HAL日記


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2005年9月30日(FRI) 悪魔のラブストーリー
 参りました、いやホントに疲れました。ラブストーリーなんぞに手を染めたのが身の程知らずでした。この一月、たった10枚のラブストーリーが書けなくて耳鳴りがし始めるわ、お師匠さまに灸をすえられるわで、まるで秋の朝顔のようにすっかり萎えきっておりましたが、それも今日まで。ついに書き上げました、ましたが、自分で自信を持って、「面白くない」と言えます。

「たかだか10枚なら2、3時間もあれば作品の体を成すじゃないか」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、それは恋の達人、愛のスペシャリスト、ストーリーテラーとして練達された方でしょう。僕はどうやらラブストーリにアレルギーがあるのかも知れません。映画「タイタニック」を見終わって映画館を出るなりゲロを吐いた、甘ったるいラブストーリーの嫌いな知人の言うことが、今にしてようやく理解できるようになったのです。

 18世紀の名バイオリニストに、タルティーニというイタリア人がいたのですが、ある日のこと彼が教会でバイオリンを練習していると、いつの間にかねむってしまったのでしょう、夢の中に悪魔が出てきて言いました。
「お前の魂と引き換えに、今まで聴いたことも無い素晴らしい曲を聴かせてやろう」
 バイオリンの道を究めたいと願う求道者のタルティーニに断る理由があるでしょうか。ためらうことなく悪魔に魂をゆだねたのです。

 果たして悪魔の演奏は壮絶で精緻な技巧を極めていながら、なおかつ美麗なロマンチシズムに支配され、官能的に彩られた甘美な旋律であったのです。
 タルティーニは飛び起きました。そして思い出せる限り悪魔の奏でた旋律を五線紙に書きとめていったのですが、出来上がったのは「悪魔の演奏した曲には到底及ばない陳腐な作品でしかなかった」のです。

 僕はタルティーニの作品をいくつかさらいましたし、この「悪魔のトリル」という名の曲もチャレンジしてみましたが、名前からイメージするほど超絶技巧の曲ではありません。しかし19世紀の名バイオリニスト、クライスラーが作曲した最後の部分のカデンツァは別です。
「先生、カデンツァはレッスンしていただけないのですか?」
 先日見咎められた前のバイオリン師匠に訊ねました。
「ここは悪魔が演奏するパートですから、我々人間は練習しないのです」
 な〜るほど、こりゃえ〜こと聞いた、と思いました。
 僕にとってラブストーリーとは、どうやら悪魔の語り部に任せるべきもののようであります。

 

2005年9月29日(THU) 立候補してみませんか
 10月2日は堺市長選挙の執行されるのですが、争点が無く実に盛り上がりを欠いた選挙になりそうです。
 若さ、女性、現職、アンチ現職と、四候補とも主張する点がはっきりしているのはいいのですが、単にラインナップがそろって選挙戦の体を成しているに過ぎないように感じるのは僕だけなのでしょうか。選挙権を放棄するのも本意ではないので、とりあえずは投票所に足を運んで最も当選しそうに無い候補に投票するつもりです。

 堺市会議員選に三度立って、今一歩のところで夢に手が届かぬまま挫折した飲み友達がいます。彼などは何の後ろ盾も無いままに立候補したのだから偉いと思いますが、居酒屋に屯する酔客さえ騙せない率直な男では、有権者を丸め込むなどはそれこそ夢のまた夢というやつでしょう。
 それを思うと童話のお師匠さまは知名度も高く、何よりも弟子たちを導くのみならず、世間にメッセージを届けるのお手の物でなのですから、堺市議選に立とうが市長選に立とうが楽勝なのではないだろうかと思ったりします。

 衆議院選では小泉さんにすっかりたぶらかされてしまった我々ですが、考えてみれば僕のように物語をつむぎ出したいと願う者は、言葉のニュアンスには問題があるかもしれないけど、人をだまくらかし、人をたぶらかすことができてこそ読み手を感動させられるのではないでしょうか。というのも、ある若い女性によると、女は誠実で退屈な男より、不実で自分をも楽しませてくれる男を選ぶのだそうです。

「朝三暮四」という言葉がありまして、ある猿使いが猿に与える餌を減らそうと、朝に三つの餌をやり、暮れに四つをやろうとしたら猿が怒ったので、朝に四つを与えて暮れに三つを与えることにしたら、猿たちは納得したのだそうです。実質は同じなのですが、我々人間も言葉ひとつで猿たちと同じように踊らされるのでしょうか。

 第二次大戦で名誉の戦死を遂げた日本人だけでなく、今も前線で死んでゆく兵士たちに与えられる名誉とはなんなのでしょうか。イラクで次々と兵士が死んでいく一方で大統領はゴルフを楽しんでいるのを許せるなんて僕には理解できません、いや許せません。

 堺市もそろそろ変革があっても良さそうなもんですが、たぶん変わらんでしょうね。

 

2005年9月28日(WED) 悪事の報いとは
 「好事門を出でず、悪事千里を走る」と申しますのは、すでに昨日の日記に書いた通りですが、本日は「悪の報いは針の先」でございました。

「HALさんじゃないですか、お元気でしたか?」
 声をかけられたので振り向くと、そこにはかつて師事したバイオリンのお師匠様がいらっしゃるではありませんか。
「あ! え、ええ、先生もお元気そうで、おまけに本日はお日柄も良くて」
「何言うてますん、雨が降ってますヤンか。こんな日にバイオリンを抱えてどちらまで?」
「いえ、あの、これには事情がございましてですね」
 バイオリンを背中に楽譜を持っていたら釣りに出かけるんじゃないことくらい誰にだって明らかですので、こうなったら正直にゲロを吐くしかありません。
「先ごろから若い子に習ってますが、私もようやくお師匠様の力の程を思い知った次第でございまして……」
 色々と取り繕ってみましたものの、お師匠様の顔には、「ほほう、ワシでは不足だと申すか、偉くなったもんじゃのう」と書いてありました。

 前のバイオリン教室は石を投げたら当るほどの近所ですので、いつかこの日がやってくるのは覚悟しておりましたが、思いのほか早く露見したのは驚きでもありました。もっともピアノの音やバイオリンの音が漏れ聞こえているに違いありませんからとても隠しおおせるものでもないのです。お師匠様も僕がバイオリンやピアノ練習を再開したことをご承知であったにとと思うのです。

 お師匠ちゃまの教室へ到着しても、僕の心は平静を失ったままでしたから、「全身の力を抜きましょう」なんて言われる始末で、レッスンが終わってみると弦を押さえる左手の指がことごとく針で突かれたように痛むという体たらく。
 悪の報いは針の先を巡るがごとく、即座に現れるもののようでございます。

 

2005年9月27日(TUE) オレのことは忘れてくれ
 夜毎ワインを、それも赤だけを1本空けてきたけど、秋風を肴に呑むならやっぱり日本酒が美味そうに思えて、近所のスーパーで久しぶりに純米酒の5合びんを買った。
「おや、今日は赤ワインじゃないんですね。毎日赤ワインを1本飲むんじゃなかったんですか。あらま、チーズも無いじゃありませんか」
 レジのおばちゃんが要らんことを訊ねてくれるので、「これからは日本酒に替えます」と答えたが、客の買い物の内容まで覚えているなんてどうよ。僕の貧しい食生活を、名前も知らないおばちゃんからコメントされてすっかり萎縮してしまった。

 行きつけの楽器屋さんとか場末の飲み屋といった所なら常連客然として入るけど、スーパーには、「どこの誰でもありません」といったスタンスで入りたい。生涯一顧客でいいんだから、マニュアル通りの対応で僕に不満は全く無いのに、あれやこれやと声をかけられると恥ずかしくて仕方ない。だから今日からしばらくは、車を運転して10分のスーパーで買い物をすることにした。

 たまにしか行かないスーパーで買い物をすると、どこに何があるのかが分らないから時間がかかるのは仕方ないが、店によって同じ品物でもずいぶんと値段が違うものだ。ワインなんか酒の量販店に比べたら倍の値が付けられていて驚くし、惣菜の味付けもこの店はまずいのだが、しばらくは我慢しようじゃないか。
 それにしてもこの店の客は行儀がよろしくない。悪ガキが商品を棚から落としまくっているので注意しようかと思ったら、ヤクザ風のデンジャラスな装いをしたお父ちゃんが現れたのでやめた。

 いつもと違う店で買い物をするのは疲れるものだ。たかだか二千円程度の食い物を買うだけのために車を動かすなんて馬鹿げた資源浪費だが、レジでなんだかんだと詮索されるよりはマシだろうと思った。
「今晩は、今日はよそでお買い物ですか」
 駐車場で車を降りたところで声をかけてきたのは、あのレジのおばちゃんだった。
「え、え〜その、あれなもんですから」
 別に悪いことしてるわけじゃないのだから、しどろもどろになることは無いのだが、これはこれでバツの悪いもんだ。
「悪事は千里を走る」ってか、やっぱり悪事なんかなぁこれは。

 

2005年9月26日(MON) お焚き上げ法要
高龍寺の住職ですが、本日はお焚き上げ法要の日でございます」
 菩提寺の御住職からお電話を頂いた。まさかお焚き上げ法要にお参りしろっておっしゃるんじゃなかろうかと心配していたら、
「金剛杖を寺にお忘れではないですか?」とおっしゃる。
「おおー! それは昨秋のオフ会のおりに置き忘れた、私の命でございます」
 遍路の命である金剛杖を忘れるなんてもってのほかで、罰当たり千万。しかしだからといってお焚き上げされると、文字どおり昇天しそうな気がしたので保管をお願いした。

 そうか、あのオフ会からもう一年になるのか。あの美味いそばを食べてから他のそばが食えなくなって、仕方ないから自分でそばを打とうかと思っている今日この頃だが、十割そばが打てるようになるにはどれ位の練習が必要なのだろう。
 ともあれ、今年もオフ会を催したい。前回は餃子和尚と蕎麦僧正にお世話になったので、今回はYUTIAN尼にお世話になろうかと目論んでいるのだが、山寺は結構忙しいらしく、空いている日を狙いすまそうと思っている。

 

2005年9月25日(SUN) 旧人類も動き出すぞ
 僕のAVシステムでテレビを観ようと思うと、4つのリモコンのスイッチを入れなければならない。チューナー、ビデオデッキ、アンプ、テレビ。で、停電でもあろうものならそれらのタイマーも合わせ直さなければいけないのだから大変だ。
 録画予約となると更に大変な作業になって、成功率はブッシュ大統領の支持率並に、下降の一途を辿っている有様だ。

 なんでこんなに難儀なことになっているのか、実は僕自身にも良く分かっていない。たぶん古いものと新しいものが混在しているからなのだが、それを説明するのには骨が折れる。
「新しい物を買ったんですが、古い物を捨て切れなくて……」
 こう言えば納得していただけ易いのだがそうではなくて、
「壊れた古いものを捨ててシステムを一新しようとしているところへ、前よりもいっそう古い物が舞い込んで来た」というのが真相だろう。

 先日のこと、田舎に帰ろうと車を発進させたら、どこをどう通って帰るのかという計画を立てていなかったことに気が付いた。ルートがいくつもあるので一々考える必要も無いと思っているからなのだが、これが失敗の元で、危うく高速道路上で迷子になるところだった。
 しょっちゅう運転するのでもないからカーナビなんか不要だろうと考えて今日まで来たのだが、どうやら僕のように道を覚えない運転者にこそ必要なものだと気が付いた次第だ。

 わけの分らない場所は恐ろしいので、一つのリモコンで済ませれれるようなシステムにするまでは伏魔殿のようなテレビの後ろの世界には手を付けないでおくが、カーナビは新しい道路で安全に運転するには早急に必要な気がする。しかしカーナビを付けたら付けたで盗難が心配だし、ハイウェイカードが廃止になったのでETCも付けたいは金は無いしで、いったいどうすりゃいいんだ。

 

2005年9月24日(SAT) イワンからの手紙
 つづき
 夏休みが終わった。僕は色白のイワンがどれくらい黒くなっているか、そばかすが目立たなくなっているのかどうか楽しみにしていたのに、教室に彼の姿はなかった。その代りに先生がイワンからの手紙を読み始めた。
「○○組のみなさん、ぼくはまた転校することになりました。あだ名で呼ばれたのは初めてだったし、取っ組み合いのけんかをしたのも、こんなに仲良くしてもらったのも今度が初めてでした。ぼくはみなさんのことを忘れません。だからみなさんもぼくのことを忘れないで下さい。さようなら」
 正確なことはもうほとんど覚えていないけど、こんな風に簡単な伝言だった。手紙は教室の後ろに張り出されたからみんなが読んだが、どこに引っ越すのかは書かれてなかった。
「この学校にも長はくいないと思う」
 イワンは日頃からみんなにそう話していたから誰も驚きはしなかったけど、クラスメートは彼の座っていた机を、しばらくの間は無言で見つめたのだった。

 冬休みが始まる頃には日焼けもすっかり元に戻って、また僕の手首にはあざが目立つようになった。けんかが強くなった僕に向って、あざを嘲笑うやつはもういなくなっていたけど、それで心が晴れたわけではなかった。
 そして3学期が始まって登校すると、教室にはイワンからの年賀状が届いていた。何の変哲もない年賀状だったが、みんなも僕も彼のことを急に懐かしく思い出した。あのそばかすだらけの笑顔をいとおしいと思った。彼の、「そばかすは病気じゃない」と言う意味がやっと分ったと思った。僕は彼に、「そばかすはチャームポイントなんだ!」と叫びたかった。

 イワンの消息はあの年賀状を最後に途絶えて、中学になった頃にはもう誰も彼の噂をしなくなった。だが僕は今でも自分の右手首のあざを見ると彼を思い出すことがある。
 彼のそばかすに良く似た僕の手首のあざは、今はもうすっかり薄くなってしまった。手術をしたのではない。彼に会った瞬間から薄くなり始めていたのだ。

 名前がいやなら改名すればいい。自分の顔が嫌いなら美容整形すればいいと思う。だけど僕はもう手術であざを消したいとも思わない。あざがあるのも、足が短いのも、不細工なのも全てあるがままに受け入れて次の世代に伝えたいと思う。なのに、やっぱり心配したとおり今もってお嫁さんは来てくれないのだ。やい、すずめ! この落とし前をどうつけてくれるんぢゃい。

 

2005年9月23日(FRI) タトゥーが消せるなら
 つづき
(そうか、すずめがやったのか! なら母ちゃんにはなんの落ち度も無いことで、憎むべきはそこらじゅうを我がもの顔に飛び回るすずめどもだ)
 母のでまかせを真に受けた僕は、それからすずめが憎くてたまらなくなった。
「おいちゃん、すずめも撃つんぢゃろ?」
 きじ撃ちのために空気銃を肩に掛けて山に入る近所のおじさんに、僕はすずめ退治を依頼したかった。
「すずめは撃ったらいかんっちゅう法律ができたけん撃たんぞ」
 きじが良くて、すずめみたいな害鳥を撃ってはいけないなんて絶対嘘だと思った僕は、自力ですずめ退治に乗り出すことを決心した。五年生になった頃、すずめ撃つための銃を製作し始めたのである。

 まず金物屋で内径3mmΦ位の銅パイプを買って30cmほどの長さに切断し、ライフルの形に削った木に取り付けた。火薬は普通の爆竹を使い、弾は本物の空気銃の鉛弾がどこにでも売っていて、子供でも容易に入手できた。問題は弾を込め、後ろから爆竹を挿入した後、どうやって爆風が後ろに抜けないようにするかだったが、折りたたみ式のふたを付けることで解決した。
 この銃の威力は実に素晴らしいもので、松の木を撃つと鉛弾はめり込んで見えなくなったし、一斗缶でも至近距離からなら穴が開いたほどだったから、すずめを殺傷するには十分な能力だった。

 だがこの銃には大きな欠陥がいくつもあって、命中率が極めて低かったのはもちろんだが、銃口を下にすると鉛弾がポロリと落ちた。いわば原始的な火縄銃だから、蚊取り線香で導火線に火をつけなければいけないのがまだるっこしかった。撃った後は爆竹のカスが銃身内にこびりつくので、一発撃つたびに掃除が不可欠なのもわずらわしかった。それに何よりも爆竹の破裂音がやかましくてやってられなかった。こうして僕の銃によるすずめ退治計画は暗礁に乗り上げたのだった。

 夏が来るのが待ち遠しかった。夏休みになって毎日泳いだら真っ黒に日焼けしてあざが目立たなくなるからだ。それにせっせと日焼けして夏休みが終わると、『日焼けコンテスト』で表彰される特典もあり得た。だがこれには上手がいて、地黒のやつには到底かなわなかった。僕もいっそのこと黒人に生まれたらよかったのに、と悔やんだものだ。

 ちょうどその頃のこと、一人の男の子が僕のクラスに転校してきた。いかにも都会から来ましたっていうようにさっぱりしていて上品な上に、こいつ一体何人だろうって思うほど色白で、目も明るい茶色をしていた。
「まるでイワンみたいじゃのう!」
『イワンのばか』という本を読んだ誰かがそういうと、彼は転校初日から『イワン』と呼ばれるようになった。

「おいイワン、お前の顔のそばかすは、大人になったら治るんか?」
 イワンの顔には鼻の辺りにたくさんのそばかすがあったので、手首のあざが目立たないのを良いことに、僕はイワンをからかった。いや本当は僕のあざも大人になれば治るのかどうかが知りたかったのだ。
「そばかすは病気じゃない、治るなんていうな!」
 そう叫びながらイワンが僕に飛びかかってきた。喧嘩で僕と互角に渡り合える同級生は数人しかいないほど強い僕には、都会者のイワンなんか相手じゃなかった。力の差もあったし、そばかすの辺りを濡らしながら全身全霊を込めて立ち向かってくる彼が気の毒になって少し叩かれてやった。
 イワンの心を傷つけたという負い目が会った僕は、それから何やかやと彼を気にかけたので、冬が近づいて手首にあざが現れる頃には、僕たちはすっかり仲良しになっていた。

 六年になっても僕は手首のあざを消す方法を色々と試みていた。母の化粧水を盗んで付けてみたがそんなものが何の効果も発揮するはずなかった。風呂の軽石で血がにじむまでこすったら消えるだろうかと思ったら、傷が治った頃には前よりも黒くなっていた。
(こんな手じゃ彼女なんてできっこない、誰もお嫁さんには来てくれんだろう)
 そんな風にあざを消すことに執念を燃やし続けて、やがて夏休みを迎えた。

 毎日毎日泳ぎに出かけていたある日のことだった。いつもの海で泳いでいると一組の夫婦が幼子を連れて来た。そのお父さんの両肩が何か薄汚れているように見えて、近づいたら入墨のあとのようだった。
「あれって、入墨を消したんじゃろか?」
 小声で友だちにきいてみた。
「あのお父さん昔ヤクザじゃったらしいけど、彼女が、『組を抜けて入墨を消してくれたら結婚してもいい』てゆーたんで、かたぎになって入墨消したんじゃて、母ちゃんがゆーとった」
「小指をつめたんじゃろか?」
「今は金で組を抜けられる時代じゃて、母ちゃんゆーとった」
「入墨はどうやって消すんじゃろか?」
「それは聞いてないけど、手術でもするんじゃろが」
 これだ! と僕は思った。入墨が消せるんなら僕のあざもきっと消せるに違いない。大人になってお金を稼いだら真っ先に手術しようと心に決めた。

 長くなるので、つづく

 

2005年9月22日(THU) すずめの足跡の記憶
 やられたやられた! 本日の童話のお師匠さまはことのほか手厳しかった。それにしてもあのパワーの源はどこにあるのやら。もしかして良からぬドーピングでもやってるんじゃないかと思えるほどエネルギッシュだ。最近じゃ議員さんも手を出すというドーピングだから、それで良いアイデアが浮かんでおもしろい童話が書けるのなら僕もたしなんでみたくはある。

 合評作品が僕のしか出てなくて、それもラブストーリを書いていて行き詰ってしまったものだったから、本日はお師匠様の単行本が印刷される前の段階の作品を教材に講義が進められた。主人公は「虎実」ちゃんという、阪神タイガースファンのお父さんが付けた、とても気の毒な名前の女の子。本人がその名を嫌がっているなら、なんとも可哀想な子供だが、思えば僕も幼い頃には苦脳を一杯抱えていたかもしれない。

 僕の右手首には10cmくらいにわたって、点々とシミが付いたようなあざがある。
「お前、手を洗ったのか? きたねー!」
 子供は大人が思っている以上に残酷だ。こんな風に仲間にからかわれるものだから、僕は人前で右手を出すのが辛かった。
 ある日僕は母をなじるように、この手首のあざについて問い詰めると、母は答えた。
「あれは、お前がまだ寝たっきりの赤ん坊の頃ぢゃった。外で寝かせていると、一羽のすずめが飛んできて、お前のちっちゃな手にとまるぢゃないか。母ちゃんが驚いて追い払おうとすると、すずめはお前の手の上をチョンチョンと歩いたんぢゃ。ぢゃけん、そのあざはあの時のすずめの足跡なんよ」
 
 つづく

 

2005年9月21日(WED) 個人情報は、漏れるのが常である
 Yahooのダイヤルアップがどうも接続しにくくなって、メールの返信や掲示板への書き込みを携帯からするという不便を余儀なくされていた。
 自分のパソコン側の設定なんかに問題があるとばかり思い込んで、あれやこれや悩んでいたら、Yahooからメールが来た。
「2005年8月29日に告知させていただきました10月3日サービス開始予定の『おでかけアクセス』についてお知らせいたします」

 なるほど、そういうからくりだったんかい! どうやら普通のダイヤルアップはもう既にないがしろにされていて、auさんとタイアップしたパケット通信のサービスを、月額200円で始めるらしい。
 たしかこの手のサービスは、他のプロバイダではとっくに始めていて、大手ではYahooだけが遅れていたんじゃなかったか。長く待ち望んでいたサービスがようやく始まるのはうれしいが、せっかくFOMAに買い換える決心をしたところだというのに、どうすりゃいいんだ?

「固定電話を持っていないと信用が無いからローンも組めない」と、かつて言われたが、そんな時代ではもうないのかも知れない。市役所へ行こうが、警察へ行こうが、「携帯番号で結構です」と言われるようになった。
「どちらも無かったらどうするんですか?」ときいたら、「それなら書かなくても構いません」と言われた。なんだ! 電話番号なんて元々要らんのじゃないか。

 それでなくても住民基本台帳なんかからジャンジャン個人情報が漏れている時代に、これ以上電話番号みたいなものを書きたくないと思うのだが、住所氏名さえ分れば携帯の電話番号なんて一瞬にして調べられるのだそうだ。
 IT時代だから当たり前と言えば当たり前なんだが、なんでそんに個人情報が簡単に漏れるのか不思議で仕方ない。いや、IT化時代というのは、情報は常に漏れるものと覚悟していなければならないのかも知れない。

 

2005年9月20日(TUE) 恋に命をかけられますか?
 8月6日のつづき
 あれは中学2年の今頃だったろうか、登校して初めて同級生が亡くなったのを知った。ずっとクラスが違ったので2年間くらい話したことも無い女の子だった。
 全校生だったのか、2年生だけだったのか分からないが、葬式に出るために僕たちは学校を後にした。

 彼岸花の咲き乱れる川沿いの地道を彼女の家に向って、ときおり鉄砲のように鹿威しがドンと鳴る田んぼを両側に見ながら、皆は沈鬱な面持ちで歩いた。
 長い時間歩くと彼女の家が見えてきた。赤い屋根の洋館がある立派な家だった。
「うだつのあがった家」というのは、防火のために中二階を設けた家のことで、徳島辺りに今でも良く見かけられるらしいが、僕の田舎にはそういう設計の家は少ない。うだつの代わりに、お金持ちの家の多くは、アール・デコ調で赤い屋根の、協会みたいな洋館を併築していた。それが往時の流行だったのだろう。

 仲良しだった女の子が気が違ったように泣き叫ぶ中を式が始まったが、他には式の模様は良く憶えていない。同級生が自殺したということがピンと来ず、思ったより悲しくならなかったのだ。
 皆もそうだったかのかどうか分らないが、自殺の理由を巡って取りざたされる噂の方に関心を持っていたようだった。

 彼女はいわゆる早熟な子で、「大人の男と付き合っているらしい」という噂が流れたことがあった。小学生ですら援助交際に手を染める昨今なら驚きに値しないのかもしれないが、「おくて」の僕にはちょっと信じられない話だった。相手は地元の名士の息子らしかったが、そいつには既に婚約者がいたという。
 今の子供たちなら、「遊ばれた、というより自分も遊んだのだから」と割り切るのだろうか。仮にそうだとしても、彼女たちの軽はずみを「愚行」と咎める気にはなれない。恋なんて何処でどう燃え上がるか、周りはもちろん自分にさえ分らないのだから。
 
「お父さん、お母さん、私はキレイな体のままでいきます」
 彼女の遺書にそう書かれていたとも云われたし、おなかが大きかったとも云われていたが、真相を僕は知らない。当時はそんなことを詮索する気にもなれなかった。
 くびれた本当の理由は未だに知らないが、彼女は正に、「恋に命を懸けた」といえるのだろう。

 

2005年9月19日(MON) 尼さんですかい、ぇへへへぇ!
「あれから1年になるけど元気にやってるかい? ちょっと会いたいんだけど……」
 愛媛の山寺に住んでいる、にせ尼さんのYUTIANにメールした。
「私なんかに会いたいだなんて、HALさんなんてお気の毒な! 私でよければ……」
 メールが返ってきたけど、オイ! なんか誤解してないか? オレは淋しい男じゃないって。つーか女に不自由はしていても、修行僧に手を出そうなんて罰当たりなことは全然考えとりゃせんよ!

 今治市内で待ち合わせしたら、来島大橋を渡る途中から雨が降りだして、自転車に傘をさしながらの僕はスピードダウンを余儀なくされてしまい、30分も遅刻してしまった。
「マジであの自転車を漕いで来たんですか! ……」
 彼女は僕の自転車を見るなり、哀れむように潤んだ目をした。
「いや、だからサイクリングだってぇ。金が無くて車を売ったとかじゃなくてだね……」
 本当は、「バイオリンを聴きたい」という彼女のリクエストに応えて山寺まで行く筈だったのに、外で待ち合わせたものだから、こんなずぶ濡れのありさまになってしまっただけで、僕は彼女が思っているほど気の毒な人じゃない。

 昼時だったのでセルフのレストランへ入ったら、彼女が金を払おうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ呼び出した僕の立場が無いだろうがぁ!」
(だからあ、オレは可哀想な男じゃないんだって)
 話の内容は事務的なものだったのだが、話している1時間ほどのあいだ、彼女は僕を、まるで「のびた君」でも見るかのような目で見ていた。

「自転車を折りたたんだら車に乗りますから、港まで送りましょうか?」
 会談が終わったら、外は秋晴れだった。
(だからぁ、オレわぁ、お年寄りじゃないんだってぇ!)モドキ尼
「髪の毛を伸ばそうと思っているんです」
 別れ際に彼女が言うので、坊主頭最後の写真を撮った。
「名前を出さないで下さい、顔を出さないで下さい」 
 NHKのテレビには本名で出ていながら、僕のホームページには本名も顔も出したくないなんて上等じゃないか。ならいいだろう、坊主頭の部分だけ晒して、はずかしめてやろうぢゃないか。
 
※それにしても、坊主頭の尼僧になり、尼僧の衣を着た瞬間を狙って、「手ごめ」にしてやろうと3カ年計画を立てていたのに、チッ! どこまでも期待を裏切ってくれるやつだ。

 

2005年9月18日(SUN) 密造のレシピ
 味噌醸造例
1、先ず、うるち米を用意。一晩浸漬したのち蒸す(炊くのではないおよそ25分)
蒸しあがると、良く冷ましてから、麹菌をまんべんなくまぶす。
ニ昼夜ほど室温で(新聞紙等でくるんで)放置して増殖させると、種麹の出来上がり。
(米でない麦でも良いが、味噌の味に深みが増すそうだ)

2、種麹が完成する前日に麦を一晩浸漬した後、蒸す(炊くのではない。およそ30分)
麦を4、5cm厚に延ばし広げ、種麹を混ぜる。(全ての種麹を混ぜないで、残しておく)
天候により加減しながら二昼夜ほど寝かせる。(米麹から麦に菌が広がるようにとり付くと、白く花が咲いたようになり、甘く香り始める)

3、種麹を麦に混ぜた翌日に、大豆を一晩浸漬したのち、炊き上げる(蒸すのではない。とろ火でおよそ5、6時間以上もかける)
冷めた後に、ミンチ状に潰す。(ミートチョッパーが無ければミキサーで可だが、潰しすぎない)

4、ミンチ状の大豆を塩を加えながら麦と混ぜる。この時に、残しておいた種麹も加える。
(焼酎をごく少量ふりかけるが、カビにくくするためだそうな)
焼酎で清拭したポリ容器に、少し圧を加えながら常温にて保存する。3ヶ月程度で食べられるが、3日後にでも試食可能。

※これはあくまで母のやり方で、この他にいくつもやり方があるらしい。

 

2005年9月17日(SAT) 密造やります
 材料=裸麦:7升、 米:1升5合、 大豆:1升、 伯方の塩:2kg、 麹菌:小匙1杯。
 これだけの材料で密造酒ができるなら造作も無いが、残念ながらこれは味噌醸造の材料なのだ。

「醸造?」と不思議に思う向きもあろうが、味噌というのは、酒や納豆、チーズやヨーグルト、キムチや鮒すしと同じように発酵食品なのである。僕はこういった発酵食品が大好きなので、この春にも「くさや」を食べるために東京まで足を延ばした次第である。しかしどうもくさやというのは、発酵と腐敗のボーダーライン上にある食品らしいのだ。専門的なことは知らないけど、腐敗と発酵は同じ乳酸菌でも、有酸素呼吸なのか、無酸素呼吸をするのかの違いらしく、「くさや」はこの中間に位置するのだという。
 
 実はいま僕は、味噌造りのスペシャリストである母に俄弟子入りして、似非醸造家に成りすましているのだが、味噌造りはそれほど複雑な工程は必要ないので、何とか自分でも造れそうだ。仮に失敗して不味くて食べられない代物が出来上がったとしても、それが原因で命取りになることは無いと思う。

 米穀法に敢然と挑んで、自らを逮捕するよう当局に申し立てた、かの有名な富山県の米屋さんを御存知だろうか。彼が次に挑んだのは酒税法であったが、僕はかの醸造家があからさまに密造した「どぶろく」を飲んだことがある。
 その「どぶろく」の処女作はあんまり美味しくなかったが、次年度のものは相当おいしく出来上がっていて、3年目を楽しみにしていたら、業を煮やした国税当局が差し押さえに出て、怒り心頭に発した彼は全てのどぶろくを地面にぶちまけたのだそうだ。

「どぶろく」は決して美味しいものではない。自力で醸しあげたという自己満足には比類ないものがあるだろうし、素朴な味わいにも魅力はある。だが猿が噛んだ穀物が発酵した、「猿酒」に端を発すると云われる、日本酒二千年の歴史に抗いうるほどのものではない。
 僕の最終目標はこのどぶろく造りなのだが、その前のステップとして味噌醸造にチャレンジするのだけど、この味噌は市販のものに勝るとも劣らない味わいがあるので、それなりのやりがいは確かにある。

 

2005年9月16日(FRI) ダイヤルアップに閑居してます
 パソコンを背にお遍路さんしていた頃、日記は公衆電話に接続して更新していたけど、公衆電話のない宿もたくさんあったから、そんな場合は仕方なく携帯で接続していた。だからNET繋ぎ放題のホテルに泊まれると、ここぞとばかりに写真をアップしたものだ。
 ゆっくり歩いて結願したときは45日も経過していて、その間に公衆電話や旅館の電話にかけた通信費用は、たぶん1万円くらい。携帯も同じくらいの費用だったと思う。
 
 写真を縮小もせずにそのままアップしていたのだから時間がかかって当たり前だった。接続したままメールや掲示板に返信していたのだから、費用もかさんで当然だった。よくぞあんな馬鹿をやっていたものだ、と今思い出しても我ながらあきれ返る。
 当時のYahooのアクセスポイントは四国4県で7箇所しかなくて、同じ県内でもとても長距離通話になって、こりゃ携帯を使った方が安上がりなんじゃないか、と思えるときもあった。

 僕はいま現在ダイヤルアップの環境に逼塞しているので、日記の更新もし辛いのだが、なんといってもPCが途中でフリーズするトラブルに悩まされている。
 役立たずのWindowsファイヤーウォールを有効にしておいても、普段のADSL環境ではどうってことないが、ダイヤルアップでWEBに接続したら具合が悪くなるのかと思って、無効にしてみたが変化無し。やっぱりまだ何かが通信の障害をして、タイムアウトするまで動かなくなる。

 Yahooの回線に問題があるのかとも思うが、そろそろ通信速度の速いFOMAに替えたい。しかしそうすると今度はカバーしているエリアが急激に狭くなる。このまま不平をかこちつつ実績のある旧世代を使い続けるか、それとも将来を見込んでというか、プッツンしてFOMAに替えるか、それが問題だ。

 

2005年9月15日(THU) 母の格言
「秋茄子は嫁に食わすな、ってことわざがあるけど いや〜、ええ言葉やねえ。夏の水茄子も美味いけど、秋茄子もたまらんねえ。昔の姑が嫁をいびりる気持ちがわかるよ」
 料理のことは良く分からないけど、確かに今時分のナスは美味しい。何を買っても不味い○○百貨店の惣菜を食べたって美味しいと思うくらいだ。しかしこれは知人の言うように、秋茄子を嫁に食わさないというのは、嫁いびりを生きがいにする姑を形容した言葉ではないように思う。

「ちょっと待ってよ、その言葉は嫁いびりじゃなくて、『茄子は体を冷やすから、嫡子を産む大事な嫁に食べさせてはいけない』っていう訓戒でしょう?」
 僕には確かにそう母から教わった記憶がある。
「馬鹿なこと言っちゃいかんよ。これは嫁いびりマニュアルの一つじゃないか」
 知人は頑として譲らない。

 僕の母は、アンソロジーというのか、語録というのか、警句というものが大好きな人だ。
「雨ふって地固まる、言わぬが花、上には上がある、縁の下の力持ち、鬼に金棒」等等。今でも母の教えを、ア行から順に思い出せるほどだ。
 こんな風に事ある毎に格言をもって子に教えを説いた母ではあったが、自分自身はかなり融通の利く人間だから、その場しのぎのようなことも相当言ったと思う。その言葉を憶えた僕が、よそで使って恥をかいたのも一度や二度ではない。だから「秋茄子は……」も自信をもって主張できないのが悔しい。

「シジミの酒蒸が美味しい店を見つけました。是非お試しあれ」
(シジミっていうのは、あの味噌汁とかに入っている出汁になるやつだろう? 好きだけど酒蒸には向かんと思う。『チジミ』の打ち間違いじゃないんだろうか)
 ご近所の方からメールを頂いたが、僕はアサリの酒蒸の間違いじゃないかと思った。だが教えられた店に入って、出てきたシジミの酒蒸を見て驚愕した。デカイ! アサリよりもでかいのである。
「マスター、こんなシジミは初めて見たよ」
「北海道はサロマ湖のシジミでございます」
 サロマ湖という名前は知っていても、宍道湖と同じく汽水湖で、シジミがとれるとは知らない僕たちだった。
「種芋を売ってでも、シジミを買えっていうことわざがありますよね……」
 興奮した僕は思わず叫んだが、誰も聞いていなかったのは、「不幸中の幸い」だと思った。


2005年9月14日(WED) 発覚しない浮気は無い
 (つづき)
 浮気がばれた事例
 その1:彼の運転する車に乗って信号待ちで停まったら、隣に偶然旦那の運転する車が停まり、目が合ってしまった。
(偶然ではなく、天罰だとは思わないのかね?)
 その2:彼が帰った後、トイレの便座を上げて小用を足してあったのを旦那が見つけて、「なんで女のお前が、便座を上げて用を足すネン」と追求された。
(ちゃんとトイレの水を流す男と付き合えよってゆーか、自分の家で浮気すんな!)
その3:財布の中に彼への愛の詩を書いて入れておいたら、旦那が酒屋の集金人に私の財布からお金を出したときにその詩が見つかった。
(詩は時として死を招くこともあるんですね)

 浮気を突き止めた事例
 その1:旦那の携帯に送られるメールを、奥さんの携帯に転送する設定にしておいたら、次から次へ女から愛のメッセージが。
(そんな手もあるんだ!)
 その2:旦那の車を隅から隅まで掃除しておいたら、助手席の位置がずれていて、床に砂が落ちていたので、あらかじめ用意しておいた長い髪の毛を見せてカマをかけてみたらすんなり白状した。
(手が込んでますね。しかし旦那さんも無防備すぎるぞ)
 その3:GPS付きの携帯で、残業と偽る夫の居所を特定して、女と飲んでいる現場に踏み込んだ。
(こりゃすごい! ハイテクを駆使して浮気を暴く時代なのか)

 世の男たちは、「光源氏が毎日違う女性の家に通ったように、通い婚が当たり前だった貴族社会がもう一度やってこないものか」と念願するのだろうが、日本に住んでいたらそれはもう無理だろう。
 アラブのどこかの国では10人くらいの女性と結婚できると聞いて、うらやましいと思うかもしれないが、それぞれの奥さんたちの嫉妬苦しみは尋常でないのだと聞く。

「ねえねえ、おばちゃんとこの犬は白いのに、どうして黒や茶色の仔犬が生まれたの?」
 子供の頃に僕が白い雌犬を飼っているおばちゃんに聞いたことがある。
「犬っていうんはね、一旦雑種の子供を生むと、二度と純血種は生まれないの。雑種の種がいつまでも残っているからよ」
 ふ〜んそうなんだと思ったが、心のどこかで、「これはなんか変だ、どこか間違っている気がする」と思わないわけではなかった。
 恥を明かさねばならぬが、メンデルの法則やダーウィンの進化論を学んだ甲斐もなく、僕はつい最近まであのおばちゃんの言葉を半ば信じていたのだ。

「ちょっと油断したすきに後ろから乗りかかられてしまって妊娠してしまったんです」
 最近の奥様方は道端でこんなすごい会話をするんかいな! と驚いたのだが、散歩に連れて歩いている犬のことだった。
 犬に詳しい方によると、メス犬はより強い子孫を残すために、次から次へとオス犬を選ぶ習性があるという。つまり後ろからオス犬に襲われたのではなくて、メス犬が受け入れたのだ。

「オレが浮気したいんじゃないネン、これは種族保存の法則なんや。つまりオレのDNA(デオキシリボ核酸)がそう命令するんやから仕方ないやろ」
「なるほど、そうだったのか!」
 究極の言い訳というか、開き直りに近い知人の弁明を聞いて、長く不思議に思っていたあのおばちゃんの言葉が、目から鱗が落ちるように理解できたのだった。

 人間の男でも女でも、最近は自然の法則に従って、DNAの言うことをよく聞いて種の保存に邁進しているのは良いことだ。もちろん人間が増えすぎて自らの生存を脅かしている危惧も多いにあるが、それすらも自然の法則であるなら仕方あるまい。
 ただ僕は、浮気が発覚した彼女、彼らのその後がどうなったのか知りたい。亭主、嫁に浮気を認めさせたという達成感は確かにあるだろうが、それで二人の行く末はどうなるのだろうか、幸せになれるのだろうか。
「知らないことが幸せなこと」という言葉の意味を納得できるようになった今日この頃である。

 

2005年9月13日(TUE) 浮気のバレルとき
「奥様、頑張って新美南吉賞に応募する作品を書いてくださいね。私も頑張ってますから」
 童話教室のお仲間の奥様方にメールで激励してあげたくはあっても、あらぬ誤解の元凶になっては具合が悪かろうと思うので、ひかえている。
 火の無いところに煙は立たぬというが、もし仮に僕のようなヤキモチ妬きの男が奥様方の旦那だったら、「おい、このメールはなんやネン」というように、ひと悶着始まるに違いないのだ。
 
「携帯を持ち始めてから浮気がやり易くなって、ホント便利な世の中になったとつくづく思うねん」
 いくつになっても浮気癖の抜けないどころか、ますます盛んになる知人は言うが、肝心なところを忘れているんじゃないかと思う。
「それはええけど、あんたの奥さんも同じように思ってるかも知れへんやんか。それはそれで許せるってことかいな?」
「い〜やいや、うちのやつは男が声をかけて来るようなタイプの女やないねん。そんなことがあった日にゃ、赤飯でも炊いて祝いたいくらいや」
 浮気の達人を自認する彼は、浮気のできないタイプの女を選んだ、と豪語するのだが、浮気をしないない女を選んだのではないらしいのだ。

 おれの浮気は寛大に見ろ、しかしお前の浮気は決して許さん。というのなら、据え膳食わぬは男の恥、といった男尊女卑の時代に逆戻りした印象を受ける。
 夫婦のことに他人が口を挟むことも、他人の性生活を覗き見るようで僕は気が進まないので深く追求しないが、主婦の80パーセント以上は、チャンスがあれば浮気をしたいと思っている、という調査もあるのだそうだ。
「はあ? 今頃なに言うてんの」と言いいたくなるようなテレビ番組だったが、僕が真剣になって聞いたのはその後の話だった。

(つづく)

 

2005年9月12日(MON) 有権者が持つべき駆除ソフト
 自作のデスクトップパソコンを真夏に酷使してダウンされたことがあるので、今年の夏はノートパソコンばかり使っている。自分が作ったものを信用できないんじゃなくて、冷却ファンの音がやかましい上に、あいつを動かすと暑苦しい気がするからだ。

 ノートパソコンの処理速度に難があるのは仕方ない、と我慢しながら使うのだが、このところ変にスピードがダウンして外部に通信しようとする。
 ひょっとして、やられてるんじゃなかろうか、と心配になったので、トレンドマイクロのウィルス検索、駆除サービスの「housecall」にかけてみたら、ウィルスには感染してないものの、スパイウェアが5つも入ってやがった。別のソフトを動かして調べたら、アドウェアも同じく5つ潜り込んでいる。

 NETを快適にやろうと思えば、これらの脅威に曝されることはある程度覚悟しないといけない。それは分っていて対策は立てているのだが、ちょっと油断するとすぐに新種が現れるので、「泥縄」状態になっているのが現状だ。

「ちょっと待てよ、なんでPCにインストールしている「ウィルスセキュリティ」を使って駆除しないんだ?」と疑問に思われる方もおられるだろうが、実をいうと僕はあれをあんまり信頼する気になれない。ウィルスパターンファイルのアップデートが遅いし、誤動作している感じがある。同じようにノートンの「NIS」にも厄介なところがあって、更新の早いトレンドの無償サービスを使っている次第だ。

 前置きが異常に長くなってしまったが、昨日の選挙結果には驚いた。ある程度の予測はされていたがまさかあんなに自民が圧勝するなんて驚きだ。
 僕の選挙区は、清美や宗男、百合子やホリエモンみたいに目玉の無いところなので面白くないなと思っていたら、あいつが落選してやがるじゃないか。これは結構な驚きだった。(比例で当選)

 小泉さんが泉ヶ丘駅前に来たというので、8日は大変な騒動になり、付近の道路が大渋滞したらしい。僕は好きじゃないが、小泉さんは歴代の首相の中では最も仕事をしている印象を受ける人だ。例えば、森総理や、宇野総理が短命だったのはそれなりの人物だからだったし、橋本総理や宮沢総理だって順番でなっただけだ。
 中曽根総理は、アメリカ大統領を「ロン」と呼び、自分を「ヤス」と呼ばせるという前代未聞の素晴らしい仕事を成し遂げたのだから評価できるが、当時は寛容な時代だったから長続きしたに過ぎないようにも思える。

 それにしてもムカつく連中がどんどん復活当選しやがってまあ! おまえら改革とは関係無いだろうがっていうか、おまえらを駆除すんのが改革だろうが、と言いたくなる。まるでパソコンに巣食っているアドウェアやスパイウェアみたいに鬱陶しい。政治屋を駆除するソフトを、われわれ有権者はインストールすべきなのだ。

 

2005年9月11日(SUN) 嫁(い)けるときに嫁っとけ!
「選り好みしてる余裕が無くなってきたんで、お先に結婚しま〜す」
 いまだに引き取り手の無い僕に、当てこすりのような電話をかけてきたのは、三十路を少し回った姪だった。
 デパートのインフォーメーションが勤まるなら、器量も愛嬌も人並みなんだろうから、じっくり構えていても大丈夫かと思うが、大台に乗ったのを境に急に不安を覚え始めるのが女性心理であるらしい。

「そうかい、それはおめでとう。海賊の繁栄に寄与すべく、精出して繁殖にいそしんでくれたまえ」
 当てこすりの報告に対して嫌がらせの祝辞を贈ってやったが、あいつに先を越されたのはさすがに少しばかり、いや圧倒的に寂しい。

「結婚は人生の墓場である」
 バーナード・ショウかアンブローズ・ビアスか、誰が言ったか知らないし、本質をついているのかどうかも分らない、未婚の僕には嫌味にしか聞こえない言葉で、決して慰めにはなりそうにない。だが仮に結婚が墓場であったとしても、一度はこの世の地獄を経験してみたくなっても罰は当るまい。

 地獄の結婚生活を体験した知人がいて、話を聞いていると、結婚なんて迂闊に踏み切るもんじゃないな、と思い知らされてしまうが、生き地獄から離婚して生還した彼は、しかし子供という釣果を得て今は父子家庭でつつがなく暮らしているらしい。
 その彼がわが子について語るとき、親バカ」な話は全く無くて、今まで聞いたことのないような実に面白い話ばかりだ。

「ある日のことや。『大きくなったら、何になりたいの?』って子供にきいたら、『大きくなったら、怪獣になりたい』って言うねん。何のことかなって思ぅてんけど、『怪獣になって、母さんにたたかれへんように、父さんを守ってあげるの』って言うやんか。俺、泣いた!」
 僕が、子供がほしいって思うのは、こういう瞬間だ。

 

2005年9月10日(SAT) さあ、童話強化月間だ
 童話公募の締め切り日だったので、例によって本日の消印ぎりぎりまで粘って校正を重ねていたけど、あちらをいじればこちらがたたず、といった迷宮状態に陥ったので、切りの良いところで目をつむって投函した。

 バイオリンのことばかり考えていて、9月は公募が目白押しだったのをすっかり忘れて、童話教室の皆さんに叱咤されて思い出すというていたらく。だが本日の分はたったの5枚で、しかも他の公募のために既に書き上げていたものをキャンセルしてこちらにまわしたものだ。
 本来の公募に応募しなかったのは、教室にとても優れた作品が提出されて、「これにゃあ到底かなわん」と、思い知らされたので、敵前逃亡を図ったという顛末なのだ。たぶんあの方の作品は何らかの賞を授かるんじゃないかと思う。

「さて次回の公募はと……、ありゃ〜! 5日後じゃないか」というわけでえらいことになった。新美南吉といえば、あの名作『ごんぎつね』の作者。その名を冠した賞とくれば、相当な権威がありそうな上に、賞金50万円。なんだかとても敷居が高そう。
 書く前から名前に負けた挙句、バイオリンも弾かねばならないので実質は3日しかない。頭の中には完成しているのに、いざ書くとなると筆が進まない。しかたない、今日のところは酒でも飲んで寝るとするか。

 

2005年9月9日(FRI) 朽ちてこそ香れかし
 「かほりマツタケあじシメジ、かほりマツタケあじシメジ、かほりマツタケ……」
 毎年今頃になるとこの言葉が頭の中をぐるぐる回りながら、マツタケの香りを思い出させるが、それは本物のシメジの味を知らない僕のひがみ根性がそうさせるのだ。
「マツタケなんてぜ〜んぜん美味しいもんじゃないだろう。子どもの頃に散々食べて嫌になったよ、あはは」
 見栄張って人にはそういうのだけど、キノコ大好きの僕としてはどちらも垂涎の的なのである。

 バイオテクノロジーが急激に進歩したおかげで、困難といわれてきた『風蘭』も人口栽培が可能になったと知って驚いたし、鰻の研究もかなり進んだと聞く。味が身上のシメジもすでに人口栽培に成功して高級料亭に供給されているのだそうだ。だから遠からず香りのマツタケだって年中食卓に上る日が来るに違いないのだろう。だがいくらイヤシンボの僕ではあっても、これが本当に歓迎すべきことなんだろうかと思う。

 知り合いのご夫人がミニコミ誌に取材された。もともと上品で美人である上に、若々しく写った写真がでっかく掲載されたとあって、ご本人はいたって上機嫌だったのだが、「見ましたメール」がたんと来て、対応に追われているらしい。
 世の中にムカつくことの一つも無いんだろうか、と思えるような朗らかなお嬢さん育ちの奥さまなので能天気に笑ってらっしゃるけど、この物騒な世の中で娘さんまで実名で写真が公開されて大丈夫なんだろうかと心配になってしまう。

 もし僕が新聞かなんかに出るようなことがあったなら、「ヨン様の顔にすげ替えておいてください」と懇願するだろう。自分の容貌に自信が無い上に出たがりでないのもあるが、スーパーで半額のチーズと赤ワインばかり買って、レジのおばちゃんに突っ込まれただけでタジタジしているようでは、恥ずかしくて外を歩けなくなりそうだからだ。

 同じキノコでも、どこに入っているのか分らないような、エノキみたいな(歯にはさまるだけの存在の)僕であってもまあいいかと、もう少したったら思えるようになるんだろうか。
「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」という言葉があるが、持って生まれた資質には抗えそうもない。
 そりゃあ、シメジやマツタケにあこがれる自分を否定はしないけど、「蘭奢待(らんじゃたい)つまり沈香」みたいに、「朽ちてからこそ芳香するものだってあるじゃないか」と、声を大にして言いたいのだ。

 

2005年9月8日(THU) 気は病で知るもの?
 バイオリン教室の前から始まった耳鳴りが、童話教室のある今朝まで続いていたので、これはもう肉体的疾患とは考えにくいし、童話教室が終わったとたんに耳鳴りがしていたことさえ忘れているのだ。
「それは童話教室のせいじゃなくて、バイオリン教室が原因では?」
 なるほど、童話教室のお師匠さまのおっしゃることも一理ある。第一回目のバイオリンの日から始まったので、おおいに関係があってもおかしくはない。ピアノとバイオリンを両方練習しないといけないので、童話を書くのをサボってしまったほどだ。

「HALさん、あんまりバイオリンの先生をいぢめちゃ駄目ですよ!」
 童話教室のお師匠さまにたしなめられてしまったが、いぢめているつもりは決して無い。いやそれどころか遊んであげてるつもりなのだけど、ひょっとしてバイオリンのお師匠ちゃまもプレッシャー感じてるのだろうか。そういえば帰り際に、「そうですよね、わたし先生なんですものね」と、ポツリとつぶやいていたのが気にかかる。

 

2005年9月7日(WED) 若い娘を師に持つ密かな気苦労
 今日のお師匠ちゃまは、やけに丁寧っていうか細かいことをおっしゃるなあ、と思いつつ、『冬ソナ』のレッスンが終わった。
「じゃ、次はどんな曲を弾きたいですか」
 バイオリンの師が僕に訊くので、またもやショパンのピアノ曲を取り出して見せた。
「え〜、またピアノ曲ですか……」
「そんな嫌な顔をしなくても……。このまま弾くのは芸が無ければ、ピアノとバイオリン用に編曲してくれたらいいじゃないですか。なんでしたらカデンツァを作曲して下さってもいいですし」
 お師匠ちゃま強化プログラムに従って事を運ぼうともくろんではみたが、かたくなに抵抗されてはお手上げなので、彼女自身がやりたい曲を訊いてみた。
「わたしブルッフのコンチェルトなんか好きなんですよ」
「あ、あれいいですよね、バイオリンの試し弾きにうってつけの曲ですし。だけどもうちょっとリハビリが進まないと、今の私には難しそうです」

 あれこれ話し合って、結局バッハの曲に落ち着いた。バイオリンの曲ではないので、彼女はほとんど知らないだろうから、それなりに苦労するに違いないと思うが、二人で合奏できるところがいい。
「この曲は通奏低音を弾いてくれる人がいたら最高なんですけどね」
 バイオリン二つ、もしくはバイオリンとフルート。場合によってはピアノとバイオリン、ピアノとフルートで演奏できるように、バッハのアリアをスコアから切ったり貼ったりして、通奏低音のメロディーラインだけ残しておいた曲だ。
「あ、そうそう、チェンバリストって、これだけの旋律があったら、即興で演奏してしまうんですってね。Seikoちゃんがそう言ってました」
「せいこちゃん? ですか」
「そう、『大バッハ命』ってタトゥー入れてるチェンバリスト」
「うわ〜、すごっ! ってどこに入れてるんですか?」
「ここですよ、ここっ」
「胸? ですかぁ、まあそれはそれは!」
「違いますよ、あたま、頭の中にっ」
「あ? 頭にぃ、この辺ですか、な〜んと!」
「なわけないでしょうが、ハートですよ、キ・モ・チ。それくらいの意気込みって意味ですよ」
「そんなにムキにならなくっても分ってますって。そのチェンバリストと友達なんですか?」
「つーか、まぁそういったアレかな。会ったことないんですけどネ」

 なんだかんだと、はずんでいるのか、かみ合っていないのか良く分からない会話が続き、ふと気が付くとタイムオーバーになっていて、外で次の生徒さんが待っている。
「せ、先生えらいこっちゃ、今日はノクターンを合わせてみる日ではありませんか!」
「あら! そうでしたね。でも次の生徒さんが……」
「そんなこと言っている場合ではありません、数小節でも合わせておかないと」
 次の生徒さんが半ば寝ているのをいいことに、30秒ほど合わせみたけど、インテンポでやれば何とかなりそうだ。(演奏の難しい部分にまでは至らなかった)
 それにしても意図して引き延ばされたような気がしないでもないな。どうもレッスンが始まった次点で変だなとは気が付いたが、まんまと出し抜かれてしまったかも知れない。
 やい、お師匠ちゃま、若いのになかなかやってくれるじゃないか。だがこの次は、そうは問屋が卸さんぞ!

 

2005年9月6日(TUE) 敵に塩を贈る振りしてそそのかす
 ゴルフの招待を頂く季節になったので、数ヶ月ぶりに練習に行ってみたら、翌日にはとんでもない筋肉痛に見舞われた。スポーツクラブでウェイトトレーニングに励んでいるのだから、まさかあれほどひどく痛むなんて思いもしなかった。たぶん体全体の筋肉は強くなっているはずから、主にゴルフだけで酷使する筋肉とのバランスが崩れた結果がこれだろう。

 ゴルフの道具というのは、髭剃りと同じで毎年新モデルが発売されて、同時にそれを裏付けるための新理論も発表される。ヒドイのになると、「表面の塗装膜による反発ロスがあることが分りましたので、塗装をしないで鏡面仕上げとしました」とメーカーさんがおっしゃる。
 もしそれが本当なら、あのメーカーは今の今まで何を研究していたんだろうと思う。使い込んで塗装がはげたら良く飛ぶようになったなんて話は聞いたことが無いし、そのクラブヘッドに塗装を施して飛距離が落ちなかったら、メーカーは消費者に大嘘をついていることになるのだが、果たして、そのメーカーが翌年に発表したモデルのクラブヘッドには、ガンメタリックの美しい塗装が施されてあった。
 だが僕はあのメーカを責める気持ちにはなれない。なぜならそのメーカーはあれから数年後の今年、300億円以上の負債を抱えて民事再生法を申請したからだ。

 アメリカで活躍しているプロゴルファーの丸山選手が、『スピードスティック』というスイングの練習器具を使っているのだそうだが、なんのことはない、彼がCMやっている商品じゃないか。ただの杖みたいな物で、振ると音がしてヘッドスピードが測定できるらしいが、あれは悪くないと思う。飛距離では僕の後塵を拝して悔しい思いをしているだろうゴルフ仲間にプレゼントしてあげたくなるほどの優れものだ。
 何がすごいと言っても、「左右のスイングが同じスピードとバランスになるように、毎日練習して下さい」と言っているところだ。そりゃ毎日やってりゃ誰だって飛距離は延びるに違いないだろうから、その意味ではあのメーカーに言うことに嘘偽りは無い。だが値段が高すぎる。   19800円なんてどこからひねり出した金額だろうか、いいとこ1980円位にしか思えない商品なのだが、『ブルーワーカー』にあこがれて、ついに買ってしまった少年時代のように、ちょっと、いやかなり欲しい。

※たいていの公園には、「ゴルフ練習禁止」と立て札があるが、あの棒だったら玉を打たないことは明白だし、バットの素振りと一緒だからあまり恥ずかしくはないかも。ゴルフ敵の誰か買わないかなぁ!

 

2005年9月5日(MON) 恋の実らせ方、教えます
「初恋のときめき」をテーマに童話(児童向け読み物)を書いているのだが、フーテンの寅さんみたいに、ことごとく結実しなかった、花火のように"はかない"恋しか知らないない僕としては、とても書きづらいものがあったりする。
 てなわけで冒頭だけ書いてはみたものの続きが書けなくなってしまったので、仕方なく2枚だけ教室に提出しておいた。
 前回の童話教室のときに、遊びに来た5年生と中1の女の子にその作品を読んでもらって感想を聞いたら、「おもしろそうだから、続きを読んでみたい」と、子供に似合わぬ社交辞令を聞かせてくれたので、ちょっとだけモチベーションが高まった。

「○○ちゃんの初恋はいつだったの?」
 5年生の子に訊いたら、「幼稚園の頃だったから、相手も良く憶えていない」と答えてくれたが、そういったのも初恋の内に入れてよいものだろうか。もしそうなら僕の初恋は雌ネコということになって、はなはだ他人に聞かせにくい話になってしまう恐れもある。
 では人間の異性というフィルターを1枚かませてみたら、「保育園の先生」ということになったのでひとまずは安心だが、「それだったら自分のお母ちゃんのことはどうなんだ?」という意見を無視することはできない。
 
「初恋」をなんと定義するかは、立派な方の本でも読んで勉強せにゃならんのだが、とりあえず、「恋と愛は同じものだ」と勘違いして、よその異性を意識した瞬間、と定義してみたら、僕の場合は小学3年生くらいとなって、まあ普通だろう。
 しかし、「性欲と愛を同じものだ」と思い込んでいた頃の中学生というなら、その頃の初恋の相手は、初めて意識した異性とは全く別のタイプの女の子だったと思う。
 そして、「愛と性は別のものだ」と理解できるようになった今、残念ながらまだ初恋をしていない。

※「あ〜、寅さんみたいに毎年毎年恋をしたいよ」って、良く考えたら、僕って実らない恋ばっかりしてきた寅さんそのまんまじゃないか。恋は理性で定義したって、決して成就はしないんだよな!

 

2005年9月4日(SUN) 巨人軍は顔だけ替えりゃ良いってもんじゃないだろう
「星野巨人軍が誕生するんだろうか?」
 すでに優勝争いの蚊帳の外に置かれた感のある巨人ファンの間では、今シーズンのペナントの行方よりもずっと興味深い話題であるらしい。
 星野さんは巨人の監督に就任したらいいと思う。彼が監督要請を受諾する場合は恐らく、「あなたの言うことは一切聞きませんよ」と、返り咲いた渡辺球団社長に全権委任を要求するだろうからだ。

 僕は今年の日本プロ野球の試合中継を、ただの一試合も最初から最後まで観たことが無い。ひいきの近鉄球団が消滅したこともあるけど、去年のごたごた劇にすっかり嫌気が差して、阪神の試合でさえ観る気がしなくなった。
 その点、大リーグは面白い。なんといっても日本人のエリート選手がメジャーのオールスターにも出て活躍するんだからたまらない。ホワイトソックスの井口選手なんて、顔を見ても国際的というより国籍不明な感じがして、彼の活躍する試合をテレビ手観ていると、「日本人もようやく世界に通用するようになったんだな」と、感無量になる。

「男の顔は履歴書、而して女の顔は領収書」
 だれが言ったか知らないが、上手いことを言うもんだ。男はどれだけの仕事を成して来たか、相応の知性や社会的な地位が顔に出るものだ、ということであり、女はどれだけ男に貢がせて来たかが相に現れる、という意味なんだろう。
 もちろん、人を顔で判断してはいけないと僕らは先人に教えられてきたし、実際のところ、人は見かけによらぬものだということを、身を持って実感していなければいけない年頃のはずなんだけど、これがなかなか難しいんだよな。

 

2005年9月3日(SAT) スピードラーニングって、スピード借金グだろうが!
 英会話の教材に『スピードラーニング』というのがあるらしい。なんでも、1日5分だけテープを聴いているだけで英語がペラペラになるんだそうな。体験者の話を聞くと、「いや〜、人生が変わりましたね」といった風に、奇跡でも起きるかのようなコマーシャル振りだ。
 阿保か! と言いたい。1日5分聴いているだけで他国語がじゃべれるようになれるというのだったら、なんでフランソワーズ・モレシャンさんの日本語はあんなに下手なんだ? なんでジーコ監督はいまだに日本語をしゃべらないんだ?

 だが、あのコマーシャルも決して嘘ばかりではない。人生が変わってしまうというコピーには諸手を挙げて賛成だ。
 もう随分前のことだが、お人良しの僕の兄貴もどこぞのセールスレディにおだて上げられて、英会話教材を買ったまでは良かったが、一向に英会話が身に付かないばかりか、気が付いたら数十万円という教材費の返済に追われて、すっかり人生が変わってしまったからだ。

 英会話と聞くといつも不思議に思うことがある。宇宙飛行士の向井千秋さんは、何年間NASAで訓練を積んだか知らないが、あの英語の発音で良く他の飛行士とのコミニュケーションが取れるもんだ。
 も一つは、日本で生まれて、幼くしてアメリカに渡った大阪生まれの五嶋みどリの日本語がかなり怪しくなっているのに、アメリカ生まれのアメリカ育ちの弟の五嶋龍の方が、バイオリンは別として、日本語に関しては上手いように思えるのも不思議だ。いずれにしても彼のお母さんの五嶋節さんもお父さんの金城摩承(きんじょうまこと)さんも相当教育上手なんだろうと想像できる。
 
『五嶋龍のオデッセイ』というテレビ番組を観た。バイオリンの腕前に関して、姉のみどリより可能性を秘めているのかどうかなんて、僕程度のバイオリンの腕前ではなんとも言えるものではないが、彼は実に可愛い。姉には無い明るさとサービス精神を具えているエンターテイナーだ。
 若干30歳にしてマエストロの趣のある"みどリ"を超えるのはたやすくないだろうが、僕は彼の成長が楽しみでたまらない。

童話のお師匠さまが出版の打ち合わせ中に、バイオリン演奏を聴ける場所を探して下さった。近々行ってみようと思うけど、一人で行くのはなんだか間が抜けているような場所かもしれない。

 

2005年9月2日(FRI) 死者をも殺すハリケーン
シックスフィートアンダー』というドラマがアメリカで人気なのだそうだ。6フィート下というのは、棺を埋葬するときの平均的な深さ、地下182cmのことだそうだが、今回のハリケーンで消滅してしまったニューオリンズの辺りでは、雨が多いため逆に地上に"埋葬"するらしい。
 カトリーナが立てた爪痕をアメリカのテレビ放送を見ていると、「目の前を死体が流れていったんだ」といった惨状が続々と報告されていて、この先犠牲者がどれだけの数になるのか想像もつかない僕だが、ひょっとしたら墓が壊れて防腐処理を施した死体も流れ出しているんじゃなかろうか。
 一度は安らかに眠った筈なのに、またこの世に引っ張り出されて肉体を毀損されるなんて、もし空に昇った魂がそんな目に遭う光景を目の当たりにしたら、きっとやりきれんだろうなと思う。それは遺族だって同じ気持ちに違いない。

 思っていた通り、この未曾有の惨事は、天災に加えて人災の側面があらわになりつつあるようだ。堤防が決壊するのだってかねてより警告されていたし、補強に必要な予算はカットされて、イラク復興に回されたのだというじゃないか。
 ニューオリンズの人口は約50万人弱らしいから、ほぼ松山市民と同じくらいの方がたが被害を被ったことになりそうだ。そんな町が一夜で消えてしまったのだから、人類史上では、ソドムとゴモラ、アトランティス、ポンペイ、等と並ぶノアの方舟クラスの歴史的大惨劇であることは間違いなかろう。
 解せないのは、テレビのリポーターが大勢被災地に入っているのに、どうして軍がそれに遅れを取っているのだろう。町を破壊して殺戮するために訓練されているので、人命救助は苦手なのだというのは分るが、他国を偵察するために打ち上げている衛星は、自国の救援には機能しないのだろうか。

 世界中の国がアメリカに復興援助を申し出ているようだが、アメリカが大嫌いなイランや北朝鮮が援助を申し出たらブッシュ大統領はどう対応するんだろうか。「アメリカ社会は寛容であるべきだ」とメディアが叫んでいるから、きっと受け入れるんだろうとは思うが、荒唐無稽の話、テロ組織のアルカイダが援助を申し出てきたら……?
 インドネシアが、津波を機にテロ組織と和解したように、アメリカもそろそろ考え方を変えたらどうかと思う。やろうと思えば出来ないことじゃない。まるで領土を拡大するかのように名ばかりの同盟国を増やし、そこを搾取しようと考えるから出来ないだけだ。

※たぶん、それでも彼らはテロとの和解なんか考えないかもしれない。それはアメリカ建国の歴史を思い出してみても分る。戦うことこそが彼らのアイデンティティーであるからだ。アメリカ人は頑張る国民、戦う国民なのである。敵と和解するなんて、土葬を火葬に変えるのと同じくらい難しいことだろう……。あ! それなら意外と簡単なことかも?

 

2005年9月1日(THU) 新しきをたずねて、古きを知る。これ温新故知?
 去年あれほど日本中を感動の渦に巻き込んだ『冬ソナ』の人気にも衰えが見え始めたらしい。ドラマが終わったんだから当たり前だが、テレビの前でハンカチを握り締め、おば様たちがあれほど涙したというのに一体どうしてだ。それだけならまだしも、今はすでにヨン様ではなく、○様の時代なのだそうだ。
 冬ソナ人気にあやかって、バイオリンでテーマ曲を演奏したら受けるだろうともくろんで練習しているのに、とんでもない誤算じゃないか。

 日本人は飽きっぽいといわれているけど、まったくその通りだなと実感するのだが、本当に日本人が飽きっぽいのなら、なんで未だに、タモリ、さんま、みのもんた、といった大御所が毎日テレビに出ているんだ。それとも日本のエンターテイナー業界の層が薄く、そんなに人材に困っているのだろうか。

 ヨーロッパで良くあるように、数百年も前の家にそのまま住み続けて、往時のままの街並を観光地として保存している国もあったりする。石や煉瓦で作られた家が、木造住宅より長持ちするからだと云うけど、日本のお寺はもっと長く使われているじゃないか。だから必ずしも、日本人は新しい物好きだ、というのは当っていないかもしれない。

 新しい物好きで飽きっぽいといわれる日本人の国民性を否定はしないが、一方では古き良き物を残そうと考える人たちも多くいるのだろう。毎日同じ芸人を見て飽きないのは、彼らが優れた芸を持っているからであり、見る側も決して自分が否定されることはない、という安心感があるからに違いない。

 そう思うとやっぱり古いものはいい。我々の年代の人が、まあ例えば収監されたり、無人島に一人でいると、ふと口ずさんでしまうのは演歌なのだそうだ。
 次に受けるドラマの主題歌、アニメのテーマソングを追い求めて今までやってきたけど、これからはずっと廃れることのな演歌でもやるとするか。そうなると美空ひばりということになるが、ひばりさんとくれば、幸田聡子さんということになるな、よっしゃー、これや!

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2005年9月日()