HAL日記


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2006年10月16日(MON) ドラマ「のだめカンタービレ」を待ってた
 待ちに待ったドラマ「のだめカンタービレ」が始まった。出演者の演技が上手かどうか分からんが、原作のイメージとそんなにずれてない配役だと思う。それにアクションも原作そのまんまで、そこまでやらんでも良かろうにと思えるほどのサービス精神が発揮されている。

 でも本来ならかなり後のストーリーで登場する人物がいきなり出て来て、やっぱり全11回に圧縮しようとすると思い切った書き直しが必要なんだろう。それにしても漫画のほうは今何巻まで発売されているんだろう? 確か8巻くらいまでは買って読んでいたのだが……。

 クラシック音楽をテーマにした作品でコミカル路線は非常に珍しいと思う、というか、読んだ記憶は無い。それにこの作品ほど人気を集めたものも少ないのではないだろうか。楽譜を買いに行っても作品中で演奏される曲を集めた本が出ているし、CDも発売されていたように思う。それだけでなく、漫画を読まないバイオリンのお師匠ちゃまでさえ「のだめカンタービレ」だけは知っていたほどだ。

 それにしても今日のモーツァルトは楽しかった。学生にしちゃ上手すぎるんじゃないか? と口を挟みたくなるが、一流音大が舞台ならひょっとしたらありかなと、思わせてしまうところも楽しい。
 クラシックというとどうしてもマイナーな印象があるが、来年あたりはバイオリニストのドラマも作られるかもしれない。まだ始まったばかりの劇画なのと、絵があんまり好きになれないのでたまにしか読んでないけど、作者の名前を聞いたら期待できそうだ。う〜ん楽しみ!


2006年10月15日(SUN) 犯罪もみんなでやれば怖くない
 JT将棋日本シリーズ大阪大会の日だったので、酒盗り友の会の連中と出かけた。何と言ってもプロの公式戦が無料で観戦できるのはこの棋戦だけとあって、会場は1000人くらいの観客でほぼ満員だった。結果は森内名人を破った佐藤棋聖が決勝に駒を進めたのだが、イベントの最後に佐藤さんが希望者全員と握手をしてくれた。

 個人崇拝なんて興味の無いぼくだけど、一緒に行った酒盗り友の会の連中が並ぼうというので、握手の列に並んだらぼくが先頭だった。
 先ごろ恥ずかしい写真が彼氏の携帯から流出したという、女優の水野美紀さんが仮に握手をしてやろうと言ってくれても、水野さんを知らないぼくが握手の列に並ぶことなんて無いだろうが、京都府出身の佐藤棋聖なら話は違うのだ。
 右が佐藤康光棋聖で、並んでいるのは酒盗り友の会の会員、A子さんとB男さん。B男さんは緊張のあまり直立不動の姿で、声もかけられずに握手だけで終わったが、A子さんは「佐藤さんが手を離してくれなくて」って、嘘つけ!

 佐藤棋聖と一番最初に握手したぼくは軽いその足で「劇団犯罪友の会」をたずねた。難波宮跡公園で公演するという、大阪野外劇場公演「かしげ傘」の「犯友野外特設劇場」はまだ設営中で、19日から始まるのに大丈夫なのか心配になった。
 映画すらろくに観ないぼくが、何で演劇なんかの下見に行ったかといえば、この劇団出身の元女優さんが復帰を要請されているらしく、案内をいただいたからだ。
 そんなこんなで、大阪市内で飲んだ挙句、帰って来てから更に深夜まで酒泥棒に手を染めてしまった。

 

2006年10月14日(SAT) ウィルスソフトに金が払えるか!
 無料ウィルスソフトの有効期限が切れた。切れたとたんにフィッシングメールが届いたので、まさか嫌がらせか!? と心配になったので、延長料金を払おうかと考えてしまった。
 一昔前はウィルスをばら撒いているのは対策ソフトを販売している会社じゃないか? とまことしやかにいわれたものだが、今は誰もそんなことは信じないし、ぼくに届いたアダルトなメールもきっと詐欺師からのものだ。

 それで早急に対策ソフトを導入しないといけないが、延長料金は980円かかる。たかだか飲み屋のビール二本ぶんなので気持ち良く払いたいのはやまやまだけど、クレジットカードの番号と有効期限だけで物が買えてしまうシステムがイマイチ理解できない。それに現金を動かさないとお金の有り難味というものが実感できなくていかん。

 だから仕方なく無料のソフトを探したら、なんと同じメーカーが新しいソフトを半年間の期限付きで無料配布してるじゃないか。これじゃあ金を払う正直者がバカみたいに思える。それに無料半年をうたっているのはこのメーカーだけでもないし、完全にただで使えるソフトも世の中にはある。何の保証も無いものを使うのは怖い気がするけど、実は有名メーカーだってウィルスの感染したからといって保証してくれるわけでもない。

 色々と理屈はつけているけど、本当のところは形の無いものに金を払うのが悔しいだけなのかも知れない。つまり、携帯電話はもちろん、決して新幹線に乗らなかったフーテンの寅さんみたいに、ぼくも古いタイプの……いや、単に貧乏臭いだけか!

 

2006年10月13日(FRI) 2枚童話の困難さ
 ヤンキース松井選手のチームメイトが、自家用飛行機を操縦してビルに突っ込んで亡くなったらしい。いかにもニューヨークらしい事故で、亡くなった選手が気の毒とは思うが、突っ込まれる身になったらとんでもない話だ。

 日本であのての事故はあんまり記憶に無い。米軍機がたまに市街に落ちたりしているくらいだから、アメリカの空に比べたら日本の空はずっと安全なのだろう。この先も日本人がいくら金持ちになったところで、航空機で移動しないといけないほどの国土じゃないから、あんな事故はそんなに増えたりしないのだろう。

 ところで、ヘリコプターはどちらが前か? と聞かれたら、誰だって操縦士が乗っている側だと答えるだろう。では、操縦士が乗っていないラジコンヘリはどちらが前かと問われたらどう答えるだろう。
 実は、ラジコンヘリというのはその動作において、前後はもちろん、上下左右、いや、裏表さえも無い飛翔体なのだ。そして、ラジコンヘリのこういった特性を、何も知らない人に説明しようとするのはとても難しい。

 昨日の童話教室の終わりに、2枚童話の公募に向けて頑張ろうと誓い合ったが、いざ書いてみると2枚は少なすぎる。作家、太宰治は、「言葉は少なければ少ないほど良い。ただしそれで人を納得させられるなら」といった。
 寸鉄人を刺すというのはそういう意味であり、五、七、五の17文字だけで人を感動させられるのだから、800文字も使えるんなら楽勝の筈なのに……。この難しさをどうやっ人に伝えようか。


2006年10月12日(THU) 拷問教室のあらかた
 童話教室の皆様は、今回ぼくの書いた80枚ものだらだら長くつまらない物語を、我慢に我慢を重ねて読んでくださった。そればかりか感想まで聞かせてやろうとおっしゃるのに、聞く耳持たんでは罰当たりもはなはだしいというもの。

 しかし、いくら「良薬は口に苦し」といっても、童話教室の良薬は「臥薪嘗胆」級の苦さなので、容易には飲み込めない。いや、本当は苦過ぎるからではなく、ぼく自身が苦い良薬に耐えられない性格なのかも知れない。

 80枚といえば単行本が一冊できるほどの長さなので、少なからず読み応えはある。なのに、自分自身で読み返してみてもつまらないものを、無理やり読まされたのは拷問に等しかったのではないだろうかと心配になる。応募要領にあるように、せめて表紙に荒筋※を書いておけば良かったと後悔した。

※荒筋:通常は、あらすじと読むが、社員研修を受ける時にはresume(レジュメ)と、なぜかわざわざフランス語に約したものを拝見させられ、パソコン講習会ではsummary(サマリー)と変換されて何度もスクロールさせられ、童話教室ではplot(プロット)と言い換えられて、「実になっとらん!」と、こき下ろされることがある、変幻自在で取り扱いに注意を要する日本語。

 

2006年10月11日(WED) 散髪や、病院二十日、先延ばし
 散髪屋の椅子に座ったら、「どんな風にします?」と、理容師の兄ちゃんが聞くので、「ちょっと伸ばそうかなと……」って答えたら、「お客さんの髪質では伸ばさない方が良いいんじゃないですか?」とのたまう。
 髪の毛が太くて腰がある上に数も多いときているから、伸ばすとすぐに頭がぼわっと丸くなってしまう。しかも洗うのが大変な上に乾きにくい。髪の毛が少ない人には理解してもらえそうも無い悩みだが、それなら頭を丸めたら良いじゃないかと言われてもそれが出来ない。

 理容師のお兄ちゃんによると、そろそろ散髪をしたいなと思ってから散髪椅子に腰掛けるまでに、大抵の人は1週間から2週間を費やすのだそうだ。髪が短ければ短いほど頭を刈る頻度は短くなるわけで、ぼくの頭なんかだと一月も刈らないと相当伸びるから、理容師のお兄ちゃんの「最後に刈ったのはいつですか?」という言葉は、あんたの頭はもう相当不細工やでと言われているのと同じかも知れない。

 延ばせば延ばすほど良くないのは病院も同じだが、病院に行くのが嫌なのは、散髪よりも時間を食うというばかりでなく、検査の結果を聞くのを先延ばしにしたいからかもしれない。
 咽の調子が良くないので、今日こそ大きな病院を受診したいと思ったが、目が覚めたら雨が降っていた。雨が降っているなら人は外に出にくいから、病院も空いているだろうと思うのは都会の人の考えることで、ここみたいな田舎では正反対なのだ。

 ぼくが住んでいる泉北ニュータウンが文化都市だと思っている人は、住人でもそんなに多くないと思う。まして外部の人から見たら、ここは田園地帯の真ん中に位置する、すごい田舎町に見えても不思議ではない。事実、今は農繁期だから収穫期を迎えて病院は暇なはずだが、雨が降ったら事情は一変する。雨のせいで農作業が出来ないなら、今のうちに病院でも行っておこうか、という人で待合室は溢れかえるのだ。
 ということで病院に行くのは見送ったが、病状は改善の兆しを見せないので、来週中には受診してみようと思っている。

 

2006年10月10日(TUE) ぼくはクロネコいじめの犠牲者だ
 あの公募の締め切りは確か11日消印有効だったはずだなと、公募ガイドを開いてみたら11日必着! ミスったー、今から東京まで送って明日着くのか? せっかく書き上げていたものなので、送らずして落選するのも情けない。絶対に送ってやると奮起して、郵便の速達で送るか、クロネコメール便か、それともEXPACK500か、どれも結果は同じようにも思えるが悩んでしまった。

 値段は間違いなくメール便が安いし追跡も可能だが、 EXPACK500のようにわずか500円で手渡してくれない。速達はサイズが大きいと割高になりそうなので使いたくはないが、今は時間が勝負なので490円払った。
 しかし後で調べたらメール便にも速達があって、180円で翌日配達が出来ると知った時点で、もはや敗者となったも同然のような気がした。

 最も近いのは郵便局だが、メール便もセブンイレブンまで10分くらい歩けば出せる。時間があって原稿用紙50枚を出すならEXPACKを使ったろうが、通常はメール便が一番良さそうな気がする。でもこのところクロネコを扱うコンビニが少なくなってしまったようで、ローソンも確か扱っていた筈だが、今はゆうパックに変わった。
 たぶん郵政民営化のときに小泉さんに反旗をひるがえしたから、駐車禁止も宅配便には厳しいが、ゆうパックには厳しく適用しないみたいだし、つまりクロネコいじめをされているといっていいのだろう。

 安倍首相は美しい日本を取り戻してくれるらしいから期待しているが、日本人の良いところってどんなところなんだろう。日本が米軍の支配下にあった当時、将棋の升田幸三元名人がGHQに呼び出され、
「将棋っていうのは取った相手の駒を使うそうじゃないか。それは捕虜の虐待につながる野蛮な発想ではないか」と、問い詰められ、
「とんでもない。日本人は敵を無用に殺したりはしない。降伏した敵は許して味方にするのが伝統である」と、反論したそうだ。

 酒の上での醜態に寛容なのも、個性を主張しないのも、物事に白黒をはっきりつけないのも、ある意味日本人の良いところではないのだろうか。小泉さんがユダヤ流かアメリカ流みたいなものを政界に適用したおかげで、政治に白黒がはっきりつくようになったのは良いことだろう。しかしそういったドラスティックなやり方が日本人に馴染むのだろうか。
 織田信長の天下統一に待ったをかけた明智光秀のような役割を安倍さんに期待したいが、今日は310円も損をしたもんだからちょっと愚痴ってみた。

 

2006年10月9日(MON) ジョンもジョージも目ぇ覚ませよ
 国民が飢えてるってのに核実験で国威発揚かい! 同じ反米国家でもベネズエラやキューバの指導者が人民の方を向いている、少なくともそういった印象を待たせているのとはえらい違うなと思う。

 それにしても日本のテレビでニュースを観る限り、ミサイル発射のときほど騒いでいないのはどうしてだろうか。アメリカのメディアはミサイルのときと同じかそれ以上に敏感な反応をしているように思えるのにだ。

 日本のメディアの扱いが冷静なのは、ミサイルという差し迫った脅威と、核実験という現実味の少ない静かな脅威との違いなのか、それともニュース映像的にミサイルより劣るからかどうか分からないが、アメリカが騒いでいる理由は、今回の事件で日本が核兵器を開発するのではないかと懸念しているからだ。
 
 ふざけたこと抜かすなと言いたい。日本人がどれほど核兵器に対して拒絶反応があるか理解してないのか? 他人の家の庭先に犬の糞をさせて平気でも、自分の家の庭によその犬が糞をしたら逆上するのと同じで、お前ら日本に核爆弾を落としたのを忘れとるんと違うか。  核兵器は使えない兵器だというのを一番知っているのは日本人なんだよ。もちろん抑止力にもならないんだよ。ジョンもジョージもいい加減に人民の方を向いて政治やれよ!

 

2006年10月8日(SUN) 酒で自爆しました
 数多の大手酒蔵メーカーが軒を連ねる、日本有数の酒所「灘五郷」に出向いて酒泥棒に手を染めないかと、知人の「酒盗りTEL師」なる御仁にそそのかされ、4人で車に乗って出かけた。もちろんそのうちの一人は酒を飲まないので問題ないし、酔って帰りの電車の中で他のお客さんに迷惑をかけないのが良い。
 ところが一人煙草を吸うのがいて、車の中で呼吸困難になりそうな上に、運転が乱暴なので酒で酔う前に車酔いしそうになった。

 TEL師によると「ただ酒祭り」なのだそうだが、西宮市が街を挙げて酒蔵巡りをやっているらしい。祭りの間の数日は専用バスが運行されているのだが、我々は車で来たのが仇となって、駐車場探しに難儀した。結局、三軒目の西宮神社にたどり着いたところで将棋を指すという、初心を忘れた意味不明なツアーに終わった。
 TEL師をどこかで消し去って、三人で帰って来て飲み屋のマスターを誘い、更に三軒の店をはしごした。

 ぼくと付き合いのある酒飲み連中といえば、大抵どこかに自爆装置みたいなものを抱えていて、酒を飲み続けていると何かの拍子にスイッチが入る。問題なのはそれがいつONになったのかが分かり難いということ。ウルトラマンみたいにカラータイマーでも点滅させてくれたらその時点でオサラバするのだが、この夜もスイッチの音が聞こえなくて、逃げ出すタイミングを逸してしまった。

 夜が明けて冷静になってみると、たぶん自爆装置は、最初の酒蔵で焼酎をあおった時に起動し始めたのではないかと思われる。つまり酒を口にした時点で、騒がしい男から危険人物に変身するらしいのだ。
 何が起きたのか思い出したくもないが、場末の飲み屋のマスターはしばらく店を開けないだろうし、自爆したやつも顔を出しにくいと思う。ぼくも今少しの間は連中の顔を見たくない。
 日本人は酒席での失態に対して寛容だと言われるが、それを知っているから簡単に壊れてしまうんだろうか。だったら飲酒運転と同じように厳しい目をもって対応するべきなんだろうが、ぼくも自分ではどれくらい壊れているのかが分からないので、そうなったらちょっと困りはするが。 

 

2006年10月7日(SAT) 奉仕するだけの人生もまた良し
 呑み処BASUEの常連客の顔ぶれは相変わらずだが、さすがに飲酒運転をして帰る客は激減した。皆さん代行とかタクシーを利用するようになったのだが、そんなことまでして女っ気の無い飲み屋に通う理由が分かりにくい。どこの飲み屋にでもある客同士のいがみ合いやいさかいといったものは、たぶんよそより激しいと思うが、客同士の仲の良さもよその飲み屋より少しは濃密かも知れない。

「何、真珠? そんなモン俺に言わせたらバカやね。あんなもんチンポに入れて、女が喜ぶはずが無いやんか!」
 ぼくが店に顔を出した時には、有名な格闘家のお父さんが壊れかかっていた。
「そんなモン相性があるんとちゃうの? せや無かったら誰も入れへんやんけ」
 だれか他の客が言ったが、向こうでニコニコしながら聞いている元ヤクザが真珠持ちだというのをぼくは知っている。
 いくら格闘家のお父さんが強くても、元ヤクザが逆上したらどんな事態に発展するか分からない。こんな手に汗握る瞬間がこの飲み屋の醍醐味かも知れないと思うと、なんか納得できる気がする。
 
 やがて客層は一変して、将棋隊と呼ばれる連中に取って代わられた。
「もういい加減にしてくれんと、将棋税をいただきまっせぇ!」
 将棋好きのマスターですら苦言をこぼすのはもっともで、将棋隊の連中は放って置いたら日付が変わっても朝まででも将棋を指しかねない。ぼくもその渦に巻き込まれてときどき酷い目に遭うのだ。
「オレの人生って、カラオケと酒と客の子守で終えるんやろな〜!」
 常連客に奉仕して終わるだけの人生かも知れないけどマスター! ぼくはあんたのことは決して忘れないよ!

 

2006年10月6日(FRI) 書き出しで決まるのか!
 ノリノリで書き始めた100枚童話だったけど、合評してもらってから至らない所が見えてきた。書いているときには分からなかったのに、指摘された部分を頭を冷やして読み直したら良く理解できる。教室の10人ほどの方を納得させられないものがどうして世間に受け入れられようか。

 ではどこに問題があるのかといえば、物語が独創的でない上に発想が貧困であるのは言うまでもなく、説得力に欠けているという所。もちろん説明が不足しているのは間違いないが、物語を説明しては誰も読んでくれないだろう。つまり、語り口に惹き付ける力が無いということにちがいない。

 惹き付ける力って何だろう。それは筆力と言い換えても良いかも知れないが、それなら宮本輝さんの言葉を思い出してみたいと思う。氏はあるとき先輩にこう訊ねたそうだ。
「筆力とはどういうものでしょうか?」
「それはね、初めに読者を惹き付けたら最後まで一気に読ませる力のことだよ」
 正確なことは覚えていないけど、そんなような意味のことを述べて、宮本さんは先輩の小説の冒頭の部分を諳んじた。
 ぼくは宮本さんのいう先輩がどなたなのか知らないから、宮本さん自身の小説から引用してみたいと思う。

「二十年前から父親代わりとなって自分たち兄妹二人を育ててくれた伯父の初七日が済むと、その翌日、手塚かおりは朝一番の新幹線に乗った。十二月の中旬にしては、いやに温かい東京の朝だったが、山陰地方はうんと寒いだろうと考えて持って来た厚手のコートで膝のあたりを覆い、すぐに目を閉じた」

 ぼくは宮本さんのファンというほどではないけど、そこそこ読んだし映画も観た。でもこの書き出しって面白いだろうか、ぐっと来るだろうか? 確かにこのわずかな文字にさまざまな情報を織り込んではいるけど、なんか普通な印象は否めない。

「叱りつけられるような日差しに、シャアシャアと沸き返るような油蝉の嵐が降り注ぐ。公園の地べたに描いた円のなかに腰をおろして睨みあう二人には、そんな騒音さえ自分たちに向けられた声援のように聴こえた」

 これはぼくの書き出しだけど、童話教室では誰も面白いと評してはくれなかった。そればかりかぼく自身ですら書き直したいと思う。
 宮本さんの書き出しだって別に素敵だとは思わないかもしれないが、実はこの先が素晴らしい。わざわざ書かないけど、次の一ページで後頭部を殴られたように読み進んでしまう。

 筆力ってある意味信用でもあると思う。寅さんが出ている映画ならぼくも喜んで観るけど、知らない俳優の主演だったら観ないかもしれない。シュワルツェネッガーが出ているんだからすごいんだろうと思って最後まで観たらつまらない映画だってこともある。

 宮本さんの書いたものだからぼくは次の数行を読んで驚いたが、公募に出したら下読みの人が続きを読んでくれるのだろうか。せめて一ぺージくらいは読んでくれるのだろうから書き出しには情熱をつぎ込まないと!

 

2006年10月5日(THU) 風変わりな女性バイオリン教師
 依然として体調は思わしくないが、来月あたりからバイオリンのレッスンを再び受けられるようになれば、という希望は捨ててない。そのためには教室探しというより、先生探しを前もって始めておく必要があるだろう。うっかり前のお師匠ちゃまみたいな未熟な先生にかかわって、毎回のレッスンを不完全燃焼のままで終えたくはない。

 ここは泉北ニュータウンという田舎町ではあるけど、知り合いに紹介してもらったりして探せば、自宅で教えるバイオリンの先生はけっこう見つかる。でも今日訪ねたのはそういった自宅レッスンの先生ではない。前のお師匠ちゃまと同じく自力で見つけたカルチャースクール系統の先生で、30分ほどレッスンを見学した後にお話を聞かせていただいた。

 その先生は年配のご婦人で、子どもに教える姿は柔和で忍耐強そうだし、ベテランの先生らしいポイントを押さえたレッスンは、幼い子にも分かりやすそうに思える。しかし子どもに聴かせたデモ演奏で判断する限りでは、前のお師匠ちゃまの方がずっと上手っていうか、気の毒だが、加齢というハンディは補いようもない。

 演奏家と教師は違うものなのだから、演奏技術が枯れてきていることイコール駄目な先生というわけでは決して無い。それが証拠に、日本が誇る世界的バイオリニストの五嶋みどりを育てた、かの名白楽、ドロシー・ディレイ先生の後年は太り過ぎで歩くことすらままならなかったし、バイオリンを持つのも疲れる様子だった。それなのに氏の門下からは数多くの名演奏家が輩出されたと聞く。

 バイオリンのレッスンというのは、音楽理論や演奏技術を伝えるのは言うまでも無いことだけど、音楽に込められた作曲家のスピリットのようなものを生徒に伝えることも大事だと思う。その点で前のお師匠ちゃまはヒヨコだった。しかしこの先生ならレッスンのノウハウの一つとして、音楽の内面にある精神性のようなものを的確な言葉に変換して聞かせてくれそうな気がする。

 だが1時間余り話して気がついたのは、この先生やたら自慢話が多いということ。無邪気な自慢話を繰り広げて下さる先生なら他にも知っていて、その有名な先生の自慢話にぼくは笑い転げたりしているのだが、こちらの先生の自慢話は聞いているうちに疲れてくる。もうそろそろ質問の核心に触れてほしいなと思って話を戻そうとしたら、更なる武勇伝をひけらかされる破目になって往生した。

 山を登るのにルートは一つではないといわれるように、バイオリンを教える側にも色々な考え方があるのだから、今日の先生について習うのも悪くないか知れない。でもレッスンのたびにあのテの自慢話を聞かされるのかと思うと考え込んでしまう。というか先生、自慢話であってもそうでなくても、誰かと会話するときは、相手の目を見て話しましょうね!

 

2006年10月4日(WED) 「♪ピアノ売ってちょうだい」言うから売ってやったけど
 5月に見積りをもらっていながら、愛着のあるピアノを売り払ってしまう決心がつなくてぐずぐずして来たが、それも今日まで。朝、コーヒーを飲んでからピアノの前に座り、このピアノと別れる最後のときに弾こうと決めていた「ショパンのノクターン20番※」を弾き始めた。
 発表会でも弾いて、CDになって残っている思い出深い曲は、まだ指が憶えていて、つっかえながらも弾けてしまうのが悲しい。

 もっと上手く弾ける筈だと、2回目を弾き始めたところでチャイムが鳴った。運送屋さんが来た! 時計を見ると約束の時間より20分くらい早い。
「もう少し、あと少しの時間を下さい。せめてこの曲を弾き終わるまで待って頂けませんか?」
「お客さん、こっちも忙しいんですよ。そんなことやってたらきりがないですからね」
 約束より早いじゃないか、という気持ちはあったけど、そんな大人気ない会話をしたわけではなく、運送屋さんと目をあわせた瞬間にぼくは全てを諦めた。

 3人のお兄ちゃんが部屋に入ってきて、ピアノを点検して部屋から運び出し、トラックに積み込まれて走り出すまでに15分ほどしかかからなかった。マイピアノさよなら
「毎度おおきに、お約束の21万円です。こちらにサインと印鑑を下さい」
 ぼくがズルズルとピアノを売り渋ってきたのは、この金額と決して無関係ではない。30万円が提示されていたら即決したかもしれないが、最初はどこも一律185000円で見積もられたのだからとりあえずは良しとするが、ぼくは現金を握り締めて「この程度の金で思い出までも売ってしまったのか!」と悔いた。

 トラックを見送って部屋に戻ると、ついさっきまでピアノに大きな空間を占められていた場所が空しい。それは父の遺体を火葬場に送ったときの喪失感と似ているようにも思える。鬱陶しかった父でも、たかだか100万円ほどのピアノでも、どちらもぼくには大きな存在だった。
 でもちょっと待てよ、大きくて真っ黒い物が無くなって広々とする上に、なんて部屋が明るいんだ! これまで何か分からない重苦しい気分を感じてきた原因が判明したみたいな気がする。罰当たりな話だが、父が1年余りの闘病生活の後に亡くなったときの脱力感に似ているようにも思えた。


※ショパンのノクターン20番は嬰ハ短調の曲だが、最後はホ長調で終わる。バッハの短調の曲が長調で終わるのは「神の許し、救い」を示唆しているからだろうが、ショパンの短調の曲が長調で終わるのを聴くとき「癒しと希望」が見えて来るかも知れない。

 

2006年10月3日(TUE) ごはんにマヨネーズはスゴイ!
 ごはんにマヨネーズをかけて食べたら美味しい、とのたもう方がおられて、あんたの味覚は狂ってるんとちゃうか? と言いかけた言葉をぼくは飲み込んだ。実はぼくは何度もごはんにマヨネーズかけを食べていたのを思い出したからだ。

 炊きたてアツアツのご飯にマヨネーズのチューブを絞って、とぐろ巻きにかけて食べるシーンは想像しにくいだろうが、もし寿司ネタの軍艦巻きかなんかだったらどうだろう。カニかまぼこかなんかにかかったマヨネーズと一緒にごはんも食べているじゃないか。

 食べるのが悲願だったドリアンが、小分けにして安く売られていたので買った。以前、タイ料理の店で食べたのは冷凍にしたものをチンしたものだったから良く分からなかったが、ガス臭い、うんこ臭いとは聞いていたほどでもない。一緒に買ったチーズセットの方がよほど臭った。熟していないものだったのかも知れないが、意外に食べやすくて美味しい果物だと思った。

 ぼくは酒の肴に寿司を好んで食べはしないが、ビールにチーズケーキというおきて破りも平気で出来る人間だから、何も無かったら寿司でも喜んで食べる。そんなときには寿司ネタに何が乗っていようと、その上にマヨネーズだろうがソースだろうが、はたまた八丁味噌がかかっていようが平気だ。
 それは酔っ払って理性を欠いているから出来ることだと言ってしまえばそうなるが、たぶん酒を飲む代わりに目隠しをしてマヨネーズかけごはんを食わされたら美味しくいただくに違いないと思う。

 ぼくの味覚とか味に対する想像力なんてその程度だろうから、匂いや味で食えるものかそうでないかを判断するのは難しい。だから食べ物に先入観を持って保守的になるのはいいことだと思う。珍しい新しいものを味わいたいと思わないなら。

 

2006年10月2日(MON) 童話作家の平均寿命
 本当ならあさってはバイオリンのレッスンがある曜日なのに、もう通うことはない。それだけでなく二週間もバイオリンを弾いてもいない。それでもあの頃と同じように爪は伸びてくるし、週に一度は切らないと気持ちが悪いだけでなく、なんとなく不安でしかたない。

 バイオリンの練習が嫌になってやめたのではなく、咽の調子が依然として快方に向わないので、一月ほど休んで様子をみてみたい。思えばバイオリンのお師匠ちゃまも若くして顎関節症を患っているし、100歳でリサイタルを開けるピアニストと比べたら、バイオリニストは演奏家生命も短いしおおむね長生き出来ないようだ。

 誰が調べたのか知らないが、将棋指しと碁打ちの平均寿命を比べると、碁打ちのほうにいくらか軍配が上がるという。とはいっても、勝負がつくのに150手もあれば十分な将棋と、300手以上の長丁場を戦い抜かねばならない碁という、それぞれのゲームの特性と寿命との因果関係が解明されているわけではない。単に一般人が碁打ちと将棋指しに持っている印象を裏付けたい心理が働いた結論かも知れない。

 スポーツジムも今月で契約を更新するのをやめた。何が原因でこんなに不調なのか分からないので、一度全てをクリアーにしてはっきりさせたいと思う。薬は飲んでみても矢部石先生のくれた薬なのでちっとも効かなかった。むしろ売薬の方がなんとなく調子が良い気がする。
 タバコは吸わないので飲酒を疑ってみたが、酒を一月くらい断ってもどんどん悪化し続けたから根本原因では無いと思う。

 すると残りっているのは、童話教室! いや、教室では確かに完膚なきまでに叩きのめされるからストレスは感じるが、それはそれで何か真理を探究する喜びでもあるから、あとは童話作家の平均寿命みたいなデータが、非常に短命! なんて出ないことを祈るばかりだ。

 

2006年10月1日(SUN) ロスタイムのコラボ
 そのまたつづき
「それなら病院内では誰もが看護師さんと呼んでいるんでしょうか? 今は」
 童話を書くなら看護師でなければいけないのは分ったが、現実の舞台で看護婦さんと呼んだら何かお咎めがあるんだろうか。でもそれでは看護婦さんという響きから受ける有り難味が薄れるようでいけない。
「確かに男性看護師さんを看護婦さんとは呼べなんじゃろうが、患者の多くは今でも看護婦と呼んでいるようじゃな」
「ふ〜ん、そうなんですか。それにしてTELさんやけに詳しいですね」
「そりゃ君ぃ、ワシは最近看護婦さんとコラヴォレーションしておるからな」
 どういう理由があってか知れないが、わざわざ英語で表現してくれた。

「な、何すか? そのコラボボなんたらゆーんは?」
 横文字の苦手なマスターが口を挟む。
「下がらっしゃいマスター! ワシらは真剣な話をしておる」
 TEL師のいわんとすることは、つまり看護婦さんとねんごろになっているということらしいが、どうも発音が違っている気がして、綴りを教えてほしいとお願いした。
「CO−LOVE−RATIONと書くんじゃ」※
 語源にまで分解して綴ってくれ、相思相愛という意味だと説明してくれたが、やっぱりな!
「ワシはね、老後は消化試合ではなくロスタイムだと思っておる。そこでも勝負がつかないこともあるが、試合終了のホイッスルは突然鳴らされるもんなんじゃ。だからワシは今という時間を懸命に生きておる!」
 どこで憶えて来るのか知らないが良い事をいうもんだ。でもどうしてそれがナンパにつながるんだろう。性欲も食欲と同じで本能なのだから、本能に従うことが懸命に生きることなのかどうか、ぼくが彼の心境を理解できるようになるのは、まだずっと先のことかも知れない。


※正しくは COLLABORATION=共同作業
用例
「新郎新婦、お二人の初めてのコラボレーションでございます。それではウェディングケーキ入刀」
「初めてのコラボっつーか、新婦のお腹目立ちすぎ〜、みたいな〜!」

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