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HAL日記


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2005年8月31日(WED) 師のたまわく、「いや、いや〜!」
「駄目だ、こんなんじゃ全然駄目だ! せっかくバイオリニストで遊ぼうと思っているのに、すっかりピアノが弾けなくなってしまっている。というか、僕ってあんまりピアノ伴奏した経験が無いんだよな」
 以前に師事していたバイオリニストは、かなりピアノが弾けたので、アンサンブルをやるときはほとんど僕がフルートかバイオリンだった。なので良く考えたら僕は伴奏の勉強はしたことが無いのであった

「先生、私も頑張って伴奏の練習したんですが、今ひとつうまくいかないんですよね」
 バイオリン教室に行って、さっそく先生に言い訳をすると、お師匠さまは言った。
「私もバイオリンのパートをちゃんと弾けないんです、てか、この曲難しいですぅ」
(はあ? だから先週僕がそう言ったじゃない)
「じゃ、どんだけ弾けるようになったか、聴かせてみて下さいな」
「え〜、まだ全然だめなんですぅ」
(お、お師匠さま、楽譜に練習した形跡が無いではありませんか……。運弓とか運指とか書き込むだろうが、フツー!)
「う〜ん、じゃあ、もっと易しい曲にしますかぁ? 同じショパンのこれなんかどうでしょう」
(確かに難しいのは分るが、大層な金を積んで音大を出してもらいながら、この曲程度で泣き言いってるようじゃ、親御さんだって泣くぞ、きっと)
「いいえ、この曲はとっても綺麗だし、少しくらい難しい方が、やりがいがあって良いです」
(ようし、よく言った。その言葉を忘れるなよ、お師匠さま)

『お師匠さま強化プログラム』を実施する筈だったが、彼女のこの体たらくでは、『お師匠さま強化プロジェクト』に格上げせにゃならんかも知れん。
 嫌がるお師匠さまに無理やり弾かせてみたら、まあそこそこやれそうだ。どうやら優しく甘やかして褒めたのでは、このお師匠さまは頑張らないタイプなのかも知れない。
「お師匠さま、来週はきっちり合わせられるように、お互い練習しましょうね」
「は〜い、頑張って練習します」
(返事は良いんだけど、なんだか不安だな)
「来週はきっちり合わせて、再来週は録音しますからね」
「え、録音ですか? やだやだ、無理無理〜ぃ!」

 なんだかえらく取り乱しているようだったが、これぐらいのプレッシャーをかけないと本気を出さないタイプのようだ。が、しかし録音って、いったいどうやれば良いんだろうか。そんな機器を僕は持ってない。昔ならソニーの『デンスケ』が定番の録音機器だったけど、今はデジタルの時代だ。MDに録音したって、録音はPCMかも知れないけど、取り出せるのはアナログ信号だし、ノートパソコンにはモノラルマイクの端子しかないし、今はやりのデジタルオーディオ機器はダイレクトにMP3に圧縮されるし、いったいどうすりゃ良いんだ? だれか教えてくれ!
 
※お師匠さまを脅して切磋琢磨しようと試みてはみたものの、自分のほうがプレッシャーを受けてしまう結果となった。師を侮るべからず、である。

 

2005年8月30日(TUE) 対テロには仏教を
 アメリカで、『カテリーナ』が大暴れしたそうな。なんで台風に女性の名前をつけるのか知らないが、アメリカ女性は差別だ何だと文句を言わないのだろうか。
 ハリケーンで亡くなった50人以上の方がたには気の毒だが、他所の国に自由と民主主義を押し売りに行って、兵士の命をジャンジャン浪費しているあの国は、ハリケーンと戦闘の違いはあっても、失われた命をどれ程安価に見積もっているのか、と為政者に問いたい。

 僕が『カテリーヌ』と聞いて思い出すのは、日系の美人バイオリニストの『カテリーヌ・マヌーキアン』だ。名バイオリニスト『イザイ』の使っていた名器『ヴィヨーム』を得て、バイオリンで演奏される機会の比較的少ないショパンのピアノ曲を録音してくれているのはうれしい。

 ショパンはワルツ、マズルカ、ノクターンなどの小品で、他の楽器でも演奏できる曲を、意図したどうか知らないが、たくさん書いている。もちろんバイオリンやフルートで演奏しても効果的でないものも多いが、真に美しい旋律はどんな楽器で弾いても美しい。

 色々な楽器のために作曲した作曲家で最も有名なのは、ヴィヴァルディだと思うが、「一曲を作曲したに過ぎない」と、ヒンデミットが評するように、確かに良く似た曲を書いてはいるが、(ところでヒンデミットってだれ?)ヴィヴァルディはマイナーな楽器奏者にとってはとてもありがたい作曲家なのである。

 ピアノ曲をバイオリンで弾くと、とても難しいと感じることがある。バイオリン用に書いているのではないのだから当たり前だけど、フルート曲をバイオリンで弾くほどではない。フルート曲をバイオリンで弾くのは一見易しそうに思えるのだけど、実際に弾いてみるとイライラするほど難しいのは、バイオリン曲ではあり得ないような音型が出てくるからだ。

 同じ単旋律の曲をを演奏するのに、バイオリン、ピアノ、フルートでは難易度も異なる。音楽一つでもこんなんだから、キリスト教とイスラム教やユダヤ教が、同じ砂漠の土地に発生していながら相容れないのも当然だろう。
 そう考えると、やはりこれからの日本が輸出すべきは、仏教、それも弘法大師を宗祖とする真言宗だな。聖戦を是とするような宗教では限界が見えてきた。テロも対テロも、最終的にはどちらも勝者足り得ることは無いと思うからだ。

 

2005年8月29日(MON) カーナビ泥は日本を滅ぼす
 童話のお師匠さまは、泉北ニュータウンの中でも高級住宅街とされている☆☆台という一角に住んでおられるのだが、泥棒がとても多い地域なのだそうだ。
「断っておきますが、泥棒が根城を構えて居るのではなく、空き巣の被害が多いという意味ですよ」
 お師匠さま、ご丁寧に解説してくださらなくても……。僕は童話を書きにお師匠様さまの元に足を運んでおるのであって、童話を読み聞かせていただく年頃でもありません。なんて野暮なことは、意外と皆さまに受けるギャグであれば言葉を飲み込んだ。

 さて、それではどれ程の被害が発生しているのか、ミニコミ誌の泉北コミュニティをひもといてみると、確かに多い。
「7月12日午前、☆☆台の戸建にベランダの窓を割り何者かが侵入。現金3万円入りの財布が盗まれた」
 泉北コミュニティには腑に落ちない記事も時々あって、これなんかも、高級住宅街に盗みに入りながら、その成果がたったの3万円? もしこれがサラリーマンだったら反省文を書かされ、会議で糾弾されているところだ。
「7月11日から14日の間に、☆☆台の戸建に、窓を割り空き巣が侵入、使用中の炊飯器が無くなった」
 使用中の炊飯器って一体全体どういう状況を言っているのだろうか。ひょっとして、炊きたて御飯も一緒に盗まれたという意味だろうか。
「7月12日の日中、☆☆台の戸建に何者かが鍵をこじ開け侵入。被害を確認したが、アイスクリーム1個だけだった。
 しつこいようだけど☆☆台は高級住宅街である。泉北署の警戒にもかかわらず、空き巣にとっては垂涎の的であるはず、なのにこの被害の程度はどうしたことか。警察に被害を届けるのがはばかられるような、畳の下の現金でも盗られたんではないか、と邪推しているのは僕だけだろうか。

 それはさておき、泉北ニュータウン一帯では車も良く盗まれているらしい。変だなと思うのは、必ずしも高級車ばかりでないということと、もう一つ理解できないのは、カーナビが良く盗まれていることだ。僕が知らないだけで、中古カーナビ市場みたいなものでもあるんだろうか。僕だったら中古のカーナビなんか買いたくない。きっと最新モデルに手を出すだろう。
 そう考えていくと、海外にでもその手の盗難物品を捌くルートがあるんだろうか? う〜ん、しかし日本のカーナビを他所の国に持って行っても使いでがあるのか? あ、もしかして某国が、「ミサイル精度が上がったぞ」とブラフをしているようだが、あれか? 
 ソニー製『プレステ』で解析して、サンヨー製『ゴリラ』のGPSで弾道ミサイル『ノ○ン』を制御するなら、日本がアメリカに押し売りされている『パトリオット』ミサイルより命中率は高いかも知れんな! これはとんでもないことになった。
 やい泥棒共、お前等は日本を滅ぼすかもしれない悪事に加担しているんぞ! 今すぐカーナビ泥棒から足を洗え!

 

2005年8月28日(SUN) 無知のウィルス対策
 無料で何かやりたいと考えて、「無料○○」でWEBを検索したら、いかがわしいものから本当に役に立つものまで、たんとヒットする。例えばパソコンのウィルス対策だって、ノートンやトレンドみたいに高価なソフトを買わなくても、同じ機能を果たせるものがいくつか見つかる。
 でもやっぱり只で安全を保証してもらえるなんて、日米安全保証のことを思い出しても一抹の不安は解消されない。

 実はノートンのインターネットセキュリティが誤動作して困るので、ソースネクストから発売されている、『ウィルスセキュリティ』に替えた。もともと1980円でどこにでも売られているものだが、エレコムの258MBのUSBフラッシュメモリーと抱き合わせになっていて、なんと2980円。メチャ安ぅ〜! というわけで、アンインストールさえも鬱陶しいノートンさんとはおさらばしたのだ。

 だがこんなソフトだけでパソコンの安全を保つことはできないことは承知している。スパイウェアもWEBページを表示するだけで入ってくる。分ってはいるけど、ブラウザのセキュリティを上げすぎると、自分のページを操作するのにも困るので、その都度専用のソフトで駆除している次第だ。

 それにしても、ウィルス対策のソフトを発売している会社は、どうやって新種のウィルスを発見するんだろうか。
「自分の会社のソフトを売るために、自分等でウィルスをばら撒いているんだ」という話がまことしやかに流布していたこともあったが、今は小学生だって簡単にウィルスを流せる時代だし、ひょっとすると警察が情報収集するために流しているんではないか、と疑われているものまであるらしい。僕のような素人は、できるだけパソコンに個人情報を入力しないのが賢明なのかも知れない。

※未知のウィルスまでも検知できるという、キヤノンから販売されている『NOD32』を試してみたいとは思うけど、そんなにしょっちゅうウィルスソフトばかり買ってるわけにもいかないし、どなたか使用感を教えてもらえないだろうか。

 

2005年8月27日(SAT) 倭寇、僕のご先祖様ですが、何か?
『秋田小町』という米を2kg買った。パンとかパスタばかり食べていたって全然平気な人間なので、『こしひかり』や『ささにしき』といったブランドには感心が無いのだけど、秋田出身の人が熱心に勧めてくれるので買ってみた。
 少し驚いたのは、コシヒカリより若干だが値が張るということだが、これはアキタコマチが天下を布武したのではなく、たまたまそんな値が付いているだけのこと。別の店に行ったら逆になっていたって何の不思議も無い。

 ちなみに、『秋田小町』を広辞苑で調べても載っていない。おなじく、『秋田美人』もない。米のアキタコマは登録商標だから当たり前かもしれないけど、世間では古くから秋田には美人が多いとしてきたのに、あれは嘘かそれともまぼろしなのだろうか。
「東北はロシア系の民族やアイヌ民族と、大和民族が入り混じっているから、美人が多いのだ」という説を、僕も長年支持してきたのだけど、それだったら『新潟美人』や『福島美人』がいたっておかしくないのに、『秋田美人』だけがまかり通っているいるのも確かに変だ。

 僕の出自は悪名高い瀬戸内海の『村上水軍』なのだが、どれほどの悪行たらしめたのか僕には定かでない。一説によると『倭寇』と呼ばれ、韓国や中国沿岸で略奪を繰り返したらしく、ドラマ『チャングムの誓い』の中でも度々その名が登場する。
 その極悪非道ぶりは台湾を更に南下して、南シナ海にまで足を伸ばしたかと思うと、21世紀の今に至ってもマラッカ海峡の辺りで海賊行為に精を出している、と噂されているほどだ。

 史実はどうか知らないけど、僕はかねてより、「村上水軍は、アラビア半島まで遠征していた」と主張している。なぜなら、瀬戸内には異国情緒をたたえた美人が多いし、瀬戸内海の水軍の祭りに伝わる踊りは、『トルコ行進曲』だからだ。モーツァルトやベートーベンの曲でおなじみの、「タンタン、タタタ」のリズムなのだ。
 だから僕は、トルコ国が紹介されるテレビ番組を見ると、ついつい踊りだしてしまうのだ。

※本当言うと別の結論を持ってくるつもりだったのだが、すさまじいバッシングに曝された経験があるので、卑屈にも違う論旨を展開する。とはといっても、「倭寇、アラビア遠征説」は誰にも相手されないので、それはそれでかなり寂しい。

 

2005年8月26日(FRI) アニメヲタ、になっても良いかも!
 先々週に初めてバイオリンの先生と面談した時のこと。どんなことになるか分らないので、バイオリンを持って行ったのだが、「いつもどんな曲を弾いてるんですか?」と、いきなり先生が僕のバイオリンケースに入っている楽譜の束をめくった。運の悪いことにそれらは、ほとんどがアニメの主題歌だったのである。
「あ、アニメが、お、お好きなんですね……」
 一瞬だが先生に距離をとられたように感じて、「い、いえ、私はそういった、あれじゃなくて、ですね、ほら、宴会。そう、宴会なんかでアニメソングを弾くと受けるものですから」
 しどろもどろになりながら、アニメオタクでは無いことを懸命にアピールしてみたのだが、物的証拠を握られてはなす術もない。開き直った僕は、初回のレッスンに「ハウルの動く城」を所望したのだあった。

 40分のレッスンが終わると先生は言った。
「じゃあ、次は何を練習しましょうか?」
 正直なところ、一回でレッスンが終わるとは思ってなくて、というか終わらせるつもりはなくて、次回は僕が伴奏するつもりだった。だがピアノのリハビリが完了するまでには、かなりな時間が要りそうだ。
「そうですね、同じワルツですが、ショパンのワルツはいかがでしょう。こんな曲です」
 一度は弾いたことのある曲なので、先生に聞かせようとしたら、一小節たりとも弾けなくなっていた。
「あの、弾けそうな曲を……」
 先生が言う。
「そ、そうですね、アニメじゃなく、ドラマの主題歌でいきましょうか、エヘヘ」
 という次第で、次回は冬のソナタから「はじめから今まで」をやることにした。バイオリンの方はあんまり練習しなくても大丈夫そうだが、やっぱりピアノ伴奏には一月以上の練習が必要かもしれない。良子先生、助けてー! って言う訳にはいかないな。

※NHKでアニメソング特集をやっていた。楽しいぞ、意外に楽しいぞ。実を言うと、アニメソングを弾いてはいても、アニメそのものはあんまり見たことがないが、楽しさは良く分かる。宴会なんかで弾いたら受ける筈だな。

 

2005年8月25日(THU) 師曰く、パフェ食いねぇ!
 朝目が覚めて、耳鳴りがしているのに気が付いた。
「あ、そうか、今日は童話教室のある日だな」
 まるで小学生がランドセルを背中にかついだとたん、お腹が痛くなって不登校になるみたいな症状なんだろうか。昨日は若師匠さまに絞られ、今日は大師匠さまに啓蒙していただく日であるのだから、真理を探究する喜びに打ち震えていて良い筈だが、あろうことか僕は宿題をしていないのであった。

「若い女の子と二人っきりで個室に入って、”いちゃいちゃ”できるなんてええなあ、オレも行きたいのう」
 知人にバイオリンレッスンのことを話すと一様に羨ましがられるが、若い女性に師事したことの無い人にキッパリ言っておかねばならないと思うのは、『若い女の子は生真面目で容赦を知らない』ということだ。
 決して心が狭くて余裕が無いというのではなく、『自分の信じる進む道、音楽家のあるべき理想の姿』を自分が追求するのはもちろん、生徒の澪であれかし、と願う熱意のなせる業なのである。
 
 その点、大師匠さまは優しい。「HALさん、耳鳴りはいかがですか、ひょっとして私のせいかしら?」と、こうだ。弟子のバイタルまで気遣う余裕というか、老婆心というか、おっとぅ、これは禁句であったか? と、とにかく、若い女の子にこんな風なマエストロの趣を期待はできんのである。

 大師匠さまは教室が終わると、おしゃれな店に連れて行ってくれて、『チョコレートパフェ』などを勧めてくれたが、ブラックコーヒーだけをご馳走になった。
 若師匠さまも、いつの日にかこんな風に、『パフェと鞭』を使い分けられるようになることを願っている。

 

2005年8月24日(WED) お師匠様、頑張ってね!
 バイオリンのお師匠様に宿題を出した。音大のバイオリン科を卒業したなら技術的に難しい曲ではないにしても、美しく聴かせようと思うと決して易しくはない曲だ。
 映画でも使われている曲なので、聴いたことがないとは言わせないが、バイオリン曲を作曲しなかったショパンの曲を知らないからといって、僕は若いお師匠様を責めたりはしない。

 先ずは原曲をピアノで演奏して聴かせた。
「あ、聴いたことありますぅ!」
 そりゃそうだろう、パナソニックのCMで小雪さんが背中をあらわにするバックで流れている、ショパンのノクターン20番だ。
 映画、『戦場のピアニスト』の冒頭でも弾かれる曲だし、名曲中の名曲だから、ピアノコンサートばかりか、バイオリニストのアンコールピースとしても重宝する曲なのだ。

 ミルシュタイン編曲のバイオリン譜をコピーし、ピアノの原曲を練習して、あまつさえCDを用意するといった周到さなのだから、お師匠様にも泣き言を言われては僕の立つ瀬も無いが、まあ、なんとか来週までには何とか弾けるようになっていることだろう。
 なんて偉そうなことを書いてはいても、僕のほうがちゃんと伴奏できるのだろうか。これこそが問題なのだ!

 

2005年8月23日(TUE) 北海道は萌えているぞ。宗男君、健闘したまえ!
「なんかすっごく元気そうヤンか、競馬にでも勝ったんかいな?」
 しばらく会っていなかった知人がやけに気勢を上げているので訊ねたら、衆議院の選挙を楽しみにしているんだそうだ。日頃は政治に興味なんて無さそうな人なので意外な気がしたのだが、良く聞いてみたら、
「選挙は博打と同じなんやで。投票に行く行かないに係わらず、税金使うて選挙やるんなら、我々有権者はみんな寺銭を取られてるのと同じやろが。それやったら楽しまんで、どないするねんな!」

 そうだったのか、選挙イコール博打なんか! こりゃ面白い考え方だ。どうして今の今までこんなことに気が付かなかったんだろう。ひょっとしたら世間の人はみんなそれを知っていて、英国の何でもかんでもトトカルチョにしてしまう、ブックメーカーとやらもオッズを発表しているんだろうか。こうなったら僕も思いっきり選挙を楽しみたいと思う。

 甲子園で優勝していながら、体罰沙汰で優勝を剥奪か返上かしなければならない北海道の高校には気の毒だが、準優勝の京都の高校だって頑張ったんだから、優勝が転がり込んできたって世間は文句を言わないだろう。
 そして北海道と関西の戦いといえばもう一つ、鈴木宗男と辻本清美の戦いが期待されるが、もし二人とも当選したら、また国会で戦ってくれるんだろうな?

 そんなことは期待してないけど、鈴木宗男のやったことに比べたら、野球部員を殴ったなんて、メディアが騒ぎ立てて優勝を返上するほどのことなんだろうか。
 暴力や体罰を肯定するわけじゃないけど、死んだ僕のオヤジに、「先生に殴られた」なんて言おうものなら、「先生に殴られるようなことをやるとは、けしからん!」と輪をかけて殴られたものだった。

 暴力はいかんよ、そんなこと当たり前だ。僕だって殴った親父を未だに、許せん! と思うことしばしばだ。なぜ許せんかといえば、鉄拳にこもっていたのが愛ではなくて、単なる怒りのことが多かったからだ。叱ったのではなくて、腹が立ったから殴ったのが許せないのだ。

 野球部員を殴った先生は、部員に説明責任を果たしていないと思う。君はこれこれこういった理由で殴られるんだよ、といった「アカウンタビリティー」を怠ったのであり、殴られたら怪我をすることがありますよ、といった「インフォームドコンセント」をないがしろにしたと思う。

※僕の子どもの頃は体罰なんて当たり前だった。水を入れたバケツを持って立たされたことこそ無いけど、誤解に基づいて体罰を受けた苦い記憶は消えない。
 だからといって殴られる痛みを教えなくていいのだろうか。殴られて痛い思いを経験したことの無い者に、他人が殴られる痛みを理解できるはずもないのだから。

 

2005年8月22日(MON) なんで大阪には通り魔が多いのか?
 通り魔と聞いただけで震え上がるのは、犯行の動機に理解不能なものを感じ取るからだろう。人は誰でも既知の恐怖には抗えても、未知の恐怖nは耐え難いのだ。
 昨日逮捕された大阪の通り魔は18歳の専門学校生が犯人だったと聞いても、たいして驚かない自分に驚いてしまうのだが、餓鬼が暴走して殺戮に及んでも決して珍しくなくなった、日本という国を恐ろしく思う。

 日本はいつの頃からこんなに危険な国になったのだろう。僕が子どもの頃には、日本は世界一安全な国、という常識が世界に通用していた。人口当たりの犯罪の発生件数も先進諸国に比べてかなり少なかったし、検挙率は格段に良いのだと教えられてきた。それは日本が未だ発展途上にあった僕たちの世代の数少ないプライドでもあった。

 先ごろ亡くなった江戸風俗研究家の杉浦日向子さんが、NHKの『コメディーお江戸でござる』という番組の終わりで語っていた受け売りだが、江戸時代の犯罪発生件数は極めて低くて、町廻りの同心は大江戸全域で数名しか必要が無かったらしい。
 我々は江戸と聞くと、越後屋や悪徳奉行が毎日のように悪事を企んで、夜毎に辻斬りが横行している犯罪都市だと思っているが、大間違いなのだそうだ。

 僕は子どもの頃にテレビで『ウルトラマン』を見て、東京には毎週宇宙怪獣がやって来て東京タワーを破壊しているのだと思い込んでいた。恐ろしいことだけど、必ずウルトラマンが救ってくれるのだから何も心配はしていなかった。
 しかしどうして田舎に来ないのか、それだけが不思議だったので、密かに宇宙怪獣が愛媛に来てほしいと願っていたものだ。

 僕は知人や親族を不可解な事件で失ったことがただの一度も無い。幸せなことだと思うが、この先どんなことが待ち受けているか分らない。なぜなら見えない宇宙人は密かに、確実に身近に迫ってきているからだ。送電線の鉄塔を倒壊させたし、海底ケーブルも切断した。サリンという毒ガスも撒き散らしたし、知らないうちに人が拉致されて監禁されたりしてしまう。
 神も仏も自らの手で絞め殺したその手で、我々は今正に宇宙怪獣を量産しつつある。そして誰もこの流れを堰き止めることはできないのだ。

※童話教室でお師匠様のレクチャーを聞いていると、結構恐ろしい話が展開される。子供は怖い話が大好きなのは分るのだが、大人になって初めて真の戦慄が理解できるような物語もあったりする。
 今回の通り魔犯は、自分で書いた漫画をけなされたのが動機の一部らしいが、そんなんじゃ立派な漫画家にはなれんぞ。1回我々の童話教室に来てみろてんだ。お前なんぞ打ちひしがれて再起不能になることは保証してやる。

 

2005年8月21日(SUN) トルソに欲情するみたいに
 17歳のバイオリニスト五嶋龍(ごとう・りゅう)の人気が赤丸急上昇なんだそうだ。といっても、チャイコフスキーコンクールに史上最年少で優勝した諏訪内晶子、パガニーニコンクールの史上最年少優勝を飾った庄司紗矢香や、ロン・ティボーコンクール史上最年少優勝を成し遂げた樫本大進たちのように、コンクールで名を馳せたからメディアに取り上げられているのではなく、お姉ちゃんが国際的なバイオリニストの五嶋みどリだからである。
 
 こう言うといかにも、若くて才能溢れるバイオリニストをやっかんでいるように聞こえるかもしれないが、全くもってその通りなのである。
 そもそも五嶋みどリにしたって、師匠筋を二代さかのぼれば僕だってやつと同じ東儀祐二先生の孫弟子にあたるのだから、なにを畏れることがあろうか。なんであんな不細工なやつを崇めることがあろうか。
「東儀門下じゃ比類無き実力と知名度を持ってはいるが、あの化粧のせいで彼女はかなり損をしているな、むしろ化粧なんかしないほうがいいんじゃないかね」
 一門の末席を穢している僕たち末端の名も無き、その他大勢のひがみっぽい弟子たちは、音楽とは関係のない彼女の容貌にカタルシスを求め、敵視するかのように彼女を貶めるのである。

 ところがつい最近テレビでみどリを見かけたら、30歳を超えたこともあってか化粧がそれなりに薄くなっていて驚いた。不思議なことに、あれほど不細工に思っていたのに、なんだかイイ女に見えてくる。トルソ

 トルソに欲情することのできた遠く懐かしい年頃ならいざ知らず、年甲斐の無いことも夥しいが話だが、ひょっとすると、さるやんごとなきお方の心を射止めた某都庁職員さんの雅に、僕が近付けた証であろうか。

 こうなったらなんとしても彼女の演奏を聴きに行きたいが、C席6000円からGS席20000円はかなりな出費だし、チケットそのものがちょっとやそっとでは手に入りそうにない。
 みどリが弟『龍』の才能に嫉妬して拒食症になったというほどの演奏とはどんなものかも聴いてみたいのだが、こちらはS席5000円くらいのようだ。

 金を稼げそうだと思うと、メディアが寄ってたかって神童たちを青田刈りするもんだから、せっかくの才能が実を結ばないで終わってしまうケースも少なくないと聞く。
 そうかと思えばコンクールで優勝を勝ち取りたい一心で失敗した挙句、身も心を病んで今年の6月に亡くなってしまったアレクセイ・スルタノフさんのような方もいる。いいピアニストだったのに実に残念だ。
 そして日本でバイオリンの神童といえば渡辺茂夫さんを思い出すが、彼も既に鬼籍に入った。日本人も神童が大好きだから旬の五嶋龍がもてはやされるのはわかるが、彼らを使い捨てにしないで長く温かい目で見守ってやってほしいと思う。

 

2005年8月20日(SAT) ホリエモン、金の使い方教えたろか?
 香川県に水を供給している、高知県の早明浦ダムがとうとう干上がったらしい。弘法大師が彼の地の渇水対策に乗り出して千年以上にもなるというのに、どうして未だに水不足が解消されないのだろう。もちろん人口が増え、工業用水が大量に消費されるからだろうが、森林伐採と大いに関係があるのは間違いなさそうだ。
 してみると香川県の水不足は天災ではなく、あからさまな人災じゃないか。歴代の香川県知事はいったい何をやっていたのか不思議でならない。

 ダム建設が自然破壊に通じるのは理解できるし、長野県知事がダム建設を白紙に戻したのにも賛同するが、島根県の宍道湖の埋め立てや、佐賀県の諌早湾の干拓みたいに、住民のみならず多くの国民が反対するようなことやってるくらいなら、香川にダムの一つくらい建設したって罰は当らだろう。
 ホリエモンも尾道から衆議院に立候補しなくていいから、香川から立って渇水対策を公約してはいかがか。そうすりゃ弘法大師と並んで歴史に名前が残るかも知れんよ。

 同じ瀬戸内海の香川県と肩を並べて、かつては塩田が広がっていた僕の田舎も、夏になると乾季を迎えるといってもいいかも知れない。そんな雨の降らない僕の田舎から、滋賀県の豪雪地帯に嫁入りした姉によると、「最近は冬に屋根の雪下ろしをしなくて良いから助かる」と、地球温暖化を歓迎するのではないにしても、嫁いだ頃のように雪に埋もれる生活に戻ってほしいとは考えていない様子だ。
 一方で、外来種の毒蜘蛛であるセアカゴケグモが、ここ堺市でも至る所に生息しているらしい。民家の庭でも学校の花壇でも普通に見かけるのだそうで、小さな子を持つお母さん方は気が抜けないのだそうだ。

 何でもかんでも昔は良かった、とセンチメンタリズムを満足させるためだけに不平をかこつのではないが、こと自然に関しては誰がなんと言おうと、昔の方が良かったと思う。「ギブミーチョコレート」の世代の方はどう思っているか知らないが、貧しくても不便でもいいからだれか昔に戻してくれ! と僕は言いたい。

※郵政も昔に戻せないのなら、改革が後戻りしていい筈もないと思うのだが、小泉さんも自民党も好きになれんし、はてさてどうしたものか。

 

2005年8月19日(FRI) 見栄張ってコンドームの大!
 スーパーで知り合いに会ったら、半額のシールが貼られている商品ばかりを、しかもどっさりと籠に放り込んで歩いていた。どうやら後ろを歩いているのはご主人らしいが、人の良さそうな顔をしている。まるで子供を連れて歩いているみたいな印象を受けるから、きっと嫁さんの尻にしかれているんだろうな、と邪推する。

「あらお久しぶりですね、こんにちは。いやだ、私ったら半額の商品ばかり買ってるから恥ずかしいわ」
 そんなことを一々断らなくても良いように思うが、こんな場面になると言い訳の一つも言いたくなるのは人情だろう。でも奥さん、実は僕も半額のチーズを五つも買っているんですから恥ずかしがらなくても良いですよ、と言ってあげたかったけど、ティッシュ五個の下敷きになっていて、ばれなくて良かったと思った。

 僕は他人の性生活や食生活には興味が無いけど、スーパーの籠の中身を見てしまうと、ああ、この人は子沢山なのかな、それとも倹約家なのかな、などとついつい想像してしまう。
 もしあの奥さんが半額のコンドームを山ほど買い込んでいたなら、僕は確かに見て見ぬ振りをしながらあらぬことを妄想するだろうが、レジを打つおばちゃんたちは客の買い物について何を考えているんだろうか。

「おや、本日はアルコール類がありませんね」
 バーコードを読ませ終えるとレジのおばちゃんが僕の顔を覗きこみなが言った。
 酒が安くはないけど高くもない店なので、僕はしょっちゅうワインを買っているのに、今日に限って買ってないのを不審に思ったかのだろうか。でも実際にはよその店で酒を買って、一旦持ち帰ってからこの店に来ているだけのことなのだ。

 こんなことを言われるなんて、ひょっとして僕が赤ワインしか飲まず、肴は生ハムとチーズばかりなのも調査済みなのだろうか。それとも、初めの頃はビールばかりで、次に焼酎を経由して今に至っていることも御承知なんだろうか。
 もしそうだったらこの次の買い物には、使うあてもないコンドームでも一箱くらい買わねばならんな、しかも大きいサイズのやつをってゆーか、エンゲル係数の高い僕の食生活なんか見て見ぬ振りしといてほしいよ!

 

2005年8月18日(THU) バイオリンレッスンの前にピアノが弾けんがな!
 来週からバイオリンのレッスンが始まるので、昨日馴染みのバイオリン屋さんに弓の毛替えをしに行った。にわか雨に降られた後に蒸し暑い中を歩いていったというのに、あろう事か店が閉まっているではないか。
 このところ中国製の安い楽器が日本に大量に入ってくるようになったので、止む無く閉店に追い込まれたんだろうか。いや関西では老舗の一つなので、修理だけをやっていたって十分になほどの顧客を抱えている筈だから、きっと盆休みをとっているに違いない。

 こんなことならあらかじめ電話で確かめりゃ良かった、と後悔してもあとの祭り。他にも馴染みの店はあっても、しばらく顔を出していないので忘れられているかも知れないし、憶えてくれていたらいたで、未だに安物のバイオリンを担いでいる貧乏な奴、なんて思われるのも辛いものがあるので、最寄にある初めての店を訪ねることにした。

 バイオリンの毛替えだけなら弓だけを持って行けばいいのだが、先日買ったバイオリンを見てもらって、ちょっと意見を聞いてみようかって気になったので、バイオリン一式を抱えて歩くことにしたのだが、残念ながら前のオーナーがこの店で調整しているので、バイオリンを見せるのははばかられた。
 毛替えは1時間ほどで終わって有り難かったが、完璧な出来というには少し不満も残る。僕程度の腕前ならこれでもかまわないとして、ソリストがこれで満足するのだろうか。どうして新品のときのように毛を張る事ができないのだろうか。
 ま、そんなことは良いとして、やっぱり技術者と対面してあれやこれやと会話して得るものは多い。ネット販売も安くて良いのだが、僕のレベルなら積極的に他人の意見に耳を傾けるべきだろう。

 来週からバイオリンのレッスンが始まるといっても、いきなり難しい曲では僕はもちろん先生だって大変だろうから、先ずは挨拶代わりに、「ハウルの動く城」からワルツをやることにした。旋律自体は簡単なので、なにもわざわざレッスンを受けることも無いのだが、若いお師匠さまと遊んであげるにはちょうど良かろう、と思ったのだけど、バイオリンは良くてもピアノ伴奏がすっかり弾けなくなってしまっているじゃないか。う〜ん! こりゃ良子先生のレッスンを受けに行かなきゃ、なんて言っている場合ではない。ピアノの方を重点的に練習しておくか。

 

2005年8月16日(TUE) ダリアは女に受けた傷
 好きな花は何かと訊ねられたら、「風蘭の花」と間髪を入れず答えるけど、嫌いな花を訊かれたら言葉が出ない。僕は、「全ての花が好きだ」なんて言うようなメルヘンチストでも無いし、花の名を思い出せないほど頭が不自由になったのでもない。
 アメリカ人が、「イラン」と聞いただけで逆上するように、日本人が、「北朝鮮」と聞いただけで理性を失うように、「ダリア」という花の名を思い出すだけで僕は言葉が出なくなってしまうのだ。

 あれは確か小学6年生のことだった。背が高くてハンサムな男子転校生がやってきて、女の子たちはみんなそいつに夢中になった。
 どうやらお金持ちの息子らしく、持っている教材の絵の具なんかも、僕達が24色だったのにやつは36色だった。音楽の時間に使う縦笛だって、みんなプラスチック製だったのにやつだけ木製で、おまけにピアノまで弾けた。テストの成績こそ並だったがスポーツは万能で、先生さえも一目置くほどのかっこいい男だった。

「天はニ物を与えず」というが、あれは嘘だと思う。タレントの郷ひろみにしたって、背が高くてハンサムな上に歌は上手だし、話によるとオチンチンもデカイらしい。 
 つくづく世の中は不公平にできているもんだな、と今なら諦観しているのだが、当時の6年生の男子たちのとった行動は、女の子にモテモテのやつに媚びておこぼれを頂戴するか、それとも距離を置いて実利を差し置いてもプライドを優先させるのか、という二つの選択肢が考えられたが、僕は後者を選んだ。

「○○君のたくましい腕にギュッと抱きしめられてみたい」
 女子の一人がハンサムなやつの噂をしているところに、僕は偶然出くわして血の気が引いた。というのも、その子は僕が密かに心を寄せていた子だったからだ。
「○○君って、まるでひまわりみたいよね。HALなんて、まるで暑さでぐったりしているダリアみたい」
(僕は酷暑に焼かれているダリアなのか)
 それ以来僕はダリアを見ると熱中症にかかったように頭が痛くなるのだ。

※田舎にバラ公園というのがあって、何百種のバラが植えられているのか知らないが、もしダリア公園なんかがあって間違って入ったなら、どんなことになるのか恐ろしい。 

 

2005年8月15日(MON) まぼろしの団子
 お盆に父の墓参りを済ませた後、「何か食べたいものがあるか?」と母が聞くので、「黍団子(きびだんご)が食べたい」と答えたら怪訝な顔をされた。
 断って置かなければならないが、桃太郎さんが手下に与える洗練された味の、『吉備団子』のことではなく、あんこを雑穀のキビをで包んだものだ。しかしキビだけであれほどモチモチした食感は得られないだろうから、たぶんもち米も混ぜてあったのかも知れない。

「きびだんごってどんなもんじゃろう? 作ったことが無いけど」
 母の答えは意外なものだった。確かに僕の記憶力には問題があると自覚はしてはいるけど、あんな美味しい物を忘れるはずがない。だが母は頑としてキビ団子を作ったことが無いと言い張る。
 母にここまでしらをきられては太刀打ち出来そうも無いので兄に助けを求めたが、これが僕に輪をかけていい加減なものだから何の助けにもならなかった。

 僕は自分が貧しい家に生まれたと子どもの頃には思わなかった。お金持ちの友達もいたけど、もっとずっと貧しい家庭の子も友達にいたからそう思っていただけかも知れないが、今思うと実際は赤貧にあえいでいたに違いない。
 船に乗って人並み以上に稼いでいた筈の父は、酒と女と博打でスッテンテンで送金できなくなって、言い訳がましい手紙を送ってよこすのも度々だったと、かなり成長してから知った。

「あ、今日の御飯は柔らかすぎた、失敗した〜」
 田舎に帰るたびに母は毎朝そう言うが、70年以上も米を炊いていて失敗なんかする筈もない。
 父が生きていた頃は奉仕するしかなかったが、亡くなってからは自分の好きな軟らかめの御飯の炊き方や、薄目の味付けができるようになったので、たまに帰って来る子供等にもそれを押し付けている言い訳に過ぎないのだ。
 
 母は本当にキビ団子を作ったことが無いのだろうか。自分の親を疑いたいわけじゃ無いけど、「麦飯を炊いくれ」と言っただけで、「貧乏臭い」と血相を変える母にとって、キビ団子は貧困の象徴なのかも知れない。
 母が硬い米を炊くことが無いように、キビ団子は二度と食べることは叶わないだろう。だが僕は母に無理強いするつもりはない。それこそが僕のルーツだと思うからだ。

 

2005年8月14日(SUN) はあ? タトゥーって入墨のことだろうが!
 肌を露出する夏だからかもしれないけど、肩や腕に、『タトゥー』と名乗る刺青を入れている若者(特に女の子)が目立つような気がする。
 入れ墨(刺青)にやくざ者のイメージを重ねる世代の僕としては、その絵がたとえドラえもんやアンパンマンだったとしても拒絶反応を禁じ得ないのだが、あれもひとつの文化だと思えば許せる気がする。
 だからといって、「○○命」なんて下手糞な字に墨を入れているのを見ると気の毒でならない。彼氏の名前か、息子の名前か知らんが、僕は彼女たちに審美眼を問いたくなるのだ。

「今は○○という一週間くらい消えない、というか一週間で消えるプリントみたいなのがあって、若い子がやってるのはそういうやつが多いねん」
 知り合いによれば、タトゥーなんて刺青とは到底呼べない、腑抜けた遊びであるらしい。それもその筈で、彼の背中の絵は何年もかかってようやく描き上げたのだという。いったいどんな絵が描いてあるのか興味はあるけど、見せてくれというのはなんだか頼みにくい。

「僕の嫁です、よろしくぅ」
 田舎に帰ると、甥が大阪から嫁さんをつれてきて紹介してくれた。ひょっとしたらどこかにタトゥーでもやっていないかと心配したけど、それらしいものは無かったし、そういうのが似合いそうな女の子でもなかった。
 都会ならいざ知らず田舎で、「刺青をした嫁さんを連れて来た」なんて噂でも立とうものなら年老いた母、つまり彼のお婆ちゃんは気に病んで飯も喉に通らなくなるに違いない。

「なあ、背中一面に絵を描いてたらゴルフとか終わった後の風呂はどないするの?」
 知り合いの、組員じゃ無いと思うけど背中に絵を描いている彼に僕は尋ねた。
「ゴルフが終わったら風呂に入らずにサッと帰るよ。それぐらいの気は遣ってるよ」
 常識人である彼によると、スーパー銭湯みたいなところでも、入れるところとうるさいところがあるらしく、その辺はちゃんとわきまえているのだそうだ。
 
 とある仏教国では、宗教上の理由で呪文を刺青するのが大流行しているのだとか。その入墨師というのが僧侶の仕事だというのだからもはや立派な文化なのだが、何故だか当局の規制が入ろうとしているらしい。
 それらは日本の芸術性豊かな入墨と違って単なる文字だけの魔よけらしいのだが、錨のマークやハートのマークを入れている某国人にしても、あんな美意識のかけらも無いものに嬉々としているようだが、飽きたりしないのだろうか。そこだけが僕には不思議でならないのだ。

 

2005年8月13日(SAT) 田舎を空撮
(こんな小さな島にもホームセンターでき、ドラッグストアやコンビニが次々と開店して採算が取れるんだろうか?)
 田舎に帰省するたび、人口一万ほどの町の変貌振りに瞠目しないではいられない。しかしその反面で雑木林は手入れする者とてなく、荒れ放題となり山の幸も他所で栽培されたものを食すようになってしまった。

 時が流れて人もその心も移ろい行くのは仕方ないし、それが良いことなのか悪いことなのか僕には判断できない。だからせめて景色の変わりようを、記憶より記録しておきたいと思って写真撮影をしたいのだが、そんなことはとっくに誰かがなっさっておられるに違いない。
 というわけで空からの撮影なら付加価値があるに違いないのだが、まさか本物の飛行機を飛ばすわけにもいかないので、ラジコンヘリにビデオカメラを搭載することにした。

 Yahooのオークションで中国製ミニ電動ヘリ一式を20000円で購入してみたら、そこに使われている部品は日本のメーカー製に酷似しているが性能はかなり劣るもので、実用に耐えない物だったし、パワーユニットも辛うじてホバリングできる程度の非力なものだった。
 そんな結果に終わったので今回は諦めるとして、次回はヘリでなく飛行機でトライしてみようと思っている。

※歴史が激変する中にあって300年前の生活を守り続けている、アーミッシュの方がたは素晴らしいと思う。不便をかこちつつ伝統を、地球を守ろうとしる姿勢は崇敬に値すると思う。

 

2005年8月12日(FRI) 君子は豹変す、而して愚人は……
 「いつもの飲み屋に電話したらな、オレの嫌いな奴がいるっていうじゃないか。マスターが気を遣って時間をずらして来るようにいうから別の飲み屋で待機したがな。そやけどなんでオレが逃げ隠れせにゃならん? そう考えたらだんだん腹が立ってきて、今日こそ奴を殺ってやるって決心して飲み屋に乗り込んだンや」
 若気の至りみたいな話だと思うかも知れないが、この話を僕に開陳したのは80歳を目前にした好々爺なのである。昨今のお年寄りは血気盛んで喜ばしいが、ここまでデンジャラスだと向こう見ずが売りの若者だってたじろいでしまう。

 それでどうなったかというと、もちろん好々爺は奴を刺すつもりでくだんの飲み屋に乗り込んだのであったが、マスターの計らいで奴が『ネコ』になっていたのだそうだ。
「ワシもそれで助かったんや。もし奴がワシになんかイチャモンでもつけとったら、たぶん刺したんじゃないかと思うと、危ないところやった!」
 どちらの爺さんとも仲が良い僕としては、刃傷沙汰にならなくて本当に良かった、と心胆寒からしめられた話だ。

「いや〜、君子も豹変するんですね」
 友達の○○師にこの話をしたところ、「君ぃ、言葉は正確に使わにゃいかんよ」といわれた。
「どこが間違ってますかね?」
「論語読みの論語知らずとは君のような奴のことや。その言葉はもちろん孔子の言葉で、『君子は豹変す、而して大人は虎変す』というのだよ」
 ああ、そうだった! 凡人が理想とする君子は、豹の赤ちゃんの毛が美しく抜け変わるるように突然立派になり、イチローみたいな傑出した人は、虎の赤ちゃんが美しい毛並に、劇的にヘンゲするという良い意味だった。

 恐竜の童話公募はやっぱり駄目だったみたいだ。結構思い入れのあった作品で頑張ったんだけど、応募要項を逸脱して400字詰め原稿用紙10枚制限のところを11枚書いてしまっていたのだ。ワードの設定を間違えた単純なケアレスミスなのだが、酔っ払いに言葉の使い方をあげあし取られているようじゃ、落ちるべくして落ちたといわれても仕方ないだろう。
 
※馬鹿にされたからといって、僕が○○師を刺そうと思わないあたりは、もしかしたらまだ掬いようがあるかもしれない。

 

2005年8月11日(THU) 怖いものには、細木数子
 二日前から耳鳴りがするようになった。まるでマフラーを取り払った暴走族の車が来て、アイドリングしながらレゲエの曲を大音量で鳴らしているような気持ちの悪さだ。
 レゲエもエンジン音も嫌いじゃないのだが、両方を同時に大音量で鳴らされたら気分が悪くなっても仕方ない。そんなどよめきが右の耳にだけ、街を歩いていてもドラムを鳴らしているように聞こえてきて動悸さえする。

 低周波公害というのがあるあらしく、耳に聞こえないはずの音が人の深層心理に影響を及ぼしているのだそうだ。耳で聞こえていないからといって人の体に感じないのではなく、むしろそういった音こそが人の心を左右するんだそうな。
 聞こえない音が人の心を左右するというのなら、それは聞こえているということじゃないのか。全く専門家のいうことは人を食ったように聞こえる。

「HALさん、それはきっと童話居室にくる精神的な緊張によるものじゃないですか」
 お師匠様が冗談交じりにおっしゃるのだが、確かに閉鎖された空間では症状が悪化するように思う。でも教室にタブーは無いし、今日なんか、「うんこ」とか、「怖い話」とか、子供はどんな話が好きなのか、といった話がテーマだったけど、そんな話をしていてもずっと耳鳴りは続いていた。

 この日記を書いている今でもやっぱり耳鳴りは続いている。「脳腫瘍の疑いがあるからすぐに病院に行け」というお師匠さまのアドバイスはありがたいが、その時間は無さそうだ。今夜から田舎に帰る筈だったけど、到底できそうに無い。
 このまま底の見えない渦巻きに飲み込まれて行くような不安を感じるけど、童話教室が終わったら動悸だけはしなくなった。

※原因は本当に童話教室なのだろうか。なんだかお師匠さまが細木数子さんに思えてきた。

 

2005年8月10日(WED) バイオリン始めました
(まさか僕が通っていたバイオリン教室の同窓生だった、○○ちゃんが音大を卒業して教師をやってるんじゃないだろうな、もしそんなだったら少々辛いもんがあるな)
 せっかく気に入ったバイオリンを手にすることが出来たのだから、先生について習うことにしたのは良いとして、ガキを師と仰ぐのは気が進まない。

 もちろんピアノだったら良子先生に弟子入りするし、チェンバロだったら聖子先生に教鞭で打って頂くとしても、バイオリニストは少なくていけない。
 それだったら前の先生に習えば良さそうなもんだが、慣れて友達っぽくなってしまっているので、緊張感に欠けていけないのだ。

 教室の面談に行って、初めて先生と対面して驚いた。正に僕が懸念していたのに近いケースで、(君ぃ、パンツ脱いだらまだケツが蒼いんと違うか?)とはもちろん言わないけど、音大を卒業して間もない小娘が先生だった。

(こういう子にはモノを教えないとイカンのだよな、さてどうしたものか……)
 これから師事しようとしている人に恥をかかせるわけにも行かないし、さりとてあんまり下手糞に教わるなんてもってのほかだ。
 そこでバイオリンケースに入れてある楽譜を取り出して一緒に弾いてみたら、どうも初見は苦手なようだが耳は良さそうで、僕の音程にあれやこれやと口を出す。
 
 面談とはいいながら、キャッキャキャッキャと遊んで気がついたら40分が過ぎていて、次の生徒さんが待っていた。
 レッスンを一回分得した気分になったけどバイオリンであれじゃ、ピアノ伴奏の初見はマズ無理だろうな。お互いにくちばしの黄色い雛同士、一緒に歩んでいくとするか。

 

2005年8月9日(TUE) 暑中見お舞い申し上げます
 こう毎日暑い日が続くと僕なんか焼け死ぬんじゃないかと思っているけど、フィリピンやタイから「ダンサー」として来日されている女の子たちは、熱帯から避暑に来ているように感じているのだろうか。

 アメリカ政府の圧力を受けて取り締まり強化されたらしく、近所のフィリピンバーが閉鎖になったらしい。彼女たちがどこに非難したか知らないが、この代償はアメリカ政府に求めても良いのではないかと思っている。だって米軍が沖縄に来てやっていることと、イラクに行ってやっている事と、日本のビジネスマンがフィリピンに行ってやっている事と、フィリピンの女の子が日本に来てやってる事のどこがど違うんだ。

 とまあ、腹の立つ事がたくさんあって、いちいち反応していたら夏の暑さを凌ぐほど激昂して憤死しかねないので……。
 ま、ここは日本だし、高校野球で熱くなってみるか。 

 

2005年8月8日(MON) 欲望と依存の病的関係
 先日買ったバイオリンにはフランスのラベルが貼ってあるけど、ありゃ多分中国の女工さんたちが手掛けた出来の悪い贋作だと確信している。だから、「中国の女工さん、君たちが作った楽器を買うからね」と、日記の上で指切りした約束は果たしたので、針千本を飲まなくて済んだと胸を撫で下ろしている。
 いかにも安物の中国製らしく、小汚い上に音色も大して良くないバイオリンではあっても、弦を張り替えて弾き込んでいくと、そこそこ鳴るようになってきたので嬉しくてたまらない。
「さてさて、次のバイオリンはどんなやつにしようかな」
 ときめく胸でネットを検索していて、気がついたらラジコンヘリを発注していた。

 僕は特定のカテゴリーにこだわる先鋭的なコレクターではないけど、物を集めるのは亘って弾くことの無さそうな、集めるためだけに買った楽器もたくさん持っている。
 ラジコンヘリだって今回ので6機目になるが、決して物欲を満たしたいから買うのではなく、真理の探求に無上の喜びを見出したいがために未知のジャンルを開拓しているのだ、と思っていた。ラジコンヘリが配達された昨日までそう信じて疑わなかった。

 ギャンブル依存症というのがあるそうで、ゴルフの練習に行くつもりで家を出たはずなのに、気がつくとパチンコ屋さんで金をすってしまうらしい。それくらいならどうってことも無いが、「ちょっとパチンコ」で子どもを車に置いて熱射病で死なせてしまう事件も発生している。
 今年はまだ聞いていないが、「そこまでしてパチンコやりたいなんて病気やな」と嘆いていたら、あれはれっきとした病気なのだそうだ。なんでも、脳内のセレトニンとかいう物質と関係があるらしく、病名は『依存症』なのだそうだ。

 依存症というなら、僕はとっくにアルコール依存症だなと思っていたら、僕の場合はボーダーラインンを既に飛び越えていて、アル中なのだと人は言う。
 それだけでなく、どうやら僕も、『買い物依存症』かもしれない。バイオリンを探していながら、気がつくとラジコンヘリを買っていたなんて、どう考えても合点がいかない。
 精神科を受診してみようかとも考えたりするが、精神科の医者って患者さんと区別のつかない人が多くて二の足を踏んでいる。

「私も同じ病気で苦しみました。借金までして楽器を蒐集していたんです」
 お互いの胸のうちを晒して、ある方と同病相哀れんでいたら、彼が治療法を教えてくれた。
「私の場合は、結婚したら直りました」
 なるほど、その手がありましたかって、のろけとるんかい! まあいいだろう、物欲も根源的な肉欲の前にはなす術も無かったというわけか。理屈は合っているように思えるぞ。

※年がら年中『色欲』を探求している知り合いの男がいるが、ああいった連中はどうやったら治療できるんだろう。いやそれとも、人間なんて所詮欲望ゆえに進化し、発展してきたのなら、大いに欲望に依存するべきなんだろうか。

 

2005年8月7日(SUN) 羽生四冠王も出て来いよ!
「兄は頭が悪かったので東京大学に入学しました」
 史上最年少の21歳で将棋の名人位を襲った谷川浩司現九段の言葉だが、これは決してジョークでやウィットではなく、正直に事実を告白しているのだ。
 アマチュア強豪で知られる兄の谷川俊昭氏がプロを目指したなら、決して叶わない夢ではなかったと思うが、弟の圧倒的な才能を目の当たりにして彼我の差を思い知らされ、プロの道を断念して東大に入ったのだと聞いている。

 あえて断るまでもないが、将棋指しで東大卒と肩を並べられるほど稼いでいる人なんて、どれほどいるだろうか。160名余りの棋士の中で上位数名だけが億単位の年収を誇っているに過ぎない。つまり生活の安定度では比較にならないから棋士を目指す若者が少ないだけのことだ。もちろん現役の東大生でありながらプロ棋士でもある、片上大輔四段のようにハイスーパーな好事家もいるのだが、ほとんどの若者はそんなしんどいことをしないだけなのだ。

 この秋に解散総選挙があったとして、もし谷川浩司九段が立候補したなら、どこの政党に擁立されても当選すると僕は確信できる。それほどの人気がある人格者なのだが、その谷川九段をJT杯の一回戦で破った森下九段と、羽生四冠王の公開対局が大阪で行なわれるので見に行った。
 史上最強の羽生四冠王と、トップ10のしんがりに名を連らねているだけの森下九段が戦っても勝負になるまいと誰もが思うし僕もそう思ったが、結果は森下九段が羽生の猛攻をしのいで勝った。

 無料で楽しい時間を過せて幸せな気分で帰ろうとしたら、出口で森下九段が待ち構えていて、来場した全員と握手をしたり写真を撮ったりしているではないか。何千人に手を握られるのか知らないが、僕なら絶対やりたくない。2、3日は手がいうことを利かなくなってしまうはずだ。
 九段は羽生四冠王に勝ったから舞い上がったからこんな前代未聞のことをしたのではないし、赤字経営にあえいでいる日本将棋連盟の理事に任命されたというより、将棋の普及に尽力したいという責任感のなせる業に違いない。なんという人格者であることだろう。

※羽生四冠を見に行った僕も森下九段と握手して写真に写りたかったけど、長蛇の列に並ぶのが嫌だったのでやめた。
 一昨日の日記で聖子ちゃんに、握手なんかしなくてもいいよって書いたけど、是非やってくださいね。だって僕は今日をもって羽生ファンから、森下ファンに鞍替えしたんだから。

 

2005年8月6日(SAT) また堺市か、しかも容疑者も遺体も近所じゃないか!
  自殺サイト殺人事件のニュースなんて気分が悪くなるので読みたくはないけど、容疑者も遺体も近所らしいと聞いては気になって仕方ない。
 死にたい人と人を殺したい人が出会ったのなら、このニュースのような結末は目に見えている。殺したやつは罪の意識も低かろうし、充実した時間を過ごせて儲かったと思っているかもしれないが、食事を抜いて力無く殺された人は、「自殺する手間が省けてもっけの幸い」と思ったろうか。

  クズ野郎なんぞの手にかかって死を迎えるなんて僕の腹には据えかねるが、もし選択権が与えられるなら、マリーアントワネットと同じようにギロチンで殺してくれくれと申し出るだろう。自分の首が胴体と決別するのを転がっていくのを自分の目で見てみたいのだが、その感覚を誰にも伝えられないのを悔やみながら死んでゆきたいと思っているからだ。
 不気味なことを考えているなと自分ながら思うけど、口と鼻を押さえられての窒息死なんかじゃ、屈辱的な上に芸の無い死に方に思え、自分史の最後を飾るのに到底満足できるものではない。

 僕は父の死に目にも会えなかっただけでなく、誰の死に目にも立ち会ったことが無い。そういう愁嘆場を経験したことが無いのは幸せなことなのだろうか、それとも不幸せなことなのだろうか。辛い経験の無い者が他人の不幸せに、心底共感することが可能だろうか。惨事のニュースを耳にするたびに、幸せな己が身で申し訳ないと思うことがある。
 そんな僕でも子どもの頃に親しかった子を何人か亡くした思い出があって、そのうちの一人の女の子は悲恋の末の自殺だった。

                              つづく

 

2005年8月5日(FRI) 迎合と矜持
「あいちゃ〜ん、がんばって〜!」
 ゴルフのゴの字も読めんような幼子が、プロゴルファーの宮里藍ちゃんに声をかけるらしい。怖いものを知らないほどステキなものはない。僕だって社会のしがらみや常識から開放されたなら、本日のコンサートで、「せいこちゃ〜ん、がんばって〜!」と彼女が登場するなり声をかけたくはあっても、やった途端にお客さんの視線が一斉に僕に向けられそうなので断念した。

 ところで、「聖子ちゃん」という子ども扱いした呼び方を僕はしているけど、いったい彼女は何歳なんだろう。20台には違いないのだろうが、共演するオーボエの女の子と比べると、落ち着きはらっている姿がいかにもお姉ちゃんっぽい。
(お、マイク握ったぞ、しゃべるんかいな! チェンバロは安心して聴けても、彼女がマイクを握ったらこっちの方が緊張するんだよな)

 去年初めて彼女の語りを聞いたときは、明らかに緊張して視線も定まらないように見えたけど、あれから1年も経たないというのに、マイクを持つとカメラ目線になっていた。それもその筈で、どこかの音大で教えているんだから成長していなくてどうする。とはいっても……。ま、あと半年もして愛想のひとつもふりまけるようになるまで、生暖かく見守るとするか。

 囲碁や将棋の世界は、勝つか負けるかという実力の世界だから人気商売ではない、と思っているならそれは間違いだろう。
 どんな弱い棋士でも、後世に伝えられる美しい棋譜を残したい、と思いつつ勝負するので、早々と負けが見えた将棋を最後まで指さずに投了(負けを宣言)する。それは業界用語で、「棋譜を汚さない」ためなのだが、そいういう意味なら、棋士も芸術家と似ているかもしれない。

 しかし、自分の死後に作品が高く評価されることを画家が考えたとしても、生きているうちに絵が売れなくては生活していく上では意味がないともいえる。同じように、指した将棋を見てもらえなくては、プロ棋士の存在意義が問われよう。だから最近では大金のかかった将棋のタイトル戦であっても、同じ戦法を続けて用いない一流棋士が増えている。
 もしアマチュアのファンがいなくなってしまったら、将棋指しという商売は”あがったり”になってしまうだろうから、と常にファンを意識しているのだ。つまりプロと名が付けば、どんな職種だって人気商売なのだ。

 だからといって、プロチェンバリストの聖子ちゃんには、僕以外に愛想をふりまいてほしくはないので、目が不自由なバイオリニストの川畠成道さんみたいに、演奏が終わってから、手が痛くなるまで全員のお客さんと握手しろとは言わないにしても、アンコールで、「人生のメリーゴーランド(ハウルの動く城から、ワルツ)」でも弾いてくれんものかね。
 僕なら、人が演奏している時に隣同士でごそごそ話をするようなおばちゃん達のためにやるね。客に迎合するんじゃなくて、ファンを楽しませるために。でも彼女はそんな姑息なことはやらんだろうな、たぶん。

※童話公募で主催者側に媚びまくった作品を投稿している僕なので、聖子ちゃんネタに便乗して、自己弁護と反省を試みました。

 

2005年8月4日(THU) ハングリー精神はもういらない
 日本人が軽量級でボクシング界を席巻していたのも今は昔。力石徹や矢吹丈なんかも入れたら、あの頃の世界チャンピオンはいったい何人いたのだろう。今さら死んだ子どもの年を数えても仕方ないが、古きよき時代を懐旧したくなって何が悪いか。それほど今の日本人ボクサーに不甲斐ない思いをしているのは僕だけではないはず。

 ボクシングが面白くないならK−1を見たら日本人が活躍しているじゃないか、と言う人がいる。戦っている武蔵なんかには申し訳ないけど、あれをプロレスと同じエンターテインメントとの一つとして見る人が多いのは理解できる。
 こんな話が武蔵のお父さんの耳に入ると紛糾しかねないので、飲み屋で会っても僕は決して話題にはしない。いや僕ばかりか、最近はみんなその話題には触れなくなった。お父さんはK-1のことをしゃべっているように見えてその実は、世の中のお父さんがみんなそうであるように、立派な息子の自慢をしているに過ぎない、ということに気がついたからだ。

「昔の日本人はハングリー精神があったからどんな分野でも強かったが、日本全体が裕福になった今は駄目だ」という論理は当たっているのだろうか、答えは否である
 確かに囲碁界でも日本の惨状は目を覆いたくなるほど弱くなって、韓国中国に次いで世界一から三位に陥落してしまった。だがそれは日本が裕福になって、ハングリー精神を忘れたのを理由に挙げるのは間違っている。
 もしそれが正しいなら、史上最強と謳われる将棋の棋士、羽生善治は貧乏人のせがれで、弟や妹が5、6人いなくては説明がつかないし、囲碁界最強の韓国も日本以上に経済発展を遂げたせいで、ハングリー精神なんてとうの昔に無くなっているのだ。

 野茂やイチローや松井といったメジャーで活躍している日本人を思い浮かべると、成功の条件がハングリー精神だけでないのは明らかだ。夢や希望を叶えたいという欲求は確かに成功の条件だろう、だが決してそれだけではない。彼等は何よりも野球を愛しているのだろうと思う。羽生が強いのは、将棋を極めたいという欲求が努力を怠らせないからだと思う。
 明日はそんなタイプであるチェンバリスト、聖子ちゃんのコンサートを聴きに行く。

 

2005年8月3日(WED) しまじろう、ってなんで?
 スーパーでばったり知り合いのご婦人に会った。二人の娘さんを連れているが、前に見かけたときよりかなり成長して、小学三年生と一年生になったらしい。このところ月日の経つのが早く感じるようになったのは、残りの時間を計算し始めるような年齢に僕が達した証だろうか。

「やあ、おおきくなったね〜」
 もちろん彼女たちに僕の記憶などあろう筈もないとは思いつつ、小さい方の子の頭をなでて言ったのだが、これが災難の始まりだった。
「お前だれじゃ、名を名乗れ」
 生意気にも、一人前の口をきくのだ。
「いや、名乗るほどの者でもないし……」
 ガキに自己紹介なんぞしてやるものか、と僕も少なからずムッとして言った。
「この人、きっと『しまじろう』やと思うわ」
 お姉ちゃんが言った。
「そうや、しまじろうや。しまじろう!」
 しまじろう、って確かアニメのベンガル虎の名前じゃなかったか? 勝手に人をしまじろう呼ばわりするとはけしからん子どもだが、名乗らない僕にも非はあるかも知れない。
「結構しつこいタイプですかね?」
 ガキの顔を見ながら、お母さんに言った。
「そうなんですよ、うちの子しつこいんです。すみませんねえ」
 お母さんに挨拶して別れたが、しまじろう呼ばわりする子ども等の声が聞こえて振り向くと、二人が僕の後を付けてくる。
「なあ、しまじろう、アイス買って」
「なんでお前に買ってやらんといかんのだ」
「なあ、しまじろう、明日バドミントンしに行くねん」
「そうかそうか、そりゃ良かったなぁ。頼むから付いて来るなや」
 大人はいつでも遊んでくれるものと思っているのか、どこまでも付いて来てかなわんので、買うものもそこそこにお母さんの元に引渡しに行った。子どもの頭を撫でるときは、相手を見てやらないとえらい目に遭う。

 場末の店で飲んで帰ろうとしたら、知人が暖簾をくぐって来て、「将棋を指そう」と申し出るので、リュックを背負ったままで将棋を指していたら、彼が連れてきた女性が僕を見て言った。
「こら、リュック、私の彼氏に将棋勝つなよ」
 こんどはリュック呼ばわりかい! 横から指し手を口出されることはあっても、将棋に勝つな、と言われたことは無いぞ。女が口を挿むんじゃない! と言いかけて思いとどまった。相手は他人を勝手にリュック呼ばわりするような女だから、スーパーで後を付けて来た子どもの比ではないかも知れん。君子は危うきに近寄らないことだ。

 昨日バイオリンを買った人の名前をwebで調べたら、あちらこちらに本名で書き込んでおられるし、御自分のホームページも本名で堂々と登場されていた。僕なんか、「鬱陶しいから本名のところを消して、HALだけにしようか」と考えているくらいなのに、立派な心構えだと感心する。もっとも、「リュック」や「しまじろう」なんて呼ばれるのも本意ではなければ、しばらくはこのままにしておくか。

 

2005年8月2日(TUE) 援助交際、初体験
「あの、もしよろしければ、私と遊んでいただけませんか?」
 JR大阪駅の改札付近で朝10時に待ち合わせをしたが、初対面の人なので遅れたりしたら失礼だと、かなり早めに着いて携帯を取り出し、きょろきょろ辺りを見回しているところへ女性から声をかけられた。

 あれ、変だな、待ち合わせをしたのは女性ではないはずだが、と瞬間思った。もしかしたら相手に何か緊急の事案でも発生して、代理が来た可能性も否定は出来ないが、「遊んでくれ」と声をかけてくるのが妙齢の女性とあれば、いかに鈍い僕でもまさか、「あや取りをして遊ぼう」と言ってるんじゃないことぐらいは察しがつく。
 スレンダーな体型に化粧も薄く、白地のブラウスとパステルブルーのタイトな感じのスカートは、むしろ地味なOL風にも見える。アイドル並みの美人というわけではないが、可愛いというよりは涼しげな美人、と形容した方がいかにもぴったりきそうだ。

「あ、僕とですか? でも、ちょっと待ち合わせをしてますので……」
 とっさのことで気の利いた答えもできなかったのだが、ひょっとすると彼女の目には、僕がテレクラや出会い系を利用して約束をしながら、女性に待ちぼうけを食らわされている間抜け男に見えたのだろうか。
 話には聞いていたが、まさかこんな朝っぱら、『お仕事』をなさっておられるとは思ってもみなかった。
 女の子はいでたちが大人っぽいからOL風に見えただけで、実際はもっと若いのかも知れなかった。大学生か、いやもっと幼くて高校生かもしれない。だとすると夏休みが始まったので、バイト感覚で手っ取り早く稼いだ後は海外旅行にでも行くつもりなのだろうか。

「HALさんですか、○○です。今着きました」
 本命が携帯を鳴らしてくれたのは、彼女の申し出を断った直後だった。断ったからといって、女の子は毒づいたりはしなかったし、微笑をたたえた口元は愛らしくさえ思えた。言葉の感じからすると外国人ではないだろう。生粋の難波っ子ではないかもしれないが、日本人には間違いない。

「どこかゆっくりお話し出来る所は無いでしょうか」
 初対面の彼は言うが、僕としては取引を済ませるだけなのだから、立ったままでも十分なのに、言われるままにミスタードーナッツに入ってホットコーヒーを注文した。二度と会うことも無い相手なら割り勘も当然だが、僕より若い彼を見るとなんだか後ろめたい気がする。
 話は弾んだ。コーヒー一杯で2時間話せたのだから、意気投合したと言ってもかまわないかもしれないが、同好の士なら不思議なことでもなかろう。僕は61000円を支払ってバイオリ
ンを受け取った。

 写真では分かりづらいが、このバイオリンは一見すると100年くらい前に作られたように見えても、実際は出来たてのホヤホヤなのだ。しかも、『ビヨーム』という、19世紀フランスの有名メーカーの偽ラベルが貼られている。

「そろそろ帰りましょうか」
 ミスタードーナッツの女の子が、何回も、「アメリカンコーヒーのおかわりはよろしいでしょうか?」としつこく言いに来るので、携帯の時計を確認したらもうお昼を回っていた。
 彼はバイオリニストというよりコレクターであるらしく、「このバイオリンを愛してくれる方に譲りたいと思っていました」とおっしゃるが、実用的な楽器がほしいだけで、彼の思いを遂げるだけの人物たり得ない僕は、早速くあれやこれやと、いじった。

※もちろん、前オーナーが騙されていたわけでもないし、その彼に僕が騙されているわけでもない。バイオリンの業界はおしなべて、こんなものだろう。61000円なら僕は儲かったと思っているのだが、 声をかけてきた女の子はいくら請求するつもりだったんだろう。せめて値段を交渉しておくんだったか!

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2005年8月日()