HAL日記


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2006年7月31日(MON) メル・ギブソンのテロリズム
 俳優のメル・ギブソンが飲酒運転で検挙されて、警官相手に「お前ユダヤ人か?」と聞いたらしい。実際にはどんな表現だったのか知らないが、それだけで逮捕されるなんてちょっと解せん。その上彼はマスコミからよってたかって反ユダヤ主義者とバッシングされ、映画人としての生命が断たれようとしているらしい。

 同じ日、日本では通名と本名の両方を記した名刺を差し出したところ、差別発言をされたと顧客を訴えた事例が報道されている。韓流ブームでようやく堂々と本名が名乗れる時代が到来しかかったというのに、北朝鮮がミサイルなんか撃ちあげたりするもんだから元の木阿弥になったと在日の人たちは憂う。

 ユダヤ人だって長い迫害の末に、ようやくアメリカでユダヤ教的映画を制作上映できる時代が来たというのに、イスラエルがあんな狂気を仕出かしてくれるものだから、在米ユダヤ人はさぞかし住みにくかろう。
 そう同情したくなるが、実際はわずか600万人のユダヤ人に政財界が牛耳られたアメリカにあって、メル・ギブソンは業を煮やして民族解放テロに走った、とぼくは見た。

 メル・ギブソンを抹殺できたとしても第二第三の彼は必ず登場するし、根絶やしになんかできないだろう。いつの時代のどんな国であっても差別から開放されたためしは無いし、人が差別意識から開放されることがこの先も無いのだったら、どこかで折り合いをつけるしかなかろう。いくら優秀で勤勉なユダヤ人だからといって、彼らだけでこの世界が構成されているんじゃないのだから。

 

2006年7月30日(SUN) 女子高のコンサートに萌え〜!
 詳しいことは知らないが、帝塚山学院というのは幼稚園から大学院まであって、中学から上は関西では有数なお嬢様学校として名を馳せている。どういった女の子をお嬢様と呼ぶのかについては考察を避けるが、この学校のすごいのは中学と高校の生徒だけでオーケストラが編成できるという人材の豊富なところだ。
 昔の田舎の学校との比較は無理があるにしても、ぼくの子どもの頃にはクラスに一人ピアノが弾ける生徒がいるだけで驚きだったから、この学校がいかに大勢のお嬢様を集めることが出来る名門かが分かる。

 乗馬がご趣味という我がバイオリンのお師匠ちゃまも当校の出身なので、とりあえずお嬢様に分類して話をすすめると、本日は彼女たち音楽コースの卒業生によるコンサートが催されので聴きに行った。
 さすがにお嬢様学校と云われるだけあって、出てくる演奏家が皆さん粒揃いの美人で、顔を見ているだけで楽しいの何の
 おっと、演奏を聴きに行っておきながらなんという体たらく。失礼ながら大して期待していなかったにもかかわらず、彼女たちの演奏は大変素晴らしいものでございました。

 一番最後に演奏するということは、お師匠ちゃまはそれなりにお上手なのか、それとも単にお師匠ちゃまくじ引きで順番を決めたのか。いずれにしてもサンサーンスの「序奏とロンドカプリチオーゾ」みたいな有名な曲をチョイスしたからには余程自信があるのだろう。
 どこで音を外すかヒヤヒヤもので聴いていたけど、大変上手に演奏できました
 レッスンもこれくらい気合を入れて教鞭をとってくださるとありがたいです。

 

2006年7月29日(SAT) 吉野家なんぞに行くもんか
 日照不足による収量の減少で野菜が高騰しているらしい。とはいっても野菜なんて滅多に買わないから実感も無いが、そば粉の値は確かに上がった。でも蕎麦が収穫されたのは去年の秋のことだから梅雨の長雨とは関係がなく、直接の原因は中国からの蕎麦輸入がトキシン(生物毒)の検出でストップしたからだ。
 しかし本当は、原油高に便乗して何もかも値上げしなけらばならない日本の経済構造に根本的な要因があるのは誰でも容易に想像がつく。

 いつだったか飲み屋でつきだしのセロリを食べたら美味しかった。マスターに「この中国産のセロリ悪くないよ」といったら、「何で分かるの? 確かに中国産やけど美味しいよね」といった。中国産だと的中したのは、このマスターが国産を買うはずが無い、という読みでカマをかけてみただけで、味覚が優れているとひけらかす意図は全く無かった。野菜、特にセロリなんて月に一度も食べることがないのだから味を評価できやしないのだ。

 野菜の味は分からないが、最近蕎麦の味が少し分かるようになってきた。自分で蕎麦を打って自らを実験台にしているんだから当たり前だ。それで不思議なのは、必ずしも国産の蕎麦粉が美味しいとは限らないということ。もちろん粉屋さんを信じていることが前提ではあるけど、値が安くても中国産の方がずっと美味しかった。それに打ち易さも中国産やアメリカ産に軍配が上がる。

 まあ何が混じっているか知らないけど、野菜も蕎麦も安くて美味しい方を買いたくなるのは人情というもの。それは否定しないが、だからといってアメリカ産の牛肉が輸入が再開されてもぼくは買わない。味とか値段じゃなく、アメリカの脅しに屈して日本国民の健康をないがしろにした政府に腹が立つからだ。こうなったらアメリカ産牛肉は全部ドッグフードに加工して、アメリカ人の尊厳を貶めてやろうじゃないか。

 

2006年7月28日(FRI) 信じる者は騙され、疑う者は救われない
 2、3日前から腰が痛くなったのは、先週からスポーツジムのプールで久しぶりに泳ぎ始めたせいだろうと思う。去年の夏が過ぎてから無慈悲に太り始め、競泳用のちっこいパンツがきつくなってしまって泳ぐのをやめて以来だ。一回り大きいパンツを買えば済む問題ではあっても、あんなハギレで縫えそうな物が何千円もするなんて許せないし、なによりもトレーニングのかいも無く太ってしまった自分が許せないのだ。

 泳いだら肩こりや腰痛が治る、なんてうたい文句を信じ、ますます肩こりと腰痛に苦しんでいるのも情け無い。まるで神を信じたら死後は必ず天国に迎えられる、と騙す新興宗教に入信するようなもので、騙されたと気がついたときには遅すぎるのかも知れない。
 たぶんそれはサプリメントみたいなものも同じで、「効果が現れるまでに時間がかかります」とか、「効果には個人差があります」と、はなっから逃げを打っているみたいな注釈を好意的に解釈して、そこはかとない期待に胸を膨らませるのに似ている。

「脂肪を燃焼しやすくするアミノ酸です。どうぞ飲んでからトレーニングをなさって下さい」
 スポーツジムの受付を済ませるなり、受付の前で網を張っていた若いお兄ちゃんに捕まって、差し出された錠剤を5、6錠飲まされた。
 このお兄ちゃんはなかなか口の上手いやつで、自分でもウエイトトレーニングをやるらしく、説明する時の理屈は分かり良いし、サプリメントのボトルに有名ボクシングジムの名前が入っている。それに1回当り88円というところもなかなかに捨て難いものがある。

 トレーニングを終えて帰ってきて、もらったサプリメントのチラシを読んで気がついたのは、どうもボクシングジムは名前を貸しているだけらしい。それにどこを見てもメーカー名も生産国も明記されていないのはなぜ? 
「こりゃどうも怪しいな!」
 そう思い出したら急におなかが痛くなってきて、腹痛と腰痛の微妙なバランスの上にトイレに立つのも鬱陶しい。
 信じる者は騙される。而して疑う者は救われず! あ〜、糞ッソー!

 

2006年7月27日(THU) メゾピアノな合評
 楽譜に「」と表記してピアノと読み、弱く演奏しなさいという意味になる。「」と書いたらフォルテで、強く。「ppp」と表記したらピアノピアニッシモと読んで、極めて弱く。では「fffff」と書いたらどう読むのか……知らん! そんなのオーケストラの総譜ならいざ知らず、ピアノの楽譜には見かけないし、ましてやバイオリンの楽譜には現れない。

 単に弱くとか思いっきり強くとか言われたって、「ff」が「」の二倍強くという意味ではなく、相対的に強く聴こえたらそれでいいのだ。しかしこれが意外と難しいことで、自分では強く演奏しているつもりでも聴く人に強く聴こえないと駄目だ。そこでどうするかといえば、フォルテの前の音を弱く弾くと効果的になる。つまり大げさにやらないと自分には分かっても聴く人には伝わらないのだ。

 関西ではついに梅雨が明けたか、今日は昨日とはうって変わって本格的な日差しを浴びせられる。ついこの前まで公園にアイスクリーム売りのパラソルが見えたのに今日は見えないのは、こう暑くて公園で遊ぶ子どもがいなくては商売にならんからだろう。そんな子どもでさえ外をうろつかない猛暑の中を、汗だくになって童話教室へ歩いた。

 今日の合評は長編の50枚とぼくの5枚の2作品。先に長編を合評してお疲れなのか、それともこの暑さで皆さん夏バテなのか、ぼくの作品の合評はあっという間に終了。
 前回の合評を終えて総括した首領様の言葉に「本日は皆さん元気が無かった」とあった。しかしお言葉ではございますが首領様、そりゃ少し違うでしょう! 前回は首領様のテンションが異常に高揚していたので誰もが静かに見えたのではございませんか? つまり「fffff」の首領様の前ではどなたのフォルテもピアノピアニッシモに聴こえただけのことでございます。

 舞台劇は実際よりも大げさにしないとメリハリが付かず他人に分かりにくいといわれるが、それは童話作品にもいえることで、含みを持たせてみたり、もったいぶった婉曲な表現では、子どもに理解してもらう前に教室の激辛批評家を納得させることはできない。
 自分では分かりやすく書いているつもりでも、読み手に何かを伝えるのは難しい。もっともっと直裁というか、クリアでスカッとした表現を会得したいものだ。

 

2006年7月26日(WED) お師匠ちゃま、練習なさりませ!
 将棋の女流トップ棋士とアマチュアの男性トップ棋士が対戦したらほぼ互角か、もしくはアマチュア側がやや強い。アマチュアといっても、プロ将棋指しの養成機関である奨励会を年齢制限により、プロ目前のところで退会を余儀なくされた苦労人もカウントされるのだから、彼らが強いのは当然なのだ。

 ぼくが子どもの頃には、将棋と相撲ほどアマチュアとプロの力の差が大きい世界は無いといわれたものだが、将棋に関して言えばプロ側がアマとの対戦を避け続けてきたことが一般の人に間違った印象を与えたに過ぎないと思っている。もともとプロとアマの差なんてシンクロナイズされていて、弱いプロと強いアマの力関係が逆転していても変ではない。プロの世界も玉石混交なのだ。

 勝負の世界は結果が全てだから力の差に異論を挟む余地もないのだが、クラシック音楽の演奏家たちほど実力が伯仲していながら、評価と収入のギャップが大きいなりわいも無いのではあるまいか。いくら実力があっても業界の重鎮から不興を買って冷や飯を食わされる演奏家がいるかと思えば、大手楽器メーカーを後ろ盾に絶大な人気を誇る人もいる。

 今日もまた、限りなくアマチュアに近いプロバイオリニスト(そんな言葉がある?)であるお師匠ちゃまの教えを請うぼくなのだが、相も変わらず彼女は練習してこない。弟子を騙せるくらいには弾けて欲しいのに、ぼくの目の前でああでもないこうでもないとやった挙句、「この曲、難しいですね!」だって。
 この日曜日はそのお師匠ちゃまのコンサート(リサイタルではない)なので聴きに行こうかとは思うのだが、「今日から演奏会の曲の練習を始めるんです」って、大丈夫かいな?

 

2006年7月25日(TUE) 喫煙は毒だが禁煙は万病の元?
 タバコをやめたら、どうした訳か牛臭さが鼻につくようになって牛乳が飲めなくなった。今まで牛乳が飲めない人の存在が不思議でならなかったのに、ようやく彼らの気持ちが分かる。

 小学校の給食が脱脂粉乳から牛乳に変わったとき、牛乳より脱脂粉乳の方が飲みやすいと言ったW君ごめん! ぼくは君が牛乳を飲めないことを知っていながら、給食の時間に君が頑張って飲もうとしている瞬間を狙って、ぼくは後ろからギャグをかまして噴出させたね。
 君が前の席の女の子に牛乳を吹きかけたもんだから彼女が泣き出して、激怒した先生は君をきつく叱ったけど、君はぼくのせいだとは言わなかった。あの時のことを思い出して今ぼくは猛烈に後悔しているよ。

 右肩下がりの牛乳の消費量が夏になって止まったかどうか知らないけど、牛乳が出来すぎたからといって捨てたりしたら、無理やり妊娠させられ続けている乳牛さんに申し訳ない気がする。で今日久しぶりに買って飲んでみたらすんなり飲めたけど、しばらくしておなかがゴロゴロいいだした。

 タバコをやめると色んな禁断症状が発生するのか、それともタバコを吸った副作用といえるのか、とにかくタバコが体に及ぼす影響は人それぞれで解明は難しそうだ。しかし誰もが共通して言うのは、タバコをやめたら太るということ。太って血圧が高くなったから体に悪い、とタバコを再開した人までいる。

 メタボリックシンドロームの危険性が叫ばれるようになったこの際だから、日本人にもう一回喫煙を奨励して実験してみてはどうかと思うが、愛煙家だった橋本元総理が亡くなった今ではもう無理だろうな。

 

2006年7月24日(MON) ヤクニン中毒
 タバコをやめてからもう12周年記念くらいになるが、吸っていた頃は「どうしてこんな旨いものがやめられようか!」と思っていたのに、今や「何であんなもの吸っていたんだろう?」と不思議でならない。
 今でもタバコの香りは嫌いじゃないが、北朝鮮の偽タバコなどとは比較にならない努力を払って、JTさんが良い香りを付けているんだからそれも当然だろう。

 タバコがなかなかやめられないのは、一旦タバコに慣れると体にニコチンに対する受容体が出来て、それが一生消えないからだといわれている。本当の話かどうかは知らないが、ニコチン中毒を克服するのが難しいのは分かる。
 しかし初めてタバコを吸った時に目まいがして吐きそうになったのはどうしてだろう。あれがニコチン中毒の初めての症状なのかも知れないが、本当にそうなのだろうか。

 世の中にはさまざまな禁煙薬が発売されていて、タバコの代わりに、ニコチンをガムに練りこんでカミカミするとか、膏薬にニコチンを混ぜて張り付けるといった、いずれもニコチンをタバコ以外から摂取してだんだんと減らそうというやり方だ。
 ではそのやり方でニコレットみたいな禁煙ガムを子どもに噛ましたら目が回るだろうか。捨てられたタバコを最初に口にした犬が目まいを起こして倒れるかといえばそんなことは聞いたことが無い。

 初めてタバコを吸って気分が悪くなったときのことをよくよく思い出してみるに、あれは一酸化炭素中毒の症状だったんじゃないだろうか。何回か吸っているうちに慣れてきて目まいがしなくなるのは、スポーツマンがやる高地トレーニングみたいな効果ではないのか。つまり禁煙というのは、ニコチンに対する受容体と一酸化炭素に対する受容体にあらがうことなのだ。

 パロマの湯沸かし器による一酸化炭素中毒事件はシンドラーエレベーターの事件に似ている。どちらもメンテナンス会社に責任をなすりつけているのは同じだが、人が死んだのを隠し続けて逃げ切りを図った点では、シンドラー社よりずっと悪質なのではないだろうか。
 そしてどちらの事件にも共通して重大な責任が問われるのは行政のあり方で、事件になって世間が騒ぎだしてから対策に乗り出すという拙劣ぶりには呆れる。行政全般に「ヤクニン中毒」みたいなものが蔓延しているんじゃないだろうか。これを克服するのは難しそうだ。

 

2006年7月23日(SUN) 新聞屋、鬱陶しさも、中くらい
「住宅ローンとか貸してあげまっせ〜、どないだ?」
 日銀が公定歩合を引き上げると発表した尻から、銀行が金を貸してやろうと電話で申し出てきた。ちょいと前まで貸し渋りが問題になっていたというのに、この手の平を返したような態度はどうか。

 各銀行は軒並み増収増益らしく結構なことだが、サラ金に金を貸してその上前はねているから儲かっただけじゃないのか? 公的資金という名の血税を輸血して助けてもらった恩も忘れて、貧乏人を生かさぬよう殺さぬように搾り取るんだからサラ金よりたちが悪いぞ。

「近所に新しい街が出来るの知ってまっか〜、買いまへんか?」
 今度はマンションの勧誘らしいが、日本ってそんなに景気が良くなったんかな〜? このところ未公開株を買えだの浄水器を買えだのといった売り込みの電話が鬱陶しいから、固定電話なんて返そうかなんて思う。

「新聞とってくれたらシャープの液晶テレビあげまっせ〜、どないだ?」
 またまた鬱陶しい新聞の勧誘が来たが、考えてみたらこういった勧誘は自分の足で汗水たらしながらの営業だから、時間に関係なく送ってよこすメールや、顔も見せないくせに馴れ馴れしい電話よりも良心的か?
 ハイテク犯罪が日ごとに洗練され、知らない間に金が銀行から引き出されるような時代にあって、新聞の拡張員みたいなローテク勧誘に久々に出会うとホッとする今日この頃だ。

 

2006年7月22日(SAT) 意地でも「量るだけダイエット」
「これから奈美さんと飲むから君も来ないかね?」
 酒盗人(さけっと)のTEL師と呼ばれる御仁がメールを送ってきた。酒泥棒における師弟関係にある二人が飲んでいるのは珍しいことではないが、どうもこのメールには怪しげな臭いがただよっている。
 奈美さんといえばこの2年来ダイエットのライバルとしてぼくとしのぎを削ってきた人物で、ありとあらゆるダイエット法を試してはことごとく闇に葬ってきたという知る人ぞ知る剛の者。その彼女がTEL師を経由して「飲まないか」と言って来ているなら、そこに何らかの策謀が無いと言い切れるだろうか。

 話は二月ほど前にさかのぼるが、やはり酒泥りユニットと盃を交わしたとき、「次は量るだけダイエットを実践する!」と、ぼくが大々的に花火を打ち上げたところ、それを受けた奈美さんが「量るだけダイエットを完遂できるだけのヘルスメーターは未だ量産されていない」と、鼻で笑った。
 確かに最小秤量が50gで最大秤量が200kgというのが容易に手に入る最も高性能な体重計で、10g単位の計量が可能なのは産業用の特殊な計量器となり、一般の人が手を出せるようなものではない。

 奈美さんは返す刀で、「○○ダイエットを始めたが、もう既に2kgの軽量化に成功しておる」とのたもうた。2kgといえば誤差の範囲を大きく逸脱しているので、これにはぐうの音も出なかった。
 あの時奈美さんの言った「○○ダイエット」の言葉が良く聞き取れなかったのだが、なにやらいかがわしい場所に出入りして胡散臭い人物の指示を仰いでいるのだそうだ。
 そんなに効果の高いダイエット法なら試してはみたいが、こちらにもプライドというものがある。こうなったら意地でも量るだけダイエットで減量してみせる。

 しかしそう誓ったものの、ぼくはいまだに精密体重計を入手していないばかりか、もう別のダイエット法を模索しているといった有様なのだ。
 そんなところにもってきて、奈美さんからの呼び出しとはついてない。このていたらくでのこのこ出かけて、激痩せした奈美さんに勝ち誇られるのも本意ではない。
「時に利あらず、騅ゆかず。ここは一旦退却、いや逃げるにしかずだ」というわけでお誘いは丁重にお断りしたが、チクショー今に見てろよ!

 

2006年7月21日(FRI) 記憶の過疎化
 ぐずぐずしているひまは無い。いくら獣道が暗いとはいってもまだ空の茜色が照らしているし、一人ではないがもう何度も通った道だから何とかなる。そう思って足を踏み出しはしたが、峠に近くなって草深くなるともう夜の闇と同じだった。道は一本しかないのに、その道さえ見えなくなって、少し進んでは茨に引っかかり後ずさりするの繰り返しとなった。
「もう駄目だ一歩も歩けない」
 歩けないのは暗いからではなく、足がすくんだからだ。もうどちらが海でどちらが家の方角かさえも分からなくなってその場にへたり込んだ。

 カサリ、カサカサ

 生暖かい風が木の葉を揺らし、その音に獣の気配と勘違いしてびくつくが、葉っぱのこすれる音だと分かってホッとする。そうしているうちに少し暗闇に目が慣れたのか、回りの様子が見えてきて気持ちが落ち着き、ぼくはもう一度立ち上がることができた。

 ザザ、ガザガザ
 
 また木のこすれる音か? いや今度は違う。暗闇の向こうに光るものが二つ見える。獣の目だ! 目はゆっくり近づいて来る。
 手探りで武器になりそうな木の枝を探したが適当なものが見つからない。そうしている間にも獣がどんどん近づいてくる。とっさにポケットにビーチで拾った物があるのを思い出して手を突っ込んだが取り出せない。もう駄目だ、白いふさふさした毛の化け物はもう目の前にいる。
「あれ? なんだ、お前ラックじゃないか!」
 白い怪物だと思ったのは近所で飼われているスピッツだった。ときどき鎖が外れてうろうろしていることがあったが、今夜もまた走り回っているんだろう。ばか犬だけど、こんな所で会うとなんて心強いことだろう。
 ぼくはラックの鎖を手に取ると、導かれるようにして歩いた。やがて峠を抜けると不意に明るくなり、見上げると月が昇っていた。

 今は田舎に帰ってもあの峠を越えてビーチに行くことはもう出来ない。畑を作る人がいなくなって峠付近はすっかり荒れてしまい、そこが畑だったことは野生となったみかんの木だけが辛うじて物語ってくれる。
 ビーチはコンクリートで護岸され、青かった磯は「磯焼け」で生き物は死に絶え、扇状地はゴミの宝庫となった。
 過疎化の波は田舎のビーチを洗い尽くし往時を偲ぶべくも無いが、あのドーム状の巨岩だけは当時と変わらない。ただぼくの心がすっかり小さくしてしまったけど。 

おわり

 

2006年7月20日(THU) いわれ無き度胸試し
 夏の日の入りは遅いとはいえ、夕日が水平線にかかる前には絶対にビーチを後にしないと帰り道が怖い。潮が引いていたら迂回する手もあるが、それでは秘密のビーチで遊ぶための試練にはならないから、ぼくたちの帰り道はあの獣道しかない。しかしだからといって夕暮れの山道をさすらうほどの代償を支払わされるいわれもなかった。

 そんなある日のことぼくは一人であのビーチへと出かけた。しかしあの獣道を一人で抜ける度胸は未だ無い。そこで海岸線の磯伝いにぼちぼち歩いて行った。泳ぎたかったのではなく、あのビーチに打ち上げられるゴミを拾いに行ったのだ。
 
 燧灘といえば瀬戸内海の難所としても知られ、狭い航路に速い潮流が操舵を困難にし、霧が発生するとたびたび海難事故が発生したが、ゴミというのはそういう難破船から流れたものかも知れなかった。ガラスで出来た丸い浮とか外国製の見たことも無いおもちゃのようなものなんかをドキドキしながら物色した。

 そうしているうちに気が付くと日が西に傾き潮が満ちてきて、ぼくは歩いてきた磯を引き返した。潮はもうかなり満ちてきていて、磯の最も高いところを両手で壁をつかむようにしながら数十メートル進んで大きな岩場を乗り越えて先を見たとき愕然とした。足を置ける場所はとっくに水没し、崖は波に洗われていたのだ。
 
 引き返すしか残された道は無かったが、ふり向くとたった今たどって来た道もすでに冠水を始めている。足を滑らせながら半ズボンも濡らし、あちらこちらをすりむきながらようやくの思いで元のビーチへ帰ったとき、水平線にはもう夕日の名残しかなかった。タイミングを逸してしまった今、家に帰るには薄暮の獣道を登るしか道はもう残されていないのだった。
 
つづく

 

2006年7月19日(WED) ビーチで繰り返される天国と地獄
 麦茶におにぎりや、桃とか瓜といったおやつをたずさえて細い道を4、5人のグループで山の東側から、ビーチのある西側を目指して登って行く。途中にある民家を過ぎ、畑がなくなる峠に近づくにしたがって道は暗くなって怖い。しかしそこを過ぎてしまえば木漏れ日が差すようになって、ビーチがもうすぐだと分かってホッとする。

 ビーチといっても扇を広げた先端の幅は30mほどあるが、骨に当る長さは潮の満ち干によって変わり、満潮時にはほとんど消滅してしまうほどの扇状地だ。扇の芯から海を見て右側がごつごつした岩場で、左側は石垣で作られた防波堤と海に挟まれて、やはり満潮になったら消えてしまう狭く白い砂浜が100mほど続いている。

 右側の荒磯と左側の遠浅の砂浜を分けるように、扇の真ん中に日の丸を描いたようなドーム状の大岩があって、直径は子ども5人が手をつないでもかかえられないほどもあった。

 潮が満ちてくるとこの巨岩を境に、左側の明るく穏やかな世界と、右側の深くて暗く荒々しい世界がせめぎあいを始めるが、潮が引いていくと何事も無かったように青い磯と白い砂が夏の日差しを浴びて輝き始める。一日のうちで繰り返されるそんな天国と地獄のような対比がぼくたちにはたまらなく面白かった。

つづく

 

2006年7月18日(TUE)  あの夏の最後の試練
「日本は少子高齢化時代を迎えた」と云われるようになって久しいが、ぼくが生まれた田舎じゃとっくの昔に始まっていた。詳しいことは知らないが、団塊の世代より少し前は中学は40人学級が10クラス以上もあったらしい。それがぼくの頃には30人でたったの3クラスだったから、子どもの数が10年ほどで三分の一に減ってしまったのだ

 しかしこんなことをうっかり人にしゃべったなら、「それは少子高齢化ではなくて、過疎化というんじゃないの?」と笑われるに決まっているが、世界的にみると今の日本は過疎化しているのか、それとも世間で云われているように少子高齢化しているのか、二つの違いがぼくには良く理解できない。

 ぼくが小学生の頃には五つ六つ年上の子どもが多かったから、集団登校も遊びもそういったお兄ちゃんが必ずリーダーシップをとった。もみくちゃにされたりいじめられたりすることもあったが、ネガティブな思い出よりも遊びを教わったことの方を今では良く思い出せる。
 それも当然で、人が嫌な記憶を封じ込めるのと、楽しい思い出を憶えておこうとするのと、どちらが精神衛生に良いかは決まっている。

 夏が近づくと今でもぼくの頭の中には、幼い自分が近所のお兄ちゃんに連れられて一本の細くて草深い急な山道を歩くイメージが浮かぶ。子どもの頃、地元の子どもたちしか泳がないこじんまりした、まるでプライベートビーチみたいな砂浜に到達しようと思ったら、そのいばらの生い茂る困難な獣道を通うしかなかった。干潮を待って遠回りになる海岸線を歩けば濡れないで行くことも出来たが、秘密のビーチで遊ぶにはそんな儀式のような試練が必要だったのだ。

つづく

 

2006年7月17日(MON)  今日からわらしべ貧者
 現代版わらしべ長者のニュースを聞いて、我も我もと真似をする人が増えたと聞く。いや“聞く”じゃなくて、ぼく自身が実践しているんじゃないか! といっても物々交換セクションなんて知らないので、オークションで物を売り買いしているだけなのだが。
 
 実は一週間前に500円で出品した商品は、出品直後から入札が入り始め、とうとう13000円で落札された。500円で落札されるのを覚悟の上で出した品だったから上出来といえるが、実用的でないものを欲しがる人の心理は他人にはなかなか理解できない。
 ただひとつだけ分かるのはもう二度と生産されることの無い品物であるということ。しかしレプリカとして生産されることすら無いということは歴史的な価値も無いということだから、価値を見出せるとしたらノスタルジーに訴えるささやかな力があるところか。

 わらしべ長者マクドナルドさんはカナダの人らしいが、アメリカンドリームといったスケールの大きさと、意外性をもった面白さがある。なるほど、真似をしたらある程度のことは可能かも知れないが、ちょっと待て、そんなことが当たり前に出来るようなら世界中は貧困から開放されるじゃないか。
 マクドナルドさんが成功したのは「本当に実現したら面白かろう」という、彼を応援する心理が働いて好意的なトレードが出来たからだろう。しかし自分だけが儲けようとしたときにあんな芸当が可能であるはずが無い。

 本来のわらしべ長者は藁一本から「全ての人に幸あれかし」と物々交換に応じる欲の無さが成功に導いたのであって、儲けたい欲があったら決して上手く行くものではなかろう。
 マクドナルドさんは彼のブログを読む人や、ニュースを聞いた世界中の人たちに夢と希望をくれたではないか。だから成功したのである。

 

2006年7月16日(SUN)  命の重さはカラスも人もみ〜んな同じ
 庶民の声なき声がお上に届いたのか、それとも掃除のおばちゃんが業を煮やして陳情したのか、ゴミ捨て場の全てのコンテナにフタが取り付けられた。するとゴミをやりたい放題に散らかしてきたカラスの姿が消えた。人間に危害が及ぶ前にどこかに行ってくれたのはありがたいが、奴らだって生きとし生ける者、少しかわいそうな気がしないでもない。

 消えたのはカラスの姿だけではなく、猫の姿も見えなくなった。カラスの声はまだ遠くに聴こえるから生存は確認できるが、あのやせっぽちの猫たちの消息はつかめない。猫はカラスほどゴミを散らかしたりしないし、やかましくないのでいてくれてもかまわないのだが、ゴミ箱にフタをしただけでこうも生態系に影響を及ぼすとは驚いた。猫とカラスというプレデターが消えたら、今度はネズミが増えないかと心配になる。

 イスラエルとレバノンはとうとう戦争に突入した。イスラエルは侵攻とか表現しているが、どう見ても戦争じゃないか。小泉さんが約束してくれた援助で資金の心配も無くなったので、お互いに心置きなく戦争ができるというもの。ホント援助交際って素晴らしいシステムだと思う。

 毎日々爆撃で人が死んでいくのを聞くと、拉致された二人のイスラエル兵士も爆撃の巻き添えになって死んでいるんじゃないか? 「兵士の救出のための攻撃」というのが、侵攻するための単なる口実に過ぎないというのが良く分かる。
 そう思うと兵士の命がいかに安いものかと気の毒でならないが、死んでいってるのは何も民間人だけでなく、犬や猫も瓦礫の下敷きになっているに違いない。
 日本では車にはねられた猫の死骸を見てこころ痛める人がいるというのに、あの辺の国の指導者は民間人の命なんて犬猫と同じくらいにしか考えていないのだろう。つくづく命の重さは人間も動物も同じなんだなと思う。

 

2006年7月15日(SAT)  涙味のたまごかけごはん
 最近見つけた究極の醤油、それは卵かけご飯専用醤油「おたまはん」の関西風というもので、何の変哲もない濃い口醤油をだしで割ったもの。アツアツの卵かけご飯はもちろんのこと、釜揚げうどんや漬物、そしてぼくはついに冷やっこにまでかけるようになった。
 例によってこの醤油が美味しいのかどうかは良く分からないが、ぼくがこれを好きなのは、かけ過ぎてもからくならないからというだけではなく、だしの風味が幼い頃の淡く甘酸っぱい思い出をあぶり出すからだろう。

 生前の父は大酒飲みで酒の肴にうるさかった。船乗りだったので滅多に家にはいなかったが、帰って来ると一升瓶を次々と空にする。母もいそしんで肴を何品も飯台にのせたから、父がいるあいだはいつもよりおかずが増えてうれしかったし、少しだけだが酒も舐めさせてもらえた。
 酒を飲むといつも同じ自慢話を聞かされはしたが、何かの拍子に父がかんしゃくを起こして飯台をひっくり返すまでは楽しい食事が出来たものだった。

 父の自慢話や口癖は何度も聞かされたから今でも覚えていて、
「昔の船乗りは誰でも飯炊きの経験があるけん、父ちゃんに飯を作らせたら母ちゃんのよりうまいんぞ」
というのもあった。
 嘘をつく必要に迫られたときは黙り込む人だったから、父に飯炊きの経験があるのは本当だろうが、父の手料理が食卓に上って皆で食べた記憶は無い。しかしたった一度だけだが、ぼくは父の炊いたご飯を食べたことがある。
 あれは兄が手術のために入院して、母が病院に付き添ったときで、母がいないときは姉が食事を作ってくれたから、どうしてあのときそんな状況になったのかは思い出せないが、とにかく父と二人っきりになったときだったと思う。

 あの頃はもう電気炊飯器がどこの家庭にも普及していたから、ご飯を炊くときの注意は米を研ぐときに小石見つけることだけだった。にもかかわらず父は慎重に米をとぎ、水に浸して炊飯器のスイッチを入れると、まるで番人になったように炊飯器の前に陣取った。
「初めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いてもフタ取るな」
 父は呪文のように独り言を繰り返しながら、炊き上がってもすぐには食べさせてくれなかった。

 炊き上がって待つあいだに父は卵を割り、醤油と味の素の他に「何か」を入れてかき混ぜたものを二人前作った。
「父ちゃん特性のたまごかけごはんじゃ、うまいぞ」
 自画自賛する父のたまごかけご飯は確かに美味しかった。でもおかずは沢庵だけで味噌汁も付いてなかった。

「おたまはん」を買ってうどんにかける外道をやっておたまはんの尊厳を貶めたぼくだが、味は気に入ったので本来の姿であるたまごかけご飯に使ってみた。すると、甘くふんわりしただしの香りをかいだ瞬間、長く心の底に沈殿していたあの父のたまごかけご飯の記憶が蘇った。
 父が醤油と味の素以外に入れたのが何か分からないが、この醤油にはその「何か」が入っている気がする。

 後にも先にもたった一度だけ子どものために父の作った手料理、それがたまごかけご飯だったということは、父は料理なんかできる男じゃなかったに違いないが、それでもぼくには父のたまごかけご飯は空前絶後、唯一無比、究極の手料理なのである。

 

2006年7月14日(FRI)  醤油ソムリエへの道
 塩マニアをやってた頃にはどうでも良かった醤油の味がこのところ気になっていけない。もちろん醤油も塩同様に「昔ながら」とか、「自然、天然、手造り」といったグッと来るコピーが目に入ったものを買うのだが、一回目は美味しいと感じても二回目に買うと最初の感動は薄れてしまう。

 大手メーカーの醤油には手を出さないが、有田の醤油とか小豆島の醤油といった、関西では比較的手に入りやすい醤油はもちろんのこと、出張に行った先で見つけた地域性の高い醤油は使う当てがなくても買い込んでしまう。

 最近美味しいと思ったのは、2003年に香川を遍路していたときに食べた「るみ婆ちゃんのうどん(池上製麺)」にかけた多度津の醤油だが、あれは関西では売っていない。
 自分でうどんを打ってあの味を再現してみたいと思って、似たような「うどん用生醤油」を買ってみたが、どうも記憶に残っている味とは違う気がする。

 るみ婆ちゃんのうどんはNHKが放送して以来人気が沸騰して、心無い人々の手によって今やブランドに仕立て上げられてしまった。だから関西で手に入れようと思えば不可能ではないが、和歌山ラーメンの味が現地で食べないと美味しくないのと同じで、るみ婆ちゃんのうどんも、あの掘っ建て小屋みたいな製麺所で食べないと本当の良さは分からないと思う。

 るみ婆ちゃんのうどんには及ばないかも知れないが、かなり美味しいものが打てるようになったと思う。でもおいしい醤油が手に入らないので、次々と醤油を買っては冷蔵庫に入れているうちに醤油に冷蔵庫が占拠されてしまった。
 それで分ったのは、ぼくには醤油の味が分からないということだ。何種類もの醤油を並べて舐め比べたら違いだけは分かるのだけど、どれが美味しいのかが分からない。
 そうしているうちにとうとう見つけた究極の醤油は、近頃ではどこにでも売っているものだった。
 つづく

 

2006年7月13日(THU)  ジダン的な馬鹿
 本日の童話講座は2作品を合評。10枚程度の短編と、50枚くらいになりそうな中長編で、どちらも未完だが厳しく評させていただいた。いやむしろケチをつけさせてもらったと言って過言ではないだろう。次回はぼくの作品が俎上の鯉になる予定だから穏便に済ませておきたいところだが、そうでなくても最近の教室は仲良しクラブ化しつつあって、このままでは自らの審評眼を曇らせるだけでなく、他者を裸の王様扱いしてしまいかねないと思うからだ。

「喧嘩するほど仲が良い」という言葉があるが、教室の皆さんがどんなに仲良しだからと言ってもまだ喧嘩できるほどではない。合評するのに「腹を割る」必要もないのだが、「忌憚の無い、率直に」というのは蔑視とは似て非なるものだと信じている。
 童話講座の合評ですらそうなのだから、ジダンが何を言われたか知らんが、ピッチでの放言が許せんというなら言葉で返せなかったものか。たとえ差別的な言葉を浴びせられたからといって、報復の暴力が許されることはありえねーんだよ。

 小泉さんがイスラエルとパレスチナを訪問してどうするの? 自制を促すや否やイスラエルのレバノン侵攻かい! 
 世界は日本の首相の行動をどう受け止めるんだろう。まさかイスラエルに油を注ぎに行ったとは思わないだろうが、世界の笑いものになるのだけは避けて欲しい。それでなくても「外遊」している場合じゃないんだから。

 イスラエルとパレスチナは世界の火薬庫と言われていて、二千年の長きに亘って争っているとはいえ、宗教が分かれただけで元は同じ民族。隣の友だちが日蓮宗からブードゥー教に改宗したようなもので、その部分に触れなければ仲良くやっていけるはずなのだ。だから世界中はあそこに手も口も出さずに放っておけと言いたい。そういった仲なんだから。

 

2006年7月12日(WED)  イチローもきつかった赤じゅうたん
「とても緊張して疲れました。試合をしている方がずっと楽です」
 とまあ、スポーツ選手が有名になってCMに起用され、撮影のあとのコメントなんかで良く聞かれるせりふだが、どんなにハードなスポーツの選手が吐いた言葉であっても、試合をしている方が楽だというのは本音だと思う。

 ぼくも日頃はスポーツジムのマシンを相手に試合をしているわけだが、いくらマシンをねじ伏せることが出来るからといっても、少し異なった動作をすると筋肉痛を患うことがある。
 マシンに筋肉がなれてしまって、ウェイトの限界まで持ち上げることが出来るようになっているのにそうなるのだから、まかり間違ってぼくがCMに起用されたら心臓麻痺を起こすだろう。

 ゴルフまであと2週間となったので打ちっ放しレンジに行ってみた。左のひざにはやや不安があるが、力を抜けばまあなんとかスイングは出来そうだ。しかし案の定ショットはずぶの素人に戻っていて、修正しようとムキになって打ち続けたら指に豆はこしらえてしまった。
 おまけにあれほどマシントレーニングを積んでいるのもかかわらず、足も腕だけでなく体全体がプルプル震える体たらく。

 考えてみれば走れるからといっても歩いたら結構疲れるもので、それは微妙だけど走るために動かす筋肉と歩くためのそれが違っているからだろう。
 やっぱり少しずつでもクラブを振っておくべきだったと思うが、コースに立つまでには何とかなるだろう。特に何かの欲も無いので、頑張り過ぎない程度に頑張るとするか。

 

2006年7月11日(TUE)  マンネリズムに気が付く瞬間
「料理の決め手は味覚ではない。創意工夫とひらめきである」
 そう豪語した飲み屋の女将は、お年をめして初心を忘れたか、はたまた強欲のなせる業か、スーパーの特価食材をろくに手をかけず客に出すようになった。しかも何を食べても塩辛いので、いくら酒が安くてもあの店にはもう行きたくない。

 味の濃いものを肴にすると酒がすすむという人がいるが、ぼくにはどうも理解できない。むしろ薄味のほうが酒の味を変えなくて美味しく飲めるように思える。二つの見解があるのは、味の好みというより、酒を飲むために肴を食べるのか、肴を食べたくて酒を飲むのか、といったスタイルの違いによるのではないだろうか。

 先日のNHKの番組「仕事の流儀」で、イタリアで活躍するカーデザイナーが、「ペンを持つ手には別人格が宿っていて、手が勝手に絵を描いてくれる」と言っていた。
 毎日毎日車の絵ばかり描いているとそういう感覚になるんだろうなと思う。それはどんな業界のどんな作業でも同じことで、一流の詐欺師だったらぼくみたいなトロイ奴を騙すのに頭なんて使わないでも、口が勝手に仕事するんだろう。

 飲み屋の女将でなくても、たぶん主婦だって毎日食事を作っていたら頭を使わなくても手が勝手に料理してくれるのかも知れない。そうなると楽でいいからいつも同じ料理がカウンターに並ぶようになるんだろう。それに売れ残った時の処分を考えると、飲み屋の女将は勢い自分の好きなものしか作らなくなる。これがいわゆるマンネリズムというものだろう。
 と、スパゲティ用のバジルソースを使って「タイ風グリーンバジルカレー」を作ろうとして大失敗した上に、たまごをレンジでチンして爆発させた日に頭を使って出た結論がこれだ。

 

2006年7月10日(MON)  カタログギフト“権”
 期限を三ヶ月も過ぎて申し込み葉書を投函したカタログギフトから返事が来た。
「当該の商品は商品の供給が出来なくなっております為、あらためて商品をお選びし直して頂ければ幸いです」
 というわけで新たなカタログが送られてきた。そりゃ三ヶ月も期限が過ぎていたら品切れしてもおかしくはないわな。お手数かける難儀な客ですみません。

 そういうわけで、今回はすぐに発注した。それもネット上から申し込んだ。そんなことが出来るんだったらすぐにやれよ、といわれそうだが、欲しいものがなかったらできないけど、欲しいものがあればすぐにでも行動を起こすのが人情というもの。つまり今度送られてきたカタログには心動かされるものがあったのだ。

 もしカタログギフトに酒類があったならすぐに申し込んだと思う。でも食品の類が一切なかったので、エンゲル係数の極端な偏りをひけらかしてはばからないぼくには役立たずだったが、もしこれが転送可能なものだったら、首領様やお師匠ちゃまのお中元に仕立て上げられるのにと残念でならない。
 カタログギフト「券」じゃなくて、カタログギフト「権」が欲しいよ。

 

2006年7月9日(SUN)  神風よ、北を直撃してくれ!
「水飴は液体か、それとも固体か?」と聞かれたら、少し考えるかも知れないが「液体だ」と答えるだろう。では「ガラスはどうだ?」と聞かれたら、「固体に決まっているだろう、馬鹿にするんじゃない!」と返すに違いない。それが常識だからだ。

 ところが驚いたことに、専門家に言わせば、ガラスは「非常に粘っこい液体」なのだそうだ。それが証拠に、窓ガラスは20年もすると上と下の厚みが違ってくるらしい。とてもゆっくりだけどガラスは流動しているのでそうなるのだという。どうやら我々の常識とは、単なる思い込みのことのようだ。
 
 テポドンの発射実験で揺れる日本政府は、安部官房長官が「国際常識」を持ち出して北朝鮮に制裁を加えようと安保理に制裁決議案を提出したらしいが、国際常識ではなく「アメリカの常識にのっとって」と、なぜ正確に言わない?
 言えるはずも無い。アメリカは昔から戦艦や潜水艦からミサイルを発射してきたのはもちろん、最近では軍事衛星からの迎撃(スターウォーズ計画)まで実験しているじゃないか。だったら北朝鮮にミサイル実験の中止を迫る大義名分などあろう筈も無いのだ。

 ロシアや中国にしたって同じことで、ノドンは元はと言えばソ連が北朝鮮に売ったスカッドミサイルが改良されたものらしいし、その上に自前で作ったスカッドミサイルを乗せて二段式にしたら、アメリカがテポドンと呼ぶようになったのだという。
 開発して売った側が「真似して作って安く売るな」と言ったところで「勝手なこと言うな」と切りかえされるに決まっている。それは「過去の清算」を楯に「誰に物言うとるんじゃ!」というのに似て、一面では正論に聞こえるから実に始末が悪い。

「常識」を英訳すると「common sense=共通の認識」となるが、「common sense」を和訳すると「思慮分別」となるらしい。
「北朝鮮は思慮分別のない国だからミサイル実験をしちゃいかん」
 そう日本は主張すべきで、国際常識だの建前や論理だのを主張するだけでは、ロシアや中国を納得させることはこの先もずっと出来ないだろう。

 だからぼくは、強敵モンゴルをうち破った時のように「北朝鮮に上陸してミサイル発射台を壊してください」と、台風3号に向って神風に変身するようにお願いしている。それがぼくの常識、いや思い込みなのだ。

 

2006年7月8日(SAT)  「たみさん」は、太宰の子守り「たけさん」のことか!
 ジョンのやつがテポドンを撃ってくれたおかげでNHKの朝ドラ「純情きらり」が観れんかったじゃないか、どないしてくれるんじゃ! と怒ったのはぼくだけだろうか。それで今日二話分を一気に放送したのだけど、なんだか得した気分になるのはどうしてだろう。
 それはさておき、劇中で「まかないのおばちゃん」として登場する「たみさん」は、作家太宰治の子守だった「たけさん」のことだと、今日の二話で分った。(小説「津軽」に登場する)

 杉冬吾が太宰治だとすると、彼の許婚として冬吾を追い回していたのが「小山初代さん」なのだろうか。すると大陸へ絵を描きに行ったのは誰のことだろう。それより何よりヒロインは誰がモデルなんだ? と、こうなってくると不自然な脚本もピリッとしない演出も、もうどうでも良くなって謎解きの面白さが勝ってしまう。

 すると杉冬吾は太宰だからいずれ他所に女をつくり、やがて薬物中毒になって女と心中という末路を辿るのだろうか。う〜ん、そうなると松井達彦さんが戦地から無事に帰って来て、桜子ちゃんが幸せに音楽の道を歩めるほどこの物語は甘くないようだ。こうなると後の展開から目が離せなくなってきたぞ。おいジョン、だからもうテポドン撃つなよ。

 

2006年7月7日(FRI)  こら亀田、権力に迎合するな!
 朝から「お誕生日おめでとう」に名を借りた嫌がらせメールを頂き、はなはだ寝覚めが良くなかった上に、洋服の○山さんから誕生日のプレゼントと称したDMまでいただいた。開けてみると、このハンカチはオジサンが使うには、亀田兄弟みたいに「どんなもんじゃい!」と快哉を叫べるような根性が必要でしょう、といえるほど派手なものだ。

 亀田といえば興毅選手と小池環境大臣が手を組んだそうな。どうやらレジ袋をもらわずに買い物袋を持ち歩けと言いたいらしい。 
 まあ、ええのとちゃうかて、思うでオレも。せやけど社会保険庁が年金のPRやったときのようにやな、それに出たタレントが年金を払うてなかった、みたいなことにならんかったらええと思うネン。それだけやけどな。

 行儀の悪い若者が増えていると思う。戦後の闇市の頃は知らないが、あの頃が何でも有りだったのはそれぞれが生きていくためで、自己顕示のためではなかったはずだ。
 確かに戦後の復興が成って日本人が国際社会に進出しようとしたとき、「日本人は自分の意見をはっきり言えない」と自らを揶揄してきたし、その頃の若者には自己表現することが求められ続けはした。だが自己表現の行為と行儀が悪いのを、いつの頃から我々は混同し始めたのだろう。

 亀田シリーズの行儀や礼儀の悪さが嫌いだからといって、彼らの表現の全てを否定しているのではない。ホリエモンや村上ファンドみたいに、体制を打破しようとするアウトローな生き様には陰ながら応援したい。がしかし、誰のさしがねでか知らんが、そんなやつが環境省というお上に迎合するとはどういう了見だ。環境大臣もアウトローを褒めるな。

 亀田にはなんだか裏切られた気がするし、芸人とかの人気にあやからないと世間を納得させることの出来ない役所には失望する。まるで鉄砲玉に仕立て上げられたチンピラが報復しようと敵対する組に殴り込んだところ、待ってましたとばかりに血祭りにあげられ、「話は付いてるんだよ」と、組長同士が結託していて、自分は生贄にされたことを気付かされたみたいなシチュエイションじゃないか。猿芝居やってんじゃねー!

 

2006年7月6日(THU)  おごれる者はシャドウゴルフに頼る
 ゴルフまで残り三週間となったのに、風呂の湯船の中でリラックスしながら捻挫した左ひざの完治には遠い。いい加減に練習に行かないとメンバーの足を引っ張りかねんが、こう不快指数が高いと腰が重い。そんなこと考えながらうどんを打っていて手首を傷めてしまった。

 うどんは足で踏んで粘りを出すもんだが、少量なら手でこねても十分な腰を出すことが出来る。しかし蕎麦と違ってその抵抗感は大きく体力がいる。だったら足で踏めば良いのだが、食い物を足蹴にするのもまた大きな抵抗を感じるから出来ないのだ。

 悪いことは重なるもので、スポーツジムでトレーニングする時は膝には気を付けていたつもりだったのに、手首のことをすっかり忘れていてどえらい痛い目にあった。若いやつが重いウェイトをあげているとついつい対抗意識を持ったりするからイカン。

 この手首でゴルフクラブが振れるか、ひざは踏ん張れるか、実際にその動作をやってみないと分からないが、ゴルフの練習が全く出来ないわけではない。
 ボクサーが良くやるシャドウボクシングという、仮想敵をイメージする練習方法があるが、ゴルフもイメージトレーニングというやり方がある。素振りをするんじゃなくて頭の中で自分のフォームを想像するわけだが、あれをやって今の今まで実際のスイングが上手くいったためしがない。イメージ通りに体が動かないのではなく、イメージそのものが間違っているからだ。

 ゴルフって不思議なもので、頭の中で練習したことを練習場でやったら以前より悪くなったなんてことは当たり前で、ド素人だった頃に戻ることさえある。いっそのこと練習しない方が良い結果を残せることもあるが、それじゃあ成長も無い。
 しかしゴルフの先生にだけは習おうと思わないのは何故だろう。たぶんプライドと関係がありそうだが、それほどの腕前でもないのだから、ぐっとこらえて若造に師事したら仲間を出し抜けそうだが、やっぱり止めておこう。ぼくだけ上手くなって誘ってくれなくなったらまずいから。

 

2006年7月5日(WED)  北朝鮮のアナラー
 朝も早くからテポドンに起こされて寝覚めが悪い。テレビをつけっ放しで寝たぼくに非があるとはいえ、日中朝が全面戦争に突入したらどういうことになるのか、ぼくは悪夢にうなされて知ったから良かったものの、実現したらどうなるのかジョンは分かってはいるのだろうか。

 テポドンが怖いのは、名前が「ピカドン」の響きに似ているからではないだろうか。底知れない恐怖を呼び覚ます名を連想させようと付けた名前とは思えないが、日本人に与える印象は尋常ではないと思う。
 ところが、「テポドン2を打ち上げて失敗したらしい」というニュースを聞くと、「松健サンバ2を踊ってこけた」見たいに軽薄な印象を受けてしまった。

「日中韓を分断して、アメリカと直接交渉したいのでしょう」と、日本の偉い方がたは分析しているようだか、アメリカのアナリストやらは、「最近はテレビに登場すする機会が減ってしまったので、またテレビに出たくなったのでしょう」と、実に馬鹿げた分析をしてみせるが、「お前らの本当の肩書きは『アナラー』だろ」と言いたくなる。

 でも実際問題、小泉さんの力で分断状態になっていた日中韓の関係は、今回の飛翔体(はっきりミサイルと言え)の事案で、むしろ共通の敵を見つけて改善するんじゃないだろうか。
 国際政治を国家間の力関係だけで判断しようとすると誤った結論を導き出す危惧もある。ブッシュ大統領みたいに好き嫌いだけで外交政策を決めているように見えてそうでもない可能性だってある。しかし所詮は人間のやることだから、案外注目を集めたいだけなのかも知れない。だから普通の人にはジョンのやることは理解できんのだ。

 

2006年7月4日(TUE)  KDDIさん、ぼくの個人情報は金にならんのですか?
「おめでとうございます、あなたの個人情報も流出しました」
 まさかこんな手紙が本当に届いたわけじゃないが、そんな風に読み取れるほど反省の色を欠いた「お客様情報の流出に関するご報告とお詫び」だった。“事案”じゃなくて“事件”だろうがまったくう! 
 先日KDDIさんが顧客情報を流出させた“大事件”のニュースを観ても、「auとか使ってないあっしにゃ係わりのねえことでござんす」と思っていいた矢先に、こんな手紙を送りつけられ、ぼくもDIONに加入したことがあったのを思い出した。

 KDDIさんはいつぞやも社員情報を垂れ流したとかで世間から指弾されたというのに、またもこの体たらくか。反省したというだけなら猿にでも言える。いや本当に、猿語と人間語の橋渡しするコンピュータを使えば言えるんだから、人間なら反省の気持ちを態度で示さんかい。
 たった1枚の手紙には事件発生の経緯も原因といった顛末が何も記されてない上に、善後策が具体的に示されていない。これでは株主総会が紛糾するのも当然で、ざまあみろだ。

「光ファイバーを敷設してやったからこちらに乗り換えたまえ」
 2、3ヶ月に1回くらいの頻度でポストにこんな案内のゴミを投げ込み、あまつさえ電話でずうずうしく勧誘してくるのもKDDIさんだけど、お詫びの電話はよこさんのか? ふてぶてしい態度にはうんざりするな。
 いやなにもソフトバンクさんがぼくの情報を流出させて500円の図書券を送ってきたみたいに、物をくれないから腹を立てているんじゃなくて……いやそれも腹が立つが、人は自分の存在が軽く扱われることに耐えられないのだ。つまり、「オレの個人情報は500円か!」 というより、「500円にもならないのか!」というのが切ないのだ。

 

2006年7月3日(MON)  お好み焼き力アップ
 幾度トライしてもお好み焼きだけがどうしても美味しく焼けない。粉はお好み焼き専用粉とかたこ焼き専用粉を使って、具はお好み焼き用豚にイかやエビ等が一式で冷凍にされているものを使う。鉄板なんて持ってないからフライパンでふたをして焼くのだ。でもこのふたが問題なのかも知れないが、もっとふんわりと焼き上げたいのに出来ない。

 そんなわけでお好み焼き屋さんで食べて研究したいが、店に一人で入ってお好み焼きをつつくなんてわびしい気がする。もちろん家で自分で焼いて一人でつつくのだってこれ以上もないわびしさかも知れないが、究極のお好み焼きを作るんだという高い志さえあればどんなことにだって耐えられるのだ。

 メディアが「男前豆腐」をはやし立てるもんだからついつい乗せられて買ってはみたが、美味しいのかどうか良く分からなかった。食感が今までの豆腐とかなり違っていて、風味も豆腐の面影を残していない。不味いのかといえば決してそんなことはないが、ぼくの味覚のセンスではなんとも判断がむつかしい。

 ものの良否を判断するのはむつかしい。専門家だってまさかブラジルがサッカーワールドカップの決勝に出られないなんて思わなかったろう。ゲームだから予測が出来ないのは分かるが、音楽だって良い悪いを判断しようと思ったらそれなりの力が必要だ。たとえばイラクとかパキスタンとかの音楽ならまだしも、ボツワナとかウガンダの伝統音楽に点数を付けろといわれたら、ぼくにはお手上げだろう。

 もちろん音楽なら好き嫌いで済ませばそれで良いし、まして食い物の良否なんて好き嫌いがすべてと言って構わない。しかし演奏する側に立てば好き嫌いだけで人を納得させることは出来ないし、料理も好き嫌いで作っていては人に食わせて喜んでいただけるものは出来ないだろう。

「美味しいお好み焼き屋が近所にできたんやけど行ってみる?」
 飲み屋のマスターの言葉も渡りに船と、ほいほい行ってみたら結構立派な店で、エビだって冷凍じゃなく生を使っている。ところが当たり前のことだけど、出来上がって食ってみたら何の変哲も無いお好み焼きでしかなかった。
 つまるところ、お好み焼きの味ってソースとマヨネーズに支配されていて、我々の力ではどうしようもないものだと分った。そういう意味でなら「1お好み焼き力」の経験値を積んだ。

 

2006年7月2日(SUN)  カラス占いという人体実験
 毎朝5時頃目が覚めるのは、頼みもしないのにカラスが起こしに来てくれるからだ。それも悪夢のオマケつきなのだから、もういい加減に勘弁してほしい。本来なら今頃の季節は土鳩の「グック、ルック、グー」の声で目覚める筈なのに、今年はいったいどうなっているんだろうか。

 ぼくが子どもの頃にはカラスなんて間近で見た記憶があまり無い。たいてい彼らはは山に住んでいて、群れて里に下りて来る時は誰かが死んだか死ぬ前だった。それは後から考えるとおおむね当っていたから、カラスと人の死の間には、潮の満ち干と月の満ち欠けが人のそれと関係するように、人知の及ばない相関関係がきっとあるに違いないと思ったものだ。

 さすがにこの歳になれば、亡くなった宜保愛子さんとか、彼女に代わって最近テレビでよく見かける何とかっておばさんの占い師の言うことも酒の肴にすらしないが、「カラス占い」なんてものがあるなら是非耳を傾けてみたい。
「大変だ! カラスが北を向いて『アホー』と鳴いた。これは今日は北に受難が待ち受けている証拠に違いない」
 しかしそんなことを毎日考えていたら心が休まるどころか気が変になってしまうんじゃないかと思う。

 カラスが急に増えるなんてあるだろうか。いやむしろカラスの生息数はこの辺りでは減っている筈だ。餌になるゴミの分類が住民に浸透しただけでなく、独立行政法人都市再生機構さんがゴミ箱に蓋をつけて回っている努力が実を結んだからだ。
 しかしそういった努力が評価されない背景には、都市再生機構の成り立ちに官僚の天下りを連想させる何かを入居者が感づいているからだろう

 というわけで、彼らの戦術の実効が上がっていることを世間に知らしめるためにこの団地に白羽の矢が当り、生贄として何らかの実験を挙行したものと思われる。つまり薬効があると思われる新薬と、既存の薬品との比較をする臨床試験みたいなものをやっていて、蓋をしたゴミ箱と蓋の無い団地のゴミ箱をを比較検討しようとしているに違いない。

 なるほど、使用前使用後をあからさまにするというなら、それはそれで努力は認めよう。だがカラスは猛禽類に分類されるだけあって結構怖い動物だと思う。三つ四つの幼子なんて目玉でもつつかれたら抵抗出来ないんじゃないだろうか。そんなのが集団で来襲するんだから恐ろしい。お願いだから犠牲者が出る前に人体実験を中止して、全てのゴミ箱に蓋をしてくれ〜!

 

2006年7月1日(SAT)  賭場の空気は苦い
蕎麦屋を開業しようなんて目論んでいるわけではないが、満足できる蕎麦がなかなか打てない。だから面白いともいえるが、ついつい躍起になってしまうのは困ったものだ。
 打った蕎麦は自分で試食するだけでなく、今回のように場末の飲み屋で振舞うこともある。まあそれで皆さんが喜んでくれるなら良いのだが、喜びついでにお礼と称してどこかに連れて行かれ、ひどい目に遭うことが良くある。当夜もそんな珍しくない一夜の筈だった。

 ぼくが連れて行かれた先は田園地帯の中にある工場団地らしいが、回りには街灯も無いので様子が分かりづらい。
「そのドア開けたらあいつがおるから先に入っとけや。俺はタバコ買うてくるから」
 そういわれてドアを開けたら、人相風体も見るからにヤクザ者らしい連中がこちらに振り向いた。もしそこに知り合いの顔を見つけなかったら、「し、失礼しました」とドアを閉めて踵を返しただろう。
 考えてみたらぼくを連れて来たのもすねに傷持つ男なんだから、こんなことで尻込みして笑い者になるのも耐えられない。本当はちびりそうなほど緊張しているが、酒を飲んだ勢いでふてぶてしい態度でソファにかけた。
 
 連中はどうやらサンマ(三人打ち麻雀)をやっているらしい。麻雀のことは良く知らないぼくでも、目の前で万札が乱れ飛んでいるのを見たら、この場がどれくらい危険をはらんだ時空であるかは理解できた。
 面子は足りているのにわざわざ三人で打つのはスピーディーだからだろう。すぐに面子が入れ替わって知人が空いたら、しばし彼と将棋を指して時間をつぶせたが、知人が面子に取られると、ぼくはまたタバコと酒と欲望で汚染された空間に取り残された。

「この連中はきっと日が昇るまで麻雀を打つだろう。元気になる薬をやっていないぼくがこんな連中と付き合いきれるわけが無い。土地勘の無いこの場からどうやって逃げ出して家に帰ろうか。タクシーも通らないような所で酩酊した挙句溜池に落ちて絶命! ああ、そんな末路だけは避けたい」
 そうやって日付が変わるまで身もだえしているところへ、知人の奥さんがやって来てぼくは救われた。彼女の運転で送ってもらったのだ。

 検察官だって図書券を賭けて(嘘つけ!)麻雀を打つらしいから、賭け麻雀なんて誰でも許されるだろう。では私設賭博の何が法に触れるかといえば、国庫に寺銭を上納しないからという理由しかない筈で、道徳的な理由なんて無い。
 博打なんて人類が言葉を獲得した時点で既に成立していた概念だと思うし、きっと未来永劫に亘って存在し続けるだろう。この歳になって初めてそれを肌で実感できた一夜だった。

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2006年7月日()