HAL日記


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2006年6月30日(FRI)  蕎麦うちの心、童話の心
 昨日から書き始めた20枚童話の募集要綱を良く読んでみたら、「20枚以下」とあった。なんだそれなら無理してキッチリにしなくてもいいんじゃないか、というわけで18枚まで下駄を履かせたところで打ち切って、ついさっきメールに添付して送った。

 大将賞金50万円の欲が無いわけではないが、「プロアマ問わず」なのでレベルはかなり高く、2日のやっつけ仕事でどうにもなるものでもない。昨年の入賞作品を読んだが、ぼくの作品など佳作の足元にも及ばない。だから後は神頼みしかない、とばかりに般若心経を唱えようと思ったらすっかり忘れてしまっていた。

 不幸は続くもののようで、さっきコンビニで日本酒を買ったら味がおかしい。製造年は今年の3月だから古いことはないが、たぶん管理が悪かったのだろう。好きな酒蔵なのに残念極まりない。ビールは回転が速いから管理意識が低くても良いだろうが、日本酒はこのところの雑酒ブームに押されてないがしろにされているんだろうか。

 せっかく良い酒を造っても管理して売る方がこんな体たらくではどうしようもない。コンビニで酒を買うのが間違いだといわれたら仕方ないが、それでは蔵元が気の毒でいけない。なんとか日本酒の流通革命をしないと、ますます日本酒離れは加速するだろう。

 日本酒のことは業界にお任せするとして、当面の問題はぼくの打つ蕎麦が流通の過程で不当な扱いをされやしないかということだ。世間の人はスーパーに売られている蕎麦のほとんどが5割蕎麦だということを知らないだろう。つまり法的には3割の蕎麦粉が入っていたら「蕎麦」と表示して良いことになっているのだ。

 蕎麦といえば二八蕎麦という、蕎麦粉八割うどん粉二割が最も美味しいとされているが、そんなものを食べられる機会は少ないといえる。特に温かい蕎麦は二八では食感がよろしくないのだ。いろいろ試してみてそれが今日初めて分った。作る側は食べる側の平均的好みに合わせて蕎麦を作っているのだ。
 詳しくは書かないけど、蕎麦を打って誰かにあげるのなら蕎麦粉6、小麦粉4から、蕎麦粉7、小麦粉3の割合が最も良いと思う。蕎麦粉の割合が高くなるに連れて繊細な取り扱いが求められるからだ。

 童話を書くということも蕎麦を打つのに似ているところがあると思う。繊細で研ぎ澄まされた感情を表現したところで子どもが喜ぶものになるかといえばそんなこともなかろうし、公募に出すならそんなことの前に下読みの大人の読者を納得させなければいけないからだ。
 でも今日書いたぼくのの作品は子どもも大人も満足させられることは無いと思う。だって僕自身が納得できないのだから。

 

2006年6月29日(THU)  20枚公募の誤魔化し方
 童話教室のお仲間さんが20枚の作品を書き上げて公募に出すと気勢を上げた。20枚といえば我々のレベルでは結構大変な枚数なのだが、もう既に入選歴のある方なので淀みのない作品に仕上がっていた。
「まだ1週間あるんだからHALさんも応募してみたらひょっとして何か良いことがあるかもよ」
 まあそんなそそのかしに軽く乗せられるぼくでもないが、「目の前での胴上げは許さん」とばかりにぼくも書くことにした。
 いやちょっと違うか、「一足先に入選してぼくたちを置いてけぼりにしないで」でもなく、「ちーとでも邪魔したろかい」なんてもってのほか。「そっちがその積もりならこっちにも考えがあるぞ」でもないな。「オレを味方に付けても大したことないが、敵に回したらうるさいぞ」なんてごたくを並べていて気が付いたら、締め切りまであと二日しか残っていないではないか。

 夕方から頑張って書き始めたものの、何も考えがまとまらないうちに手をつけたものだから筆は遅々として進まない。以前書いて酷評されたものをくっつけたりはがしたりしながら、いわば耐震偽装して何とか書き上げてみたけど13枚にしかならなかった。
 あと7枚をなんとか厚化粧と上げ底とシークレットブーツと馬子の衣装で誤魔化すしかないが、これだってぼくには結構むつかしい。
 もしこれがラジコンヘリを組み立てる作業なら鶴の巣篭もり状態になって酒は言わずもがな、飯も食わず徹夜もいとわずやり遂げるのに、文章を書くのは疲れる。物を書くことにインスパイアされていないというのは、目標が見えないということなのだろうか。とにかくあと一日だけ頑張ってみるか。

 

2006年6月28日(WED)  人の死を日記ネタにする罰当たり
 自分の日記は昨日のものですら読み返したいとは思わないことが多い。誤字脱字があるのも承知しているが、読み返してしまったら文脈に齟齬を発見してしまう。それを直し始めたらきりがないから臭いものには蓋をした状態で放置しているのだ。
 
 自分で過去に書いたものを忘れてしまって無責任極まりないが、サブだのホモだの薔薇族だのキーワード検索をして来て読む人には大変に申し訳ないし、杉冬吾で検索してくる方にも同様にお詫びせにゃならんだろうな。

 とまあそんなことを考えながら前の日記を読んでおどろいた。インターネットエクスプローラーでは見えなかったエラーを仕出かしていたのだ。
 今は「Mozilla Firefox」というブラウザを使っているのだが、それで他人様のページを見て、「なんでこんなことになってるのか?」と悩んでいたら、自分のページも似たようなエラーが起きていた。

 3年間ずっと同じエラーをして全く気が付かなかったのは、「世間も自分と同じ」の意識があったからで、他人を理解できないのは自分がその立場に立ってものを考えなかったからだ。
 立場が変わればものの見方が180度変わったっておかしくないが、生き埋め事件の当事者は、加害者被害者のどちら側も同じ場所に立ってものを考えていたのだろうか。その一人しか立てないはずの場所を見てみたいものだ。

 

2006年6月27日(TUE)  法律は最低限の道徳、日銀総裁辞めろ!
 コンビニで偽札を使った男が逮捕されたと聞いて、僕も刷ってみようか……じゃなくて、僕の持っている10万円金貨はまさか偽物じゃないだろうな、と心配になって色々調べてみたら、天皇寺在位60年記念の金貨も偽物が大量に出回っていて、日銀はおよそ68億円分の損失を出したらしい。
 分かっているだけで68億円ということは、少なくとも68000枚の偽10万円金貨が流通したわけだから、そんなに大量に金貨を偽造できるなんてあの国の“さるお方”しかいないんじゃないかと思う。
 
「えらいこっちゃんか! 10万円のはずが、金の重さの4万円しかなかったらこの損失はだれが補填してくれるねんっちゅうことや」
 だれが補ってくれるどころか、もしこの金貨が偽物だったら、使ったぼくは偽造通貨行使で咎を受けかねんではないか。慌てて郵便局の窓口に行って換金を申し出た。
「あ、両替ですね、直ぐに終わります」
 局員のお姉さんはすんなりと受け取ってくれて、鑑定をしなくて良いのかと聞いたら、「パックしているのは鑑定しなくても良い」のだそうだ。

 日銀の福井総裁が村上ファンドに投資していた問題を受けて、「法的には何の問題も無い」と答えた内閣首脳陣は、福井総裁の辞任を待たずして即刻退陣すべしだ。
 今さらいうまでもなく、法律なんてのは一般人が守なければならない最低限の道徳だろうがぁ! そんなものすら守れない人間が金融の範たる日銀の総裁を努めていること自体が世界の笑いものじゃないか。

 郵便局で両替したらすぐに同額を出金できたが、郵便局だって小泉さんには少なからず恨みもあるわけだし、よしんば偽金貨であっても自分たちは損せず日銀が損するだけなのだから快く受けてってくれる筈だ。
 結局のところ記念硬貨なんてプレミアムの付かないものらしい。そんなものを手に入れるために引換券を持って窓口に並んだぼくが馬鹿なら、政府は馬鹿を騙して搾り取るなと言いたいが、某国やガキどもに欺かれる日本国政府だってたいがい馬鹿だ。

 

2006年6月26日(MON)  最近の惨劇はフーリガンの仕業だ!
 対ブラジル戦が終わって中田英寿選手が倒れこんでなかなか起き上がらなかったのをとやかく言う人もいるようだが、ピッチは走る場所であって寝るところではないのは、選手である彼が最も良く知っているはずだ。だから彼にとっての燃え尽きた表現があれだったのならそれで良いではないか。

 それをどこのテレビ局の記者か知らないが、「ずっと寝てましたね」なんてインタビューしたものだから中田選手がムッとしたのも無理は無い。まさか本当に寝てたなんて思ってはいなくて、単に舌足らずなだけだろうと記者を弁護したいが、本当にそう思っている人だっているかも知れないなら、あの姿に苦言を呈する人が現れたって何の不思議も無い。

 先日の日記に、「日本が決勝に進めなかったら自殺者が激増するのではないか?」と憂いたけど、まさかこれほど殺人が増えるとは考えなかった。毎日毎日スポーツジムの5台あるモニターのどれかに事件のニュースが映されている。もういい加減に見たくはないが、各局テレビは殺人の動機に「ジーコジャパン予選敗退」の可能性を追求してみたらどうか。

 いかにジーコジャパンがチーム一丸となれなかったかを、一人だけ倒れこむことで中田選手が最後に知らしめてくれたようにぼくには思えたが、あれは個人的なパフォーマンスか、それともファンに対しての何かのアピールか。
 彼の感情を分析してみたところで敗戦と殺人との間には何の連関も見出せないだろう。それは誰にも分からないことだが、分からないからといって黙殺して良いとは思えない。だってフーリガンがサッカーと犯罪のそれを証明してくれるじゃないか。

 

2006年6月25日(SUN)  カタログギフトは小市民の敵だ
 やや前のことになるが、満中陰志に頂いたギフトカタログを隅々まで見て、「馬鹿にしとるのか?」と声を上げて放り投げた。香典は一万円だったから、どうやらその半額程度に見える商品が掲載されたカタログらしい。それはそれで結構なのだが、本物の有田焼の茶碗がひとつ百円で買える時代にあって、萩焼五個セットの茶碗がなんで五千円相当の品物なんだ?
 カタログギフトというのがいつ頃からあるのか知らないが、何度もらっても未だかつて満足できる商品を見つけたためしが無い。

 そもそも肉親の死に際して狼狽し、何も手がつけられない遺族の心境につけ込んで一儲けしようなんて魂胆が許せん。そりゃ確かに、「もうそろそろ危ないから葬式の見積もりを取っておくか」なんてやってたら世間に後ろ指さされるだろうから迂闊なことができんのは分かる。それに香典の名簿と金額だけ業者に知らせておけば後は段取り良くやってくれるから、お通夜だ葬式だとゆっくり悲しんでもおれないほど忙しい状況にあって、誰に何を送ろうかなんて考えなくても良いから助かる。

 しかしそうは言ってもぼくの一万円がホームセンターの目玉商品にすり替えられるなんてどうしても納得がいかん。なにも一万円が惜しくて言っているのではない……いや、正直やっぱり一万円が……。とにかくカタログにぼくの欲しい物が載っていないから腹が立つのだ。
 カタログギフトというのは送る側の利便に供するものであって、受け取る側にはそれほどありがたくないものと見た。。

 だがいつまでもぐずぐず拗ねているわけにもいかない。独り者のぼくに夫婦茶碗なんかが送られて来るよりは余程良心的なわけだし、なんといってもこれには申し込み期限があるのだ。
 そこで今日カタログを取り出して見たが、やっぱり欲しいものは無い。仕方ないから適当に選んで添付の葉書に型番を記入してポストに放り込もうとして気が付いた。
「あー! 申し込み期限が三ヶ月も前に切れとるがなー」
 小市民のぼくは気が付かなかった振りをしてそっとポストに放り込んだが、一体どうなるのだろう。カタログギフトなんて大嫌いだ!

 

2006年6月24日(SAT)  中野選手2位ゲット、祝杯だね
「長いものには巻かれろ」と云うけど、「断じて権力や権威にくみするものか!」という人もいて、どちらかというとぼくは後者で、巨人ではなく阪神に思い入れをするタイプなのだが、阪神が優勝したりすると急に熱が冷めてしまう。つまり非メジャーなタイガースが好きというだけで、決してタイガースを心底愛しているわけではないのだ。

 バイクのレースでの王者はHONDAで、次がYAMAHA。SUZUKIも頑張ってはいるけどチャンピオンから遠ざかって久しい。KAWASAKIなんてスーパーバイクでは活躍しているけど、最高峰のMOTO‐GPではまだ優勝が無い。そこへもってきてついにKAWASAKIを駆る中野選手が二位に入ったのは快挙と言える。
 優勝はニッキー・ヘイデン選手だが、彼がアメリカ人だからといってブッシュ大統領に重ねて憎んだりはしない。スポーツの上で人種や国籍なんて重要な意味は無いのだ。

 そりゃ青木功が勝ったときはうれしかったし、岡本綾子が全米の賞金女王になったときはしてやったりと思った。だけどイチローや松井が世界の頂点に君臨している時代にあって、日本人の国威発揚に今更バイクでもないというかも知れないが、レース界の頂点だけはまだ日本人チャンピオンがいないのだ。

 向こう10年の間にレース界で日本人チャンピオンが誕生することは無いと思う。サッカーと同じで歴史が違い過ぎるからだ。でも彼らが乗っているバイクやF1カーのみならず、タイヤだって日本の会社が作っているんだから、日本人が頂点に立つ日もそんなに遠くない筈だ。
 レースとサッカーのどちらが早く世界を治めるだろうか、それを確認するまでは生き永らえたいと思う。

 

2006年6月23日(FRI)  まだは、もう。もうは、まだ
 対ブラジル戦なんて勝てる筈無いんだから観てもしょうがないだろうとは思いつつ、しっかり午前3時半に起きて観戦した。ここまで無失点のブラジルから1点をもぎ取った時には、奇跡が起きるかも、と信じて観続けたけど、あの時点で満足して寝てしまえば良かった。そしたら少しの間かもしれないが良い夢をみれたのに。

 株なんて買ったことないから良く知らないが、あの業界には、「まだは、もう。もうは、まだ」という言葉があるらしい。つまり、「もっと値が上がる筈だからまだ売ったら駄目だ」と思った時はもう売り時で、「今がピークだろうからもう売らないといけない」と思ったときはまだ売り時ではないのだそうだ。

 まあジーコジャパン良くやった、アッパレやるよ。優勝はブラジルかオーストラリアだろうから、そんなリーグで良く戦ったと思う。だからもうジーコ監督は要らんだろう。でも世界に通用する日本人選手はまだ少ないんだよな。
「もう、は、まだ。まだ、は、もう」なんて、もうそろそろ考えないように、いや、まだまだサッカー世界一は遠いのかもしれない。

 

2006年6月22日(THU)  不当評価に憤ってはみたが
 お好み焼きを自分で作ってみたら、「こんなに原価の低い食い物だったのか!」と驚いてしまった。それを客に焼かせるんだから儲かるはずで、お好み焼きやが林立するのも道理だけど、厳しい競争に敗れ去ってしまう店が多いのも納得できる。

 ぼくがひと頃通っていたお好み焼き屋の店主は、かつてホテルでシェフを務めたとあって、料理全般にわたって何を食べても美味しかったし、もちろん焼きそばも美味しかった。
 歌って踊れる店主じゃないけど、パフォーマンスをしながら作ってくれるので人気があったが、メインである筈のお好み焼きだけ不当な評価を受けていたのが不思議でならない。

 今日は童話講座の日で2作品を合評したのだが、ぼくの作品も散々痛めつけられた。合評というのは作品を批評するのであって、書いた個人を評価するものではないのだから、どんなに不当と思える判決が下りたって平気なはずなのに、平常心を保つのは難しい。ついつい言い逃れをしてしまっている自分に気がつくのだ。
 人は誰でも自分を不幸だと思ったら、もっと不幸な人を見ることに捌け口を求めるのかもしれない。上級生に殴られたら家に帰って妹に手を上げ、妹は犬を解剖する。おぞましいけどそんな人の弱さに根ざした事件は後を絶たない。

 というわけでぼくもどこかにカタルシスを求めてみたら、あったあった。前回の講座では現役新聞記者が一刀両断にされたのだった。
 いくら童話と新聞記事が別物だといっても、物を書くプロだからあんだけやられたら落ち込むだろうな、と思っていたら今日また平然と書き直しが提出されていて、まったく新聞記者恐るべしであるが、やっぱりこうじゃないと向上は無いんだな。あの不当な評価をされるお好み焼き屋をもう一度訪ねて心を鍛えなおしたいよ。

 

2006年6月21日(WED)  杉冬吾って太宰治のことか!
 NHKの朝ドラ「純情きらり」で、杉冬吾という名で出てくる絵描きは作家の太宰治がモデルになっているんだ! と、ついこの前気がついた。あの俳優の名前は知らないが、なかなかハンサムでその点は太宰っぽいところもあるが、太宰の娘が書いた原作なら、あの雰囲気がお父ちゃんに似てなかったらきっと怒るだろうから似ているに違いない。

 太宰という人も相当女にもてたようだから、杉冬吾を取り巻く女たちも実在した人物に重ねて観ても良いかも知れない。もてたとはいっても美人は少なかったらしく、その点がドラマとは少し違っているが、あの青森から出て来て冬吾を付回す許婚の雰囲気はピッタリしてグッド!

 あのドラマは最初から脚本にも演出にも違和感を感じるし、役者の演技も到底完成されているとは言いがたく、冬吾にしたって青森弁で喋られたら演技が上手いのか下手なのか良く分からん。
 どうしてあのドラマの視聴率が高いのか理解できないけど、まあキャラは立ってるわな。それに何と言ってもぼくも毎日観てるんだから、文句言う筋合いも無いんだよ!

 

2006年6月20日(TUE)  個の喪失=国の喪失
 冬の日本海の空か、春の黄砂の空か、あるいは梅雨空のようにぼくの頭の中に鬱陶しく垂れ込めていた田舎の公害問題が、望外の形で決着しそうだ、と聞いて思わずガッツポーズをとった。

 公害といっても産業廃棄物を投棄されたみたいなあからさまなことではなく、“資源”を一時的に保管するといったものだ。それらは“資源”なので法的にはなんら拘束力もなく、しかしだからといって健康被害は未確認で、いわば法整備の遅れを突いた村上ファンドみたいな手口に良く似たものだった。

 田舎の人たちはなぜそんなやり口を許したのか、と憤激したものだが、相手は一枚も二枚も上手だった。飛車や角を落としてもらっても勝ち目の無い相手と将棋をさすようなもので、田舎の赤子たちはいともたやすく手をひねられたのだ。
 
「田舎に住んでる人たちがやる気にならないと前に進まないね」
 田舎から出てしまったぼくたちが言うことでもないが、なんとも歯がゆい思いで成り行きを見ていたのだが、もうどうしようもないなと思っていたところへ住民が立ち上がった。そして水質調査をした結果、重大な問題が浮かび上がったらしい。

 こうして“資源”は撤去されることに決定したが、一旦汚染された土壌はすぐには元に戻らない。今すぐに健康に被害があるとは思えないが、もう既に逃げ出した人もいるし、これから転出しようと考えている人もいると云う。

 規制を緩和して民間に出来ることは民間に任せるのは悪くないと思う。だがどうして民間に委託しなければいけなくなったのか、その経緯や公務に携わる人々の心理を分析せずして、問題の根本が理解できないばかりでなく、国の在り様を正せるはずもないと思う。

 

2006年6月19日(MON)  テポドンを打ち上げる壊れた指導者
 冷蔵庫が故障したらしく、どこからか水が漏れてきて底の方に溜まるようになった。電気屋の社長さんに聞いたら、「それヒーターが壊れとるな、修理代結構高くつくから箱で受けて捨てたらええねん」ということで、その通りにしたら実に都合が良い。

 そもそも機械っていうのは複雑になればなるほど故障する場所も増えるわけで、コンピュータやプログラムなんて無かった時代にだってエレベータはちゃんと動いていたんだから、いっそのことシンドラー社も、「昔の方式に戻そうかな」とかって発表したら信頼回復に一役買うのではないか。

 オレオレ詐欺とかワンクリック詐欺とか、世の中も複雑になるにしたがって不具合が右肩上がりで増えるのも仕方のないことなんだろうと思う。複雑な社会に付いていけなくなったら、犯罪に走るより道の分からない人も増えるのだろうが、詐欺の世界だって複雑になっているんだから、それにも付いていけないから手っ取り早くコンビニ強盗でもやるんだろう。

 世の中が複雑になっら当然国際社会も複雑になっている訳で、それに付いていけない指導者が壊れると、テポドンミサイルみたいなものをちらつかせて押し込み強盗を働こうとするんだろう。
 マイクロソフトのビル・ゲイツ会長が引退して慈善事業に専念するらしいから、まずはああいった壊れた指導者に愛の手を差し延べてもらいたい。そうすればノーベル平和賞も手繰り寄せられるし、マイクロソフトの製品だってもっと売れるに違いないのだ。
 しかしそうは言っても、あの国の指導者が壊れているのは、サッカーワールドカップに行けなかったからじゃないんだろうか。壊れる原因が分からないほど怖いものは無い。

 

2006年6月18日(SUN)  クロアチアに勝ったらぼくは困る
 クロアチアワインを探したが徒労に終わったので、仕方なくドイツワインを買った。風呂にも入って涼風に当たりながらコルクにスパイラルをねじ込もうとしたとき、「スズキが来たけど、どない?」と、場末の飲み屋からの電話が邪魔をする。
「鈴木さんって、知らんなぁ、誰やろ?」
「スズキちゃんですがな、早よう来てや」
 そう言われて思い出した。昨日の夜のことお客さんが、「明日釣りに行くから何が食べたい?」と聞くので「スズキがいいね」と、ぼく自身が答えたのだった。

 作務衣に雪駄といういでたちで歩いて飲み屋に向ううちに汗をかいて、「風呂に入る前に電話よこせよなぁ」と、逆恨みしつつ、しかし未だ飲んでもなかったし腹も減ったので渡りに船とはこのことなのだ。
 今が旬とあってスズキの鍋は美味かった。しかもサッカーが始まって皆で応援しながら飲んでいたら、「連中は命かけて戦ってるのに、下手な解説するな! 黙って観ろ」なんて切れる酔っ払いが現れ、一同興ざめた。

 前半が終わって帰る道の何と静かなこと! 車がほとんど通らないのはやっぱり皆さんサッカー観戦しているからだろうか。家々から漏れる歓声も同じタイミングで聴こえてくるから、どうやら日本中がテレビにかじりついているのは間違い無さそうだ。
「とんでもないことになっているじゃないか、それじゃあ困るんだよ」
 ぼくも慌てて家に帰ってパソコンのスイッチとテレビのスイッチを入れた。しかしそれは日本の勝利を夢見たからではない。

「ア、アカンがなぁ! それじゃあダメなんだよ」
 思わず叫んだのは、日本が勝てなかったからだけじゃなく、オークションがひどく低調で、がっかりするような金額でぼくの出した品物が落札されてしまったからだ。
 四年に一度のイベントが異常事態を惹き起こすなんて、出品した一週間前には全く考えなかった。なんてついてないんだ。この先日本が決勝にまで進んだら先のことが全く読めなくなる。ブラジルには勝ってもらいたいが、さりとて飯が食えなくなっても困る。あ〜! もうサッカーなんて早く終わってしまえ。

 

2006年6月17日(SAT)  命の重さは同じでも値段は違う
「命の重さって知ってるかい?」と、飲み屋で誰か言うので、「あ、それは確か0.3gやったかな、それとも0.03gやったかな? 人が死んだ時にフッと軽くなる重さのことですよね」と答えた。
「その重さってだれが量ったんや?」
「だれが量ったか知らんけど、概ねそれくらいやろ、ということになってるんです」
「アホなことぬかすな、命に重さなんかあるわけないやろ」
 0.03gから100kgまで量れるような体重計が普通に売られてない以上、魂の抜け殻になった肉体の重さの増減なんて誰にも分からない。分からないけど、命の重さはみな同じだ、と主張する首領様のような方もおられる。

 ドキュメンタリー作家としての誉れも高い首領様の近著「命の重さはみな同じ」には、命の重さの量り方なんかが詳しく解説されているんじゃないかと思うのだが、まだ読んでいない。「とっとと買うて読まんか!」とお叱りをいただく前に、少なくとも立ち読みくらいしておかねばならんが、まだ店頭に見かけないのだ。

 観てないけど、映画「21グラム」では、人が死んだら本当に21g軽くなるという前提に立って制作されているらしい。21gだったら簡単に量れるから、誰か実際に量ったんだろう。
 人間の命の重さは分ったが、犬やネコの命の重さは何グラムなんだろうか。もし人間より重い21.5gだったら人間の立場がなくなるので、量るのは止めた方がいいと思う。

「人間のわがままで、たくさんの犬や猫たちの命が危険にさらされています。耳を切られて捨てられていた子犬たちの命のゆくえは? 命が救われた犬や猫たちの物語」
「命の重さはみな同じ」で書かれているのは、命の大切さは犬やネコも人間と同じ、ということであって、実際の重さのことじゃないらしい。
「命の重さのことは知らんけど、命の値段ならオレはだいたい分かるよ、計算式があるから」
 誰にも命の重さが分からないので、親切にも保険屋さんは誰にでも分かるように、命の重さを金銭に換算してみせてくれる。それによるとぼくの命の値段は、血統書付きのレアな犬種の仔犬より少しだけ高そうだ。良かった!

 

2006年6月16日(FRI)  歪みは寝転んで直す
 本当の話かどうか知らないが、向田邦子さんのドラマ「父の詫び状」の中に、夜店で真四角な蛙を買って帰ったら普通の蛙だった、という話が出てくる。つまり蛙を一晩四角な箱の中にぎゅっと詰めておくと、体の柔らかい蛙はその形に順応し、騙されて買い、家に持って帰った頃には元の姿に戻っている、というのだ。

「鏡の方を向いて、自分の体がゆがんでないかチェックしながらストレッチしましょう」
 スポーツジムのインストラクターに言われるまでもなく、ぼくは右肩が下がっていると人に言われる。どうしてそうなのか、ひょっとしてバイオリンを弾くから、いや下手に弾くからかとも思って、肩当てを買い換えてみた。

 ぼくの右肩が下がっている原因は他にも考えられる。ゴルフのフォームは必ず右肩が下がらないといけないし、ショルダーバッグを担ぐときは左肩にかける。無意識のうちに右手が自由になることを好んでいるんだと思う。
 そんな風に理由を探していくと、世間の人々はおおむね右肩が下がっているに違いない筈なのだがそんなことは無い。ということはぼくの生活習慣に問題があるにちがいないし。あ!おまけに首も右に傾いているじゃないか。

 ぼくの肩こりの原因はどうやらこの辺にありそうで、体のゆがみを矯正するするにはどうしたものかとNETで調べようとしてハット気が付いた。体の左側を下に寝転がって、左肱で頭を支えて右手でキーを打っているじゃないか。そういえば長年この体勢に馴染んで……なるほど、これからは右を下にして寝転んで左手でキーを打てば良いのか!

 

2006年6月15日(THU)  一触即発のレッスン
 なにやら沈鬱な面持ちした連中が会議の席で、「ボーダフォンの動きが……」というのCMのバックに流れている曲は、プロコフィエフの舞踏曲「ロミオとジュリエット」から「モンタギュー家とキャピュレット家」だが、暗く沈んだ一触即発の雰囲気を醸すのにピッタリしていると思う。

 大雨の中を歩いて場末の飲み屋の暖簾をくぐったら、例によって危険人物がたむろしていて、一触即発の空気が満ち満ちている。と思ったら意外にも危険人物が大人しかった。いつもなら将棋に負けて暴れるのに、気持ち悪いくらい紳士なのだ。この数ヶ月の時間が彼に何をしたのか知らないが、家も引っ越したらしい。

 気持ちが悪いといえば、先日「バイオリンを貸せ」と言って来た、「酒盗りのTEL師」と称する御仁が、未だもって「バイオリンを習う」と口走っているのも変だ。家にじっとしておれる時間は、将棋番組が始まって終わるまでの2時間が限度、という人にバイオリンの練習なんて出来るんだろうか。きっと女性関連の目論見でもあってのことなのだろうが、それを看破出来ないので、咽元まで出かかっている言葉を飲み込むみたいに気持ちが悪くてイカン。

 バイオリン教室は三ヶ月延長することになったが、モーツァルトが終わった後の曲を準備してたら、「次は○○○をやりましょう」とお師匠ちゃまがのたまう。知らない曲を持って来られて難儀しないように先回りしたようだ。
「次はドボルザークの予定なんで、その○○○っての知らないですが……」
「いえいえ、知ってます知ってます。CDと楽譜用意しておきます」
 勝手に選曲してくれてアリガタ迷惑なはなしで、ぼくとお師匠ちゃまのせめぎ合いは、これからも一触即発の危機をはらみながら続くのだろう。

 

2006年6月14日(WED)  飲み屋の互助機能
 場末の飲み屋が一月ぶりで店を開けたのは良いとして、「迎えをよこすから蕎麦打って持って来てくれ」とは一体どういう了見だ、と文句を言いながらもせっせと蕎麦を打つぼくなのだ。
 しかしいくら頑張って蕎麦を打ったところで、最終的にはマスターの茹で方や付けつゆと薬味に蕎麦の味までが左右されて不当評価されるのではかなわん。その上美味しいと評価されたってぼくにも何の見返りがある訳でも無いし、マスターも客から蕎麦代金を取るわけでもない。

 マスターがぼくの蕎麦を3分間もゆでるという暴挙を見かねて河岸を変えて飲みなおしたが、こちらは美人で料理上手なママさんが律儀に店を開けているにもかかわらず、このところ客足が遠のいている。訳はかんたんで、見知らぬ客同士が交流できない客層をターゲットにしているからだ。つまり周辺の環境が常連さんを居つけなくしていて、それが変化するに応じて客層ががらりと変わってしまう。

 場末の飲み屋のマスターは、客に対して責任感も義理のかけらも持ち合わせていないから、平気で一月でも二月でも店を閉めたまま電話にも出ない。ところが開けた途端に満員御礼が下がるのは、他に行くところの無い客同士が勝手に遊べるだけでなく、金にもならないのに蕎麦を打って持って来たり、魚を釣って持って来たりして、気が向いたらマスターがそれを料理して無料で振舞うという、恵まれない人たちの互助会みたいな機能があるからだろう。

 あちらこちらの飲み屋から出入り禁止をくらった連中にとっては、教会かお寺のように有り難い店なので長続きして欲しいものだが、彼女ができても絶対に連れてはいけないような店って、やっぱりどこかおかしい。

 

2006年6月13日(TUE)  よくも日本に恥をかかせてくれたな
 どんなやつが村上ファンドに投資していたのかと思ったら、あんなやつかい!そりゃ村上さんも大船に乗った気持ちでやりたい放題やれるわな。

 しかしちょっと理解できんなと思うのは1000万円という金額の少なさで、日銀総裁ともあろうお方がそんなチマチマした金を出して恥ずかしくないのかということなのだ。アメリカのグリンスパン前連邦準備制度理事会議長が退職して書いた本の原稿料がいくらだったか、この日記を書くために調べる気にはなれないのだけど、クリントン前大統領を抜いて史上最高だと聞いている。

 とにかくだ、1000万円ぽっちの金を村上ファンドに投資したようなやつに、日銀の総裁が務まるのか?こそこそと小銭を稼ぎたいようなやつに、日本のみならず世界に影響を及ぼす金融界のドンが務まるのか?法的な問題じゃないよ、世界に恥を晒すなと言いたい。

 

2006年6月12日(MON)  地震におどろいてピアノ売る小心者
「寝てる場合じゃあれへん、今治で震度5やで!」
 阪神大震災で被災した兄が出勤前に電話をかけてきて、田舎の母が電話に出ないと言ってきた。しかしテレビをつけてもニュースをやっていない。大したこと無いのかなとも思ったけど、阪神大震災の時だって発生からかなり遅れて報道されたから、ひょっとして今回もその可能性はあるので、ネットで確認したが小さな記事が出ているだけだった。

「たいしたこと無いっていうて畑に行ったそうな」
 数分後にもう一度電話があって安否が確認できた。テレビのニュースでやり始めたのを見てもやはり今治市は震度5だが、被害は無さそうだった。西予市も同じ震度5だったので知り合いにメールしようかと思ったけど、煩わせるだけのようなのでやめた。

 そんなことより心配なのは、姉歯さんの設計したビルはどうなったのだろう。いや姉歯さんだけじゃなく、耐震偽装設計の建物はどっさり建っているはずなので、それが心配でならない。
 実はぼくの今住んでいるところも断層の真上なので他人事では無いし、今まさに耐震補強工事の真っ只中にあるのだ。

 この建物自体は道路公団と同じく、会計も不透明な「独立行政法人都市機構」のものなので、仮に壊れたってざまあ見ろだが、倒壊しないまでもピアノの下敷きになって圧死するのは勘弁して欲しい。
 早いとこピアノ売りさばこうと思っているけどなかなか踏ん切りがつかなくていけない。そこそこの地震でも発生したら、あるいは諦めも付くのかも知れないのだが。

 

2006年6月11日(SUN)  量るだけダイエットをこっそりやり始める
 NHKの「ためしてがってん」が推奨するがってん流ダイエットとは、精密な体重計に朝晩乗って、体重の変化をグラフにつけるだけというものだった。なぜそんな簡単なことでダイエットになるのかといえば、体重が減少していくのを目の当たりにすると、苦しいはずのダイエットにも喜びが見出せて長続きするから、というのがその根拠らしい。

 なるほど、そういうことなのか!と合点したぼくは、それ以来10g単位で量れる体重計を探し続けているのだが見つからない。スポーツジムの体重計でも50g単位なのだ。そこで体重計には一家言を持ち、気に入らない体重計には見向きもしないという、ダイエット友だちでヘルスメーターフェチの奈美さんにメールを送った。

「奈美さん痩せましたか?こちらは相変わらず小康状態を保っておりますが、“量るだけダイエット”を実践しようと精密体重計を探してます。体重計には殊の外うるさい奈美さんならご存知かと思いましてメール差し上げた次第です」
 誠実に書いたつもりだったが、一週間経っても返事は頂けなかった。いつもならすぐに返事をくれる方なのに、どうやらご機嫌を損ねてしまったらしい。

 奈美さんがダメとなると自力で探すしかないが、いくら探しても10g単位で量れるなんて新生児用くらいのもんだ。10gで一喜一憂するのが困難なら、せめて50gの増減を知りたいと思い探したら遂に見つけた、が高い。体脂肪も測定できないくせに9000円もするのだ。こうなりゃオークションで安く手に入らぬかと探したが、どんなに安くても8000円は超える。

 中国製だったらもうちょっと安くなるだろうが、とメーカーを見たら国産で、しかもぼくがリーマンやってた頃の取引先だった。どうやら民生用では有名メーカーであるタニタさんに大きく水をあけられているものだから、ここらで“量るだけダイエット”に便乗して巻き返しを量ろうと、いや、図ろうとしているのだろう。
 
「奈美さん、素敵な体重計見つけましたので、来週あたり注文しようかと思いますが、奈美さんの分も一緒に発注しましょうか?」
 こんなメールをだして火に油を注ぐ結果になってもまずいし、さわらぬ神にたたり無しということわざもあるので、ぼくだけこっそりと実践して、抜け駆けしようと思う。

 

2006年6月10日(SAT)  だまされて泣く
 一日に何度となく鈴香容疑者の顔を見せられ、その後に「ドイツ、ドイツ」の連呼を聞かされているうちに、いつの間にやら鈴香容疑者がドイツ人のように思えてきた。
 こんなぼくだから、耐震偽装マンションを販売したヒューザーの小島社長と、絵画盗作で有名になった和田画伯が同一人物に見えて仕方が無い。
 
 スーパーでワインを買おうと手にしたらドイツ産で、その横にはフランクフルトが安売りされている。そのまた隣にはドイツビールか!買わなしゃあないがな。で、その味は、結構いける、と思ってレシートを見たら間違えて買ったことに気が付いた。レジで支払う時に、「えっ?高すぎないか!」て思ったけど、飲んで初めて気が付くんだから情けない。

 あのスーパーは近頃どこか変だ。値段の表示がはっきりしないだけじゃなく、店内のレイアウトも変だし、店員の態度も不自然だ。遠からず店じまいするかも知れないけど、閉められたら困るし、かといってあの店にはもう行きたくないし、なるようになれって思う。 

 

2006年6月9日(FRI)  蕎麦うち教室にもの申す
 蕎麦をうつ柄じゃないというより、緊張感を欠いた男二人を蕎麦うち教室に連れて行って恥をかきたくはないのだが、それぞれに目的があるらしく、どうしても連れて行けという。珍しく気合が入っているなと思ったのもつかの間、案の定手ぶらで現れたりエプロンを持ってこなかったりと、いきなり出鼻をくじいてくれたので、よっぽど赤の他人を決め込もうかと思った。

 まあ蕎麦うち教室といっても体験するためのもので、先生もボランティアだから一期一会の真剣勝負というわけでもない。それに先生が打った蕎麦を食わしていただいた上に、5人前の蕎麦を持ち帰って2000円だから、教わる方もリピーターが多くて和やかなもんだ。

 連れの一人はぼくの打った蕎麦と彼自身の打った蕎麦を持ち帰って飲み屋で蕎麦パーティーに興じたが、もう一人は馴染みのうどん屋に持って行ったという。人間歳をとると無邪気になるのは結構だが、嫌がらせも無邪気にやれるのか、それとも彼にのみ与えられた天賦の才能なのだろうか。あるいは単にニブイだけなのか。

 社交ダンスの教室に行ったことがあるけど、あの世界の男って一種独特な雰囲気があって、それに馴染めなかったぼくは3回通ってやめてしまった。蕎麦うちっていうのもある種の傾向があって、誰が決めたわけでもないけど男のやることらしく、総じて毛むくじゃらのむくつけきおっさんがやりたがるもののようだ。ファイターズの新庄みたいに爽やかな男は間違っても蕎麦うちなんてやらないと思う。

 今日一緒に行った男はどちらも軟弱なやつで、連中がその力を存分に発揮できるとしたら女の上、いや、女を前にしたときだけだといって良い。つまり連中は蕎麦をだしに使って使って女をどうのこうのと思いをめぐらせているだけなのだ。
「君たちねぇ、蕎麦打ちってのはもてなす心、奉仕の精神の具現なのだよ」
 何はともあれそこんとこを厳しく戒めてから蕎麦うちを教えてもらいたいよ、先生!

 

2006年6月8日(THU)  毎日が断頭台だ
 ふ〜、危ない危ない。首の皮一枚でぼくの作品が本日の童話教室での合評を免れて助かった。首領様がガイジンだったらぼくは危うく窒息させられるところだ。
 
 外資系のエレベータで窒息事故が起きたが、シンドラー社って確か京都の方に工場があったように、いや、どこかの高速道路から良く見えるところにある。ぼくはずっと長く、「あの煙突みたいな建物ってなんだろうね?」と言ってたのだが、いつ頃からか「シンドラーエレベーター」と書かれるようになって、「なるほど、エレベーターのテストをするための建物なんだ」と気が付いた。

 あのエレベーター事故を受けたテレビのコメンテーターや当局が、「考えられない事故だ」というのを聞いてムッとした。「あってはならない事故だ」というなら分かるが、あり得ない事故ではないのだ。現にぼくの近所のお店でも、十年ほど前に業務用のリフトにはさまれて若い女の子が亡くなった。普段大きくニュースにならないだけで、リフトやエレベーターにはさまれるというのは、「無い筈の有る事故」なのだ。

 エレベーターって100年も前から実用化されているのに、何で今もって事故が絶えないのか不思議だったが、シンドラー社の、
「設計や製造に問題では無いと確信している」
というコメントを聞いてやっと分った。
「交通事故の原因は運転者の不注意によるものがほとんどだ」
と、警察が言うように、「人間はミスをするものだ」という前提に立って道路が作られていないから交通事故が減らないのと同じで、「エレベーターは事故を起こすものだ」という前提に立って作っていないからエレベータ事故は無くならないのだ。

 エレベーターに乗るたびにメーカー名や点検日みたいなものを確認しないといけないなんて怖い話だが、この先も避けられない事故なら自衛するしか仕方ない。
 今日はぼくも童話教室では難を逃れたが、次回はぼく用の断頭台が既に用意されているのだから自衛しなくてはなるまい。

 

2006年6月7日(WED)  酒は満月にあらがう
 毎日毎日暗いニュースばっかりの上に入梅間近となったらさすがに気が滅入る。これでサッカーワールドカップで日本が決勝トーナメントに進めなかったら自殺者が激増するんじゃないかと心配でいけない。
 サッカーに勝った負けたぐらいで死ぬこともなかろうと思うが、野茂やイチローの活躍に生きる希望を見出した、と証言する人がいる以上その逆もあるのは間違いないのだ。

 バイオリン教室で散々痛めつけられ、帰って風呂に浸かっていて自然にひざを捻挫するという不運に見舞われ、明日は童話教室でしぼられるのだ。仮に今夜が満月だったりしたら何が起きても不思議じゃない気がする。もっともぼくの場合は満月が空に輝く頃にはアルコールで酩酊しているだろうが、酒を飲めない人だったらどうなるんだろう。飲める人間でよかった。

 

2006年6月6日(TUE)  唆し(そそのかし)のプロ中のプロ
 そうか、村上がおだててホリエモンはそそのかされたのか。どんなに悪いやつだって、もっと悪いやつにかかるとイチコロで騙されるんだな。
 浪速のあきんど<近江商人<華僑<ユダヤ人という順番に商売が上手らしいが、ホリエモンなんて将棋で言えば初段くらいだったのかもしれない。

「ピアノ習うと見せかけて先生をナンパしませんか」とか、「蕎麦うち覚えたらおもろいでぇ、蕎麦屋になったら儲かるんとちがうか」
などと、ぼくも友だちをそそのかして楽しんでいるのだが、これが案外食いついてくるから止められん。今週も蕎麦うち教室に2名を引き連れていくことになった。

 齢70を目前にした友だちのTELさんを、まさか本気でピアノを習い始めるはずも無いと確信しながら手慰みにそそのかしてみたのだが、
「バイオリンを習いたいからあんたの持ってるバイオリン貸してくれへんか?」
と、耳を疑うことを言って来た。よもやピアノとバイオリンを間違えるほど惚けているとは思わないが、「ぼくがお勧めしたのはピアノですがな」と、いくら正しても聞く耳を持ってくれない。
 使ってないバイオリンを貸すのはやぶさかではないのだが、彼の家には立派なピアノがあるんだし、バイオリンは体力がいるだけじゃなく、習い始めがとても難しいから、とブレーキをかけるのだが、変なスイッチが入ってしまったようで、彼の暴走は止まらないのだ。

 そういえばぼくが童話なんぞを書いているのは、
「童話書いたら儲かりまっせぇ!」
と、首領様にそそのかされて教室に引っぱり込まれたからだったが、あれから2年近くたって気が付いたのは、童話って競争率は高いし実に難しいということ。儲かるまでにどれだけの努力と時間を割かねばならんのだろうか。それにしても上には上がいるものだ。

 

2006年6月5日(MON)  一日一出品で食いつなぐ生活してます
 いくら生活が苦しいからといって、我が子を手にかけて保険金を騙し取るなんてどうしても納得できんが、贅沢な衣食住に慣れたら生活のレベルはなかなか落とせないものなのだろう。しかしぼくの生活苦は最低限の贅沢から出発しているので、エンゲル係数が今よりも上がったとて、世間並みの贅沢には遠いのだからしのぎやすくはある。

 ぼくが一汁一菜の食生活苦に陥るのも時間の問題だろうが、それを回避したくて破産宣告をしようにも借金が無いときた。青森の男の子を手にかけたらしい容疑者が破産宣告をしていたと聞いて世間の人はどう思ったか知らないが、実は破産宣告をすると借金がチャラになるだけでなく、なにがしかの金を手に出来て生活は豊かになるのだ。どうしてそんなことが出来るのか分らないけど、だれかもっと大きな金を動かしているやつがどこかにいるような気がしてならない。

 村上ファンドが強制捜査されて村上氏は起訴されるらしいと聞いて貧乏人は快哉を叫ぶのだが、あそこに金を出している人ってどんな人なんだろうか。村上氏を手駒ににして労せずして金を稼げるほどだから相当な資産家なのだろう。
 まあ、遠い世界のことはさておいて、ぼくには明日の飯をどうやって工面するかが当面の問題になる。そこで一日一品をオークションに出品することでしのごうと思う。

 

2006年6月4日(SUN)  宗教的にいえば、世界最強の日本
 連れと二人で餃子のチェーン店に入ったら、中国人らしい客が店員に向って中国語で文句を付けていた。日本に来ているんだから日本語で文句を言わんか! と思ったら、アルバイトの店員も中国人だった。

 日本人の店員がオーダーを取りに来たので瓶ビールを注文したら、瓶は売切れてしまって生ビールしか無いと言う。じゃあ生で構わないと言ったら店員は引っ込んだが、いつまで待っても生ビールは出て来ない。そろそろ文句を付けようかと思っていたところへ店員がやって来て、生ビールも酎ハイも売り切れたと言うではないか。こりゃ中国人客が切れているのも無理はないと思った。

 仕方の無い店だ、というのは、あそこは餃子の店のくせに餃子が売り切れていることもよくあるからだ。客を馬鹿にしているんじゃないとは思うが、素人が始めたばかりの店じゃないんだから、ちゃんとせんと先は長くないぞと老婆心ながら苦言を呈したい。

 で、別の居酒屋チェーン店に入ったら、こちらは中国人の女の子がオーダーを取りに来た。卓球の愛ちゃんみたいに可愛いので、定番の「日本に来てどれ位?」に始まって、連れが無意識にナンパにかかる。山東省から来て一年半と答えた彼女の日本語はかなり上手だと感じた。

 フランスでは母国語が英語化していく状況を危惧して、本来の美しいフランス語を話すように教育しようとする動きがあるそうだ。その一方で、アメリカでは国歌がスペイン語に訳されて教育の場で歌われようとしている。
 それで思い出したが、日本に来ている中国人夫婦の子どもたちが中国語を話せなくなっているそうで、そんな状況を見かねた日中○○協会の会長さんたちが、彼らに中国語を教えようと立ち上がったのだそうだ。

 なにも他人の日本人に中国語を教わらなくたって、お父ちゃんお母ちゃんに教わったら良いじゃないかと思うのだが、家に帰って中国語で小言を聞かされるより、明日学校で日本人の友だちとゲームやテレビの話をすることの方が子どもにとって重要なことなのだ。つまり彼らにとっての母国語はもはや日本語なのだ。

 アメリカという国は移民に優しい国なので、スペイン語で授業が行なわれたり、コリアタウンや日本人街が沢山あって、そこにいれば英語が話せなくても生活していける。ところが日本人は排他的なものだから、郷に入っては郷に従えを全体で無意識のうちに強制するから日本語が上達するのだろうか。

「肌の色も言葉も渾然一体となって来ているのに、宗教対立や人種差別がいつまでたってもも無くならないのは不思議だね」
 連れの言うことはもっもだが、弱者であればあるほど彼らよりも弱い者を差別したがるのは道理だろう。日本という国の優しいところは、国を挙げて宗教を強制しないところかも知れない。優しくなれるというのは強いということ、つまり、日本は宗教的には真に強い国だと言えるのではないか。

 

2006年6月3日(SAT)  勝てない人へのオマージュ
 盗人猛々しいとはあの画家みたいな人のことを云うのだろうか。この期に及んでまだオリジナルだと言い張るあの心根やアッパレ、道を間違えたね、政治屋になったらそこそこまでにはなれたろうに、絵描きでは許されんでしょう。

 でもあの人が教えてくれるのは、人真似をしていたって世間には分らない人が多いから、結構金になるし名誉にもなるということだろう。
 古くは「森水キャラメル」や「土ノケン」とか、最近では「SOMY」のラジカセや「日本HONDA」のバイクとか、直近では「小樽ビール」と「小樽麦酒」の問題とか、ええ加減にせんかい!

 盗作って、実はぼくもやったことがある。小学校の三年生くらいだったろうか、仲良しの友達と一緒に絵を描いていて、彼がミシンの絵を描いたのでぼくも真似をした。
 家に帰って家族にその絵を見せたら、「とても良く画けているが、うちのミシンはブラザーじゃのうて、リッカーじゃが?」と指摘されて慌てた。

 オリジナルを作ったって売れなかったらどうしようもない。いくら時代を先取りしたって世間が付いて来れなかったら勇み足なのだ。そういったものは数え切れないほど目の当たりにしてきたし、現在進行形のものも知っている。

 バイクレースをやっていた頃の先輩が、レーサーを引退してバイクショップを開いた。オリジナルのレースバイクを開発して名前が売れ、今もぼくは彼が活躍していた頃の雑誌を持っているが、「体感はどんな図面にも勝る」という名言を残しして、彼の会社は行き詰った。

 あれから十数年が経ち、そのバイクショップの名前でネットを検索したら見つかった。やっぱりオリジナルバイクを開発していて、「こりゃいくらなんでも売れんだろう」という代物だったが、世の中には捨てる神あれば拾う神ありで、マニアが「是非あれが欲しい」とラブコールを送っていたりする。
 
 人真似をする画家なんて最低だと思うが、それにもマニアがいるだろうから別の意味で価値が上がるかもしれない。でも価値があったとしてもどこのどなたが彼を尊敬するだろうか。売れても売れなくても、勝とうが負けようがオレ流を貫く人にこそぼくは敬意を払いたい。

  

2006年6月2日(FRI)  騙してくれるウィスキー
 ネットで売られている古いウィスキーを、外すことを覚悟して落札するべきか、それとも忸怩たる思いを引きずり、指をくわえ見て見ぬ振りを決め込むべきか、それが問題だ。
 先日ライブを聴きに行ったショットバーのマスターに答えを求めたら、「やめた方が良いと思いますよ」という答えが返ってきた。確かにぼくもそう思う。だってコルクがち縮んでしまってそこからアルコール分が飛んでしまっているようなものが、そりゃマイルドかも知れないけど美味いはずがないと思う。

 他人にいくらありがたい忠告をされたって、自分で痛い目に遭わないと納得できない性分のぼくなので、大抵のバイオリニストがペケ印を付ける弦をネットで買ったら、酷く下品な音がする上に一部が錆びていた。
 オークションに糊口を求めていながら言うのもなんだが、ネットオークションに出品している業者なんか金輪際信用してやるもんかと思う。何も分らん初心者を騙すのもいい加減にせんか、と言いたくなる。

 しかしだ、そう分っていてもやっぱりウィスキーは気が抜けていることを承知の上で買って飲んでみたい。だってぼくはウィスキーを長年飲んではいても、作ったこと無い素人なんだから騙されたってバイオリンほどショックは受けないのだ。今だってビールじゃなくて「その他の雑酒」を飲んでいるが、これだって立派なアルコール飲料だ。ビールだと思って飲んだら腹が立つが、そうじゃないんだから泡が立ってアルコールの匂いがして酔えればそれでOKだ。だけど30年前のウィスキーは飲んでみたいんだよう!

 

2006年6月1日(THU)  ナンパするならオークションだ
オークションでぼくの出品を落札した若い女の子は、
「もうルンルン気分でこのメールを書いてます。とってもいい品物をありがとうございました。それと色々お聞きしたいことがあって……」
と、興奮冷めやらぬ間にお礼のメールをよこしてくれた。欲しかった品物が一晩寝たら手元にやって来た喜びが良く伝わってくる分かり良い文章だ。
「さよか、さよか。せやったらオジサンが手取り足取り教えたろやないか。えっへっへ〜」
と、その気になればナンパが出来るんじゃないかと思えるのだが、なにぶんにも相手様は北海道にお住まいとあっては手も足も出せない。
「この度はどうもありがとうございました」
 質問には誠実に答えて、もうメールして来ないようにと謝辞で締めくくっておいた。

 そういえば以前若い女性に落札してもらった時に、
「取引が終了したらお互いを評価してそれっきりということで」
と、意味不明な言い回しのメールを頂いたことがあったが、今思えばナンパなんぞ仕掛けてくるなよと言いたかったのだろう。
 出会い系とかお見合いパーティーとかを利用したことは無いが、オークションしながらついでにナンパしてみようかと考える輩がいても不思議じゃない。同じ日本に住んでいたなら誰でも考えることは大して違わないのだから。

 良からぬことに利用される危惧があるという理由で、古着を売っていたのに止めてしまった知人がいた。きっとセーラー服でも売って、落札したやつが猥褻物陳列罪かなんかで挙げられたんじゃないかと想像するのだが、そんなこと考え出したらきりが無い。ぼくが売ったカメラで盗撮したって、盗撮専用のカメラを売ったわけじゃなし、公序良俗に反する事でない上に感謝されるんだからこんな素敵なことはないだろう。

 オークションの出品をやっていて良かったと思うのは、感謝のメールを頂くだけじゃなく、PRの文章を書くのが苦にならなくなったことと、写真の撮り方が上手くなったことだろうか。どちらも実生活の上で大した役には立たないが、なんとなく楽しかったりする。
 業者の出品を落札してことごとく外してはいるが、今のところ出品ではトラブルも経験して無いから、図太くなれるまで頑張ってみるか。

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2006年6月日()