り口は昔の言葉が使われているため、解説無しにはそう簡単に現代の人に理解できるとは思えない。日本人でありながら、三味線や琴になれていな僕には一度や二度で耳に入るような生易しいものではないと思う。たぶん大きく音が上がるビブラートが耳慣れないのだと思う。子供のころから民謡や演歌に慣れ親しんでいるはずなのにどうしたものだろうか。(そういえば月岡さんは日ごろ宇多田ヒカルなんかをカラオケで歌っているらしいがそのときはどんなビブラートで歌うのだろうか)

 ただ、解説を聞いて、この曲を何夜にもわたって聴いたなら恐らくは涙するに違いない。つまるところ僕は初心者だから理解不十分ということなのだ。CDを購入してあるのでこれから少しづつ聴いていく。

 共演者の松末真由美さんという女性には驚かされた。実に多彩で、三味線、琴、、和太鼓を披露してくださった。彼女は音大ピアノ科卒業ということだから本人にとっては驚くには値しないのかも知れないが素人には十分スーパーウーマンに思える。お二人とも美人だしトークが楽しかった。

 屋形船で催された打ち上げ会にも呼んでいただいて地元の魚をあてに酒を飲んだが揺れる船の上、船によっているのか酒によっているのか途中から分からなくなった。12時を回ってお開きとなり、いんげんマメさんの奥さんの運転で家に送っていただいた。何から何までお世話になりました。
   

10月31日(金)晴れ 女性の野宿一人歩きは大変だろうなあ
 
 実家の法事を済ますまでに御参りする最後のお寺である円明寺(えんみようじ)さんの山門を後にしようとしたとき一人の老婆に挨拶をしたが、どうやら先ほど挨拶して無視された人のような気がする。

 耳が遠いとか不意をつかれたとか色々な理由があるだろうからたとえ挨拶を返してくれなくてもいちいち気にはしていないが今度は挨拶をかえしてくれた。「ちょっと待って、これでお食事でもしなさい」と財布から1000円札を出してくれた。

 金額やものの価値の大小にかかわらずお接待はいつでも嬉しいものだ。さっき無視された気がしたから殊のほか嬉しく、この時僕の背中には小さい羽が生えてきたのがはっきと感じられたのでした。

 53番円明寺を11時に出発して瀬戸内の海岸線沿いを30km近く歩いたところで4時を回った。この計算でいけば実家に到着するのが夜中の12時を過ぎるかもしれない。老いた母を夜遅くに起こす事になるとまずいのでバスに乗ることにした。延命寺まで残り5km程度の八幡前という所。

 バスで今治市内に入り「ここから乗り換えるといいよ」と教えてくれた運転手さんに従って歩き始めたが途中自転車屋さんの前で修理をしてもらっていた女子高生に道を尋ねたら「橋を歩いて渡る入り口までは相当あります」と言われたが自転車屋の親父さんが「後2〜3km程だから歩ける」と言うので30分ほど歩いてみたら標識が出た「歩道の入り口まで4.4km」

 ここで初めて自転車屋の親父さんが車の入り口を教えてくれたことに気がついた。女子高生の云うこと聞いとけば良かったと反省したがもう遅い。タクシーに手を上げたが実車中。それからフェリーに乗るため港を目指して歩いたがなかなかタクシーが捕まらない。フェリーの最終は何時だろう。地元のくせに大阪の生活のほうが長くなってしまった僕には良く分からない。

 あせって各方面に電話しているところへ対向車線のタクシーがUターンして停まった。先ほどの実車だったタクシーが来てくれたのだった。

 タクシーの運転手さんによると橋を渡るのは4km程しかないという。夜も歩いている人が結構いるらしい。相当怖いのかと思っていたがそうでもないのかもしれない。

 翌日実家で詳細な地図を見た。マップルというこの地図は足摺岬で出会った、そして掲示板に書き込んでくださった“ちょびさん”が携わっている地図だ。バスに乗った位置を見て驚いた。歩き続けて橋を渡ったなら9時過ぎに実家に到着していたかもしれなかった。全く間違った位置関係を考えていたみたいだ。

 53番円明寺でさようならを言った一人歩き野宿女性Y子さんが早速書き込んでくださった。友達と二人で撮った写真をアップする予定なのだが忙しくて出来ない。
                      

10月30日(木)晴れ まためぐり会う
 
 もう会うことはないだろうと思って別れた方々と以外にも巡り会う。嬉しくはあるが、以外に四国は狭いと思う。そりゃそうだろう、88箇所しかないのだし、皆ほとんど同じ道を歩くのだから。20台の野宿で一人歩きの女性、82歳の男性etc。お四国は人生の縮図なのだろうか。



どこのお寺かは言いにくいので内緒!

一人の男性が納経所から出てくるのと入れ違いに入ったのだが受付の人はいなかった。左手のほうにベルのボタンがあったので “ビッ”と軽く押してみたら意外に大きな音がした

返事がない…

もう一度、今度は長押しで“ビーッ”


 
「ベルは一回って、そこに書いているでしょ(`_´)何回も押さんでも聴こえてる!」


物凄い剣幕でおばちゃんが現れた。どうも僕は叱られているらしい。あんまり早口で怒鳴るので何を怒っているのか分からなかったが、ベルを2回鳴らしたのが癇に障ったらしい

僕「ああそうでしたかごめんなさい。なら音をすこし小さくしたらどうです」


おばちゃん「音を小さくしたら聴こえんでしょうがあ(゚Д゚#)」


ハイハイ、ならチャイムにしたら?と言おうと思ったが、あんまりたてつくと「納経帳に書いてやらん」なんて事になると具合が悪いのでそっとしておいたがまだ怒っている


おばちゃん「まったく、2回鳴らすのは若い人と、歩き遍路と、耳の遠い年寄りがほとんど。ご近所に迷惑です」


それって、団体さん以外はほとんどの人が2回鳴らす?かなわんなあ(-。 -; )話し変えよ

僕「ところでこちらは何派ですか?」

おばちゃん「豊山派(ぶざんは)ですよお、そんなこと訊かれたのは初めてです、あなた歩き?…あそー、歩き遍路はあせっているんかなー。はいどうぞ」

ま、最後は機嫌を直してくれて納経帳に書いてくれた。良かったー!

皆さんくれぐれも申し上げておきますが、ベルは2度押し厳禁ですぞ。(^_^;)

10月29日(水)曇りのち晴れ 懐かしい人に出会った
 亡き父の法事が11月2日にある。その前日には菩提寺のお坊さんが「瞽女唄(ごぜうた)の月岡祐紀子さんのコンサートを催すので来られたし」と言ってくださったのでそれまでに島に帰らなければならない。告白しなければならないが「瞽女唄」がどんな唄なのかか僕は知らない。彼女は遍路をしながら本堂の前に座り三味線を弾きながら歌ったのだときいているがそれくらいしか知らない。トークショーを楽しみにしている。

 だがどうしてもその日までに歩いて巡拝しようとすると少なくとも3日は間に合わないのだ。NETでアドバイスを仰いだら「ワープした所は次の機会に歩けばいいではないか、執着することは無い」と教えていただいたのでその通りにする。当初、出発の予定を9月24日とし、延ばして28日になり、結局10月の1日にスタートしたのだから間に合わなくなって当たり前なのだ。

 いま10月2日の日記を読み返している。というのは襖一つを隔てた隣の部屋には十楽寺さんで一緒になった50歳台の男性が泊まっているからだ。風呂からあがって部屋に戻る途中に「オー!ここで会ったか」と声をかけられた。ぼくが歩き続けていたなら会うことは無いはずの人だ。近い道を選んで歩いているらしいがそれにしても早い。

 明日は一部バスを利用して53番まで歩く。その翌日が約50km弱の実家までの道のりを歩く予定。 足は少し良くなった。歩けると思う。

10月28日(火)晴 「四国の道」
 きょうは少し休みたい。リージェントホテルが快適だったのでチェックアウトぎりぎりの10時に出発して30分ほど歩いて龍光院(番外札所つまり88ヶ所に20ヶ所をプラスして108ヶ所にしたもの)

 毎日40km近くを歩いていると夕方にはほとほと嫌気がさしてくる。そんな時無差別に「こんばんわ、さようなら」と道行く人びとに声をかけてみる。ほとんどの人は挨拶を返してくれるので少し気分が高揚する。返してくれないのはお年寄りの男性が多いかもしれないけどそんなことはもうどうでも良くなった。

 マクドナルドに入ってコーヒー1杯で1時間余りかかってくだらん日記を書いたが、苦情が来そうな日記になってしまった。疲れると頭が回らん。正直書きゆうき、こないな話しもあるがです。



 佛木寺(ぶつもくじ)を発ったのが4時前。夕焼けにはまだ早い。後10km少しペースを上げて山中を歩くが、水を補給するのを忘れた。以外に険しい道だ。鎖が張ってあるのは僕には邪魔でも必要な人はいるだろう。

きのう会った82歳のお爺さん遍路に声をかけたらこうおっしゃった。

「早かったですね」

「どこでお会いしましたかな?」

 分からないのも無理ない。すれ違ったときに道を教えてあげたがそのとき僕は遍路の格好をしていなかった。

「延光寺さんの途中ですよ」

「ああ!あの時の方でしたか。今カラスが鳴いたのでカラスのまねをしながら歩いておりました」

 まさかこのおじいさんが僕の前を歩いていたとは驚きだったが、もっと驚くのは荷物が僕の倍ではきかない。歩みは僕の半分ぐらいの速さだ。

「82歳ですが、死ぬまでには歩きとおせると思っています」

あのおじいさんがこの道を登るのだろうか、いや無理だろう。県道を歩くに違いない。

こんな山中で暗くなったらまずいので、相当気合を入れたが、水は無い。汗は止まらない。停まって休憩する時間は無い。息も絶え絶えになってようやく頂上付近に来たら避難所のような建物を見つけた。誰か絵を描いている。

「こんにちはー」と僕

「ちょっとあなた!なんでこんなとこを歩いているの?宿は予約してるの?」60歳くらいのお絵かき遍路さんだ。

「ええ宿は予約してます。遍路道の案内があったのでこっちを歩いてます」

「“四国の道”があったでしょ?あっちへ行けばもう麓に着いている頃ですよ」
知らなかった。分岐点で悩んだが間違えたか。15分ほど話した

「あなたもう行かないとだめですよ。すぐに暗くなります。さあ行きなさい。後はく下りです」

 言われるまでもなく駆け出した。下り道を走るのは危険だが、道が見えなくなったらもっとまずい。

 遍路道案内というのは単にショートカットの場合もあるかと思えば、史跡に忠実に、より古い道をさし示している場合もある。お大師様の歩いた道を追体験してもらいたいという計らいなのだがこんな場合は非常にまずい。僕のような素人遍路は“四国の道”という四国4県全てをつないでいる道を歩いたほうが無難だ。

 杉木立の中の獣道には所々に白地に赤い文字で「遍路道」と書いた札がかけられているがもうそれも薄暗くなり見えづらくなった。避難所へ引き返したほうがよくはないだろうか。いや戻るのは耐え難い。進むしかない。

 くだりに下ったら不意に明るくなった。県道に出た。暗い雲が空を覆い尽くしてはいるが日が暮れていたのではなかったのだ。携帯の時計を見た。5時20分。残り6kmは街灯のもと県道をよろよろと歩いた。23km。それでもきのうよりはずっと楽なのだった。

10月27日(月)晴 成長の証
こんなはずじゃ無かったんでございますよ

いえね、そりゃ自分の人生に区切りを付けるとか何とか

ま、色々とわけはあるんでございますがね

四国を回る理由の半分は物見遊山つまり観光でございましたんですな



初めのうちはTELさんと一緒に歩いたんでございますがね

雨でもポツリときますと「タクシー通らんかなー」

なんて体たらくでございましたよ、ええ!

軟弱な二人でございました



ところがえらいもんでございますな、杖を引きずって木刀よろしく

「エイヤー!」なんてやってたTELさんが

「遍路の魂すなわち金剛杖忘れるべからず」なんて言いだしたりしたんでございます



毎日お経をあげたりしておりますうちに私もいつしか諳んじれるようになったんでございますな、これが

こうなると歩くのも苦行から楽行へ変わってくるかと思いきや、いまだそうもいかないのでございまして

一週間もすれば足がなれるかと思っておりましたがいまだにさっぱりなんででございますよ

「徳島から高知に入ったころから楽になりますよ」といったお遍路さんにだまされて

高知へ入るとますます足が痛くなりましてねえ「あのお遍路うそつきかあ〜」なんて逆恨みなんぞしているのでございます

高知で出会ったお遍路さんは「愛媛に入るとザックに羽が生えたように軽くなりますよ」

その言葉にだまされて愛媛まで来れたのでございますが、今もってザックからは羽が生えてこないのでございます



27日が一番辛かったでございましょうかねえ、真珠の里、内海町を過ぎますと「愛媛県指定有形文化財 法林山 禅蔵寺」というところに出たのでございます

禅寺なんでございますな、四国八十八番というのは真言宗のお寺ばかりじゃないんでございますよ、もちろんここは番外でもなんでもないんで遍路地図にものってないんでございますがね

何宗でも何教でも拒まないということなのでございましょうな

創価学会の友達にもお四国を勧めたんでございますが

「お前のやろうとしていることはとんでもない間違いだから即刻中止せよ」

そう言われましたな、他の創価学会の方は「道中ご無事で」といってくれたので、抵抗派は彼だけだったみたいでございますな

そんな訳で、無差別に寺参りをしているんでございますから当然このお寺さんにも御参りしたのでございますが、何と荒れ寺でございました。なんとか堂は室町時代の建築だそうでございます。本堂はそれより新しいようでございますが、禅寺らしく簡素でしかし堂々とした雰囲気がございます

しかし誰もいない荒れ寺でございます。いけませんな。私の悪い癖でございます

またぞろ腰の辺りに冷い風がふいてまいりました

で、本堂の裏手に回ってみたんでございますが

綺麗なトイレが作られていたんでございますよ、荒れ寺かと思っておりましたら時折は何かの会合などに使われているようでございます

いつぞやの失敗がございますのでザックを背負ったまま便器にまたがってみたんでございますが、これが何と妙に狭いトイレの壁に密着して安定が良く、でも、しかしつっかえて立ち上がれなくなりそうでしたのでこのアイデアは捨てたのでございます



汲み取り式ではございますが、用を済ました後ピストルで流すやつでございますな、便器は蓋がされていて、モノの重みでパッタンと便壷に落ちるあれでございますな

これはいいです。なにが何が?と申しましても、下から手が出てきてデロリとお尻をなでられる心配が無いじゃございませんか

え?そりゃ無いですよそんな経験は。話の流れでございますよ、電気もつきますし



でもって                  ぷりぷり
                         ↓


                         ↓


                         ↓


                         ↓


                         ↓

                       チャッポン

となるのでございますが、なんともその時間が微妙でございまして、なんだかものすご〜く深い所に落ちていくように思えたんでございますな

大丈夫でございますよ、ちゃんとウェストポーチに紙をいれておきましたから

手?ですか、洗いましたよ、水道もちゃんと出ましたし

お賽銭?もちろん置きましたよ

お経ですか?ちゃんと唱えましたよ。ええ、成長したのでございますよHALは!

10月26日(日)快晴 愛媛県に入った
 6時20分にホテルを出て、延光寺(えんこうじ)までこの秋の最低気温の中を歩いた。体が温まったところで走ってみる。しかしこのところ40kmを歩くことが多かったせいか、足の裏に違和感がある。走るということと、歩くということは似ているが足にかかる負担は随分違うもののようだ。

 延光寺の帰りに猫をザックに乗せて歩いている若者に会った。どこか道中で、失明した猫を見つけ拾ったらしい。動物病院へ連れて行くと無料で手術をしてくれて、左目だけが白内障ながらも見えるようになったのだそうだ。「東京に帰ったらこいつと一緒に暮らします」と言った。

 猫、犬、小鳥、金魚と、色んな生き物を飼ってことごとく死なせてしまった僕は、動物を飼うのに向いていない。もし僕に息子が出来たなら「捨て猫を見つけても見て見ぬ振りをしろ」と教えるだろう。動物を飼うというのは簡単ではないし、たいていの場合は先立たれるのだから。猫と若者が幸せに暮らせることを切に願う。


 ザックに詰め込んだ着替えやらなにやら、とにかく思い切って減らしてみた。随分軽くなったが今まで何でこんな重いものを担いでいたのか不思議だ。減らしたものはホテルから田舎に送った。

 軽くなったザックとは裏腹に、足どりは今まで経験したほどが無いほど重くなった。50kmなんて到底無理。30km程度でダウンした。

10月25日(土)快晴 呪文

つづき

うらぶれ、忘れ去られた墓地を見ていると、どこからとも無く冷気を含んだ風が吹いてきて、腰の辺りがひんやりといたします。お尻のあたりの血の気が失せて不覚にも便意を催したのでございます。しかしこの程度の事はどうということもありません。遍路ガイドブックには「滝の周囲は怨霊、雑霊などの低級霊が多く飛散堆積しているので結界を張ること、さもなくばたちまち悪霊に憑依されるであろう」と書かれておりますが、しかしここは元墓地、そのようなことが……。




もっと悪いのか?



 いえ単に腰が冷えてうんこがしたくなったというだけのことでございますから、精神を集中いたしましたら解消するのでございます。と、先ずは般若心経を唱えることにしたのでございました。


ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう、かんじぃざいぼぉさぁぎょうじんはんにゃはらぁみぃたじぃ、しょうけんごぅんかいくぅどぉいっさいくぅやくしゃありぃしぃ、しきふぅいぃくぅくぅふぅいぃしきしきそくぜぇくぅくぅそくぜぇしき…くぅそくぜぇしき…くぅそくぜぇしき…。



覚えていなかったのでございます。


ならば次なるは御真言でございます。

なうまくさんまんだあばざらだんせんだんまかろしゃだあそわたやうんたらかんまん

おんさんまやさとばん

おんあろりきゃそわか

おんあみりたていせいからうん

うんころころせんだりまとうぎそわかあ……。





 
 もとより何のことだか知らない呪文でありますが、その上にどこかを間違えたようで、事態はさらに悪化の一途をたどり、先ほどよりいっそう大腸のぜん動運動が活発化してきたようでございます。これはもう一刻の猶予もございません。さりとて、よもや打ち捨てられたとはいえ元墓地の中で用を足す訳にはまいりません。左手の下のほうを見やりますと、そこは元果樹園だったと思われます。“はっさく”か何かでございましょう、主無きとてたわわに実をつけているのでございました。

 下草の刈り込みもされておらず、枯葉が堆積しており、実にうってつけでございます。しかしいくらここが山深いとはいえ遍路道。しかも戻り打ちのコースでございますから、後から来るお遍路さんのみならず打って帰って来てすれ違うお遍路さんとも出くわすわけでございます。場所は慎重に選ばなければなりません。下へ下へと降りていき、ここらでよかろうと思える場所で、まず穴を掘ってから用を足したのでございました。



 実に爽快な気分でございます。少し水分を取りすぎたのでしょう、幾分やわらかめのモノではございました。思い出せば、かつて一緒に歩いたTELが、鶴林寺さんから下る途中の山中でやはり野糞をいたしましたが、彼もこの爽快さを味わったのでございましょう。

 さあゆっくりもしておれません、早々にお尻を拭いて、と思いウェストポーチのファスナーを引いたのでございますが、ティッシュが見当たりません。「しまった、昨夜豆の手入れをしてそのままザックの中に仕舞い込んだか」

 そのあとわたくしがどのような行動に出たかは申し上げられないのでございますが、ちゃんと穴を埋めたことだけは申しあげとうございます。

 さて遍路道に戻ってみると下を見ますと、今しがたわたくしが用を足した場所はなんと上から丸見えだったのでございました。


 何食わぬ顔で再び遍路道を歩きましたが50mも歩きますと急に明るく開け、そこは広く整然とした新しい墓地が広がっているのでございました。つまりすぐそこに民家があり、お堂まで建っているではありませんか。

 窪津海蔵院。

 いつになく大きな声で殊勝らしくお経を唱えるHALなのでございました。

 


窪津の港

10月24日(金)快晴 山中の行
 
 “秋の日はつるべ落とし”と申しまして、これは明かりを蝋燭や油などに頼っていた時代は無論のこと、わたくしが田舎に暮らしていたころでも、秋の夕暮れは日が落ちるのがはたいそう早いので子供に帰宅するように促したり、農作業を日が暮れる前に終え早めに帰り支度をすべしという意味で使われ、このあとに何か言葉を続けて、アフォリズム(警句)としたものでございます。 例 「秋の日はつるべ落としに日が暮れる手綱引いても芋引くなかれ」

 たった今作った偽物でございます。

 23日の前半は天候にも恵まれたのでございますが、なによりも四万十川から土佐湾岸という風光明媚なコースを歩くことが出来ましたので、足の疲れも時間の経つのもしばし忘れておりましたが、3時を過ぎますとさすがに少し焦りが出てくるものでございます。

 足摺岬まであと12kmというところから長い山中道へと分け入ったのでございますが、激しい起伏に富んだ細く暗い道ではありましてもここは足摺岬からの打戻りコースとなっており、すれ違うお遍路の中には見知った顔もあれば、少しの不安も感じる事は無いのでございました。

 かれこれ1kmほど杉林と竹林の中を歩き続けていたときでございましょうか、不意に右手山側の斜面に石垣が見えてまいりました。蒼く苔むし、ツタや雑草に覆われていますのですぐにそれとは分かりにくいのですが、作られて100年も経過しますとこのようにうら寂しいものになるのでございましょうか。何段も上へと作られていてまるで段々畑のようでございます。何が作られていたのかを知りたくなり階段を登ったのですが、大きく育った杉林と下草はもう全てを覆いつくしており、何が作付けられていたのかは不明なのでございました。しかし良く見ると立方体の石が散見され、注意深く見るとそれは墓石でございました。ここは打ち捨てられた墓地だったのでございます。

 もう墓石はほとんど片付けられ、どこか別の場所に墓地そのものが移転したのに違いございません。村ごとダムの底に沈んだという事でもなさそうでございます。

 ところがたった一つだけ真新しい墓石があり、花も活けられていて、なにか移転できない訳がございますのでしょう。この新しい墓石があるからこそかえって周りの忘れ去られた墓標がもの悲しく思えるのでございます。

                                              つづく

10月23日(木)快晴 すれ違った車のおばちゃんがおにぎりくれた
今日の44kmは今までの最長不倒記録。昼間歩いているときはサーフスポットの砂浜を歩いたり、おばあちゃんと立ち話をしたり、野宿青年に囲炉裏を囲んでの同宿を勧められたりと楽しい事ばかり。ところが金剛福寺(こんごうふくじ)に到着するのが7時の予定とあって。

 夜道は星明りで何とか路肩の白線が見えたが、樹木のトンネルが続き、自分が道の真ん中を歩いているのか、端っこを歩いているのかさえ分からず実に怖かった。もう着いてもいいはずと思いながら歩いていたら民宿青岬のご主人が心配して車で迎えに来てくれた。これには助かった。でも金剛福寺は実は、あと500mほどのところだった。

 今宵はとても疲れたので日記は明日に書く。(ここがどこだか分からない。車で15分くらい走ったから相当お寺から離れたところだ)先ずはメモ程度で。

10月22日(水)快晴 徳島を歩いて
遍路を始めて20日余り過ぎた。このあたりで少し振り返ってみたい。

 番外から始めてみたがその前に目的の一つだった造り酒屋詣でをしてみた。鳴門鯛というブランドの造り酒屋に入ったが責任者不在で話し聞けず。

 徳島最後の夜にたまたま入った酒店に鳴門鯛の冷酒があったので購入。宿で日記をつけてから飲んだ。「ん?この酒美味いななんて名前かあ?」と先ほど買っておきながらすっかり鳴門鯛であることを忘れて飲んだ。だから先入観は無かった。本当に美味しい。

 製造年月日15年6月25日賞味期限7月31日とあるが、運良く冷蔵保存されていたものと思われる。会社を訪ねたときカタログをもらったので確認したが載ってなかった。夏だけの限定販売かもしれない。これほどの酒でありながら徳島のどこの宿、あるいは居酒屋に置いてないのは不思議だが、理由はある宿のご主人がいみじくも言った。

 「宴会なんかがありますと、皆さんいつもより沢山お酒を召し上がられます。ですから翌日頭が痛いとおっしゃいます。そんな時地酒を出していますと『田舎の酒を飲んだから悪酔いしたのだ』とおっしゃる方がおられたりします。ですから有名ブランドの灘のお酒をお出しするのです」

 一番札所霊山寺の手前、種蒔き大師と十輪寺には運悪く住職どころか無人だった。もしあの時誰かおられたら、番外を巡り続けたかもしれない。霊山寺では団体さんが多く、お経をあげるのがためらわれたほどだった。つまり手を合わせただけ。後悔が残る。

 山間部に限らずだが、人家近くを歩いていると良く飼い犬に吼えられた。徳島はどうも犬が多いようだ。

 米があまり美味しくない。日本酒を置いている飲み屋さんが少ない。美容室が多い。喫茶店が少ない。人当たりは穏やかだと思う。

 まだまだ書きたいけど、疲れて思い出せない。徳島で嫌な思いをしたことがない。運が良かったのか、それとも忘れてしまったのか。美しい思い出だけを糧に生きてはいけそうだ。

10月21日(火)雨 祭壇(チャペル)
 
 姉の飼っていた犬が数日前に老衰で死んだらしい。子供たちが巣立ってからは、あの犬に殊のほか愛情を注いでいたようだったから、その思いは察するに余りある。

 この春の事だったか、もう日記は残っていないがある老犬のことを書いたら「涙しました」とメールを寄こした。それほどの事でもないのにと不思議に思ったが今考えると姉はあのときの話しを愛犬に重ねていたのかもしれない。日記は概ね以下のような内容だった。



 朝、出勤の途中に中型犬に引かれるようにして老婆が散歩している。老婆は芝生の上に腰を下ろすと犬のブラッシングを始めるが、抜け毛の時期らしく、掃除もして帰らないものだから白い毛が公園のあちこちに散乱して実に見苦しい。そもそもあれほど腰の曲がった老婆が中型の犬に引かれて、もし犬が狂奔したらどうなるのだろうか。老婆に制止する力があるとは思えない。子供を傷つけようものなら大変なことだ。こういった節度の無い飼い主がいるから「当公園での犬の散歩を禁止する」ということになりかねず、真の愛犬家が迷惑をこうむることになるのだ。
 
 先日の朝もあの一組が散歩していた。駅へ急ぐ僕の前をゆっくりと犬に引かれた老婆は腰をかがめて通り過ぎようとしているが、どうも犬の様子がおかしい。あえぐような荒い息遣い。体のそこかしこで毛が抜けて赤く爛れ、皮膚病を患っているようだ。後ろ足も片方はほとんど機能していない。犬が何気なく僕のほうを振り返った。目が異様に輝いているのは白内障のせいだろう、もうほとんど見えていないのに違いない。相当な老犬だった。老婆は引かれていたのではなかった。毎朝の約束事のように、いまは匂いを頼って歩いているのだろう犬を後ろから見守っていたのだった。あの日以来ふたりを見かけない。



 姉の亡き犬は火葬にしたのだと聞いた。数万円かかったらしいから、人を火葬にするのと大して変わらないかもしれない。

 姉の悲しみをよそに、僕は一つ気になることがある。葬式をしたのなら僕と同じ真言宗のブッディストである姉と敬虔なクリスチャンである義兄は二人でどのような葬儀をしたのだろうか。

10月20日(月)晴 僧という商売
 大善寺さんへ着いて、先に大師堂、本堂でお経をあげてから宿坊に入ろうとしたら宿坊と本堂を渡るロープウェイが設置されているのを発見した「どなた様に限らず一往復300円」とある。納経所は宿坊の受付を兼ねていて、自宅とも兼用になっているらしく、御住職は3階で執務をされているとのこと。若い修行僧が出迎えてくれた。

 ここへくる途中「今の御住職が来られてから大善寺さんは再興されたのです。なかなかの商売人ですよ」と聞かされていたが偽りは無かったようだ。念のために言うが、決してお坊さんの商売上手がいけないというのではない。いやむしろその逆で、大いに商売ずべしと思っている。

 イギリスのチャールズ皇太子が公の場でこんなスピーチをしていたのを思い出す「わたくしが人類史上で二番目の職業に就けることを光栄に思っています」もちろんこれはイギリス人一流のジョークで満座は爆笑。人類史上最古の職業は言わずもがなだが、二番目は王位というわけだ。では三番目に出来た職業はといえば、それは恐らく僧侶では無いかと私は思っている。邪馬台国の卑弥呼が、女王でありながら呪術師、霊媒師といった宗教を司る現代の僧侶の役を兼ねていたのは、王以外にも民衆自身がそれを必要としたであったろうからだ。

 いくつもの寺院を巡ってみて、疲弊した寺ほどいたたまれないものは無いと思う。商売熱心な余りに粗悪な品を売ったり、納経帳に仕掛けを施したりというのはどうかとは思うがそれぞれの才覚ですればいいと思う。ただ法律というのは最低限のモラルなのだから法に触れなければお寺が何をやってもいいというわけではなかろう。つまり例えば本堂の裏でソープランドを開くなということだ「そんな寺は無いだろう!ならキャバクラはどうだ」と聞かれれば「う〜ん、それはイエローカードかな」と、その程度でいいと思っている。もし「僧たる者商売するなかれ」という御触れが出たなら、現代日本の僧という種はたちまちにして絶滅の危機に瀕することとなり、一般民衆の明日の生活にも支障をきたすに違いない。ましてお遍路など不可能になるだろう。


10月19日(日)快晴 御接待で気持ちを繋ぐ
 きのうのラスト10kmは下り坂ということもあり、まるで競歩のようなハイペースで歩いた。それでも国民宿舎土佐の麓800mほど手前で7時前、真っ暗で舗装路の白線を頼らなくては歩けない。宿舎に電話をかけて「近くなんですが道を教えてください」と言ったら「危険ですからお迎えに行きますので動かないでください」と言われてホッとした。

 自動販売機の明かりを頼りに携帯を使ったが、その先の道は明かりが届かなくなると暗黒の山の中へ吸い込まれている。しばらく暗闇の中を歩いてみたがとても無理だと判断してのこと。5分程で迎えが来たので距離はたいしてないようだが、山の上のほうに見える宿舎は数キロも先にあるように感じた。

 小奇麗で明るい国民宿舎だ。食事はレストランだが、時間が迫っていたので夕食は断って、単品のみを注文してから部屋に持ち帰り、日記を書いてからカツオのたたきを食べようとしたら、にんにくがスライスされていた。「神様、仏様は聞くところによるとにんにくがお嫌いらしいが、しかしここは土佐。きっと許されるに違いない」と勝手に決め付けておいしく頂いた。

 翌朝、支配人の池上さんが「次は大善寺さんの宿坊が新しくて良いようですよ」と電話番号を教えていただいた。「景色が良いのはスカイラインです。途中のうどん屋さんのおばあちゃんと話していってください」とおっしゃったのでその通りにした。果たして景色はすばらしい。日曜日なのでツーリングのバイクが多いが、一人で休憩していたイタリア製の高級バイクの方と談笑した。

 何気なくポケットに手を入れると昨夜の領収書。途中にあった国民宿舎土佐の看板によると、素泊まり2500円、夕/朝食付き6800円とあったが、僕は朝食を注文しただけなのに6800円と単品料理2000円を払った。するとあのは朝食4300円という事になる。
そんな馬鹿な?電話をしようとしたら圏外!もおええわ、ちぇっ(-。 -; )

 スカイラインの途中の例のうどん屋さんのお婆ちゃんと話した。35年やっているとのこと。支配人は良く立ち寄って物を買ってくれるんだとか。

 スカイラインを下り終えると小さな港、中浦というところに出た。少し休憩して行こうとすると、向こうから一人のお婆ちゃんが手招きする。「お茶を御接待するから休んで行きなさい」お言葉に甘えた。お婆ちゃんは名前を正木マサ子さんと言い、大阪で看護婦さんをされていたのだそうだ。一冊の岩波新書を持ってきて「以前御接待したら、私のことを本の中に書いてくれた方がおられて」とおっしゃる本をパラパラとめくって見ると彼女の事の他に、月岡祐紀子さんへのインタビュー記事も書かれていました。

 お茶、お菓子、りんご、梨、チョコ、ポカリスエット、飴、みかん。と、沢山食べた上にお土産まで頂き本当にありがとうございました。後日写真を掲載します。


 昨日の30kmがコタエて今日はしんどい。おまけに宿舎に余計な支払いをしたようで、だんだんむかついてきた。むかつくと余計足が重くなる「もうやめて帰ったろかな」そんな事さえ考え出す。と、そこへバイクのお婆ちゃんがなにやら困っている様子だ「こんにちわー」と声をかけたら「少しですが御接待させてください」手を出すと450円を下さった「がんばってください気をつけて」と励まされた。困っていたのではなく、遠くから僕を待っていてくれたのでした。

 たった450円だが嬉しくて嬉しくて「これで余計に支払った4300円はチャラだな」そんな気分で気持ちは楽になったが、足は前に進まない。明日は30kmこんなところで挫けてはいられない。

10月18日(土)快晴 業(karuman)
つづき



 疼痛!



 
痛さで目覚めたのでございます。部屋にかけられた時計は午前四時半。夢とうつつの狭間とは申しましても、金縛りの痛さとは確かに違うものでございます。

 若い頃なら毎朝のことでございましても今となっては、はるか古に体験したようで、嬉し恥ずかし苦し、といったところではございますが、ここ数日はろくな物を食しておらず、どうにも解せないのでございます。

 夢うつつの中で思いを巡らせてみると、昨夜のあの不可解な味のお好み焼き、あれがこの現象との因果関係を説明する最も有力な根拠の一つ、そして今一つは、この“あばら家”の“霊気”でございましょうか。





 幼き日の記憶をたどりますと、あれは小学生の低学年であったかも知れません。記憶は定かではございませんが、隠れんぼのようなものをしておりました時でございました。わたくしは或る一軒の廃屋へと隠れ込んだのでございました。そこはもう何年も前に廃れた様でございましたが、まだ割れた茶碗や古新聞、そのほかのくたびれた什器などが放置されたままで「ここには確かに生活が有った」そんな匂いのようなものが感じられたのでございます。

 探検するような積もりで部屋に上がりこみますと、一つの雑誌が目にとまったのでございます。今の時代の週間朝日、週間ポストといった類のものであったでございましょうか。ページをめくりますとそこには神々しいほどの光を放つ金髪の女性モデルの写真があったのでございます。その時代のことでございますから無論、裸身ではございません。それでもわたくしはかつて体験したことの無い不思議な興奮を覚えたのでございました。そのモデルはマリリン・モンローという名でございました。以来、廃屋はわたくしにとってサンクチュアリーとなったのでございます。

 遍路道を歩いておりますと、廃屋にしばしば出くわし、諸行無常を思わせるばかりでなく、私には生成流転の印象もまた思い起こさせるのでございます。

 話しが逸れてしまいましたが、当日の朝はそれどころではございません。この怒れる不随意筋をどう収めるか。それが目下の課題でございます。ある識者からアドバイスを頂いた直後ということもありまして、不随意筋は随意筋にまかせて………




































































































































       南無大師遍照金剛!





















 深い慟哭と悔恨の淵へと落ちて行くHALなのでございました。

                                                     

10月17日(金)快晴 光明(こうみょう)
つづき

 翌朝のことでございます。依然体調はすこぶる良く、お通じも快便でございます。しかし注意しなけらばまた大日寺さんでの二の舞を踏むこととなりかねません。お尻は先に拭いたのでございます。

 よし。そら行け! グイっとればーを

 アワチャー!

 ホゲゲー




 水勢が強すぎて反射波が顔にまでかかったのでございます。あわてて洗面所で顔を洗ったのはいうまでもございませんが、ん? んんー?

 水が止まらないのでございます。

 おばちゃんは朝ごはんの時間で忙しいのでございましょう、なかなか応答していただけずやっと来ていただいたときは例のニコニコ顔でございますから、怒りのエネルギーがまたも吸収されてしまい、何に腹を立てていたのかやっぱり分からなくなってしまったのでございます。

 色々と協力いたしましたのでございますが、結局元栓を締めて(はじめ隣の元栓を締めたためにお隣さんのうんこが流れず苦情が出た)事なきを得、宿をおいとまするのが9時と大幅に遅れたのでございました。

 人のいいおばちゃんは「御接待です、次の宿は当家のあばら家をお使いください」と申し出てくださいました。[しかし、それだと近すぎやしませんか、もっと歩きたいのですが」と申しますと「それは気合の入ったお遍路さんです。あなたならちょうどいい距離でしょう」とおっしゃいまして、このおばちゃんにかかりますと、わたくしのような輩はどうやら腑抜けたお遍路ということになるのでございましょう。

 アニハカランやでございます。あばら家(本当にあばら家)に着いたときはちょうどいいくらいの時間となったのでございました。たまたま当地の秋祭りに遭遇し、9時過ぎまで堪能しておりましたが、食事をとっていないことに気がつき、屋台のお好み焼きを2枚とビール、土佐鶴などを買い込み、あばら家に帰って一人で食べたのでございますが、なんという味でしょう「これなら美味しく作るほうが簡単なのではないか知らん」と思えるような代物でございましたから、空腹の上にアルコール類が無ければ決して食すことがかなわなかったでございましょう。

 子供の頃から慣れているとは申せ、このようなあばら家に一人寝の上に金縛りでは、さすがのわたくしも気味悪うございます。煌々と明かりを燈して床に入ったのでございます。また当夜は小悪魔の激励メールもいつになく淑女の仮面を被っており憂いなく安眠につけたのでございましたが…。

                                   明日に続く

10月16日(木)晴 無明(むみょう)

 「禍福は糾える縄の如し」と申しまして、何が幸運で何が不運なのかは、撚り合わせた一本の縄のように巡り巡りやって来るのでございましす。今は、己が身の不幸を思い悩んでいても、明日には幸福になるかも知れないのでございます。

 そう自分に言い聞かせ、本日の愚行を忘れようと努めますが、憤怒の矛先は、やはり自分自身に向けるしか無いのでございます。所謂、心理学用語で云う所の「惨劇の予測」をいたしたのでございます。



 人は或る一つの事に思い悩んでおりましても、更なる懊悩がひとたび発生したなら以前の苦しみは、いくばくかは薄らいでしまうものなのでございましょう。黙して語ることの無いお話と思っておりましたが、今ようやく懺悔の時がまいったようでございます。

 時計の針を4日前、わたくしが、室戸山に建つ最御崎(ほつみさきじ)の巡拝を終え、室戸の町へ降りてきたあのときまで戻していただきとうございます。




 室戸の町は、10月の半ばと申しますのに、大阪の夏の終わりを思わせる日が降り注ぎ、けだるい蒸し暑さに「巡礼とは苦しいものである」ということを忘れ愚痴をこぼしつつ宿を探していたおりますと、ある2軒並んだ民宿の前に出たのでございます。

 一軒は「白洋荘」さん、一軒を「竹の井」と申しまして、日記を読んで下さっている方なら、すでにご存知のように竹の井さんに宿泊したのでございますが、そのときは、この100mほどの間を行ったりきたりしてどちらに決めようか悩んでおりました。

 古さはどちらも似たようなもの、やや落ち着いた佇まいの竹の井さんが進行方向だということもありまして決めたのでございます。ただこの選択がのちに味わうことになる苦い悔恨の始まりであったことは、このときはまだ知る由もないのでございました。




 玄関を入ると、乱雑に脱ぎ捨てられた靴々。しかし声をかけても誰も出ません。商売気の無さにむかむかしておりましたが「あらあらごめんなさい、どうぞおあがりください」と、どこからともなく、女将さんと思しきおばちゃんが、ニコニコ顔で現れたのでございます。

 このおばちゃんの顔を見ておりますと自分が今までなににむかついていたのか分からなくなってしまうのでございます。

 いわれるままに2階の「松風の間」に上がりますと、意外にも電話器がございます。早速netに接続いたしましたが繋がりません。どうやらチェックインの操作がされていないようで、むかむかしながら女将に訴えたのでございますが、またまた「ごめんなさいねえ、操作を良く知らなくて」と、マニュアルを取り出してようやくセットできたのですが、このおばちゃんの笑顔を見ていると、一体全体なにに腹を立てていたのか思い出せなくなってしまったのでございます。

                         
                                   明日に続く
 

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